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取り巻きCと秘密の菜園 下

お待たせして申し訳ありません


悪役令嬢・ツェツィーリア視点

エリアル高等部一年年度末

 

 

 

 満面の笑みで、立ち上がったエリアルはアーサーへと歩み寄る。


「ちょうど、アーサーさまがいらっしゃれば良かったのになと考えていたのです!」


 そのまま手を取り、四阿あずまやへとアーサーの手を引く。


「こんちゃん、さきほどお話ししたアーサーさまです。あなたと同じく、来年の春からクルタスの高等部に通われる方ですよ」

「あーさー、さま?」


 エリアルの言葉を受けて、ゆらりと新芽のような黄緑のあたまが傾げられる。動きに合わせて、鳥の尾羽のようにちょこんと結ばれた髪が揺れた。私の腕にはまるギャドの腕輪、その翠のいちばんきれいなところをはめ込んだようなとろりとした翠の瞳。小造の顔を形作る肌は霧のように白く、浮世離れして美しい顔立ちもあいまって、精霊のようにふと消えてしまいそうな神秘的な印象を覚える。


 私は見たことのない顔だったがアーサーは思い当たるものがあったのか、驚いたように目を見開く。


「その新緑色……カロッサ?」

「え、カロッサって」


 アーサーの口からこぼれた名は聞き覚えのあるもので、私も目を見開かされた。


 だって、記憶が確かならばカロッサはヤヴェラ教徒もヤヴェラ教徒、


「教皇の……?」


 ヤヴェラ教徒の頂点に立つ、教皇猊下の名であったはずだ。


 アーサーの手を離したエリアルが、新緑の髪の、少年、だろうか、華奢な身体にたっぷりの布を使ったガウンを身に着けているために、性別がよくわからないそのひとの、手を取り背を押して立たせる。


「挨拶、出来ますか?」


 少年がエリアルにほわりとした笑みを向け、頷いた。それから少し緊張した面持ちで、アーサーへ、それから私へ目を向ける。


「こっ、コンスタンティン・レルナ・カロッサです。あの、らいねんの、はるから、くるたす、おうりつがくいんの、こうとうぶせいに、なるよてい、です。よろしくっ、おねがい、し、ます」

「うん。良く出来ましたね。アーサーさま、お嬢さま、彼は現ヤヴェラ教皇猊下の八番目のご子息です。中等部二年の頃に偶然お会いして、以来こうしてたまに、お会いしていて」

「アーサー・ミュラーです」

「ツェツィーリア・ミュラーよ」


 中等部二年のいつなのか知らないけれど、つまり二年以上、私に黙ってヤヴェラ教の教皇子息と交流していたと言うことだ。


 導師との関係と言い、リムゼラの街の人間と言い、エリアルは私の預かり知らぬ関係性を持ち過ぎている。もちろん私だって、エリアルとだけ付き合っているわけではない。すべて知らせろなんて、横暴だろう。でも。


「どうして、会うようになったの?」

「ことばを」


 胸の前で右手を握り、さらに左手で掴んで握って、コンスタンティン・レルナ・カロッサは語る。どこか危うさを感じる言葉を紡ぐ表情は、真剣そのものだった。


「はなしかたを、おしえてもらって、いたんです。ぼくはあまり、はなすのが、とくいではなくて、とくにおなじくらいの、としのひととは、はなしたことがなくて。でも、がくいんにかようことに、なったので、ちゃんとはなしが、できるように、なりたくて。えりちゃんに、はなしあいてと、べんきょうのせんせいを、してもらっています」

「……参考にする相手として、間違ってると思うわよ?」


 こんな純粋そうな子がエリアルを見本にして黒く染まるなんてあんまりだ。

 エリアルに対する当て付けのような言葉だったと言うのに、エリアルは微笑んで、我が意を得たりとばかりに頷いた。


「そうなのです。わたしなら緊張せずに話せると言うことだったので、わたしが練習台になっていたのですが、実際学院に通うとなると、関わる相手はわたしのような人間ではないので、練習台として相応しくないと思っていて。わたし相手ならばかなりなめらかに話せるようになりましたし、どうせなら同じ学年になるアーサーさまと交流出来ればと、話していたところだったのです」

「でも、僕はヤヴェラ教徒では」

「いろいろなひとと、かかわってみたい、です」


 ちらりと助けを求めるようにコンスタンティン・レルナ・カロッサがエリアルを見て、エリアルは微笑み返してその背を押した。


 ぎゅ、と一度両手を握り締めてから、コンスタンティン・レルナ・カロッサがアーサーへ両手を差し出した。


「アーサー、さま、ぼくとともだちに、なってもらえませんか?」


 あまりに素直で、真っ直ぐな言葉と態度だった。

 貴族社会に慣れたアーサーが、目を見開いて絶句するほどに。


 けれどその言葉には、どこかひとを動かす力があって。


 思わず、と言ったていで差し出し返されたアーサーの右手を、コンスタンティン・レルナ・カロッサは嬉しそうに両手で握った。


「ともだちに、なってくれますか?」


 コンスタンティン・レルナ・カロッサとエリアル、ふたり分の期待の視線が、アーサーへ向けられる。


 エリアルの期待を無下に出来るほど、アーサーのエリアルへの気持ちは軽くない。


「僕で良ければ、喜んで」


 アーサーがコンスタンティン・レルナ・カロッサの手を握り返せば、コンスタンティン・レルナ・カロッサとエリアルの表情が、ぱあ、と輝いた。


「ありがとう、ございます。よろしく、おねがいします」

「ありがとうございますアーサーさま。こんちゃん、良かったですね!」

「うん。ありがとう、えりちゃん」


 なぜだろう。


 無邪気に微笑み合うふたりが、まるで姉弟のように見えた。前に見たエリアルの本当の兄妹である、イェレミアス・サヴァンやアリスティア・サヴァン以上に。


「あらあら、お友だちになられたんですか」


 いつの間に離れ、戻って来ていたのか。私たちを案内してくれたシスターが、トレイを持って微笑んでいた。


「お菓子とお茶をお持ちしましたよ。お上がりなさいな」

「ありがとうございます。頂きます」


 エリアルが微笑んでトレイを受け取り、それを見たコンスタンティン・レルナ・カロッサが四阿の机の上を片付ける。エリアルは片手で器用にテープルクロスを広げると、机に茶器とお菓子を並べた。


 手慣れた様子だ。息も合っている。


 いったいどれほどの時間を、ふたりは共に過ごして来たのだろうか。


 エリアルは私と時間を過ごすことより、彼との時間を優先したのだ。


「あの」


 考えごとに集中していた私は隣に座る気配に気付かず、すぐ横から聞こえた耳慣れぬ声に、びくりと肩を震えさせた。


「あ、おどろかせて、しまって、ごめんなさい」


 心から謝罪していると感じさせる悲しげな顔に、戸惑う。


 来年高等部入学と言うことは、アーサーと同じ歳のはずだ。だと言うのにこのコンスタンティンと名乗った少年は、あまりに無垢で素直過ぎる。


 汚れきって、権謀術数けんぼうじゅつすうに長けた私とは、大違いだ。

 性格も真っ直ぐそうだし、きっと私なんかと一緒にいるより、エリアルにとっても居心地が良いに違いない。


「あの……」

「ああごめんなさい。大丈夫よ。少しぼんやりしてしまっていただけ」


 また自分の思考に落ちてしまっていたことに気付いてあわてて笑みを造れば、少年もほわりとした笑みを返して来た。エリアルがたまに浮かべる、生まれたての赤子のような純粋で邪気のない笑みだ。


「つぇつぃーりあ、さま」

「呼びにくいでしょう。ツェリで良いわよ」

「ありがとう、ございます、つぇりさま」


 ふわふわとした笑みを向けられて、座りの悪い気持ちになる。


 相手は私のことなんてどうとも、


「ふふ。えりちゃんに、きいていたとおり、きれいな、かたですね」


 え?


 続けられた言葉に、思考が止まる。


「綺麗って」

「ぼくが、がくいんのおはなしを、おねがいしたんです。えりちゃんは、いろいろ、はなしてくれて、つぇりさまのおはなしも、たくさん、してくれました。せかいでいちばん、かわいくてきれいで、だれよりたいせつな、おじょうさまって」


 私の戸惑いなど気付かぬ顔で、コンスタンティンは語る。


「あーさーさまとも、おあいしたかったですが、つぇりさまにも、あいたかったです。あえてうれしい、です。かみに、さわっても、いいですか?」

「え、ええ、構わないわ」


 髪に触れたい、なんて。よほど親しい相手でもなければ許さないことなのに。


 気付けば頷いてしまっていた私は、さっきコンスタンティンの手を拒めなかったアーサーを笑えない。


 飴細工の花でも触るような優しい手付きで、コンスタンティンは私の髪に触れた。


「ふわふわ。きれいなあか。おはなの、おひめさまみたい」


 樹木の精霊のような顔をして何を言うのかしら。


 ポットから人数分お茶を注いでいたエリアルが、顔を輝かせて同意して見せる。


「そうでしょう。私のお嬢さまは世界一可愛いですから!どんな花もお嬢さまの前では引き立て役!まさに百花の姫ですよ!」


 満面の笑みで恥ずかしげもなく宣言しながら各々の前にお茶を置き、ふと気付いたように首を傾げる。


「あれ、お嬢さま、今日はパーティのはずでは?」

「小規模なものだし、学生だからって断ったのよ。あなたが行かないって言うから」


 うっと気まずげに目を泳がせるエリアルを見て、コンスタンティンが申し訳なさそうに眉を下げる。


「ごめんなさい、ぼくとやくそく、していたせい、ですね」


 素直に謝られると、小さなことで腹を立てている自分が小さい人間に思えて来るからやめて欲しい。


 ため息を吐いて、首を振った。

 普段関わらない分類の人間で、どうにもやりにくい。


「いえ、断られるくらいいつものことだから構わないわ。ただ、なんの用事があって行かないのか言わなかったのが気になって、追いかけて来ちゃったのよ」

「それでここに……迷いませんでしたか?」

「ものすごく迷ったわよ」


 首を振って、出されたお茶を口にする。優しい味わいのハーブティは、歩き疲れて渇いた喉にじんわりと染み渡った。


「孤児院の子たちが見つけてくれて、案内して貰えたから良かったけど、そうでなかったらこんな街中で遭難するところだったわ」

「孤児院がある関係上、あえてわかりにくくされているのです。子供に対して大人の人数が少ないので目が届かず、子供が拐われたり傷付けられたりしてしまうこともあり得るので」

「そんな」


 リムゼラには街を守る騎士団がいる。その膝元の孤児院で、なぜそんなことがまかり通るのか。


 口を突きかけた言葉はけれど、エリアルの前では言えなかった。


 騎士の膝元にもかかわらず、いや、それどころか、この国の筆頭宮廷魔導師の庇護下にいたにもかかわらず、孤児以上に国にとって重要なはずのエリアル・サヴァンと言う少女は、何度も拐われているのだから。


「平民の、それも子供で庇護する親もいないなんて、拐うがわから見れば絶好の獲物ですからね。子供たちも馬鹿ではありませんから、自衛の対策は取ってくれていますが、身体の大きさや力の差は埋められませんし、道具や魔法を使われればどうしようもありません」


 だから少しでも目に付かない場所、入り込みにくい場所に、孤児院を置いているのだとエリアルは語る。


「この敷地内でしたら彼らの庭ですから、大人相手でも撒ける可能性が高いのです。隠れられる場所、逃げ込める場所も、随所に用意していますから」

「なんであなたかそんなこと知っているのよ」

「世間話のついでに聞いただけですよ」

「えりちゃんは、だれとでも、おしゃべりできて、すごいです」


 そんな綺麗なものじゃないわよ。


 否定の言葉は、口から出せずに飲み込まれた。


 目の前の少年にはいったい、世界がどんな風に見えているのだろうか。


『ごしそくさまみたいにものしらず』


 孤児院の子供に言われた言葉が思い出されて、カ、と頭に血が昇った。


 彼らには、こう、見えていたのだろうか、私も?

 この、飢えも痛みも苦しみも、なにも知らない少年のように?


 処理しきれない感情に脳を掻き混ぜられて、くらりと視界が回りかける。


「お嬢さま?」


 ぺたりと頬に皮膚の固い、けれどとても温かい手が触れた。


「歩き過ぎて疲れましたか?少し休むなら、肩か膝をお貸ししますよ?」


 真っ黒な瞳を見つめれば、回る世界が形を取り戻して行く。


「孤児の子に、もの知らず、って言われたの」


 気付けば拗ねた子供のような声を、口から落としていた。


「私まだ、もの知らずなのかしら」


 エリアルの手を初めて取ったとき、私は本当にもの知らずだった。もの心付く前からずうっと檻の中で、そして、檻から出ることなく死ぬことが決まっていた。そんな子供に、ものを教えてくれる人間なんていなかった。

 それでも哀れんだ看守が本を貸してくれて、辛うじて話すことと読み書きだけは覚えられたから、まだ恵まれていたのだ。

 そんななにも知らない罪人の娘が、魔法開花して、ひとり生き残って、才能があるからと貴族の学院に送り込まれた。それが私なのだ。


 本来学院入学前に学んでいて当然の貴族の常識も、平民として生活していれば自然と身に付く生活の知恵も、学院に入った当初の私は知らなかった。エリアルが手を取って、必要な知識や知恵の付け方を、ひとつひとつ丁寧に教えてくれていなければ、きっと私はもっと苦労して、それでも学院の授業には追い付けなかったくらいかもしれない。


 エリアルはそれは厳しく大量に私に知識や教養、知恵や技術を教え込んだが、それはみんな必要なものだったし、その教えに歯を喰い縛って喰らい付いたことは、なにひとつ後悔していない。


 あり得ないほど努力をした自負も、それに見合った知識を付けた自信もある。学院で貴族から何を言われようと、学年主席と言う順位が、私の努力の成果を裏付けている。


 けれど邪気のない子供からなにげなく投げられた言葉は、予期せず心をえぐり、私をなにも知らない罪人の娘に引き戻してしまった。


「それでそのようにしょんぼりしているのですか?」


 エリアルが、ころころと笑う。


「笑いごとじゃ」

「お嬢さま」


 エリアルが菜園を指差した。


「ホウレンソウを甘くする方法をご存じですか?」

「ホウレンソウ?」

「ええ。ホウレンソウです」


 エリアルの指差す先には、緑の濃い葉菜がわさわさと地面に生えていた。


 身体に良いと言ってエリアルがよく料理に使う野菜だが、収穫前の姿を見るのは初めてだった。


「甘くって、ソテーするときに砂糖か蜂蜜でも入れれば良いんじゃないかしら?」

「ああ、それは確かに甘くなりますね」


 苦笑するエリアルに、見当違いの言葉を投げたことを悟る。


「……調理法を訊きたいわけじゃなかったと」

「察しがよろしいようで」


 にこにこと言われても嫌味にしか聞こえないけれど。


「植物は育て方で変わる、と言う意味です。ホウレンソウもトマトも林檎も、それぞれに甘くする方法があります。ご存じですか?」


 この問いに対する私の答えなど、エリアルはわかった上で訊ねているのだろう。思惑通りの答えを返すのは心底癪だけれど、それ以外に答えは持たない。


「知らないわ」

「では、我が国のホウレンソウ生産量の多い領地は?」

「詳しくは知らないけれど葉菜なら東……いえ、ホウレンソウは寒さに強かったわね。それなら西かしら」

「ご名答」


 にこ、と微笑んだエリアルが、温かい手でぽんぽんと私の頭を撫でる。


「ここの子たちはホウレンソウをいつ育てると甘くなりやすいかはみんな知っていても、この国の西と東の気候差は、知らない子が多いですよ。商人にでもなろうとしている子以外は、各地の名産品や気候の差なんて、知る必要がありませんから」


 ぽすんと椅子の背に身を預け、らしくない自嘲のあらわな表情で、エリアルは言い捨てた。


「この世のすべてを知るなど、どう足掻いてもヒトには不可能です。どんなに優れた人間であっても、知らないことはあり、たとえ愚かと言われるものでも、思わぬ知識を持っていることはあります。自分にない知識があることを自覚することは悪いことではありませんが、誰かが知っていることを知らなかった程度で落ち込むのは馬鹿らしいですよ。興味や必要の方向性が、違っていただけなのですから」

「あなたはどちらも知っているじゃない」


 肩をすくめて、エリアルが私に向けるのは珍しい顔を見せる。


「それでもすべてを知っているわけではありません。知らないこともあります。すべてを知れたなら、どれほど良かったか」


 白い手が伸びて、髪に触れる。

 コンスタンティンに誉められた髪は、一部を後で束ねてある。飾られた髪飾りは、昨年末にエリアルから貰ったものだ。


 言われてみれば花祭の言い伝えも、エリアルは知らない様子だった。


「知りたいならば知ろうとしても良いですが、時間は有限ですから。知らなくても良いことまで知る必要はありません。なにかを知らないと言うことは、それを知る時間を別のものに使ったと言うことです。それでもの知らずと言うものがいるなら、言わせておけば良い。言ったものの世界が狭いだけです。───────────、──────────」


 最後にエリアルがこぼすように小さく付け足した言葉は、耳慣れない発音で聞き取ることが出来なかった。


「なに?」

「他国の古い格言です。深い井戸で生まれ育つ蛙は、広い海を知らない」


 まるで檻のなかにいた私を嘲笑うような言葉だと思った。

 いいえ。今だって結局、私はエリアルの庇護と言う井戸に守られた蛙のままなのかもしれない。


 そんな私の耳を、エリアルの声がさらに揺らす。


「けれど天の高さと空の青さを、とてもよく知っている、と。蛙の暮らす場所は海ではないのだから、海の広さを知らなくても良いと、私は思いますよ」

「身のほどを知れと言うことかしら?」

「そう聞こえましたか?」


 うがった私の感想に、エリアルは首を傾げて見せた。


「知識は力ですから持っていて悪いものではありませんが、情報の取捨選択も必要ですよ、とお伝えしたかったのですが」


 例えば、とエリアルが私の横を手で示す。


「私とこんちゃん、コンスタンティン教皇子息さまの知識や経験は、八割方、重ならないですよ。お嬢さまやアーサーさまも話してみればわかるかと思いますが、ちょっとした体験談ひとつ取ってみても、コンスタンティン教皇子息さまのお話は興味深いですし、新たな知見や造詣ぞうけいを得られます」


 コンスタンティン教皇子息さまは遠慮深いので、わたしが勉強を教えていると言う言い方をして下さいますが。

 首を傾げて苦笑するエリアルには、先までの荒んだ自嘲的な空気は見られなかった。


「むしろ私の方が、色々と勉強させて頂いているくらいですよ」

「おたがいさま、ですよ?」


 コンスタンティンが困ったような顔でそれぞれの顔を見回す。


「ぼくは、ほんとに、きょうかいのことしか、しらない、から」

「ですがその分、ヤヴェラ教についての知識や理解、儀式の経験は同年代の誰よりも、いいえ、同年代どころか、神学校の卒業生や不勉強な司祭さまより、よほどあるくらいでしょう?私はこの国の宗教について詳しくありませんから、勉強になります」

「えりちゃん……」


 褒め言葉に目を泳がせるしぐさは幼い。とても、エリアルが絶賛するような知識の持ち主とは思えないけれど。


「お嬢さまも、少しお話ししてみると良いですよ。馬鹿らしくなりますから」

「……その言いぐさは、私にもコンスタンティン教皇子息さまにも失礼じゃないかしら」

「そうですか?」


 悪びれもせずエリアルは空惚そらとぼける。


「ですが、本当に馬鹿馬鹿しくなりますよ。どう頑張っても、並の人間ではコンスタンティン教皇子息さまの知識や経験に追い付けませんから。掛けている時間と熱量が違い過ぎます」

「えりちゃん」

「ああ、ごめんなさい、こんちゃん、他人行儀にしたわけではないのですよ?」


 エリアルが手を伸ばして、コンスタンティンの頭を撫でる。姉が弟にするような、気安く遠慮のない振舞い。


「普通の人間とは、見る方向も熱量を注ぐ方向も違うから、普通の人間から見れば驚くほど博識に、あるいは、恐ろしく無知に見えます。ですが博識に見えるのは、分野をしぼって深く学んでいるからですし、無知に見えるのも、広くではなく深く知ることに資源を割いているから、知っている分野が少ないだけです。ですからわたしごときにも教えられることが多々あり、そして、学べることも多いのです」

「褒めているのか貶しているのか、わかりにくい言い方ね」


 恐らく褒めているのだろうが、とてつもなく失礼な言葉にも聞こえる。


「貶しているつもりは少しもありませんよ。どちらかと言うと、尊敬しています。わたしはどうしても、広く手を伸ばしてしまいますから」

「それは、おたがいさま、ですよ?」


 頭に触れた手に両手で触れて、コンスタンティンははにかんだ。


 浮かぶ色は、憧憬。


 ああ、同じだ、と思った。


 そうか。


 彼も、私も、同じなのだ。


 この、自由な猫に憧れて、前を揺れる猫の尾を、必死に追い掛けている。


「そうね」


 結局私は猫の手を取ったときと、なにも変わらないのかもしれない。ただ、猫を追い、猫の創った道を行くだけの、もの知らず。


 苦笑して、コンスタンティンへ手を差しのべる。


「せっかく会えたもの、顔見知りで済ませるのはもったいないわ。ねぇ、私とも友だちになってくれるかしら?」


 コンスタンティンはきょと、と目を見開いたあとで、ふわ、と微笑んだ。花が咲いたような笑顔だ。

 その笑みと同じ柔らかな手付きで、そっと手を取られる。


「はい。よろこんで、つぇりさま」

「さまはいらないわ。あなたのことも……コーシィと呼んで良いかしら?」

「こーしぃ……」

「嫌なら呼ばないけれど」


 馴れ馴れしかっただろうかと撤回しようとすれば、きゅ、と手を握られ、必死に首を横に振られた。


「い、や、じゃない。いやじゃない、です。うれしい……!」


 一生懸命に伝える顔は無垢で、猫の手を取ったときの私でもここまで無垢ではなかっただろうなと苦笑する。


「そう。じゃあ、よろしく、コーシィ」

「はい……はい!よろしく、おねがい、します!つぇり……」


 潤んだ瞳。高揚した頬。雪の中綻んだ椿のような、笑み。


 最上さいじょうを知らぬ者が見れば心を奪われるであろう極上ごくじょうの笑みに笑みを返しながら、この無垢な少年と同じでありながら異なる私は、冷たく思考を巡らせる。


 教皇子息かつ、エリアルの言葉を信じるならば、神に仕える者になるべく英才教育を受けており、とても優秀であるらしい。まして今後次代の権力争いの縮図となるであろうクルタス王立学院に入学すると来れば。


「アーサーと違って学年はふたつ離れているけれど、中等部では生徒会役員もしていたから下の学年にも顔は広いわ。困ったら頼ってちょうだい」

「ありがとう、ございます」


 ヤヴェラ教の次期教皇とまでは行かないとしても、かなり上位まで昇り詰める可能性が、あると言うことだろう。


 いくらカム教に信者の人口でひけを取っているとしても、多くの信者を持つ国教の次期上層部候補との繋がりは、持っていて悪いものではない。


 この、無垢な少年と、縁を結んでおくことは、ミュラー家にとっても、私個人にとっても、利益がある。


 この少年がもしも墜ちるなら、手を離せば良い話。友と言う位置にあれば、堕ちないように口を出すことも出来る。


「あら、代わりに私も、教会の知識を得たかったらあなたを頼るわよ?お互いさまだもの、お礼なんていらないわ」


 私は無知かもしれないけれど、無垢ではない。


 たとえものを知らなかったとしても、黒猫に鍛えられたから、知恵を使うことは出来る。


「良かったですね、こんちゃん」


 エリアルはコンスタンティンに、微笑んで話し掛けた。輝く笑顔のコンスタンティンが、嬉しげに頷く。


 そしてその知恵を、このずる賢い黒猫が使えないわけがないのだ。


 おそらく私の猫は、彼が利用出来ると判断した上で、彼と関わっているのだろう。

 だから私の誘いよりも、彼との約束を優先したのだ。


 確かにすでに手中のミュラー家への媚売りよりも、この将来有望そうな少年を囲い込むことの方が、今のエリアルにとっては重要だろう。


 視線に気付いたエリアルが、微笑んでポットを手に取る。


「お嬢さま、お茶のおかわりはいかがですか?お菓子も美味しいですよ」

「貰うわ」


 黒猫の注ぐお茶をすすり、お菓子を口にする。


 そこからの交流は、エリアルが子供たちに捕まっていなくなったりしながらも、和やかに進んで、社交辞令でないまた会いましょうを交わして別れた。


 その、あとで。


 教皇の八番目の息子について調べた私は、笑いながら額を押さえるはめになる。


 コンスタンティン・レルナ・カロッサ

 教皇の八番目の息子にして、教皇子息のなかで最も美しく、魔法に秀でるため、父親であるヤヴェラ教の現教皇から、いちばん目を掛けられている、次期教皇有力候補。


「偶然出会った、だったかしら」


 それが、真実にしろ、嘘にしろ。


「あの、化け猫……っ」


 あの猫は、この国の、どこまでを手中に納める気なのか。


 私の、ために?


「あなた一体なにと、戦うつもりなのよ」


 呆れた声を装いつつも、それが愛だと思えば口角が上がることを抑えられなくて。


 無垢ではない自分は、コンスタンティンのような聖人とは似ても似つかないと、コンスタンティンと自分が似ていると言う考えを否定した。


「悪役の方がお似合いかもしれないわね、私は」

 

 

 

拙いお話をお読み頂きありがとうございます


あくまで予定なので未定ですが

今後の展開的に

しばらくツェツィーリアさん視点はなくなるかもしれないので

今回貴重な機会でした


恐ろしく筆が進まなかったのですが

しばらく書けないと思えば感慨深く……

はなりませんね

バランスがなかなか難しい子ですツェツィーリアさん


続きも読んで頂けると嬉しいです

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