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同じ図書室のはずなのに、そこは昨夜とは様子を異にしていた。
独特の匂いはそのままに、壁一面にしつらえられた棚にぎっしりと本が収められているためか、何だか圧迫感がすさまじい。
昨日はといえば暗闇の中よく見えなかったせいか、これほどの感じはなかった。
天井の高い大廊下も控え室もどこも大差がないように思えたのに。
ついでにその蔵書の多さに改めてため息をつきたくなる。
こんなに無数の本、初めて見た。
暗がりのせいで昨夜はこの数が把握できていなかったんだなって改めて思う。
「……それで、タイトルはなんて本?
探すの手伝うよ」
門前の衛兵に口を利いてくれてここまで案内してくれた先ほどの男がにこやかに言う。
「いえ、結構です。
ここまで案内していただけたらそれで充分。
あとはわたし一人で何とかなりますから。
ありがとうございました」
その極上な笑みに応えてわたしも笑い返した。
「そう、言わないで、一人より二人の方が早いよ」
「いえ、ほんっとうに大丈夫ですから」
見かけよりも強引に突っ込まれてわたしは一歩後に下がる。
確かに手はあるに越したことはないんだけど、だけどねぇ……
本のタイトルが「婚活レシピ」だなんて男の人相手に言える訳がない。
なんか本当にがっついているようで、恥ずかしいことこの上ない。
こんな綺麗な男の人に莫迦にされて爆笑でもされた日には死にたくなる。
ま、実際は切羽詰っているのが本当のところだけど、相手は王子様(だと思う)だしできるだけスマートにしておきたい。
「コンラッド様に手を貸していただくなんて、恐れ多くてホントに、もう…… 」
逃げ腰になりながらわたしは思わず口にする。
「今、なんて? 」
わたしのその言葉を受け、不意に男の顔つきが変わった。
今までの極上な笑みは消え去り、どこか険しさを増した顔はまるで別人のようだ。
「ですから、手を貸していただくのは恐れ多いので、その……
ご遠慮したいなぁ……
なんて…… 」
男の気迫に気圧されてわたしの言葉は徐々に小さくなって行く。
「じゃ、なくてその前! なんて言ったんだよ? 」
わたしを棚際に押しやりずいっと顔を近づけて男がもう一度訊いてきた。
「えっと…… コンラッド様? 」
焦りまくったせいでこんがらがったさっきの記憶を手繰り寄せわたしは自分が口にした言葉をもう一度引っ張り出す。
やばっ……
もしかして間違った?
アルマンド王子と側近のコンラッド様。
どういう訳か知らないけどまるで双子のように似通っている二人。
てっきり今わたしの目の前に居るのは側近のような気がしていたんだけど、もしかして本当は王子様のほうだった?
そりゃ、怒られても仕方がない。
よりによって身分の高い人を目下の人と間違えるなんて……
「ごめんなさい、ごめんなさい。
ごめんなさい! 」
目の前に迫る男の顔が直視できなくなりわたしは目をぎゅっと瞑ったまま何度も繰り返す。
「……どこで、わかったんだよ? 」
だけどわたしの耳もとで囁かれた言葉は思いもしないものだった。
と、言うことはやっぱり間違っていなかった?
わたしは少しだけ目を開けると間近に迫った男の顔を覗き見る。
「訊いてんだよ? どこでわかったかって」
小さいけどどすの利いたその声は、先ほどの穏かで優しい声とは間逆だ。
ついでに何だか言葉遣いも違う。
「あの、その……
髪が…… 」
どうして急にこんなことになったのかさっぱりわからなくて、わたしは混乱する。
ついでに目の前の優しかったはずの男がとんでもなく怖い。
大きな声を張り上げられたわけじゃないんだけど、この気迫というか雰囲気が、さっきの人とは別人みたいでわたしはすっかり怯えあがる。
距離があまりに近かったせいもあり、このまま噛みつかれるか胸元をつかまれて撲られるかそんな恐怖が襲う。
「髪? 」
かろうじて搾り出したわたしの言葉に男はようやく少しだけわたしとの距離を取ってくれた。
次いでわたしの言っていることがわからないとでも言うように首を傾げる。
「そう。
ぱっと見には同じ色なんだけど、光の透け方が全然違うの。
一人の方は金色でもう一人は赤褐色に見えるから。
ほら、国王様も王妃様も髪が金色でしょ?
だから金色に透けるほうが王子様かなって……
違ってました?
だったらごめんなさい、ご無礼なことしてしまって! 」
わたしは大きく頭を下げた。
それにもう一つ。
金色の髪の王子様の優しい笑顔や穏かな言葉はまじりっけのない純粋なものに感じられたんだけど、今目の前にいるこの男の笑顔には同じようでありながら時にどこかに違和感があった。
まるで無理しているような。
それは以前に見た時にも同じ。
「はぁ……
まさか、そんなところでばれるなんてな。
やっぱつくりものは駄目ってことかよ」
あからさまにため息をつくと男は呟く。
「つくりもの? 」
その言葉にわたしは睫を瞬かせた。
「……そうだよ。
この髪、染めてんだよ」
「もしかして王子様と揃える為? 」
その言葉に浮かんだ疑問を思わず口にした。
「さすがにな、王太子殿下と年齢から容姿身長何もかもに至るまでそっくりな人間を探すのは不可能だったみたいで、髪だけはつくりものなんだ」
「双子、じゃなかったの?
長男が王子さまで、次男が側近だとばっかり思ってたんだけど…… 」
「この国の王子が双子だなんて話、何処から聞いたんだよ?
王子には双子の兄弟どころか、姉も妹の誰もいない一人っ子だってのは莫迦でも知ってるだろうが?
おまえ本当にこの国の人間か? 」
詰め寄ってくる男の勢いは何だか怖くて、わたしは少したじろいだ。
「確かにこの国の人間だけど、上のことは知らないもの。
双子だと、どっちが後先って揉めるから、片方を養子に出したとかじゃないかって、勝手に思い込んでたの。
教えてくれてありがとうございます」
「ヤバっ……
何だって俺…… 」
男はふいに頭を抱え込む。
「いいか、今のは内緒だからな」
次いで思い返したように顔をあげると男はわたしを睨みつけた。
そりゃもうってか……
その気迫に気圧されて、とりあえずわたしは大きく頷く。
だけど頭の中はものすごく混乱していて。
もちろん王子様の双子の件じゃなくって、この男の豹変ぶりにだ。
これがさっきお城の鉄柵越しにわたしに花を返してくれた人?
全くの別人なんですけど?
声にならない言葉が何度となく頭の中を巡る。
確かに光に透けない限り髪の色も目の色も顔つきも背格好も何もかも王子様そっくりだったこの男が、違う人間に見える。
で、一度そういう目で見てしまうともう、同じ人間には見えない。
「おまえ、何考えている? 」
男がもう一度間合いを詰めるとわたしの顔を覗き込んできた。
「いえ、何もっ…… 」
わたしは今度は首を大きく横に振った。
「まぁいい、このこと世間にばらしたらおまえ首が飛ぶからな」
「失礼ね、わたしそんなに口軽くないわよっ! 」
ものすごい形相で睨みつけられ凄まれて、わたしは思わず食って掛かる。
だって何だか無性に腹が立ったんだもん。
わたし、なぁんにも悪いことなんかしてないはず。
なのに何だってこんな脅しを掛けられなくっちゃいけないんだろう?
相手が王子様じゃないってわかったこともそれに拍車を掛けた。
見間違えだろうか? そのわたしの反応に対して、男の顔が面白いものでも見つけたときのように歪む。
「わたし、帰らせてもらいますね」
その表情に、なんとも言えないいやぁなモノを感じてわたしは逃げることにした。
何だかわからないけど、この人と一緒にいたらヤバイことになりそうな予感がする。
「いいのかよ?
これ……
探しているんじゃないのか? 」
その言葉にドアに向かっていた足を止め振り向くと、男がどこからともなく一冊の本を引っ張り出し、部屋の中央に据えられたテーブルに身を預け、わたしに見せつけるように掲げ持っていた。
「 ! 」
男の手にある薄っぺらな本を目にわたしは息を呑んだ。
「それっ、おばあちゃんの蔵書! 」
ブルーグレーに染めた皮に控えめながら独特の文様が金箔で押された装丁の本には見覚えがある。
おばあちゃんは自分が編纂した魔術書や古い伝統的な魔術書の写しなどの本を装丁するとき、必ずこの意匠で統一していた。
だから見間違うはずがない。
思わずわたしは駆け寄ると男の手の中のそれをひったくろうと手を伸ばす。
だけど、空しいかなわたしの手はすかりと空を掠めた。
この男がこれをもっていると言うことは、夕べのわたしとミアンのやり取りを少なからず聞いていたということだろう。
あの時ミアンの口から漏れかかったタイトルを咄嗟に封じたけれど、おおよそは知られてしまったってこと。
「返して! 」
男を睨んで声をあげる。
「返すも何も、これ、ここの本だから」
わざとわたしから視線を逸らすと男はしれっと言う。
「それはおばあちゃんの本よ。
ただ偶然ここに紛れ込んでいただけよ。
きっとおばあちゃんが宮廷魔術師を務めていたときに紛れ込んだんだと思うの…… 」
とは言ってみるものの確証はない。
よもやとは思うが、表紙の裏に王城か国王様の蔵書を示すサインでもされていたらアウトだ。
返してもらうことどころか持ち出すこともできない。
……不味いことになった。
それに何より、あのタイトル。
女の子達だけでお茶会の余興に冷やかし半分に話題にするのはもってこいだけど、こんな男に見られたら鼻で笑われそうだ。
わたしは思わず頭を抱え込みたくなる。
「お前さ、こんなものに何の用があるわけ? 」
男はあろうことかテーブルに座りなおすと、僅かにわたしの手の届かない距離で見せ付けるかのように頁を捲る。
「何って、それはっ…… 」
思わずわたしは口篭もる。
……意地悪だ、この男。
そんなの訊かなくたってタイトルでわかるって物で、きっと無理にわたしの口から言わせて爆笑して莫迦にする魂胆だろう。
「そんなに結婚したいのかよ? 」
とか何とか言って。
そう考えただけで頭に一気に血が上った。
「これ、大げさなタイトルだけついているけど、中身『空』だぜ? 」
ところが、男の口から出た言葉はわたしの予想外のものだった。
次いで開いた頁を見せ付けるかのようにわたしに突きつける。
「嘘…… 」
それを目にわたしは思わず男の手から本をひったくり頁を捲り、呆然とする。
確かに空なのだ。
開かれた頁は真っ白け。
文章も解説画も装飾の縁取りすらなく、一文字も書かれていない。
全くの白紙の束。
あのおばあちゃんがまさか、執筆前の本を作ったなんて思えないんだけど……
もしかして、特殊インクとかで書かれていて何かの呪文を唱えると文字が現れるとか?
曲がりなりにも、全盛期には宮廷魔術師を務めた魔女の残したものだ。
そのくらいの細工があったっておかしくはない。
思い直してもう一度頁を捲った。
「おい? 」
声を掛けられ顔をあげると、何だか周囲が薄暗い。
「お前一体どれだけ熱中すればいいんだよ? 」
呆れたような男の声が頭上から降ってくる。
「どれだけって? 」
見渡すと窓の向こうに広がる空が妙にオレンジ掛かっていた。
いっけない! 頁を捲るのに集中しているうちに何時の間にか夕方になってしまっていたみたいだ。
「いくら見てたって白紙は白紙だろ? 」
「そうでもない、かも。
おばあちゃんの作ったものだもの。
書いてあることが魔法で見えなくなっていたって不思議はないんだもん」
そう思ったんだけど、どんなに集中して頁を捲っても、どんな魔法が掛かっているのかどころか魔法の掛かっている形跡さえ見出せない。
「でも、もう遅くなっちゃったし、帰るわね。
お邪魔しました」
わたしは手にしていた本を抱えると立ち上がる。
「ちょっと、待った」
そのまま部屋を出ようとしたところをむんずと襟首を引っ張って引き止められる。
「何よ? 」
その少し乱暴な行為に腹を立ててわたしは男に向き直る。
「そ、れ」
男の手が伸びるとわたしの腕の中からその本を抜き取った。
「置いてけよ。ここの本だろ? 」
「え? あ…… ごめんなさいっ」
見慣れた上にしかも自宅以外で絶対目にする筈のない表紙の本に、無意識に持ち帰ろうとしてしまった。
「あの、これ貸して貰ってもいいかな? 」
駄目元で訊いてみる。
もう少し詳しく調べてみたい。
「駄目だ」
男は即答した。
「お願い、もう少しゆっくり調べてみたいの」
「だったら、明日又来ればいいだろ? 」
「だってわたしお城になんてそんなに毎日来られるような身分じゃ…… 」
そもそもそれ以前に出入り禁止なんだもん。
「手は打って置いてやるよ」
それをわかっているかのように男は言う。
「その代わり……
わかってるよな?
今日の一件、特に俺と殿下が見分けがつくって話。
絶対誰にも喋るんじゃないぞ」
さっきまで乱暴だったけどそれでも笑みが浮かんでいた顔を突然凄ませた。
その気迫にわたしは思わず大きく頷く。
「万が一誰かにばらしたりなんかしたら、こいつ即座に火の中に放り込むからな。
んじゃ、また…… 」
いかにも意地の悪そうな笑みを浮かべて男はわたしより先に図書室を出て行った。
……どういうことなんだろう?
その背中を見送りながらぼんやりと考える。
さっきまでわたしの隣に居た男はどう考えても、いつも王子様に付き添っているコンラッド様とは思えない。
お二人は本当に穏かで極上な笑みに上品な佇まい。優しい言葉に甘い声。
なのに今のは……
顔つきこそ王子様そっくりなのに、中身は似ても似つかない。
乱暴な言葉遣いにどすの利いた声。表情に至ってはほとんど動かない上にたまに浮かべる笑みはとても意地悪だ。
その男が、王子様と同じに作られたまがい物のことを人に知られちゃ困るからとわたしを脅してきた。
とはいっても、誰に言ったところで信じてはもらえないだろうなぁ……
とにかく様子がかけ離れすぎている。
「お嬢さん、失礼ですがこちらのお部屋を閉めたいのですが」
気が付けばほとんど日が落ちてしまい暗闇に近くなった室内に立ち尽くすわたしに、使用人と思われる少年が声を掛けていた。
……結局、あの本はなんだったんだろう?
家に帰って夕食を済ませるとわたしは部屋に戻る。
ぽすんとベッドの縁に腰掛けると枕元に置かれたこぶし大の水晶球に手を伸ばした。
おばあちゃんのお形見。
魔術よりも占いを得意としていたおばあちゃんの商売道具だったもの。
「何にも書かれていない本なんて、どうやって読めばいいのよ」
言うとでもなく水晶球に話し掛ける。
球の中にはおばあちゃんの記憶や記録が入っているからもしかしたらもう少し何かヒントが出て来るかもしれない。
すると机の上に置かれたフェアリーランプの光を受け水晶球がぽぉっと光りだした。
ほんのりと薄蒼く輝くそれを覗き込むと今日の本の上にこの水晶球がのせられている光景がぼんやりと浮かび上がっていた。
「もしかして、この球で透かしてみれば字が浮かび上がってくるとか? 」
呆然と呟いた後わたしは大きく首を横に振った。
残念ながらそれは多分ありえない。
だってあの本からは全くといっていいほど魔力の痕跡が感じられなかった。
実際に手にとって見たから充分すぎるほどにわかっている。
「もう、どうしたらいいんだろう」
ため息をつきながら着替えを済ませわたしは水晶球を握ったままベッドの中に潜り込んだ。
弥湖のお話にはよく、図書館とか書庫が出てまいります。
どんなに本好きなんだろう?
って思っていらっしゃる方もいらっしゃるかと思いますが、実は弥湖図書館は苦手だったりします。
貸し出し期限内に読了するのが、辛いので。
ただ、弥湖の書くお話の時代背景(あくまで雰囲気重視の為、年代・国等ごちゃまぜですが)からすると、本はお金持ちのステータスシンボルなので「貴族=本持ち」って感じで「金箔猫足家具」「シャンデリア」と同じく貴族の家っぽい状況描写の小道具の定番になっています。




