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第7話

ようやく修正終わって上げること出来ました^^;


どちらかというと今回のお話は第8話への『繋ぎ話』な感じです


簡単完結に書きますと内容は期待するなですw


 天正元年【1573年】9月



「我々、浅井家は織田殿に降伏するのではなく、粟津(あわず那谷右衛門なたえもん)殿に浅井家一同は降伏する。」


 ……え?どういうこと!?と思っていたら、どうやら『まだ見ぬ美味い物を探求したいという欲求』と『信長様より先に美味い物を食してやる』と言う考えが一同に生まれ、それを探すのに手っ取り早い道が、織田家への降伏ではなく、俺へ降伏することで「この人の下になら付いても良いですよ」と暗に示したようだ。たしか竹中半兵衛殿がそれだったか……?信長様に使えるのではなく秀吉に仕えるって……

 まあ、信長様がその降伏条件受け容れるかだよな~……

 長政殿の父、久政殿と赤海雨の三人衆は徹底抗戦を唱えたが、4人は縄と猿轡をされ信長の前に引き出されたと言う。


 一応、無駄な争い無く戦を終わらせた事で、感状を頂いたのだが……


「那谷右衛門。お主……浅井家あやつ等にすら未だ……、儂が食べておらぬ物を食させたそうだな?」

「あぁ~、アレですか。最後の戦の前に『末期・・』を作ってくれと言われたので、お作りしてお出ししただけですが?」


 あ、眉間にシワが寄ってきたぞ。これは同じ物食わせろと要求してくるな。先に要求を潰しておくか。


「流石に材料が尽きているので、同じ物を今作れと言われても、出来ませんけどね」


 あぁ~、食えない悔しさが顔に出てるなぁ~。流石に可哀想なので『シャインマスカット』と『白鳳桃』を出し、どの様な食べ物か説明した後、場を離れることにした。


 取り合えず、裁定は信長様に任せて、岐阜の新邸に戻ることにした。

 裁定としては武士としての身分没収、刀剣や、槍弓なども没収となった。そしてある一言が付いてきた。


「あ奴らは、お主に降ったのだろう?ならお主が世話をせい。今後の給金や住む場所もだ。」


 つまり住む場所や、給金等は全部コチラ持ちで、その代わり命の保証だけは、与えてやるってことか。知行地も無く、褒美に貰ったのは感状のみ、家臣になった者達の家族も含めてだよな?

 ……これ、嫌がらせも含んだ状態で詰んでないか?

 さすがに俺一人じゃあ抱えきれないので、一部の旧浅井家臣は姓名を変え、秀吉殿に頼み【押し付け】家臣となったようだ。

 ちぃ~なぁ~みぃ~にw長政殿はお市様と共に、信長様の預りとなっている。


 邸宅に戻ってからは、『味噌』や『醤油』、『酒』『みりん』『酢』と言った『調味料』の普及と生産に尽力を注いだ。

 近くでは『醗酵蔵』や『醸造蔵』なども出来て、切磋琢磨する職人も増えていった。

 ん?家臣になった浅井家の方々はどうしたって?『末期の膳』にて使われた物が、どうやって作られ使われるのかを、職人からの目線で体験してもらっている処だw

 それと、俺の方に来たのは6名で、俺の身分が武士ではなく、商人であることも話、それでも構わないと言う者だけ、住居に給金、料理の手解きを教えることにした。


天の声【腹一杯の食欲って大事だよね~。給金の中には食事も含まれていると言う罠w】



 秀吉殿に押し付けた方々は、商人の下に付けるかと、嫌がった方々だ。

 まあ、給金の一部として昼食に炒飯や麻婆豆腐に鶏から揚げ、春巻や蟹玉など作って出してあげた。

 大量に作るので、残れば夕餉という名の家族への土産に変わる。

 そのせいも合ってか、少しでも美味い物を食べたい欲求が強まったのか、自分達で料理当番を決め、料理開発にまでするようになり、互いに腕を研いているようだった。


 庭先の一画に『筆柿』と、『富有柿』の若木を植えることにした。筆柿は『干し柿』にするとして富有柿はそのまま食べる方向でいいか。

 そうだ、梨は梨でも『洋梨』を植えて見るのもいいな……って、結構な種類があるな。

 よし一般的な『ラ・フランス』と『ブランデーワイン』って名前のも植えてみよう。栽培が成功して美味ければ、広めて普及させていってみよう。

 『生活物資召喚』から『甜麺醤てんめんじゃん』『四川豆板醤しせんとうばんじゃん』『辣油らーゆ』『麻辣醤まーらーじゃん』の作り方の書かれた書籍を取り寄せ、説明文や材料も書き出し、壺を幾つも用意してレシピ通りに作っていった。

 上手く出来てくれるかは、分からないんだけどね。


 其々(それぞれ)が自宅に帰った後、妻の綾との逢瀬を楽しもうと思いたかったのだが……、子が出来たのが判明w思わず小躍りしそうになった。


 翌朝、冷飯に出汁を少量づつ入れながら炒め、葱と鶏肉を入れ込み、薫り付けに醤油を小量入れ込んだ。炒め上がった物を、鶏卵の薄焼きで閉じ、とろみを漬けた出汁餡を上から掛け『和風オムライス』【葱と鶏肉の出汁飯炒めの薄焼き玉子綴じ・出汁餡掛け】に仕立ててみた。

 ちょっと遅めの朝食だったのだが、家族で食べている所を俺の家臣になった6人に見つかり、試食研鑽分として3人分作らされた。


天の声【6名のうち3名はこのあと名前が出ます】



 同年【1573年】9~10月


 第二次伊勢長島一向一揆戦後半戦にて、付き従う形になった浅井家臣達と輜重しちょう隊として動くことになった。

戦闘食として『三河産八丁味噌』を塗った『焼き味噌おにぎり』と『大根の糠漬け』を竹笹で繰るんだ物を足軽達に渡していった。


 うーん、美味い飯の力ってすごいな……。

 どうも信長様は、俺が補給物資を持って輜重隊に来たことを織田兵全軍に、『那谷宇右衛門が補給物資を持って、輜重隊に合流した。長島を落とせば、那谷宇右衛門の美味い飯が食えるぞ!』と流布したらしく、織田兵の士気が上がり、長島の一揆兵達は士気の上がり様を見て意気を落とす事になった。

 そして、そんなことが流布されているとは知らずに現場に来た俺は、今行われている長島討伐も終盤に差し掛かった辺りで……


「ところで、食料物資がこっちに集められている。俺は今から、『全軍の食事を用意しないといけない』と言うことか?そういうことなのか、正澄まさずみ?」


 と、家臣になった石田正澄いしだまさずみに聞いてみた処……


「総大将である信長様が、そう言ったと言うことは、そうなるのでしょうね……」

「巫山戯んなよ!推定5万人分の飯を今からか!?デス行軍マーチその物じゃないか!!もうじき産まれる、綾との子をこの手に取るまで、倒れることが出来るか~」

「【デス行軍マーチって、どういう意味なんだ?】」


 と、一緒に連れてきていた旧浅井家家臣、大野木秀俊おおのぎひでとし石田正澄いしだまさずみ弓削家澄ゆげいえずみ他3名と共に、奮起するのだった。




 同年11月 畿内平定の戦い『河内若江城・三好義継攻略』戦が行われた。あ、俺は行かなかったぞ。

 妻の綾に子が出来ていたからな。どう考えても、初夜で必中したみたいだ

 子が出来たのに、血生臭い戦場に行ってられるか!


「俺は商人であって武士じゃない。戦手柄なんぞどうでも良いわ!」


 それに冬支度すら出来てないんだからな。

 東美濃方面防備は、固めてあるので翌年2月に起こるはずであった、『美濃明智城救援作戦』は存在しなくなるはずだ。

 なんだけど、一抹の不安が拭えない……。『P90』を『近未来兵器召喚』から呼び出し、改造カスタマイズすることにした。とは言っても、呼び出す際の画面上で出来るんだけどねw

 見た目は普通のP90なのだが、大きさが違うwショットガンの弾丸が打ち出せる形にしたP90:SG』であるw

 ショットガン用の弾丸を、最大弾数10発装填出来るカートリッジにして、銃口も大きくなった物になっている。空薬莢は真下にではなく、右下側に出るように改造カスタマイズもしておいた。

 まあ近距離散弾で撃つから、暴発だけに気を付ければ良いだろう。

 一応だけど、最大弾数は減る形だが連射も一応出来はするぞ。

 使わない事が一番なんだけどね。



 天正2年【1574年】1月


 信長様に新年の挨拶をしに岐阜城に途上、その際に東美濃の岩村城の様子を見に行く許可を貰うことにした。だって一抹の不安がどうしても拭えなくってさ、念には念をと入れとかないと、流石に怖いからね~。

 許可取れなくても、現状どの様になっているか見に行くけどね。

 護身用の『P90:SG』は近接用なので遠距離攻撃用に『H&K・PSGー1』もいつでも取り出せるように、空間収納に入れておいた。


 そうそう、言い忘れていたけど、この世界での織田軍の使っているのは『M1ガーランド改』が正式採用銃になっている。

 現在約300丁程が、正規採用になっている。

 弾薬は『30ー06スプリングフィールド』の発展系である『7.62mmX51POTO弾』を使えるようにしてある。

 中の炸薬等を抜いた弾丸ものを、この為に創られた『弾丸造たまづくり衆』に渡し、量産化も進めている。


 思ったよりも早く、岩村行きの許可が貰えて吃驚したが、どうやら俺にコッソリ、何かされるよりはと思ったようだ。

 それに、『こんな時期に、岩村城に?』と思ったらしく先遣隊として兵二千を連れていく形になってしまう。

 先遣隊と岩村に向かう際、台所衆に『ささみとかぶの梅肉合え』と『鶏手羽の甘辛合え』を作り、信長様が無理難題言ってきたら、これを出すように調理法も込みで言い含めた。


 岩村に向かう数日前には、家族と家臣を集め、『御節おせち』に『雑煮ぞうに』に『七草粥ななくさがゆ』、出汁と酒と炒り鶏を混ぜた『玉子ふわふわ』を用意し新年を祝った。祝い酒として『御屠蘇おとそ』【薬草入りの酒】も出し、今年一年の安全を皆で祝った。


 1月末日、街道の整備と雪掻きをしながら、岩村城に着いたのだが、一抹の不安は杞憂だったようだ……、岩村城下の者達には歓迎されたが、念のため数週間留まる事にした。


 同年4月、三河遠江の徳川様からの使いが、岐阜に『武田に遠江への動き在り』との報せが走り、援軍要請を求めてきた。こっちの部隊は手伝う気はないけどね。


「ところで正澄まさずみ家澄いえずみ、新しい菓子作ってみたんだが、食べてみるか?」


 と、出し物は甘く煮た小豆に寒天を加え、型に流し四角く切り分けた物に溶かした小麦粉をつけて焼いた物『金鍔きんつば』と、僅かな塩味を効かせた『塩羊羹しおようかん』を出してみた。

 以外と好評だったw


 それ以外では串に蒸して潰した米を巻き付け、味噌を付け焼いた『味噌焼き』を、小麦粉を水で練り延ばし幅広く切り、味噌で味付けした鍋に、大蒜や葱、韮や牛蒡なども入れ煮込み、岩村城下の者達にも振る舞った。


 あとは保存食として『大根の味噌漬け』や、豆味噌を練り込み一度焼いた後に団子状に乾燥させた『味噌焼き飯玉』を現物と共に調理書を添え、岐阜に送った。


 同年6月、遠江の高天神城の戦いが起こり、後詰としての援軍は間に合ったのだが、天竜川東岸は武田勝頼の手によって取られた、が……援軍が間に合ったことで、武田軍にも手痛い痛手を与えることが出来た。

 本来は後詰が間に合わず負け戦だったのだが、間に合ったことで引き分けに持ち込むことが出来た。引き分けには持ち込んだが、全体を見れば負け戦だろうな。


 妻の綾が子を産んだ。女の子だw綾は男の子を産みたかったようだが、「産まれてくる子は、皆宝だ。男だの女だの関係はない。双方無事なら其で良い。」と言って、心のしこりを取り除いてやった。

 出来ていると良いな。


 そして時間ときは少し逆戻り4月、春を迎え信長様は石山本願寺へと本格侵攻を決定した。これが10年続く戦となる序章の一端を見るのだった。




次の第8話では舞台が、『岐阜』から『安土』に移ります

あと特出して言うことは……ちょっとヤラカシマス

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