取り巻きCは壁に隠れる 下
取り巻きC・エリアル視点
エリアル高等部二年四月
紅蓮の炎がわたしを焼く、その寸前。
「っ!」
足元の異変に気付いたわたしは一歩跳び退り。
「っの、お馬鹿!!」
ピシャリと叱責する声と共に、一瞬前までいた場所に、流水が迸った。
流水はあっという間に巨大な壁となり、業火を余すところなく受け止めると、盛大に弾けた。
滝のような落水が、わたしと第二王子フェルデナント・ヤン・バルキアを襲う。
思わずつぶった目を、落水が止まったことを感じて開く、その直前。
手を掴まれて、引かれた。
開いた目に映る、鮮やかな紅茶色の髪。
「頭は冷えた?」
腕組みして仁王立ちした我らが愛しのお嬢さまツェツィーリア・ミュラーは、びしょ濡れで座り込んだ第二王子に、冷たい声で言い放った。
「お前、は」
「知らないようだから教えるけれど、この剣術模擬試合は魔法禁止よ。魔法を使うことは想定していないから、試合場と周囲の間に結界や防御壁は張っていないわ。この意味はわかるかしら?」
つらつらと語っていたツェリが、タァンと足を踏み鳴らして喝を飛ばす。
「魔法を使えば周囲を危険に晒すってことよ!その状態であの火力の火魔法を使うなんて、非常識にも程があるわ!あなた王族なら、それくらいの常識覚えて置きなさい!!」
ぽかん、とツェリを見上げていた第二王子が、はっとして頬を赤く染める。
「お前、王族に対して、不敬な、」
「黙りなさい!!」
しかし第二王子よりも、激昂したツェリの方が勢いで勝った。
「敬って欲しいなら敬われるだけのものを見せなさい!そもそもここはクルタス王立学院。平等を謳う学舎よ。学問の前で、王族も平民も関係ないわ。私は先輩、あなたは後輩。年長者として、教え導く義務があるの。だから、これは、全うな、教育的指導よ!!」
「な、」
「力を持つものにはその責任があるの。制御出来ず、むやみに振るうなら、それはあなたが持つべきではない力よ!正しく使えないようなら私から、先生に封印を申し入れるわ」
実際、あまりに力の制御が甘い生徒に対して、魔法封じの枷が使われた例は過去にあったらしい。もちろん、正当な理由のもと、保護者もしくは司法の承諾の上でのことだが。
「俺の魔法を封印だと?」
「それくらいのことをあなたはやったと言っているのよ。今回は運良く私が止めたけれど、これがほかに魔法使いのいない場所でのことだったら?引火もしくは爆発するものがある場所だったら?あなたのやったことは、ひと殺しと変わらないわ!」
「っ、侮辱する気か」
「侮辱?当然の評価だわ。火魔法は簡単に生き物を殺せる、強力な魔法よ。だからこそ、繊細な制御と広い視野、正しい心のもとで使わなければならないの。初等教育の教科書の最初に載っていることよ。そんなこともわからないなら、初等部からやり直しなさい!!」
目の前に立つ小さな背中に、真っ向から切られる啖呵に、ああ、と思い知らされる。
そうだ。
わかっていたはずなのに、どうして忘れていたのだろう。
「ツェリ……」
小さな小さな呟きだったのに、それは愛しいひとの耳に拾われて、わたしを庇っていた背中は、憤怒の表情で振り向いた。
「あなたもあなたよ!」
小さく華奢な手が、わたしの胸ぐらを掴み、引き下ろす。
「私が観客にいるとわかっているのに、どうして避けなかったのよ!あのくらい、どんなに不意討ちでも対処出来るわよ!!」
華奢な片手が、きゅ、とわたしの髪を引っ張った。
「髪は治癒魔法じゃ治せないのよ!この短い髪を、もっとみすぼらしくするつもりだったの?」
思わず笑ってしまって、なに笑ってるのよ!とますます怒られる。
そうだった。
わたしのお嬢さまは、世界一可愛くて優しくて、格好良いのだ。
「心配させて、申し訳ありません」
「わかっているなら最初から、」
「魔法、巧くなりましたね、お嬢さま。発動も早くなりました」
「っ」
声を詰まらせたツェリの目が、潤む。
「っぁ、褒めても、誤魔化されないわよ!!」
「純粋な感想ですが」
「そもそも!あなた音魔法でどうにか出来たでしょう!どうして使わなかったのよ」
確かに、炎ならば音魔法の防御で退けられる。
けれど。
「剣術模擬試合中でしたので」
「相手が違反したらその時点で無効試合でしょう!ルールより身の安全を優先しなさい馬鹿猫」
「猫ではないです」
「猫でないなら」
ぐわし、と両の頬掴まれた。
「飼い主に守られる前に自分の身くらい守りなさいよ!」
「お手を煩わせて面目次第も、」
「そう言うことを言っているんじゃないわよ!!馬鹿!お馬鹿!!」
ぎゅうぎゅうと頬肉を引っ張られる。爪が刺さって少し痛い。
それから、
「お嬢さま。お叱りはあとでいかようにもお受けしますから少し落ち着いて下さい」
「誰のせいで、」
「授業中で、ふにゃっ、くしゅ、失礼しました」
ずぶ濡れ第二王子の視線がとても刺さる。
くしゃみは偶然だったが、それで少し頭が冷えたらしい。
ツェリがわたしと第二王子を脱水乾燥して、教員へ目を向ける。
「試合中の乱入、失礼致しました」
「いや」
謝罪を口にしたツェリに、教員は首を振り、
「ミュラーの防御壁のお陰で怪我人を出さずに済んだ。感謝する」
ツェリに礼を述べた。
「いいえ。ですが、私が乱入してしまいましたから、勝敗は、」
「乱入前に魔法使用したのはフェルデナント殿下だ。失格負けに、」
「あの」
それでは消化不良だと、口を挟む。
「わたしの方も、ツェツィーリア嬢に庇われましたので、そこは両成敗に。先程の試合は無効試合として、再選させては、」
「駄目よ」「駄目だ」
否定はふたり分揃って聞こえた。
「また同じにならない保証がどこにあるの。と言うかあなた、さっきの試合はなに。意地が悪いにも程があるわ。やるなら真面目にやりなさいよ」
「……この前の授業で」
拗ねた口調で反論を。
「わたしに負けたパスカル先輩を、女に負けたくせにヘラヘラしてと馬鹿にされたので、腹が立ったのです」
「腹いせにしてももっとやり方が……良いわわかった。試合は危ないから腕相撲で決着着けなさい」
「え?」「は?」「ミュラー?」
三方向から疑問をぶつけられたツェリが、いとにこやかに笑う。
まだお怒りなのですねお嬢さま。
「腕相撲なら危険もないし、時間もかからないし、手っ取り早く力の差が比べられるじゃない。どうですか先生、それなら」
「ん、あ、ああ、そうだな」
美少女の笑顔の圧に負けないで先生。
「あなたも良いわよねアル」
「いやあの、」
「良いわよね?」
「はい……」
ごめん先生ひとのこと言えなかった。
「待て。剣術試合の代わりが腕相撲だと?そんな遊びで、」
「あら」
笑顔を納めたツェリが、首を傾げてふわりと髪を払う。
とても、悪役令嬢らしい貫禄のある仕草だ。
「自信がないのかしら」
ついとわたしの手を取って、ツェリがわたしの袖をまくり上げる。
あらわになるのは、お世辞にも太いとは言えない腕。
「そうね。こんな細腕相手に、負けたらみっともないものね?」
煽りよる。
「良いのよべつにやってもやらなくても。どうせアルの勝ちで結果は変わらないもの。そうよね恥の上塗りは嫌よね配慮が足りなかったわ。先生やっぱりこの試合はこのままアルの勝ちで、」
「待て」
そう言う性格なのは知っているけれど、そんなに乗せられやすいとお姉さん心配だよ。
「誰が誰に負けるって?良いだろう受けて立つそんな女に負けるかよ」
「そう」
頷いたツェリが、魔法で台を出す。懐かしの、初めての演習合宿で使ったものだ。
「それならさっさと始めましょう」
「これは」
「台を用意するのも面倒でしょう?これでやれば良いわ」
わたしが手を加えていないので音は鳴らないが、アームレスリング台である。
「お前は、そいつの味方だろう」
「いや、ミュラーはサヴァンには厳しいぞ」
不正を疑う第二王子に反論したのは意外にも教員だった。
台をなでて確かめながら、ツェリに問う。
「サヴァンに不利に作っていたり、しないな?大丈夫か?」
「大丈夫ですよ。この台は公平です」
ああそうか、去年の防御壁の件を知っているからか。
「さ、隣はもう決着していますから、こちらも早く決めませんと」
なぜかツェリに仕切られて、台を挟んで第二王子と向き合う。審判は教員だ。
わたしの腕相撲の実力について、二年三年にはだいぶ知れ渡っているようだが、さすがに一年生には知られていないのだなあと、感慨深く思いつつ、腕をまくって台に乗せる。
第二王子が、は、と息を飲んだ。
「……折れたりしませんから手を抜かないで下さいね?あとから油断したとか言い訳は格好悪いですよ」
「っ誰が」
ばしんと手のひらを合わせられて、笑みを返す。年齢的にはわたしが上だが、手の大きさは比べるまでもなく第二王子が上だ。
「用意良いな?では、三、二、一、始め!」
「ぅらぁっ!」
だんっ
「!」
「っし」
「決まりだな。勝者、サヴァン」
「ありがとうございました」
礼儀としてお礼を口にしてから、台を離れる。
「お疲れさま」
「ありがとうございます」
すれ違いにツェリが台に近付いて、呆然としている第二王子に声を掛ける。
「片付けるから、離れて貰えるかしら」
「あ、おう」
魂が抜けたような第二王子が大人しく台から離れるのを待ち、ツェリは台を消した。それから、第二王子へ目を向ける。
「国民の、約半分が女性よ」
ツェリは小柄だ。この国の平均的な女性より小さいくらいの身長。対する第二王子はヴィクトリカ殿下とテオドアさまの中間くらいの身長だ。男性平均より確実に高い。
つまり圧倒的身長差で、体格差もかなりあって。当然ながら身分差だってあって。
それでもツェリは、怯まず叱った。
「民がいなければ国は成り立たない。王族の自覚があるなら、いたずらに女性を貶める発言は控えなさい。確かに筋力や体力では男性が優位でしょうけれど、だからと言って軽んじて蔑んで良いわけじゃないわ」
第二王子の目が、ツェリを捉える。
「王族である以上、あなたが国の代表になるのよ。あなたの些細な一言一動作で、国全体の印象が左右されかねないの。言葉にも行動にも、もっと気を配りなさい」
「お前になにが、」
「そっくりそのまま、あなたに返すわ」
ツカツカと歩み寄ったツェリが、ビシッと第二王子の胸に指を突き付ける。
「あなたは女だとか、女に負けただとか言って、エリアルやシュレーディンガー先輩を馬鹿にしたようだけれど、ふたりのなにを知っていると言うのよ。表面だけでわかった気になって甘く見ていたら、あなたが損をするわよ」
これは、まずいかもしれない。
第二王子は気に入らない相手からの叱責など、受け入れはしないはずだ。不用意に近付いて、殴られでもしたら。あの体格差で、しかも第二王子は武術の心得がある。防御壁が間に合わなければ大怪我しかねない。
「っ、なにが、損だって言うんだ」
けれど予想に反して、第二王子はツェリの言葉に耳を傾けた。
「手を取ったならわかるでしょう」
そんな第二王子へツェリは胸を張って答える。
「エリアルは強いわ。皮膚が厚く硬くなって、タコが出来るくらい日常的に剣を振っているから。あの細腕で腕相撲に勝つくらいの、技術も習得している。武術だけじゃないわよ。魔法だって器用に使うし、座学も試験で常に上位だわ。人望もあるから先輩には可愛がられているし、後輩や同輩には気に入られている。正当な理由もなく言い掛かりを付ければ、下がるのはあなたの評価よ」
「……そんなに、その従者モドキが好きか」
「「え?」」
思わぬ問いに驚いたのは同時。
思わず振り向いたわたしを、第二王子は思いきり睨み付けた。
ええ?
「そ、そんな話の内容、だったかしら?」
動揺しきりのツェリを、見かねて助け船を出す。
「お嬢さま、次の試合の前に場外に、」
「すぐ戻るわ!とにかく、性別や見た目だけでは、相手の価値は測れないってことよ!わかった?」
「……ああ」
どこか不満げに頷いたあとで、第二王子が続ける。
「そう言うってことは、俺のことも、見た目や噂だけじゃなく確かめて評価する、ってことだな」
「えっ?ええ、そうね、関わるなら、ひととなりを見るわよ?」
「ならいい」
なにが良いものか。
ふ、と笑った第二王子が戻るんだろうとツェリを促し、促されたツェリがこちらを振り向いた途端、第二王子は敵意のこもった目をわたしに向けた。
待って。これは、なに?
「ちゃんと、エリアルとシュレーディンガー先輩に、言い掛かりを付けたことを謝罪しなさいね?」
「わかった。……実力を知らずに侮辱して済まなかった」
謝罪とか、出来たのか。
いや、ゲームでヒロインに謝っている場面は確かにあったけれど。
「……」
「アル?」
「っ、申し訳ありませんお嬢さま。少し、ぼーっとしてしまって」
「次は決勝戦でしょう?それで大丈夫なの?」
「大丈夫です。必ずや、あなたに勝利を捧げますよ」
鍛え抜いた笑みに、怒りの視線がぶち当てられている。
「謝罪を、したんだが」
「謝罪はパスカル先輩に。わたしは悪意を向けられるくらい、慣れていますから」
「アル、あなた今日は意地が悪くないかしら」
「いつもこうですよ」
言ったところで、教員からお声が掛かる。
決勝戦の対戦相手は、クララ先輩こと、クラウス・リスト侯爵子息だった。テオドアさまは、惜しくも敗退したらしい。
「なんか問題あったんだろ?怪我ねぇか?」
当然のように、わたしを案じてくれる、クララ先輩。
「大丈夫です。このまま連覇して見せますよ」
「おっ前、対戦相手にソレ言うかぁ?ま、良いよ良いよ。優しい先輩が、胸を貸してやろーじゃん」
ああ、ここは呼吸が楽だ。
ちらりと視線を向けた観客席では、ツェリがリリアたちに迎え入れられていた。第二王子は別の場所で、第二王子派閥の生徒に囲まれている。
「中途半端な試合だったので消化不良なのです。派手に行きましょう」
微笑んで曲刀を構えれば、クララ先輩もにいっと口角を上げた。
「良いぜ。格の違いってやつを、見せ付けてやるよ」
始めの掛け声を聞いた途端、ふたりそろって地を蹴り斬り結んだ。
そこからは、曲芸のような攻守の応酬を、試合場目一杯使って。
お互い、奇をてらった戦術を得意とするもの同士。とにかく大振りに、縦横無尽な戦いをする。足も出れば頭突きもするし、鞘やら上着やら使えるものはなんでも使う。跳ぶししゃがむし転がるし、体術限定でやった四回戦に匹敵する、いや、下手するとそれ以上の動きの幅広さを見せている。
当然、体力はガンガン削られる。
派手に動いて見せてもお互い隙は見せないから、余計だ。
けれど、楽しい。こんなにも、楽しい。
気付けば口角は上がりっぱなしで、伺えばクララ先輩も笑っていた。
るーちゃんこと、ブルーノ・メーベルト先輩に見られたら、戦闘狂と笑われるだろうか。
でも今だけは。今だけは。
この、楽しい時間に集中したい。なにもかも忘れて。目の前の、対戦相手のことだけ考えて。
こう避けたら、どう攻め込んで来るだろう。こう打ち込んだら、どう避ける?それとも、打ち返して来る?
勝たなければいけない。それはもちろんある。だが、それ以上に、予想外の攻防に発展するクララ先輩との手合わせは、楽しい。普段の授業ではここまで広々場所を使えることが少ないので、余計だ。
「……準決勝でもそのやる気を見せろよ」
教員のぼやきが耳に入って、笑ってしまう。そんなの無理に決まっている。クララ先輩相手だから、ここまで自由にやれるのだから。
剣術は、戦うための技術だ。戦争のための技術だ。
ひとを殺すこと、ひとに殺されることを、前提とした技術だ。
だから本来楽しむべきものではない。楽しむべきものではないが、それでも、実力の拮抗した相手との闘いは胸が躍るし、健康な身体で動き回るのは純粋に楽しい。
辛いだけのものでは、決してない。
汚れるのも気にせず転げ回るから、わたしもクララ先輩も土埃まみれだし、気付けば小さな擦り傷を、顔やら手やらにこさえている。けれどそんなクララ先輩を、みすぼらしいとは思わない。
ふと視線を感じて目を向ければ、敵意と憎悪に満ち満ちた顔で、第二王子がわたしを見ていた。
あなたじゃ、わたしの敵にはならないのですよ。
……少なくとも、戦闘では。
「おいおい、余所見かぁ?」
「っ」
クララ先輩の突きが、頬を掠めた。じわ、と、血がにじむ。
剣が退かれる前にその横面を叩いて身体を開かせ、跳躍。クララ先輩の肩を蹴って頭上を飛び越えつつ納刀し、間合いを取ってから構えた。居合いの構えだ。
「そろそろ勝敗を着けましょうか」
汗か血か、頬を伝う。
「今までは本気じゃなかった、ってか?」
「まさか。本気で、遊んでいましたよ」
「ははっ、確かにな!」
笑ったクララ先輩が、こちらは雑に構える。
手を抜いているわけではない。クララ先輩の怖さは、予備動作の少なさにあるのだ。思いがけない位置から、思いがけない攻撃を放って来る。
早さを売りにした、喧嘩殺法である。
「エリアル・サヴァンの真髄をお見せしますよ」
「受けてやるよ」
格好良く笑ったクララ先輩と対峙。
呼吸を整え、時機を待つ。
今。
一足飛びに接敵し、抜刀納刀を一瞬で。
「は?」
ぎょっとしたクララ先輩の腕を取って投げ、片手片膝でうつ伏せに締めると、抜いた曲刀を首に押し当てた。
「いかがでしょう」
「いや」
クララ先輩が乾いた笑いを漏らす。
「模擬刀で模擬刀叩き斬るとか……ビビるわ……」
「勝者、サヴァン!」
教員の掛け声に納刀し、片手を差し出す。
「ありがとうございました」
「くはっ」
ぱしんと手を取って立ち上がったクララ先輩が、ばっと両腕を広げて天を仰いだ。
「だああぁぁぁあ!負ぁーけた、負けたぁー!!ちくしょ、連覇阻めなかったぁぁあああ」
そんなクララ先輩に、三年生から野次が飛ぶ。
「ぁ゛あ゛!?」
八方からの野次に侯爵令息らしからぬメンチ切りで応じるクララ先輩。
「決勝まで残れなかった雑魚がほざいてんじゃねぇよ。まとめて散らすぞこの野郎共!」
「お供しますよ」
「よっしゃやってやろうぜ、おら掛かって来いよ!」
が、と遠慮なく肩を組まれて、笑う。
あー、
「剣術、クララ先輩と一緒が良いなぁ」
「んん?かぁいーこと言うじゃん。んだよクララ先輩大好きかぁ?」
「ハハッ」
「いや否定か肯定しろよ」
「そうですね」
わたしも多少背は伸びたはずだけれど、それでもクララ先輩の方が頭半分大きいし、肩幅は頭一個分差がある。
そんな体格差のわたしに負けても、模擬刀を模擬刀で叩き斬られても、化け物扱いせず笑って先輩風吹かせるクララ先輩は、強いひとだと思う。
「男性ならば強いひとが好きですよ」
「え、物理的に?サヴァンより?」
「いえ総合的に」
「例えば?」
例えば?
思い浮かぶのは卒業した先輩方だ。スー先輩もウル先輩もラフ先輩も、シュヴァイツェル伯爵子息やゴディ先輩、それに、るーちゃんも。
みんな強い。尊敬する先輩だ。
けれどそれを口にするのは憚られて。
「掛かれっ!」
迷っている間にどこぞのバトルジャンキーな先輩の声が、
「馬鹿野郎!試合が終わったら授業だ!遊ぶなわかっているだろう三年共!!」
続いて教員の怒鳴り声が響く。
ゲラゲラ笑いながら先輩方は教員の声を無視して。
「やっべ剣折れてんだった、タンマタンマ」
「待たねぇわ」
「つかやばいなこの断面」
「うわすごい」
クララ先輩とふたり、もみくちゃにされる。
「サヴァンに挑もうなどと、良い度胸ではありませんか!」
「うお」「だっ」「は?」
中ボスのような台詞を吐いて、そんな先輩方を投げ飛ばした。
「やっばいサヴァンに近付くとやられるぞ!」
「クララ狙えクララ」
「は?オレだって負けねぇし!」
模擬刀の残骸を捨てたクララ先輩が、襲い来る集団に反撃。
悪意は欠片もない、男子高校生のノリだ。
「くぉうら!聞けってんだよ、の悪ガキ共ぉ!!」
落とされる教員の雷も、じゃれる悪ガキには届かない。そして襲来するのは。
「ねぇそれくらいにして貰わないと、連帯責任でおれまで怒られるんだけど、良い加減にして貰えるかな?」
猛獣使いの、ひんやりした声。
すん、と全員が、動きを止めた。
「ほら整列」
軍隊のように、綺麗に整列して気を付け。
「ん。よし。最初からそうしなよ。先生、お待たせしました」
「いつも悪いな、シュレーディンガー」
気付けば普通科生の姿は消えていて、騎士科の二年生と中等部持ち上がりの一年生が尊敬の眼差しで、外部出身の一年生が得体の知れないものを見る目でパスカル先輩を見ていた。
「猛獣使いすごい」
「さすがパスカル先輩」
「格好良い」
「騎士科にパスカル先輩がいてくれて良かった本当に」
「あのひと何者だよ」
「いや知らない。伯爵以上ではない、と思う」
「侯爵子息従わせといて?」
友人が認められたクララ先輩も、尊敬する先輩が認められたわたしも、にっこにこである。
「なんでふたりが得意げなの……」
そんなわたしたちの間に、呆れ顔で収まるパスカル先輩。
「ほら、二年生と一年生も集合!」
呆れつつも後輩への指示を忘れないのが、パスカル先輩のパスカル先輩たる由縁である。そして誰も文句を言わず、駆け足で従うところも。
わたしたちが遊んでいるあいだに、普通科生は自分たちの授業へ戻ったらしい。
それから始まるのは模擬試合の講評と解説。優勝者であるわたしは、呼び出されて解説の補佐に回されて。
「重量のないものが打撃や剣撃を重くするには速度や回転を付けることで──」
「体型や闘い方に合った武器選びが──」
「徒手の闘いの場合──」
ひととおりの説明の、実演をやらされることになった。体の良い模型役である。
「これ、先生か三年生の役割では?」
「黙って従え優勝者」
同じく実演模型役にされたクララ先輩が、小声で言う。
「剣も体術も出来るから、都合が良いんだろ」
確かに。
そんな途中、なぜか追加で、テオドアさまとラース・キューバーが呼ばれる。
「?」
「中には魔法を交えた体術を使うものもいる。実戦を見せよう。リスト対アクス、キューバー対サヴァンで。アクスが身体強化、サヴァンが魔法での動作補助だ。まず魔法なしで」
説明の体で指示出しするのやめて貰えますかね。やりますけれども。
指示通り、ラース・キューバーと軽く打ち合う。意図を汲んでほぼ立ち位置を変えずに応戦するラース・キューバーに対して、こちらは先のクララ先輩戦のように上下にも前後にも左右にも動き回って。
「ま、アクスもサヴァンも魔法なしで十分強いんだがな。魔法を使うとこうなる」
音魔法を補助に、移動速度や跳躍の飛距離を変える。自分の腰を押して瞬時に背後に、足裏を押して高く跳躍、なにもない空中で三角飛びして起動変更。
ざわざわと、驚く声を上げるのは一年生だけ。
音魔法を使った立体機動は、二、三年生には知られているからね。
でもそれだと、面白味がない。
どうせなら、二、三年生もあっと驚かせてやりたい。
ではここらでひとつ、ばばんと新技を披露しても良いのでは?うん。良いことにしよう。良いとわたしが決めた。
ラース・キューバーの背後に移動して斬りかかる。反応して剣撃の軌道に差し込まれた剣と、わたしの剣が交わる寸前、剣を握る自分の手に魔法を当てて速度を増す。
ぱぁんと、盛大な破裂音。
「ぐっ」
「へ?」
弾かれたように後ろへ振り抜かれるラース・キューバーの左腕と、その手から吹っ飛ぶ剣の、柄だけ。
顔を思いきりしかめたラース・キューバーが、予想外の出来事に呆けたわたしに肉薄し、脚払いをかける。倒れ込む身体の、首を掴まれ地面に押し付けられる。
「今年は僕の勝ちだ」
敬語の消えた声と、顔に浮かぶ愉悦に、そう言えばこの男の素はこっちだったなと思う。
「腕、大丈夫ですか?」
「……脱臼していますが折れてはいないでしょう、おそらく」
息を吐いて立ち上がったラース・キューバーの左腕は、だらりと垂れ下がって脱力している。
「申し訳ありません。そこまで威力が出ると思わず」
「それで呆けて隙を突かれたら、意味がないと思いますが、っ」
動くと痛むのか、ラース・キューバーの顔がぎゅ、と歪む。
慌てて立ち上がり、歩み寄った。
「言葉もありません。あの、医務室に」
「おい馬鹿」
「はい」
完全にわたしに非があるので、教員の呼び掛けに悄然と答える。
「実演中に新技を試すんじゃない。なんだあれ。模擬刀爆散したぞ。あー、キューバー、医務室に」
「あ、わたしが付き添、」
「付き添いは遠慮します。腕ですのでひとりで行けます」
「模擬刀の弁償」
「不要です。予備もありますし古くなっていたものですから」
取り付く島もなく言ったあとで、ふとラース・キューバーがわたしを見る。
「悪いと思っているなら残骸の回収と処分を頼みます」
「わかりました、あの、」
謝罪を重ねようとしたわたしの言葉は、大きなため息に遮られた。
「まずいと思った瞬間に手を離せば怪我などしませんでした。模擬刀も、壊れなかったのではないかと思います」
「キューバー公爵子息?」
「お互いさまだと言っているんです。訓練なのですから怪我ぐらいするでしょう」
これはもしや、慰められている、のだろうか。
「ありがとうございます……?」
「いえ。では僕は少し抜け、いえ」
不意にわたしの顔を見つめたラース・キューバーが、教員に目を移して言った。
「申し訳ありません、やはりサヴァンに付き添いを頼んでも?足首を痛めたようです」
「ああ。気を付けて行って来い」
「ありがとうございます。サヴァン、肩を貸して貰えますか」
「は、はい」
足を痛めるようなことが、あっただろうか。
疑問に思いつつも、ラース・キューバーに肩を貸して歩き出す。
「もっと体重を掛けても大丈夫ですよ」
「……べつに、足は痛めていません」
お前が足首を痛めたから付き添えって言ったのだが?
「あなたご執心のミュラーの養女」
小声で呟かれた言葉に揺れた肩は、触れられているのでばれているだろう。
「危険ですよ」
「……」
「重々承知だとでも、言いたそうな顔ですね」
ラース・キューバーが意地悪く微笑む。どうにも今日は、微笑みの貴公子の仮面が剥げがちのようだ。
「王太子派筆頭家の養女で、戦略級の魔法使い。さらに、政略級の魔法使いであるサヴァン家の娘と懇意。容貌頭脳共に優れ、人脈作りにも余念がない。第二王子派としては、落としたい駒です。それはわかっているでしょう」
わかっている。わかっているとわかられていることすら、予想している。
「僕が言いたいのはそんな話ではありません」
ラース・キューバーの歩く速度はゆっくりだ。
まるで、足を痛めたものが、痛みをこらえながら歩くように。
「ツェツィーリア・ミュラーを第二王子派に引き込めれば勢力図が変わる」
「そうですね」
「逆に言えば、ツェツィーリア・ミュラーを王太子派陣営に残したまま、ツェツィーリア・ミュラーに第二王子を落とされたなら、第二王子派陣営は終わりです。旗頭がなくなりますから」
その通りだ。だからゲームの悪役令嬢たちは、攻略対象を落とそうとしていたのだろう。自分を駒として使い、自陣営を優位に立たせるために。
だが、
「それは難しい、でしょう。第二王子殿下は」
「ええ。敵に容赦などなさいません。だからこそ」
ラース・キューバーがいっそう声を低くする。唇もほぼ動かさず、口許を隠すようにうつむいて。
「さきの対応は異常です。あの方は好意を持っている相手でもない限り、諫言をおとなしく受け入れたりしない。政敵ならば、なおのこと」
「それを」
ああ、動揺は隠せているだろうか。
「あなたに指摘されるとは」
「……借りは返す主義なだけです。今回だけですよ」
ラース・キューバーの唇が、耳に寄せられる。
「もし異常に気付かれれば、ツェツィーリア・ミュラーの価値はより跳ね上がる。取り込みに動くか、排除に動くかは、家次第です。気を付けなさい。守りたいならば」
ふ、と、吐息のような笑いが耳に流し込まれた。
「どの陣営にとっても予想外でしょうね。あなたも、それを避けようと動いていた。違いますか?」
沈黙。だが、答えるまでもなく確信されているだろう。
ああそうだ。なんのために、今まで外堀を埋め続けて来たと思っている。
「あの反応。ツェツィーリア・ミュラーの方も、まんざらではないのでは?残念でしたね。思惑通りに行かなくて」
微笑みの貴公子は相変わらず、わたしにだけ態度が悪辣だ。
「……ひとのこころなど、操れるものではありませんよ」
「あなたがそれを言いますか」
顔を離したラース・キューバーが、白けた表情を浮かべる。
「なんにせよ僕としては、歓迎すべきことでしたよ」
「そこまで」
この坊っちゃんの腹の黒さは、それなりに理解している。
「腹に据えかねていましたか」
「人格に問題ありとされれば、継承権が剥奪されかねませんから。その点、ツェツィーリア・ミュラーの行動や指導はまともです。さきの指導も悪くないものでした。多少、感情的で手が速くはありますが」
これで第二王子派陣営であれば、完璧だったのですが。
悪びれもせずそんなことをのたまうラース・キューバー。
「ミュラー家に盗られたのが惜しいですね。我がキューバー家に、来て頂けていれば」
キューバー家は魔法至上主義。強力な魔力を持つツェリであったならば、罪人の子であろうと受け入れただろう。
実際は、候補ですらなかったが。
「わたしがそれを許すとでも」
「やはり主導はあなたですか」
「……ツェリは道具ではありません」
キューバー家はツェリを受け入れる。
強い魔力持ちを産む肚として。
そんな扱い、認めるものか。
「なぜ、あなたは」
「はい?」
「いいえ。ひとは道具ではないと言う意見には、賛成致しますよ」
魔法の使えないキューバー家子息。キューバー家の異端。成績優秀な、微笑みの貴公子。
生まれがキューバー家でなく普通の貴族家であったならば、ラース・キューバーの人生は、もっと生きやすかっただろう。単なる優秀で努力家な息子として、生きられたはずだ。
「ツェツィーリア・ミュラーとは対照的に、あなたは二重で敵意を向けられているようですが」
「それは」
「危険なのはあなた自身も同じですよ。あるいは、ツェツィーリア・ミュラー以上に危険です」
怪我人が出やすいので訓練場から医務室は近い。ゆっくり歩いても、さして時間は掛からない。
訓練場から死角になった医務室近くで、ラース・キューバーはわたしの肩を解放した。
「足が大丈夫ならここで、」
「は?」
真面目に授業に戻ろうとしただけなのに、なぜ殺気を向けられたのだろう。
「良いから来なさい。なんのための付き添いですか」
足を痛めたって言ったからだよ。
わたしが内心の反論を口に出す前に、ラース・キューバーはわたしの腕を掴んで医務室へ連行した。
「開けて下さい。手が使えないので」
わたしの腕を離せば良いと思うよ。
「早く」
「はい」
片腕を駄目にした負い目はあるので大人しく従うと、開けた扉のなかへと押し込まれる。
養護教員はわたしを見るなり悲鳴を上げた。
「サヴァンさんあなたまた顔に傷を作って!ベティ、ベティ、治癒魔法!!」
「え、いえあの、わたしよりキューバー公爵子息を、」
「僕はあとで良いので彼女を」
いや絶対にあなたの方が重傷ですが?
わたしの顔なんて単なる擦り傷程度だ。放っておいても数日で治る。ラース・キューバーの怪我は骨が折れている可能性もあるのだから、すぐ適切な治療を受けるべきだ。
わたしの主張は間違っていないはずなのに、三対一で敗北し治癒魔法を掛けられる。
「ああ、手にも擦り傷を作って。ほかに怪我はない?打撲は?」
「ありません。あの、キューバー公爵子息の怪我を、」
「怪我はベティが治してくれたけれど、保湿のクリームも塗っておきましょうね。ほらこっちを向いて」
「キューバーさんも酷い怪我ですね。少し触りますよ。脱臼と、剥離骨折ですね。肩をはめてから治癒魔法を掛けましょう。痛むなら先に、痛み止を使いましょうか?」
剥離骨折の言葉に、思わず振り向、
「顔動かさない。目を閉じて」
振り向けなかった。大人しく目を閉じて、薬を塗られる。
「──っ」
「はい、よく頑張りました。骨折を治しましょうね。時間が掛かりますから、ベッドに寝ていて下さい」
「わかりました。……サヴァン」
肩をはめる、まして剥離骨折の状態でなど、かなり痛むはずだ。だと言うのにラース・キューバーは息を詰めるだけで耐え、微笑みの貴公子らしい穏やかな声でわたしを呼ぶ。
「はい、顔は良いわ。手を出して」
時を同じくして顔面が解放されたので、目を開ける。鮮やかな濃紫の目が、こちらを見ていた。
「付き添いありがとうございました。しばらく戻れないと、伝言をお願いしても?」
「わかりました。あの、」
「では頼みました」
わたしにみなまで言わせず、ラース・キューバーは養護教員に示されたベッドへ向かう。
「はい、塗れた。顔に傷は作らないよう気を付けなさいね?騎士は見た目だって大事なのだから。わかったなら行って良いわ」
「はい。ありがとうございます」
退出を促されれば、これ以上求められていない謝罪を連ねるのも不躾だ。
「では、失礼します」
大人しく医務室を出て、訓練場へと足を進める。
思考を覆うのは、ラース・キューバーから与えられた言葉。
わたしの持つ第二王子に関する知識は、ゲームによるところが大きい。もちろんこの世界での情報収集も行ってはいるが、わたしは第二王子に会わないように動いていたので、本人を直接観察しての情報ではなく、噂や誰かの経験と言った、間接的な情報ばかりだ。
対するラース・キューバーは、昨年クルタスに入学するまでは王都の王立学院にいた。第二王子派筆頭の家であることも鑑みれば、本人との交流もかなりして来ているだろう。
その、ラース・キューバーが、さきの第二王子の行動を"異常"と言った。
わたしがゲームの第二王子と比べて、さきの第二王子が異常と感じたのと、同じようにだ。
それは、つまり。
第二王子は独占欲が強い。ヒロインに近付くものは、老若男女問わず威圧するくらいに。まして口説きでもしようものなら、射殺さんばかりの怒りを見せる。
わたしに対する敵意は、ただ、王太子派の女と言うだけでなく。
そんな、ことが、あり得るのだろうか。
「……っ、顔だけでなく、すべてが一級品通り越して世界一なのですよね、わたしの天使は」
もともと外見と素質は類いまれなるものを持っていたツェリを、公爵家の令嬢として申し分ないまでに作り上げたのはわたしだ。頭脳も身体も魔法も、出来得る限り磨き上げた。
さらにミュラー公爵家の養女になってからは、王族に引けを取らない最高の教育を、家から与えられたのだ。
どこに出しても恥ずかしくない素晴らしいご令嬢。それがツェリで、高等部に上がってからはリリアと並んですっかり高嶺の花扱いされている。
つまり年頃の男性なら、ツェリに憧れや恋情を抱くことなど、むしろ自然なくらいなのだ。
「O Romeo,Romeo! wherefore art thou Romeo?」
口を突いた言葉に、自嘲の笑みが漏れる。
「わたしはパリスですか。それともティボルト?」
そんな下らない争いやしがらみなんて、まとめて捨ててしまえれば良いのに。
深々と息を吐き、首を振る。考えようによっては決して、悪い話ではない。
ツェリはしっかり教育を受けた、倫理観も常識もあれば、貴族の義務や責任も理解した、至ってまともな令嬢なのだ。生家の罪にさえ、目をつむれば。さらに言えばもし、巧く第二王子を取り込めれば王太子派にとってこれ以上ないほどの貢献になる。
そしてもっと、身も蓋もない思考をするならば。
ミュラー公爵家は王太子派。その、ミュラー公爵家の養女であるツェリも、なにもしなければ王太子派とみなされる。だが、もし、第二王子と個人的に、親しくなっておけば?
たとえ、王太子派が敗北を喫したとしても、ツェツィーリア個人は、第二王子の味方として、掬い上げられるかもしれない。優秀さは、十二分なのだから。
「ロレンスを、許さなければ良い。誰にも、毒など渡させない」
その道が、正しいのかなんてわからない。
それでもわたしは。
ふと、気配に顔を上げる。医務室から訓練場へ向かう途中。外から見える、空き教室の片隅。
「ツェリ?」
今は授業中のはず。なぜ。
そんな疑問より早く身体が動いたのは、見えたその顔が泣き濡れ腫れていたから。
魔法で鍵を開け窓枠を乗り越えて、教室に侵入する。
「どうしたのですか、いったいなにが」
伸ばした手はびくりと怯えられて、行き場を失う。
「まさか……ツェリ」
わたしが呆然と出した声に、ツェリは何も答えなかった。
ただ、顔を歪め唇を噛み締めて、声も出さず頬を濡らす。堰を切ったようにあふれる涙を、拭うことも忘れて。
もう一度、その頬に手を伸ばすと、びくり、とツェリの肩が震えた。
拒絶、瞬間そう思ってためらいかけた手を、それでも伸ばして頬に触れた。
この手にあなたを傷付ける意思はないのだと、変わらずあなたが愛しいのだと、確かに伝えるために。
親指で涙を拭い、そのままうなじに手を滑らせて、小さな身体を抱き寄せる。
自分の胸に大事なひとの頭を抱き込んで、華奢な背をなでた。
抱き締められて一瞬緊張した身体は、すぐに弛緩してわたしの腕に収まった。
温かい涙が、じわりと服に染みて来る。
なにを無謀な、とは、言えない。言う気もない。
恋は理屈じゃない。病だ。
いかに本人の意志に反しようと病が身体を蝕むように、恋もまた、理屈や意志でどうにかなるものではない。
無謀だ、とは、思う。
避けるべきで、諦めるべき恋心だとも。
ゲームでの悪役令嬢ツェツィーリア・ミュラーは、攻略対象に恋をしていない、と思う。彼女の言動は事務的で、嫉妬や憎悪と言った感情は伺えなかった。
だからこれは、ゲームと違った展開、だけれど。
ゲームを知るからこそ余計、ツェツィーリア・ミュラーと攻略対象との恋が絶望的に思える。
悪役令嬢と攻略対象は、決して結ばれるはずのないカードなのだ。
イルゼ・トストマンをはるかにしのぐ魔力の持ち主であるツェツィーリア・ミュラーは、勢力争いの強力なカード。
しかも現状、ツェツィーリア・ミュラーと言うカードにはこの戦いのジョーカーである、エリアル・サヴァンが付属している。
ツェツィーリア・ミュラーが第二王子に付けば、政局がひっくり返るのだ。
先ほどラース・キューバーが、警告して来た通りに。
第二王子陣営から見れば、喉から手が出ても欲しいカード。そして、王太子陣営から見れば、なんとしても手放せないカードだ。
ツェリは義理とは言え、ミュラー公爵家の家族を愛していると思う。もしかすると、実の両親以上に。ミュラー公爵家に愛情と、恩義を、感じている。
扶養家の害になる行動は、理性が許さないだろう。
にもかかわらず、堕ちてしまった。
ミュラー公爵令嬢として絶対に恋してはいけない相手、フェルデナント・ヤン・バルキア第二王子殿下に。
だから泣いているのだ。
恋心と理性が、乖離し過ぎて。
「ツェリ」
声を出すことも出来ずに泣く愛しい少女へ、そっと囁きを落とす。
「いかなることがございましょうと、わたしは、エリアル・サヴァンはいつでもツェリの味方です。それだけは、忘れないで下さい。あなたが誰を愛しても、あなたがわたしを嫌ったとしても、わたしは変わらず、ツェツィーリア、あなたを愛します」
錯綜する謀略、交差する思惑、世俗の柵、渦巻く他人の願望。
なぜ、そんなものに、わたしたちは振り回されなければならないのか。
「ツェリ、あなたに誓いましょう。なにがあろうと、わたしはあなたを守ると」
あるいは自分のように、壊れきっていたかもしれない少女。
牢獄に入れられ、殺されかけても、ひとへの希望を亡くさなかった優しいひと。
化け物の手を取ってくれた、わたしの最愛。
彼女が抱いた、奇跡のような純粋な想いを、踏みにじられてなるものか。
頼りなくも確かに存在する身体を抱き締め、滂沱の涙を受け止めながら、わたしは唇を噛み締めた。
それは、決して楽な道ではない。だからどうした。
楽な道を通ったことなど、今まで一度だってなかったじゃないか。
勝ち筋はある。なくてもこじ開ける。ツェリが望んだ。理由なんてそれで十分。
その無理が通るくらいには、エリアル・サヴァンと言うカードは強いのだから。
「さて。ではわたしは戻りますね」
「は……?」
ぱっと手を離すと、ツェリは唖然とした顔で、わたしを見上げた。驚きのあまり、涙は止まったらしい。
「置いてくつもり?私を?」
「だって授業中ですから。キューバー公爵子息さまに、伝言も頼まれていますし」
「なんでいきなりラース・キューバー?あなたたち交流あった?」
笑って、愛しい少女の頭をなでる。
「つまりコネはあると言うことですよ。第二王子は母君がヤヴェラ教徒で、教皇が後ろ楯です。こんちゃんとの交流も、良い追い風になるでしょう」
「だっ、れが、第二王子って、」
「バレバレですよお嬢さま」
苦笑して、ひとつ助言を口にする。
「案じることはありませんよ。怖いかもしれませんがミュラー公爵閣下、いえ、この場合は婦人の方が良いですね。公爵婦人に、相談してみて下さい。きっと、悪いことにはなりませんよ」
「義母上さまに?」
「ええ」
頷いて、身を離した。ツェリが我に返る前に、窓へ寄る。
「あなたが思うより、道はあります。たくさん」
窓枠に腰掛けて、首を傾げた。
「もう行きますね。わかっているかとは思いますが、お気を付けて。それから、顔を洗って、冷やした方が良いですよ。軟膏は持っていましたよね?」
「え、ええ。持っているけれど」
「ちゃんと塗って下さいね。荒れますから。それでは」
「あっちょっとアル!」
窓から飛び降りて、駆け出す。背後から投げられた声には、振り向かないままひらひらと手を振って応えた。
大丈夫。大丈夫。大丈夫だ。
「道はある。いくらでも」
言い聞かせるように、呟いた。
拙いお話をお読み頂きありがとうございます
前話との文字数の差よ……!
調彩雨の作品作りの癖として
飛び飛びで場面を思い付く
と言うことがありまして
結果として準備が調わない箇所は
書いても出せなくてそっと保留されているのですが
今回その保留熟成された箇所が一部
日の目を見ました
と言うわけで実は一部
五年以上前に書かれた文章なのですが
違和感はなかったでしょうか
なんだか五年前の文章の方が
テンポや言葉選びが良い気がして
え、退化していません……?と
地味に、落ち込みが……
成長のないどころか
退化している可能性すらある作者で申し訳ありませんが
続きもお付き合い頂けると嬉しいです




