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 頭上に広がる木々の梢の間からこぼれる日の光が、テーブルに並べられたカップの中にこぼれて揺れる。

 その度にカップの中の澄んだ水色が銀色に反射して目に飛び込んでくる。

 

「それで? どうしたの? 」

 午後の一時、ティーガーデンでテーブルを挟んで座る親友のミアンが面白そうに訊いてきた。

「ためしに、お庭の入場ゲートまで行ってみたんだけどね。

 わたしの頭見ただけで、衛兵の人に追い払われたわ」

 めったに被らないよそ行き用帽子の大きなつばの下からわたしはミアンの顔を見て、それからスコーンに手を伸ばす。

「この髪じゃ、魔女だってばれてもしょうがないけど。

 どうしてわたしがおばあちゃんの孫だってひと目でわかったのかなぁ? 

 魔女なんて他にもいるのに」

「仕方ないんじゃない? 

 この街に住んでいる魔女の数なんてたかが知れているもの。

 衛兵の人だってその位の顔は覚えているわよ。

 で、知らない赤毛の魔女ってことはつまり森の魔女の系統って簡単に判断できるじゃない」

 当たり前のようにミアンが言う。

「うぅ…… 」

 唸りながらジャムを塗ったスコーンを口に運んだ。

 口に広がるベリーの香りと一緒にほろりとスコーンが解ける。

 絶妙な焼き加減。

 しかもベリーのジャムも味が濃くておいしい。

 おまけに旧伯爵家の庭園だったっていうガーデンは手入れの行き届いた薔薇が花盛りでそれは見事。

 このティーガーデンが人気の理由は誰にきかなくてもひとわかりだ。

 

 普段のわたしなら、これだけでもうご機嫌な気分になれるんだけど、今日はさすがにそうは行かない。

「何だって、おばあちゃんあんなところに隠したんだろう? 」

「きっと森の魔女様若い時に隠したんじゃない? 

 まさか自分が後に国王様から出入り禁止を言い渡されるほどの大喧嘩するなんて思っていなくて」

 やんわりと笑みを浮かべてミアンはお茶のカップを傾けた。

「だったら妙な手がかり残さなきゃいいのに…… 」

「ね、その本? 

 わたしが探してみようか? 」

 顔をあげると不意にミアンの口から思ってもいない言葉が飛び出した。

「無理よ。

 一般人が入れるのってお庭までだって話しだし、入場料だってべらぼうに高いのよ? 」

 思わずわたしの声が大きくなる。

「そうでもないのよ。

 実はね、わたし来週からお城に女官として行儀見習いに行くことになっているの」

 笑みを浮かべたままでミアンが言う。

「行儀見習い? 」

 睫を瞬かせながらそのカップを手にとりわたしは口元に運び、親友のミアンの言葉を繰り返した。

 

 穏かな天気の午後のティーガーデンは結構な人数の人が入っていて、周囲のざわめきが少しうるさい。

 今日はサービスデーだから、わたし達みたいにようやくドレスの丈が長くなってお友達同士ではじめて外出を許された女の子達の数が圧倒的に多い。

 そのために必要以上の軽やかな笑い声がこの空間に満ちていたのに、それすらさっきまでの話で、ざわめきはわたしの意識の向こう側に遠のいてしまった。

 耳に入るのはミアンの声だけで、他の雑音はただの空気の揺れぐらいにしか感じられない。

「そうなの、叔母の旦那様の口添えで、お城に上がれることになったの。

 婚約したんだし、結婚前に少し箔つけに行ってらっしゃい、って」

 こめかみに掛かる栗色の髪をさわりながら、ミアンは嬉しそうに笑みを浮かべた。

 その笑顔はとても幸せそう。

「ね? 

 お城に下働きに行ってきた娘って、いいところにお嫁にいけるっていうでしょう? 

 あれやっぱり本当ってことよね? 」

「わたしにはもう関係ないけどね」

 わたしの言葉に、ミアンが苦笑いを浮かべた。

 でもいいところに縁付いたミアンが嫁ぎ先で肩身の狭い思いをしなくても済むようにと、ミアンの叔母様の配慮だということがなんとなくわかる。

「もう、式場の打ち合わせとかドレスの仮縫いとかやること山ほどあって、お城に上がっている暇なんかないんだけど。

 だから、本当ならリシェに替わってあげたいくらいよ」

 ミアンが不服そうに口を尖らせた後、笑いかけてくる。

「そしたら、森の魔女様の残したもの見つける機会もあるかもしれないでしょ? 」

「ありがとう。

 気持ちだけでもとっても嬉しい。

 でも、どう考えても無理よ。

 こればっかりはねぇ。

 簡単に代わってもらえるものでもないし」

 わたしがおばあちゃんの直系の孫だってだけじゃなくて、それ以前の問題。

 

 王宮に行儀見習いに行きたい女の子は沢山いて、ミアンのように何かしらのコネでもないと入れないって噂だから、ミアンが辞退すればその空きを待っている女の子は沢山いる。

 我が家の場合は絶望的なんだけど、それがなくてもわたしのところに順番が廻ってくるには相当に時間がかかる。

 順番待ちしているうちにおばあちゃんになっちゃいそう。

 つまりミアンが辞退してくれても、間違ったってわたしはお城には上がれない。

 

「だから、わたしが替わりに探してきてあげる! 」

「それも、とっても嬉しいけど…… 

 やっぱり無理かな? 

 そのね。おばあちゃんの残したの何だかわからないのよ」

「わからないって? どういうこと? 」

「うん、本なのかメモなのかそれとも何かの道具なのか、薬なのか。

 もしかしたら呪文かもしれないし。

 とにかく、さっぱり…… 

 わかっているのは「婚活レシピ」って言葉だけなの。

 普通に考えれば本かメモの類だとは思うんだけど、おばあちゃんの残したものだし…… 」

 具体的に探すものが何なのかわからない今の状態ではお願いしたくてもお願いしようがない。

「そっか、それじゃ仕方がないわよね。

 でも何かわかったら絶対教えてね、何か力になれるかも知れないから」

「うん、ありがとう。ミアン」

 そう言ってもらえるだけでも嬉しくて、わたしは自然と笑みを浮かべる。

「ね、せっかくのお茶だし。

 いただいちゃいましょう。冷めちゃうわ」

 ミアンの言葉に気を取り直してカップを手に取るわたしの背後で、突然誰かが悲鳴をあげた。

 同時に大きなものが倒れる鈍い音と磁器の壊れる音がそれに続く。

「何? 」

 正面に座るミアンの強張る表情に嫌なものを感じながら、振り返る。

 何処から来たんだろう? 

 数匹の大きな猟犬がガーデンの端に近いテーブルを囲んでいた女の子を睨み付け唸り声をあげていた。

 突然犬に襲われて動転したのか、その場所に置かれたテーブルが倒れめちゃくちゃになっている。

 今にも飛び掛って噛みつきそうなその気迫に押されたのか少女はただ立ち尽くして動けな。

 そしてやはり興奮した犬の様子に周囲の人々もその場に釘付けになっていた。

「ヤバイ、かも? 」

 何に興奮しているのかわからないけど、明らかに通常とは違う犬の様子にわたしは呟いた。

 とにかくあの猟犬を何とかしないと! 

 思うと同時に躯が動いていた。

「リシェ? 」

 不安そうなミアンの声が追ってくる。

「大丈夫よ。

 ミアンはそこにいて」

 軽く振り返って言うと、もう一度猟犬に向き直る。

 

 動物を使役するのも魔女の技の一つ。

 こればかりを専門に行う魔女もいる。

 だから、このくらいならわたしでも何とかなるはず。

 その場に立つ人々を制して、わたしは前に出る。

「ウウゥ…… 」

 犬がくごもったうめき声をあげながら姿勢を落す。

 いかにも血統のいい姿形、それに毛艶も良くてどう見ても可愛がられて大事にされている猟犬みたいなんだけど…… 

 これだけ大事にされていれば、もちろんきちんと躾がされているはず。

 その犬達をどうすればこんなに怒らせることが出来るんだろう。

 とにかく、わたしは犬から目を離さずに息を潜め、少しずつ間合いを詰めてゆく。

「大丈夫よ、怖くないから…… 

 ここには、あなた方に危害を与える人間なんて誰一人いないわよ」

 そっと犬に向かって語りかける。

 とはいっても言葉を口にするんじゃなくて、そんな思いで犬を見つめる。

「どうかした? 

 気に入らないことがあれば話を聞くわよ」

 出来るだけ犬を刺激しないようにそんな言葉を何度となく繰り返す。

 だけど、今日はどうしてか思うように行かなくて…… 

 犬は全く耳を貸してくれる様子がない。

 困ったなぁ…… 

 わたしは一つ息をつく。

「遊ぶ? それともご主人様呼ぼうか? 」

 もう一度語りかけたとたんに犬の目の色が変わった。

「わかった、あなた達ご主人様が大好きなんだね。

 だからこうして…… 」

 少しずつだけど、犬の攻撃色が薄れて行く。

「おいで、何があったか教えてくれる」

 あと少し、もう二三歩進めば届く位置で足を止めるとわたしはその場に腰を下ろした。

 その場で犬の鼻先に手を伸ばす。

 そろりと、実に用心深く犬達はわたしに近寄ってくると、そっと伸ばした手の指先に鼻を擦り付けた。

 と、同時に犬の意思がわたしの頭の中に流れ込んでくる。

「……そっか。

 わかった伝える」

 言うや否や犬達はわたしにのしかかって来る。

 ただし尻尾をちぎれるほどに振って顔をべろべろ舐めるおまけつきだ。

「わかったから、やめて…… 

 おっも、重い…… 」

 わたしがはしゃいだ声をあげると、それまで張詰めていた周囲の空気が一声に緩んだ。

 さっきまで息を潜めて成り行きを見守っていた人が、そろそろと自分の席に戻りつつある。

 

「……よかったぁ。

 何とかなって」

 息をついて起き上がると、まだじゃれかかってわたしを押し倒そうとする犬を軽くあしらってもう一度周囲を見渡した。

 さっき伝わってきた犬の思考によればこのあたりに飼い主さんがいるはずなんだけど。

 でも、ティーガーデンに入るのにさすがに猟犬連れてくる人はいないだろうからお客さん以外の誰か? 

 首を捻ったその途端、ガーデンの中でも一番見事に花の咲き誇った薔薇の茂みの影から突然人影が現れた。

 その姿を目にわたしの周囲を取り囲んでいた犬達が一斉に駆けてゆく。

「えっと、これは? 」

 現れた人影が戸惑った声をあげる。

 同時にその場にいた少女達が一斉に小さな歓声をあげた。

「殿下! いかがいたしましたか? 」

 人影の後を追うようにしてもう一つの影が植え込みの間から飛び出してきた。

 高い身長の優美な体躯に整った顔、上品な衣服。

 手入れの行き届いた髪、優雅な物腰。

 奇妙なことに、それが並んで二つ。

 居合わせた少女達がため息をつくわけである。

 先日タイユールさんちの馬車に乗せてもらった時に窓から覗き見た、あの王子様たちだ。

「いや、それが…… 

 何故かお茶会の邪魔をしてしまったようだね」

 先に現れた男の顔が困惑気味に歪んだ。

「どうやら我々は、狩場を抜けてしまったようですよ」

 姿を現した薔薇の茂みの向こうにそびえる木々の方向に視線を動かしてもう一人が言う。

「皆様、申し訳ないことをしましたね。

 主催者はどちらかな? 」

 一人の声に、このティーガーデンの従業員らしき人が進み出て何か話をはじめた。

「私たちの犬がとんでもないことをしてしまったようですね。

 大丈夫ですか? お怪我は? 」

 その様子をぼんやりと眺めているわたしの前に柔らかな声と共に腰をかがめたもう一人の男が手を差し出してくれた。

 そのせいか、男の顔がやけに近い。

 初めて間近で見た王子様の顔は、やっぱり至極整っていて言葉で言い表すのが困難なよう。

 女の子達からため息しか出ないのがなんとなく解る。

 ただ、どうしたんだろう? その笑顔がなんとなく辛そうに見えた。

「ありがとう。平気です、かすり傷一つありませんから」

 男の手を借りて立ち上がると、ついた埃を軽く叩いてドレスを調え、わたしは周囲を見渡した。

 犬達は完全に平常に戻っているようだ。

「申し訳ありません。

 この先の狩場を散策していたのですが、何かの弾みで犬達が興奮してしまって…… 

 お嬢さんが犬をなだめてくれたんですね? 」

 わたしの視線の先を読んだのか男が軽く頭を下げた。

「そのことなんだけど…… 

 あの犬達が教えてくれたの。

 狩場の中に小川に橋の掛かっているところない? 

 その先で何か妙な物を焚いた人間がいるみたい。

 あの子達ね、それを貴方方に吸わせたくなくてここまで誘導してきたみたい。

 でも嗅覚の敏感で人より身体の小さなあの子達は少しその薬みたいなもの吸っちゃって、それであんなに興奮したらしいの。

 帰ったら獣医さんに看せてあげてね」

 さっき犬の思考から伝わってきたことをそのまま目の前の男に伝えると、男は困惑気味に首を傾げる。

「ごめんなさい。

 急にこんなこと言われても信じられないわよね」

「君は…… 魔女? 」

「ええ、そうです」

 わたしは慌てて頭を下げる。

 それに連動して被っていた帽子が地面に落ちた。

「ああ、確かに魔女さんだね。

 ストロベリーブロンド…… 

 ちょっと違うかな? いい色の髪だね」

 わたしの髪色を目に男は納得したように呟いた。

「ご忠告ありがとう。

 帰りは小川の辺りを避けて行くことにするよ」

 しどろもどろにわたしが話している間に、もう一人の男の話も済んだようだ。

 二人の男を追って現れた揃いの制服を纏った男達数人が加わり犬を取りまとめに掛かっていた。

「では、また」

 軽い挨拶を済ませ男達は来た植え込みの方角へ背を向ける。

 背の高い二人の髪が逆光に透ける。

 同じ顔、同じ瞳の色、同じ髪色なのに二人の髪が光を通した時の色だけが微妙に違っていた。

 

「本当に大丈夫、リシェ…… 」

 何時の間にか側にきていたミアンが心配そうに訊いてくれる。

「うん、平気。

 もともと犬は慣れてるし…… 」

「いくら慣れているって言っても、あんなに興奮した犬に無防備に近付いたりしたら襲ってくださいって言っているようなものじゃない」

 本当に心配してくれていたんだろう。

 ミアンの声が少し怒っている。

「うん、心配させてしまってごめんなさい。

 次から気をつけるね」

 ゆっくりとテーブルに戻りながらわたしはミアンに頭を下げた。

 テーブルに戻ると、熱いお茶と新しいケーキが追加されていた。

 頼んだ憶えのないものにわたしとミアンは顔を見合わせる。

「どうぞ…… 

 殿下方から、お騒がせしたお詫びだそうです」

 給仕してくれる人がそっと教えてくれた。

「そういうことなら遠慮なくいただいちゃいましょうか? 」

 そうたいしたことしたわけでもないし、こんなことしていただくいわれはないから少し戸惑う。

 だけどお断りしたところでもう本人はいないし、第一こうして出されてしまったものに手をつけないのは勿体無い。

 それも、この庭を騒がせてしまったお詫びのつもりなんだろう。

 わたしたちの席だけじゃなく、どの席にもみんなお茶とお菓子の追加があったみたいで、あちこちから感嘆の声があがっている。

 わたしとミアンは顔を合わせて頷くと、開き直ってお茶会の続きを再開した。

 

「じゃぁ、ミアン、お城に行っちゃうんだ。

 そっか、淋しくなっちゃうね」

 新しく入れなおした熱いお茶を手に、言うわたしの声は意図せずに小さくなる。

 騒ぎが落ち着いて、その前に何の話をしていたのか思い返すうちにいきなりその事実にぶち当たった。

 小さな頃からずっと仲良しだった三軒先のおうちのミアン。

 年齢も一緒だったし、気が合ってこれまで顔を見ない日なんてなかったくらいだ。

 でもお城に上がってしまったら、暫く顔が見られなくなる。

「そんな顔しないで、リシェ…… 

 お休みには絶対に帰ってくるから」

 そんなわたしの心情を目にしてか、ミアンが優しい声を掛けてくれる。

「嬉しいけど、無理しないでね」

 わたしは顔をあげると声を張り上げた。

 どっちにしたってミアン、半年後にはお嫁にいっちゃうんだもの。

 会えなくなるのが淋しいとかじゃなくて、お嫁に行くまでは後少しだけ一緒にいられるかな? 

 って思っていたから、心構えが足りなかったんだよね。

 急に淋しそうな顔なんかして、ミアンに心配させてしまった。

 わたし達のテーブルにだけどことなく重い空気が広がり始めた。

 庭の所々に植えられた木々の梢から小鳥のさえずりだけがうるさいほどに響く。

 居心地の悪さを感じて変える話題がないか、木の葉に見え隠れする小鳥を視線で追いながら考えていると、その中の一羽が突然目の前に飛び込んできた。

「うわっ…… 」

 小さな悲鳴をあげてそれをよける。

 だけど、小鳥は怯むことなくわたしの目前を飛びつづけた。

「ぴっちぃ、オキャクサン!

 カエル、おでっと、ヨンデクル! 」

 頭上に広がる木々の木の葉と同じ若草色の小鳥が、間の抜けた声で意味不明な人の言葉を喋る様は、たちまち周囲の注目を集めた。

「やだ、帰らなきゃ! 」

 わたしは手にしていたカップの中身を一気に喉の奥へ流し込むと慌てて立ち上がる。

 この片言の人間語を喋る小鳥はわたしの使い魔。

 無駄に喋っているわけじゃなくてこれでも一応来客の知らせを持ってわたしを呼びに来た。

「お客さんみたいね? 」

 小鳥を横目に見ながらミアンがクッキーのかけらを手に取るとそれを更に崩し掌に載せ、小鳥に差し出す。

「うん、たぶん又従姉妹のオデットのことだと思うんだけど…… 」

 小鳥の言葉から推測してわたしは首を傾げた。

 母さんの従兄妹の家は、家よりも格が上でずっといい生活をしているから母さんが死んでからはほとんどお付き合いがない。

 又従姉妹のオデットなんて小さな頃何度か顔を見ただけで今では手紙のやり取りすらないんだけど、他には同じ名前の人間に心当たりがない。

「じゃ、ここはいいから早く行ってあげて」

「うん、ゆっくりしてられなくてごめんね、ミアン」

 小鳥がミアンの掌からクッキーのかけらを突付き終わるのを待ちながら身支度を調え、わたしはティーガーデンを出た。

 

 

 オデットが、わたしに何の用なんだろう? 

 わざわざわたしを訪ねてくるってことは魔女がらみの何かだとは思うんだけど…… 

 薬草に占いに天気予報から世間話。魔女なんて商売、ある意味「何でも屋」だからどんな依頼なのかも全く想像がつかない。

 首を傾げながら自宅の玄関のドアを開ける。

「楽しんでいる所を済まなかったな。

 オデットちゃんどうしてもおまえに頼みたいことがあるって、帰るまで待つって言うから」

 それまでオデットの相手をしてくれていたらしい、父さんが出てくると小声で言う。

「待ってたのよ! リシェ! 」

 玄関を通り過ぎると、少し乱暴に誰かが椅子を立つ音と同時に軽やかな、でもどこか切羽詰った声がした。

「ごめんなさい、今日は仕事お休みのつもりだったから。

 出かけてしまって」

 余所行きの帽子を手にわたしは軽く頭を下げた。

「うん、それはいいの。

 お約束していたわけじゃないし。

 急に来てごめんなさいね。

 実はリシェにどうしてもお願いしたいことがあって…… 」

 頭を下げるオデットは何年も見ないうちに随分背が伸びていた。

 だけど、見事な赤みのかかった栗色の髪と目元に黒子のある琥珀の瞳は昔のままだ。

「わたしに? 

 正直恋占いは苦手なんだけど、な…… 」

 年頃の女の子が魔女のところに訪ねてくるなんて大方そんなものだ。

 そう、予想して予防線を張る。

 自分の婚活すら行き詰まっているわたしは心のどこかに僅かにでも妬みや嫉みがあるんだろう。

 天気予報はかなりの確率で当るんだけど、恋占いは上手くいったためしがない。

「そんなんじゃないわよ」

 何故かオデットはわたしの言葉に頬を染めた。

「お相手はもういるんだもの」

 そうだった…… 

 確か先週結婚式の招待状が父さんに充てて届いていたっけ。

 自分には関係ないことだからすっかり忘れていた。

「今日は魔女じゃないリシェにお願いに来たの! 」

 何かよっぽどのことなのだろう、オデットは真剣な眼差しでわたしを見つめると手を取り握り締めた。

「なに? 」

 その気迫に少し、やな物を感じながら聞く。

 あんまりお付き合いがないとはいっても顔見知りの又従兄妹だもの。よっぽどの事でなければ何だって引き受けるけど…… 

 

「あのね、リシェ。

 わたしの結婚式で花嫁の介添え人をしてほしいの! 」

 わたしの手を握るオデットの手に力が篭る。

 結婚式の時花嫁の先導をしたりヴェールやドレスのトレーンを調えたりする介添え人は、慣例的には花嫁の血筋で、花嫁より年下の未婚で年頃の女の子がすることになっている。

 介添え人を務めた女の子が次の花嫁になれるなんてジンクスもあったりするからやり手は多い。

「それだったら何もわたしでなくたって…… 」

 わたしは思わず後ずさった。

「駄目? 」

 オデットは懇願するようにわたしの顔を覗き込んできた。

「あのね、オデットとわたしじゃわたしのほうが三ヶ月ばかり誕生日が早いのよ?

 花嫁さんより介添え人の方が年上なのはいかがなものかと思うんだけど…… 

 もう少し若い子に頼んだらどう? 」

 次の花嫁のジンクスは惜しいけど、今更この醜態を親戚一同にさらすのは少し気が引ける。

「それはわかっているんだけど。

 だからリシェにお願いするなんて非常識で失礼だってことも充分承知よ。

 だけど、未婚の血縁者、もうリシェしかいなかったんだもの」

 確かに、もう適齢期ギリギリのわたしとほとんど同じ年齢のオデットの従兄妹や兄弟が全員結婚していたっておかしくはない。

 

「別に未婚でなくたっていいでしょ? 

 一般的にはそう言われているけど、みんな適当にお友達とかに頼んでない? 」

 出来るだけ近い血縁で、年下で、でも未婚で、女の子。それも式に列席できる近距離に住んでいる。

 これだけの条件を並べられるとなかには頼む相手がいなくなってしまう人もいるから、普通ならどこかで妥協するのが常だ。

「そうすればいいのはわかっているんだけど、カイベル伯爵様が王宮の聖堂で挙げる式にそんなこと出来ないって仰るの」

 その言葉にわたしは耳を疑う。

 

「ちょっと。オデット。

 いま伯爵様って言った? 」

 思わずわたしの声がひっくり返る。

「別に、驚くほどのことじゃないでしょ? 」

 確かにオデットの言うとおり、貴族と平民の結婚が禁じられているわけじゃないし、裕福なオデットの家じゃ貴族と顔を合わせる機会だって多いはず。

 ただわたしの頭の中にその選択肢が全くなかったってだけ。

 なんだけど、わたしの声がひっくり返ったのはそのことじゃない。

 この国の場合、名だたる王族や貴族の結婚式は王宮に付随した大聖堂で執り行われるのが一般的だった。

 だからオデットの相手が伯爵なら当たり前のこと。

 それって介添え人を務めれば王宮にいけるってことで…… 

 諦めかけていた希望がまた少し頭をもたげてくる。

 

「そっか、おめでとう…… 」

 とりあえず、気を取り直して仕切りなおす。

「だから、お願い! 

 結婚祝だと思って、務めて欲しいの」

「う~ん」

 わたしは唸り声をあげるとそれまで黙って話を聞いていた父さんの顔を見る。

 王宮に入れるチャンスかも知れないし、断るのはあまりに惜しい。

 だけど、案の定父さんが首を横に振った。

「そういうことなら務めてあげたいのは山々なんだけど…… 

 ごめん、やっぱり無理かな? 

 家ね、おばあちゃんの時からの因縁で、王宮に入れないの」

 わたしは軽く頭を下げる。

「それって、もしかして先代の国王さまと喧嘩した魔女のこと? 」

「知ってたの? 」

 まさか、知らないのは自分だけだったなんて。

 わたしはそのことに軽くショックを受ける。

「うん、なんとなくね。皆知ってるわよ。

 まさかそれがリシェのおばあちゃんだったのは知らなかったんだけど」

「そんなわけだから、ごめんね」

 わたしの言葉にオデットは何かを閃いたように顔をあげた。

「だったら、リシェ協力してくれる? 」

「協力って言われても…… 

 こればっかりはわたしの意思ではどうにもならないもの」

 オデットの言葉にわたしは戸惑うしかない。

 さっきから理由まで話してお断りしているのに…… 

「とりあえずでいいの。介添え人受けくれる? 

 リシェが結婚式の日、王宮に入れるように伯爵様にお願いしてみるわ。

 で、もしどうしても駄目ってことになれば他の従兄妹にお願いしても伯爵様も納得してくださると思うの。

 リシェの許可が降りたら、そのまま介添え人をやってもらうってことで、どう? 」

「まぁ、それでオデットが良いんなら」

 しぶしぶわたしは頷いた。

 

 

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