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第五話 水無月、誰ソ彼

 ひまりの一連の騒動は、驚くほど誰の話題にも上らなかった。そもそも、よく考えたら涙花病の患者がこの施設にいること自体知らなかったなんて、妙な話だ。何せ胡蝶症候群は世界規模で共同研究されている、いわば地球全体で行われる巨大研究である。もし涙花病の患者がここにいるなら、もっと海外からの研究チームも来るはずでーー

 「朝日奈、悠里くん?」

 急に背後から声をかけられ、僕の身体は硬直する。

 その声は水たまりに落ちた朝露のように、透明で、静寂に波紋を広げるような鋭さを隠しているようにも感じた。

  「ちょっと付いてきてもらえるかな」

 そこでようやく異変に気づいた。

 彼女は、僕を名前で呼んでいる。僕の名前を知っている。

 僕らは普通、ナンバーで管理されナンバーによって呼ばれる。よって普通の職員であれば、僕たちの名前を知る者はいない。つまり彼女は、僕について何か探りを入れている。僕はゆっくりと振り返ると、彼女を観察した。齢は二十代後半から三十代前半。黒く艶のある髪を一つに束ねており、ここの職員の制服である白衣も相まって「デキるリケジョ」という感じだ。僕の睨むような視線に気が付いたのか、彼女は口を吊り上げて笑った。

 「やだなあ、警戒されてる? 怪しいモンじゃないんだけど……今日はね、君に話があって来たんだ」

 そう言うと彼女は僕に一歩近づき、腕で僕の顔を思いっきり引き寄せ囁いた。

 「知りたくない? ひまりについて」


 彼女が僕を連れて行ったのは、第一資料室のあるはずれの棟の一室だった。

 「ここは私専用の研究室もとい資料置き場。部屋っていうよりは倉庫に近いけど、ここなら誰にも邪魔されない。誰かさんが邪魔した第一資料室とは違ってね」

 すごいでしょ? こんな部屋持ってるの。私、結構偉いんだからね、と一人で喋り続ける女性を、僕はじっと見つめていた。この人はひまりについて何を知っているのだろう。さっきといい今といい、挑発するような態度は正直好ましいとは言えない。もしかしたら、ひまりは何か弱みを握られていて脅されている可能性も……

 「改めて初めまして、朝日奈悠里くん。私は水城奈々(みずきなな)。ここの研究員であり、緑葉研究所の初期メンバーでもあるよ」

色々と思考を駆け巡らせていると、彼女……水城奈々はさっきまでのお調子者のような口調から一転して、矢を射るような凛とした声を放った。

 「まず君は、何が知りたい? ひまりのことをどこまで知っているの?」

 「……涙花病であることは。あとは父子家庭で、やたらこの施設に詳しくて……それと、No.001のナンバープレートを持っていて、それをやけに隠したがっていることぐらいしか……?」

 恐る恐るそこまで話すと、それまで飄々としていた彼女の顔つきがガラリと変わり、鬼気迫る勢いで肩を掴んできた。

 「最後の話……一体どこでっ……!」

 「い、以前ひまりがプレートを外しているときに、たまたま見えてっ……」

 あまりの剣幕に気圧されながら、必死に答える。そこで我に帰ったのか、彼女は僕の方からそっと手を離し、椅子に座り直した。

 「すまない……少し取り乱してしまった。しかし他人のプレートを勝手に覗くとは、君も中々やるねえ」

 「違っ……! わざとじゃないんです、おいてあったのが落ちてしまって、それで……」

 「ああすまない、責めているわけじゃないんだ。まあなんにせよ、知ってしまったものはしょうがない。ところで君、その話誰かにした?」

 「いえ、誰にも……」

 「ならいい。この話はもちろん、ひまりに関すること全て、ここの人間には離しちゃ駄目だ」

 「は、はい……」

 「ありがとう」

ほっとする彼女に、一番の疑問を投げかけた。

 「あの……貴女は一体、ひまりの何なんですか?」

 「私? 私はねえ……ひまりの姉代わりで、母親のようなものかな」

 そう言うと、彼女はふわりと笑った。それは先程までのひょうきんな態度とも、上っ面の笑顔とも違う、ただひたすらに優しさに満ちた笑顔だった。

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