悪役令嬢、買い食いがしたい
のんびり書きます。
よろしくお願いします。
リン、、、。
リン、リン、、、。
静かな夜の闇にかき消されそうな、小さな小さな鈴の音を聞いた気がした。
私はまだ、夢から起きたばかりで、しっかりと目を醒ますことなく、その音だけに意識を向けていた。もう24年生きたこの家の外から、こんな鈴の音を聞いたのは初めてだった。
どこからこの音がーーー。
そう思いながら、眠たい目を擦って起き上がると、そこは長年住んだボロ家、もとい、愛しい我が家ではなく、どこかのお姫様かといわんばかりの輝かしい部屋の中央に位置する巨大なベッドの上だった。
「お目覚めですか?リーネ様」
リーネ?
誰のこと?と声がした方を振り返ると、やや顔を引き攣らせた20歳くらいのメイドの格好をした女の人が、私に温かいタオルを差し出していた。
いつからタオルを用意して待っていたんだろう。いつ目覚めるかもわからないのに、目が覚めた途端に温かいタオルを差し出せるなんて、正気の沙汰ではない。
「、、、ありがとうございます、、、?」
お礼を言って受け取ると、その女の人は投げつけられるのを覚悟した顔を腕で覆うような体勢のまま、
「え???」
と、驚愕の声をあげた。
「え?」
彼女の声を私が繰り返す。彼女ははっと自分が出した声で顔を青ざめ、慌てて土下座した。
「も、申し訳ありません、リーネ様。どうか、、、どうか解雇だけは、、、っ」
いやいやいや。
え?って言っただけで解雇とか、どれだけブラック企業よ。私はそこの社長かっての。
と、思った途端、急に激しい頭痛に襲われた。
「っう、、、」
「リーネ様???」
近くにいた他のメイドの格好した人達も、慌てて私に近寄ってきた。心配そうというよりは、緊急事態にすぐ駆けつけなければ首が飛びそうな勢いだ。
「「「大丈夫でございますか???」」」
苦しんだのは、1、2分だったと思う。
脳内出血が死ぬくらい痛いというけど、1回死んだくらい痛かった。
そして思い出した。
私は転生。それも異世界転生したんだということ。
なぜそれがわかったかというと、その数分でリーネの記憶が一気に流れ込んできたから。
いや、もしかしたら、リーネの体に私という記憶が流れ込んだのかもしれない。
だからわかる。
このメイドの人達が、私から無理難題言われたり、不当な解雇を言われる可能性が大いにあること。
皆、私を心配してるわけでなく、私を心配しないと自分の未来が危ういということ。
この私、傲慢な悪役令嬢令嬢によって、それが当たり前のように日々起こっているからだ。
温められたタオル。
私が目を覚ました瞬間に、最適な温度で渡しなさいと命令したのは、数日前だ。
できるはずもないそれを、少しぬるいから、少し起きるタイミングより遅かったと、このメイドに連日投げつけていた。
道理でタオルを渡した途端に身構えるわけだ。
「、、、はぁ」
私は頭を抱えて、大きなため息をもらした。
使用人達は、慌ててその態度に悲鳴をあげる。
「「「いかがなさいましたか、リーネ様」」」
またため息がでそうになるのをぐっと我慢する。
今となってはリーネらしき精神体はここにはいないが、本当にリーネはこれで幸せだったのだろうか。こんな、周りの人にビクビクされながら生きるのって、辛くないだろうか。
いや、私の元の体、朋子であった時の上司がそんな人だった。仕事はできるが横暴で、ほんと人に嫌われまくっていたのにそれを治そうともしていなかった。不思議で仕方ないけど、世の中、そんな人は腐るほどいる。
「、、、大丈夫よ。もう下がっていいわ」
私が手をひらひらさせてメイドを下げようとすると、皆で視線を合わせて不思議そうな顔をする。
いつものように癇癪を起こさないのがそんなに珍しいのか。
混乱する頭を落ち着かせようとして、1つ、思い出したことがある。
リーネ・アネット・グランドロス。
私の名前。
どこかで聞いたことがあると思ったのだ。
考えて、気づいた。
私が元いた世界。そこで爆発的ヒットした乙女ゲーム『世界の中心で魔法を叫ぶ』の登場人物の1人。
聖女である主人公の邪魔をして、婚約者である王子から婚約破棄される悪役令嬢。
その名前がリーネ・アネット・グランドロスだ。
なぜピンときたかというと、その作品は本当に世間では異常なほど大人気で、社会現象にまでなっているからだ。
ありきたりな物語のはずなのに、アニメ化どころか実写化ドラマ、映画となり、その年の収入は年間トップになっていたという。
それぞれのキャラに熱狂的ファンがつき、かなりのマニアックな人達にリーネも人気があった。
私の友達が、頭から血を流したリーネのマスコット人形をカバンにぶら下げていた時は、さすがに趣味が悪いと苦笑いを浮かべたものだ。
私はその、悪役公爵令嬢、リーネになったのだろうか。
メイド達を部屋から追い出し、ベッドから降りて、巨大な鏡の前に立つ。
白銀の長い髪。澄んだ空を写したかのような淡いブルーの瞳。薔薇のような唇。整った顔立ち。
一見したら女神か天使のような美少女。
年齢は15歳。
ゲームは15歳の春の学園入学から始まるから、あと少しというところか
リーネは最後。破滅する。
愛する皇子に捨てられて。
今までの悪行と、聖女に対する異常で卑劣な虐めとで、公爵家からも追放。
そして聖女の選択肢次第では。
80%以上の確率で死ぬ。
ふぅん、、、と私は唸った。
なるほど。
最悪な状況だ。
でも、と思う。
最悪ながら、絶望的というわけでもない。占いで言うなら『凶』。でも凶はあくまで現状であって、珍しいから運が良いという見方もあるし、この先運気が上がるしかないということだ。
まだ物語は始まっていない。
そして本来のリーネとは性格が違う。
社会人として数年、世間に揉まれて生きたことで多少の人間関係のノウハウも、パワハラに耐えた精神力も、そして何より、この世界の成り行きも知っている。
物語のキャラに余計なことをしなければ、私はただの女神な公爵令嬢。むしろ勝ち組。
前の世界で毎日朝から夜中まで働き続けて疲れた心を、これからの豪華絢爛な生活で癒してもいいんじゃないかな。そう、これは神様からの私へのご褒美では?
少し楽しくなってきた。
公爵令嬢。
あれよね、公爵令嬢って、王族以外は私より高い立場の人はいないってことでしょ。何しても許されるってことでしょ。1日ゴロゴロしてても怒られないってことでしょ。
考えるだけですごく楽しい。
「ふふ」
思わず1人笑ってしまった私を、傍で控えていたメイドが心配そうに歪んだ顔でみていたが、なんでもヒステリーを起こすリーネのこと、刺激しないように声もかけずに黙って放置してくれていた。
✳️✳️✳️✳️✳️✳️✳️✳️
ーーーということで、豪華絢爛の日々を楽しんでいた1ヶ月後。
、、、私はもう、公爵令嬢としての立場に飽きていた。
はじめは、私の行動に一喜一憂していた使用人達も、私が普通に令嬢風になったことに慣れると、普通に接しだした。
毎日朝から晩までフランス料理フルコースのような夢の豪華贅沢料理も、食べ続けるとゲッソリしてくる。そもそもリーネの胃袋は元の私よりだいぶ小さいようで、満足する量が入らない。多分、リーネは好き嫌いが激しかったのだと思う。好きな物しか食べないから、こんなに胃が小さいんだ。「もったいない精神」を叩き込んでやりたかった。
大きすぎる風呂に入ったり上がってからのマッサージも気持ちはいいけど、毎日毎日のそれは、正直美容に興味のなかった私には時間の無駄な気がする。そもそも15歳というまだピチピチの女の子に、そこまで手入れは必要だろうか?確かに私が15歳だった頃、化粧水どころか石鹸で顔を洗いっぱなしだったから、友達に手入れしなさすぎと怒られたけど。
「、、、退屈、、、」
と呟くと、まだ相変わらず、メイドの人がゾロっと集まって、あれこれ提案してくる。
「ティータイムになさっては?良い茶葉が入りましたよ」
「バラ園を散策などはどうでしょう。珍しい種類のバラがちょうど見頃でございますよ」
「道化師をお呼びいたしましょうか」
ーーーー。
毎日毎日毎日。同じこと。
繰り返し繰り返し繰り返し。
こうつまらない毎日だと、確かにメイドをおちょくってやろうって気になってきて、それがイジメに繋がったリーネの気持ちもわからなくはない。
わかりたくなかったけど。
「、、、外に行きたい」
ずっと溜め込んでいた気持ちを口に出す。
リーネとして目覚めてから、ちょっと外に興味が出て、外に行きたいって軽い気持ちで言ったら、激しく皆に止められた。
公爵令嬢はそう簡単に外に出れるものではないし、女神か天使のような姿の私は、外に出たら一瞬で誘拐されてしまうんだと。
小さい頃、3回外出して、3回連続誘拐されそうになったらしく、それからというもの、私は絶対に外出禁止になってるらしい。
ーーーーこれって軟禁じゃないの?
そもそも、公爵家なのに3回も連続で誘拐されそうになる警備の甘さが問題であって、私のせいじゃないのではないのかしら。
これじゃリーネもお手伝いに対してイジメをしたくなる気持ちも、ほんと、わかる。
私が外に出たいというと、案の定、メイド達が悲鳴を出すようにざわめいた。
「い、いけません。リーネ様」
「けっして、けっしてそれだけはっ」
ザワザワザワザワ。
あぁもうウンザリ。
広い公爵邸といえど、私がいる場所は自分の部屋か、屋敷内の図書館、食堂、庭園のみ。
外から呼ぶ道化師といっても、元いた世界のものすごいテクニックをもった人達のようでなく、ちょっとジャグリングできる人か、踊るだけ。
ここの世界では私の望むような芸は見せて貰えないのだ。
前の世界が、ネットで世界中の神技を簡単に見れていただけに、それとつい比べてしまい見劣ってしまう。
よく考えれば、前の世界って、私は一般人だったけど、食べ物は種類が多くて普通に何でも美味しかったし、娯楽は腐るほどあって楽しかったし、何より自由だった。贅沢三昧の公爵令嬢よりずっと幸せだったんじゃないかとつくづく思う。
ーーーーだけど。
ふふ、と私は内心、ほくそ笑む。
実はこの前、品物屋が来た時に、ちょっとしたものを見つけたのよね。
私はちらり、と自分の枕の下に隠した袋を見る。
中には、2本の棒と、地味な色の毛糸が数個入っていた。品物屋の提示した商品の奥に、ちらっと見えたそれ。品物屋からしたら私には用無しと見せもしてくれなかったけど、他の場所では売れるのだろう。
この雪が降ろうかと寒くなった季節。
毛糸は必需品。
私は品物屋と2人きりにしてもらい、黙秘も含めて大金を渡してそれを手に入れた。
私が小さい頃誘拐された理由は、多分、明らかに目立つこの白銀の髪とスカイブルーの瞳が原因なのだ。公爵家の人間とばれてしまう。
それならば、隠してしまえばいい。
毛糸で深めの帽子と、余ればネックウォーマーのようなものを作って、メイドが捨てた服をちょろまかしてしまえば、私はただの一般人になれる。
まさか深窓の令嬢が、毛糸でニット帽やネックウォーマーなんて編めるとは誰も思わないだろう。
昼寝をするから誰も部屋に入らないでって言って、布団に長枕でもいれれば1、2時間くらいの外出なんて問題ないはずだ。
私は諦めたふりして、やれやれと首を傾げた。
「わかってるわ、言ってみただけ。こんな寒い中、誰がわざわざ外にでていくものですか」
「そ、そうですよね。外はとても寒いんですよ。朝は地面が凍っていましたし」
「水なんかとても冷たくて」
「滑って転んだら、リーネ様の大切なお身体に傷が」
次々に私を止める言葉をつなぐ。
「話を聞くだけで寒くなってきたわ。何か温かいものをちょうだい」
「「「はい。承知しました」」」
バタバタと皆が温かいものを手配しにとりかかる。
そうやって、うっかり騙されているといいわ。
私は近々、外に出る。
そしてーーー。そして!!!
食べてやるのだ、屋台の焼鳥を!!!
この前、品物屋と談笑していたら、調子にのった品物屋が世間の話を沢山聞かせてくれた。
この寒い季節。温かい屋台の食べ物は飛ぶように売れるらしい。
寒いので雪が降ると、物資の調達が困難になるから店が閉まることもあるが、それ以外は店をだしているのだと。
屋台は色んなものがあり、その細やかな内容も聞かせてくれた。
その中で、私の心をぐっと掴んで離さないものがあった。
『焼鳥』だ。
寒い中ホクホクしながら食べる、あの焼鳥。
家の中で食べるのとはまた違う、あの特別感。
外の景色が、焼鳥を何倍もの美味しさに変えてくれる、奇跡の調味料。
頭に浮かべただけでヨダレがでそう。
ずっとジャンクなものが食べたくて仕方なかったのだ。無い物ねだりかもしれないけど、もう、ソースの味を変えただけの高級な肉料理には飽きたのだ。
焼鳥食べたい。イカ焼き食べたい。たこ焼き食べたい。焼きとうもろこし食べたい!!!
しかし公爵令嬢という立場が私の邪魔をしていた。
家もでれないし、ジャンクなものは公爵令嬢に相応しくないと。
毒味をしないものは口にも入れられないなんて。
こんな不自由。耐えられない。
ーーーーーでも。
でも私は諦めない。だって、私は頑固で諦めが悪くて有名な、悪役令嬢。
皆にバレないよう、私は下を向いてまたこっそりと笑った。
決行は4日後。
公爵であるお父様が皇帝より呼び出しがあり、朝から準備にバタつくはず。そこを狙うのだ。
それまでは夜なべして、毛糸を編み続ける作業。
こんな地味な作業が、こんなに心踊って楽しいなんて。
4日後が楽しみだわ。
食べて食べて食べて。食べまくってやるんだからね!