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異世界物

勇者は密室で死んだのか?

作者: コーチャー

「凱旋式だというのに、あなたは壁の花なの?」


 そう言われて顔を上げると胸元が大きく開いた真紅のドレスに身を包んだ女性が立っていた。大きく膨らんだスカートは最近になって王宮で流行りだしたものだ。針金を釣り鐘状に加工したクリノリンの上からドレスを着る。そうすることで腰周りが細く見えるそうだ。


「ええ、僕は勇者の従者ですから」


 僕はそう言って誇らしく胸を張った。僕の仕えるアラン・ウェルトは勇者と呼ばれている。彼は魔王を倒して世界を救った英雄である。目線を広間のほうに向けるとアランが多くの女性や男性に囲まれている。この凱旋式の主役である彼の周囲は人の波が切れることがない。


「そう」


 彼女は僕の答えが気に入らないのか不審な顔をした。だけどすぐに微笑むと僕に「お話をしましょう」と言った。僕はしげしげと彼女の顔を見つめるが知り合いではなさそうだった。気持ちが顔に出ていたのか彼女は「私はリーザ・メケル。勇士に()()()()()()()王宮魔術師よ」と片目を閉じて言った。


「それは失礼しました。僕は従者ヒューズ・ヘックス。ヒューと呼んでください」


 王宮魔術師と言えば名門魔術師の登竜門と言われる役職である。僕のような一つの魔法しか使えない魔術師とは格が違う。いまの大臣も王宮魔術師を長年勤めて、いまの地位についたという。僕が緊張したのがわかったのかリーザは少し苦笑いをした。


「緊張しないで、さっきも言ったとおり、勇士に選ばれなかった魔術師なんだから。私は回復魔法しか取り柄がないの。だから、あの戦いに参加したあなたの方がよほどすごいわ」


 僕は頭を必死で左右に振ると彼女の誤解を解こうと口を開いた。


「いえ、僕は戦ってなんていません。僕は『転移』の魔法でアランに武器を送り続けていただけです。だから、僕を勇士の皆さんと同じように言うのはやめてください」


 そうだ。それだけは一緒にされてはいけない。


 魔王に挑んだ一万人の勇士と僕との間には大きな溝がある。彼らはその命を捨ててまで戦った。だけど、僕は安全な位置から傍観していたに過ぎないのだ。だから、僕は目撃者であっても当事者ではないのだ。


「それは、ごめんないさいね。では少し面白いことを教えてあげましょう」


 リーザはすこし悪戯っぽく言うと、アランのとなりで大きな声で彼をたたえている男を指さした。男は立派な服をきている。偉い人なのは僕にもわかった。ただ、少し太りすぎている。


「あの人がどうしたんですか?」

「あの人はね。実は勇士に選ばれていたのよ」

「えっ!」


 僕はしげしげと彼を見たがとても強そうには見えない。脂肪でパンパンに張った腹回りなどとても戦闘に耐えられないのでは、と不安になるくらいだ。


「彼はマーモット・メウロ。私の前に王宮魔術師だった人よ。いまは行政の大臣をしているわ。あなたによく似た魔法が得意な人だったから勇士に選ばれたのだけど、あの通りの体つきでしょ? とても戦えないからって別の王宮魔術師を推薦して自分は王宮にいたの。ずるい人よね」

「よく似た魔法って……? もしかして召喚ですか?」


 召喚は転移よりも高等な魔法だ。入口と出口さえ用意すれば距離は関係ない。僕のように転移できる距離に限りがあるなんてことはないのだ。王宮魔術師は流石に頭一つ二つ飛び抜けている。


「正解。すごいでしょ。あらかじめ魔獣でもドラゴンでも用意しておけば好きなところにぽーんと移動させられるんだから。でも、彼は戦わなかったけどね」


 そう言うと彼女は軽蔑するような視線をマーモットに送った。彼はそんなことには気づかないようで「流石は勇者様だ」とか「私もあと十年若ければ」など言っている。だが、僕は彼の気持ちが分からなくはなかった。いきなり、君は勇士だ。魔王を倒してきてくれ。なんて言われたら誰かに代わって欲しい、と思う。だから、彼は自分の気持ちに素直だったに違いない。


「でも、おかげで彼は生きている。死んでいるよりはずっといいでしょう」

「そうかしら? それで代わりに死んだ人がいるのよ」


 確かにそうかもしれない。だけど、あの戦いを見た僕には同意できなかった。


「それでも生きている方がいいです。あの戦いは悲惨だったから」

「……では、ヒュー。勇士たちの戦いを参加できなかった私にも聞かせて下さる?」

「ええ、喜んで。彼らは皆、英雄でした。たとえ帰らぬ人であってもそれは確かです」


 そう言って僕はあの日のことを思い出していた。



 

 魔王との戦いは人類の圧勝だと思われていた。


 人類の中でもよりすぐりの剣士、魔術師、武闘家などを集めた最精鋭。それが一万の勇士と呼ばれる最強の軍隊だった。彼らは騎士団長を指揮官に魔王に挑んだ。魔族の抵抗を簡単に跳ね除ける彼らの強さに僕も多くの人びとも魔王を甘く見ていた。万の勇士が揃えば犠牲なんてほとんどでない。僕らは身勝手にそう思っていた。だが、結果はたった一人を残して勇士は誰ひとり帰らなかった。


 魔王は一万の勇士を目の前にしたときわらっていた。その姿は男性のようにも女性のようにも見えた。山羊のように湾曲した角に赤い瞳。禍々しい魔力はそれが魔王なのだと僕たちに嫌でも認識させた。


 魔王は人差し指を立てると勇士たちに向けた。そして、ゆらゆらと指先を動かすとひとりの男に焦点を当てた。


「お前が最初だ」


 指差された男はなにか言おうと口を開いたとき、口から出たのは言葉ではなく大量の血だった。男が苦悶の表情を浮かべ大地に崩れ落ちた。それを一人の魔術師が助け起こそうと肩を掴んだ。


「邪魔をするな」


 魔王は楽しみを邪魔された子供のように魔術師を睨みつけた。その瞬間、魔術師の身体が大きく膨張し頭を残して破裂した。魔術師は自分に何が起こったのかわからなかったのだろう。彼の頭は目を大きく見開いたまま地面を転がった。


 それが戦いの狼煙だった。戦士たちは大挙して魔王に斬りかかり、魔術師たちは魔法を唱えた。大地を溶かす炎も鉄を切り裂く戦士の斬撃も魔王には効果が無かった。魔法は振るった腕にかき消され、戦士たちは指を指されるたびに弾けとんだ。


 戦場にいくつもの花が咲いた。それは血肉の赤がすべてを染めた。壊れる人の絶叫が鼓膜を揺らした。魔王はそれがいかにも愉快だというように真横に口を開いて微笑んでいた。


僕の仕えるアランは盾を構えると、彼が唯一仕える『強化』の魔法を盾にかけた。そして、僕に合図を送った。僕は用意していた大量の盾に魔法かけるといつでも発動できるようにアランの動きに集中した。


 魔王の指先がアランを捉える。そして、次の瞬間には彼は消し飛び。赤黒い花になるはずだった。だけど、壊れたのは彼の構えた盾だった。僕はすぐに彼の手元に次の盾を転移する。盾を受け取ったアランは再び盾を強化して魔王へと突き進んでいく。魔王はそれに一瞬驚いたように見えた。


 幾つもの盾を犠牲にアランは魔王に迫り、剣を叩き込んだ。剣は魔王の左腕を吹き飛ばして粉々に砕け散った。


 アランの戦い方は、彼が使える唯一の魔法『強化』を最大限に活用することで成り立っていた。どこにでもある数打ちの剣や盾を極限まで強化し、相手にぶつける。一撃であれば剣は伝説の聖剣や魔剣にも匹敵する威力を発揮し、盾はいかなる攻撃も防ぎきる。だが、過剰な強化によって剣や盾はすぐに崩壊した。彼の戦いには大量の武具が必要だった。だが、一人の人間が何本、何十本という武器を持って戦えるはずがない。だから彼は僕のような従者を必要としたのだ。


 僕の役割は戦場から離れた場所から彼に武器を届けることだった。『転移』という魔法に長けた僕は彼の動きを注意深く観察し、武器を転移し続けた。だから、僕は勇士たちと魔王の戦いを目撃した唯一の人間になった。


 アランの一撃に魔王は少しよろめいた。そこを他の勇士たちが切り込む。いくつもの魔法の光が魔王を貫いた。魔王の姿はボロ雑巾のようになっただが、それは一瞬のことだった。切り離された腕は黒い腕に生え変わり、傷は時間が巻き戻されるように復元された。


「化け物め」


 魔王を囲んでいた戦士はそう言って死んだ。


 魔王はもう一人ずつを狙うなんてことをしていなかった。向かってくるものを黒い腕で叩き潰し、膨大な魔力を無秩序に放出した。一瞬にして魔王のまわりにいた勇士が消え去った。たった一人、アランだけが攻撃に耐えていた。僕はいそいで盾と剣を転移する。それらはすぐに攻撃と防御で消費される。次を、次を、次を。僕は彼に送り続けた。


 アランの周りでは魔王による破壊が続いていた。一万いた勇士は百人単位で消えていった。アランの知り合いだった魔術師は彼の前で殺された。魔王の魔力に当てられて脚を吹き飛ばされた彼女は何度も「死にたくない」と叫んでいた。彼がそれに気づいて盾をかざそうとしたとき、魔王は彼女を捉えていた。美しかった彼女はどこが顔だったかわからない死体になった。残されたのは彼女の細くて長い指だけだった。


 彼は叫んでいた。


 この地獄のような戦場でただ一人になるまで。


 武器や防具はもうなかった。用意していた武具はすべて使い尽くしてしまった。だから、彼は勇士たちが持っていた武器や防具を拾い。魔王へとぶつけていった。戦場の中で唯一動くものは魔王とアランだけになったとき、終わりが来た。


 アランが振り上げた剣が魔王の身体を貫いた。魔王はひたすらに可笑しいという声を上げると彼の顔に手を触れた。数多の返り血で真っ赤に染まった手はじっとりと湿った感覚を彼に与えた。


「素晴らしい。すべての命がお前の武器であり防具であったか」


 そう言って魔王は崩れ落ちた。彼にはもう魔力が残されていなかった。再生できないことを悟った魔王はそのままアランにトドメを刺すように楽しげにいった。そして、アランはもう一度、剣を振り下ろした。鈍い衝撃と余りにもあっけない感覚が手元に残った。


 こうして一万の勇士は一人を残して全滅した。


 だけど、その命があったから魔王は討伐され、世界は平和を取り戻したのだった。




 僕が話し終えるとリーザはふー、と大きく息をはいた。僕が話しているあいだ、息を吸うのを忘れていたようだ。英雄譚というにはあまりに犠牲が多すぎた。だが、僕はアランを誇りに思っている。きっとあそこでアランが諦めていたら人類は滅ぼされたに違いないからだ。


「あなたはこれからどうするの?」


 リーザにそう訊かれて僕は答えがでなかった。アランが勇者となったいま、僕のような流しの魔術師を従者として雇わなくても彼は困らないに違いない。望めば王国のいかなる要職に就くことができる。そうなればリーザのような立派な魔術師が従者として用意されるに違いない。僕はたまたま彼の従者であっただけなのだ。そう思うと僕は少し寂しくなったが、仕方ないとも思う。


 彼の功績は比類ないものだ。


 アランはもう二度と剣は持ちたくない、と言っているから文官にでも転向するかもしれない。


「どこか静かな場所でゆっくりしたい。魔王もいなくなった世界を旅するのもいいだろうし。田舎で野菜を作ってみるのもいいかもしれません」

「私の所領でよければ土地があるわ。山と湖しかない田舎だけどあなたにとってはそっちのほうがいいかもしれない」


 社交辞令かもしれないが彼女の言葉はありがたかった。今後については、どちらにしてもアランと相談しなければいけない。そんなことを思っているとアランと話していたマーモットがこちらに大きな身体を揺すりながらやってきた。


「リーザ君、こんなところにいないで勇者様の所に行ってはどうだね。その隣の君は?」


 マーモットは僕を見つけると少し怪訝な顔をした。


「大臣。彼は勇者様の従者です」

「ああ、あの遠くから見ていたという」


 明らかに彼は僕をせせら笑っているようだった。僕は少しだけむっとしたが、彼に怒ったところで僕自身が戦闘に参加しなかった、という事実は変わらないので気にしないようにした。


「それで、なにか私に御用でしょうか?」

「君には勇者様の補佐官をお願いしようと思う。彼には王宮のしきたりや作法を学んで貰わなければならないからな。伝統あるメケル家の君なら適任だ」

「……分かりました」


 リーザは少し暗い声を出した。彼女は心底からマーモットが嫌いなのだろう。いま、アランとお近づきになりたいという人間は多い。それなのに彼女はひどく嫌そうに見える。


「まぁ、もし君が勇者様と恋仲になれば仲人は私に任せるといい」

「ありえません」


 それは余りにも強い否定だったので、僕もマーモットも驚いて彼女の顔を見た。彼女は不機嫌を一切隠そうとせずマーモットを睨みつけると「私には心に決めた方がいますので」と言った。マーモットは少しひきつった顔で「そうか、それなら仕方ない」とささやくとくるりと僕たちに背を向けて去っていった。


「ごめんなさいね。気を悪くしたでしょ? 王宮なんて所詮こんなものよ。下世話で打算的」


 リーザが僕に頭を下げる。


「ヒューズ君。ここにいたのか」


 懐かしい声がした。


「アラン。主役は大変そうだったね」


 僕が言うとアランは苦笑いをした。彼は勇者となってもそれまでと変わらない。従者である僕にも丁寧だし偉そうにすることがない。唯一変わったことはといえば、もう武器を持たなくなったことだ。アランは「もう一生分戦ったのだから」と言っているが、一部の人々はそれをあまり良く思っていない。


「ガラじゃないんだよ。ヒューズ君、隣の女性は?」

「彼女はリーザ・メケル。これからアランの補佐官になる人だよ」

「メケル!? あの大貴族のメケルなのかい?」


 アランがすっとんきょんな声をだした。僕はよくわからなくて目を白黒させた。


「あのメケルかは知りませんが、メケル伯爵は私の父になります」

「こりぁ、参った。俺のような成り上がり者が話しかけられるような人じゃない。メケル家は回復魔法の大家だよ」

「リーザはそんなに偉いの?」


 僕が聞くとアランは首が取れるんじゃないかってくらいに頷いた。それをリーザは少し冷めた顔で見ている。彼女は家柄などでとやかく言われるのが嫌なのかもしれない。だとすればアランはひどく失礼な事を言っていることになる。


「いえいえ、世界を救った勇者の方がよほど偉いですよ。回復魔法なんて言うのは、突き詰めればただの延命術です」


 彼女は僕の方を見ると微笑んでみせた。僕の心配がわかったのだろう。


「アランは心配しすぎなんだ。勇者と呼ばれる男がいまさらそんなこと気にしても仕方ないだろ」

「ヒューズ君。そんなこと言うけど俺はもともと……」


 アランは何かを言いかけてやめた。リーザがいる手前、今までと同じように軽口を言えないと思ったのかもしれない。確かにこれから彼の生活は変わるだろう。僕だって変わることになるのは間違いない。


「アラン。少し相談があるんだ。これからのことだけど」


 僕が切り出すとアランははっと顔を正した。そして、黙って頷くと「俺もそれを話したいと思っていた。今夜、俺の部屋まで来てくれないか?」

「わかったよ。アランは凱旋式頑張ってね。僕は疲れたから部屋に戻るよ」


 僕はそう言うと広間から出ることにした。横を見ればリーザも一緒だった。


「リーザは式に出なくていいの?」

「ええ、式典はマーモットや貴族のお歴々がやってくれます。それよりも私はあなたともっとお話がしたいの」


 リーザは僕の顔を覗き込むとなにか珍しいものでも見つけたかのように声を弾ませた。


「でも、僕にはそんな話すようなことありませんよ」

「いいのよ。式典のあいだ暇なのだから」




 アランの凱旋式は盛大に行われたらしい。らしい、というのも僕は式には一切顔を出さずリーザと話をしていたからだ。王宮の侍女がリーザに式が終わったことを告げに来たのを聞いてようやくわかったくらいだった。


「楽しい時間というのは早いものですね」


 いかにも名残惜しいという様子で彼女が言った。確かに彼女と話すのは楽しかった。貴族というものはもっと鼻持ちならないやつばかりだと思っていた僕は少し考えを改めなければならない。でもマーモットのような奴は好きになれないし、きっと王宮勤めは難しいに違いない。


「さて、僕はそろそろアランのところに行かないと」


 僕が席を立つとリーザは「もう少し待ったほうがいいですよ」と、言った。

「どうして?」

「いま凱旋式が終わったということですからアランさんも礼服を着替えたりするでしょう。これからの打ち合わせで訪れる役人も多いでしょうからもう少し待ったほうがゆっくり話せますよ」


 なるほど、王宮での勤めが長いといろいろわかるものである。僕は感心しながらもう少しリーザと話せるのならいいかと思った。だが、彼女は少し申し訳なさそうな顔をして「今度は私が働かなくてはいけないの。ごめんなさいね」と苦笑いをした。


 彼女は役職のある人物だ。いつまでも僕と遊んでいるわけにはいかないのだろう。名残惜しいが仕方ない。僕はしばらくの時間をすごすために王宮の中を歩くことにした。きっとアランと別れて生活するようになれば二度と王宮を訪れるなんてことはないだろうから記念に出歩くことくらいは許してもらえるだろう。


 広間の方では侍女や侍従と言った使用人たちがせわしなく荷物を片付けている。


 邪魔をしないようにと思っていると太った男が前から現れた。マーモットだ。嫌な奴にあったものだと思っていると向こうは僕のことなんか眼中にないとばかりに上層階へと歩いて行った。この上は貴賓の部屋が並んでおり、その中の一番いい部屋がアランに当てられている。僕はといえばアランの部屋からかなり離れた部屋が用意されていた。


 せめてアランの隣なら良かったのにと思う。


 やることもないので部屋に戻ると僕は寝台にどん、と倒れ込んだ。柔らかい。旅の宿ではひどく硬い寝台が普通だ。それどころか野宿だって多い。それを思うとこんな豪勢は夢のようだ。寝転んだまま部屋を見渡すとアランの剣が見えた。彼の剣と言ってもすぐに壊すから街で売っている一番安いものだ。よくぞこれで魔王を倒せたものだと思う。


 そういえば、僕の望遠鏡はどこだろう。


 僕の転移魔法は不完全だ。だから望遠鏡はなくてはならない道具だ。それなのにアランはよく僕の望遠鏡を持って行ってしまう。困ったものだ。いけない、もう魔王はいないのだ。僕が戦うことはない。望遠鏡がどこにあろうと大丈夫だ。そんなことをとりとめもなく考えていると僕はうとうとしてしまい。眠ってしまった。


 眠りは扉をたたく音で破られた。


「……はい、なんでしょうか?」


 僕が目をこすりながら扉を開けるとリーザがいた。彼女の顔は真剣で僕を見ると「よかった」と呟いた。「アランさんが部屋から出てこないの。何か知らない?」

「アランが? ひょっとしたら僕みたいに寝てるんじゃないの?」


 僕が言うとリーザは表情を暗くした。少し嫌な予感がした。僕は部屋を飛び出すとアランの部屋まで向かった。彼の部屋の前には侍従や貴族、マーモットなどが立っていた。扉には鍵が掛かっているらしくノブを回しても開かない。扉をドンドンと叩く者もいるが反応はない。


「アラン! いるんだろ!」


 僕が叫んでも返事がない。アランは神経質なところがあって眠りが浅い。少しでも大きな音がすると起きてしまうというのにどういうことだろう。


「どうですか?」


 リーザが僕を追いかけてきた。だけど、なぜ彼が返事をしないかは僕にもわからない。


「強引だが扉をこじ開けよう」


 そういったのはマーモットだった。侍従や貴族たちは少し困惑の色を見せたがこのままでは埓があかないと思ったのか頷いた。マーモットたち体格のいい男たちが扉に体当たりを始める。扉の金具や木が悲鳴を上げる。十数回目で扉は金具から壊れた。


 僕たちが部屋に入るとそこにはアランの死体があった。


 彼の身体には針のような物が何本も突き刺さり、拷問を受けたように彼の顔は痛みに歪んでいた。死体の周りには傷口から流れた血が赤い染みをつくっていた。


「アラン!」


 僕は彼の名を叫んだが返事はない。

 せっかく魔王を倒したというのに、なぜアランが殺されねばならないのか。戦いを終えて剣を持たないと言った彼が殺されたことを僕は理不尽だと思った。彼の右手には剣のかわりに僕の望遠鏡が握られていた。もし、この部屋に剣があれば彼は自分で身を守れたのかもしれない。


「勇者様が殺されるなんて!」

「魔王を倒した世界最強だぞ。それが殺されるなんて……」


 貴族や侍従が不安を口にする。


「狼狽えるな。勇者様は死んだ。だが、犯人など最初から明らかではないか」

 マーモットは強い語気で周囲の人間を威嚇した。貴族や侍従たちがお互いの顔を見合わせる。彼らは誰が犯人なのか、と問いたげだった。マーモットは部屋にいる全員を睨みつけると口を開いた。

「まず、この部屋は鍵がかかっていた。そして、この部屋の鍵はそこのわき机のうえにある」

 確かに寝台の隣にある小さな机には無造作に鍵が置かれていた。侍従はそれを持ち上げると「間違いありません。貴賓室の鍵です」と、答えた。


「予備はないのか?」

「予備はありません。この部屋は貴賓室ですので、本人以外は開閉できないようにしております」


 侍従の発言を聞いてマーモットは満足そうに頷いた。


「つまり、この部屋は出入り不可能な密室だったわけだ。勇者様は密室の中で殺され犯人は煙のように消えた。実に不可解と言うしかない。だが、犯人が最初からこの部屋の中に入っていないのならどうだろう」


 部屋に入らずにアランを殺す。そんなことができるのだろうか。


「大臣は彼が部屋の外で襲われ、命からがら部屋に逃げ込んで追撃を防ぐために鍵をかけたがそのまま絶命してしまった、と言いたのですか?」


 リーザが訊ねるとマーモットは愉快そうに笑った。


「いや、違う。勇者様の周りにも部屋の入り口にも血液は落ちていない。血は勇者様の周りにしかない。これは勇者様がこの場で殺されたことを示している」

「しかし、それでは犯人は部屋に入らなければなりません。それともこの針が壁をすり抜けて飛んできたとでもいうのですか?」

「リーザ君、そうだ。この針は壁を通り抜けて勇者様に刺さったのだ。君も聞いているのだろう。勇者の従者は転移魔法を使うと」


 マーモットが僕を指さす。侍従や貴族、リーザの視線が僕に注がれる。


「違う。僕がアランを殺すわけがない」


「お前は勇者様が憎かったのではないか? 自分も魔王との戦いで勇者様に物資を届けるという功績があったのに評価してもらえない。自分が勇士の一人に選ばれていなかったから。勇者様だけずるい。そう思って勇者様を殺したんだろ? 勇者様が死ねばあの戦いの生存者はお前だけだからな」


 そんなことはない。僕はあの戦いをただ見ることしかできなかった人間だ。アランの功績を自分のことのように誇ることはあっても彼を妬むようなことはない。


「アランを殺すようなことを僕はしない!」

「ならば、どうして勇者様はお前の望遠鏡を握っているのだ? これはお前が犯人だと伝えるため勇者様が最後に残したものではないか」


 マーモットが語調を強めると周囲にいた人びとも賛同を示した。


「なるほど、転移魔法か」

「勇者様の功績を妬むなどなんという卑劣漢」


 僕はやっていない。それを僕は知っている。だけど、彼らがそれを聞いてくれるだろうか。


「大臣。それは不可能ではないでしょうか? 私は彼から魔王との戦いがいかに悲惨なものであるかを聞きました。そこで不思議に思ったのです。彼の転移魔法がどこにでも届くものなら彼は戦いが見える場所にいなくてもいいのではないか、と。だってそのほうが安全でしょ?」


 リーザは僕に微笑むと「教えてください。あなたの魔法には欠陥があるのでしょ?」と訊ねた。僕は素直に頷くと答えた。


「はい、確かに僕の魔法には欠陥があります。一つに生物は転移できないということ。もう一つは目で見える範囲にしか転移できない、ということです。だから、遠距離転移には望遠鏡がいります」


 唸るような声がした。


「望遠鏡などほかにもあるだろう。隠し持っているのではないか?」

「確かに望遠鏡であればなんでもいいです。でも、壁に囲まれた部屋はどうやっても望遠鏡で覗き見ることはできません」


 マーモットは口をへの字に閉じると怒りをこらえているようだった。


「反対に私はあなたを疑っているのです。大臣は『召喚』の魔法が得意だった、と記憶しておりますので」


 召喚は僕の転移とよく似た魔法だ。だけど大きく違う点がある。召喚は生物を任意の場所に呼び出す魔法だ、ということだ。


「ふん、召喚では生き物しか動かせん。勇者様を殺したのは針だ。針は生き物ではない」

「逆なのです。大臣、あなたは針がある場所に彼を召喚したのではないですか? 召喚は入口になる魔法陣と出口になる魔法陣があれば、壁も距離も関係ないですものね」


 リーザはアランを指差すとマーモットに詰め寄った。


「大臣。勇者様に一番嫉妬していたのはあなたではないのですか? 勇士に選ばれながらもあなたはそれが成功するとは思わなかった。だから、私の前任者を推薦して自分は辞退した。だけど、勇士は見事に魔王を倒した。あなたは英雄になりそびれた。しかも勇者と褒め讃えられているのは平民の若者です。あなたはそれが憎くてたまらなかった。そうではないですか?」

「違う。違う。リーザ君。私はそんなこと考えたこともない」

「ですが、他の誰にできるというのですか?」


厳しい口調で彼女が詰問する。マーモットは口汚く何かを叫んでいたが、誰の目から見てもそれは自白のように見えた。リーザは侍従や貴族に「連れて行きなさい」と命令した。彼らはそれに黙って従った。連れ出されていくマーモットはそれでも罪を否定し続けていた。


「リーザ。ありがとう。助かりました」


 僕が礼をいう、と彼女は「いいのです」と明るい顔を見せた。僕はほっとした。彼女が僕を信じてくれなければいまごろ僕はどうなっていたかわからない。


「お礼と言ってなんだけど、一つ私に教えてくれないかしら?」

「僕に応えられることならいくらでも」

「いまここで転移の魔法を見せてくれない?」


 彼女はそう言うとアランの手から望遠鏡を拾い上げると僕に手渡した。僕はそれを握り締めると望遠鏡を寝台の上に移動させるように魔力を込めた。魔力が望遠鏡を包み込む。そして、望遠鏡が移動する。はずだった。


 握った望遠鏡は魔力をまとったままだった。これではまるで強化だ。


「あれ、どうして」

「おかしいと思ったのです。魔王との戦いであなたが離れた場所見ていただけなら声は聞こえなかったはずです。なのにあなたは彼らが何を言ったか知っていた。なぜか。あなたがその場にいたから。より正確には、あなたが勇者だからでしょ?」


 やめてくれ。

 やめてくれ。やめてくれ。

 やめてくれ。やめてくれ。やめてくれ。


 僕は思い出したくない。


あの場所で僕は魔王と戦った。そして、僕は九千九百九十九人の命を盾にした。武器にした。なかには親しい友人もいた。だけど、僕はそれさえも踏みにじった。自分が生き残るため。死体から武器を奪い。防具を引き剥がした。


 息がある者を踏みにじり、剣を振るった。ただ自分だけを守るために盾を構えた。屍のうえを駆けた。


「僕は……」

「ええ、わかります。脅されていたんですよね? あなたは人類のために必死に戦った。でも、九千九百九十九人の命を盾にした虐殺者だと脅されたのでしょ? わかります。だってそうじゃないと可笑しいですもの」


 彼女は僕の頬を両手で掴むと天使のように微笑んだ。


「違う。彼に僕が頼んだ。僕のかわりに勇者として生きてくれと。僕には背負うことができなかった。戦いで犠牲になった人々が重かったんだ」

「いいえ、嘘です。だって彼は言いましたよ。俺があなたを脅して勇者となり変わったのだ、と。私は本人から聞いたのです。彼はひねくれているのか。なかなか答えてくれなかったので、針をたくさん刺すことになってしまいましたけど」


 僕は声が出なかった。

 彼女は何を言っている。アランが言った? 針で刺した?


「アランはマーモットが殺したのじゃ?」

「記録ではそうなります。でも、マーモットの召喚は生物だけ。針山のうえに彼を呼び寄せることはできるでしょう。でも衣類は送れない。マーモットが犯人なら勇者は全裸で針山になっていなければなりません。でも、そうじゃなかったでしょ?」


 アランの遺体はちゃんと衣服を身につけている。つまり、マーモットは殺していないのだ。それどころかアランを殺した相手は僕の目の前にいる。


「マーモットはどうなるんですか?」

「勇者殺しで死刑でしょうね。まぁ、もともとどうでもいい人間したから。あなたが気に病むことはありません。勇者様」


 どうしてそんなくだらないことを気にするのかと言いたげにリーザは首をかしげた。


「彼を……拷問したんですか?」


 僕が震える声で訊ねる。彼女は何事もないような顔で微笑んだ。


「拷問? ただの聞き取りです。滑りの悪い口だったので、赤い潤滑油をぬっただけです」


 彼女は自分が悪いなど思っていない。むしろ正しいと信じている。


「……でも、どうやって」

「とても簡単でしたよ。普通に部屋に入って彼の罪を白状させました。もちろん、誰も入ってこれないように鍵をかけてね。それでも驚きはありました。瀕死になっても彼は抵抗したのです。その蛮勇はさすが勇者様の従者と褒めるべきなのかもしれません」


 アランが望遠鏡を握り締めていたのは彼女に抵抗するためだった。僕はようやくそのことに気づいた。でも、彼の魔法では生き物は転移させられない。アランを殺そうとしているリーザをどこかに転移させることはできない。ならアランはなにを転移させようとしたのだろう。


「針だけでも転移させるつもりだったのか」

「ええ、針がなくなれば私に勝てる、と思ったのでしょう。でも、それは私にとって好都合でした。勇者様が強化を得意とされるように私も得意な魔法があります」


 彼女はちょっと誇らしそうに言った。

 彼女は自分で言っていた。回復魔法しか取り柄がない。なら、出来るのかもしれない。


「自分を殺したんですか?」

「流石は勇者様。お分かりになったのですね。そうです。私は一度、自分を殺したのです。彼が私の針を転移させようとする瞬間にすべてをかけたのです。ありったけの回復魔法と一緒に自分の胸に針を刺したのです。私の心臓はこのとき一瞬だけ止まったのです。いうなら私はこのときだけ生き物ではなかった」


 彼女は死んでいた。生き物は転移できない、というアランの魔法を逆手にとったのだ。


「アランは結果としてあなたを部屋の外に出してしまった。だから、密室になったんですね」

「ええ、そう。私は死んで生き返った。彼は私を逃がしてくれたのです。とても間抜けな話です」


 彼女は針を突き刺していたであろう胸元を押さえて笑う。その白い肌には傷跡すら残っていない。だが、彼女は間違いなく自分を一度殺したのだ。


「どうして、こんなことを?」

「それはただあなたのためです、勇者様。あなたが魔王を倒してくれなかったら、次は私でした。一万の勇士が倒れたときのため、王国では次の一万人が用意されていたのです。その中に私はいた。だから、あなたは私の恩人です」 


 彼女は僕だ。ただ生き残りたいと仲間の屍のうえで剣を振るった僕と同じだ。

 どこまでも利己的で自分勝手な存在だ。

三月三日。

K John・Smithさんから指摘のあった密室の解決に関して加筆・改稿しました。後出しでの解決になり申し訳ありません。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 見えている場所にしか転移させられないなら密室から部屋の外には出られないのでは あと心臓が止まっているのに回復魔法使えるの?
[一言] そのための力を与えられて予定調和的に魔王を倒す、なろう的な勇者像に反した正しい勇者の姿って感じで面白かった。 たまたま好きな作家のブックマークから飛び、短編小説をあまり好まないためブラウザバ…
[気になる点] すみません、改稿に気がついていませんでした。 今回の密室からの脱出ですが、これも不成立ではないでしょうか。 ■「アランは結果としてあなたを部屋の外に出してしまった。だから、密室に…
感想一覧
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