暗殺者、アイリーンと対面する
――お前がアイリーンを引き取って守ればいい。
グリードがとんでもないことを言ってきた。
「……なんの冗談ですか?」
滅多に焦らない俺だが、さすがに内心の焦りを抑えきれない。
「冗談じゃないさ」
グリードが真剣な表情で答える。
「最強の暗殺者が横にいて、おまけに人目を避けた田舎暮らし。貴族のお嬢ちゃんを守るには最適だと思うが?」
「それはそうですが――」
俺は首を振った。
「悪趣味ですよ」
父親を殺した男が、娘を引き取って育てる?
ありえない。
グリードもあっさりとうなずいた。
「ああ、悪趣味だな。本当に悪趣味だ。だけど、そこにしかアイリーンの生きる道はないんだよ」
……それは一理ある。アイリーンを取り囲む情勢は悪すぎる。彼女を庇護していた父ハインツはもう世の中にはいない。
誰が守る?
俺が守るしかない。
俺がハインツを殺したのだから。
それに俺は誓ったではないか。天国に旅立とうとするハインツに。アイリーンは殺さないし、殺させないと。
その言葉を嘘にするのか?
俺だけ田舎に引きこもって知りませんよ、と言うつもりか?
苦い感情が胸の中にうずまく。
本当に暗殺者なんてやるもんじゃない。
黙っている俺にグリードが話を続ける。
「お前が引き取らないのなら――そして、アイリーンが親戚の家に行くことを望まないのなら、組織としてはわけありの子供をかくまう修道院に預けて終わりだ。その後は知らない。この意味がわかるか?」
俺はうなずいた。
貴族どもの執念がアイリーンを見つけ出しても、組織が関与することはない。煮るなり焼くなり好きにされろ、という話だ。
ならばどうするか――
やはり、俺の手元に置いておくのが正解か。だけど、それは許されることなのか?
「悩んでいるな、リルト?」
「それは悩みますよ」
「なら――本人に会ってみればどうだ?」
「本人?」
「アイリーンに」
「――!?」
「本人と会って話してみればいい。そうすれば道が開けるかもしれないぞ?」
「……い、いや、しかし――」
できれば会わずに姿を消そうと思っていた。どんな顔をして会えばいいのかわからない。
そもそも、会うことそのものが俺には悪趣味に思える。
「いけ!」
そんな俺を叱咤するようにグリードが強い言葉を吐いた。
「逃げるな! 自己を正当化するためのご託を並べるな! 殺させないと誓ったんだろう! お前には向き合う義務がある!」
「……そう、ですね……」
優先順位を見誤るところだった。
アイリーンの命を守ること、それこそが最優先なのに。
「たまにはいいこと言いますね、組織長も」
「そう、たまにはな」
にやりと笑った後、グリードは手を振った。
「そら、会ってこい」
「わかりました」
俺はグリードの部屋を出ると、出る前に教えてもらったアイリーンの隔離部屋へと向かった。
部屋のドアをノックする。
『どうぞ』
おとなの女の声がした。中へと入る。
そこは治癒院の一室――を模した白い部屋だった。大きなベッドがあり、その横に女の治癒師が立っている。
……もちろん、その女も組織の人間だが。
「すまないが、2人だけにしてくれ」
俺がそう言うと女は会釈して部屋から出ていった。
部屋に残ったのは俺と――
ベッドに横たわっている金髪の少女だけ。
少し気後れするが――
その瞬間、グリードの「いけ!」という叱咤がよみがえった。幼少の頃から俺を怒鳴り散らしていた鬼の声には俺を動かす力がある。
俺はベッドに近づいた。
「アイリーン、リルトだ」
「……」
ぼうっと天井を見ていたアイリーンの顔が動いた。
その美しい碧眼が俺を見る。
アイリーンが大きく目を見開いた。
「リルトさん……?」
「ああ、リルトだ。……大変なことになったみたいだね。君がここに入院していると教えてもらって急いで来たんだ」
「……リルトさん……リルトさん……パパが……パパが……!」
アイリーンの大きな目にみるみる涙がたまっていく。
「パパが死んじゃったの!」
それからアイリーンは顔を両手で覆って号泣した。
……俺とアイリーンは特別に仲がいいわけではない。この3年で会った回数も両手で数えられるほどだ。
だけど、ようやく出会えた知り合いなのだ。
心のたがが外れて泣き崩れても仕方がない。13歳の少女が耐えるにはあまりにも厳しい現実なのだから。
彼女の鳴き声が降り注ぐ滝のように俺を打ち据える。
アイリーンは落ち着くとベッドから身を起こし、俺に夜の惨劇を語ってくれた。
「――誰かがパパの寝室にいて、パパを殺しちゃったの……! パパは血まみれになって倒れて――!」
そこからは言葉にならない。
身体をくの字に折り曲げて何かに耐えるように震えている。
「……犯人の顔は見なかったのかい?」
「見た」
はっきりと言ったが、アイリーンはすぐこう続けた。
「けど、覚えてないの……どうしても思い出せなくて……」
グリードの話の通りだった。
特にほっとする気持ちもなかったが。なぜなら、俺はアイリーンに断罪される覚悟をしているから。
そう考えて俺はふと気づいた。
もう死んでもいいと思っているのなら――
俺の人生をアイリーンのために使ってもいいのではないか?
彼女を守るために。
「アイリーン、これからのことなんだけど」
「……え?」
「君の母親はずいぶんと前に亡くなり、ハインツもいない。君は天涯孤独の身だ。……頼れる親戚はいないのかい?」
いてくれ、と俺は願った。
まともな貴族のもとで暮らすことがアイリーンの幸せだろうから。
アイリーンはシーツのすそをぎゅっと握り、首を振った。
「いない……いない! 貴族の人たちは信用できない。あの人たちがきっと悪い暗殺者にパパを殺させたんだ!」
やはり親戚の線は厳しいか……。
どうにも選択肢がない。
もう俺の覚悟は決まっていた。俺が動く以外にアイリーンを守る方法がない。
「アイリーン、君は王都にいないほうがいい」
「……え?」
「王都は権力争いでやっかいな状況にある。ハインツもそれに巻き込まれて死んでしまった」
俺はこう続けた。
「俺は田舎に引っ越そうと思っているんだ。もし君さえよければ一緒に来ないか? 生活の一切は俺が面倒を見るよ……あまり贅沢はできないけど」
果たしてアイリーンはどう反応するだろうか。
面識はあるが、それほど親しいわけでもない。そんな男がこんな提案をしてきたらどう思うだろうか。
アイリーンはとまどっているようだった。
「え、でも、そんな……迷惑じゃないですか? リルトさん?」
「いや、その――」
俺は内心でため息をついた。
これから言う言葉は罪深い。本当なら言いたくない。だが、言わなければアイリーンは遠慮して断るだろう。
そして、その展開は絶対によくない。
職業的な勘だ。
王都にアイリーンを置いていけば間違いなく殺される。
それがわかっていて――じゃあ、さようなら! 君の選択だから! もう知らないよ! と出ていくわけにもいくまい。
ああ、本当に嫌だ。
すまない、ハインツ。許してくれ。
「ハインツからの頼みなんだ」
「……パパからの?」
「こういう状況だからね。ハインツはこの事態を覚悟していた。で、俺に頼んでいたんだ。自分に何かあればアイリーンを頼むと」
アイリーンが息を呑むのが聞こえた。
「俺がハインツの屋敷に呼び出されていたのも、君との顔見せをかねてなんだよ。だから――遠慮せずに俺の手を取って欲しい。それがハインツの願いなのだから」
吐き出す言葉のひとつひとつが重い。
俺はなんてことを口走っているんだ。
だが――
己を信じるしかない。気まずさや心苦しさは言い訳にはならない。ここでアイリーンの手を引かなければ俺はずっと悔い続けるだろう。
「パパの頼み――パパの頼みなら――」
アイリーンの白い喉がごくりと唾を呑む。
「お願い、リルトさん。わたしを連れていって!」