ジルサイド ~過去の懺悔①~
俺の名前は、ジル・フレッド・グランドロス。
王族以外に王家の血を引く、リンドウ帝国唯一の公爵家。その嫡男だ。
唯一の兄妹である妹のリーネは、とても可哀想な子供で、その愛くるしすぎる見た目から誘拐が絶えず、父によって家に監禁にも似た扱いを受けることとなった。
しかし、年を重ねるにつれ、そのリーネの本性が『悪』であることが分かりだした。
はじめは、家に閉じ込められて性格が歪んでしまい、ただの他人への嫌がらせと思っていたが、その残虐性は尋常ではなかった。些細なことで気紛れを起こしたリーネは、その有り余るエネルギーを、その残虐性に注ぎ込んだ。
罪もない従者が何人といわず命を落とした。父は、そんなリーネを不憫に思ったか、それとも本当に可愛く思っていたのか、決して咎めることなく、そのあまりに非道な行いを金の力で解決してきた。
俺達の母親が心を痛めて寝込み、とうとう命まで尽きることになった時、父に言ったらしい。
「リーネを守ってあげて」と。
それからというもの、すでに過保護だった父が、更に異常なほどリーネに執着するようになった。
愛する妻がいなくなって、その願いをどうにか叶えてやりたいと思ったようだが、それにしても、その過保護は酷いものだった。
豊かな国の姫でさえそこまでは贅沢していないだろうというほどの物を買い与え、リーネが起こす全ての悪事を揉み消した。
娘を常に監視し、娘を屋敷から絶対に出そうとしなかった。そしてリーネは、どんどん壊れていった。
まだリーネが5歳の時に、リーネはリンドウ帝国の第一皇子と婚約した。当時アラン皇子もまだ6歳で、ただの口約束ではあったが婚約は確定していた。婚約を打診してきた王家はただ、公爵家の力が欲しかったのだとは思う。
俺はリーネの残虐性を感じる度に、リーネがいずれ皇后陛下になるのだということが恐ろしく感じ出した。
だがリーネはとても可愛く、そして可哀想な子供だ。
せめて俺だけは。兄である俺だけは決してリーネを諦めることなく愛してやろうと。自分の力の限り、リーネをまともな人間にしてやるために努力しようと心に誓った。
家族のために、俺は生きるのだと。
そんな俺が7歳の頃、運命的な出会いがあった。
平民ではあるが知性の感じられる、すごく可愛い女の子と知り合ったのだ。
ピンクのフワフワの髪が愛らしく、その口から出る言葉は彼女の奥深い感性を顕著に示し、俺を全く飽きさせることがなかった。
屈託なく笑うその笑顔に俺は完全に惚れてしまって、当時の俺は不器用ながら、彼女に想いを込めて指輪を造った。歪みまくった指輪だったけれど、彼女はとても喜んでくれて、俺達は約束した。
またいつか会うことがあれば、その時は、2人ともが幸せであるような恋人になろうと。
7歳の俺は、5歳のその少女がまだ小さいということを意識していなかった。あとで思うと、きっと彼女は俺との約束を覚えていないだろうことは予想できた。
それでも、不細工な指輪を送ってしまったことを後悔し、次に会った時にはもっと素敵な指輪を送れるように、何度も何度も指輪を造り続けた。
いつしかプロの技術者並のものが造れるようになってしまっていたけれど、ピンクの髪の少女とは、なかなか再会できなかった。
そして魔法学園の3年生の時、俺は、花満開の桜の木の下で、ピンク色の髪の女の子を見つけた。
ーーー運命だと、そう思った。
俺は入学式の夕方、早速、その女の子に会いに行った。聖女として認められ、学園の特待生になっていたその子は、あの小さな頃より何倍も素敵な女の子に変わっていた。
優しく、賢く、そしてとても愛嬌があった。少し話しただけで、多くの人がその子に魅了された。
俺の妹の婚約者であるアラン皇子も、入学式当日から彼女に骨抜きにされていた。他の誰かがその子に近寄ろうものなら、すぐに彼女を自分のもののように威嚇する。熱烈に愛を注ぎ続け、その子もアラン皇子の気持ちを素直に受け取り、嬉しそうに笑っていた。
アラン皇子ほど強引にアプローチできない俺は、生徒会に入ったその子を兄として見守るように、近寄るしかなかった。
結局、色んな人が『聖女様』に惹かれたが、アラン皇子の目から逃れられたのは、生徒会長の俺と、魔術の特別講師であるケリー先生、アラン皇子の親友のノクト、そして、アラン皇子でさえ不気味な存在だったその子のクラスメイトのロジーだけだった。
『聖女様』の時間は貴重で、フリーな時間など少ない。彼女はとても真面目で、いつもダンジョンに行ったり、騎士団で訓練をしている。そして推薦で選ばれただけの生徒会にも尽力していた。
彼女は常に忙しそうだった。そして昼はアラン皇子が独占している。
俺は少しずつ仲良くなったその子に、アラン皇子の手の届かない夜に会いに行き、少しの時間だけ彼女を連れ出して、俺の移動魔法でいろんな所を飛んで見て回った。
好奇心旺盛な彼女は、いろんな国の色んな文化を楽しんで、とても可愛く笑い続けた。
俺はその笑顔が見れることが、本当に嬉しくてーーーーー。
翌年、学園を卒業して騎士団に入ることになったが、俺はそれでも彼女のところに毎晩会いに行って、いろんなところを回った。そして会う時は、俺は必ず彼女の好きなピンクの薔薇を一本渡すのだ。1本だけの薔薇を受け取り嬉しそうに微笑む彼女が、心から愛しかった。
あの頃のことは、今でも思い出せる。
俺は、生まれてからの人生の中でも一番、その頃が幸せだった。
そしてあれは、俺が近衛騎士に任命されて仕事も充実し始めた冬の初めの頃。
綺麗な真ん丸の月の下を、彼女と二人で、大きな湖の上に小さな船を浮かべて、オールも漕がず、ただのんびりと漂っている時のことだった。
「ジル様」
彼女は、可愛らしい声で俺の名を呼んだ。
明るい月明かりに照らされ、暗く揺らいだ水の上を渡るピンクの髪の彼女が、ぼんやりと映し出されてとても綺麗だった。
優しい彼女の笑顔に、俺の胸は温かくなる。
「どうしたんだい?」
俺が尋ねると、彼女は目を細めた。
「ーーー私達は、幸せですよね」
その言葉で、俺は昔のことを思い出した。
『次に会えたら、2人ともが幸せであるような恋人になろう』
この人は、そういった俺の言葉を覚えていてくれたのだろうか。
彼女はまだ幼かったけれど、とても賢い子供だった。ちゃんと覚えていて、その言葉を言ったのだろうか。
俺はわずかな期待も込めて、聞いてみた。
「ーーーそれは、どういう意味?」
そんな浮かれた俺の心を、彼女は真面目な顔で沈ませた。
「大魔王が現れたと聞きました」
いきなり何の話かと思った。
「あぁ、それは俺も聞いている。すでに多くの人が犠牲になっているということも」
「そうなのです。多くの人の命が奪われ、多くの人が苦しんでいる……私はそれを聞いて、とても……耐えきれそうにないのです」
彼女は、苦しそうな表情をしてみせた。
優しい彼女なら、そうなのだろうと思う。とても真面目で、人のために尽くし、自分のことは省みない。不器用な性格なのに、そこがとても愛しい。
「そうだね。俺も、とても辛く思っているよ。優しい貴女がそう思うのも無理はない」
俺が頷くと、その子は唇を噛み締めて、はっきりと言った。
「だから私ーーー大魔王と戦おうと思うんです。聖魔法でないと攻撃が効かないらしく。ーーー私は聖女です。他の誰よりも『聖魔法』は使える。私がいかないと、いけないと思うんです」
強い意思の込められた言葉だった。
俺はとても信じられなくてーーーー。
どんなに能力の優れた魔術師でも、ギルドでSランクの屈強な男でも、大魔王の強さは尋常ではなく、虫のように皆、あっさりと殺されていく。
俺は慌てて、彼女を止めた。
「まさか、そんな危険なことを。馬鹿なことを言うのはやめてくれ。ーーー俺は君を失いたくない」
俺が彼女の肩を掴むと、その勢いで、船が大きく揺れた。俺は慌てて手を離したが、その時の彼女の悲しそうな笑顔は忘れることはできなかった。
それから数日後。
彼女は大魔王と戦った。
ーーー俺ではなく、アラン皇子と共に。
その傍には、アラン皇子に集められた沢山の兵士もいて、全ての人が彼女を守るために存在した。
俺は、それを遠くから見守ることしかできなかった。山のように大きな大魔王が、彼女達と戦いだした時から、その周辺だけに結界を張ったからだ。どんなことをしても後から中に入ることは不可能だった。
彼女とアラン皇子は、息の合った戦い方をしていた。元々2人の気は合っていたのだろうが、大魔王との戦いの中で、深い繋がりを作っていったように見えた。
俺はその戦いを遠くから見ながら、後悔ばかりしていた。
もしあの時、船の上で、俺があの子の言葉を否定せずにいたら。一緒に戦うと言っていたらーーーー。
結果は違っていたのだろうか。
大魔王は、聖魔法を何度も受けることで少しずつ弱っていった。あと少しというところで、大魔王は最終魔法を彼女に放った。
俺は走り出す。
すぐに彼女に駆け寄りたかった。しかし、結界によって近づくことさえできない。
彼女を守ったのは、すぐ傍にいて、彼女を自分自身よりも愛するアラン皇子だった。
アラン皇子は、彼女の代わりに命を落とした。
そして、彼女は怒りと悲しみによって光り始める。光が消えた時、彼女は『大聖女』に成長していた。
大聖女にしか使えない最終魔法。
それによって、大魔王は消滅した。
沸き上がる歓声。咽び泣く大観衆。
世界を滅ぼすであろう大魔王を、大聖女となった彼女が倒したのだ。
喜び打ち震え、そこにいる全ての人が『大聖女』を讃えた。
だが、大聖女となった彼女は、狂ったように泣き叫び始めた。アラン皇子の亡骸に寄り添い、必死でアラン皇子に回復魔法をかけ続ける。
もう戻ることはない命。
皇子とはいえ、ただの人だ。
大魔王を倒すための尊い犠牲。そう思うしかなかった。
だが、彼女は決して諦めなかった。
自分の命を犠牲にして相手の命を蘇らせる、禁忌の聖魔法。それを彼女は躊躇いもなく、大声で神に祈るようにアラン皇子に唱えた。
そして、誰しもがその目を疑った。
決して戻らない命だったはずのアラン皇子が動き始めたのだ。そして、自分の命を犠牲にしたはずの『大聖女』もまた、死んではいなかった。ただの聖女なら命を落としたであろうが、大聖女の力は、死をも凌駕した。
2人は生きて手を取り合い、その目には、お互いを想い合う愛が、間違いなく存在していた。
それを見ていた人達は全員、感動の渦に包まれた。
愛の奇跡だと。
ーーー大聖女様万歳。皇太子殿下万策。
皆が歓喜して叫び続ける。
騒ぎがしばらく収まらなかった。
ただーーー俺だけが、そこから取り残されていた。
※※※※※※※※※※※※※※
そして、アラン皇子の学年の卒業パーティーの日がやってきた。
俺は近衛騎士として、アラン皇子の傍に仕える仕事のためにその会場に入った。アラン皇子の婚約者であるリーネも。
アラン皇子は、終始、彼女の傍に寄り添っていた。リーネはそれを、醜く歪みきった顔で睨み付けている。
リーネは折角の究極の美貌をもっているのに、その残虐性と嫉妬心のせいで全てを台無しにしていた。
アラン皇子は、結局、婚約者であるリーネの家である公爵家に1度も顔をみせることはなかった。
学園であっても会釈をする程度。
いつも冷たい顔でリーネを眺め、醜く歪んだリーネの顔を嫌悪していた。
それも仕方ないといえば仕方ない。
リーネは、アラン皇子に執着してしまい、アラン皇子に近づく全ての女性に危害を加えた。髪を焼かれたり顔を傷つけられるのはまだ良い方で。
人によっては、階段から突き落とされた上に足を踏まれて骨を折られ2度と歩けなくなった者。アラン皇子にたまたまぶつかったというだけで家を燃やされて命を落とした人間もいた。
今、こうやってアラン皇子がリーネの横ではなく、彼女の横にいるのも、リーネから彼女を守るためのものでもある。
俺は、何度もリーネに嫉妬は控えるように注意したが、結局、理解してもらえなかった。
それでも、リーネは俺の可愛い妹だ。
アラン皇子が卒業して、リーネが嫉妬をしなくなれば、もしかしたら普通に戻るのではーーーという甘い思いはあった。
リーネがまともな人間になれば、家柄は公爵令嬢だ。間違いなく誰からも認められる皇后陛下になるだろう。アラン皇子と結婚して、幸せになれたらいいと思った。
しかし、人生、そううまくはいかないものだ。
卒業パーティーの終盤に、アラン皇子は会場の高台に、彼女と並んで立っていた。
アラン皇子は、皆が静まるのを待って、大声で宣言した。
「リーネ・アネット・グランドロス。お前は、この大聖女に向かって数々の信じがたい嫌がらせ、いや嫌がらせとも呼ぶことができない残虐な行為を繰り返してきた。彼女が聖魔法で自らを治療しなければ、今頃、彼女はここにいないだろう。そして、彼女がいなければ、この国、この世界が、大魔王に破壊されていただろう。それだというにも関わらず、大魔王を倒したあとの彼女にも、まだ暴挙を繰り返した。俺の婚約者ということで長い目で見続けてきたが、もう許すことはできん」
アラン皇子は、驚愕の表情を浮かべるリーネに向かって、小さな小瓶を投げつけた。
「ーーーそれは、お前が今日、この大聖女に対して飲ませようとした毒だ。調べたら、たった1滴で象をも殺す猛毒だそうだ。その1滴で屋敷が建つ程高価なものらしいが……」
ふ、とアラン皇子は皮肉に口を歪めた。
「俺は、今日、この時、リーネ・アネット・グランドロスとの婚約は解消する。そして、リーネ・アネット・グランドロスは、その自らの残虐な行いの罰として、国外追放とする」
それが嫌ならば、とアラン皇子は冷たくリーネを見下ろした。
「その自らが画策した猛毒を飲んで反省せよ。いかに自分が愚かなことをしたか、その身を持って反省するが良い」
「なっ」
俺は、慌ててリーネに駆け寄ろうとした。
いくらなんでも、それは酷い。
リーネは確かに多くの人を死に追いやった。多くの犠牲者を出した。
それでもーーー多くの人の前で婚約者を断罪し、自害を勧めるなど。
俺の可愛いリーネが、その言葉を鵜呑みにして死んだらどうする。
腐ってもリンドウ帝国唯一の公爵令嬢。勝手にそんなこと、公爵ーーー我が父が、許すはずがない。
そう思った時、リーネは、その美しい顔にうっすらと暗い笑みを浮かべ、投げつけられた小瓶を手に持った。
それを自分の喉に一気に流し込む。
アラン皇子は、それを一瞬だけ驚くように目を見開いたが、そのあとは『残念な女だ』とばかりに目を伏せた。リーネが苦しみ出す前に、アラン皇子が傍に控える黒鎧に合図して、リーネは控えの間に連れていかれる。
リーネは、死ぬ姿さえ愛する男に見てもらえなかった。
俺は、涙を流しながら、アラン皇子の傍に仕えていた。リーネのところに駆け寄りたかったが、リーネがこれで死んでしまえば、リーネが他人を毒殺しようとしていたことが確定する。それに駆け寄ってしまうと、俺まで共犯者と疑われてしまう。ーーーそう、学園の講師でもあるケリー先生に無理やり引き留められた。身体が動かなくなる魔法を使われたのだ。俺に拘束魔法を使うなんて、ケリー先生しかできないだろう。できる限り抵抗したが、どうやってもその魔法を解くことができなかった。
そして、アラン皇子は言葉を続けた。
「ーーーこのような事態が起こってしまい、本当は控えるべきだろう。だがしかし、俺は今日で卒業する。もう彼女を傍で守ることができなくなる」
アラン皇子は、更に張りのある声をあげた。
誰しもが聞き惚れるその美声は、嫌でも耳から入って身体に染み込んでいく。
「だからこそ、俺はここに宣言する。俺はこの大聖女と今日、婚約する。それによって大聖女は未来の皇后陛下ということになる。万が一、この大聖女に危害を加えようとする人間がいたら、それは反逆者として処罰する。ーーーー話は以上だ」
リーネのために暗くなっていた会場が、この国の皇太子と大聖女が婚約するという吉報に、わぁと歓声があがった。拍手で彼女は迎え入れられ、安堵したようにアラン皇子と微笑み合う。
その瞳には、お互い深い愛が交差していた。
ーーーー俺は。
動けない俺は、気づけば涙を流していた。
ケリー先生を見ると、ケリー先生も少し悲しそうな顔をして、アラン皇子と彼女の姿を眺めていた。
ケリー先生は、全てをご存知だったのだろう。
だから俺をーーー彼女を心から愛し、リーネを大切に想っていた俺を拘束したのだろう。
俺がーーー逆上しないようにーーーー。
※※※※※※※※※※※※※※※※
あれから数ヶ月が経った。
リーネは息絶え、それを知った父は気が狂った。
俺の家はもう滅茶苦茶だった。
それでも俺は、王宮で近衛騎士として働いていた。
父である公爵と、その娘の汚名を晴らすことでもあるし、報われなくても、愛する彼女の傍で彼女を守りたかった。
いずれ彼女が皇后陛下になった時、俺が誰よりも近くで守りたかった。
昔から仲が良かったアラン皇子のことは、今ではもう、好意的には思えない。愛しい彼女を俺から奪い、愛する妹を死に追いやった人間だ。
正直、今は顔も見たくなかった。
でも、彼女はアラン皇子を愛している。
そしてアラン皇子も間違いなく、彼女を愛している。
2人がいる時の優しい雰囲気は、見ていても悪いものではなく、それぞれが愛に満たされていて、こちらまで幸せが伝わるようだった。
いつかーーーいつか俺もその全てを受け入れて、アラン皇子のことも許し、アラン皇子と一緒に、彼女のことを守っていければいいとーーー、そう思っていた。
ーーーーーーあの日までは。
※※※※※※※※※※※※※※※※
それは、彼女が学園の寮から、王宮に引っ越しをすることになった日のこと。
彼女は、王宮のアラン皇子と違う部屋に引っ越しながらも、驚くほど何もないアラン皇子の部屋に驚いて、一緒にアラン皇子の部屋を飾ろうと言い出した。
シンプルな部屋が好きだといいながらも、アラン皇子は結局は彼女に弱く、言われるままに部屋を飾っていた。
それぞれがお互いの行動に一喜一憂し、初々しい恋人の雰囲気を楽しんでいた。
ここにアレを置いたら雰囲気がよくなるわね、とか、あそこにアレを置いたら便利じゃないか、とか、とにかく楽しそうだった。
彼女は花が好きだ。特に彼女の髪の色と同じ、ピンクの薔薇が。
その日も、自分でピンクの薔薇を準備していて、アラン皇子の部屋に、花瓶に生けた薔薇を飾ろうとしていた。
俺は、その彼女が花を飾りながら鼻唄を歌う様子を微笑ましく眺めていると、彼女がふと扉の向こうを振り返った。
「………何か騒がしいわね」
アラン皇子もそれに気づいており、その扉の方に目を向ける。
その時、扉が勢いよく開いた。
一気に大量の人間がアラン皇子の部屋に押し寄せる。
「アラン殿下。大変です」
アラン皇子の護衛である黒鎧が、必死な顔でアラン皇子に訴えた。
「どうしたというんだ」
「ーーー反乱が」
言った瞬間、伝達してきた黒鎧とアラン皇子に剣が届いた。縦に切り裂くように、大きな剣がアラン皇子を斬りつける。アラン皇子には同時に弓が足に刺さり、その後続けて上半身に弓が数本容赦なく刺さった。アラン皇子の身体のいたるところから血が溢れ出している。
アラン皇子は大きく目を剥いた。
俺も、何が起こったのか、よくわからなかった。
見ると、彼女がアラン皇子より先に床に倒れていた。
彼女はもう動いていなかった。
即死だ。
多分、アラン皇子を回復させないようにするため、先に聖女から狙ったのだろう。
俺は、頭が追い付かなくなり、その状況を呆然と眺めていた。
彼女の死を前にして、アラン皇子は大声で叫び、アラン皇子も死にそうな状態なのに彼女の傍に駆け寄ろうとする。
そして、アラン皇子はその人物に気がついて目を見開いた。
その視線を追った俺も、その人に気づいた。
扉の方に現れたその姿。
アラン皇子と敵対する人物。
アラン皇子は、驚きながらも悔しそうに睨み付ける。
「ーーーお前はーーーー!!!!」
言って、しかしアラン皇子は、その男に抗うこともできずに絶命した。
何が。
何があったと言うのか。
たった数分の出来事だった。
なぜ目の前に多くの人が死んでいる?
なぜ、アラン皇子が血塗れになっている。
なぜーーー彼女が。
俺の愛しい彼女が、こんな簡単に死ななくてはならなかった。
気づくと、そこらにいた全ての人の命を、俺が奪っていた。敵も味方も関係ない。
全てだ。
さっきまで笑っていた。
さっきまで楽しそうに。
幸せそうだった。
彼女が幸せであるなら、俺はそれでもいいのだとーーー。
彼女が、生きているのなら。
俺はーーーーー。
ーーーあぁ、と俺は泣く。
父が、母が亡くなってリーネに執着した理由。
リーネが、アラン皇子に執着して、自害した理由。
父が、リーネが死んで狂った理由。
全てーーー理解してしまった。
愛も、生も、死も。
どれも人を狂わせる。
ーーー俺が、いけなかったのだろうか。
あの時、あの月が綺麗な夜。船の上で俺が彼女に頷けば。
アラン皇子ではなく、俺が一緒に大魔王と戦えば。
そしたら彼女はここで死ぬこともなく。
リーネはアラン皇子のために彼女に嫉妬することもなくて、自害せずに済み。
リーネが死ななければ、父が狂うこともなかったかもしれない。
俺が、俺があの時、言葉の選択肢を間違えたから。
あの時、たった一言。
『俺も一緒に戦う』と。そう言えたなら。
俺は、涙を流していた。
手で触ると、その涙は赤かった。
血の涙だ。
俺は。
ーーーあぁ。
ーーーーあぁ、神様。
お願いだ。
時間を戻してくれ。
あの時、たった一言が言えなかった俺のために。
俺は死んでもいい。
だが彼女は。
彼女だけは。
俺が選択肢を間違えたために死ぬことになった彼女だけは、どうか助けて欲しい。
こんなーーーーこんな酷いことがあるか。
一瞬だ。たった一瞬で全てが終わった。
彼女のいない世界など意味がない。
これから俺は、どうやって生きたらいい。
助けてくれ。
助けてくれ、神様。
どうか。
ーーーーーどうか。この願いを。
その時。
俺の目の前が光った。
彼女が『大聖女』になる時の瞬間のようだった。
『ーーーー呼んだ?』
現れたのは、少年のような姿の人間だった。
いや、背中に大きな翼が生えている。
人間にしてはやけに全体が白く、血が通っている気がしなかった。
白い布を全身に纏い、足元は簡易的な草履を履いている。
俺は、呆然として、その少年に話しかけた。
「あなたはーーー?」
俺が聞くと、少年はにっこりと笑って、自分の頬に手を当てた。
「僕は『神』だよ」
自分を神と呼んだその少年の瞳は、瞳孔を中心に円を描くような、虹の色をしていた。
俺は、その少年をただ、見つめるしかできなかった。
ーーーこれが神だとーーーーー?




