取り巻きCと秘密の菜園 上
マニアワナカッタ……
取り巻きC・エリアル視点/悪役令嬢・ツェツィーリア視点
エリアル高等部一年年度末
途中でぶった切っておりますのでお気を付け下さいませ
木の上で眠るのはどうかと思う。
ツェリにはそう文句を言われたけれど、お昼寝に木の上はちょうど良いのだ。
まずひとが来ない場所な上に、葉が姿を隠してくれる。
わたしの場合落ちる心配もないし、木の枝に囲まれるのは安心感がある。
適度に風も日差しもあって心地良い。
だからツェリの苦言にもめげずに、わたしは木の上でお昼寝していた。
怒られるなら見つからなければ良い。ツェリは木登りが出来ないから見つかる心配はない。
良く晴れた穏やかな陽気で、絶好のお昼寝日和。
たっぷり惰眠を貪って、わたしは木から降りようとした。
「……」
ひとの気配を感じて、降りようとした動きを止める。
こちらの気配は、完全に消していたはずだった。
「だれ、か……いる、の……?」
−おやおや
現実と、脳内、ふたつの声が、同時に響いた。
つたない声と、愉しげな声。
いちど目を閉じて、わたしは木から飛び降りた。
見開かれた翡翠色の瞳が、着地にしゃがんだわたしを捉える。新緑のような美しい黄緑色の髪が、風にそよいでいた。
「……こんにちは」
わたしは笑みを浮かべて立ち上がり、こちらを見上げる少年に、声を掛けた。
これが今世での、わたしと彼の出会い。
みなさんこんにちは。三度のご飯よりお嬢さまが好き、最近あまり取り巻けていない気がしないでもないけれど称号を返上する気はない取り巻きC、エリアル・サヴァンでございます。
出会いと別れの季節である春。先輩方との寂しいお別れを済ませたわたしはただいま、入居者の減った寮で、お留守番中でございます。
先輩方と共に行ける最後の演習合宿だっただけに、行きたかった気持ちはとても大きいけれど、ほぼ自業自得なようなものであるので仕方ないと割り切り、その分空いた時間を全力で謳歌している。
あと、一年で、ゲームのエリアル・サヴァンと同じ歳になるのだ。
腑抜けている時間はない。
だから。
今日のこれも、必要なことだから、お誘いを断ったことは許して下さい、お嬢さま。
心のなかでお嬢さまことツェリに謝罪して、わたしは学院をあとにした。
その背を追う者の存在に、気付きもせずに。
「相手はアルねぇさまですし、気付かれると思いますよ?」
お忍び用の目立たない馬車のなかで、アーサーは私へ呆れたような顔を見せた。
「嫌ならついて来なければ良かったじゃない」
「嫌とは言っていませんよ」
アーサーは首を振って、車窓から外を見る。
視線の先には、人通りの多い道を縫うように進むエリアルの姿があった。
ろくに歩く隙間もないように見える人混みだと言うのに、エリアルは涼しい顔をしてなんの障害物もないように、馬車と遜色ない速度で歩いて行く。
道を歩むエリアルが速く歩けるのは、エリアルに声を掛ける者がいないのもあるだろう。
彼女はまるで旅人のように、少しくたびれた外套を着込み、フードを目深に被って、特徴的な漆黒の髪と瞳を隠している。ゆえに誰にもエリアルと気付かれず、声を掛けられることもないのだ。
普段であれば臆面もなく顔をさらし、平民であろうが貧民であろうが分け隔てなく声を掛けられてにこにこと応対していると言うのに、今日は声を掛けるなとでも言いたげに気配を潜めさせて、周りから見れば走っているような速度で歩いている。
私からの誘いを、断って。
昨年末から今年の始めにかけてぎくしゃくしていた関係が落着き、夏冬の休暇のように演習合宿やら謹慎やらお泊まりやらで誰かに奪われることもなく、共に時間が過ごせると思い、ミュラー家主催のパーティに誘った。義母上さまの希望で朝から一緒に支度して、お茶をしようとも言って。
それをエリアルは用事があるからと言って、申し訳なさそうな顔で断ったのだ。
断られること自体は、珍しいことではない。
なにかと忙しいエリアルはむしろ暇なことの方が珍しく、どうしても外せない用事があるときは、私やヴィックからの誘いであろうと断る。心底申し訳なさそうな情けない顔をして謝って、でも決してこちらの要望を通しはしない。
エリアルは私の執事のような立ち振舞いをして、私第一であるように接しはするが、実際に主従の契約を結んでいるわけではない。歴とした、貴族令嬢だ。
だから誘いを断ることに怒る気はないし、用事があるなら優先して良いと思う。
ならばなにが問題なのかと言えば。
『なあに?また導師からでも呼ばれているの?』
『えぇまぁ、そんな感じ、ですね』
私からの問い掛けに、ぼやかして答えなかったことだ。
答えられないなら答えられないと言えば良い。それで怒ったりはしな、……するかもしれないけれど、変に誤魔化されるより良い。
話しても理解出来ないと、思われたことに腹が立ったのだ。
それがエリアルに対してであるのか、自分に対してであるのかはわからないけれど。
要求するばかりの自分は、エリアルの重荷であったのだろうか。
「義姉上」
力になりたいと思っても、私は守られるばかり。
「義姉上!」
「きゃ、どうしたのアーサー」
強い声で呼ばれて、びくっと肩を跳ね上げる。
「呼んでも気付かないから……アルねぇさまが、あそこに入りましたよ」
「あそこって……あそこに?」
「ええ。あそこに。正面から」
「そんな……だって、あれ」
馬車の中から顔を歪めて、アーサーの指差す建物を見つめる。
「ヤヴェラ教の教会じゃない」
わたしたちの暮らすバルキア王国は、国教がふたつ存在する。土着の宗教であるカム教と、外来の宗教であるヤヴェラ教だ。例えるなら祖国で神仏習合がなされる前の神道と仏教だろうか。カム教は多神教、ヤヴェラ教は主神を抱く一神教なので、実際は神道とキリスト教に近いかもしれないけれど。
カム教もヤヴェラ教も婚姻や改宗に関する制約や階級制度などはなく、このため夫婦同士や親子で信教が異なることも多々見受けられる。
国王や王子王女が大々的にどちらかの信教を名乗ることはないが、他家や他国から嫁いで来る王妃に関してはその限りではなく、今上陛下の妃の場合、正妃さまがカム教徒、側妃さまがヤヴェラ教徒だ。
このためなんとなく王太子派にはカム教徒の、第二王子派にはヤヴェラ教徒の貴族が多いし、ヤヴェラ教の最高権力者である教皇は第二王子に肩入れしているが、明確な区分は存在しない。例えばアクス公爵家で言えば、先代公爵であるテオドアさまの祖父はカム教徒だがその奥方はヤヴェラ教徒で、現公爵であるテオドアさまの父君とその奥方はヤヴェラ教徒、テオドアさま本人はカム教徒である。
このようになかなか複雑で繊細なことになっている宗教関係だが、我がサヴァン家に関して言うならば、どちらの教徒でもない、と言うのが実態である。
元々バルキア王国から離れた国に由来を持つサヴァン家は、信教を持たない家系だったからだ。崇める神は持たず、ただ、主と決めたひとのためだけに生きる。それがサヴァンの生き方だった。
移住して代の変わった今でも変わらず、サヴァン家の子供たちは宗教を持たない。
ゆえにわたしもカム教徒やヤヴェラ教徒ではなくて、あえて言うなら前世で檀家をしていたから仏教徒だろうかくらいのもの。
だからわたしがこうしてヤヴェラ教の教会に来ても、問題はないと言えばない、と言えなくもない、と言うわけだ、けれども。
「まあ褒められたこと、ではない、よなぁ……」
口のなかでぼやきつつ、もはや慣れたものとして当たり前の顔をして、礼拝者の向かう道からそれる。
当然のような顔で迷いなく動いていると、案外気にされないもので、旅人のようななりで礼拝堂横の庭園へと足を向けるわたしを、気にするひとはいない。
そもそもここの庭園は、一般に解放されている場所だけれど。
悪く言えば手入れの行き届いていない、良く言えば自然な姿のままの庭園は、どこか温かい感じがしてほっとする。自由奔放に育った薔薇のトンネルを抜け、元気良く伸びた硬葉樹の生垣を縫って進めば、隠されたように教会関係者のための居住棟と孤児院が存在する。
息を吐いて目深に被っていたフードを取れば、通り掛かった年嵩の修道女が気付いて、優しげな微笑みを浮かべる。
「あらあら、ようこそ、エリアルさん」
「こんにちは、メアリさま」
「えぇ、えぇ、こんにちは、いらっしゃいな。いつもの場所でお待ちですよ。あとでお茶とお菓子をお持ちしましょうね」
「ありがとうございます」
彼女の出してくれるお茶もお菓子も、この教会で育ったハーブを使った手作りのもので、彼女の笑顔と同じくらい、優しく温かい味がする。
そんな彼女に背を押されるようにわたしは居住棟の扉をくぐり、建物を通り抜けて、居住棟と孤児院の住人しか入れない場所に造られた菜園の端、小さな四阿へと向かった。
「こんにちは、良いお天気ですね」
「こんにちは、うん、とても」
そこで待つかわいこちゃんと、秘密の逢瀬をするために。
とにもかくにもあとを追おうと馬車を降り、慌てて教会の門を抜ければ、礼拝者の列をそれて行く外套の背中が見える。
向かう先は、教会の庭園のようだ。
息急ききってみなとは違う道に向かう私とアーサーへ、なにごとかと視線が向けられたが、そんなものを気にしている時間はない。
庭園へと足を運べば、薔薇のトンネルの向こう、硬葉樹の生垣の間に消える外套の端がチラリと見えた。
「あし、がっ、はやっ、すぎる、のよっ、もうっ!」
「大丈夫ですか?義姉上」
「あり、がとっ」
完全に息が上がる私の手を、アーサーが取って引いてくれる。体力の差が憎い。
転びそうになりながらそれでも急いで硬葉樹の生垣へ向かったが、生垣は迷路のように入り組んでいて。
「見失い、ましたね……」
「ごめ、なさっ、あし、ひっぱ、た、わ……」
「いえ。少し息を調えてから探しましょうか。汗がすごいですよ」
息も絶え絶えな私の汗を、アーサーがハンカチで抑えてくれる。
どうにか息を調えて、生垣の迷宮を迷う。
「なんでこんなに入り組んでるのよ……!?」
大きな木の下にへたり込んで、頭を抱えた。もちろん、エリアルの姿は見付けられていない。
「一度庭園に戻ってみましょう、と、言いたいところですけど」
隣に立つアーサーが、困ったように辺りを見渡した。
がむしゃらに歩いてしまったために、帰り道は判然としない。
「こんなところで迷子なんて、」
「わ、だれ?」
こんなところで迷子なんて笑えない。言おうとしたとき、ガサガサっと音がして、数人の子供が現れた。まだ初等部に上がるか上がらないかくらいの、幼い子供たちだ。
「まよったのかよ?だっせぇ!」
「おひめさまみたい」
「おきぞくさま?」
「エリアルとはおおちがいだな!」
「エリアル!?」
わらわらと寄って来た子供のひとりが口にした言葉に、ぱっと立ち上がって声の方向に顔を向ける。
「あなたエリアルを知っているの!?」
「えっ、な、なんだよいきなり……」
「義姉上、落ち着いて」
びくっと身体を震わせた子供を見てとったアーサーがわたしをなだめ、笑みを浮かべると膝を折って子供たちと視線を合わせる。
「僕ら、エリアルと言うひとを探して来たんですけど、なにか知りませんか?」
「……つかまえにきたの?」
「違いますよ。用事があって来たんです」
警戒をあらわにする子供たちに警戒されないよう、アーサーは穏やかに話し掛けた。
女の子に焦点を当てて微笑み掛け、幼児に顔を赤らめさせるところに、義弟ながらあざとさを感じる。
エリアルに似て来ていないかしら、この子。
「用事で訪ねて来たのに迷ってしまって、困っていたんです。もし、どこにいるか知っていたら、案内して貰えませんか?」
「えりちゃんに、いじわるしない?」
「しませんよ。エリアルさんの友達なんです」
「ほんとに?」
「本当です」
「約束する?」
言って小指を差し出す姿は、エリアルがよくするものだった。どんな意味があるのかわからないけれど、エリアルは約束と言って小指を絡める癖がある。
平民の子供相手とためらう素振りも見せず、アーサーは女の子と小指を絡めた。
「約束します」
「わかった。つれてってあげる」
「ありがとうございます」
微笑んだアーサーが、ひと言断って女の子を抱き上げる。歓声を上げた女の子に、もうひとりいた女の子が羨ましそうな目を向けたのを見て取って、その子にもおいでと声を掛けて抱き上げる。
「エリアルさんのいる場所を教えて頂けますか、お姫さま方」
微笑み掛けて女の子たちを真っ赤にさせるところもエリアルそっくりで、末恐ろしさを感じる。身内びいきでなく外見が甘いのだ、アーサーは。見た目だけで言うならエリアルより王子さま然としているし、テオやヴィックと比べると優しく穏やかに見えるので、エリアルのような手練手管を用いれば、エリアル以上に女性をたらし込みかねない。
義弟の未来を案じつつ、私は私で若干ふて腐れて見える三人の男の子たちに目を向けた。エリアルやアーサーのようにとは行かないが、それでも出来るだけ威圧しないように声を掛ける。
「道に迷ってどうしようかと思っていたのよ。あなたたちに見付けて貰えて良かったわ」
「あんたも、エリアルのともだち?」
「ええ」
「みちにまようなんて、おきぞくさまなのに、どんくさいな」
「そうね」
肩をすくめて、手を差し出す。
「私はどんくさいから、迷わないように、エリアルのところまで連れて行って貰えないかしら?」
差し出した手を、男の子たちが驚いたように見つめる。困ったように顔を見合せ、ひとりが恐る恐る私の手を取った。
やっぱり私じゃ、エリアルやアーサーのように親しみ安くはならないかしら。
「ありがとう。助かるわ」
生卵の黄身を摘まむようにそろりと触れられた手を握れば、びくっと大袈裟に反応される。
私よりよほどしっかりした皮膚の、けれど、荒れてはいない手だった。
そう言えばエリアルは、最近リムゼラの街は景気が良いらしいと言っていたか。
「こっち」
ひとりが前で手を引き、残りふたりが左右に立って案内してくれる。まるで、
「騎士みたいね」
ぽろりと出た言葉を、ひとりは目を見開いて、ひとりはぽかんと口を開けて聞き、もうひとりは鼻で笑い飛ばした。
「こじが、きしになんて、なれるわけねぇだろ。あんた、ごしそくさまみたいに、ものしらずだな。エリアルとはおおちがいだ」
私の手を引く子から投げられた、幼いからこそ素直な言葉は、きっと発した本人が思った以上に、私の胸に刺さった。
地位で言うならたった数年前の私の方が、エリアルよりずっとこの子たちに近かったはずなのに。
「あなた、エリアルと仲が良いの?」
「なかよくなんかねぇよ!あんなおとこおんな!おれらのこと、ばかにすんだぜ、あいつ!」
振り向いて噛み付くように言ったあと、前を向いて私から顔を隠し、でも、と続けた。
「エリアルはおれらのこと、ばかにはするけど、クズっていわないんだ。あいつきぞくなのにさ、おれらのこと、きぞくとおんなじ、にんげんだって。なのに」
ぎゅ、と、握られた手に力がこもる。
「あいつ、みんなに、いうんだ。あなたはこれがとくいだから、こういうしごとがむいてるって。きぞくのくせにさ、おれらがどうやったら、まっとうにかせげるか、かんがえてくれんだよ」
「それ、は」
「あいつ、ばかみたいに、かおがひろいからさ、はなすとつたわるんだよな、こじいんの、だれがパンやにむいてて、だれがだいくにむいてて、だれがかじしにむいてて、だれがしょうにんにむいてるかってさ。
そんで、それきいて、それならって、ひとでがたりないパンやや、だいくや、かじやや、しょうにんが、こどもをみならいにって、つれてくんだ」
前だけを向いて早足に歩きながら、私の手を引く子は語る。
「そんでさ、あいつのいうとおり、むいてんだよ、そうやってつれてかれたやつは。いいみならいだって、ほめられてさ。だいじに、そだててもらえんだよ。こじなのにさ。だから、つれてかれたやつら、みんなエリアルに、かんしゃしてんだよ。だから」
言葉を止め、彼は睨むような目で私を振り向いた。
「あんなやつと、なかよくなんかねぇし、おとこおんなだし、ばかにしてきてムカつくけどさ、きぞくんなかでは、いちばん、しんじられる」
「そう」
あの子こんな小さな子までたらし込んでと思いつつ、頷く。
「あいつにさ、いったことあんだよ」
「なんて?」
「しごとさがすより、ほどこしでもしたほうが、てっとりばやくかんしゃされんだろ、きぞくのくせに、そんなカネもねぇのかって」
実も蓋もない。確かにエリアル自身には施しするお金なんてないだろうけれど、それにしたって、もしエリアルが普通の貴族だったなら激怒しておかしくない言葉だ。
エリアルが普通の貴族だったなら、そもそも彼らと話すこともなかっただろうけれど。
「そしたらあいつ、どうしたとおもう?」
「エリアルが?」
エリアルなら、どう答えるだろう。私がもしも、そう言ったなら。
「エリアルなら、考えが浅いって言いそうね。馬鹿にされた?」
「そう!めちゃくちゃ、ばかにしてきやがったんだよ!!あいつ!!」
感情が乗ったのか、私の手を振り回して彼は熱弁した。
「ほどこしでらくになっても、いちじてきなものでしかないから、かせぐすべ、をもたせたほうが、ためになる、だってさ!そんなの!」
勢いの良かった言葉が、急に失速する。
「そんなの、おとなのだれも、おしえてくんなかった、のにさ。シスターはただ、よいにんげんに、なるには、まじめにまなべ、はたらけっていうだけなのに、エリアルは、ぎじゅつがあれば、しごとができるって、そうすれば、かせぎがえられて、たべるのにこまらないって」
「そう」
思えばエリアルは、いつもそうだった。
「あなたたちが生きる方法を、ちゃんと考えてくれたのね、あの子は」
私に攻撃を教えなかった。まだ平民だった私に、貴族に必要な知識と礼儀作法も、平民に必要な家事や知識も教え込んだ。体力も知識も知恵も、付けさせた。
だから私は突然公爵家に入れられてもさして困らなかったし、今、突然平民になれと放逐されても、どうにか生きては行けるだろう。
彼らは私と同じだ。
エリアルに道を教えて貰って、生きている。
違いがあるとすれば、彼らが道を教えて貰えるだけなのに対し、私はそばで手を引いて貰っていることくらいか。
「あなたたちは、なにに向いているって言われたの?」
無意識だろうか私のスカートを掴んで、横を歩くひとりが言う。
「ぼくはあいそがいいから、せっきゃくがいいって」
私を見上げるその子は、なるほど愛嬌のある表情をしていた。逆がわの子が語る。
「オレはキチョウメンで、計算が得意だから、チョウボを付ける仕事が、向いているって」
この子は少しのんびり不明瞭に喋るから、ぱっと見で優秀さはわからないけれど、エリアルが言うからには計算が得意なのだろう。そう思って、気付く。
なるほど、エリアルが信頼を獲ているから、その言葉に重みが生まれるのかと。
「あなたは?」
「おれは」
「アルトルは、うたがうまいんだよ!」
「かげきだんから、声がかかってる」
「すごいでしょ!」
口ごもった手を引く子に変わって、左右の子たちが言う。けれど、前を歩く子にとっては、嬉しくない言葉だったようだ。
「べつに、すごくなんか」
なぜか確信を持って、心に浮かんだ言葉をなぞる。
「エリアルは?」
「え?」
「エリアルは違うものが向いてるって言ったんじゃない?」
変なところで鈍感なことは多々、本当に多々あるけれど、基本的には気持ちを酌むのが巧いエリアルだ。望まぬ職を勧めることはないだろう。
手を引く彼は驚いたように目を見開いて振り向いて、それからどこか泣きそうに答えた。
「めと、はながいいし、こんきづよいから、くすしがむいてる、って」
「へぇ、良いじゃない」
エリアルから、冬期演習合宿でメーベルト先輩の手伝いをさせられた話は聞いた。ただひたすら薬草をすりつぶす作業をしたと。
黙々と作業するのが好きな人間でなければ、苦行でしかないだろう。
「色々なひとに必要とされる、大事な仕事だわ。歌劇団員も薬師もね。形は違えどどちらもひとを救う仕事ね。あなた、ひとを救う才能があるのね」
微笑んで、ああ、と思い付く。
「そう言えば私も今、救われているわ。最初に見付けてくれたのは、あなただったものね」
恐らくだが彼は、役者にはなりたくないのだろう。その理由は私にはわからないけれど、孤児院の大人はきっと、子供を必要とする者が現れれば良いことだと喜ぶ。子供たちも、友人が華やかな舞台に立つかもしれないと知れば、すごいとはしゃぐ。
見た感じ責任感の強そうな彼は、周りの期待と自分の希望の相違に、苦しんでいたのだろう。
その苦しみに、エリアルは気付いて一石を投じたのだ。
この子に向くのは、別の道だと。
多くの子供の未来を拓いたと言うエリアルの言葉は、どれほど心強く感じただろう。
やっぱり、アーサーよりエリアルの方が、怖いわね。
エリアルには、ひとの人生を変えてしまう力がある。
本人に、その意識があるのかは知らないけれど。
「……なんだそれ」
手を引く彼は、くしゃっと顔を歪めて、また前を向いてしまう。
「私はあなたたちの暮らしを知らないから、無責任なことしか言えないけれど」
そんな彼を、少し羨ましく思った。
「自分の人生だもの、自由にしたら良いと思うわ。こんなこと言ったらあなたたちは怒るでしょうけど、家がないって守ってくれるものが少ないってだけじゃなくて、家を守る必要がないってことよ。あなたたちはひと匙の勇気さえあれば、自分の好きにどこへでも行けるの」
「カネもおやも、じぶんのもちものもねぇのにか?」
「あら、立派な手足も頭もあるじゃない。それに、縛られてもいないわ」
エリアルは春期休暇中、導師に呼び出されでもしない限りはずっとリムゼラの街にいると言っていた。
出ないのでは、ないのだろう。出ることが、許されていないのだ。
あんなに自由気ままな顔をして、あの子はリムゼラと言う小さな箱庭に、囚われている。
「エリアルの首の、知っているでしょう?見えないだけで貴族の首や手足には、いつも枷や鎖が掛かっているのよ。そしてそれはね、家のある平民だって同じ。農家の子は農家に、大工の子は大工に、商家の子は商人に、家を継げ、守れって、周りから鎖を掛けられるの。まぁ、やろうと思えば断ち切れるものだけれど」
いつの間にか開けた場所に出て、目の前には住居らしい建物があった。良く言えば重厚で歴史を感じる、悪く言えば古ぼけてボロい建物だ。
足を止めた子供たちを、アーサーを見て、告げる。
「その点あなたたちは自由だわ。鎖を掛けてくる家も、親も、領民もいないんだもの。どちらが良いかなんてわからないけれど、せっかく自由があるんだから、好きに生きなきゃ損じゃないかしら」
私の手を引いてくれていた彼の手を、両手で包んだ。
「なにができるわけでもないけれど、助けて貰ったもの、あなたたちが自分の本当に望む道に進めることを祈るわ」
彼らと違って私には、信じる神なんていないけれど。
その場の全員の視線が私に向けられるなか、ふっと微笑んで見せる。
「あなたたち、戻ったの?あら、こんにちは、どなたでしょう?」
優しげな声を掛けられたのは、そんなときだった。
声の方向に目を向ければ、年嵩の修道女がこちらを見ていた。
「あ、ええと」
「えりちゃんの、おともだちだって!」
「エリアルさんの?」
「はい。あの、クルタス王立学院の生徒で、エリアルに用事があって」
「まぁまぁ!そうでしたか。ちょうど良かった。そろそろお茶とお菓子をお持ちしようと思っていたところですよ。お口に合うかわかりませんが、良ければお召し上がり下さいな。あなたたちも、おやつにしますから、手を洗っていらっしゃいな」
はーいと元気良く返事して散る子供たちに、慌てて案内のお礼の言葉を投げる。
「庭園で迷ってしまって、道案内をして貰ったんです」
「あらあら、ごめんなさいね、手が回らなくて伸び放題だから、道がわかりにくかったでしょう」
アーサーの言葉に困ったように笑った修道女は、扉を開いて私とアーサーを招く。
「いえ、私たちも、約束もなく押し掛けてしまったから」
「あらそうなの?でもきっと喜びますよ。小さい子供たちの相手ばかりじゃ、代わり映えしないですからね」
「エリアルは、よくここに?」
「そうね、月に一度くらいかしら?子供たちもよく懐いていて、助かっているんですよ」
そんなこと、知らなかったけれど。
「子供の、相手をしに?」
「子供、そうね、ある意味子供かしらね?なにも聞いていませんか?」
「教会でなにをしているかは、あまり」
教会でなにをしているかどころか、教会に通っていることすら知らなかった。
話しながら修道女は、建物を通り抜けて外に出る。開けた土地に、よく手入れされた菜園が広がっていた。
なるほどこちらに手を割いていて、表には手が回らないと言うことか。
「こちらですよ」
修道女が向かうのは、菜園の片隅の小さな四阿。
椅子に座る黒い頭を見付けて、自分たちが彼女をひっそりつけて来たことを思い出す。
エリアルは私たちを見て、どんな顔をするだろう。
「エリアルさん、お友達がいらっしゃいましたよ」
不安に教われた私をよそに、修道女は黒い頭へ声を掛け、
「お友達?」
首を傾げて振り向いたエリアルは、
「お嬢さま?それと、」
私と、それからアーサーに気付き、
「アーサーさま!ちょうど良いところに!」
アーサーに目を向けると手を打ち合わせて、嬉しそうに微笑んだ。
拙いお話をお読み頂きありがとうございました
女タラシの片鱗を見せつつあるアーサーさん
ひとたらしのエリアルさん
お待たせしたのに内容がほぼないと言う事実に震えています
申し訳ありません
続きも読んで頂けると嬉しいです




