初陣
旧東京都上空に突如としてドラゴンが現れたのは随分と昔のことだ。
炎の塊を吐き出し、尾で建築物を破壊し、東京タワーに陣取った赤い龍は破壊の限りを尽くした果てに航空自衛隊の戦闘機によって撃墜された。
死体は避難所の真上に落ち、歪に凹んだ屋根から大量の血がこぼれ落ちた。
それを浴びたことによって、神話の戦士の如く、ファンタジーな物語の登場人物のように、避難所にいた何百何千という人々に超常的な力が宿った。
それが現代における魔法の始まりだ。
不可思議な現象が血を浴びた人々に起こる中、ドラゴンの死体は解剖された。
未知の物質が大量に検出され、地球上の法則の大部分が書き換わり、その解析解明によって魔法は少しずつ普遍的なものへとなっていった。
世代を超えるごとに魔法は後天的なものから先天的なものへ。
生活は様変わりし、かつての電気がそうであったように、魔法はあらゆるものに欠かせない要素となっていた。
欠かせないものと言えばもう一つある。
それは資源に乏しい日本が魔物の侵略により他国との連携を断たれ、更には生活圏を狭められてもなお、今日まで生き残れた理由。
ダンジョンだ。
ダンジョンを中心に街を作った人々は、そこから生活に必要な資源を運び出した。
街を囲む防壁の建材、作物を育てるための肥沃な土、住居を建てるための木材、生きるために必要な家畜と飲み水、そして石油の代替品となる魔石。
運び手は次第に冒険者と呼ばれ、壁の外へと繰り出すようになる。
新たな資源、そしてダンジョンに眠るアーティファクトを求めて。
§
勢いよく踏み締めたのは、どこの誰とも知らない人の家の屋根だった。
屋根瓦の上を駆け、雀や烏たちを驚かす。
勢いよく羽ばたいて飛び立つそれらを追い越して更に先を目指していく。
一つの屋根を渡り切るのに掛かる時間は一秒でも長すぎるくらいだ。
速度を維持したまま屋根の端で跳躍し、いくつか建物を越えてその先の屋根に着地を決める。
人通りが多い時刻は空いている道を選ぶものだ。
屋根の上も、俺にとっては道。
それは空間転移の使い手である早坂も同様なようで。
「流石だな」
距離が離れたと思った瞬間、気がつけば先の屋根にいる。
それを追い越してまた距離が離れると転移で俺の先を行く。
いくつかの屋根を経由して現れては消える様子はどこか華麗に映った。
どこまで速度を上げれば引き離せるのか、すこし興味が湧いてきたな。
けれど、屋根の上は足場が悪いし、早坂はギルドの後輩になる。
意地悪はしないでおこう。
「さて、ついた」
屋根を蹴って跳び、地上に着地すると隣りに早坂が転移してくる。
「雑嚢鞄とライセンスは?」
「持ってる」
「なら、大丈夫だな」
雑嚢鞄は早坂の腰に巻き付いている。
その中にライセンスも入っているのだろう。
それを確認してから歩き出す。
「この向こうに……今から」
ダンジョンを中心に街を作った関係上、防壁の内側にもう一枚壁を作る必要があった。
街の外側を囲む防壁なら、こちらは内側に聳える第二の防壁。
前例はないが、ダンジョンから魔物が溢れた場合に閉じ込めておくための壁だ。
ゆえに第一と違って城門はなく、出入り口らしい出入り口はない。
ではどうやって第二防壁を越えてダンジョンに入るのか?
答えは防壁に描かれた魔法陣にある。
「よう、今日も来たな」
「あぁ、あと後ろのが今日からの新人」
「その後ろの子? 羨ましいねぇ、こんな綺麗な子連れてさぁ」
「遊びじゃないんだ。そっちも仕事してくれ」
「あいよ」
顔見知りの警備員に、ギルドのライセンスを見せる。
ライセンスは冒険者の証であり、偽造すれば硬貨や紙幣をそうするの同じくらい重い罪に問われる代物だ。
確認作業は機械と目視によって行われ、警備員から出される許可がなければ魔法陣に触れてはならない。
これを破った場合、一ヶ月から数ヶ月の間、冒険者としての活動を禁じられてしまう。
「はい、オッケ。次は嬢ちゃんだ」
「はい」
マスターから貰ったであろう新品のライセンスを警備員へと渡す。
すこし緊張しているのか顔つきが硬かったけれど、無事に許可が下りると表情が和らいだ。
「後は魔力を流して前に歩くだけだ」
手本としてまず俺から魔法陣に触れる。
手を介して魔力を流し、魔法陣を起動すると途端に硬い防壁が突きたての餅のように柔らかくなり、触れていた手が飲み込まれた。
そのまま足を進め、防壁の中へと足を進める。
まるでスライムの中を歩いているような感覚のまま進めば壁の向こうは直ぐそこだ。
「よいしょっと」
俺に続いて早坂が壁を抜け、息を吐きながら顔を持ち上げる。
視界が開け、その両目に映るのは、教科書でしか見たことのない景色。
倒壊したビルの残骸に這う無数の植物。その間をすり抜けるように続く道。その果てにある白亜の石材で出来た遺跡。
ぽっかりと大口を開けたそこは、ダンジョンの出入り口だ。
「わあ。ね、はやく中に入りたい」
目を輝かせ、軽く足踏みをして、早坂は子供みたいに言う。
「急ぐと転ぶぞ」
「そんなに子供じゃない」
遺跡の中へと入ると、待ち受けているのは一つのゲート。
ここは出入り口の遺跡であってダンジョンではない。
長方形に切り出した石材で作られた、鳥居にも似たデザインの門。
ここを潜ればその先は正真正銘のダンジョンだ。
そして今、俺たちはそのゲートを潜った。
「凄い、凄い!」
空があり、太陽があり、雲がある。
地平線から続く草原には森があり湖があり山々がある。
けれど青に染まった天の向こうにうっすらと見える岩肌の天蓋が、ここがダンジョンの中であると示している。
何度足を運んでも、不思議な場所だ。
「私、本当にダンジョンの中にいるんだ」
喜びを噛み締めるように、ぎゅっと両手を握り締めている様子には憶えがあった。
俺がはじめてダンジョンに入ったとき、まったく同じことをしていたからだ。
ダンジョンの風を全身で受けた時の感動は一生忘れられない。
「広いね。どのくらい先まで続いているのか確かめたことある?」
「あぁ、でも果てはないぞ。真っ直ぐ進むとここに辿り着くようになってる。地球を一周したみたいにな」
「そうなんだ」
そう返事をしつつも早坂の視線は彼方を見ていた。
「試してみるか?」
「うん!」
嬉しそうに笑みを浮かべる早坂に付き合い、地面を蹴る。
草原を駆け、森を躱して、湖の上を走り、果てを目指す。
そうしてあっという間に元の場所、ゲートへと戻ってきた。
「ほんとに戻ってきた。ダンジョンって凄いね」
「あぁ、同感」
このダンジョンが地球のように球体なのだとしたら、天蓋の支えはどこにあるのか?
地球にとってのオゾン層みたく、天蓋によってダンジョンがコーティングされているとか?
そんなことを当初は考えていた。早坂もそうだろうか?
まぁ、いくら考えたところで結論は出ないけれど。
「ふぅ」
初めてのダンジョンで舞い上がっていた早坂も体を動かしてすこしは落ちつけたようで、大きく深呼吸をして今度は森を見つめている。
「草原にいる魔物は狩っちゃいけないんだよね」
「あぁ、草食だし家畜に出来るからな。狩って良いのはあの森と湖にいる奴だけだ。どっちがいい?」
「森。そっちのほうが楽しそう」
「決まりだな。早速行こう」
加速した足で地面を蹴り、早坂が姿を消す。
地平線に見えていた森まであっという間に辿り着き、そのまま中へと侵入した。
地面を這う木の根に躓かないよう速度を落とし、腐葉土の上で足を止める。
少し先に早坂も現れ、周囲をぐるりと見渡した。
「これが森の中。葉っぱの天井が綺麗」
釣られて見上げると、木々から伸びた枝葉によって空が覆われていた。
葉の隙間から覗く太陽の光は、風に揺れて細かく明滅する。
「真昼の星空だな」
「あ、いいね、それ。気に入った。真昼の星空」
「なんか急に恥ずかしくなってきた」
「なんで?」
適当に言ったことを復唱されると気恥ずかしくなる。
二度と言わない。
「そうだ。早坂のメインは転移だろ?」
「うん」
「ならサブは?」
魔法には固有と汎用の二種類がある。
固有魔法はその人物にしか使えない一点ものの魔法であり、汎用魔法は誰にでも使える魔法。
これらを俗にメインとサブと呼ぶ。
魔物が現れる前に把握しておかないと。
「私は墨流にしてる」
手の平から墨が流れるように溢れ出し、空中に絵を描く。
それは一振りの刀を形作り、実体化すると早坂の手に収まった。
「へぇ、絵心あるんだな」
「小学校の頃、入賞したことあるよ」
「そりゃ凄い」
墨流は絵心がないと使いこなせない。
絵が上手ければ上手いほど魔法は精巧になり、実体化の幅も広がる。
絵心さえあれば万能な魔法なだけに挑戦する者は多いが、途中で挫折する者も後を絶たない。
「針双くんは?」
「結界」
左の手の平の上に立方体の結界を作ってみせた。
それを変形させて薄く伸ばし、幾重にも結界を折り込んで刃を作る。
出来上がったのは結界によって作られた一振りの刀。
早坂に合わせてこちらも得物を作った。
「わぁ、器用だね」
「夏休みの工作で校舎に飾られたことがある」
「凄いね」
結界はその性質上、器用でなければ真価を発揮できない。
複雑なものを作ろうとすればするほど使用者の技量が試される。
これも墨流と同じく、途中で使用を諦める者が多い。
「サブが優秀なら色々と連携が取りやすいな」
どんな場面でも臨機応変に対処できそうだ。
「おっと」
進めていた足を止めると、早坂も時を同じくして立ち止まる。
「気付いたか?」
「うん。周りと、それから上にも」
「上と下どっちがいい?」
「上」
「オッケー。じゃあ早坂の初陣と行くか」
立ち止まった俺たちを囲うように魔物が茂みから姿を見せる。
喉を鳴らして低く唸り、じりじりと迫る四足獣型。
形状は狼に似ていて、鋭い牙を向き出しにしている。
そして上空では影が舞い、鮮やかな色の羽根が花弁のようにゆらゆらと落ちていた。
「どっちが多く倒せるか勝負する?」
「負けたほうが晩飯奢りな」
「いいよ、負けないけど」
「そいつはどうかな」
結界刀を握り直し、短く息を吐く。
「準備はいいか? よーい」
大地を踏み締める。
「ドン!」
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