暗殺者は料理が得意?
それから半月がすぎた。
王都を出てから2ヶ月。ちょうど冬だったので、もう春だ。
「ほら、リルトさん、散歩しよう!」
携帯食料での食事が終わるなり、アイリーンがそう言った。朝食後に散歩に行こうと言い出すのがアイリーンの日課だ。
「……そんなに俺と散歩したいのか?」
「リルトさんの健康のためにね! わたしが誘わないとリルトさん、家から出ないじゃない!」
確かに俺は基本的に家から出ずに暮らしていた。……もともとが、田舎でひっそりと老いて朽ちたい――という隠居願望のためだ。
その願望以前に、そもそも俺には普通の暮らし方がわからない。
組織にいた時代も休暇は家で寝るくらいしかすることがなかったからな……。
基本的にインドア派なのだ。
「ねえ、いこうよ!」
一方、俺を熱心に誘うアイリーンはアウトドア派のようだ。
俺と散歩した後も、午後からは1人で村に出かけていく。何をしているかは知らないが……。
「わかった。いこう」
俺はうなずいた。アイリーンには借りがある。きっと返せないほどの借りが。
俺はアイリーンの願いを断らない。
俺とアイリーンは村へと出歩いた。
「お、アイリーンちゃん、おはよう!」
「お兄ちゃんと出かけ楽しそうだね!」
村ですれ違う人たちが挨拶してくる。アイリーンは手を振ってにこやかに応対した。
……日に日にアイリーンに挨拶する人が増えている気がするな。
ずいぶんとアイリーンは人気者のようだ。しかし、いつの間に?
そうやって歩いていると、アイリーンと同じくらいの年の少年が走り寄ってきた。
「おい、アイリーン! 遊ぼうぜ!」
「ダメだよ。今はリルトさんとお散歩中だから。またお昼ね」
「リルトさん? ああ、この人がお前が言っていた兄さんか」
少年がぶしつけな目で俺を見てくる。
「アイリーンの言ったとおり、確かにイケメンでカッコいいな!」
その瞬間、アイリーンが顔を真っ赤にした。
「ちょっと!? そういうことは本人の前で言わないの! デリカシーがないんだから!」
「ええ? 別にいいだろ?」
少年はよくわからないと言った感じで肩をすくめると、また昼から遊ぼうぜ! と言って去っていった。
……イケメンでカッコいい……。
アイリーンは俺をそんな風に思っていたのか。本人は恥ずかしそうにしているから、その件には触れないでおこう。
「あの子は?」
「……ダグラスって名前の子。最近、仲良くなったの」
「さっきから思っていたんだが、アイリーン、君は村の知り合いがいやに多くないか?」
「当然じゃない? だって増やしてるもの」
「え?」
「いろいろな人に話しかけてさ、覚えてもらおうと思って頑張ってるの。だって、ここで生きていくんでしょ、わたしたち?」
それがアイリーンが1人で出かけていた理由か――
俺ははっとなった。
それはきっとアイリーンの覚悟だろう。あまり大きくはない集落、きっと俺たちを色眼鏡で見ている人たちを少しでも味方に引き込んで住みやすくしようと頑張っているのだ。
俺はそんなことまで考えてもいなかったのに。
俺は周りに聞こえないよう、そっと声のトーンを下げて訊いた。
「平民と仲よくするのは嫌とかはないのか?」
「ないよ。パパの教育かな。絶対にそういう感情は持つな、同じ人間なんだからって厳しくしつけられたもの」
ハインツ……まっすぐ生きていたお前らしい教えだな。俺のような男にも仲よくしていたお前だ、当然か。
「本当はリルトさんにも頑張って欲しいんだけど――諦めた」
「え?」
「だって、リルトさん、もうホンッッットーに無愛想だよね!」
あははは、とアイリーンが楽しく笑う。
……それは自覚がある指摘だ。俺は愛想が悪い。
「日用品を買いにいったとき、生返事ばかりで、あ、これは……って思っちゃったもの」
覚えがある。日用品店に行ったとき、店長はニューカマーである俺たちに興味を持っていろいろ質問してきた。面倒だと思った俺が生返事を返していると、アイリーンが割って入ったのだ。その後、2人はとても仲よく話していた。
「……すまない」
「ううん、別に気にしないで。逆にさ、そこはわたしが頑張ればいいやと思ったから」
「そこ?」
「社交。わたしが顔を売ることにしたの」
「大変じゃないか?」
俺の言葉に、アイリーンはにっこりと笑い、
「お忘れ? 社交は貴族のたしなみよ?」
スカートの裾をつまみ上げて優雅に一礼した。
その仕草は本当に美しくて、彼女が貴族だと言うことを思い出させてくれた。
「そうだったな」
その理屈でいけば、アイリーンの社交力は俺をはるかに上回るだろう。18年間、無愛想を貫いた俺では相手にならない。
「リルトさん、そっちはわたしに任せてよね?」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
その日の夕方――
顔を蒼白にしたアイリーンが転がるような勢いで家に帰ってきた。
「ごごご、ごめんなさい、リルトさん!」
「どうしたんだ?」
「あの、その、うっかり口を滑らせちゃって――!」
口を滑らせた?
なんのことだ?
開けっ放しのドアから男が入ってきた。年の頃は30半ばくらい。筋肉が隆々として大きな体つきだ。大きなトレイを両手に抱えている。トレイには野菜やら肉やらが大量に盛られていた。
「あんたがアイリーンの兄さんだな」
ぎろり、という感じであまり友好的ではない目が俺を見る。
「そうだが?」
「アイリーンから話は聞いた。毎日毎日、携帯食料で食事をすませているって!?」
大男が吠えるような口調で言う。
アイリーンがしまった、という感じで顔をしかめた。
確かに男の言うとおり、俺とアイリーンは村に来てからずっと携帯食料で食事をすませている。
「さすがにかわいそうだろう!? 成長期なんだ、もっといいものを食べさせてやれよ!」
ああ、なるほど。……この男はアイリーンの待遇を改善すべしと怒っているのか。
アイリーンが愛されキャラであることの証明だ。
「村のみんなに言ってさ、食材をわけてもらった。こいつでいいもの食べさせてやってくれ。料理ができないのなら――」
「心遣い感謝する」
俺はそう言って頭を下げた。
人の家の食事事情に口を出すな――
とはまったく思わない。男の言葉の根底にあるのはアイリーンへの思いやりなのだから。
正直なところ、言われてよかった。俺は食事に興味がないので、ひとりだといつも携帯食料ですませている。そのほうが時間効率がいいからだ。
だが、やはりそれはいびつなのだろう。
こういった『普通』を教えてくれるのはとてもありがたい。
俺には『普通』がわからないから。
「アイリーンへの食事は配慮するべきでだった。料理はこちらでおこなうので大丈夫だ」
「……わかった。腹いっぱい食べさせてやってくれよ」
男はそう言うと食材を置いて家から出ていった。
アイリーンが俺に頭を下げた。
「ご、ごめんなさい! あの、その、不満があるんじゃなくて、うっかり――」
「いいんだ。大丈夫」
泣きそうな顔をしているアイリーンの頭を撫でた。
「もうちょっと気を使うべきだったのは確かだ」
俺は食材を炊事場へと運んだ。
「さっきの人は?」
「朝の散歩で会ったダグラスって子のお父さん」
ああ、確かにあの少年と顔が似ているな。
アイリーンが心配げな声を出した。
「あの、リルトさん。お料理ってできるの?」
「料理はよくわからないな」
だけど、別に無理とは思わない。
「アイリーン、君が春の頃に食べていた料理は?」
「え? ラタトゥイユとか……」
「ラタトゥイユ?」
珍妙な名前だな。
「どういう食べ物だい。食材を教えてくれないか」
「え、ええと……野菜のトマト煮込みで――トマトと、タマネギ、ナス、パプリカ、キノコがあった気が――」
食材をチェックするとキノコがない。まあ、ひとつくらいなくてもいいか。
「うーん……他は思い出せないかな……」
「だいたいのレシピがわかれば問題ない」
俺には料理の知識はないが、それはアイリーンが補完してくれる。
ならば、後は手作業のみ。
そして、料理の手作業とは極論すれば『斬る』『焼く』に因数分解できる。
それだけならば――
俺は左手に持ったナスに短剣を走らせた。
スキル『五月雨斬り』。
ぱっかーん!
一瞬にしてナスが細かく割れる。
「えええええ!?」
目を丸くするアイリーン。
何も問題はない。『斬って』『焼くだけ』ならば、暗殺者である俺は並の料理人よりもはるかに熟練している。
「さあ、料理を始めよう」