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罪深き偽りの月  作者: 路明(ロア)
Età della luna 5 人狼のいる部屋
12/50

Qualcuno ha visto un licantropo? 人狼を見た者は? I

 昼過ぎ。マリアーノ副助祭の呼ぶ声で玄関扉を開けたアベーレは、彼の背後にずらりと並んだ村人達の姿にやや戸惑った。

 どの者も、かしこまった風でいつつも目だけはきょろきょろと玄関ホールを見回し、口元は浮かれた気分が滲み出て弛んでいた。

 数人ほど混じっている子供は、大人たちの脚の間からあからさまに屋敷の内部を覗き込んでいる。

 本当に娯楽の対象らしいとアベーレは軽い目眩(めまい)を覚えた。

 自身が領主一族の者としてマナーや外交術、学問や乗馬や戦時のための武器の取り扱いから経済まで修めて来たのは、純朴な村人たちの娯楽の対象になるためだったのかと、的外れな方向に悩みそうになった。

「皆さんが、私と一緒なら怖がらずにお取り調べに出向けると仰るもので」

 マリアーノは微笑み言った。

 怖がってはいないではないかと内心で思い、アベーレは眉根を寄せた。

 庶民というものは、為政者の一族の者以上に社交辞令が上手いのだとよく分かった。

「とりあえず、皆さん中へ」

 スカートをからげた優雅な仕草で、ヨランダが村人達を中へと促す。

 ほおお、と村人達が目を丸くし溜め息を吐いた。

 全員が女神でも見たかのように立ち竦み、口をポカンと開けたり、頬を紅潮させたりした。

「う……美しい御方ですなあ。奥方様で」

 村人の一人が呆然として言った。

 貴族の娘としてもヨランダは美しく優雅だと思うが、洗練された女性に接する機会のない村人達からすれば、これほど見とれてしまう人なのか。

 誇らしい気分でアベーレはヨランダの様子を見た。

「姉上、皆さんを……」

「奥方ではなく、アベーレ殿の従姉(いとこ)殿だそうです」

 マリアーノが村人達の方を向き、そう説明する。

 うっ、とアベーレは(のど)を詰まらせた。

 村人達の中には、若い男性もいた。

 よもや、独身であればヨランダをものに出来るかなどという考えを持ちはしないか。

 没落した家の娘なら婚姻も可能かと、口説き始めたりはしないか。

 にわかに不安になった。 

「ヨランダ」

 少々偉そうに咳払いをしながら、アベーレはそう従姉を呼んだ。

「皆さんを、案内して差し上げなさい。あと、お茶などを用意してくれるか」

 急な口調の変わりように、ヨランダは目を丸くした。

 村人達がやり取りを興味深げに眺める。

 まだ奥方ではないが、すでに夫と妻であるかのような間柄なのだと、特に男共には周知してもらわねばとアベーレは思った。




 応接室に案内すると、村人達は室内を何度も見回し、それぞれに溜め息混じりの声や軽い奇声を発していた。

 小さめのテーブルに椅子が数脚という部屋なので、長椅子を使っても座る場所は足りない。

「……持って来る」

 そう言い、アベーレが別の応接室に椅子を取りに行こうとすると、村人の何人かが呼び止めた。

「立ってますので、旦那様」

「……そうか」

 そわそわとポケットに手を入れ、アベーレはテーブルに戻った。

「ああ、アベーレでいい」

 着席しながら、さりげなくそう言う。

 村人達は目を見開き、それぞれにコクコクと頷いた。

「アベーレ旦那様ですか」

「ほら、アベーレ旦那様だよ」

 子供にそう教えている者もいる。

 まあいいかとアベーレは眉をよせた。

「では、この中で人狼を見た者」

 アベーレはそう言い、右手を上げた。

 窓際に立った三人ほどと、椅子に座った二人が手を上げる。

「あとの者は」

「はあ、つき添いで」

 若い男がヘラッと笑った。

 完全に娯楽の口かとアベーレは顔をしかめた。

「ちなみに、アドルフォ・コルシーニという人物と接触した者は。私の伯父だが」

 アベーレは再び右手を上げた。

 村の女性の何人かが、顔を見合せて何か言いたそうな顔をする。

「見かけたという程度でも構わない。知っていることがあれば」

「あのう……」

 三十歳ほどの女性が、おずおずと手を上げた。

 周囲にいる女性たちとチラチラと目を合わせる。

「どちらがアドルフォって御方か分かんねえけど」

「どちらが?」

 アベーレは眉を寄せた。

身形(みなり)のいい旦那方が、お二人でいるのは何度かお見かけしました」

 アベーレは、出入り口の扉の前に立つヨランダと目を合わせた。

「え……姉上、お座りになっては」

 女性の証言も気になったが、ついついヨランダを立たせたままという方が気になってしまった。

 か弱い御御足(おみあし)が疲労などしては大変ではないか。

「姉上」

「良いのですよ、旦那様。お話をお続けになって」

 ヨランダはそう言い、にっこりと笑う。

 アベーレは、出入り口を振り向いた格好のまま、動作を固まらせた。

 立ててくださっているのか。

 何て出来た女性なのだ。心臓が小刻みに速まった。

 村人達が「ほお」とも「ふああ」ともつかない声を上げる。

「何つうか……やっぱ貴族のご夫婦は、優雅な感じですなあ」 

 中年の男性がそう呟く。

「……あ、ご夫婦ではなくお従姉弟(いとこ)でしたっけ」

「いや……」

 アベーレは軽く咳払いをした。

 そのまま思い違いで通せ、と心の中で念じる。

「見かけたのが伯父君に間違いないとすると、もう片方は執事のフィリッポ殿でしょうね」

 マリアーノが言った。

 浮かれた感じの村人達とは全く異質な感じで、マナー良く紅茶を口にしている。

「執事……」

 長い睫毛(まつげ)を伏せたマリアーノの顔を、アベーレは凝視した。

「執事など連れて来ていたのですか?」

「お会いしてはいませんか?」

 マリアーノは静かにカップを皿の上に置いた。

「なぜ話してくださらなかったのですか」

「ご存知かと思っておりましたので」

 マリアーノは言った。おもむろに顔を上げ、証言した女性の方を見る。

「二人でいた御仁とは、恰幅の良い長身の御仁と、口(ひげ)顎髭(あごひげ)を伸ばした、気難しそうな御仁ですか?」

 女性は前掛けの前で手を組み、コクコクと頷く。

「恰幅の良い御仁の方が、伯父君でしょう」

 マリアーノは言った。

「執事を連れて来ていたのか……」

 少々ホッとした気持ちで、アベーレはヨランダと目を合わせた。

 没落してまでついて来てくれるとは、ずいぶんと忠義の者だ。

 何にしろ一人で行方知れずになっている可能性は低くなったわけかと思った。

「それで、人狼を見た者は」

 先ほどの五人が手を上げる。

「どんな」

 アベーレは言った。

 ついテーブルの上で、メモを取るような手つきをしてしまった。

「紙とペンを持って来るわね」

 ヨランダが踵を返し退室する。

「姉上、そのくらいは自分で」

 そう言いかけ、アベーレはハッと村人達の顔を見た。

 おもむろに口に拳を当て咳払いをする。

「……紙とペンをお願いできるか、ヨランダ」

 そう低めの声で言った。

 すでにヨランダは退室し、扉は閉められた後だった。

 村人達がポカンとしてアベーレと扉を交互に見る。

 シンとしてしまった空気の中で、マリアーノがおかしなタイミングで吹き出すようにして笑った。

「……何ですか」

「失礼」

 口元を押さえ、マリアーノはそう言った。



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