お前がアイリーンを引き取って守ればいい
「お前の引退を許可してやる」
「は?」
何を言っているのか俺には理解できなかった。急に話の流れが変わっている。
「どういう意味ですか?」
「そのままだよ。辞表を受理してやると言ってるんだ」
「どうして?」
「嫌なのか?」
「いや、嬉しいですけど。あっさりしすぎですよね。裏を読まずにはいられないんですけど」
そういう職業だからな……。
グリードは、ふん、と鼻で笑った。
「俺を誰だと思っている? 演技を超えた本気の殺気があったかどうかくらいお見通しだよ。そして、それがわかれば充分だ」
そして、グリードはこう続ける。
「お前の欠陥には昔から気がついていた。心優しいリルトよ」
「俺の、欠陥……?」
「俺たちは暗殺者を育てるのも仕事だ。だから、そいつがどういう適性を持っているかなんてすぐわかる。殺しに関してお前の才能はずば抜けていたが、お前の心はまったく適していなかった」
俺がずっと1人で思い悩んでいたことをあっさりとグリードは指摘した。
「だから、俺たちはこう決めていたんだ。最強であるお前を限界まで使い潰そうと。使い潰したら放してやろうとな」
「そうですか」
使い潰す――そんな言葉への反感は特になかった。
なぜなら、組織にとって俺はただの道具だからだ。道具を使い潰すのは当然だ。俺だって生き残るためなら愛用の短剣の1本や2本、平気で使い潰す。
人と物は違う?
そうかもしれない。
だけど、俺は俺が道具であることを自覚していた。なので、俺にその言葉は意味がない。
組織が俺を使い潰すのは当然。
よって、俺はグリードの言葉に反感を抱かなかった。
「何かしら代償を払う必要があるんでしょうか?」
「ない。逆に多額の慰労金をくれてやろう。これまで8年、組織のために頑張ってくれてありがとうってな。慎ましやかに暮らせば死ぬまで働かなくてもすむほどの金額だ」
「ありがとうございます」
……もちろん、それは組織のことを何も喋るな、という意味の口止め料でもあるのだろう。
「こんなにあっさりと何事もなくやめられるんですね」
もっとこう、裏の組織のめんどくささがあるのかと思っていた。
「人によるな。組織への貢献度、忠誠心、評価、性格。いろいろなものを考えて結論をくだす。リルト、お前は辞めた後でも組織を裏切ることはない。俺たち上層部はそう判断している」
「もちろんです」
グリードの見立てどおりだ。組織を離れても俺が組織に迷惑をかけることはない。
「ならいいが――忘れるなよ」
グリードは声のトーンを落としてこう続けた。
「アサシンズ・ハウスは裏切りには敏感だ。お前が変心したとき、俺たちの刃はいつだってお前に届くだろう」
「わかってますよ」
「なら、いい」
がはははは! とグリードが笑った。
「その言葉を忘れないでくれ。組織ナンバー1のお前を殺すためにどれだけ優秀なメンツを送り込まなきゃいけないのか。どれだけ犠牲が出るのか。考えるだけでぞっとする。面倒だからやめてくれ」
そう言ってからグリードが話題を変える。
「ところで、辞めた後はどうするんだ?」
「田舎に引っ込もうと思います」
「田舎? 孤児のお前に田舎なんて――」
「親の実家という意味じゃなくて、そのままの意味で『田舎』です。前の任務でいったフィレオなんていいかなと」
18歳にしてなんだが、もう俺は人生に疲れてしまった。
俺のことを誰も知らない田舎で静かに暮らそうと思う。そして、静かに老いて朽ちていくのだ。
「もったいないな。それだけの腕がありながら……」
「殺しのスキルなんて殺し以外で役に立ちませんよ」
「そうかな? まあ、極めたものってのは意外と何にでも応用がきくものだがな」
言っている意味がわからない。殺しのスキルが他の役に立つ? 人が殺せなくなった時点で無用の長物だ。
グリードが口を開いた。
「ま、その辺はおいおい知っていけばいい。それより話を戻そう。辞表は受理した。だが、問題はあとひとつ残っている」
指を1本ぴんと伸ばしてグリードが続けた。
「アイリーンだ」
「……彼女は殺さないでください。もし、彼女が俺をハインツ殺しの犯人だと訴えた場合は――」
「お前は犯人として逃亡する。捕まりそうなら自害する、か」
俺はうなずいた。
俺とハインツは知り合いだ。知り合い同士がケンカして殺害に至るのはそれほど変な話でもない。
その筋書きなら組織のことは隠せるだろう。
グリードがじっと俺の顔を見る。
「ひとつ訊きたいんだが、どうしてそんな面倒なことを? お前が殺せないのはわかったが、それなら組織の人間に殺させればいいだけだろう?」
「……よくわかりませんけどね……。贖罪なのかもしれません」
「贖罪?」
「ハインツへの――友人への。誰も殺せなくなったあの夜、暗殺者でなくなった俺は誓ったんですよ。アイリーンを殺さないし、殺させない。だから安心して眠れって」
「意外とロマンティストなんだな、お前」
「今の話で拾うところってそこですか?」
俺は首を振った。
「それで彼女はどうしているんですか?」
「安心しろ。お前を敵に回したくないからな、殺してなんていない。貴族専用の秘密の治癒院だと偽ってかくまっている」
「……元気ですか?」
「父親の遺体を見たんだ。精神的にはかなりダメージがあるようだが、少なくとも身体的には問題ないそうだ」
「そうですか」
「で、お前にひとつ朗報だ」
「朗報?」
「アイリーンは事件当夜の記憶を一部失っている。父親を殺した犯人の顔が思い出せないらしい」
「――!」
驚いたが、俺は首を振った。
「そんな都合のいいことがあるんですかね。嘘を言っているとか?」
「組織の一流のエージェントをつけてチェックしている。アイリーンは嘘を言っていない」
「……そうですか」
それはアイリーンにとっていいことかもしれない。
父親の友人で――何度も会ったことがある『ちょっと無愛想だけど優しいお兄さん』が愛する父親を殺しただなんて事実は彼女にとって厳しすぎるから。
「――で、リルト。お前はあの子をどうするつもりなんだ?」
「どうするもこうするも。貴族ですから親戚は多いでしょう。そちらに引き取ってもらうのが筋では?」
「……どうだろうな……」
グリードは渋い顔をする。
「ハインツは優秀な貴族だった。王家への忠誠心に厚く、清く正しくあろうとした。だが、それは他の腐敗した多くの貴族たちを敵に回すことを意味する。ハインツは正義を貫きすぎた。それゆえに命を落とすことになった。……そんな男の厄介な娘を引き取りたがる家はあるのかな。おまけに王族の血まで引いているとなると――」
王国は政争の真っ最中。跡目争いで貴族たちが暗闘を繰り広げている。遠縁のアイリーンには関係ない話だろうが、何がどう飛び火してくるかはわからない。
グリードはこう続けた。
「はっきり言うが、王都に置いておいても汚れた貴族の操り人形になるか、消されるだけだぞ」
「……」
その言葉は俺の胸を締め付けた。
言葉を失っている俺にグリードがほほ笑みかける。
「なあ、せっかくだ。田舎に引っ込むんだろう? 娘もお前が犯人だと覚えていない。ちょうどいいじゃないか」
何を言っているんだ?
いぶかしむ俺にグリードがとんでもない言葉を突きつけた。
「お前がアイリーンを引き取って守ればいい」