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嘘つき


「心に深い傷を負った。今日はもう登校しない」


 そんなメッセージが携帯端末に入ったのは登校してすぐのことだった。

 筆崎がいなくても噂は勝手に耳に入ってくる。

 早坂に告白することは無謀だと悟ったのだろう。

 だから筆崎はもう一人のほう、可愛いと評判の後輩に告白をしたようだった。


「ケツでも見せて告白したのか?」


 だとしても、そうでなくても、結果は言わずもがなだ。


「たまには別の場所で食うか」


 昼休み、気まぐれに教室を出て、気ままに足を進めてみた。

 教室を離れてしばらく曲がったり下ったり登ったりとしているうちに、校舎が閑散とした雰囲気へと変わる。普段はまず近寄ることのない場所。廊下の窓から教室を覗くと、机と椅子が乱雑に積み上げられている様子が見えた。

 いつの間にか、今は使われていない校舎へと迷い込んでしまったようだ。


「ちょうどいいか」


 教室を見て回り、ちょうどよさげな空間のある空き教室があったので、すこしお邪魔することにした。

 がらがらと音を立てて引き戸の扉を開く。鍵は掛かっていなかった。

 一歩足を踏み入れると机だか床だかが放つ、木材の匂いがする。

 意外と、埃臭くはなかった。

 思っていたよりも状態がよく、椅子に埃も積もっていない。


「清掃員に感謝だな」


 使われていない校舎にも清掃が行き届いているのはありがたい。

 立ち上がる時にケツを叩かずに済む。


「さて、と」


 人目がないので行儀悪く、机に足を乗せて弁当の包みを開ける。


「悪くないな」


 見慣れない外の景色に非日常感を感じつつ、弁当を口へと運ぶ。

 心なしか、いつもより弁当が美味い。

 うるさい筆崎がいないのも、一つの要因だろう。

 静かな昼食は久しぶりだ。


「あ」


 ふと教室の扉が開く。

 音と共に声がして、そちらを向くと意外な人物がそこにいた。


「先越されちゃった」


 早坂琴音は驚きの感情を薄く表情に乗せて教室に一歩足を踏み入れる。

 昨日、動画を見ていなければ彼女こそが早坂琴音だと識別することはできなかっただろう。

 まぁ、べつに、だからと言って、特に対応が変わる訳ではないけれど。


「そこ、私の特等席だったんだけどな」


 特等席、ということは早坂はここに何度も来ているのか。

 この教室に埃臭くない理由は、清掃員の頑張りではなく人が行き来していたから。

 換気もしていただろうし、人の出入りがあるだけでも埃は溜まりにくくなる。

 人工物は人が近寄らなくなるとあっという間に廃墟になるという。

 たぶん、隣の教室はもっと埃臭くなっている。


「へぇ、そう。じゃあ、次からはもっと速く来ればいい」

「むぅ。転移すればよかった」


 すこし頬を膨らませて、早坂はべつの椅子へと向かう。

 べつの場所に移動しないのか。

 まぁ、別にいいけど。

 視線を弁当に移し、玉子焼きを摘まむ。


針双時雨しんそうしぐれくん、だよね」


 名前を呼ばれて反射的に早坂の方を向く。

 遅れてなぜ俺の名前を知っているのか? と疑問が浮かんだ。

 俺は昨日まで早坂の顔も知らなかった。

 知らなかったから記憶に残らなかっただけで、過去に遭遇したことがあるのか?


「どこかで会ったか?」

「ううん。私が一方的に知ってるだけ」


 この学園において早坂が一方的に知る人物などいない。

 俺ですら早坂のあらゆる情報を知っている。

 こちらが早坂を一方的に知っているということはあっても、逆はあり得ない。

 が、それは一旦、隅のほうに置いておくことにした。


「なんで俺なんかのことを。自慢じゃないが俺の知名度なんて教室の域を出ないぞ」

「実技の授業の時に見かけたんだ。つまらなそうに走ってたから憶えてて」

「つまらない?」

「つまらないって言うか……んー、手を抜いてる?」


 ずばりと事実を言い当てられた。

 バレる要素なんてないと、そう高をくくっていたのに。


「あ、ごめん。失礼だったよね」

「いや、別にいいけど」


 まだ確信には至っていない様子だけれど、いずれはバレるかも知れない。

 すこし対策を考えないといけないかもしれないな。


「じゃ、私はこれで」

「はや。もう食ったのか」

「早食いでは私の勝ちだね」


 にっと笑って、早坂は教室を出て行く。


「さて、参ったな」


 とりあえず、残りの弁当に箸を付けた。


§


 放課後となって向かったのは自宅ではなく、所属するギルドだった。

 年季の入った古臭いギルドへと向かい、がたついた玄関扉に手を掛ける。


「あぁ、時雨ぇ?」


 声と共に流れ込んでくるのは思わず鼻を覆うような酒の臭い。

 我がギルドマスターは今日も飲んだくれているようだった。


「換気くらいしてくれよ」

「かんきぃ? 窓なら空いてるでしょー」

「空いてねぇよ」

「あれぇ?」


 かなり酔いが回っているようで、あらゆることが正しく認識できていないようだった。

 きっと俺のことも三人くらいに見えていることだろう。

 分身も、見せかけるだけなら、出来ないこともないけど。


「風があって助かった」


 窓を開けると風が頬を撫でて酒の臭いを攫っていく。

 マスターも風に吹かれ、なにが面白いのかにやけていた。

 箸が転んでも可笑しい年頃とは言うけれど、もういい大人なんだよな、この人。

 正確な歳は知らない。聞く機会もないし、見た目から判断するに三十代半ばくらいだと思う。たぶん。確かめる勇気はない。


「まったく、何本空けたんだ?」

「んーとねぇ。三本!」

「いい加減、肝臓壊すぞ」

「健康診断は異常なしだったから平気ですぅ」

「なんでそんだけ飲んでて健康体なんだよ」


 人体の不思議だ。


「こんなに散らかしてまぁ」

「うん。あ、後で人がくるから、片付けといてー」

「客がくるのに飲んでるのか? はぁ、まったく」


 加速してつまみのゴミや空いたボトルを片付け、ついでに綺麗に掃除する。

 決して中に人を入れられないような散らかった状況から、一瞬で誰が来ても恥ずかしくない段階まで引き上げた。

 たしか昨日も掃除したはずだけど、なにをどうすれば一日でこれだけ散らかるんだ?


「流石はスピードスターだねぇ」

「伝説にはまだほど遠いけどな」


 伝説の英雄の姿は、まだ遠い彼方だ。


「ん」


 鳴り響くインターホンの音。

 人が来た合図。


「ほら、姿勢くらい正しとけ」

「大丈夫、大丈夫、ぜんぜん酔ってないからぁ」

「どの口が言ってんだか」


 呆れつつも玄関へと向かい、扉を開ける。


「あ」

「あ」


 扉を開いて一歩足を踏み出し、目の前にいる誰かと目が合う。

 通り過ぎていく風が明るい色の髪を靡かせ、学生服ではないからか、第一印象とは違った雰囲気に見える。

 人違いであることを期待したけれど、どうもそうは行かないらしい。


「早坂?」

「針双くん?」


 客は、早坂琴音だ。


「どうして針双くんが出てくるの?」

「あぁ、それは……ちょっと手伝いで」

「手伝い」

「そうそう。ここのギルドマスターと軽い知り合いで、バイト代わりにたまに来てるんだよ。うん」

「そうなんだ」

「あぁ、そう」


 びっくりした。

 扉を開けたら早坂がそこにいるなんて思いもしなかった。

 出来れば学園関係者に見られたくはなかったけど、しようがない。

 適当に誤魔化して乗り切ろう。


「あー、とりあえず中に入るか?」

「うん、そうする」

「じゃあ、どうぞ」

「お邪魔します」


 早坂を中に招き入れ、マスターの元まで案内する。


「お、来たねぇ。琴音ちゃん」

「はい、瞳子とうこさん」


 マスターの向かいに早坂は腰掛ける。

 知り合いというほどでもないが、一応客ではあるので、茶を出すことにした。

 台所へと向かい、湯を沸かし、茶請けを持って二人の元へと戻る。


「熱いから気をつけろ」

「ありがとう」


 マスターの分はない。

 酒とつまみがあればそれで十分なはず。


「じゃ、ごゆっくり」


 この場にいると色々とボロが出そうだ。

 このまま外に出て時間を潰すか、ダンジョンに行こう。


「あぁ、待った」


 玄関へと向けていた爪先を、ため息交じりに元に戻す。


「琴音ちゃん。今日からうちのギルドに入るから」

「あぁ、そう――はぁ!?」


 うちに入る? 早坂が?


「正気か? 早坂」

「うん」

「うん、て。自分で言うのもなんだけどクソザコギルドだぞ、ここ。マジで」

「クソザコとはなんだ、クソザコとは」

「将来のことをちゃんと考えたほうがいい。その成績なら好きなギルドに入れるだろ」

「うん。だから、ここに入るんだよ」


 首を傾げずにはいられなかった。


「たしかにギルドは小さいし、先輩になる人は嘘つき」

「あ」


 玄関でついた嘘がバレた。


「でも、瞳子さんは伝説の一部だから」


 この街にはかつて誰も追い付けないほど速いスピードスターがいた。

 閃光のように駆けた彼は街の防衛に、人々の救済に、魔物の殲滅に大きく貢献し、やがて伝説と呼ばれるほどの活躍を残した。

 その伝説のスピードスターにもパーティーメンバーがいた。

 その一人が遠藤瞳子えんどうとうこ、このギルドのマスターだ。

 こんな飲んだくれでも伝説の一部であることに変わりはない。


「だからキミも、ここにいるんでしょ?」

「……まぁ、な」


 それを言われると返す言葉がない。

 飛行や滑走に加速、速度に関する固有魔法を発現した者すべてが一度は憧れる人。

 それが伝説の英雄であるスピードスターだ。

 ご多分に漏れず、俺も憧れた口だ。


「こんなに大酒飲みとは思わなかったけど」


 マスターはまた一本、ボトルを空けていた。


「こんなの序の口だ。苦労するぞ、このギルドは」

「上等。そのほうが面白いから」


 根性あるな。

 流石は成績優秀者だ。


「それじゃあ早速、琴音ちゃんをダンジョンに連れて行って上げて」

「あぁ、後輩の面倒は先輩が見ないとな。固有魔法、転移だったよな?」

「うん、そうだけど」

「なら付いてこられるな」


 加速して玄関へ行き、扉を開ける。


「すぐに行こう」

「……キミってほんとに嘘つき」


 すこし口角を上げながら、早坂は側に転移した。

 そのまま二人でギルドを出て、ダンジョンへと向かった。


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