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罪深き偽りの月  作者: 路明(ロア)
Età della luna 2 狼のように空腹
6/50

Carne cruda fresca in cucina. 厨房の新鮮な生肉 II

 厨房に続く廊下の入り口付近で、アベーレは立ち止まった。

 基本的に下級の使用人しか使わない廊下なので、窓はあまりなく薄暗い。

 先程ヨランダが、腸詰めを作ると廊下の向こうに消えて行ったが、今ごろ大量の肉と格闘しているのか。

 ここは腕捲りし、さりげなく厨房へ行って手伝うべきではないのか。

 器用に手伝う様子を見れば、ヨランダは今後頼りにしてくれるのではないか。

 肉を扱ったことは無いが、素手で触って切り刻むことが出来れば何とかなるであろうと、頭の中でシミュレーションを繰り返した。

 包丁は持ったことはないが、ナイフと剣なら扱える。

 同じ刃物だ、多分いけるのでは。

 豪華な内装の廊下から、やや薄暗い廊下への境目をアベーレは踏み出した。

 厨房は入るような所ではないと教育されて育った。禁忌を犯すような後ろめたさを感じた。

 好きな女性のために禁忌を犯す。

 そう考えたら格好良いではないか。自分を勇者か何かに見立てたら、もう一歩いけるのでは。

 そんな風に奮い立たせながら、壁に手を付く。

 前方から、コツ、と靴音がした。

 妙なところを見られてしまったかと思い、アベーレは苦笑して顔を上げた。

「男手も必要でしょう、姉上。お手伝い……」

 前方には、誰もいなかった。

「あれ……」

 周囲を見回す。

 手前にある使用人の控え室から、また微かな靴音がした。

「姉上、そちらで何か」

 腸詰め以外にも、何かやるべきことがあったのだろうか。

 ヨランダの仕事ばかり増やす訳にもいくまい。

 使用人が休憩に使う部屋くらいなら、子供の頃に入ったことはある。

 アベーレは靴音のした部屋に向かうと、扉を開けた。

 狭い部屋に大きめのテーブルと複数の椅子だけがある質素な部屋だった。

 使用人が頻繁に使っていたりすると、脱ぎ捨てた上着やら食事の後のスープ皿やら、差し入れのお菓子やらか部屋中にあったりするのだが、そういったものはなく寒々とした雰囲気だ。

「姉上」

 入り口からの二段ほどの段差を降り、アベーレは部屋を見回した。

 誰もいなかった。

 何かの音と靴音を聞き違えたか。それとも泥棒でも入り込んでいるのか。

 没落した貴族から何か取ろうなど、情け容赦ないな。そんな風に考えた。

 いちおう自衛のために拳銃は持って来ているが、屋敷内でも携帯していた方が良いだろうか。

「アベーレ」

 入り口扉から、ヨランダが顔を出した。

 大きな肉切り包丁を手にしている。

 ゆっくりと胸に手を当て、アベーレは後退った。

「な……何です、姉上」

「あら、ごめんなさい」

 ヨランダはそう言うと、肉切り包丁を下ろし使用人部屋を見回した。

「足音がしたから泥棒かと思って」

「だからといって……姉上お一人で、どうするつもりだったんです」

「そういえば、アベーレが居てくれたのだったわ」

 ヨランダはそう言い、にっこりと笑った。

 頼りにされているのかとも取れる台詞は嬉しいが、本当にどうするつもりだったのだ。

「女子修道院は、女性しかいないものだから」

 淑やかにシンプルなワンピースのスカート部分をからげ、ヨランダは踵を返した。

「女性しかいらっしゃらないのは知っていますが、それが何なのですか」

 後を付いて歩き、アベーレは言った。

「男が侵入したら捕まえて即あそこを切って良しと教えられたの。そのつもりで来てしまったわ」

 前方を楚々とした動きで歩きながら、ヨランダはそう言いクスクスと笑った。

 暫くの間、アベーレは絶句して結われた黒髪を見ていた。

 美しくたおやかな仕草と優雅な笑い声で、いま何と言った。

「姉上……」

「なに?」

 振り向かずヨランダは返事をした。

「か弱い女性ばかりの場所で、心細く暮らされていたのは分かります。でもこれからは私が……」

「そうね。アベーレ、いちおう男の方だったわね」

「は……」

 一応。

 その単語だけが頭の中に響き渡り、アベーレは額を押さえた。 

「姉上。いえ、ヨランダ」

「あら……」

 唐突にヨランダがスカートを摘まみ片足を上げた。

 足元に何かを見つけたのだと気付き、アベーレは視線を追った。

「動物かしら」

 あまり磨かれてはいない床。

 針のように固そうな毛と、緩く波打つ柔らかそうな毛が、混在して落ちていた。

「さっき通った時には無かったと思ったのだけれど」

 不意に前方の厨房の方をヨランダは見た。

「お肉……食べられていないかしら」

 そう言い、スカートをからげ厨房の方に小走りで駆けて行った。




 この屋敷に来て暗闇の中一番始めにたどり着いた部屋を、アベーレはその後も寝室に使っていた。

 女中が来て整えてくれる訳ではない部屋は、カーテンは一日中閉めっ放しで、常に薄暗かった。

 外を見たいときや明かりが欲しいときは、必要な所だけを捲ったり隙間だけを開けたりしている。

 自身で敷き直している寝具は、見よう見まねでやっているので不自然な皺だらけで綺麗とはいえない。

 ヨランダが部屋の管理や掃除を申し出てくれたが、気恥ずかしいのと、ヨランダの仕事を増やしたくないのとで断っていた。

 寝台のそばに置いた長持ちを開け、アベーレはフリントロック銃を取り出した。

 畳まれた服を何枚か捲り、薬包を取り出す。

 口で紙の包みを破り、紙ごと銃口に込めた。

 ここのところ射撃の鍛練などしていなかったが、腕は鈍ってはいないだろうか。

 壁に掛けられた(ほこり)のついた絵画に向かい、構えてみた。

 安全装置を一段階だけ上げ、じっと狙いをつけてみる。

 実際に撃ってみないと、鈍ったかどうかは分からないか。そう思い至り、軽く溜め息を吐いた。

「アベーレ」

 扉がノックされた。同時に聞こえたのは、ヨランダの声だった。

 (ひざ)をついていた態勢から立ち上がり、アベーレは扉を開けた。

 開いた隙間から室内を見たヨランダは、やや困惑した顔をした。

「カーテン……」

 そう呟く。

「え……あ」

 同じようにアベーレは窓の方を見た。

「開けないの?」

「いえ……自分で開け閉めするとなると面倒で。どうせ夜に閉めるのなら、このままでもいいかと」

 アベーレは苦笑した。

「そんなことじゃないかと思ったわ」

 ヨランダは室内に入ると、すたすたと窓へと行き、勢いよくカーテンを開けた。

 薄暗い部屋に昼下がりの陽光が一気に射し、何となくどんよりとしていた室内が明るく照らされた。

「姉上……男の部屋に」

 アベーレは顔をしかめた。

「やっぱり寝具のこととか掃除とか、やってあげるわ」

 ヨランダは不器用に敷き直された寝具を振り向き、困惑した表情をした。

 意中の女性と寝台を、こうも唐突に同じ視界の中に入れたくはなかった。

 アベーレは気恥ずかしさに口を抑え、さりげなく顔を逸らした。





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