第一話 資料室の窓際
その日、調べ物をしようとした僕はいつものように図書室へ向かった。探しても見つからないので仲の良い司書さんに聞くと、
「あー……ごめんね、その本はここにはないかな。……もしかしたら、資料室にならあるかも」と返ってきた。
とりあえず資料室へ行こうと思い場所を尋ねると、司書さんは勉強熱心でえらいねと言いながら簡単な地図と3つの飴をくれた。お礼を言って、僕は図書室を後にした。
「……あの子に会うかな」
ぽつりと呟かれた司書さんの言葉は、去りゆく僕の背中には届かなかった。
司書さんのわかりやすい地図のおかげで、資料室はすぐに見つかった。
しかし、教えられなければ絶対に見つけられない、普段僕たちが使わない棟の隠されているような位置にそれはあった。本来なら最も僕たちが目にする必要のある施設なのに、どうしてこんな場所に置いてあるのだろう?
不思議に思いながら、僕は目の前の扉をガチャリと開いた。
「……誰?」
「……誰?」
声の主を確認しようとした瞬間、強い風と大量の紙に視界が遮られる。ようやく風がおさまり顔を上げると、窓枠に腰かけた自分と同じ位の歳の少女が、訝しげにこちらをじっと見ていた。
「ごめん、人がいると思ってなかった。僕は朝比奈悠里。君は?」
「……ひまり。ユーリのせいで資料飛んだんだから、拾うの手伝って」
ぶっきらぼうな返事の割に名前で呼ぶのは、彼女なりの親愛表現なのだろうか。……もしくは、苗字がよほど気に入らないのか。とりあえず僕は彼女にならって足元の資料を集めた。
「……で、ユーリは何しにここへきたの」
資料が拾い終わると先程の続きに目を通しながらひまりが訪ねてきた
「調べ物しようと思って図書室へ行ったら、司書さんに探している本はここにあるかもって教えてもらったんだ」
僕がそう言うと、ひまりは少し戸惑った顔をし、その後自分の中で納得したのか渋い顔をした。
「……それ多分第一資料室だと思う。案内してあげるから、ついてきて」
そう言うとひまりはストンと窓枠から降り、一人早足で歩いていってしまった。数メートル先で彼女に追いつき、抱いた疑問を投げかけた。
「待ってよひまり。さっきの場所が資料室じゃないの? 扉にもそう書いてあったし」
「……あそこは今ほとんど使われていない第二資料室。本館に第一ができてから私たちに使われる事はほとんど……というかまずない」
私たち、という事は、やはり彼女も患者側なのだろう。
ここは緑葉研究所に設置された患者施設。
創設者の神無木真は日本での胡蝶症候群の第一人者で、この施設では胡蝶症候群患者が研究に協力する代わりに衣・食・住と身の安全が保障される。
10年ほど前から胡蝶症候群患者がその花と融合した姿の美しさから闇オークションで売買され、鑑賞物にされる事件が世界各国で多発した。そこで神無木は患者を守るためにこの施設をいち早く作り、患者を守ると同時に研究対象を増加させることで数々の論文を発表し、今や世界の胡蝶症候群研究の代表と言われるまでになった。
そしてこの患者施設は患者が暮らす本館等研究者やスタッフの使う別館があり、本館は成人棟と未成年棟に分かれている。未成年棟で暮らすのは高校生以下の患者であり、そこでは年齢区分は大まかながら教育も受けられることもこの施設が評判高い一因だ。
そして、先ほど僕たちがいたのは別館二階。どうりで妙だと思ったのだ。
「じゃあどうして司書さんは僕を第二に案内したんだろう? そもそも本館が後にできたなら、本館が『第二資料室』になるんじゃないの?」
ひまりは畳み掛けるように質問した僕をなだめるように、深く息を吐いてからゆっくりと口を開いた。
「単純に間違えたって可能性もあるけど……わざわざ地図まで書いたって事は、おそらく私に会わせたかったんだと思う、あの人おせっかいだし。新しい方を第一にしたのは、第二資料室を探させないため。そもそも第一第二は職員側の認識で、患者には第二の存在は知らされていない。あそこは職員向けの資料ばかりだからね。だから向こうにも第一とは書かずにただ『資料室』と書かれている。そして万が一職員の話を聞かれたとき、第二だと『じゃあ第一はどこ?』ってなるでしょう。それを防ぐためよ」
そこまで話すとひまりは立ち止まり、「ここだから。じゃあ」と言って引き返す。
「待って!」
慌てて声をかけると彼女は振り向いて怪訝そうな顔をしたが、構わず僕は続けた。
「ひまりはなんでそんなにこの施設に詳しいの? さっきの情報だって、職員じゃなきゃ知り得ないよね……?」
その瞬間、彼女の顔が大きく歪んだ。それは怒っているかのようにも見えたし、怯えているかのようにも見えた。
「……私はこの施設が長いから、本館の第一ができる前から資料室に通っていただけよ。あそこは人もめったに来ないし、ずっと気にいっているから。さっきの話も仲の良い職員から聞いただけで……」
「じゃぁ資料は? ひまり、あそこの資料読んでたよね。職員用の資料を読んでいる患者がいるなら、なんで誰も何も言わないの?」
「……別に患者が絶対見てはいけないものじゃない。あそこは胡蝶症候群にまつわる資料を保管しているの。小さい子には辛い現実を見せることになるし、それぞれの病気に関してはある程度ここの「療育」で習うでしょう。だから見せる必要もないってだけ」
そこまで話すと、ひまりは逃げるようにその場を立ち去った。
「ひまり!」
再び呼び止めると、今度は振り向かず「……何」と苛立たしげな声を出した。
「怪しむようなこと言ってごめん。わざわざ案内してくれてありがとう。よかったらこれ……!」
僕は飴をひまりへ向かって投げる。気配に気づいたのか、ひまりは振り返り空中でキャッチした。
「……ありがと。じゃあね」
その言葉は顔を見て聞くことができなかったが、その声にもう苛立ちの色はなかった。