強さと迷い
菊さんに振る舞われた夕食を取った後、私と美奈ちゃんでお風呂に入っていた。
「ねぇ姉貴〜見てくれよこの湯船の広さ〜、バタ足できちゃうくらい広いっすよ〜っ。」
もう、美奈ちゃんてば、人の家のお風呂だっていうのに。でも元気があるのは良いことかな。
「にしても姉貴があんなに強い剣士だとは知らなかったっすよ。稽古場がどこにあるのかも知らなかったし、大会だって一度も呼んでくれなかったじゃないすか。」
「剣術に大会はないよぉ。そもそも護身とか精神的な構えを学ぶものだから見世物でもないし。」
元の世界の剣術の先生にも言われたことだが、私には剣の才能があったらしい。
門下生は私を含めてそれほどいなかったけど、入門してすぐにほぼ負けなしになった。
…でも、褒められたことは一度もない。先生は、私の剣は自信が宿っていないと言っていた。
剣術に限らず、武の道は精神状態に動きと技が大きく左右される。
私に相手を斬る覚悟がないわけではない。私自身が自分に強い誇りがないと言いたかったのだろう。
私が久来たちに剣術のことを一切話さなかったのもそう。私が自分に自信を持っているなら何も隠すことなんてないのだから。
「それでも、あなたの剣はあなたの強さよ。今の迷いが晴れれば、あなたはずっと強くなれる。」
「わっ!?」
声がしたと思ったら、神無ちゃんが私と背中合わせになって湯船に浸かっていた。
「神無ちゃん、いつの間に入ってきてたの?気配が全くなかったんだけど…。」
「クセみたいなもの。小さい頃から、ババに足音と気配を消して歩きなさいと言われてきたから。」
そう言えば神無ちゃんの家は忍者って言ってたっけ…神無ちゃん自身は忍者じゃないみたいだけど。
「なぁ、神無って何で忍者にならないんだ? 神無のばあちゃんがすげぇ忍者なんだから、忍者になろうって思わなかったのか?」
美奈ちゃんが神無ちゃんに質問を投げかける。…私はもしかしたら答えにくい理由があるかもと敢えて聞かなかったけど、美奈ちゃんはそこら辺の機微を感じ取るのは苦手だ。
「小さい頃はそう思っていたわ。ババのことは尊敬してるし、私も忍に憧れてた。」
「だったら…」
「でも、私の両親は尊敬できる人ではないの。黒金家の忍は親から子へ伝承される。跨いでババから継承することは掟が許さない。私はあの人たちから継承なんてしたくないわ。」
両親を尊敬できない…か…。初めて今日まともに話した相手なのに、ずっとシンパシーを感じるよ…そっか…だから神無ちゃんのあの剣は…。
「神無の親って、悪い人なのか…?」
「別に犯罪を犯したとかではないわ。私を産んで物心付く前に、両方がどこかに違う男と女を作って失踪したわ。」
美奈ちゃんはそれを聞いて口を紡ぐ。
神無ちゃんの場合は、それが物心付く前でまだ幸運だったところか。思考が成熟した後にそんなことをされたら、両親に憎悪すら抱くかもしれない。
「神無ちゃんは、憎んでいるの?」
「いえ、何とも思っていないわ。私は小さい頃からババが親代わりだった。でも、私は反発して剣の道に入って、今だに忍の道にも未練が残ってるのかもしれない。そんなことだから私は…あの時初めて負けた…。」
神無ちゃんが負けたというのは、きっと源氏迷という子のことだろう。
「神無ちゃんって、キャドースピリッツで優勝したことがあるんだよね? 何をお願いしたの?」
「あっ、それアタシも気になってたんだよなぁ。」
神無ちゃんは何を願い、何のために戦うのか。
「最初は、優勝してこの世界の神、イリスに会ったわ。私はいつか自分の不安定な自信のせいで、強さが揺らいで負けることを恐れていた。だから、イリスに私を最強にしてくれって言った。そうしたらイリスが私を強くするより、私の弱さ、迷いを自ら納得して乗り越える方がいいんじゃないかと言ってきた。だから私はそうしてくれといったら、イリスは次のキャドースピリッツでその答えを用意するから参加しろといったわ。」
神無ちゃんはいつのまにか体を洗っていた。相変わらず気配が全くない…。
「そして私は、源氏迷に会って初めて負けた。イリスは私とあの女が戦うことが、私の中に答えを出すことに必要だと言っているの。だから、私は源氏迷を必ず倒す。私と、私の強さを証明するために。」
神無ちゃんがあの人と戦うことで、神無ちゃんの強さについて答えが出ると神が言った…。
だったら…源氏迷という人が何か鍵を握っているのだろう。
「源氏迷は確かに強かった。でも、彼女と戦っている時、他の誰とも違う感じがするの。…なんだか、悲しくなってくる様な。」
神無ちゃんはいつのまにか湯船に戻っていた。
「でも意外だな〜神無って一見無口そうなのに、案外ペラペラ自分のこと喋るんだな。」
美奈ちゃんが湯船を泳ぎながら言った。
「あなたと戦って、話したくなったの。あなたは私と違っても、自分の剣に迷いを抱えている。同族嫌悪ならぬ同族贔屓かしら。」
神無ちゃんはそう言って風呂場から出ていった。話したいことは全部話したということだろうか。クールなところは最初の印象と変わらなかった。
「強くなるために…か…。」
要は自身の人間としての成長のためである。私たちの様な成人もしていない人間なら誰しもが求める物。私もいつまでもウジウジしていられないかな。
…綾たちが風呂から出て、俺たちは寝床についた。美奈が枕投げしたいと騒いだが、乗り気ではなかったので強引に打ち切って寝ることにした。
雨の音が絶え間なく聞こえる。電気を消してからどれくらい経っただろうか。
俺は何となく眠れずに、みんなを起こさない様に寝室から出た。
…ちょっと散歩でもするかな。
玄関は鍵はかかっていない。こんな小さい島だ。泥棒なんていないのだろう。
俺は傘を借りて、近くを少し歩く。…本当に雨が止まない島だ。俺は歩いて歩道に出た。
コンビニなんて気の利いたものはないらしい。
俺は道なりに歩いて、外灯の灯りを頼りに歩いていた。
しばらく登り坂を登ると、石碑がある広場に出た。誰かの墓…ではなさそうだ。
人の名は刻まれていない。石碑には苔が生えて、長い間手入れがされていないみたいだ。
何か書いてある…悲…の碑? よく読めない。
グスッ…ウ…ウゥ…
「ん? 今、…」
誰かの鳴き声が聞こえた様な…気のせいか?
とにかく、あまり出歩いているわけにもいかないか…明日は黒金さんがぶっ壊した床の修理をしなくちゃだし。
俺は元来た道を引き返して、屋敷へと戻っていった。
…グスッ……して……なさ……ご……なさい…
雨が止まない島に、2つの銀の輝きが、夜でも目立って輝いていた。