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老人の呻き声が響く丘(後)

「おはよう、ローズ」

「おはようございます、リオネル様」


 朝一番に、大好きな人のお顔を見る事ができる幸福に震えそうになる己を叱咤し、ローゼリアは腰を折る。

 見て!とばかりに綺麗なカーテシーを披露すると、リオネルはうん、と静かに頷いた。はい好き。

 リオネルの正面の椅子に近付くと、トレーヴェンが椅子を引く。


 腰掛けるとすぐに、スープとパンが並べられた。

 食欲をそそるような豊かな香りを楽しんでいると、さらにサラダ、オムレツ、ベーコン、オレンジジュースが次々と並べられる。まるで魔法のような手際の良さだが、その気配はない。

 トレーヴェンはなんでも魔法で済ませる事ができるが、なんでも魔法を使わなくたって超人級なのだ。

今日もこいつおかしいな、とローゼリアはトレーヴェンの技を堪能する。

 ちなみにこの間、わずか0.1秒である。

 本日も性悪凄腕執事は元気だ。


 4()()()の朝食が瞬きの間に並べ終わると、ローゼリアはリオネルの隣を見やった。

「おはようございます、フェリオ」

「お、おはようございますローゼリア様」


 ガタ、と椅子から立ち上がった青年は、そのままガバリと腰を折った。

 青空のように澄んだブルーの髪が肩を流れる。


「おい、埃が立つだろ」

「ぎゃっ」


 パチン、とトレーヴェンが指を鳴らすとフェリオの身体は椅子に着席。

 ただしそこに本人の意思が無いばかりか、トレーヴェンの苛立ちが上乗せされているので痛そうだ。


「だ、大丈夫?」

「大丈夫」


 うんと頷いたのはリオネルだ。

 いやリオネル様に聞いたわけでは、ってもしやちょっと怒っていらっしゃる?


「こんなに美味しそうなトレーヴェンの食事を前に、うるさいコイツが悪いんだ。ローズ、気にしなくていい。それより食べよう。さあ食べよう。」

「いただきましょう!」


 ウキウキしてるリオネル様可愛い。

 光の速さでローゼリアが同意すると、リオネルはパンに手を伸ばした。  


 サク、と離れていても聞こえる音に、立ち上る湯気。

 ふかふかの白いパンを口に含んだリオネルは目を見開いた。

 それから勢いよくローゼリアとトレーヴェンを見る。


 もぐもぐと咀嚼しながらこちらを見てくるリオネルの可愛さよ。

 内心悶絶するローゼリアを、ごくりと嚥下したリオネルが名を呼んだ。


「ローズ!このパンはトレーヴェンが焼いたのか!」

 こんなに感情表現がわかりやすいリオネルは中々見れるものではない。

 ローゼリアは、心の中でパン屋の親父、ルッソに深く熱く感謝を述べた。


「いいえ。この町のパン屋から購入いたしました。以前、カラトビ麦の話をしたのを覚えておいでですか?」

「ああ、この町でも栽培ができそうだと君がソワールの町から持ってきたという。」


 以前に手紙に書いた事をきちんと覚えてくれていたリオネルにローゼリアは、ええ、と微笑んだ。

 まあ、骨なので笑顔も無表情も一緒だけれど。


「あの麦を使って作られたパンなんです。カラトビ麦だけでは、このようなパンになりません。配合や、酵母の相性、緻密な計算が実現した傑作なんですよ。」

 とは言えその配合量も焼き時間もどこぞの執事は丸裸にしていたわけなので。

 隣でパクパク食事をしているこの男も恐らく、作れてしまうんだろうけれど。


「凄いな。こんなに美味いパンは、王都でもそう食べれるものじゃないぞ…!」

「リオネル様は本当に食べる事がお好きですね…」


 いたた、と尻を撫でながら笑うのはフェリオだ。

 眼鏡の奥で目を細め眉を下げる顔は、整っているのになんだか頼りない。が、彼はリオネルのれっきとした護衛騎士である。

 フェリオは、すぅと切れ長の目を開いた。


「で、酵母ってなんです?」

「すげぇ。眼鏡なのに馬鹿という眼鏡の無駄遣い。」

「ここの執事ひどいな?!」


 トレーヴェンが酷いのは純然たる事実であるが、フェリオのお馬鹿さんな気配も否めないので、ローゼリアは静かにパンを割った。

 うん、美味しそう。

 ふわ、と立ち上る湯気の向こうで、フェリオがリオネルをちらりと見やった。


「…あの、リオネル様、私本当にご一緒していいんですかね。」

「この屋敷ではみんなで一緒に食事をとるのがルールなんだよ。君が駄目ならトレーヴェンも駄目だが、君、トレーヴェンを追い出せるかい」

「いただきます!」


 ああ、さっきのフェリオの緊張感はそういう事か、とローゼリアはパンをちぎった。

 同じくパンを綺麗に千切って口に入れたフェリオは、サファイヤのような目をキラキラと輝かせている。

 所作も容姿も美しいのだけれど、なんだか警戒心を持つのが馬鹿らしくなるような子供っぽさは、可愛いと言えなくもない。


 フェリオは昨日、この屋敷に着いて早々、リオネルに紹介を受けると真っ黒の骸骨であるローゼリアに少しも動揺を見せることなく、紳士の挨拶をしてみせた。

 右手を取って、レースの手袋にキスをする、フリ。

 初対面で驚かない、叫び声を上げないだけでも珍しいのに、おぞましいであろう骨身の己の手に容易く触れるともなれば、もはや奇人だ。


 この人大丈夫?とちょっと心配になったが、王都で活躍する騎士を数多く輩出してきた家名を聞きこちらが驚いたし、「馬鹿なんで騎士団からっつーか家から追い出されました」と笑って言うので本気で心配になって思わずリオネルを見ると、彼はこくりと頷いた。

 うん、これは、なんか、保護してあげないといけない気になるやつ。


 そんな愛すべきお馬鹿さんとは言え、主とその友人と共に食卓に着くというのは抵抗というか、遠慮もあったのだろう。初対面ではあんなに堂々としていたのに、なぜ今朝になって緊張しているのか。


 その理由にようやく思い至り、キラキラとした顔でオムライスにナイフを入れるフェリオはやっぱり可愛いかもしれない、とローゼリアもオムライスにナイフを入れた。

 とろとろの美しい卵から、チーズがゆっくりと溶けだしてくるその感動たるや。

 口に運べば、小さく刻まれた生ハムの香りと塩分が顔を覗かせるサプライズ。

 スタンディングオベーション。

 脳内で巻き起こる拍手の嵐は毎朝の恒例行事だ。


 トレーヴェンの作る食事は魔法のように早く、美しく、驚くほどに美味い。

 リオネルはこの屋敷に滞在する間はいつも、トレーヴェンの食事を何よりも楽しみにしているようだった。

「リオネル様このオムライスめちゃくちゃ美味いんですけど?!ナニコレ頭ん中でファンファーレなってます!」


 うむ、護衛もその仲間入りのようです。

 ちなみにトレーヴェンは意にも介さず黙々と食事をしていたが時折、ふふん、と得意気に笑うのでローゼリアはちょっとだけイラッとした。




「で、今日は俺をまいて行こうなんてしませんよね?リオネル様?」

 あっという間に空いた皿を、これをまたあっという間に片付けてしまい、そしてやっぱりあっという間に紅茶とコーヒーをそれぞれの前にトレーヴェンが置くと、フェリオはじとりとリオネルを睨んだ。


「おや、気付いていたかい」

「うっわ、しらじらしいなあ」


 つい先ほどまで表情をころころと変えていたフェリオが、すう、と目を細める。

 刃の切っ先のような鋭い視線は、まるで蛇のようだ。


「私、馬鹿ですけど天才なんですよ。」


 ぽちゃん、とコーヒーに角砂糖を落とす音が、やけに耳についた。  


「貴方が移動した気配も、私が気付いたと同時にお三方の気配がこの屋敷から無くなったのも、ちゃあんと知ってますよ。私にもトレーヴェン殿にも気取られず屋敷に姿を現し、瞬く間に三人を連れ去る魔法士なんて存在するはずがない。」


 ぽちゃん、と角砂糖が落ちる。  


 トレーヴェンは、いつもと変わらず眉間に皺を入れたまま、ニヤリと笑った。

 底意地が悪いのに美しい、悪魔みたいな笑顔だ。


「過大評価じゃない?俺程度の魔法士なんざ、いくらでもいるでしょ」

「冗談でしょう。昨日が初対面でしたけど、見てすぐわかりましたよ。王都の魔法士が100人束になっても貴方には適わないでしょうよ。」


 ぽちゃん、と楽しそうに音が跳ねた。


「何よりね、気配は三つのまま、増えることなく消えた。導かれる結論は、トレーヴェン殿の魔法で移動した、でしょ?」


 ぽちゃん、とコーヒーが歌う。

 フェリオはすう、と冷えた青でローゼリアを射抜いた。



「お嬢様、あんまりうちの主を甘やかさないでくださいな」

「フェリオ」


 ぽちゃん、と跳ねる音を打ち消すように、リオネルの固い声が響いた。


「ローズに無礼は許さない」

「貴方こそ、大事なお嬢さんを疑わなくてはならないような行動は慎むべきだ」


 ぴしゃりと跳ね付けるフェリオの言葉に、ローゼリアは静かにフェリオの名を呼んだ。


「ねえフェリオ、夜更けに疑わしい行動をとったこと、護衛の貴方を置いて行った事は謝罪致しますわ。わたくしもリオネル様も腕に自信があるし、わたくしの執事が地上最強でも、心配なさいますわよね。」


 でもね、とローゼリアはシュガーポットを持ち上げた。


「そういう真面目な話は真面目にやってくださる?!顔と空気と行動が合ってないのよ貴方お砂糖いくつ入れる気よ?!」

「あと二個!いや、あと三個でいいんで!」

「まだ入れる気?!」


「…エクスプレッソが良かったのか…?」

「駄目だトレーヴェン、恐らく砂糖のコーヒー掛けになる。」


 うそでしょ?!とローゼリアはシュガーポットを抱き込んだ。

「コーヒーへの冒涜よ!大人しくカフェオレでも飲んでなさいな!」

「え?これカフェオレですよ?」

「やだもう聞くだけでなんか歯が痛いんだけど!」


 馬鹿なの?ちょっとお馬鹿さんなのは頭脳だけじゃなくて舌もなの??

 飲食は美味しいのが一番。個人の好きに楽しむべきだ、とローゼリアだって思うけれど限度があるし空気は読んでほしい。


 砂糖もまあまあ高価なんだぞこの野郎、とみみっちい事は飲み込むローゼリアだったが、音も立てずにカップをソーサーに戻したリオネルがふうと溜息をついた。


「幽霊に会いに行くと言ったら絶対に嫌だと言ったのは君だろう」

「!!!!!!!!」


 そう、この天才騎士様、オカルトがてんで駄目なのだそうだ。

 昨日、ローゼリアのスカウトに同行してみたいとリオネルが言い出すや否や、それまで黙って聞いていたフェリオは猛反対した。


「いやだ!怖い!!」

 となんともストレートに。

 リオネルは「そうか、わかった」と答えたので、この話は終わりだろうとローゼリアは思っていたのだがその夜、リオネルは「こっそり行こう」とローゼリアの部屋を訪れた。


 めったに見れない良い笑顔だったので、ローゼリアは心に焼き付けると共に「護衛騎士を置いて行くなんて良くない」なあんて常識は秒で捨て去った。


 トレーヴェンの強さは常軌を逸しているし、ローゼリアもリオネルも簡単に傷を付けられるほど弱くはない。

 迷いなど、あろうはずもなかったが

「だからって置いていかなくても!!あとでバレたらオレが先輩に殺されるんですからね?!」

 こんな風に嘆かれると良心も痛む。

 ローゼリアは、そっとシュガーポットを戻してやった。


「ねぇフェリオ。今日は、昨日会ったおじいちゃんの家へ行ってみようと思うの。」

「…それ、幽霊ですか…?」


 ええまあ、とローゼリアが濁すと、フェリオは「うええ」と美形を台無しにした。

「幽霊の家って幽霊の住処ですか。幽霊のお父さんとお母さんがいるんですか」

「そんなわけないだろう、お前は本当に馬鹿だね。」


 よしよし、とリオネルはフェリオの頭を撫でた。

 やだ羨ましい。

 リオネルがフェリオを盛大に馬鹿にしている事はわかっているが、あの美しい指によしよしされるなんて、例え馬鹿にされていたとしてもご褒美でしかない。  


「生前に住まれていた家よ。奥様と待ち合わせをしたまま亡くなったそうだから、その奥様のご様子をみにいこうと思うのよ」


 悔しいので話を続けると、フェリオは「なるほど」と頷いた。

「そういうことであれば、私もご一緒しても?」

「お、生きてる人間と聞いて強気になったぞこいつ」

「切れる相手は怖くないんで」


 思考が原始人みたいだな。

 ローゼリアは言葉と一緒にハーブティーを飲み込んだ。

 うん、美味しい。







「わ、本当に魔法で移動できるんですね!」


 目を閉じて開けると、そこは昨夜の丘だ。

 大きな木が根を張る場所に降り立ち、フェリオは感嘆の声を上げた。


「噂には聞いた事はありますが、本当にできる魔法士には初めて会いましたよ。トレーヴェンさんって何者なんですか」

 ぱちくりと瞬きする涼やかな両の目に、トレーヴェンはニヤリと笑った。


「さあ?」


 めちゃくちゃ美しくめちゃくちゃ悪どい笑みは、追及する気を削ぐ見事な仕上がりだ。

 フェリオは、じっとりと目を細めてトレーヴェンを睨みつけた。



「なんだ、ほんとに来たんか」


 ふいに聞こえた声に視線を下げると、木の根元にウェイズスが座っていた。

「あら、今日は這って登場なさらないのね?」

「うるせぇ」


 ローゼリアの意趣返しに、老人は決まりが悪そうに頭をかいた。

 記憶が戻り、人らしさを取り戻したのだろう。

 胡坐をかいて座る姿は、生者と変わらないように見えた。


「…そこに誰かいるんですかね…」

「いるんだろうね」


 リオネルとフェリオの会話がなければ、だが。

 幽霊は見えない聞こえない触れない、という、いたって普通の人である二人の囁き声を背に、ローゼリアはウェイズスと視線を合わせた。


「さ、おうちへ案内してくださる?うちの執事は超有能ですが、魔法で移動できるのは一度足を運んだ場所だけなんです」


 ローゼリアの魔法とは系統が違うし、そうでなくともトレーヴェンの魔法は色々と規格外なので、どういう理論なのかさっぱりだが、トレーヴェンは一度でも行ったことがあれば、あっという間に移動ができる。

 大抵の国や町は訪れたことがあるらしいので、ローゼリアは移動に困ったことが無い。

 だが、個人の家となれば当然、トレーヴェンの「行ったことが無い場所」になるので歩いて行くしかない。


 そんなわけで、この偏屈な老人に立ち上がってもらわなねばならいのだが。

 ウェイズスは一向に立ち上がる気配が無い。


「…本当に行くのか」

「行くしかないでしょう。いつまでここにいらっしゃるおつもりです?また未練だけの存在になって道行く人に痴漢行為を働くおつもりで?」

「誰が痴漢だ!」


 勢い良く立ち上がり怒鳴るウェイズスに、ローゼリアは「あら」と、わざとらしく首を傾げた。


「わたくしの足を掴んだのは、どこのどなただったかしら?」


「!」

「え!足を掴まれたとか怖すぎるんですけど!!!」

「相手は男性らしいよ」

「痴漢の幽霊?!」

「違う!!!!」


 文字通りの後方支援をしたのはフェリオとリオネルである。

 フェリオはただ怯えているだけだが、リオネルはわざとだろう。ローゼリアが振り返ると、少しだけ目を細めた。

 好き。


「何、ジジィ怖気づいたちゃった?」

 はん、と煽るのは今日も元気な性悪執事だ。


 なんだと?と見上げるウェイズスに、トレーヴェンは口の端を上げて笑う。

「やだね、今どきのジジィは軟弱で」

「!!!!!!!!!!!」


 ぴしゃー、と雷が落ちた。もしくは火山が噴火した。

 そんな顔で、ウェイズスは固まり、勢いよく歩きだした。


「行くぞ!!!」


 ずんずんと進んでいくウェイズスを、ローゼリアは慌てて追いかける。

 すぐにトレーヴェンとリオネル、フェリオが続いた。  


「…もうちょっと言い方があるんじゃ…」

「自分だって煽りにいってたでしょうよ」


 ローゼリアはもくもくと歩く事にした。



 さてはて。

 なんとも居心地の悪い時間は、思いの外すぐに終わった。


 丘からそう離れていない町のはずれに、ウェイズスの家はあった。

 年季は入っているが、花壇には花が植えられ、きちんと手入れされている事がわかる良い家だ。


 さてと、ローゼリアがノックをしようと手を上げると、「待ってくれ!」とウェイズスが声を上げた。 「なに?」

「こ、心の準備をさせてくれっ!」

「ええぇ…」


 ここまで来て、と思う気持ちはあるが、死んで初めて我が家へ帰るのだ。

 思う所もあろう、とローゼリアは手を下ろすけれど、


 コンコン!


 性悪執事に人の心なんて無いのである。


「お、おまえっ!!!」


 慌てふためくウェイズスをよそに、知らんぷりする顔のまあなんと綺麗な事か。

 こいつマジでむかつくな。

 とローゼリアがこっそり頷いていると「はい」と男性がドアを開けた。


 年は30代半ば、といったところだろうか。

 実直そうな男性は、アーモンド色の目を見開いて、突然の訪問者に驚いている。

 それはそうだろう。

 ベールを下ろしたドレスの女に、執事服を着た超絶美形。金髪の天使級の美男子貴族に、剣をぶら下げたその護衛。

 ローゼリアだって、こんな一団が突然現れたら警戒する。


「突然の訪問をお許しください。わたくしは、ウェイズスさんに生前お世話になっておりましました、ローゼリアと申します。訃報を聞き、立ち寄らせていただきましたの。」


 スカートをつまんで、軽く挨拶をする。

 男性は「ああ」と頷いて室内へ促した。


「父のお客様ですね。どうぞ、中へお入りください。」

 ――客?  

 思ったが顔には出さない。

 まあどうせ出す顔はないし、ベールで見えやしないんだけど。


 会釈をして室内に入ると、「どうぞ」と部屋の奥にある扉を開る。

 そして、キラキラと眩い部屋へローゼリアを案内した。


「…まあ…!」

 並ぶのは、どれも意匠を凝らしたアクセサリーだ。

 小さな花が可愛らしい無垢な少女のようなネックレスに、海のように深いブルーの宝石が目を引くピアス、朝露のようなダイヤが美しい指輪。

 品が良く、どこか温かみがあるのに華やかなアクセサリーが、ずらりと並んでいる。

 そして、それらを加工しているのだろう、たくさんの道具。


 思わずローゼリアが振り返ると、男性の後ろでウェイズスが頭をかいた。

「ええ、全て父の作品です。」

 自分に向けてだと思ったのだろう。男性は、にこりと頷いた。


「父が亡くなって、この工房は僕が継ぎましたが…。どうしても、父と同じようにいかなくて…。作品を手放せずにいるんです」


 なるほど、ここに並ぶ”作品”は彼にとってお手本なのだろう。

 つくりかけの、よく似たデザインのネックレスをローゼリアが見つけると、男性は頭をかいた。


「お恥ずかしいです」

 その仕草がウェイズスとそっくりで、ローゼリアは思わず笑ってしまった。


「お父様と癖が同じですのね」

「…よく言われます。」


 照れくさそうに、誇らしそうに、男性は笑った。

 ふん、と 顔を背けている頑固親父だが、親子仲は良かったのだろう。

 或いは、職人としての父親を尊敬しているからかもしれない。


「残念ながら、職人としての腕は同じといきませんがね」


 悔しそうに言うその視線の先には、ウェイズスがつくったというアクセサリーがある。

 ローゼリアやリオネルを見て「客」と呼んだからには、顧客に貴族も多かったのだろう。

 そんな一流の品をつくりあげていた師であり父であったウェイズスを、この男性は突然失ったのだ。


 まるで迷い後のような横顔に、ローゼリアはかける言葉を持たない。

 そっと視線を外すと、いつの間にかウェイズスが作業台を眺めていた。

 物質としての存在を持たない幽霊は、地に捕らわれてさえいなければ思うままに移動ができる。

 意識だけの存在であるウェイズスの横顔は、そこに座っていた時を思わせる”師”の顔をしていた。


「…俺の真似したって、無駄に決まってんだろ。」


 つくりかけのネックレスを掴もうとした手は、するりと素通りする。

 その手をじっと眺めて、ウェイズスは顔を上げた。


「嬢ちゃん、伝えてくれるかい」


 ローゼリアが首を傾げると、ウェイズスは口を開き、それからやっぱり閉じた。

 きょろ、と視線をさ迷わせ、下を向いて頭をかく。

 それから上を向いて、また下を向いて「ああ~~~」と唸り始めた。


 葛藤するのは結構だが、早くしないと隣の短気な性悪執事が眉間の皺をせっせと彫っている。

 ここまで来てウェイズスを消滅させることは無いと思いたい。思いたいが、ローゼリアはトレーヴェンが我慢が嫌いな事を良く知っている。

 早く!と念が通じのか否か。

 ウェイズスは意を決したように顔を上げた。


「俺ァ、アイツに似合うもんを考えてつくってたんだ!思い浮かべるもんが違や、出来上がるもんだって違うに決まってんだよ!」  


 ――あいつって…。

 思わず笑いそうになって、ローゼリアは腹に力を入れた。

 失礼だってことくらいわかるし、ウェイズスが見えない男性からすれば、このタイミングで笑うのは不愉快だろう。


「お父様は、」

 ローゼリアが声を掛けると、男性が顔を上げた。

 よく見ると、顔もウェイズスとよく似ている。

 一見、あの偏屈っぷりは似ていないようで何よりだけれど、性格もやっぱり似ているんだろうか。


「お父様は、最愛の奥様を想い、奥様に1番似合うアクセサリーをつくっていらしたそうですよ。だから、真似るのが難しいのではなくて?」


 存外ロマンチストよね?とローゼリアが語る後ろで、ウェイズスが何やら叫んでいるが聞こえない事にする。

 どうせローゼリアとトレーヴェンにしか聞こえていないのだ。

 あまりうるさければ短気な執事がどうにかするだろう。


「…親父が?母さんを思想って????」


 対して、青年は口をあんぐりと開けて静止している。

 余程の衝撃だったろうだろう。


「母さんに優しい言葉をかけるどころか、おいとか、おうとか、名前もろくに呼ばなかったようなクソ親父が???アクセサリーをつくる腕しか良い所が無かったような腐れ親父が????」


 凄い言われようである。


 トレーヴェンが手を下すまでもなく、ウェイズスは静かになった。

 ちらりと背後を覗き見ると「そこまでか…」と作業台で項垂れている。怒らないところを見ると、多少なりと自覚があるのだろうか。

 だとしたら、ローゼリアからすれば「自業自得だな」てな具合であるが、フェリオは「あはは」と声を上げて笑った。



「うちのクソ親父もそんな感じですよ。女性に優しくするのが恥ずかしいんだか、ぶっきらぼうにするのがカッコいいと思ってんだか、人前じゃ母にもそりゃあもう偉そうなんですけどね。わざわざ手帳サイズに描かせた母の絵姿を、肌身離さず持ってるんですから気持ち悪いでしょう~」


 けらけらと笑うフェリオの声に、青年とリオネルは「うんうん」と頷きウェイズスは小さくなった。

 これが所謂ジェネレーションギャップというやつだろうか。

 愛はストレートに伝える派の若者世代に囲まれた老人がなんだか哀れではあるが、ローゼリアは「おい」とか「おう」なんて呼ばれようもんなら名前で呼ぶまで返事をしたくない派だな、と思ったので知らん顔することにした。


「…父は仕事ばかりで、母が一人で僕を育ててくれたようなものでしてね。納得はいきませんが…」

 そう言って青年は、優しい目でアクセサリーを眺めた。


 様々なデザイン、宝石。

 なのに、統一感を感じたのはそういうことだったのかもしれない。

 繊細で、上品で、華やかなのに、温かみがあって力強さを感じる美しさは、この不器用なんだか器用なんだかわからない男が愛した、妻の姿なのだから。


「例え、母を想ってつくったとしても、同じようにはできないでしょうね。だってこれは、いわば父のラブレターなわけですから。」


 くすくすと楽しそうに笑う青年に、背後でまた叫び声が上がったが、ローゼリアはやっぱり知らん顔で同意した。


「ええ。貴方は貴方の想う人に一番似合うと思う物をつくるべきですわ。」

「そうですね。…母は、気付いていたのでしょうか。最後の最後まで、父の作品を大切にしていました。」

「…最後?」

 男性は、ええ、と並ぶアクセサリーをそっと撫でた。


「父が死んだ、その日に母も死にました。」



「は?」



 ぱ、と次の瞬間にはウェイズスはローゼリアの目の前にいた。


「ジェイズ、どういうことだ、あいつが、なんだって…?!」


 息子の名前を呼び、伸ばした手がすり抜ける。

 それでも構わず、ウェイズスはその名を呼んだ。


 ローゼリアは、ウェイズスの背中を見詰めながら口を開いた。


「…お母様とお父様は、一緒にお亡くなりになったのですか?」

「いいえ。そうではないのです。」  


 男性、ジェイズは眉を下げ、困ったように笑った。

「あの日、父と母は出掛ける約束をしていました。本当に珍しい事で、母はとても嬉しそうでした。とっておきの服にアイロンかけて、父が昔プレゼントしたというネックレスを出して…年老いた母親に言うのは変ですが、まるで少女のようでした。」


 息子が不憫に思うような結婚生活は、彼女にとってどんなものだったのだろうか。

 その半分も生きていないローゼリアには、想像もつかない。

 ただ、好きな人と出掛ける気持ちはわかる。きっと、本当に嬉しくて、うきうきして、だから、ウェイズスもきっと、愛されていた。

 海のように深く、深く。


「…倒れたのは、家を出る直前です。胸を押さえて、そのまま…。父も同じように、待ち合わせ場所で倒れていたと聞いて、思わず笑ってしまいました。」


 母は、とジェイズは言葉を切り、それからまた笑った。


「母は、また私を待たせるのね、って笑ってたんですよ。」


 最後くらいは、母も待たされずに済んだんじゃないですかね、と笑うジェイズの顔は楽しそうで、両親の死からすっかり立ち直っているようだった。

 そして、両親を深く、想っている。


 慈愛に満ちた素直な笑みに、ローゼリアは微笑んだ。


「仕草も腕もお父様にそっくりだけれど、性格はきっとお母様にそっくりなのね」


 ジェイズは、ぱちりと瞬きをして「だと良いです」と笑った。









「どうすんだジジィ」


 あぁ?とトレーヴェンを見上げたウェイズスは、すっかり疲れ果てていた。

 トレーヴェンの指先一つで移動した丘は、昼間でも相変わらず人気がない。

 何せ心霊スポットだ。

 夜になれば”そういう”目的の者もいるだろうが、昼間は静かなものである。


 そんなわけで、人目を気にせず幽霊と話すには持ってこい、ということで戻ってきたわけだが、ぐったりするウェイズスにトレーヴェンは容赦がない。


「結局つまり、最後の最後まで奥さん待ちぼうけってことだろ」

「……嬢ちゃん、あの家に、その、あいつは、いなかったんだよな」


 あいつって誰かしら、と女性を代表して嫌味の一つでも、と思ったが、ウェイズスがすっかりしょげているのでローゼリアはこくりと頷くに留めた。


「未練も恨みも無く、還ったようですわね。あの家には、綺麗な空気だけが満ちていましたわ」

「旦那は未練で動けなくなってたのになぁ」

「クソガキ…!!!」


 ローゼリアがいらん事を言うまでもなく、トレーヴェンによってウェイズスのメンタルは着実に痛めつけられている。

 息子に技術しか良い所が無いと評価された男と同じく、トレーヴェンも能力と顔以外が本当に最悪なのだ。


「幸せだったんだろうか」


 ぽつりと、零れるように落ちた声は、反対に透き通るような響きだった。


「この世に留まることなく、還るほど、未練がないほどに。幸せだったのだろうか。」


 空を見上げるリオネルの顔は見えない。


 透明な声に、ローゼリアはきゅっと自分の手を握った。


「そうでなければ、私なら死を受け入れられません」


 寂しくて痛くてつらくて、涙すら流せないまま死ねば、その地を呪う怨霊になるだろう。

 ローゼリアには強い魔力も、呪いも身の内にある。

 けれど死が恐ろしい。


「わたくしは、こんな姿になっても生きていたいです。」


 なのに生き物は、その瞬間を受け入れ、全てを手放して還るのだという。それがあるべき、自然の姿なのだと。


「ならば、それを諦め、受け入れられるだけのものがあるのです。それは、幸せな記憶の他にあるでしょうか。」


 リオネルは、静かに視線を下ろした。

 左手を持ち上げ、そっと薬指を撫でる。


 ジェイズが、母を、父を想い、そうしたように。


「…苦労ばっかで、稼げるようになってからもろくに構ってやれなかったが……。あいつは、それでも、馬鹿な亭主をさっさと放って成仏できるくらいにゃあ、満足してくれてたんだな」


 ウェイズスは立ち上がり、背伸びをするように空を見上げた。

 雲一つない、抜けるような青空だ。


「次こそイイ男に会えるように、さっさと生まれなおしにいったのかもしれねぇけどな。」

「口の減らねぇガキだなおい」


 はあ、と盛大な溜息をついたウェイズスは、真っ直ぐにローゼリアを見た。


「いろいろ、悪かったな。」

 悪霊にも怨霊にも見えない、すっきりとした顔で、ウェイズスは笑った。


「あいつに怒られに行ってくるよ」



 そして、青空に溶けるように、ウェイズスは消えた。

 あっさりと、静かに。穏やかに。


 空を見上げ、ローゼリアはそれを見送る。  




「…結局、今回もスカウトは失敗ね」

「還ったのかい」


 静かな声に、ローゼリアは視線をリオネルに向けた。

 相変わらず表情はない。


 けれど、輝く紫水晶の奥に、誰にも触れられない悲しみがあることを、ローゼリアは知っている。

リオネル自身にすら触れない場所に、大切に仕舞っている悲しみを、ローゼリアは知っている。



「はい。」

「…それは良かった」


 ローズにとっては良くなかったのかな、とリオネルが小さく笑ったので、ローゼリアも笑った。



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