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老人の呻き声が響く丘(前)

地を這うような声だ。


 掠れ、ひび割れた声が、地を這うように響いている。

 暗闇の中で低く低く響く声。


 声は、大きな木の根元から響いている。

 この世のどこまでも続きそうな闇の中で、ぽっかりと浮かぶように在る大きな木だ。

 豊かな葉をつけた太い木の幹、声はその根元から響いている。

 

 あがくように、

 もがくように、

 泣き濡れるように。



 ふいに、葉が揺れた。

 風はない。



 けれど、まるで闇夜に蠢くように葉が揺れる。

 ぬらりぬらりと、禍々しく揺れ動く葉と共に、声が近づいてくる。


 少しずつ、


 少しずつ、


 少しずつ、



 そして、



 ぴたりと止んだ。 


 葉が揺れる嫌な音だけを残し、声が消えて、





 がしりと足を掴まれた。


「っ」


 少女は、ゆっくりと足元を見る。

 そこにあった、こちらを見上げる、年老いた男の落ち窪んだ目に、



「きゃあああああああああああああああああ!」

「ぎゃあああああああああああああああああああああ!!」




 2つの声が響き渡った。






「なんって演出かしら!この世のものと思えないうめき声!それからいきなり足を掴むドッキリ!いいわ!とっても良いわよ貴方!」

「ど、髑髏姫ええええええええええええ!!!!」


 一つは歓喜。一つは恐怖。

 この場面に相応しい悲鳴の組み合わせであろうけれども、大事なのは前者がローゼリアの叫びで、後者が足を掴む老人のものであることだ。

 

 ローゼリアは、真っ黒の骨だけの足を掴む老人を見下ろしたまま、首を傾げた。

「…ねえ、あなた今髑髏姫って言ったかしら?」

 最近知った、1ミリも認めていない己の通り名を呼びやしなかったかと、問いかけるローゼリアに老人は、文字通り骨だけの足からぱっと手を放し、ばつん、と姿を消した。


「わ、わしに触るなあああああああああああ!」

 恥じらう乙女のような台詞を残して。


 そして訪れる、しん、と耳が痛くなるような静寂。


 ローゼリアは、ふうと溜息を一つ洩らした。

 ばさりとベールを肩にはらい、真紅のリボンを揺らして、ヒールをがつりと地面に打ち付ける。

 小石が跳ね、木の幹にぶつかった。

「さわるな?」

 ピンヒールをもう一度がつんと、地面に打ち付ける。

「わしに、触るな、ですって?」


 うふふ、とワインレッドのレースの手袋に包まれた指を口元に添え、ローゼリアはその場にしゃがみ込んだ。ドレスの裾がふわりと広がる。

 レディの振舞ではない?

 大変結構。そんなものは堅苦しい世界に置いてきた。

 ローゼリアは、オカルトを愛し幽霊に惹かれてやまない、この世で一番身軽な存在なのだ。

 なんてったって骨だけだもの。

 

 生きたいように生きていくと決めているローゼリアは、がしりと両手をついた。

 不思議と草が生えていない、冷たい土だけが広がるそこに顔を近づけ、すう、と息を吸う。

 しっかり空気を取り込んで


「触ってきたのはそっちでしょうがああああああああああああ!!!!!!!!!」


 力の限り叫んだ。

「人の!足を!掴んできたのはそっち!!」

 ばん!ばん!と両手を地面に打ち付ける度に、小石がぴしぴしと跳ねて木にぶつかる。

 ローゼリアは構わず叫び続けた。

「人を痴漢みたいに言わないでいただけます?!幽霊がそんなに偉いか地面から唸るのがそんなに偉いのかああ!わたくしだって地面に這いつくばって唸るぐらいできるわあ!」

「すんなすんな」


 怒りと憤りのままに叫ぶローゼリアに、静かな声がツッコミをいれる。

 次いで、ひょい、と身体を簡単に持ち上げられ、ローゼリアは思わず振り返った。


 ふよふよと光の玉を浮かばせた従者が、心底めんどくさそうな顔をしている。

 至近距離で見る、光に照らされたブルーの瞳は、淡く美しい。

 ローゼリアは、自分の腰を掴む手袋をぺちぺちと叩いた。


「下ろしなさいよトレーヴェン」

「はいはい」

 気のない返事をしたトレーヴェンは、地面にローゼリアを下ろすと、指を軽く振った。

 途端、青い光がキラキラとローゼリアを包み、柔らかい風が吹く。

 トレーヴェンは、眉間に皺を入れた見慣れた顔で、あのねえ、とうんざりしたように口を開いた。


「ドレスも手袋も汚れてんじゃないすか。」

「魔法で綺麗にしてくれて有難う!でもわたくしは今怒ってるの!怒ってるのよ!邪魔しないでちょうだい!」


 素直に礼だけは言うが、ローゼリアとしてはドレスが汚れようが手袋が汚れようが問題ではない。

 いや別に洗濯はいつもトレーヴェンが指先一つで済ませてしまうから、という訳ではなく。

 ローゼリアは只今、地面を這って現れた男に足を掴まれた方なのに、痴漢の冤罪をかけられているのだ。

 怒らずしておれようか。否。怒り狂って何が悪い。

 冷静に考えれば考えるほどイライラが募り、ローゼリアは頭を抱えた。


「だいったい、また言われたわよ?!髑髏姫って!姫って!お年寄りにまで噂が広まってること?!」

「偏見ですよ。人類皆噂好きです。つーか、言ったでしょう。」

 なに?!とローゼリアが見上げると、トレーヴェンは綺麗な顔に呆れをめいっぱいに広げて言った。


「お嬢さんは会えば消される髑髏姫って、幽霊界隈で有名なんですって。」

「だから消さないわよ!」


 噂ってのはそんなもんですよ、と他人事のように言い、トレーヴェンは欠伸をしやがるがまあ事実、彼にとっては他人事である。

 わかっちゃいるが、この心底どうでも良さそうな顔の、なんと腹の立つことか。

「つーか」

 いんすか、と耳の穴をほじってやがる従者を、「なにが」とローゼリアは睨みつけた。

 と言っても、表情などつくれはしないし、瞳があるべき箇所に空洞しかない自分がやっても無意味だと知っているが。

 最も、ローゼリアが血肉を持っていたとてトレーヴェンは睨みつけられたぐらいでは動じないだろうけれど。


 そう、


「トワイライト様が見ておられますけど。」

「!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


 いつだって動揺させられるのはローゼリアばかりなのだ。


「リ、」

 今更、周囲の目など気にはしない。

 だって、どうあがいたってローゼリアは異質で不気味だ。

 そんな事は人様からわざわざご指摘いただかなくとも、ローゼリアはちゃんと知っている。

 オカルト好きだと言えば趣味を疑われるが、ローゼリアには花を愛でる趣味だって性悪執事の顔面を美しいと思う感性だってある。

 自分が人からどう見えているのかなんて、わかっているのだ。


 だから、今更人の目も評価も気にしないことにしている。

 そんな事より、やりたいことを、言いたいことを言おうと決めているだけだ。

 小さくなって息を潜めて、なけなしのプライドで自分を守るのはもう、うんざりだから。ただそこに在るだけで嗤われるというのならば、この身のように身軽であろうと、それはローゼリアの矜持だ。

 

 が、それは他人が相手の場合であって、


「リ、リオネル様っ……!」

 好きな人となれば話は別である。


 だって、彼は嗤わない。

 人形のように美しいその顔は、いつも静かで表情らしい表情はない。

 けれど、紫水晶のような瞳には、嫌悪もありはしない。

 いつだって美しい水晶でローゼリアを映すリオネルは、柔らかい金糸を揺らし、ぱちりと瞬きをした。

 

トレーヴェンが灯す明かりに照らされた瞳が、静かに細められる。

「うん?どうした、ローズ」

「!!!!!」


 ローゼリアは悶絶した。

 無理。尊い。かっこいい。やさしい。好き。


「わ、わたくし、その、はしたない、とお思いになられたのでは、と、その」

 動揺を飲み込み、なんとか言葉を紡ぐローゼリアに、リオネルは不思議そうに首を傾げた。

 さらりと金糸が揺れるその美しさよ!

 思わず天を仰ぎそうになるローゼリアに、リオネルは「ふむ」と思案気に呟いた。

 僅かに眉を寄せ、顎に添えられた骨ばった指。

 その仕草に、ああやはり不快に思われただろうか、とローゼリアは思わずドレスの胸元を握りこむ。

 落ち着けと言葉を待つローゼリアに向かって、リオネルは口を開いた。


「すまないローズ、なんのことだろうか?」

「!!!!!!」


 地面に蹲って叫ぶ骸骨に向かってこのセリフである!

 無理!

 ローゼリアは今度こそ天を仰いだ。

 世界よ有難う。

 きょとん、とする無垢なる顔の可愛らしさといったら、赤子から亡者まで悶絶するレベルである。今それを向けられているのはローゼリア一人だけど。ごめんね世界。

 ローゼリア涙を流しながら生きとし生ける全ての命に感謝と謝意を捧げた。

 いや、実際は涙なんて出ないけど。


「うそでしょ、あの奇行見ても何とも思わないんですか」

「元気で良いと思うが?」

「それ天然ですかあほなんですか」

「君は相変わらず失礼だな」

 全くである。

 トレーヴェンに文句を言おうと口を開いたローゼリアは「それで」と、リオネルが首を傾げたので大人しく握った拳をほどいた。


「今、どういう状況なんだ」

 リオネルの輝くアメジストは、幽霊を映さない。

 勿論、小さなダイヤを付けたその耳も、幽霊の声を拾うことはない。

 リオネルから見れば、ローゼリアは一人で怒っていたわけだから、それは確かに不審だろう。何度も言うがローゼリアだって自覚がある。

 にもかかわらず、この澄んだアメジストの美しさよと、リオネルの懐の大きさを実感していたのがまずかった。


「ローゼリアお嬢さんが老人の幽霊に痴漢して逃げられたところです」

「二度と話せないようにしてあげましょうかトレーヴェン。」


 性悪執事に隙を与えてはいけない。

 この男は自分になんの恨みがあると言うのだろうか。

 いや、恨みなどあるわけがない。トレーヴェンという男は、人をおちょくっていないと死ぬという不治の病を患った人でなしなのだから。いっそ恨まれていた方がマシってなもんである。

 駄目だ、こいつの口を封印しよう。


 ローゼリアは詠唱をしようと魔力を練る。

 ざわ、と足元の草が揺れ、ドレスの裾が静かに浮いたところで「うん?」とリオネルの低音が言った。


「逆だろう?何かされたのか?大丈夫か?」

「大丈夫ですわリオネル様!!!!!!!!」

 トレーヴェンも間違えることがあるんだな、なんて頷くそのピュアさが、愛しさを通り越してローゼリアはいっそ心配だ。

 いつかどこかで酷い騙され方をするんじゃないかと、おはようからおやすみまで見守って差し上げたい気持ちでいっぱいになる。

 普通に好き。


「心臓つぶれそう…」

「え、お前さん心臓あんのか」


 よろめき、木に手をついたローゼリアは、返ってきたツッコミに顔を上げた。


「………」


 老人のどアップだった。



「っていたたたたたたたた!!!!」

 次の瞬間、老人の顔は真っ白の手袋に覆われ、悲鳴が上がる。

 びくりと肩を跳ね上がらせたローゼリアが見上げると、いかにも不愉快そうに、トレーヴェンが眉をしかめていた。


「許可なく触んな近寄んなジジィ」


 …………これである。

 これが、トレーヴェンのずるいところだ。


 誰よりもローゼリアを馬鹿にしてからかうくせに、真っ黒の骨だけのローゼリアを誰よりも丁寧に扱うのだ。

「そもそも、誰がうちのお嬢さんに触って良いつった?あ?よく顔だせたな?」

 ついさっきまでローゼリアを痴漢呼ばわりしていたくせに、実は怒ってくれていたなんて、ずるいじゃないか。

 老人の頭を鷲掴みにして恫喝する様はどうみても悪辣だが。

 相手も相手だし、死んでるし、まあいいか。と思うあたり自分も大概だなあ、とローゼリアは老人の顔を握りつぶさんばかりの手を、ぽんぽんと叩いた。


「離して差し上げて。」

 器用にも片方の眉を上げたトレーヴェンは、じっとローゼリアを見つめている。

 何を思っているのか、ローゼリアにはわからない。

 心配しているのか。呆れているのか。それとも怒っているのか。

 余計な事しか口にしないトレーヴェンの心はちっともわからないけれど、でも多分、この男が自分を裏切ることはないのだろうとローゼリアは知っている。


 もしもトレーヴェンがローゼリアから離れるとしたら、きっとそれはローゼリアがローゼリアでなくなった時だ。


「…なに笑ってんすか」

「笑ってないわよ」

「ヘラヘラせんでください」

「してないわよ。ていうか、表情なんてわかんないでしょ。」

 何せ自分は骨だけだ、とローゼリアは肩をすくめる。

 トレーヴェンは老人から手を放し、フン、と鼻で笑った。


「わかりますよ」


 そんなわけがない、と思う。

 でも、そう言うならそうなんだろうなあ、とも思う。

 本当にずるい男だなあ、とローゼリアは肩に落ちる赤いリボンをはらった。

 

 ローゼリアは、ふう、と小さくため息をつきその場に座り込む。

「おじいちゃん、お名前は?」

 両手で顔を覆って蹲っていた老人が、ローゼリアの声に顔を上げた。

 ローゼリアの真っ黒な顔への恐怖よりも、顔面を鷲掴みにされた怒りと痛みが上回ったのか、老人は顔を思い切りしかめてはいるものの、静かに口を開いた。

「………ウェイズスだ。」

 誰がじいちゃんだ、とこちらを睨んでくるウェイズスに、ローゼリアは、うんと頷く。

 自分の名前が言えるということは、まだ生きていた頃の記憶があるということだ。

 気付けば、虚ろな窪みを二つ携えていた顔も、生前の姿を取り戻しているようだった。

 決して顔色が良いわけではないが、闇が似合う年老いた霊ではなく、頑固で気難しそうな顔だ。


「それは良かったわ。死んだ後、この世に留まり続けると記憶を無くして、良くない感情だけが残ってしまうのよ。貴方、なぜここにいるのか覚えていらして?」


 ローゼリアが問うと、ウェイズスは視線を外して頭を掻いた。

 ほんのりと赤くトレーヴェンの指の形が残る顔は絵にかいたようなしかめっ面だ。

 ちなみに、トレーヴェンまでもなぜ幽霊に触れるのだとか、幽霊に”痕”がなぜ残るのだ、なんて事は考えるだけ無駄なので考えてはいけない。

 だってトレーヴェンだから。


 ウェイズスは、ぼそぼそとローゼリアに答えた。

「…ここで倒れた事は覚えてるが…そっから記憶がねぇから、そのまんま死んだんだろうな」

「……原因は?」

「知らん。」

「テメェのことだろうよ」

 あ?と恫喝するトレーヴェンのガラの悪さよ。

 ウェイズスが幽霊でなければ、確実に通報されていただろうという威圧感に、だがしかしウェイズスも負けていない。

「ああ?んだとガキが。急に苦しくなってぶっ倒れたんだよ知るか」

 すっくと立ちあがり、怯むことなく、背‏の高いトレーヴェンを見上げて睨み返しているのだから、これが年の功というものだろうか。

 などと呑気に感心しているローゼリアの肩をリオネルが叩いた。


「何かわかったのか?」

 隣にちょこん、と座り込み首を傾げるリオネルにローゼリアは胸を押さえた。

 え?可愛すぎない??

「ローズ?大丈夫か?」

「大丈夫ですちょっと幸せで蒸発しそうなだけなので」

 『?』を顔に浮かべるリオネルは、老人と会話ができた事と、発作のようなもので亡くなったらしい事、それからトレーヴェンと揉めている事を伝えると「そうか」と一つ頷いた。

 それから立ち上がり、変わらずウェイズスと言い争うトレーヴェンの肩を叩く。


「気持ちはわかるが、ほどほどにしないと帰るのが遅くなるんじゃないのか」

「……聞こえてないし見えてないんでしょう」

「ああ。だが、俺は君のそういうところを信頼しているんだ」


 ローゼリアが、リオネルを凄いな、と思うのはこういうところだ。

 眩いほどに真っ直ぐで、眼を背けたくなるほどに透明な強い光は、だからこそ焦がれてやまない。リオネルの傍は、春の陽だまりのように居心地が良いのに、夏の日差しのようにほんの少しつらいのだ。


 それから、トレーヴェンに得体のしれないものを口にしたような、なんとも形容しがたい顔をがさせる事ができるのも、リオネルだけなのだ。

 あの顔はシンプルにおもしろい。


「…お嬢さん、どうしますか」

 そのおもしろい男に、はあ、とため息交じりに問いかけられ、ローゼリアは「そうね」と笑いをこらえて答えた。

「おじいさん、わたくし屋敷で働いてくれる幽霊を探しているのだけれど、良ければ一緒に来ませんこと?」

 三人にならい、立ち上がって問いかけると、ウェイズスは「あ?」と眉を寄せた。


「お前さん、正気か」

「こう見えて残念ながら正気なのよ、わたくし」

 いっそ気が狂ってしまえれば楽だったのに、と口にすれば夜更けに幽霊探しに付き合ってくれるような二人に叱られそうだったので、こくりと飲み込んで笑う。

 が、まあ勘の良い二人には気づかれているのかもしれない。

 ちらりと見上げたトレーヴェンは眉間に皺を入れ、リオネルは静かに腕を組んだ。

 気付かなかったことにしよう、とローゼリアはそっとウェイズスに視線を戻した。


「…悪いが、俺ァここから動けねぇんだよ。」

「あら、わたくしに触れた上にこれだけ話しているのだし、大丈夫じゃないかしら」

「どういう意味?」

 リオネルが、金糸を揺らして首を傾げた。

「無念や怨念、苦しみなど、強い思いを持ったまま亡くなると、その場所から動けなくなってしまう幽霊はとても多いんです。いわゆる、地縛霊ってやつですね。」

 うん、と頷くリオネルにローゼリアは微笑んだ。

 リオネル様が可愛い。


「ですが、わたくしと会った後は動けるようになったり、記憶を取り戻す幽霊もいたんです。ウェイズスさんも、ご自分のお名前も姿も思い出されたようですし、動けると思いますわ。」

 へえ、とリオネルは少しだけ目を見開いた。

 こういう、たまに見る事ができる、リオネルのほんの僅かな表情の動きが、ローゼリアは好きだ。

 どれだけ緩んだ顔をしても知られる事のない、骨だけの身に思わず感謝してしまいそうなほど、みっともない顔をしている自覚がある。

 トレーヴェンがやけに冷めた目をしている気がするが、多分、気のせいだ。


「それは凄ぇが、その、そうじゃねぇ。」

 こっそりにやつくローゼリアに、ウェイズスは頭をがしがしと搔きながら、ぶっきらぼうに言った。

 言い淀むような素振りに、今度はローゼリアが首を傾げる。


「と、言いますと?」

「あ゛~~~」

 

 ズドン!!!


 大きな音に、驚いてローゼリアの肩が跳ねた。

 木の幹に、ピカピカに磨いた革靴がめり込んでいる。

 なるほど、短気な我が執事が木を蹴ったらしい、と全く目で追えなかったスピードと轟音にローゼリアは頭を抱えた。


「めんどくせぇな。さっさと吐けよ。」

 え?取り調べ?

 独房とか軍服とか見える筈もない物が見えそうになって、ローゼリアは慌ててトレーヴェンの服を掴んだ。

「やっ、やりすぎよ!雇用関係は良い人間関係を結ぶことから始まるのよ?!」

「諦めてください」

「何を?!」


 基本的にはローゼリアの望みを叶えてくれる超有能なこの執事は、基本的にはローゼリアの言う事を聞いてくれない。

 唯我独尊を地で行くこの男がなぜ自分の執事なんぞをやっているのか、今もってして謎であるが、わかったところで変わるものでもないだろうとローゼリアは諦めている。


 ので。


「ちょっとおじいちゃん!喋って!じゃないとこの男マジで消しちゃいそうだから!」

 相手に変わってもらうしかない。

 不本意な通り名とやらを本当のものにされても困るのだ。

 トレーヴェンに抱き着くようにして叫ぶローゼリアに、ウェイズスは慌てて口を開いた。



「よ、嫁さんと約束してたんだよ!!!!!」



「あ゛?」

「いやそこで怒る理由!」

「こんなクソじじぃに嫁がいるか。」

「いるわクソガキ!!!」

 

「トレーヴェン」


 再び勃発する諍いを止めたのは、リオネルの静かな声だ。

 相変わらず、表情は無いが紫水晶がくるりと興味で光っている。

 ウェイズスの声が聞こえないながらも、なんとなく状況を察しているのだろう。すいとローゼリアを見詰めて、こくりと頷いた。

 は?好き。

 ローゼリアは、人外と幽霊の実に低レベルで実に神がかった暴力の争いを止めたリオネルへ愛を再確認しながら、ウェイズスに「それで」と続きを促した。


「奥さまとの約束っていうのは?ここで待ってるの?」

「……まあな」

 ウェイズスは、諦めたように続けた。


「…昔から、仕事仕事で、アイツとろくに出掛けた事もねぇが…。たまには、そういうのも、いいんじゃねぇかと。納品の帰りに、ここで落ち合うはずだったんだ。」


 どすん、と荒々しくその場に座り、ウェイズスはがしがしと頭をかいた。


「けど、アイツが来る前におっちんじまった。…慣れねぇ事はするもんじゃねぇな」

 けっ、と悪態をつく顔は、眉間に皺を寄せて不機嫌そうで、そして寂しげだ。

 果たされない約束を、或いはそれまでの道のりを、悔やみきれない不器用さに、ローゼリアはそろりとトレーヴェンを見上げた。


「…なんです」

「怒らない?」

 はあ、とトレーヴェンは盛大にため息をついた。

 こちらも負けず劣らず、眉間に深く深い皺を刻み、それはもう凶悪なお顔だ。


「俺はやりたくない事は絶対にやらねぇし、誰かに命令されるなんざごめんですけどね」

「うん」


「アンタの望みは叶えてやるって決めてるんですよ」


「爽やかな笑顔でもう一回。」

「放り投げますよ。」


 感謝なんてちっとも湧き上がらない、不本意極まりないって顔で言われたって、これがまあ、悔しい事に嬉しくってしょうがないので単純である。


 全部失って骨だけの情けない自分の手に落ちてきてくれた最初の宝物。

 そんなトレーヴェンの滅多に見れないデレが見れたのだから、わくわくしちゃうのはしょうがない。

  

 ローゼリアはかつん!とピンヒールを鳴らした。



「ウェイズスさんちに行くわよ!!!」


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