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屋敷に響く笑い声(中)

「さて、何から話したもんかね。」


 コン、とテーブルにワイングラスを置いて、アーネストは顎を撫でた。

 その横で、リオネルがグラスを片手に頷く。


「ローズが知っている事を聞いた方が早いんじゃないか。」


 ローゼリアが、グラスに口をつけるリオネルの優雅な姿をこっそり盗み見ていると、アーネストがなんだ、と声を上げた。


「お前、ローズに話してたのか?俺から話すと言っただろう。」

「いいや。先入観なしで殿下と話をしてほしかったからな。俺からは何も。」


 だが、とリオネルは言葉を切って、顔を上げた。

 紫水晶が、静かにローゼリアを見詰めている。


「俺が殿下を連れてくることも、気付いていたんだ。ローズなら、他に気付いていることもあるんじゃないのか。」


 そしてチーズをぱくりと口に放り込んだ。

 リオネルはつまみが無いと飲めないタイプの酒飲みなので、アルコールがあると延々と食べている。


 重たい話が始まろうとしても、いつもと変わらない様子は、ローゼリアをほっとさせた。

 腹をくくるか、とローゼリアは口を開いた。


「アー、…お、兄ちゃんだけじゃないですよね。今日来られているのは。」

 アーネスト様、と言いかけたところで当の本人から、眉を寄せてなんだか悲し気な視線を向けられたので、訂正する。

 言いなれない言葉に、ローゼリアはこほんと咳払いをした。

 むず痒い。


「同席しても?」

 そのアーネストが、に、と楽しそうに笑ったので、ローゼリアはこくりと頷いた。


「それでしたら、ここは狭いでしょう。食堂にでも移動しましょうか。」


 そう言えばとっくに昼を過ぎていたな、とローゼリア席を立った。






 食堂のやたら長いテーブルには、本来、端と端にローゼリアとアーネストが座るものだろう。


 けれど、「話しづらい」というアーネストの一言によって、全員固まって座る事になった。

 この場で一番高い身分にあるのは、この国の第一王子であるアーネストだ。彼がそれを是というのならば、逆らう理由はない。

 大きな声で話す事でもないし、とローゼリアにも異論はなかった。


「失礼致します。」

 ほどなくして、食堂に現れたのは3人の男性だった。

 先ほどまで騎士たちと同じ服を着ていた彼らは、皆質のいいジャケットを羽織り、綺麗に一礼をした。

 ローゼリアに道を譲った時のように。


「掛けてくれ。」

 アーネストがにこりと指すと、3人は静かに席に着いた。

 アーネストの振る舞いにも慣れているのか、奇妙な席順にも顔色を変えることはなかった。



「王女殿下におかれましては、私共を迎え入れてくださり恐悦至極に存じます。にも拘らず、ご挨拶が遅れ誠に申し訳ございません。」


 静かに頭を下げたのは、灰色の髪を短く刈った男だ。

 それに合わせて、残りの二人も頭を下げるので、ローゼリアは困ってしまう。


「おやめください、ご存知でしょう。わたくし、そこにおられるヴェルテート将軍と同じく城を追い出された身ですのよ。彼が無職というなら、わたくしにも敬われるような身分なんぞございませんわ」


 名前が上がったヴェルテートは、アーネストの後ろで小さく笑った。

 身体はでかいし顔の傷は怖いのに、浮かべる笑顔がどこまでも優しいところが、妙に不穏だ。

 藪蛇だったかもしれない、とぎくりとするが後の祭りである。

 しばらく近づかんでおこう、とローゼリアは心に誓った。


 

「ローズ、君は彼らが誰だか知っているかい?」


 問うたのは、リオネルだ。

 丁寧にステーキを切り分けながら、なんでもないように言う。

 ローゼリアには外したところで睨まれて痛い面子はないし、リオネルもそんな事で怒るような人ではない。

 ただ、言い当てる事を期待されているのだろう、と思えば、かっこつけたいなあとローゼリアは思うわけで。

 緊張が表に出ないよう、ローゼリアは慎重に声を乗せた。


「…スロウワーズ公爵、レイズナー伯爵、アルセイド伯爵のご子息ではないかと。」

「なぜ?」


 楽しそうにアーネストが笑うので、どうやら当たりらしい、とローゼリアはグラスを持ち上げた。

 今度はオレンジジュースだ。

 見た目がそれっぽいので葡萄ジュースにしてほしかったのに、と思ったが美味しいのが悔しい。


「リオネル様のお父上、トワイライト辺境伯がクーデターを起こすなら、その三人にお声を掛けるでしょう。…わたくしでもそうしますわ。」

「…続けて?」


 アーネストの催促に、もう良くない?と言いたいところだが、黙々と食事をするリオネル以外に見詰められ、ローゼリアは仕方なく口を開いた。


「自分が…この場合はトワイライト辺境伯ですけれど…自分が接触しても違和感がない程、兼ねてより親交がある事は勿論ですが…陛下の悪政に対して進言ができる権力があり、その勇気と賢明さゆえに閑職に追いやられるような、非常に同盟を組みやすく、この先の王政にも欠かない人材は、そう多くありません。おまけに、優秀な騎士や兵士を多く持つ者など、もっと限られるでしょう。()()()()()の第一王子を王にしようと言うのなら、今申し上げた皆様は、是が非でも仲間に加えたい方々ですわね。」

「…驚いたな…。その、失礼ですが殿下はあまり表舞台に立っておられなかったのでは…」


 ぽかん、とした顔で茶色の髪と目をした男が、アーモンド形の眼で、ローゼリアを見ている。

 ローゼリアは、小さく笑った。


「わたくし、あまりお行儀は良くない方でしたから。離宮にいたって、情報は集められますわ。あの頃はまだ、王族の自覚もございましたし…。ああところで、どうぞローゼリアとお呼びくださいな。」


 髑髏姫も嫌だが殿下も嫌だ、とローゼリアはうんざりした気持ちが出ないように、おっとりと微笑んだ。

 まあ微笑みなんて、相手にはわからないんだけれど。


 さてとローゼリアはリオネルに向き直った。


「…アーネスト様が即位するには武力だけでは足りません。ご本人方は他の貴族の取り込みやら後方支援にまわり、ご子息方が名代として兵を率いておられるのでしょう?トワイライト家の思惑通り、リオネル様はよくこの屋敷に、たくさんの騎士や私兵を後から追って来させておりましたから、町の人々も疑っておりませんわ。ああ、またお貴族様がやんちゃしておられる、くらいの感想です。」


 まさか、クーデターを起こす為に、兵を率いたそれぞれの将が、トワイライト家の騎士や私兵を装って町に入っているなんて、思いもよらないだろう。


 そうでなくとも、王都とは関係の無い、小さな町だ。

 山賊やら盗賊やら、たまに現れる無法者共さえなければ、平和な町なのだ。そんな壮大な話を誰が思いつくだろうか。


「ここでしたら、関所もありませんし…。絶好の隠れ蓑ですわね。」


 ふふ、とローゼリアが小さく笑うと、リオネルはカトラリーを置いて顔を上げた。


「最初にこの屋敷を訪れた4年前から、考えておられたのでしょう?」

「うん。俺の策だ。」


 だろうな、とローゼリアは微笑んだ。


「ずっと、知っていたのか」


 掠れたようなアーネストの声に、ローゼリアは小首をかしげる。

 するりと、黒いベールが肩を流れた。



「愛する婚約者を殺されれば、誰もが復讐を望むでしょう?」




「それだけが理由では無いよ」


 静かなリオネルの言葉に、ローゼリアはテーブルの下でドレスを握った。


 そうだろう。


 それだけが理由で、ローゼリアに会いに来ていたわけでも、登城していたわけでも、謀反を企んでいるわけでもないことくらい、ローゼリアだって知っている。


「ええ。わたくしを心配して会いに来てくださっていた事を疑ったことはありませんし、お父上に代わってまめに登城することで忠誠を誓っているように見せていた事も、今日のように兵を率いたとて不自然にならないようにしていた事も、国を思ってお父上と共に立ち上がった事も、存じ上げておりますわ。」


 だって、ローゼリアはリオネルが好きなのだ。

 ずっと、ずうっと、この静かな紫水晶が大好きなのだ。


 例え、ただ利用されていただけだったとしても、きっと変わらなかった。

 いっそ、利用されていただけなら良かったとすら思う。

 そうすれば、何度も「好きだ」と馬鹿のように思うこともなかったのに。


「…うん。でも、そこに一匙の復讐心も無いかと言えば、やっぱりそれは嘘だけどね。」


 ローゼリアに決して嘘をついてくれない、リオネルの自嘲するように笑う優しい心根に、胸が苦しくなることもなかったのに。


 リオネルの、する、と薬指を撫でる仕草に、ローゼリアはドレスを握りしめてしまう。


「…ローズ」


 正面から呼ばれ、ローゼリアはアーネストに視線を戻した。


「アーネスト様じゃない。お兄ちゃんだろ。」

「……」


 いまそこかーい、とかツッコんだら駄目かな。駄目だろうな、とローゼリアはスカートを握りしめていた手を離した。

 人の機微に聡いのだろうなあ、と柔らかく細められる朱色に、ローゼリアは小さくため息をついた。

 ずるい兄だ。

 こんなの、心を許すしかないではないか。



「俺の事は?いつから知ってたんだ」

「…さて、いくつでしたかしら。随分と幼い頃に、お母様に伺いましたの。」


 あれは、多分、ベッドだった。

 寝物語のように、ふかふかのベッドに二人で身体を横たえて、優しい声で母が語った。

 まだその頃には、ローゼリアには豊かな長い髪があって、ゆっくりと何度も梳いてくれる母の手は、もうおぼろげだけれど。


「ちゃんと覚えておりますわ。ご側室のフレデリカ様は、現王妃のマリアンヌ様より先に身籠られた事で身の危険を感じ、事故死に見せかけて城を抜け出したのだと。だから、」


『だから、いずれ誰かが国が終わらせるとしたら、それはきっとフレデリカ様のお子か、貴女よローゼリア』

『王族は、国を守るのではないの?』

『…だからこそよ』


 ローゼリアには、終わらせることはできなかった。

 あの城で生きるのに、精一杯だった。

 自分では、御旗にはなれないと、知っていた。

 だから、これ幸いと逃げ出したのだ。



「お兄ちゃんのお帰りをお待ち申し上げておりましたのは、わたくしも同じでしたのよ」


 もしも自分に人の顔があったのなら、さぞかしみっともない顔だっただろう、とローゼリアはぐちゃぐちゃに絡み合う心内(こころうち)を握り潰すように笑った。


 ーー声は、震えていないだろうか。

 喉が熱い、なんて骨だけの我が身にありえないのに。


 す、とグラスがひかれた。

 顔を上げると、いつの間に飲み干したのかグラスは空で、涼しい顔をしたトレーヴェンが林檎ジュースのグラスを置いた。

 ローゼリアは、甘い優しい香りにほっと力が抜けた事に、悔しい、と背筋を伸ばした。


「…リオネルに聞いたんだが…なぜ、今だとわかったんだ?」


 グラスに口を付け、ローゼリアはアーネストに視線を合わせた。


「…カン、と言って信じていただけるかしら。」

「カンか」


 ええ、とローゼリアは頷いた。


「上がり続ける税だとか、いくつかの領の様子だとか、王と王妃の散財の噂だとか、王女殿下がリオネル様を夫にしたいとついに強硬手段に出るという噂だとか…そろそろ限界なのだろうな、と思った要因は様々ですけれど、お恥ずかしながら決定打はカンですの」


 ローゼリアと半分だけ血の繋がった妹に、欲しい物を手に入れる為に手段を選ばない、という悪癖があるのは有名な話だった。

 その王女様が、見目麗しきリオネルに恋心を抱いているらしい、という話もまた知らぬ者は少ない。


 ついでに、あの手この手でそれを躱す辺境伯の手腕もまたセットで語られるのだが、それも終わりだろう、と近頃王都では持ち切りらしい。


「誰が噂を流したのやら…王家が、トワイライト辺境伯が治める地の領民を人質に圧力をかけているらしい、王家はそこまで腐ったか、と大賑わいだとか。辺境伯は民思いと有名でファンも多いお方ですから、陛下を支持する声は…いよいよでしょう。攻めるなら良い頃合いですわよねえ」


 ふふ、と小首を傾げると、ローゼリアの肩をベールが撫でる。

 アーネストは、にやりと笑った。


「カン、ねえ?」

「証拠はございませんから」


 ふ、と笑ったのは誰だったか。

 気づくと、ローゼリアの前に座るアーネスト、そして父親の名代として座る3人は皆、一様に笑みを浮かべていた。


「リオネルの言った通りだな!俺の妹は賢い!」

「ええ、それに、カン、などと…アーネスト殿下とそっくりでいらっしゃる…!」


 ぶふ、と吹き出しながら藍色の髪をした青年が言うと、後ろで控える騎士達までもが笑った。

 なんとなく不愉快でローゼリアはふくれるが、勿論誰にも伝わらない。


「おいおい、賢く美しいところがそっくりな素敵な兄妹なんて照れるじゃねえか」

「そこまでは言っておられないかと」


 止めろ、と思わずローゼリアがツッコミを入れると、アーネストは、オレンジガーネットをくるりと光らせて笑った。



「どうだローズ。お兄ちゃんと祭りに行かねえか。」


 軽いノリでクーデターに誘われた。


「お前と執事は、優秀な魔法士だと聞いてる。一緒にド腐れ親父ブン殴りに行こうぜ。」


 野蛮な感じでも誘われた。

 あとしれっとトレーヴェンも誘われてる。


 国王に、と持ち上げられているローゼリアの兄は、なかなかに油断ならないらしい。

 兵力として自分とトレーヴェンが期待されている事を自覚したローゼリアが、どうしたものかと思案しながら口を開くと、あの、と聞き慣れた声に先を越された。


「発言しても?」


 振り返ると、トレーヴェンがいつもの眉を寄せた、機嫌の悪そうな顔で手を上げている。

 トレーヴェンに慣れていない名代ズやその騎士たちは、驚いた顔をしている。

 それはそうだろう。一介の執事が口を挟むような場面ではない。


 けれどアーネストは、にこりと笑った。


「リオネルに聞いていたキャラと違ぇな?好きに話してくれ」

「おや、なんと恐れ多い」


 あ、こいつ鼻で笑いやがった。

 クソだな、と感心するローゼリアの横で「では」とトレーヴェンは前に出た。


「俺は戦力に数えないでもらいたい。」

「その心は?」

「俺が出れば一瞬で終わる。」


 痛いくらいの沈黙が流れた。


「ふざけては…いないんだな?」


 ちらりとアーネストがリオネルとローゼリアを伺う。

 二人揃って頷いた。


「俺は国の驚異にも武器にもなるつもりはない。どこぞの豚ごときに政治利用されるなんざ、まっぴらだ。くだらねぇ事になるならお嬢さん連れて星の裏側まで飛ぶぞ。」


 これ以上なく乱暴な、これ以上なくどストレートな正論だった。

 あとローゼリアは本人の意思なく巻き込まれていた。


「俺の事はローゼリアお嬢さんの無敵の防具とでも思え」


 ついに命令しやがった。

 ローゼリアは頭を抱える。


 確かに、トレーヴェンの無茶苦茶な魔法は、王座をかけたクーデター等と、目立つ場所に出すべきものではない。

 せっかく王座を奪ったとて、トレーヴェンの力を巡って新しい争いが起きては元も子もないのだから。

 もしも他国に知られ、「驚異だ」と戦争を仕掛けられでもしたら目も当てられない。

 何も言わず頷いているリオネルだってそのつもりだったのだろうし、ローゼリアだってどう断ろうか、と思案をしたわけだけれど。


「あんたね…言い方ってもんがあるでしょう…」

「どう言っても一緒だろ」


 一緒じゃない。全然一緒じゃない。

 ちょっと手を貸して?と頼まれて、申し訳ないけど…と断るのと、誰がやるかバーカと砂をかけるのは全然一緒じゃない。

 それも相手は王族である。

 後ろで控えている将軍様に切りかかられても、ローゼリアはトレーヴェンを庇いきれない。

 

 幸い、アーネストが爆笑しているのでヴェルテートも他の騎士も静観しているけれど。


「いやいや、一緒だな。一緒でいいよ、トレーヴェン殿。」


 ぶはは、と笑う王子殿下の心が広くて良かった、とローゼリアは微笑んだ。



「執事が無礼を働き申し訳ございません。到底、お詫びにはなりませんが…良い酒をご用意します。食事も温め直させますので、皆様どうぞ召し上がってください。ああ、騎士の皆様もどうぞお掛けください。」

 

 よしこれ幸いと、有耶無耶にしてしまう作戦である。

 性格の悪いトレーヴェンといるローゼリアも、まあれな性格なので。


 無作法ではあるが、メイドがいないのを理由にローゼリアは立ち上がる。

 するとアーネストは「暖めなくていいから座りな」と、目尻の涙を拭った。



「大丈夫、話は一度終わりにしよう。ゆっくり考えてくれ。」


 バレてら。




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