第九話 花は気高く、私は貴方へ
前回は中途半端なところで終わってしまってすみません!
今回は前回の話の最後に盛り込もうとしていた部分が長くなってしまったため、分裂した後半部分になります。
久々にひまりと悠里の空間をお楽しみください!
次の日、僕は一人で資料室を訪れた。心なしかいつもよりも重く感じる扉を開けると、こちらをチラリと覗いたひまりが晴天のもとに雨が降り出した瞬間と同じような不快感を顔に浮かべていた。
「……昨日はごめん」
「……うん」
そっけない返事に恐る恐るひまりの顔を窺うと、眼こそこちらへは向いているものの、その焦点は僕に定まっていなかった。どうやら、後ろにルナが来ていないかを見ているらしい。
「今日は流石にルナは連れてきていないよ。今日は二人で話がしたくて来たんだ」
「……そう」
そう言うと、ひまりの表情の強張りが少し解けた。見た様子から僕に対する嫌悪感はそれほどなさそうだったので、さっそく本題を切り出した。
「あのさ、昨日のことなんだけど」
そう話し始めると、ひまりの眉が怪訝そうにぴくりと動く。「もう思い出したくない」と言うオーラを全身から放っているようにも見えたが、どうしても知りたいという気持ちが拭えなかった。
「昨日、ルナのアクリルキューブを見て明らかに機嫌が悪くなったよね。もちろん、ひまりがルナとあんまり話そうとはしないし、進んで交流したいと思ってるとは思わなかった。だから断ろうとも思ったんだけど、毎回ひまりの好きそうなお土産を持ってくるから無下にもできなくて。それに、ひまりは拒否することもなかったから、仲良くしたいのかしたくないのかがわからなかった。僕がその前にもっとつよく拒否していればあんなことにはならなかったのに、不快な思いをさせてごめん」
そう言って深く頭を下げると、ひまりは気まずそうな顔でそっぽを向き「ユーリのせいじゃないよ」と僕に届くか届かないかくらいの声で呟いた。
「そしてもしひまりが良ければ、理由を聞かせて欲しい。あの時不快な思いをさせてしまったことは心から申し訳なく思ってる。でも、あれは確かに綺麗だったし、ひまりの持ち物を見ても好きそうなものだと思った」
ひまりは以前、僕がうちから送られてきたネモフィラ畑の写真を見せたときえらく気に入っていた。「花の一瞬を切り取るなんて素敵ね」と、写真の中の花と同じくらいの柔らかな咲みを浮かべていた。だからこそ、今回の件には大きな疑問が残っていた。
「ひまりはなぜ、あのアクリルキューブがそんなに嫌いなの?」
「そうね……あまりに綺麗だったから、かな」
鉛のように重苦しい数秒が経った後、ひまりはゆっくりと口を開いた。
「私は確かに、綺麗なものが好き。キラキラした可愛い茶器も、透き通る深紅の紅茶も、細かい細工の凝らされたお菓子も、一瞬の美しさを永遠に残せる写真も。でもね、あれは許せなかった。例えば写真は、刻を切り取るものでしょう? 例え無くなって二度と見られなくなってしまったものでも、写真にさえ残しておけばその美しさは人の中に残ることができる。いなくなっても尚そのときの美しさを誰かが覚えてくれているなんて、そんな素晴らしいことはないわ。でも、あれは違う。あれは、自然に生きる花たちの一番輝かしい刻を摘み取り、閉じ込め、見せ物にした。私はそれが許せない」
ひまりの声は昨日の凍りつきそうな冷たい声とはうって変わり、怒気によって熱を帯びてていた。
「この世にある自然はね、花も、人間も、いつか散るからこそ美しいの。自分の力で芽を出し、成長し、美しい花を咲かせ、そして枯れ朽ちていく。その懸命さと儚さがあるからこそ花は美しいの。それを人間なんかのエゴで強引に朽ちることを禁じ、あまつさえその美しさを人間のために使うなんて、あってはならないことなのよ」
そこでふと、昔どこかで聞いたことのある噂話を思い出した。
涙花病の患者は、感情に反応して様々な花を散らす。その姿は悍ましいと嫌厭されることが多かったが、一部の歪んだ資産家の中には熱烈なファンがいたということを。彼らは涙花病の、とりわけ若い少女の患者を闇オークションで取引したのちに、専用の薬品に漬けて、瓶の中で少女らを飼い殺しにする。少女らは薬品によって肉体の自由を奪われ、脳以外の全ての機能が停止する。よって食事や排泄をせずとも身体が朽ちない、一種のホルマリン漬けのような状態となる。しかし脳が生きているため彼女たちは辛さや苦しみを花弁の涙として流し続ける。そして資産家その様子をまるでハーバリウムを眺めるかのように鑑賞し、楽しむのだと。
世の中でポピュラーな胡蝶症候群は花吐き病であり、花吐き病は「口から吐く」という見目の悪さからそのような犠牲は出ていないらしく、この噂は都市伝説のようにまことしやかに囁かれているだけだった。しかし、花がなくても顔立ちの整っていて儚さのあるひまりは、もしかしたら実際に……
「ぐっ……」
そこまで考え、ふと猛烈な吐き気に襲われる。目に涙を浮かべ咄嗟に耐えた。口の中に溢れた唾液が気持ち悪かった。
ひまりがそんな目で見られていた。その事実を想像するだけで、おぞましさに身の毛がよだつ。そしてもし、ひまりが実際にそんな目で見られるようなことがあったとしたら。いや、仮に無くともそのような話を耳にしていれば、今回あのアクリルキューブにあそこまで拒否反応を示したのにも納得がいく。
「ごめん、ひまりの気持ちが全然考えられていなかった。安易な気持ちで綺麗なんて言って、本当にごめん」
「いいよ。さっきも言ったけど、別にユーリが悪い訳じゃないから」
先程の様子から僕が何かを察したことを悟った様子だったが、ひまりはあえて何も触れて来なかったので、僕もそれに倣った。
「ねえ、ユーリは前私が発作を起こしたとき、その姿を見たでしょう? あのとき……私、どうだった?」
「どうって……?」
「あのとき、その現場自体は見てないだろうけど、その直後の様子は見たでしょう。世間一般で言われているように、人じゃないみたいだと……気持ち悪いって、悍ましいって思った?」
「そんなわけない。気持ち悪いなんてとんでもない! 確かに神々しくて人間離れしているように見えたけど、悍ましさなんて微塵も感じなくて、それどころかあまりの美しさに息が止まりそうに……」
咄嗟に否定しようとしたあまり、余計なことを言ってしまった。不味い。今「そういう目」で見られることの恐怖を知ったはずなのに。なんて迂闊な発言をしてしまったのだろう。
しかし、青ざめる僕をよそに、ひまりはほっとしたように口元を緩ませた。
「良かった……」
「え? いや、今僕はひまりにとても失礼なことを……」
「そんなことないよ」
ひまりは椅子から立ち、今にも顔がぶつかりそうなくらいまで近づいてきた。
「知らない人にそういう目で見られるのは気持ち悪い。だから気を遣ってくれてありがとう。でもね……ユーリにだけは、気持ち悪いって思われたくなかったの。だからその言葉が聞けて嬉しかったよ」
そう言うと、ひまりは外から射す光よりも眩い笑顔を向け、去っていった。途端に自分の鼓動の音が大きくなり、その笑顔の意味を考えられる余裕は今の僕にはなかった。
読んでくださりありがとうございました。いやルナがいないと話がすらすら書ける、書ける。
次回はちょっと波乱の展開の予定です。次の更新までお楽しみに!