邂逅
「ゾディアック~ディ・ゾンダーバーレ・ゲシヒテ~」
これは二〇一六年、イギリスの名門貴族の隠し書庫から
発見された一冊の書。
一七世紀に書かれたとされるこの書には、
謎の文字が書き残されていた。
それは「ニンジャ」
誰が書いたかもわからない――。
この書に記された謎の物語が今、目覚めようとしていた。
物語は魔力が残りし世界。
一七世紀に始まる――。
その色は朱よりも赤く、また美しくもあった。
美しく見せる原因は炎。炎でその色は光り輝いていた。
十二畳の奥の間の室内を染めたその色に、俺は動揺を隠せなかった。
それはその色の出所が目の前にあったからだ。
部屋の至る所にそれは散らばっていた、まるで楽しんだかのように。
母と妹の四肢、頭部がそしてそれらもとは命があった肉体から、血が流水のように流れ出し部屋を染めていた。
俺の命もまたこうなる運命をたどろうとしていた……。
後ろには火の手が回り行く手を遮っていた。
そして目の前には胸に赤い紋様を刻んだ水晶のような楕円の石、二重丸の中、中心の円から外側の細い円の中にいくつもの円があり、さらにその一つ一つには見たこともない文字の記号が刻まれている。そんな石を埋め込んだ男が立って俺に刀を向けている。
男は呟く。
「ヒウリ――遊びの時間はなくなった……」
俺の胸に何の躊躇もなく音もなく、刀の刃が侵入して来た。
それは俺の命の鼓動を止めるのに数秒とかからなかった。
でも最後の力を振り絞り俺は呟いた。
「ヒュッ、ヒュエー……」
言葉にはならなかった、ただ喉から空気が漏れただけだった。
男は笑って、俺を見降ろした。
そこは暗闇だった、俺はこんな暗闇を体験したことがなかった。光も一切見えない漆黒の空間、そこにいきなり人が現れた。胸に紋様を刻んだ石を埋めた男だ。
男が俺に言葉を投げかけた。
「ヒウリ。遊んでいる時間はもうないぞ……」
男が消える。
すると今度は見たこともない異人が現れ、俺に言う。
「ヒウリ……運命……未来は自分で切り開くモノだろ……」
異人が消えると大きな影が現れた。
今までに見たこともない巨人だ、その巨人が言った。
「ヒウリ。お前は邪魔者だ……」
巨人が消えると一人の銀髪で黄金の瞳の少女が現れ、俺に問いかける。
「ヒウリ……世界を見せて……」
少女が消え、また、胸に紋様のある石を埋め込んだ男が出てきた。
「ヒウリ……お前はここにいるべきではないのだ!」
男がかき消えまた少女が現れた。
少女は懇願した。
「私を人間にして! 私を守って! 死なないと誓ったじゃない!」
少女はそう叫ぶと砂が流れるように崩れ、次に崩れた少女の砂が何物かに形をなしていく。
今度は見たこともない獣がその砂によって創られ現れた、その獣の臭いは想像を絶する臭いを放っていた。
そしてその獣が口を開き叫んだ。
「お前は……お前は死ぬのだ! ヒウリ!」
俺は目を覚ました。
ほほをさわやかな風が撫でた。
「変な夢を見た……」
俺は起き上がろうとした。
しかし胸の痛みが酷くなかなか起き上がれなかった、俺は何とか立ち上がり胸を見た。
胸には刀で刺された、刺し傷が赤く膨れ上がっていた。
「夢じゃない……夢じゃない!」
俺はそう叫ぶと火が付けられた母屋の確認をしようと周りを見渡した。
殺された母や妹を探そうと辺りを見回した。
しかしそこには何もなくただ草原の草花がそよ風に揺られ、目の前には富士の山よりも
雪に覆われた、見たこともない大きく隆起した山脈がそびえたっていた。
俺ただ立ちすくむしかなかった。
十七世紀のヨーロッパは、街と町、町と村。全てが森林や山で囲まれていた。お互いの村々を行きかうのにも一苦労の時代である。
男は自分の死を予感しながら森の中を走り抜けていた、すぐ後ろからは追手の気配を感じている。追手達はまるで狩りを楽しむように、男を追いつめていた。傷を負った脇腹からは出血が止まらない、それが追手達の道しるべになっているのだ。
男はとうとうあきらめ、巨木の下に座り込み天に十字を切った。その男の目に人の足らしきものがチラリと見えた、しかしそれは錯覚のように、もうみえなくなっていた。
男の前に五人の仮面をつけた人間が表れた。
仮面には二等辺三角形で、頂角を上にした模様のおのおのの角ごとに目が書いてある。
「さて、追いかけっこも、ここで終わりにしようではないか」
仮面の一人が言う、声と体形からしてからして全員男のようだ。
「まだ物足りない。我々の秘密を探りに来た痴れ者だぞ、どうせこの傷では連れて帰れまい。たっぷりといたぶってから始末しようではないか。ひひひ」
もう一人の仮面の男が笑いながら言う。
「そんな事をしている時間はないのだ、我々は姫巫女様をお守りするのが本来の役目なのだ! 分かっているのか」
最初に声を出した仮面の男がもう一人の仮面の男を、叱りつけた。
どうやら位は最初の男の方が上らしい。残りの仮面の男達もそれに従うようだ。
「わかったよ、それじゃ俺様が――」
二人目の仮面が剣を構える。
「俺がここで死んでも、お前らの野望を打ち砕くために、第二第三の俺が現れるさ! 俺はすでに死を覚悟している! 死の恐怖など感じるものか!」
男は叫ぶ。
「馬鹿め、我々〝創世の蛇教団〟に刃向かう事など、何人足りとも出来るものか!」
仮面の男、教団員は剣を振り上げた。
男は目をつぶった、肉がえぐれる様な音がし、何かが男の横に倒れる気配を感じた。
ただ自分には痛みは走らなかった。
男は何が起きたのか分からず、恐る恐る目をあけると目の前の状況に驚いた。
男の前に少年が立っていたのだ。
少年と男の間には剣を振り上げた仮面の男が倒れていた、その額には見たこともない武器が刺さっている。
男は夢を見ている様であった。
少年は黒髪を後ろで束ね、足には怪我をしないよう獣の皮をふくらはぎまで巻いていた。そしてまだ肌寒いというのに膝下あたりまでの黒いズボンを穿き、程よく日に焼けた素肌に皮のマントをしているだけだった。
しかしその姿には精気が満ち溢れていた。
「なにやつ! 仲間か?」
教団員の中のリーダー格の男が叫んだ、そして残りの教団員も一斉に剣を抜く。
少年は首を横に振り、リーダー格の男に問いかけた。
「なんです? 一人の怪我人を大勢でいたぶろうなんて、大人のすることでしょうか?」
その冷静な声に教団員たちは気を抜かれたようだった。
しかし我に返った、教団員のリーダ格の男は叫んだ。
「う、うるさい面倒だ! 二人とも始末するぞ!」
教団員が一斉に襲ってきた。
少年は、腰にかけた奇妙な剣を握りしめると、教団員のあいだを踊るように擦り抜ける。男は夢を見ているようだった。
男の夢が覚めた時、残りの教団員達は全員が腹を裂かれすでに絶命していた。
男の傷を治しながら少年は呟いた。
「かなりの深手ですね……」
「君に頼みがある……」
「なんでしょう?」
少年は感情のこもらない声でこたえる。
まるで男の死期を知っていて、そんな男の言うことなど聞きたくもないといった感じにさえ受けとれる。だが男はひるまなかった。
「頼みがある! ここから西に向かった村は宵闇の村と呼ばれ、一日陽が照らない謎の村だ。そこで私は見つけたのだ、宵闇の塔、見えない塔のいり口を……伝説の塔を……教団に魔力を司ると言われている闇の姫巫女のいる……」
男は目をあけたまま、少年の肩を強く握りしめた。
男の口から大量の鮮血があふれ出た、その後の言葉はもう聞き取る事は出来なかった。
男の手が肩からするりと地面に落ちた。少年は男の目を閉じさせてから、立ち上がり、散らばる死体から、金目の物と食べ物を奪いとり、地面に全て埋め始めた。後で仮面の男達の、仲間が来て騒ぎになると厄介だと思っての行動だった。
一通りの作業が終わると少年は、男を埋めた木の根元に近付き
「今際の際の約束なんてなんてずるい人でしょう。しかも何をするのかもわからない……とりあえず西の村に向かうしかないのでしょうか……」
少年は顔をあげた、木漏れ日がその姿をはっきりと映し出した。
その瞳は黒く、意志の強さを秘めていた。
腰には、この地域では見たこともないような、剣をたずさえていた。
その胸には、一筋の突き傷があった。
その少年は、ヒウリであった。
俺は半日ほど血痕をたどり歩いた、すると村が見えてきた。
崖のふもとにある三十軒ほどの小さな村で、全てが石造りの家だ。
しかしまだ日差しが傾くほどの夕方ではないのに陽も差さず、すでに夜のような村だった。
隣接した崖のせいなのかとも思ったがそうとも言えない、まさに不思議な村だった。
朝日が当たらねば夕日は当たるはず、またその逆もあるはずなのだ。
今、夕日は崖に向かって刺しているが、村は大きな影でおおわれていた。
俺は男の言った言葉を思い出した。
〝宵闇の村〟あえて妙な言い回しを思い出した。
これならそう呼ばれていてもおかしくはないか、俺は村を眺め村に入ろうとした。
その時俺は妙なものを見た、崖の中腹に巨大な白い城が立っているのだ。
この城は太陽の陽が村に入るのをすべての方角から遮っていた、この巨大な城が村に陽を射さないようにしている事は明白だった。
村に入ると村の中央に時計塔があり、この村が潤った村であることを示していた。
三十軒ほどの村に時計塔などおかしなものだと、俺は感じながら歩いていた。
特産品でもあるのだろうか?
いやそんなものなどなさそうな寂れた村で、今最も町の誇りとされる時計塔がこんな村にあるのは不自然だと思った。
時計塔を過ぎ、噴水横を見ると古ぼけた定食屋が見えてきた。
俺は、おなかの当たりを撫でながら、その定食屋に入っていった。
良い匂いが俺の鼻孔を付いた、カウンターと四人用の小さなテーブルが十脚ほどの狭い店内は筋肉質の男どもでびっしりだった。
カウンターの上には干し肉、生ハムなどがぶら下がり、カウンターの上には本日のお勧めと書いてある料理が並んでいた。
俺は唾を飲み込みながら店内をみまわし、この村に詳しそうな人物を探しにかかった。そして聞き耳も立てて、崖の中腹の城のことも噂にでていないか注意した。
しかし誰も城の事には触れていない。それどころか陽が当たらない事をいいことに、宴会をしている輩までいた。
俺は気になり、一番の古株であろう爺さんに近付いた。
そして、ビールで喉を鳴らし美味そうに飲む爺さんに聞いてみた。
「崖の中腹にあるお城ですが……」
爺さんはいぶかしげに俺を見た。
「若いモンが、昼間から酔っ払ってどうする! といってもこの村は一日中夜だがな。ゲハハハッ! しかしなんじゃ? 崖の城というのは?」
爺さんは逆に俺に訊ねてきた。
俺は話にならないと、場所を移動した。
俺はもう数人の酔っ払いに聞いてみたが、誰も城の存在を知らないのだ。それどころか最後には店のオヤジに、カウンター越しに変人扱いまでされる始末だった。
俺は頭にきて皿に盛ってあった、今日のお勧め肉料理をカウンターから皿ごと盗みとった。
オヤジには俺が何をしたのかもわからなかったし、見えもしなかった。
突然肉料理がなくなったので肉料理の前に座っていた男を、泥棒呼ばわりして殴りつけた。そこから店は大乱闘に発展していった。
それを俺は天井の梁から眺めていた。
店内が埃っぽくなってきたので、俺は梁伝いに外に出た。すると辺りはもう完全に陽も落ち暗闇に包まれていた。
しかもこの宵闇の村は、さらに一層暗闇になっていた。
星さえ見えないのだ。
だが俺には分かっていた崖の中腹にある城がこの村に影を落とし、暗闇を作っている事が、空を見せていないという事が。
それが俺が知っている事実であった。
あの森で会った男もこの事実を知り、仮面の男達に殺されたのであろう。そうなると俺も狙われるのか? 俺は自分に刺客がよこされる想像をして楽しんでいた。
「あの出会いは良い出会いだったのかもしれない、俺に修業の機会を与えてくれるなんて」
俺はにやついて呟いた。
この土地に来てからロクな修行ができてなかったからだ。
しかし先程の戦いで、俺は自分の腕がそう落ちていない事も、実感していた。
俺は肉をすべて食べ終わると、横になった。
もう少ししてから動くのが良い、もっと漆黒になってから城に忍び込んでみようと俺は考えた。そして肉の入ってない皿に人差し指をなでつけ肉汁をもう一度しゃぶった。
あのオヤジ、料理の腕はいいな――。
村の明かりが消える真夜中、俺は城の中腹に明かりが灯っているのに気づいた。
それは注意してみないと、わからないほどの小さな灯だった。
俺は黒装束に着替えマフラーで口鼻を塞ぐと、腰に巻いていたベルトから手甲鉤を取り出し身に付けた。
俺は崖を登り始めたが何も起きなかった。
俺は村人に暗示をかけ城がないように思わせている何物かが、この城にはいると踏んでいた。そんな注意深い人間が、崖に何もしかけていないのが不思議でしょうがなかった。
「あの時、仮面の男達が名乗っていた、何とか教団の城だとは思うけど……」
俺はそう呟きながら素早く崖を上り城に飛び移り今度は城壁を上り始めた。
俺は自分がその教団を、高く評価しすぎていたのかと思い始めていた。
それほどやすやすと城に入り込めたからだ。
とはいえ今迄侵入してきたどの城もこの程度で、とても修行にはならなかった。
この地の城は俺にとって子供に与えられたような、隙だらけの城だった。
だから俺はこの城もそう思えてきていた。
今俺は緊張の糸が緩み始めていた。
この考えが後に誤りだと、気づく時が来るのも知らずに俺は進んでいた。
城内の通路は窓もなく、大人が三人も並ぶと通れなくなるような細さで、たいまつも一定間隔で細くその炎を揺らしていた。
俺は緊張感のない城の中を詮索し始めた。
台所らしき所を見つけ食料の物色を始めた。
先程肉を食べてからだいぶ時間がたっていた、俺は果物を見つけると腹八分目に食べ残りを懐に入れた。あまり食べてしまうといざ戦闘になった時に腹が重くて邪魔になってしまうからだ。
また腹八分目にしたのはその逆でもしかりで、いざ戦闘になった時に力が出なくては困るからなのである。
懐に入れたのは俺のいつもの癖だ。
城内を詮索し始めて半時もたったであろうか。誰にも会わない、見ない、それほど大きな城なのだ。よく考えればわかりそうなもので、村一つに一日中影を落とせるだけの大きさの城なのである。
俺は先程、灯が見えた方向へ進みだした。
実を言うと俺は戦いを求めて、この城に侵入した。
男との今際の際の約束もあったが、あれは不十分で何をしていいかもわからないので、とにかく敵打ちでもするかと、俺は考えこの村に来たんだ。
そしてこの不思議な城を見つけた。
少し歩くと灯が見えてきた。たぶん外から見たときの窓の部屋だろう、位置的にいっても間違いではない。
俺のこういった感覚は、幼少のころからの修行で身についているものだ。
少しの隙間から明かりがもれていた。
俺は気配を消して中の様子をうかがった。
一人誰かがいるのがわかった。
隙間からもれて来る香りと息使いで、女性だろうと俺は見当をつけた。
部屋の中は程よく広い石の床の正方形で、中央にベッドが一つ置かれていた。ベッドは天蓋付きでレースのカーテンで覆われ、その正面には一台の鏡台が置かれていた。鏡台の左右には蝋燭立が一脚ずつ並んで立っていて、ユラユラとかぼそい炎をゆらしたてている。
そして小さな天窓が一つ。
どうやら外から見えた灯りは、この天窓からもれていた灯りのようだった。
俺はこの地に来てから思うのだが、この石の建築物にあまり暖かさを感じる事が出来なかった。以前暮らしていた国、日本の木の家のぬくもり、忍びこむ時の緊張感がたまらなく懐かしくなってきていた。
薄暗い光なので、俺は気にせず中に入ることにした。
ここまでの簡単な城内探索が、俺に油断を生ませていた。
俺は一呼吸を取り更に気配を消してドアをそっと開けて、一気に暗闇の方角へ転がり込み部屋の中へ侵入した。
「だれ!」
女の声がベッドのあるレースの中からした。
俺は、その声に違和感を覚えながらも、敵かもしれない女を見くびっていた事をここへきて後悔した。
このように油断したのは中の人間が女であった事と、これまでの城内の緊張のなさが俺に油断を招いた結果であった。
「近寄ると命がないわよ」
続けざまに言葉が投げかけられる。
しかしその声に殺気はなかった。
「こんばんは」
俺は注意しつつ、レースのカーテンに囲まれた中のベッドの女に言った。
「こんばんはですって?」
「夜ですから」
「確かに夜ね、こんばんは。で何か御用かしら? ここへ来るのはいつもエシンだけだから」
女は挨拶を返してきた。
その後の見知らぬ言葉に注意して、俺は何があってもいいようにクナイを手の中にひそませた。
「エシン? あなたの従者か何かですか?」
「従者? よして! 汚らわしい!」
俺は女の反応を感じ取り、女がここに監禁されているのではないかと考え始めた。
「……エシンを知らないなんて。教団の人間じゃないの? あなた教団外の人間なの? どうしてそんな人間が――」
「確かに教団外の人間です。教団とかエシンとかもよく分かりません」
「なら、何者です!」
女は明らかに俺を怪しんでいた。
当たり前だ、俺だってそうする。
「そうですね――私は泥棒……いえ、冒険者とでも言っておきましょう。謎を探求するのが好きなのです。今夜ここに来たのもこの城が私にしか見えないとわかりまして、忍んで参りました」
俺は女のベッドに近付いた。
女の話す事に興味を覚えたからだったし、それと女の正体も知りたかった。
「この城が見えた……本当に?」
「えぇ」
「……」
女は何かを考えるように黙ってしまった。
しょうがないので俺は、女がいるベッドのレースのカーテンを開けた。
「なにをするの!」
中にいた女の口から悲鳴にも近い言葉がでた。
「いえ、急に黙られたからお気分でも悪いのかと……」
ベッドにはヒウリと同年代位の少女が、一糸乱れぬ姿でたたずんでいた。この少女どこかで? そんな事ないか――。
少女を見つめていて、今度は俺が黙る番だった。
彼女が俺を見つめる目には銀色のまつ毛が長く付き、瞳は黄金に輝き彼女の銀髪が美しく妖艶に身体に巻きついていた。
頬は桃のように薄いピンクで、唇はさくらんぼうの様にぽっちゃりとうるみ。首から下はきゃしゃな体であったが胸のふくらみも形がよく、その山の頂点に君臨する乳首はさくら色に染まっていた。
そして俺は彼女の透けるような肌の白さと、その美しい全身から香りでる体臭によってもはや彼女から目が離せなくなっていた。
俺と彼女と目を合わせて数分が立ったであろうか、彼女が重い口を開いた。
「私が見えるの? 私を見ても平気なの?」
少女は驚いたように言う。
「し、失礼しました。あのまさかそんなお姿だとは知らずに……平気というより見とれてしまいました」
俺は思わず本音を言って我に返り踵を返した。
しまったと思ったがもう遅かった。
いくら殺気がないとはいえ、見も知らぬ少女に背を向けてしまう失態をなげいた。
「それは良いのよ、とにかくもう一度こちらを見て」
「いいえ……いいえ結構です!」
「減るもんじゃないし誰にも見えた事がないから、私自身知らないのよ。自分の瞳の色しか」
「自分が見えないって、何を言っているんですか?」
俺は背中越しに語る少女の、奇妙な返答に戸惑いながら答える。
「私はね呪われているの、九百年この城に閉じ込められてきたわ。本当ならあなたは死んでるはずなのよ、この瞳に魂を吸われて」
「呪われている? 九百年幽閉されていた……その瞳を見て魂を吸われる?」
「だから本当ならと言っているの、その証拠にあの鏡を見て」
俺は照れてみるのを躊躇したが、俺は少女が言った鏡を見た。
「あなたが映っています。年齢的には僕と同じくらいですか? とても九百年幽閉とは……」
「そう不思議ね――私はとある十二人に呪われ封印球・ダアトを植え込まれ、身体を取られてしまった。誰にも私が見えるはずがないの、私にでさえ瞳とダアトしか見えないんだから。だから私が見えているあなたが不思議でならない。どう? ダアトも見えない?」
俺は鏡に意識を集中した。
そこに少女の姿と重なるように、十三個の黒光る球が映りあがってきた。
頭部であろう部分に三つ。
喉であろう部分に一つ。
胸部であろう部分に三つ。
腹部であろう部分に二つ
手足であろう部分に一つずつ。
「見えます――黒光りする球が」
俺は少女の言っている事が本当の事だと、ダアトと言っている球体も見えるので少女の言う通りどうやら彼女の姿が見えているのは、俺だけらしい事もだんだんとわかってきた。
「身体の代わりに、ダアトというものを植え付けられたと?」
「そういうことね」
「いやそんなことが……」
「なら私の体を触って御覧なさい」
「……ちょっとそれは」
「それじゃ私から触るわ」
少女は俺の腕をつかんだ。いや掴んだように俺には見えただけだった。
少女の手はヒウリの腕の中に溶け込んでしまっている。
あわてて俺は手を引いた。
「これでわかった?」
「えぇ……でもダアトとかいう封印球は十三個ありましたよ」
「よく見て」
少女はダアトを指した。
俺は意識を緩め鏡を見た、そして言われるがままダアトを観察した。
ダアトは小さな金色の円が線で繋がり大きな円を描いていて、それぞれの小さな十二個の円には何かの記号の様な文字が同じく金色で彫ってある。そして円で囲んだ中心には紋様があった。
少女は俺が観察し終わるのを待つと、胸の中央にある何も書かれていないダアトを指さした。
「これは私のダアトよ」
おれは鏡を見つめダアトを見る。
少女のダアトにも興味があったが他のダアトにも興味がわいた、ダアト一つ一つの紋様を見ていった、その中に気になる紋様があった。詳しく見せてもらおうとすると俺の首筋に電流が走った。
この土地へ来て初めての強烈な殺気だった。
俺は震え上がった、いや喜びが湧き上がったのだ強者との対面に。
「隠れて、エシンが来るわ。あなた殺されてしまう」
と、少女はヒウリを何処か暗闇に隠すようなそぶりをした。
「エシン? さっきからなんなのですか? それは?」
「いいから隠れて!」
「わかりました」
だけどその命令に俺は従う気はなかった。
闘える、俺の頭の中はそれで一杯だった。
しかし闘うには冷静にならなくてはいけない、俺は息を吐き気配を消し自然に部屋と闇と同化していった。
俺は鏡の反対の壁にある、部屋の一番暗い隅に溶け込んだ。
「そんなところじゃなくて、ベッドの下と……え? 消えて……」
少女は驚く。
わかるわかる見る見るうちに俺が消えていくのだ。
「消えているわけではありません、気配を消しているだけです。だから消えたように見えるのです――」
そう言い終わると同時に俺の姿は少女から完全に見えなくなってしまったのだろう、少女の顔が驚愕の顔になっていった。
ドアが開く。丸い土瓶のような男が入ってきた。俺は注意深くその男を見る。
「エシン! そなたの顔など見たくはないわ!」
少女は毒づいた。しかしエシンと言われる土瓶の様な男は気にもせずに、
「姫巫女様、今夜は月に一度の生贄の日でございます」
と、エシンは少女に一礼する。男の目は糸で縫い合わされていた。盲目なのだ。
俺は気配を最大限に隠していたが、その土瓶の様な身体にわく蟲と、ボロ雑巾のような服。風呂などには入らないであろう醜悪な姿と臭いに辟易としてきた。
「わが神クリフォトに忠実なるエシン、ジュレゴの名において命じる。生贄をここへ」
「やめなさい、ジュレゴ! 私は魂などいりません!」
「いいえ姫様、姫様には人間の魂を吸い取り魔力を強めてもらわねば。神クリフォトからの私への直々の命です。それで私はダアトの欠片を手に入れたのです」
ドアがまた開き、男が入ってくる。男は白い法衣を着て、目には布を巻いていた。
男はジュレゴに手をひかれ少女の目の前に連れて行かれた。少女は抵抗する。
「あきらめなさい、この男はけしてあなたを逃がしはしませんよ、必ずその瞳で魂の救済をされるでしょう」
ジュレゴの言った通りであった、男はジュレゴが手を離すと目に巻いていた布を外し、そして一目散に空中に浮かぶ二つの金色の瞳めがけ駆け込んでいった。
「姫巫女様! どうぞわが魂で教団に永遠の力を!」
「いやっ!」
少女は嫌がリ抵抗したが、どうにもならなかった。男の勢いに完全にのまれていった、そして二人の目は見合わさってしまった。
少女の瞳を見た男の顔がみるみると干からびて来る、そしてそれを見る少女も動かない。
いや動けないのだ、俺には見えた少女の瞳から黄金の粉が出て、男の瞳の中に入っていき、戻って来るのを。
しばらくの間見つめあっていた二人だったが、とうとう男は灰になってしまった。
「姫は何も出来ぬのです。いい加減お馴れなさい。もう九百年ですぞ」
「……」
少女は首を振りながらヒウリの居るほうを見つめた。その眼には赤い涙がたまって見えた。
俺はこの少女に起きている地獄を目の前にして、何かできないか考えだした。しかしそれがいけなかった。彼の気の乱れがジュレゴに気付かれた。
「はて、姫様この部屋には誰かもう一人おるようですが?」
「そんな事ありません、目の不自由なお前に何がわかるのです!」
「目が見えないからといって侮ってはいけませぬ、私はダアトの欠片をいただいたエシンですぞ。ふむ、どうやらこの部屋には、あるはずのない果物の臭いもしますな」
俺はまたも自分の浅はかさを呪った、先程台所からくすねてきた果物を懐に入れっぱなしにしていたのを忘れていたのだ。
「いいえ! いいえ! 誰もいません!」
少女はジュレゴを制する、だがジュレゴは気にもしなかった。
ジュレゴは俺の近くまで近づいてきた。その時俺は探し求めていたものをジュレゴの体、頭頂部に見つけた。
「匂う、におう……、ここから何とも言えない匂いが……これは!」
ジュレゴが飛び退くのと同時に、俺のクナイがジュレゴの右肩に突き刺さった。
「臭っているのは、あなたの醜悪な体臭ですよ」
俺はジュレゴに殺気を浴びせながら言い放った。
「ほう、この部屋にお前のような者がいたとは、暗示をかけていないから姫様と、お向き合いにならなかったと見える」
ジュレゴは顔をしかめクナイを抜き、投げ捨て流れ出す血を拭った。
「こんなんなところで遊んでないで、姫様に魂をおやりなさい!」
「馬鹿な事を言わないで下さい。魂は差し上げるものではありません」
俺は少女の前に立ちながらジュレゴを睨む。ジュレゴは、見えないはずの両目で俺の位置を確認する。
「姫様の前に立ちはばかるとは、貴様、姫様の騎士にでも、なったつもりか!」
「別にそのようなわけではありませんが、悲しい瞳をする少女を助けないで、男と言えるでしょうか」
「瞳? 瞳を見たのですか!」
ジュレゴは驚く。それは少女の瞳の力を、受け付けないことへの驚きであった。
「それに、あなたには聞きたい事があるのです。その頭頂部にある刺青を石に付け、胸にはめている男を見た事はいですか?」
ジュレゴの頭頂部には二重丸の中、中心の円から外側の細い円の中にいくつもの円があり、さらにその一つ一つには不思議な幾何学文字の記号が刻まれているものだった。
「ほう、この紋様のダアトを付けた男の事ですか?」
「そうです。今、私は三年かかってやっとその男への、道しるべを見つけたのです」
「私がしゃべるとでも?」
「今まで見て来た様子だと、大変なお喋りの様ですから、ぜひ知っているなら。喋っていただければ、命だけは助けてあげてもいいです」
「命ですか」
「そうです、だめですか?」
「そうですね……。ですが、事この刺青の事になると無口になる方でして」
「なら結構。首から下を切り刻めばいやでも喋るでしょう」
「怖い事を言う……でもね、命を落とすのはあなたのほうですよ! 坊や!」
ジュレゴは印をくみ、素早く呪文を唱え始める。
「我の前から卑しき者を切り刻め」
ジュレゴの周りに小さな魔法陣がいくつも出て来るその中から、鋭い光の刃が俺に高速で迫る、俺は避けようと思ったが、後ろの少女も守らねばならないと思ったし、何よりも初めて見るこの技が、どんなものなのか見当がつかずに、迷い避ける機会を見や待った。そして絶対によけられない状況に、持っていかれてしまった。
光の刃はすべてが俺に命中した。
『十七世紀。
世界には魔法がまだ存在していた。
魔法は魔力からうまれるものだが、一部の者だけしか使えなかった。
その魔力もダアトの欠片を手に入れないと魔力は身に付かず、そのダアトの欠片を手にできる者も一部 の者しかいなかった。
ダアトの欠片を手に入れるという事は、クリフォトという旧支配種族の使徒との契約が必要であった。 使徒と契約を結ぶとダアトの欠片がもらえエシンとなり、初めて魔力が使えるようになる。
魔法を使うには、いくつかの手順がある。
魔力を得た者は、印をくみ呪文を唱える。印を通した呪文は大気に存在する第四元素、火・気・水・土 を組み替え、第五元素のエーテルに変化をくわえ呪文を完成させて、様々な魔法にするのである』
今回ジュレゴが使った魔法は、無数の光の刃を魔法で作り相手を貫くものであった。このような攻撃を受ければ人は、ひとたまりもないであろう。そして同じように、ヒウリも人であるがため、その身体は冷たい石の上に崩れ落ちた。
「いやぁ!」
少女の悲鳴が部屋の中にこだました。いや、実際にはこだましたのではない。俺はそれを冷たい石の上で感じていた。
「さぁ、姫。おやすみなさい。今日は疲れたでしょう、この痴れ者は私が片付けておきます」
ジュレゴは少女にそっと呟いた。そして少女を導くため俺をまたごうとした。ジュレゴは、俺が死んだものと思い込み完全に油断していた。
その瞬間を俺は見逃さなかった。またの下からジュレゴを腰に挿していた刀で一刀両断にしたのだ。ジュレゴの身体は、花が開くように左右に倒れた。ヒウリはジュレゴの着ていた服で刀の血を拭いとり鞘におさめた。
「あ、あなた死んでなかったの?」
少女は驚きの声を上げた。
「あれだけの魔法を受けたのに」
「どうやら死に神に、嫌われているようですね、私は」
「冗談を言っている場合じゃないわ!」
「冗談ではないですよ、何が起きたのか、私にもわかりません。確かに身体に無数の光が当たりましたが、衝撃だけで何ともありませんでした。それより……」
「なに?」
「先程から気になる事があるのですが。あなたの声です、あなたの声はどうなっているのですか? 先程の悲鳴もこの石でできた部屋の中で反響もしませんでした。私にはそれが奇妙でなりません。たぶん、最初あなたの声を聞いた時から感じている疑問が、これなのだと思うのです」
「それは姫の声が、我々の頭の中に直接語りかけてきているからだ」
俺が振り向くと、二つに割れたジュレゴの体が、幼虫が這うようにくっ付きながら立ちあがっていた。
「貴様、私の魔法が効かないとは、いったい何者だ!」
「何者だと言われましても、こちらこそ聞きたいですね。二つに裂かれたはずなのに、虫が這うように、くっ付きながら立ち上がるなんて、何者かと」
「私はエシン、わが神クリフォトの使徒様からダアトの欠片をもらい、人間以上になった存在。その私の力が及ばぬとは貴様もエシンか!」
「あなたがエシンという化け物なら、私は違います。人間です。確かに一度命を落とした記憶はるのですが、人間です」
俺は何の前ぶれもなく踊るように回転しながら、ジュレゴを見た。
「シュッア!」
俺の口から気合がほとばしる。もう一度ジュレゴに切りつけたのだ。しかしジュレゴもそれを予期していたかのように後ろに飛びのいた。しかしその身体に足は付いていなかった。足は俺の目の前で悶えている。
「ふむ、確かに奇妙ですね、鶏のようだ」
俺は鶏の首を撥ね、その鶏が首を撥ねられても暫く走り続けている様子を思い出した。
すると俺の思考を読んだかのように、両足は飛び跳ねてジュレゴのもとへ帰って行き、またくっ付いた。
ジュレゴは気にもせず呪文を唱えていた。俺はクナイを立て続けにジュレゴに投げつける、ジュレゴはクナイの苦痛に耐えながらも呪文を止める事はなかった。
「強大なる雷よ、我が敵を打ち砕かん!」
呪文が完成すると俺の頭上に魔法陣が光り輝きだした。俺はとっさにその場から離れたが、部屋の中なので隅に逃げるしかなかった。
魔法陣から出る雷は俺を追って命中した。俺は部屋の隅で腰から崩れ落ちた。
「ははは、これで終わり。先程の魔法は、何らかの障害が起きて不完全だったのでしょう」
ジュレゴは一人で納得したようにうなずき、クナイを一通り抜き止血を始めた。簡単な呪文を唱える事でクナイの傷は、一つ一つがふさがっていった。
「さぁ姫、おやすみなさい。今夜のような舞台は二度とありませぬ、これからの百年のために、千年のための百年をしかとこの塔で過ごすのです」
少女はうなだれるようにベッドへ向かおうとした。
「その男の目を見るのです!」
瞬間に声に反応して少女はジュレゴの目を見た。それと同時にジュレゴの目の前を何かが通過し、縫い付けてある両の瞼の糸が切れ、ジュレゴの目が見開いた。その目の前には少女の瞳が金色に輝いていた。少女の目から金色の粉がジュレゴの瞳に入っていき、ジュレゴの瞳から金色の粉が少女に戻って来る。
その行為がお互いを動けなくしていた。ジュレゴの体はだんだんと干からびてきていた、少女はその姿を笑って見ていた。
いや、九百年と言っていたその長い時間、この男にされてきた事への恨みが、俺にそう感じさせたのかもしれない。
俺は、その異様な風景を何もできず、ただ見ているだけであった。
灰となったジュレゴを見下した、そして近付いてきた俺に頭を下げた。
「ありがとう」
「やられっぱなしは癪なので」
「それにしても不思議だわ、あなたは二度も魔法を受けたのに、何ともないなんて」
「まほう……ですか? よく分かりませんが、失敗したのではないのですか? 二度目のも一応衝撃はありました」
「……」
少女は俺を見つめた。
「私はジークリート。ジークリート・デュドネ。お名前は、冒険者さん?」
右手の甲をすっとヒウリに出した。俺は出された手を握り返し、握手をしたが、それはすり抜けてしまった。俺は恥ずかしそうにその手を引っ込めると名乗った。
「私は、ヒウリと申します」
「どうやらあなたは、この地の者ではないようね」
「お分かりになりますか?」
「私が出した手の甲にキスもしないで握り返そうとするなんて、身分の高い私に対して失礼極まりない行為よ」
「そうなのですか? しかし、どうしても、掴めませんし……」
「いいえ、あなたには、私が見えているのでしょう?ならば膝をつき、形だけでもするべきなのよ」
「そ、そうですか。では、あらためまして」
俺は形だけのキスをした、しかし心の奥底ではムッとしていた。女ごときにこのように扱われるのは、心外であったからだ。
この時代の女性の地位は獣以下、子どもを産む道具でしかなかった。それは貴族の女性でも同様であった。モノとして扱われていた時代である。そんな女にヒウリは跪かねばならぬのが、納得がいかなかった。もっともこの少女の喋り方、人を見下したもの言いからして貴族なのであろうとは思えたが、自分の主人でもない女に従順に従うなど、もってのほかだと思っていたのだ。
「そう、それでいいのよ。私は、この塔に九百年閉じ込められていたの」
ジークリートは、俺を見下したように話した。
「それです。私にはわからないのですが、どうやって九百年も? ふつう人間なら五十年も生きれば大往生です。それなのに九百年とは、あなたもエシンとかいう……」
俺が言い終わらないうちに平手が飛んできただがヒウリは軽くそれを避けた。
「何を無礼な! 私をエシンなどという穢れたモノと一緒にしないでよ! 私が九百年も生きていられるのはこれよ。このダアトが私を、死から遠ざけているの、ふふ、嫌なダアトだわ……」
ジークリートは、鏡に映った胸部中央の自身のダアトを差した。しかし俺があまりそのダアトに興味を示さないので話すのをやめた。
ヒウリも鏡を見つめる。そして気になっていた子宮部分のダアトを指した。
「このダアトですが、このダアトは先程の男の刺青と同じですね。これは?」
「そういえばヒウリは、この紋様のダアトの男を探しているような事を言っていたわね。
これはクリフォトの一人の紋様のダアトよ。たぶんあなたの探している男はそのクリフォトの使徒ね」
「使徒?」
「クリフォト達は数人の使徒を絶えずこの世界においているの、自分の手足になる人間。いえ人間だった者をね」
「ではその紋様のダアトを持った者は使徒だと、人間ではなくなっていると!」
「そうよ」
「そもそもクリフォトとはなんなのです」
「人間以前に、この世界を支配していた種族よ」
俺は頭を抱えた。人間以前に、世界を支配していた種族がいたという言葉に。理解ができなかった。
「に、人間も、世界を支配なんかしていないです。自然と共存して、細々と生きているだけです。もしそんな種族がいたら、この世界は……」
「わかるわよ、ヒウリの考えも。でもいたのも事実で、今いるのも事実。そう、私がその証でもあるのよ。九百年前、私は彼らに捕まり十二個のダアトと引き換えに肉体を奪われ、人間ではなくクリフォトの木人形にされたの。それが何故だか分る?」
「……」
俺は答えなかったいや答えられなかった、話があまりにも突拍子もなくて、俺の頭で考えられる理解の範疇を超えていたのだ。
「そうね、わかるわけないわね。教えてあげる、私の秘密を。私は、生まれた時からこの世界に魔力を司る魔法の特異点なのよ」
「まほう……の、特異点?」
「この世界に、魔力を満たすための……。私がいる限り、この世は魔力で満たされ、魔法が使われる。そしてクリフォトを、あがめたてまつる信者が各地で惨劇を繰り返す……」
ジークリートの、金色の瞳は悲しげだった。
俺は少し考えてから、
「それでは、あなたを殺してしまえば、この世界からその魔力とやらがなくなり、惨劇はなくなるのではないでしょうか?」
と、言った。
「そうね。でも私は、死にたくはないわ」
当たり前の、言葉が返ってきた。ジークリートは、さらにヒウリを見て、
「私は、人間になりたい(・・・・)」
と、言ってきた。俺は腕を組んで言った。
「それは、そうですよねぇ……」
「そうですよねぇ。っじゃないわよ!」
ジークリートの手が、俺の頬に飛んできた。瞬間俺は後ろに身体をずらしたが、どうせ当たらない事を思い出し、体制を元に戻した。
「それにしても、さきほどから声が聞こえるのは、どういう事でしょう? 直接頭に声を送りこむと言っていましたが」
ジークリートは、少しためらいながらも話し始めた。
「クリフォトが私にかけた呪いの一つよ。さっきも言ったけど、私は、魔力の特異点。そのために十二人のクリフォトに身体を奪われたの、瞳と思考と命以外を。クリフォトにとって私の苦しみは魔力の糧にもなるのよ。私の声も奪われた肉体の一つよ」
そしてジークリートは、鏡に映った喉にあるダアトを指差した。
「これがある限り私は声を出せない。でも私自身のダアトの魔力により、相手の頭に直接言葉を送り込む事が出来るの。その声だって聞き手によって、きっと違うわ。私は本当の声、音、味、匂い。この体で感じられるもの、全てを取り戻したいの」
「でも、それが全て戻っても、あなたのダアトがある限り、また呪いをかけられるのでは?」
ジークリートは、胸の中央にある自分のダアトをそっと撫でながら、
「私のダアトの事を、やっと聞く気になった? これもね、呪いの一つなのよ。死の天使という呪い」
「死の天使?」
「この呪いが一番恐ろしいの。私を死なせない呪いよ。この呪いを解くには十二人のクリフォトの死しかないの」
ジークリートは俺を見た。そして、子宮にあるダアトを差し、
「あなたは、このダアトの持ち主の、使徒を探しているのよね」
「そうです、そのダアトのクリフォトですが、どこにいるのです? どこに行けば、その紋様のクリフォトの使徒に会えるのですか?」
ジークリートは、いたずらっぽく笑い俺を見た。
「さぁ?」
「さぁ? って……」
俺はジークリートの肩に手をかけようとしたが、その手はジークリートの身体をすり抜けてしまい、俺は前につんのめって四つん這いになった。そして自分が焦って、今の状況をきちんと認識していない事を恥じた。
目の前に自分の追い求めていた男の影が見える、それだけで興奮してしまったのだ。俺は、自身の修行の甘さを痛感していた。ジュレゴとの戦いでも、それらは所々にでていて、俺を窮地に陥れたではないか。俺は再度、修行が必要だと思っていた。
「わからないのよ、本当に。クリフォトは数千年前の実験で、異界に飛ばされたらしいわ。そして私が誕生したことで、高位のクリフォトが、この世界に一時現れられるようになった。そして自身の配下、使徒を作りだしたのよ。自分達を神とあがめる民衆をつくる、教団を創るためにね」
俺は困ってしまっていた、こんなおおごとな話を聞かされて。俺にとって大事なのは、クリフォトやその教団の事ではなく、胸に文様のダアトを持つ男を探すことだったから、母と妹の敵を討つ事だったからだ。
俺はそのために、未知なるこの地を、三年も歩き続けて来ていたのだ。自分がこの地で目が覚めたのも、きっとあの男に関係があるに違いないと俺はふんでいた。それが今現実のものとなっているのだ。
俺は興奮を抑えられなくなっている自分に気づき、深呼吸をした。そして何としてもこの少女、ジークリートに、その使徒の場所を聞き出さねばならないと思った。
「さてヒウリ、私をこの城から出してちょうだい、世界を見せて。そして私を人間に戻しなさい」
ジークリートは当然のように、俺に命令した。
「え?」
四つん這いになった俺は驚いた。
「驚かないでよ。私を助けに来たんでしょう?」
「いえ、別にそういうわけでは……」
「いいえ。あなたは助けに来たのよ! それに私を連れ出し、私を人間に戻すことによって、クリフォトと使徒に会えるわよ、必ず。彼らにとって、私は大事な宝物だから」
ジークリートは、にやりとした。
「私を守る。人間にする。約束を守るまで死なない。そう約束なさい……」
俺はどこかで聞いた言葉だと思ったが気にはせずに、立ち上がりながら確かにそうだと考えた。たとえ ジークリートを人間にしなくても、連れまわしていればいずれクリフォトとその使徒が、ヒウリ達の前に現れるのは分かっている事実だからだ。
そう、いずれ胸に俺の探す紋様のある男も、現れるのだ。
母と妹の敵が……。
「わかりました」
俺はうなずいた。
「なら忠誠を誓いなさい」
「え……」
「私を必ず、守り、人間に戻すまで死なないと。忠誠を誓えば、自分の目的だけ済ませて逃げるなんて、あなたには出来ないでしょう」
俺は自分の目的のために、浅はかな返事をしてしまった事を悔やんだ。俺にとって誓いとは、必ず守らねばいけないものであった。そう教育されてきた。そしてジークリートは、その俺の性格を、少しの間に見抜いていたのだ。
「……わかりました。あなたをお守りし、必ず人間に戻す事を、ここに誓います」
俺は跪いて、そうジークリートに言った。
「ありがとう!それじゃまずは、この城から出る準備をしないとね。ヒウリ、私が外に出てもおかしくないような服を作ってちょうだい。このままでたら他人に迷惑をかけてしまうわ」
まるで従者に命令するような物言いだが、ジークリートは他人の事も、ちゃんと考えている事が、俺には分かった。
「ところでヒウリ」
「何でしょう、ジークリート」
「……あのね、ジークリートはないでしょう? あなたは私の従者になったのよ! お嬢様とお呼びなさい!」
「へ……はい。お嬢様」
俺は舌打ちした。この気位の高いお姫様は、はなからヒウリを、従者とみていたのだ。
「よろしい。それでね、ヒウリ。さっきジュレゴを攻撃した武器は何なの? 特に目を開けたモノとか?」
ヒウリは床に落ちているクナイと手裏剣を拾い上げた。
「これはクナイと言って、投げナイフみたいなものです。そしてこちらの目を攻撃したのが手裏剣、曲線を描いて敵を攻撃します」
「そう、不思議な武器ね」
「私にとっては、普通の武器です」
ジークリートはまじまじと俺の握っている武器に魅入っている。その時俺はジュレゴの灰の中に光るものをみつけた。
「これは……?」
「それは、ジュレゴが言ってたダアトの欠片。魔力を使えるようにするアイテムよ。でも使徒と契約しないと意味がない代物ね、体内に入れられるのは、使徒のみなのだから」
俺は何気にそのダアトの欠片を拾い上げた。それは鉱物のように硬く、虹色に光っていた。しかしその刹那、俺の腕に異変が起きた。
「か、欠片が!」
「なんで?」
ジークリートも目を見張った。ダアトの欠片がひとりでに俺の腕に溶け込んでいったのだ。そして俺に異変が起き始めた。
俺の全身に痛みが走っていた。
「ぐぅううう」
ただ歯を食いしばるだけしか、俺にはできなかった――。