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淡く儚い思いを添えて

作者: 大木戸 いずみ

 天使と悪魔が結ばれることはない。規則というよりも常識だ。

 だが、惚れてしまったのだ。この気持ちはどうやっても消すことは出来ない。

 あの柔らかそうな神々しい純白の大きな翼は俺の心を魅了した。色気のある透き通った空色の瞳が俺を見据えた瞬間、恋に落ちた。向こうも同じ思いだという事が何故かすぐに分かった。まるで俺たちは磁石みたいに引き寄せられた。それから毎日のように俺達は会って、話して、互いの愛を確かめあった。

 

 ある日、彼女は遠いどこかを見つめながら小さく呟いた。 

「いつか駆け落ちしようね」

 本気でそう思っていても実行出来ない事は分かっていた。それでも願ってしまう。

「その時は俺がお前を迎えに行こう」

 彼女をそっと優しく抱きしめながら俺はそう言った。ふわりと彼女の匂いが漂う。心を癒し、安心感を与えてくれる匂いだ。どんどん愛が溢れてくる。だが、彼女は俺の愛を全部掴むことはない。それがお互いにとって一番幸せだからだ。天使と悪魔が恋しているなんて誰かに知られたら二人とも殺されてしまう。

「じゃあ、待ってるね」

 彼女は今にも消えそうな声でそう言って軽く笑った。


「私のどこが好き?」

 彼女は心を見透かすような瞳で俺をじっと見る。彼女がこの瞳を向ける時は真剣な答えを聞きたい時だ。

「全てだ。言葉に表せないくらいお前は美しい。心も容姿も。俺にない美しさを持っている」

 俺の言葉に彼女は頬を少し赤く染める。その瞬間、俺の心が燃えるように熱くなるのが分かった。彼女をたまらなく愛おしいと思った。

「お前は俺のどこが好きなんだ?」

「貴方の言った言葉をそのままそっくり返すわ」

 彼女が微笑みながらそう言った瞬間、彼女の柔らかい唇が俺の額に触れた。

「たまに思うの、貴方は本当は存在していなくて、触れると消えてしまう私の幻想なのかなって」 

 彼女はどこか寂しそうな表情を浮かべながらそう言った。俺は彼女の腕を強引に掴み引き寄せて、彼女の手を俺の胸に置いた。俺の心臓の音がいつもより大きく、鼓動が速い。

「俺は本物だ」

 俺は彼女の目を見つめながらそう言った。彼女は目を見開いて固まった。次第に彼女の瞳が潤い始めた。俺はそっと彼女の唇に優しく口づけをした。そして、そのまま俺達はお互いの存在を確かめ合うように何度も口づけを交わし続けた。


「私達しかいないような遠い所まで行くの」

 彼女は空色の双眸を太陽の光に反射させて輝かせながらそう言った。

 彼女の笑顔は生命力に溢れていて、深く沈んだ闇の底からでさえ抜け出せてしまうような力がある。言わば、彼女自身が光だ。

「ああ、遠くへ行こう」

 俺は深く頷いた。世界で俺達二人だけしかいないような静かな所へ行こう。 

「……掴めそうで掴めないような夢ね」

 彼女は声を少し低くしてそう言った。ああ、本当にその通りだ。掴めそうで掴めない、それでも望んでしまう。君の隣で幸せに過ごす未来を……。それは罪なのだろうか。


 素晴らしい景色は心を揺さぶる。この景色を一人で独占したいのか、それとも大切な誰かと見たいのか。

 俺は後者だ。大切な人と共有したい。それも本当に大切な人、ただ一人と。

「綺麗ね」

 彼女は夕日に照らされて、顔を茜色に染めながらうっとりしている様子でそう言った。

 壮大な雲の上に落ち着いた様子で輝き存在を主張する太陽……。誰かと見るからこそこの夕日に価値がある。

「私が雲で貴方が太陽かしら?」

「俺が雲でお前が太陽だろ」

「そう? 大きな態度の貴方を私が支えるって形じゃないの?」

 彼女はそう言って意地悪そうに口の端を上げた。俺は彼女の頭を片手で軽く掴んだ。

「大きな態度は余計だ」

 彼女は俺の手の中で嬉しそうに笑った。何が面白くて何が楽しいのか分からないが、それでも彼女の笑顔に俺もつられて笑顔になる。この温かい何かに包まれたような時間が好きだ。永遠にこの時間が続けばいいのにと思う。


「甘く優しく愛して」

 彼女は俺の目を真っすぐ射貫くように見ながらそう言った。

「こんな台詞を一度言ってみたかったのよ」

 俺が少し困惑した様子を読み取ったのか彼女は小さく微笑みながらそう言った。彼女はどこか真剣でどこか俺をからかっているように見えた。甘く優しく……愛する。俺は悪魔だ、甘く優しくがよく分からない。天使なら出来たのかもしれない。悪魔と天使では愛し方が違う。俺はどうすればいいのだろう。

「大丈夫よ、貴方の愛はちゃんと伝わっているわ。甘くて優しい愛がね」

 彼女は俺の首に手を通しながらそう言った。彼女はじっと俺を見つめる。彼女の瞳には不安が少し映っていた。

「私の愛は伝わっている?」

 かすれた声で彼女はそう言った。俺はそっとそのまま両手で彼女を抱きしめた。

「ああ、伝わっている」

 天使と悪魔は月光に照らされながら強く抱きしめ合った。俺達を引き離す事は誰も出来ない。


「人の心からこぼれてくる幸せを守るのが私で、不幸せを守るのが貴方……」

「本当に正反対だな。俺が天使になれたらいいのに」

 俺の言葉に彼女の瞳孔は鮮やかに散大した。

「私は貴方が悪魔で良かったわ。……不幸せを守るって素敵じゃない?」

「幸せを守っている方が素敵だろ」

「不幸せがあるからこそ、幸せの有難みが分かるのよ」

 彼女は口角を上げながら透き通った艶のある声でそう言った。

 この心の底からこみ上げてくる感情をどう説明すればいいのか分からない。

 強く、熱く、美しく、煌めく、彼女を思うこの感情を言葉では言い表せない。この幸せがいつか消えるという恐怖が時々俺を襲う。だが、どこかでずっとこの幸せが続くのだと俺は思っていた。

 

「おい、お前、天使と会っているだろう?」

 突然の言葉に俺は固まった。背筋が一瞬で凍り付いた。上手く表情を作ろうとするが、理性より感情が勝ってしまう。脈拍数が自然と上がる。

「何のことだ?」

 俺は少し声を震わせながら聞いた。明らかに動揺しているのが相手に伝わっているだろう。

「……もう関わらない方がいい」

 予想外の言葉に俺は驚いた。どうやら俺の事を心配してくれているみたいだ。

 ……という事は彼女に何かあったのか? 俺はその瞬間、嫌な感情が一気に押し寄せてきた。

 どうして俺が天使と会っていた事を知っているのだ?

「どこからそんな事を聞いたんだ?」

 俺が少し声を荒くしてそう言うと、黙り込んだ。俺はその瞬間、羽毛のない角が尖った漆黒の翼を広げて飛んだ。今すぐ彼女を探しにいかなければならない。どうか無事でいてくれ。

「お前も死ぬぞ!」

 焦ったような叫び声が聞こえた。彼女を救えるのなら俺は死ぬことなど怖くない。俺が一番恐れているのは、彼女のいない未来だ。


 天使の世界に入るのは掟で禁じられている。だが、入らない限り、きっと彼女には会えない。

「悪魔だ! 悪魔が侵入したぞ!」

 誰かの声が俺の耳に響く。それでも俺は構わず、彼女を探す。鋭い視線をあらゆる方向から向けられる。

 それでも俺は彼女を見つけなければならない。芽生えた愛を今まで二人で育て続けてきたのだ。こんなところで終わらすわけにはいかない。


「何だあれは……」

 俺は自分の目を疑った。足枷を付けた弱々しい姿の彼女が誰かに率いられながら力なく歩いている。どうして彼女があんな目に遭っているんだ。俺は急いで彼女の元へ向かった。

 俺が勢いよく地面に着地すると彼女の周りにいた者達がいきなり俺に刃物を向けた。……天使なのに悪魔は傷つけていいのか。

「……どうし、て」

 彼女は目を丸くして、固まったまま、覇気のない声で呟いた。

「迎えに来たぞ」

 俺は顔を綻ばせながら彼女に向かって声を上げた。彼女の目が潤い始めるのが分かった。

「何を言っているんだ! この悪魔が」

「お前も死刑だ」

 周りの声など少しも怖くはない。俺は彼女を失う事よりも怖い事は何もない。何を言われても動じない。それは彼女も同じみたいだ。堂々とした姿勢で俺を見つめる。目からは大きな雫がとめどなく流れている。

「……待っ、てた、わ」

 彼女は声を震わせながらそう言った。

 彼女に近寄ろうとした瞬間、背中に激痛が走った。きっと誰かに刺されたのだろう。俺はそれでも彼女の元へ向かった。俺のその様子に周りは少し怖気づいていた。

 彼女は重い足枷を引きずりながら俺に近付いてくる。後方から誰かが彼女を刺した。それでも彼女は顔をしかめながら足を進める。視界が涙で霞んで彼女の顔がよく見えない。

 ただ目の前にいるのは分かった。俺はそっと彼女を抱きしめた。彼女も残りの力を振り絞って、力強く俺を抱きしめ返した。二人とも息が荒く、今にも息絶えそうだ。

「……プロポーズ、は、指輪が……必要、よ」

 彼女は儚げな声でそう言ってゆっくり目を閉じた。俺を抱きしめる彼女の腕の力がすっと消えた。

 指輪の代わりに俺のこの思いを君に添えよう。

 俺は彼女をしっかりと抱きしめながら、そっと目を閉じた。

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