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 澄んだ青空に特別な鐘の音が響く。

 めったに鳴らされることのない王宮の聖堂の鐘が鳴るのはお祝い事と不祝儀の時。

 この空いっぱいに響く軽やかで華やかな鳴り方は、誰にきかなくてもそれが婚儀のためだとわかる。

 

「ね? おかしくない? 」

 オデットの用意してくれた馬車に揺られながら、わたしは向かいに座ったミアンに訊く。

 これもオデットが用意してくれたドレスは上等で着心地はいい。

 ただし思った以上にデコルテが開いていて何だか居心地が悪い。

「そんなことないわ。

 よく似合っている」

 ミアンがやんわりとした笑顔を向けてくれた。

「でも、良かった。ミアンが一緒で。

 一人だと思っていたから少し心細かったのよね。

 ミアンが式にご招待されるほどオデットと仲良かったなんて知らなかったな」

 わたしは軽く息をこぼした。

 いくら親戚も集まるとはいえ、招待客の半分以上は旦那様になる伯爵家の縁者や知人。

 しかもほとんどが貴族の人たちだと思うとどうしても緊張する。

 

 オデットが伯爵様にお願いしてなんとかわたしが介添え人を勤めることになった時点で、父さんは「家からはおまえが行けば義理が果たせる」とわたしに丸投げして逃げた。

 

「お友達になったのは王宮に上がってからよ。

 もっともわたしは新参者で、オデットは二年越えのベテランだったんだけど。

 リシェつながりで話をしているうちに気が合ったの」

「そうなんだ。

 オデットがお城に行儀見習いに出ているなんて知らなかった。

 それで伯爵様の目に止まったのかしら? 」

「うん、そうみたい。

 わたしもその辺りは詳しくは知らないんだけど」

 ミアンが頷いた。

 だものね。

 行儀見習い希望者が後を立たないわけである。

「それでね、ミアン。

 実はお願いがあるんだけど…… 」

「なぁに? 改まって」

 わたしが切り出した言葉にミアンが首を傾げる。

 介添え人の役が決まった時から、今度ミアンの顔を見たらお願いしようと思っていた。

「その、できたら王宮の図書室に案内してもらえないかな? 

 式の後、結婚披露の舞踏会があるでしょ? 

 その時にでも…… 」

 図々しいと解っているけど、ほかに頼める人なんていない。

「図書室ね。

 後は? 」

 さすがのミアンでも嫌な顔するかと思ったのに、その答えは随分拍子抜けしたものだった。

「いいの? 」

「今日はね、お客さんが沢山だからお城の表向きのお部屋のほとんどが来客に開放される予定なの。

 図書室もその棟にあるから、少しぐらいうろうろしても誰にも怪しまれないわ」

 ミアンが笑みを浮かべた。

「ありがとう、ミアン! 

 大好きよ」

「お礼は、その…… 

 なんだっけ、魔女様の残した物が見つかってからでいいわよ」

 少しふざけて言う。

 

「さてと、そうと決まったら失敗しないようにしなくちゃね」

 呟いてわたしは手にしていたバックから一枚のメモを引っ張り出す。

 式の時に着るこのドレスと一緒にオデットから届いた式次第。

 地域の聖堂での誰かの結婚式の時に介添え人がすることは時々見ているからなんとなくは解っているけど、さすがに王宮の正式な儀式は少し手順やしきたりが違うみたい。

 もし式の最中に派手に手順を間違ったり慌てたりして来賓の注目を集めてしまったら、舞踏会の時にも目立つことになってしまう。

 それでは身動きが取れなくなってしまうから、できるだけ目立たないに越したことはない。

 わたしは書かれたメモの中身をもう一度頭に叩き込んだ。

 

 

 王城の広間で、わたしは真昼と見まごう程に焚かれた無数の蝋燭の光に何度めかの瞬きをした。

 話には聞いていたけど、数年に一度お城で開かれる貴族の結婚披露舞踏会がこんなに豪勢なものだとは思いもしなかった。

 着飾った人々の視線はホールの一点に向けられている。

 並んで皆の祝福を受けている新婚夫婦の旦那様の年齢は花嫁より十歳くらい上だって話だけど、似合いのカップルに見えた。

 数時間前王城付属の聖堂で式を挙げたばかりのオデットは、真っ白なドレスに身を包み幸せそうな笑みを浮かべていた。

「リシェ? 」

 名を呼ばれ振り返ると心配そうなミアンの顔がある。

「あ、うん…… 

 じゃ、案内してくれる? 」

 ミアンに向き直るとわたしはここへ来る道すがらお願いしたことをもう一度念を押した。

「いいけど、本当にやるの? 」

 ミアンの眉根が困惑気味に寄る。

「そりゃ、もう! 

 だってこんな機会わたしにもう二度とくるかどうかわからないのよ? 」

 広間の中央で始まったダンスを踊るカップルを見守るように取り囲む人々の間を縫ってわたしは足を急がせる。

「今回だってオデットがカイベル伯爵と結婚してくれたからかろうじて潜り込むことができたんだもの」

 呟いたわたしの前を歩くミアンの足がホールの真中辺りでふと止った。

「見て、素敵ね。

 アルマンド王子とコンラッド様…… 」

 その視線は先ほど新婚夫婦を取り囲む人々の様子と同じような人込みに向けられていた。

 ただし中心にいるのは背の高い若い男二人で取り囲むのは妙齢の少女達ばかり。

 あでやかに着飾った少女に取り囲まれているのはこの国の王子とその側近。

 同じように整った顔に同じような穏かな笑みを浮かべて少女達と談笑していた。

「ね? どっちが王子様かしら? 」

 揃いの金茶の髪に深い鳶色の瞳、おまけに全く同じジュストコールを纏った似た顔つきの男を目に、ミアンが首を傾げる。

 普段からそうだけど、いくらこの会場が明るくてもさすがに蝋燭の下、背格好だけじゃなくて衣服から髪色まで同じでは、まるで双子のようで遠目にはちょっと見分けがつかない。

「お城に上がっているのにわからない? 」

 先月から行儀見習いの名目でお城に女官として勤めているミアンの言葉にわたしは首を傾げた。

「そりゃ、わたしなんかの新参者の身分じゃ、王子様の側になんてとてもじゃないけど近付かせてなんかもらえないもの。

 王妃様を直にお世話する女官様のお手伝いをするのがせいぜいだもの」

 ミアンは残念そうにため息をつく。

 王子様はともかく、その隣にいつもくっついているそっくりさんの名前は王宮に務めるようになったミアンから初めてきいた。

 

「右が王子様よ」

 何気なく言ってわたしはミアンの袖を引いた。

 時間は限られている、ぐずぐずしていたら舞踏会が終わってしまう。

「裏階段、こっちでいいのよね? 」

 以前のミアンの話を思い起こしてわたしは訊く。

「うん、裏階段はね。

 でも、図書室に行くには表の階段の方が近いのよ」

「そうなの? 」

 思わずわたしは顔を顰めた。

 ミアンは舞踏会当日の最中、この王宮の表向きの部屋はほとんど来客に開放されていると言っていた。

 喫煙室に着替え部屋、応接間に一部の高貴な人々の控え室。

 もちろんわたし達一般の来客のための休憩室だってある。

 つまりはメインの大広間以外でもかなりの人目につくってことで、できるならそれは避けたい。

 だから裏のほうが目立たないかなって思ったんだけど…… 

「何気ない顔して行っちゃえばいいのよ。

 今日は見慣れない顔いっぱいいるんだもの。

 普通に振舞っているほうが怪しまれないわ。

 その恰好で使用人専用の裏を歩くほうが目立つわよ」

 わたしのドレスにミアンが視線を送った。

 今回城に入れた理由は又従姉妹のオデットの結婚披露舞踏会へのご招待。

 だからさっき王子様達を取り囲んでいた女の子達ほどじゃないまでも一応わたしも晴れ着。

 ピンクベージュのダマスク織に手織りのレースをふんだんに縫い付け花まであしらったローブデコルテでは明らかに使用人ばかりが控える裏では目立ちそう。

「だから、ね。

 やるんだったら急ぎましょう」

 わたしを促してミアンはホールを抜ける。

 

 できるだけ壁際をとおり、誰にも邪魔にならないようにと気を使い、ようやく広いホールの大扉の前に辿り付いた。

 これからのことを考えると自然に鼓動が早まる。

 

「お嬢さんがた、もうお帰りですか? 

 宴はまだこれからですよ」

 無意識に胸の辺りに手を置き呼吸を整えているといきなり甘い声が掛かった。

 うっかりするととろけそうになってしまいそうなその優しい声に顔をあげると、先ほど少女達に取り囲まれていた男の片割れの姿があった。

 ただ浮かべられた極上の笑みがなんとなく嘘っぽい、そんな違和感がある。

 

「いえ、えっと…… 

 その…… 」

 ミアンが戸惑った声をあげる。

 でもそれは実に都合の悪いことで…… 

「あの、その。

 お化粧を直しに、レストルームに案内してもらうところなの」

 あからさまに視線を泳がせ恥ずかしそうに顔を背けると、わたしは消え入りそうな声で言う。

 化粧室の話なんて男の人を前にしてするもんじゃないのは織り込み済み。

 町の粗野なオジサン達ならともかく、こういう上品な暮らしをしている人になら効果があるはず。

 そう思って打つ、ダメモトの小芝居。

「ですから、道を空けていただけますか? 

 コンラッド様」

 わたしの声に男の表情が僅かに引きつる。

「それは、申し訳ないことをしたね。

 レストルームはその先だよ」

 女の子にあるまじき言葉を喋らせたと男は軽く頭を下げ、身体をずらして通路を空けてくれる。

 咄嗟の芝居だけど、何とか誤魔化せたみたい。

 男に背を向け暫く行ったところでわたしはそっと息を漏らした。

 

 城の奥へと続く大廊下には全く人気がなかった。控え室が設けられているとはいえ、ほとんどの招待客がホールに集まってしまっているのだろう。

「ここよ」

 蝋燭の灯りだけの揺れる人気のない廊下を長いこと歩いて暫く行った先の部屋のドアをミアンはそっと押し開けた。

 

 インクと紙と皮と黴、そんなものの入り混じった独特の匂いが鼻先を掠めた。

 さすがに一国の王城。

 広間から少し距離のあるこの部屋はその目的からして今夜の客には開放されていないのだろう。

 人気がないだけではなく灯りも入っていない。

「ね、本当にここにあるの? 

 そのリシェの言う本。

 なんだっけか? 」

「『魔女の婚活レシピ』」

「わたしね、お城に上がってすぐにここの整理を任されたことがあるんだけど、そんな本どこにもなかったわよ? 」

 ミアンが首を傾げた。

「うん、でも確かにおばあちゃんの水晶球に出てきたのよ。

 魔女の血を引く娘は結婚相手に困る確率が高いから、それを回避するための方法を残したんじゃないかってわたしは踏んだんだけど」

 自分の苦労の度合いを考えての希望的推察。

「それにミアンだってここの本全部読んだわけじゃないでしょ? 」

 天井までびっしりと本の収められた壁面を見渡して言うわたしの声は、その書架に吸い込まれて消えてゆく。

 少し離れた広間の喧騒も同じように吸い込まれてしまっているようで、部屋に入るまではかすかに響いてきた物音がドアを閉めたとたんに全くしない。

 でもどっちにしても早く済ませてしまうほうがいいのは確か。

 ここにいられる時間なんて限られている。

「……やっぱり昼間出なおしてきたほうが良くない? 」

 ほとんど灯りのない室内で棚に並んだ背表紙をじっと見つめてミアンが呟いた。

 これだけ暗いと棚に収められた本のタイトルなんて読み取れるわけもない。

「そうしたいのは山々なんだけどね」

 わたしは髪飾りの代わりに挿していた生花を結い上げた髪から抜き取ると、右手にのせてそっと左手の甲でそれを撫でる。

 

 …… 美しき花の女神の娘達よ、今真昼の記憶をここに蘇らせたまえ …… 

 

 魔女だけの使うことのできる特別な言葉で詠唱すると掌の上の花がぽぉっと光を浮かべた。

 その一輪をミアンに手渡すと残ったもう一輪を書棚にかざす。

 広間に数えられないほどに灯された蝋燭のようなわけには行かなかったけど、それでも書棚に収められた本の背表紙に書かれた文字を辿るのには充分な光量がある。

「ね? タイトルからしてそれってやっぱり料理本? 

 男心を掴むにはやっぱり胃袋から、って? 

 だったらこの辺りだと思うんだけど…… この間整理のお手伝いした時に確かこの辺りに料理の本ってまとめてあったはずなの」

 ミアンが壁の一角を指差してくれる。

「ん~ どうなんだろ? 」

 わたしは首を傾げる。

「それだったら、おばあちゃんわざわざ隠して水晶球に手がかりなんて残さないと思うのよね? 

 料理なんかじゃ誰でもできるし害もないし。

 第一おばあちゃん出し惜しみする人じゃなかったもの」

「じゃ、もしかして、ほれ薬の類? 

 ほら飲んだ直後に見た人をモーレツに好きになるアレ。

 レシピはレシピでも処方箋の方だったりして」

 興味をかくしくれないようにミアンが訊いてくる。

「その可能性が高いかな? 」

 光る花を本棚に近づけてそのタイトルに目を走らせながらわたしは呟くように答えた。

「でも、それじゃ空しくない?

 本当に自分のことを好きじゃないもっと言えば嫌いな人を強引にその気にさせるなんて」

 呆れたようにミアンが言う。

「……確かにそうなんだけど。

 仕方がないじゃない、ほかに方法がないんだから」

 わたしの声が消え入るように小さくなる。

「わかんないわよ。

 婚約者がいてあと数ヶ月で結婚することが決まっているミアンには…… 」

「……ごめん」

 ミアンが済まなそうに呟いた。

 子供の頃から仲良しのミアンは家が近かったこともあり、わたしの家の事情をよく知っている。

「それに、まだほれ薬に決まったわけじゃないわよ。

 もしかしたら、わたしのことだけを思ってくれる人に出会うための方法かも知れないし。

 そういう人を引き寄せてくれる呪文かもしれないもの。

 大体ほれ薬って相手がいてこそのものじゃない。

 わたしの場合まずその相手がいないんだから」

「森の魔女様は何か言っていなかったの? 」

「おばあちゃん? 

 なぁんにも。

 そもそもおばあちゃんはお隣の幼馴染さんと結婚したからお相手探しさえしなかったって話だもの」

 わたしはため息をついて見せる。

「ごめんね。

 わたしが女の子でなかったら絶対リシェをお嫁さんに貰ってあげたんだけど」

 そっと近寄って来るとミアンはわたしの頭をよしよしと撫でてくれる。

「わぁん、ミアン大好き! 」

 ひしっとその腰に抱きついてそれに応える。

「だって、リシェがお嫁さんだったら魔女の力で病気や怪我すぐに治してもらえるし、天気予報なんてお手の物だし。

 その上料理上手ときたら、こんなお得な物件ないじゃない」

「……もしかして、そっちが目的? 」

 もちろん冗談だってわかっているけど、抱きついたミアンの顔を見上げてわたしは少しだけ恨みをこめて言う。

「一般論よ。

 こんなにお得なのに、どうして世間の男の人って魔女ってだけで嫌がるのかしら? って話。

 わたしはそんな能力なくてもリシェのこと好きだけどね」

 くすりとミアンが笑みをこぼした。

 

 ミアンはそういうけど、それならわかる。

 誰だって自分が有しない未知の能力は怖いのだ。

 よっぽど惚れてでもいなければ家族に迎え入れようなんて思わないだろう。

 現におばあちゃんも相思相愛の相手とはいえ、おじいちゃんの家からは結構な反対にあって説得するのに苦労したと言う話だ。


「さて…… と、そんなことしている場合じゃないのよね」

 呟いてわたしはミアンから離れると書架に向き直った。

 とにかくチャンスは今晩しかない。

「ね、やっぱりお願いして昼間にしたら? 」

 ミアンがもう一度言う。

「それができたら今頃こんなことしてないわよ。

 ほら、この間話したでしょ? 

 一般の人でも入れる庭園でさえ門前払い食ったって。

 今回だってオデットの結婚披露舞踏会でなければここに近付くこともできなかったんだから。

 それもオデットが『どうしても』って説得してようやく叶ったのよね」

「その又従姉妹の介添え役サボってこんなところにいていいのかい? 」

 ため息とともに突然呟かれた声に顔をあげると、何時の間にかドアが開かれ蝋燭の焚かれた廊下を背景に背の高い男の影が浮かび上がる。

 背後の光を通して丁寧に梳られた頭髪が赤褐色に透けた。

「こんな時間にこの部屋に灯りが灯っているから何かと思えば、お嬢さん方は何をお探しかな? 」

 少し呆れたような甘い声に穏かな口調。

「ここは夜間は立ち入り禁止だよ。

 入っているものが物だけにね。

 当然火気厳禁なんだけどな」

 言っていることはキツイのにその口調はあくまでも優しい。

「ごめんなさい。

 知らなかったの、でも灯りは火じゃないのよ。

 コンラッド様」

 わたしはドアの側に近付くと持っていた花を男に手渡した。

 花の光はどんなに動かしても蝋燭のそれとは違ってゆらりとも動かないし直に触れても熱くもない。ほんの少し陽だまりの熱を発しているだけだ。

「な…… 」

 その光に照らされた男の顔が少しだけ引きつった。

「そういう問題じゃないんだよ。

 とにかく、ここは夜間は立ち入り禁止。

 例外を一人でも許すとあとの人に示しがつかないからね」

 男は苦笑すると身振りでわたし達に退室するように促した。

 その上品な所作と物言いは、明らかに王子様そのもので、うっかり気を抜くと見惚れてしまいそうだった。

 女の子たちが取り囲む理由もわかる。

「あのっ! すみません。殿下。

 わたし達探し物してまして、本知りませんか? 魔女の婚かっフガっ…… 」

 探し物は書庫の持ち主に訊くのが一番とでも思ったのかミアンが突然言い出した口をわたしは慌てて押さえた。

「リシェ? 」

「ごめん、それ内緒だから」

 口を押さえられたままわたしの顔を見るミアンにわたしは無言で言う。

「『魔女の…… 』なんだって? 」

 でも少しばかり遅かったみたいで男の顔が少し面白そうに歪んだ。

「いえ、何でも…… なんでもないんです! 」

 答えてわたしはミアンを連れたままその部屋を出た。

 

 

 結局…… 

 せっかく王城の図書室に入れたって言うのに手がかりすら見つけられないまま追い出された恰好になってしまった。

 何故かわからないけど、ホールに戻ってから舞踏会が終わるまで、気が付くと王子様の視線があり身動きが取れなかったのだ。

 

「あ~、あ」

 王城を取り巻く鉄柵越しにそびえる塔の先端を目にわたしは何度目かのため息をついた。

 入れないのがわかっていながらも性懲りもなく、こんな場所に出向いてしまう自分が恨めしい。

 どうしておばあちゃんはあんな大事なものを王城なんてとんでもない場所に隠したんだろう? 

 これがせめて公園とか公会堂とか劇場とかならまだ望みはあったのに…… 

 これじゃ一生独身決定みたいなものだ。

「そこの赤毛のお嬢さん」

 どこかで訊いたことのある柔らかな声に振り向くと鉄柵越しに昨日の双子の片割れの姿がある。

「えっと…… 」

 調えられた金茶の頭髪が赤褐色に透ける。

 だから多分コンラッド様の方。

 でもここでそれを口にするのは躊躇われた。

 もし万が一にも間違ったらとんでもないことになる。

「何かご用ですか? 」

 とりあえず一国の王子様(と言うことにしておこう)に話し掛けられてそっぽを向くわけにも行かないので、当り障りのない問いを投げた。

「君、昨日忘れ物していったでしょ? 」

 相変わらずどこか違和感のある極上な笑みで訊いてくる。

「忘れ物? 」

 わたしは首を傾げた。

 扇も手袋もちゃんと持って帰ってきたし、靴を片方落すなんて間抜けもしてない。

「あれ、どうやって消すのかな? 

 夜通し明るくて寝付けなかったんだけど」

「え? あっ! 」

 そう言われてようやく気が付く。

 昨日、灯り代わりに使った花、この人に預けたまま回収するのを忘れていた。

 

 ま、回収しなくてもどうなるものじゃないけど。

 所詮元が切花だから二・三日して花の寿命が切れれば普通の切花同様にしおれて枯れる。

 しいて言えば一晩中枕もとで蝋燭を焚いているようなものだから、敏感な人は眩しくて寝付けなくなるかもしれない。

「ちょっと待っていてくれるかな? 」

 男は極上の笑みを浮かべたままそういうと王城へ向かって駆けていった。

 

「はい、これ」

 別に待っていなくても良かったんだけど、そのまま帰ってしまうのもなんとなく躊躇われて言われるままに待っていると、程なく先ほどの男が昨日の花を持って現れた。

「ありがとうございます」

 とりあえずお礼を言ってそれを受け取る。

「夜間は嫌に明るかったけど、昼間は普通の花なんだね」

 男は言いながらわたしにその花を差し出した。

「うん。

 この花は蝋燭の炎のように自分から光っているわけじゃないから。

 昼間受けた太陽の光を時間をずらして反射しているだけ」

 受け取りながら適当に説明する。

 本当はもう少し複雑なんだけど、あんまり難しいことはわたしのボキャブラリーじゃ不足で相手に理解できない可能性も高い。

 そもそもわたし自身がそれの仕組みを完璧に理解していない。

 先祖代代の魔女達に受け継がれてきたように呪文を唱えながらイメージするだけ。

「じゃ、わたしはこれで…… 

 ありがとうございました」

 軽く頭を下げその場を立ち去ろうと背を向ける。

 正直未練がないわけじゃないけれど、王城に出入り禁止の魔女がこんなところをうろうろしていたら絶対何かよからぬことをしてるんじゃないかって勘ぐられる。

 それだけならまだしも、咎められて騒ぎになったら絶望的だ。

 

「ちょっと待って! 

 君何か探し物しているって言ってなかったかい? 」

 思いも寄らない言葉にわたしの足がはたと止った。

 確かにそのとおりなんだけど…… 

 場所が場所だけに面と向かっていれてくださいとお願いしても却下されるのは目に見えている。

「おいで。

 昨日中断させてしまったお詫びに、良かったら手伝わせてくれないかな? 」

 満面の笑みで言ってくれる。

 そりゃ、もちろんわたしの顔が緩んだのは言うまでもない。

 こんな甘い顔で優しいお言葉いただいたら、例え王妃の座を狙っていなくたってよろめくのが女の子って物? 

 おまけに最初の目的の探し物に手を貸してくれるって言うんだからこんないい条件の話はない。

 

「でも、ご迷惑じゃありませんか? 」

 かといってがっつくのもみっともないのでとりあえず形だけ遠慮してみる。

「遠慮しないで、幸い今日は時間があるんだ」

 そうまで言ってもらったらもう、断るほうが申し訳ない。

 相手は女の子なら誰でもうらやましがる王子様(だと思おう)だし。

「それに先日、犬を鎮めてもらったお礼もしていないし」

「憶えていてくれたの? 」

 その言葉に妙な胸の高鳴りを感じながらわたしは男を見上げる。

「もちろん。

 あのときには済まなかったね。

 人も多かったしゆっくりお礼も言えなくて…… 」

「ううん。わたし何をしたわけじゃないもの。

 でも、じゃ、お言葉に甘えて。

 お城の図書室に入れてください! 」

 わたしは男に向かって思いっきり頭を下げた。

 


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