表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/9

-1-


 蒼い空に所々にぽつんぽつんと雲が浮かび、ゆっくりと風に流されて行く。

 窓から見られるその光景にわたしは欠伸を漏らした。

 温かな光が窓から入って、作業するための光量も充分だ。

 気温も暑過ぎず肌寒くもなく丁度いい、おりしも昼食の後の上にやっていたのが薬草を粉にする単純作業と来ては眠くならないわけがない。

 ゆるい睡魔から逃れようと首を振ると、乱暴に家のドアが叩かれた。

 

「リシェちゃん、新米魔女さんいる? 」

 この声の主は仕立てタイユールの奥さんのメリッサさんだ。

 そう判断して、わたしは手を止め仕事部屋を出て玄関のドアをあけた。

「なあに、メリッサさん」

「悪いんだけど、すぐに来てもらえるかしら? 

 息子がまた熱を出してしまって、夕べから下がらないの」

 眉根を寄せ困惑気味にメリッサさんは言う。

「わかった、ちょっと待ってね」

 慌ててスカートを翻すと部屋に戻り、掛けていたエプロンを外す。

 十六になってドレスのスカートが踝丈から床丈になった時には嬉しかったけど、やっぱりこうして気忙しい時には足に絡んで歩きにくいから短いスカートがなつかしい。

 

 ってか、どうして時間は止まってくれないんだろう。

 そしたら結婚のタイムリミットとか気にしなくても良いのにな。

 

 なんて考えながら一度階下のさっきの部屋にもどって、棚にある小瓶を探す。

「ぴっちぃ、オキャクサン、イイコ」

 それにあわせて窓辺に吊るした鳥かごの中で若葉色の小鳥が羽をばたつかせて、囀るように言う。

「ぴっちぃ、イイコ、イイコ! 」

「そうね、いいこだからおとなしくしていてね」

 小鳥に声を掛ける。

「えっと、熱冷ましは…… 」

 無数に並んだ同じ形の茶色い瓶の中から目的の文字の書かれた物を呟きながら探し出す。

「あとは、あれよね。

 オリバーだったら絶対不可欠」

 手にした瓶を側にあった籠に入れるとパントリーへ足を向ける。

 パントリーの扉を開けると、ひんやりとした空気と共に薄暗い棚の中で季節の間に作り置いたジェリーやコンフィが放つあでやかな色が目に飛び込んできた。

 薬と違って、迷うことなくその中から水飴とチェリーの砂糖菓子の瓶詰めを、ついでに傍らにあったスプーンを一つ、手にしてきた籠の中に放り込んで家を出た。

 

「馬車で来てるから、乗って! 」

 待ちかねていた夫人が、家の敷地の前に止めた小さな馬車へわたしを乗せる。

 さすがに貴族様方のお邸に出入りすることもしょっちゅうのタイユールさん家の馬車は小さいけれど見た目も小奇麗で乗り心地もいい。

 街外れにあるわたしの家から暫く走ると商家が建ち並ぶ地区に入る。

 この辺りまで来ると人も多くて賑やかだ。

 窓の外を流れる町の様子に目を輝かせていると妙な光景が飛び込んできた。

 

 揃いの馬具を着けた二頭の揃いの馬に乗る二人のきらびやかな若い男。

 その格別目立つ二人の男を数人の近衛兵らしい揃いの制服のいかつい男達が数人取り囲んでいる。

 

「あら、王子様方ね。

 街の視察にでもおいでになったのかしら? 」

 すれ違い様に夫人が呟いた。

 当たり前のように何気なく言うが、この国の王子は一人のはず。

 なのに馬上の人物は二人で、しかも同じ服装に同じ髪と目の色おまけに全く同じ顔。

 双子以外にありえない。

「あれじゃ見分けがつかないわよね」

 首を捻りながらわたしは呟いた。

「良いんじゃない? どっちが王子様だって。

 見栄のよい若い殿方が二人も並んでいるんですもの、目の保養よ」

 めったに目にできない光景に、夫人は少しはしゃいでいるようだ。

 奇妙なことこの上ない様子に首を傾げていると程なく馬車が止った。

 

 

 数分後、わたしはこの街で一番の腕利きと噂の高い仕立て屋の子供部屋で、小さな男の子と対峙していた。

 今年五歳になるオリバーはさっきから口をへの字に結んでわたしを睨みつけている。

「ねぇ、オリバー。

 明日はお外で遊びたいわよねぇ? 」

 負けずに睨み返してわたしは言う。

「だって、これヤダ! 苦いんだもん! 」

 親が心配して魔女のわたしを呼びに来るほどの高熱を発しながら、目の前の男の子は声を張り上げる。

 それはもう、薬なんかなくたって翌日には熱が下がってけろっとしていそうな勢い。

 ただ熱が高いのは確かな様子で、顔色は赤みを増し、目は潤み呼吸が荒い。

 

 これだから、常連さんはっ…… 

 

 面とは向かっていえないけどわたしは小さく息をこぼす。

 生まれつきあまり丈夫ではないオリバーは赤子の頃から時々熱を出す。

 それをおばあちゃんの代から看ているのが家だ。

 熱さましの粉薬はかなり苦味があるから、子供が嫌がっても無理はない。

 特に、この薬に何度もお世話になっている子供ほど、味を知っているから始末が悪い。

 本当なら、家で説明と一緒に薬を渡して終わりなんだけど、こういう子に限って親の言うことをきかないからお宅まで出向く目に会う。

「目を瞑って"ごっくん"しちゃえば味なんてわからないわよ」

 そう言ってきかせるんだけど、オリバーは口の中の薬を飲み込まずに舌の上で何時までも味わっている。

「しかたないわね。

 ママには内緒よ」

 息子の健康を気遣って甘いものを制限している夫人を知っているから、釘を刺して持ってきた水飴をスプーンに掬い出す。

 その上に薬を載せ、もう一度水飴を被せた。

「はい、あーん。

 苦くないおまじないしたから大丈夫よ」

 本当はただ粉薬を水飴で包んだだけなんだけど、そういうことにして強引に男の子の口にスプーンを突っ込む。

「これ、何だかわかる? 」

 ついで持ってきたチェリーの砂糖菓子をわざとオリバーの鼻先に突きつけた。

 反射的に男の子の喉がなる。

 チェリーの砂糖菓子食べたさに、先に口に入れた薬まぶしの水飴は味わうことなく喉の奥に飲み込まれる寸法。

「リシェの嘘つき、苦くないって言ったじゃない」

 でもやっぱり苦いものは苦いみたいでオリバーは声を張り上げる。

「ごめん、すこぉしおまじない間違ったかな? 

 ほら、わたし新人だし。許して? 」

 引きつった笑顔を浮かべてわたしはオリバーの口に砂糖菓子を放り込む。

 途端にオリバーの顔が幸せそうに綻んだ。

「でもね、この薬、苦ければ苦いほど効くんだよ。

 明日には起きられるからね」

「しかたないなぁ…… 

 でも、いいよ。許してあげる」

 生意気な口調でオリバーは言う。

 本当は薬の調合は完璧なんだけど。

 とにかく納得させておかないと次には飲んでくれなくなるから。

「ありがとう。

 じゃ、おとなしく寝てね」

 数十分の攻防の後、わたしはようやく子供部屋を出る。

 

「リシェちゃん、ごめんなさいね。

 手を焼かせて…… 」

 階段を下りると待っていたかのように夫人が駆け寄ってきた。

「ううん、大丈夫。

 こっちこそごめんなさい。

 なかなか坊ちゃんの飲めるような薬作れなくて」

 わたしは肩を落す。

 おばあちゃんだったらこういう時、蜂蜜とか砂糖とか上手く使って子供向けの味に調合できたんだけど。

 何が違うのかわたしがやると全く上手くいかない。

 もっとも薬の調合自体は合っているから効果は保証できるんだけど。

 

「薬なんて効けば良いのよ」

 って開き直りたい気分だ。

 

「でも助かっているのよ。

 オリバー、リシェちゃんの薬だけは何だかんだ言っても飲んでくれるから」

 言いながら促された先にはお茶の用意されたテーブルがある。

「以前あなたがそういうから、他の魔女様のところのお薬を貰ってきたことがあるんだけど。

 オリバーったら、頑として口を開かなかったの」

 夫人はため息混じりに言うと、手ずからお茶を入れてわたしに差し出してくれた。

 テーブルの上には夫人のお手製の焼き菓子が並ぶ。

 メリッサさんの作る焼き菓子は、オリバーに配慮してかなり甘味が押さえてある。

 けれどそれで小麦や玉子の風味が引き立って絶品だ。

 だから食いしん坊のわたしは少しくらい面倒でもついつい呼ばれれば足を運んでしまう。

 

「それより、サンルス通りのミアンちゃん、お友達だったわよね。

 あの娘、結婚が決まったんですってね」

 自慢の焼き菓子を勧めてくれながら夫人がわたしの顔を覗き込んだ。

 ミアンの婚約はまだ内輪で公にされていないはずなんだけど、さすが街一番のタイユールの奥さんだ。

 商売柄、この手の情報を手に入れるのは早い。

「ミアンちゃんのウエディング・ドレスの注文いただいたのよ」

 夫人はまるで自分のことのように嬉しそうな声をあげた。

「お相手、毎年夏にバカンスで行く海辺の別荘に来ていた資産家の御曹司なんですってね」

「うん、そうきいてます」

 わたしはそっと視線を落す。

「次はリシェちゃんの番よね。

 わたくしとしてはあまり遠くにお嫁にいって欲しくはないんだけど…… 

 リシェちゃんのウエディングドレスは絶対に家で作らせて貰うって主人とも決めているのよ」

 嬉々として夫人の話は続く。

「……はぁ、まぁ」

 それに対してわたしは曖昧な言葉しか返せなかった。

 

 正直人の結婚話は苦手だ。

 例えそれが大親友のミアンの話でも。

 ううん、親友だからこそ、何だか自分だけ取り残された気分になる。

 

「ね? 誰かいい人いないの? 

 リシェちゃん、もうあんまり悠長なこと言っている年齢じゃないでしょ」

 眉根を寄せるメリッサさんの心配ももっともで、この国の女の子達はほとんどが二十歳前にはお嫁に行く。

 もし二十歳過ぎてもお嫁にいけなかったりなんかしたら、完全に『行き遅れ』ってレッテルを貼られて世間様からの冷たい視線にさらされなければならない。

 しかもそのレッテルを貼られたら、どこか欠陥がある女ってことにされてお嫁になんて一生いけない。

 それがこの国の風潮。

 だから皆スカートの丈が長くなると同時にお婿さん探しに躍起になる。

「うん、そうなんだけどね…… 」

 呟いてわたしは肩に掛かる自分の赤毛にそっと視線を落す。

 

 魔女の家系に産まれた赤毛の女の子は生まれながらの魔力を有す。

 言葉より先に魔術を憶え、歩くより先に魔法を使う。

 

 そう言われて恐れられていたら、そもそも嫁の貰い手があるはずがない。

 それはわたしが一番よく知っている。

 だけど、独り者の年老いた魔女に対する世間の偏見はもっと酷い。

「何かよからぬことを考えている恐ろしい女」ってことにされて、迫害を受け外出さえもままならなくなる。

 正直普通のお嬢さんより過酷だ。

 

 だからそうなる前に、なんとしても手を打たないと! 

 

 とは、思う。

「でもねぇ、思うだけなら何とかなるけど、仕事柄わたしの周囲にいるのはオリバーみたいなちっちゃな子か神経痛の持病を持つおじいちゃんくらいだもの」

 あからさまにため息をついて見せた。

 これでこの話は何処に行っても大概終わりになる。

 わたしが普通の女の子なら、

「じゃ、お見合い相手でも…… 」

 と言ってくれる人もいるんだろうけど、何しろ魔女じゃ紹介のしようがないらしい。

 

「そうそう、これね。

 先日お客さんからいただいたんだけど…… 」

 不意に何かを思い出したように夫人は立ち上がると部屋の片隅にある書き物机の中から一枚の紙切れを引っ張り出してきた。

 案の定、話題を変えに掛かっているのが見え見えだ。

「リシェちゃん、良かったら行かない? 」

 言いながらテーブルクロスの上に薔薇のブーケがプリントされた掌大の紙をのせる。

「これって! 先日オープンしたティーガーデンの入場チケット! 

 ですよね? 」

 わたしは差し出された紙切れに思わず目を奪われた。

 

 建物の中でなく、見事だと有名な庭園でお茶をいただけるティールームが最近この町にオープンした。

 だけどその人気が凄くて、チケット制になったのにも関わらず今度はそのチケットの入手がものすごく困難だと噂のお店。

 

「わたくしも一度行きたいと思ったんだけど、ほら、家。

 小さな子供がいるでしょう? 」

 ため息混じりに夫人は視線を天井に向ける。

 意識は明らかにその天井の上で寝ているオリバーに向かっている。

 確かにああいった場所は子供は連れて入れないし、かといって置いて行くわけにもいかないし。

 ため息をついて諦めるしかない夫人の気持ちもわかる。

 

「無駄にするのも勿体無いから、良かったらどうぞ」

 夫人は僅かに笑みを浮かべると促すように首を傾げた。

「嬉しいけど…… 行く相手がね…… 」

 同じようにわたしもため息を漏らす。

 こういう社交の場には普通未婚の女の子は行けない。

 例外は、婚約者とか保護者が同行してくれる時だけ。

 そんな風潮がこの国にはある。

 わたしの唯一の保護者の父さんは、こういう場所は苦手でどんなにお願いしてもてこでも動かない。

 その上婚約者もいないわたしには、やっぱり縁遠い場所ってことなんだよね。

 

「大丈夫よ。

 ほら、ここ見て。

 レディースデーってあるでしょ? 」

 夫人はチケットに書かれた文字の一行を指し示した。

「女性限定の日なんですって。

 気が効いているわよね。

 気兼ねなく、お友達と行ってらっしゃいな」

 言って夫人はそのチケットをわたしに握らせてくれた。

「良いんですか? 」

「もちろん。

 リシェちゃんにはいつもオリバーがお世話になっているんですもの」

 やんわりとした穏かな笑顔を夫人は浮かべてくれた。

 

 

 

 夕食のテーブルの上でそのチケットは灯された蝋燭の光を受け白く輝いているように見えた。

「……それで、おまえ行くのか? それ」

 いつもの豆のスープを口に運びながら父さんがぼそっと言う。

 案の定、面倒だといわんばかりの口調だ。

「いいでしょ? 

 せっかく下さったんだし。

 それに父さんにエスコートなんてお願いしないわよ。

 女性限定日だもの。

 ミアンを誘うつもりよ」

「勝手にしろ」

 社交下手な父さんはわたしの話に内心息をついたらしい。

 そういうと、あとは何も言わずにもくもくと食事を続けている。

 

 その傍らで玄関のドアがけたたましくノックされ、家中に響いた。

「リシェちゃん、夕食時に悪いね! 」

 

 魔女なんて仕事、こんなことも日常茶飯事だ。

 赤ん坊の熱も老人の神経痛の悪化も怪我人も、休日深夜食事中だって待ったなし! 

 

 わたしは手にしていたスプーンをおくと玄関へ急ぎ、ドアを開けた。

「マイヤーおばさん、どうしたの? 」

 強引に連れてこられたんだなってわかる、痩せぎすの中年男を抱えるようにして立っていたのは背の低い太り肉のご婦人。

 ご近所のマイヤー夫妻だ。

「悪いけど、明日の天気を占ってくれないかね? 

 明日は晴れるから麦刈りをするように鎌の手入れをしておけってあたしがいってんのにさ、この旦那ときたら明日は雨だから釣りに行くとか行って釣りざおの準備なんかしてるんだよ! 」

 半ば抱えてきた旦那さんを叱るようにわたしに言う。

「ふん、明日は雨に決まってんだよ。俺の勘がそう言ってんだ」

「あんたの勘なんか当てになるもんかね。

 と、いう訳だからリシェちゃん頼むよ。

 あんたの占いはこのぼんくら旦那の予言と違って確実に当るんだから。

 新米魔女さんが雨だって言うんならあたしゃ諦めるよ」

「ホントだな? 」

 うたぐり深そうにマイヤーさんは奥さんの顔を覗き込んだ。

「わかったから、入ってちょっと待っていて。

 水晶球持ってくるから」

 この夫婦仲はいいんだけど、放っておくとまた口喧嘩をはじめるからその前に家の中に引き入れる。

 これ以上もめて欲しくないから、とりあえず夕食を続けていた父さんに相手を任せてわたしは一端自室へ向かう。

 ドアを開け書き物机の真ん中にいつも置いてあるこぶし大の水晶の球を手に取った。

 

 おばあちゃんからのお譲りの品。

 宮廷魔術師を務めたこともある魔女の持ち物にしては少し小ぶりだけど、おばあちゃんはこの球が一番相性が良かったっていっていた。

 それはわたしも同じ。

 この球を手にする度にすがすがしい気持ちになれる。

 他の球にさわる機会もあったけど、圧倒的な緊迫感とか威圧感とか妙な感じが伝わってきてこの球を手に取ったときのようないい気分になれなかった。

 だから、おばあちゃんに譲られてからこれがわたしの商売道具。

 

「待たせちゃってごめんなさい」

 水晶球を手に階下へ戻ると、父さんとマイヤーさんは杯を傾けはじめていた。

「ごめんよ、リシェちゃん。

 呑むなって言ったんだけどね」

 傍らでマイヤーさんのおかみさんが困惑顔で眉根を寄せていた。

「ううん、気にしないで」

 もともと父さんは人でも来なければ晩酌なんてしない。

 それもあくまでもお付き合いで舐める程度。

 深酒なんて絶対しないから全く問題はない。

 ただわたしのお客さんの相手をするのが面倒なのか、知っている相手の時には必ずお酒を引っ張り出す。

 盛り上がり始めた二人を横目にわたしはテーブルの上に持ってきた水晶球を置きその後ろに側にあった燭台をもって来る。

 

 一つ、大きく呼吸してその水晶球を覗き込んで先にある揺れる蝋燭の炎を見つめた。

「……大丈夫よ、おばさん。

 明日は晴れ。

 ほら、みて。

 蝋燭の炎が赤く見えるでしょ? 」

 

 少し身体をずらして側で控えていたマイヤーさんのおかみさんの視線を促す。

「そうかい? 

 なんだかあたしにゃ蝋燭の火は皆同じに見えるけどね」

 おばさんはちらりと球の中を覗いて首をかしげる。

「慣れるとね、微妙に色が違うのがわかるのよ。

 雨の日は青みがかって見えるし、曇りの日は黄色。

 夕立の日は黄色に時々青い星が飛ぶの」

「何でもいいさ。

 とりあえず明日は晴れなんだね? 」

 念を押すようにおばさんは訊いてくる。

「うん、保証する」

「聞えたかい? このぼんくら亭主! 

 魔女様がそう言ってるんだ。

 明日は絶対晴れだからね、こんなところで飲んでないで帰って明日の準備だよ! 」

 おかみさんは声を張り上げると、来た時同様に旦那さんの首根っこを引っつかんで抱えるようにして帰っていった。

 

「さてっと…… 

 わたしももう休ませて貰うね」

 あわただしく出て行ったご夫婦の背中を見送った後、蝋燭の炎を吹き消すと水晶球を手に部屋に戻る。

 父さんは一度飲み始めるとしばらくはお酒を舐めて楽しんでいるから、わたしは放っておくのが常だ。

 持ち帰った水晶球をいつもの場所に戻すとわたしは寝巻きを取り出した。

 

 明日は晴れ。

 それも空気が乾燥していそうだから、きっと干しておいた薬草がよく乾くだろう。

 そしたらそれを仕分けして、乾き具合によっては粉にして…… 

 出来たら今日のオリバーみたいな手のかかるお客さんは来ないと良いな。

 

 なんて、明日の予定をざっと考えながら着替える。

 

 オリバーか…… 

 

 その名前に今日の仕立て屋さんの奥さんの話が頭を掠めた。

「結婚ねぇ…… 」

 小さく呟いてわたしはため息を漏らした。

「そりゃね、相手がいればすぐにでもしたいわよ」

 誰に言うとでもなく愚痴ってわたしはベッドに潜り込む。

 考えても仕方のないことをぐじぐじと考えるのは苦手。

 だからそのまま寝てしまうつもりだったのに、何だか部屋の中が妙に明るい。

 

 いっけない。

 フェアリーランプの蝋燭の火消さなかったっけ? 

 

 面倒だけど、寝付けない前に危険だから、これだけは消さないわけに行かないと、しかたなくわたしは起き上げる。

 だけど目に入ったのは蝋燭の炎じゃなかった。

 書き物机に置いてあるいつもの水晶球が、中心からほの白い光を放って部屋の暗闇を照らし出していた。

「何? 」

 呟いてそっと球を覗きこむ。

 

 光を放った水晶球の奥には今ここにない光景がはっきりと映っていた。

 

 おばあちゃんの持ち物だったこれにはおばあちゃんの記憶の一部とでも言える念が入っている。

 それが何かの拍子にこうして現れるのは今に始まったことじゃない。

 時にそれは何かの薬の調合割合であったり、何かのおまじないの手順だったり、過去の会合の予定表だったりする。

 挙句に父さんやわたしの赤ん坊の頃の情景なんてこともある。

 いわばおばあちゃんの日記と言うか備忘録。

 でも八割くらいの割合で役に立つ情報だから侮れない。

 わたしは机の引出しからメモ用紙とペンを取り出してその前に座った。

 

 今回のは…… 

 

 ほのしろく光る水晶球の中をじっと見つめていると何かの文字が浮かび上がってきた。

 

「婚活レシピ…… 」

 

 まるで誰かがペンを持って書いているかのように一字一字書き順を追って現れた文字にわたしは息を呑むと水晶球に覆い被さった。

 そしてその文字をもう一度よく見る。

 

「婚活レシピ」…… 秘匿場所、王宮図書室。

 

 水晶球に浮かび上がった文字は明らかにそう読めた。

 

「婚活レシピ」って何だろう? 

 そんなものがあるなんておばあちゃんからはひと言もきいていなかった。

 しかも保存場所王宮って? 

 妙なタイミングのよさに感動しながらわたしは更に水晶球の中を覗きこむ。

 

 だけど、さっきまで手元の文字が読めるほどの明るさを発していた水晶球の光は徐々に小さくなり、程なく消えてしまった。

 

 何だろう? 

 何だろう? 

 何だろう? 

 

 それ以上何も映さなくなってしまった水晶球を前にわたしは考える。

「婚活」って言葉が入っているってことは、結婚したい人の為の指南書か何かだと思うけど。

 レシピってことはお料理? 

 いや、魔法薬の処方箋? 

 だけど、「秘匿場所」って言葉が気に掛かる。

 世の中、タイムリミットを前にしてお嫁にいきたい女の子はわたしだけじゃなくて沢山いる。

 その…… 

 まぁ、わたし同様それぞれになにか事情を抱えてたりなんかして。

 だからもしそんなものがあったら、おばあちゃんのことだ。

 出し惜しみなんかしないで、皆に授けたはず。

 例えそれが手順だろうと、薬だろうと。

 そしたらきっと生前のおばあちゃんの所には沢山の年頃のお姉さん達が通ってきていたはずだ。

 だけど、小さな頃のわたしにその記憶はない。

 おばあちゃんのところに来ていたお客さんも、今のわたしのお客さんと一緒。

 しょっちゅう熱を出す小さな子供と、持病もちのお年より。

 そして怪我をした働き盛りのおじさん…… 

 たまには女の子も来ていたかも知れないけど、記憶に残るほどの人数じゃない。

 だとしたら、それは公開できるものじゃなくて。

 隠さないといけなくて、しかもその手がかりを自分の水晶球の中にだけ残すなんて、かなりの物だ。

 

「う~ん」

 わたしはベッドに入ってから何度目かの唸り声をあげた。

 隠し場所もあのタイトルも気になって眠ることなんかできない。

 もしもそれを探し出して手にすることができたら、わたしでも何とか行き遅れにならずに済むかもしれない。

 既に半ば諦めていた希望がもう一度湧きあがりもう、それ以上寝てなんかいられなかった。

 わくわくとどきどきを抱えて、ひたすら夜が早く明けることを祈る。

 

 翌朝、スープの鍋をかき回しながらわたしは大きな欠伸を漏らす。

 当たり前なんだけど、結局一睡も出来なかった。

「何だ? また徹夜か? 

 魔法書を読み込むのも程ほどにして置けよ」

 ベーコンを厚めに切りながら父さんがわたしの顔を覗き込んだ。

「ね? 父さん。

 お城の図書室って、誰でも入れるの? 」

 一度も行ったことはないけど、確かこの国の王城の庭園って一般に公開されている。

 ドレスコードを守って入場料さえ払えば、貴族でなくても誰でも散策できたはず。

 もっともその入場料が莫迦高だから、よっぽど裕福なお家の人でないとなかなかお城の庭園の散策なんてできないんだけど。

「ん? 城がどうしたって? 」

「だからね、お庭の散策ができるんなら図書室とかも見せてもらえるのかなって。

 ちょっと疑問に思ったの」

 鍋の中身が煮あがったのを確認して隣の食器棚からスープ皿をとりだしながらわたしは訊く。

「さぁ? どうだったかな? 

 何かの専門家とか研究者なら特例ってこともあるかも知れないが、入れるのは確か庭だけだったはず…… 

 もっとも、おまえは庭にも入れないけどな」

 何事もないようにさらりと父さんの言った言葉にわたしは耳を疑った。

 

「わたしは入れない、ってどういうこと? 」

 

「知らなかったのか? 

 家のばあさんが昔若い頃宮廷魔術師をしていたのは知ってるよな? 」

 その言葉にわたしは大きく頷く。

「で、その時に先代の国王さまと大喧嘩して、以来我が家の人間は王宮には立ち入り禁止だ。

 図書室どころか庭にも入れないぞ。どんなに正装して入場料倍払ってもだ」

 わたしの足元で軽い衝撃と共に音を立てて手にしていたはずのスープ皿が砕け散る。

「おい、何やってんだよ? 」

「え? ああ、ごめん」

 だけど、このときのわたしにはそれさえ認識できてなくてかろうじて返事をしたままその場所に突っ立っていた。

 もちろんショックで何にも考えられなくなっていたから。

 復活し始めていた希望が、足元のスープ皿同様に砕けて使い物にならなくなったことへの。

 

 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ