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いつも朱色の風。

作者: NIJI.

「覚えときなさいよ。」


彼女は、最後にそう言い残して去って行った。


俺は、その後ろ姿を見えなくなるまで眺めていた。


長い髪を右往左往させ、ハイヒールの底をアスファルトにかつかつ言わせながら


歩くその姿は、顔を見ずとも、彼女の怒りが充分伝わって来た。


不意に悪戯な朱色の風が、落ち葉と共に、彼女のスカートを巻き上げた。


「きゃっ。」彼女は、とっさにスカートを両手で押さえ、


少し赤い顔で振り返り、俺を睨みつけた。


その後、一度も振り返る事無く彼女は行ってしまった。


後に残るのは、子供の頃に体験した、お祭りで逸れた母親と再会できた時の


ような安堵感と、頬に残る彼女の手の感触、


あとは、それと共に少し赤くはれた頬だけだった。


そして街には、普段と変わらぬ風景と、時間が流れていた。


街を歩く人々のざわめき、歩行者信号の音楽、遠くで響く車のクラクション。


そして、木の葉揺さぶる朱色の風。






俺は我に返り、腕時計に目をやった。


15:00を廻っていた。


時間などどうでも良かったが、


とりあえず俺は、車の止めてある駐車場へと向かった。


思えば、この時計は元々彼女の趣味。


オメガのオーソドックスなブラックフェイス。


今年の6月、俺の誕生日に貰ったものだ。


今では俺のお気に入りでもあるが、


やっぱり、捨てた方がいいだろうか。





何か用事がある訳では無かった。


ただ、どこでもいい。車を走らせたかったのだ。


俺は車を走らせながら、彼女の事を考えていた。


彼女は気の強い女だった。おまけに感受性が強く、敏感なのだ。


彼女を嫌いになった訳では無い。


むしろ、彼女と区切りを着けてしまった今、


彼女に逢いたくて仕方が無い。


こんな自分に、無性に腹が立つ。


彼女との別れが本当に正しい選択だったのか、


正直、今の俺には分からない。


ただ一つ言える事は、俺は彼女から逃げたという事。





彼女は、いわゆる地雷女。


彼女の中の地雷が何処にあるのか、俺には分からなかった。


必死で探すと、既に踏んでしまっていた。


彼女が敏感すぎるのか、


俺が鈍感すぎるのか、


鈍感な俺には分からない。


彼女にはいつも、


「ほんと、鈍感ね。」と言われ続けて来た。


彼女の地雷を踏み続けて2年。そう、俺達は2年付合ったのだ。


2年間、踏んでも踏んでも、地雷の在りかはわからぬままだった。


また次の地雷を踏むまでに、数秒ってこともよくあった。


挙げ句の果て、俺が選んだ道は、彼女との別れ。


という始末。







何処をどう帰って来たのか、分からないが、


いつの間にか、車は家の前に止まっている。


気が付くと、涙が頬を伝っていた。










その日から、抜け殻の日々が始まった。


未練がましいとは思ったが、腕時計は捨てない事に決めた。


夜になると、街を宛も無く歩いた。


高らかに響く、酔っ払いの声の中に居ると、


少しは、心が癒される気がした。


何より、部屋に一人で居たくは無かった。


たまに、おやじに絡まれたが、


愛想笑いですり抜ける事が出来た。


しかし、彼女への思いが薄らぐ事は、決して無かった。





そんな日々を、幾日と繰り返し...









あれから、一年が経とうとしていた。


気が遠くなる程、長い時間だった様な気がする。


好きだった彼女の透き通った声を、


あの日以来、一度も聞く事は無かった。


携帯も、メールアドレスも、何一つ変わりはしない。


オメガの腕時計も、今こうして腕にはめている。


しかし、彼女の声を聞く事は、一度も無かったのだ。










そろそろ、また、朱色の風が吹き始めたある日。


風は強かったが、雲一つない空の高さに誘われ、


たまには、電車にでも乗ってみようと、


気晴らしに、家を出た。


駅までは、歩いてほんの2、3分の距離なのだが、


その日の風は、やけに朱色で心奪われた。


本当に、心まで巻き上げられそうになった、





駅に着き、財布を取り出し、切符を買った。


ここに来るまで、行き先は決めてはいなかったのだが、


人の少ない、街の外れまで行く事に決めた。


ホームに出ると、一層強い風が吹き、


風は、俺の手から、電車に乗る為の切符を


するりと奪い取った。


それは、はらりと木の葉の様に舞い上がり、


若い女性の足元に、ぱたり落ちた。


その女性は、膝を揃えて上品にかがみ込み、足元の切符を拾った。


白いリボンのついた、つばの大きなグレーのシルクハットを被っていたので、


顔こそ見えなかったが、とても奇麗な指をしていた。


「どうぞ。」彼女の美しい指がこちらへと向かって来る。


聞き覚えの有る声。


「どうも。」俺は、切符を受け取った。


その瞬間だった。また、あの朱色の風が悪戯した。


彼女の帽子が宙に舞い、


美しく、青空にアーチを描いた。


そして、確かに見覚えの有る


懐かしい顔が、そこに居た。


「あら、偶然ね。」


そこに居たのは紛れも無く、


あの日より、少し痩せた感じの彼女だった。


そう、俺は一年ぶりに彼女に逢ったのだ。


状況を上手く飲み込めきれずに居た俺を見ながら、


もう一度、その綺麗な指を差し出し、


彼女は、言った。


「ご一緒にいかがですか。」


彼女は、風に靡く髪を押えながら、にこやかな顔でそう言った。


「う、うん。」


俺は一瞬戸惑ったが、


断る理由など、何一つ見つけられ無かった。


また、あの朱色の風に見られてしまった。













あれから、季節が一巡りして、


また、朱色の風が吹く季節になった。


俺達は、この季節を選んだ。


俺達の永遠の契りを、あの朱色の風に


見て貰いたかった。


一年前、駅のホームでの彼女との再会。


あれが、本当に偶然だったのか、


俺は聞かない事にした。


でも、俺はやっぱりこう思っているんだ。


彼女が言った、


「覚えておきなさいよ。」は、


こう言う事だったんだって。


今日の日が来る事を、指していたんだって。


いつだったか、美しい女性は狩りをするって


聞いた事があるけど、あの日がそうだったんじゃないかな。





今日も、いつものように空は高く、


朱色の風は、強く吹いている。





そして、祝福の鐘は鳴り響く、これからの俺達の為に。








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