取り巻きCは門出を言祝ぐ
取り巻きC・エリアル視点/三人称視点
エリアル高等部一年の卒業式
高校の卒業式、と言うのは、少しだけ特別だ。
それまでの、保育園や、小学校、中学校と異なる。
それぞれが、各々の道を、歩き出す瞬間だ。
当たり前に隣にいたひとが、会おうと思えば簡単に会えたひとが、そうでなくなる日。
この世界では必ずしもそうではないけれど、初等部からクルタス王立学院にいた身としては、前世と同じように、ちょっと特別に感じる。
ほとんどが持ち上がるだけの初等部や中等部の卒業生と異なり、高等部の卒業生の多くはクルタスを去る。同じ敷地を探せば会える存在ではなくなるのだ。
目一杯お世話になったひとたちだけに、さみしくないと言えば嘘になる。
それでも、先輩方が向かう先は光のなかだと信じて。
取り巻きC、今日は二学年上の先輩方の卒業式です。
どうもこんにちは、先輩方の卒業の日までもう残りひと月をきってしまってしんみりしている取り巻きC、エリアル・サヴァンです。
本来であれば卒業式後に春期演習合宿があったけれど、参加を禁じられたわたしはこれが先輩方との最後の日、騎士団に所属する可能性の低いわたしでは、騎士科の先輩方とは今生の別れになりかねない日だ。
と言っても部活やサークルもなく、学院主催のプロムはあれど送る会などはない世界なので、特にやることもない、はずだった、のだけれど。
「送辞に、パートナーなしでのプロム参加、ですか?」
一年にして三年生から生徒会長を引き継いだヴィクトリカ殿下から告げられた言葉に、目を白黒させる。
ヴィクトリカ殿下とテオドアさまは立場的なものもあり、今年度下半期の生徒会役員を引き受けているが、わたしとお嬢さまことツェリは先輩方への配慮で生徒会役員に立候補しなかった。ゆえに、今のわたしはいかに目立つと言えど一般生徒で、成績も首席ではない。
送辞とか答辞って、学年首席とか生徒会長とかがやるものではないのだろうか?そのどちらでもなく、まして一年のわたしが送辞の代表になる意味がわからない……。
「卒業生からの要望でね、三学年の過半数からの署名付きで送辞をエリアル嬢にと」
「残り半分の方が嫌だと思、」
「そう言うと思って三年生全体で投票を行ったんだ。賛成が約六割、反対が五分、どちらでも良いが三割五分……これは賛成の意見を取り入れるべきかなと」
いやなんで?
騎士科はともかく普通科の三年生なんて、ほぼほぼ関わっていないよ?
「箔付け、と言う意味で賛成した者もいると思うよ」
「箔付けですか?」
「かの名高き国殺しに、門出を言祝がれた、とね」
「悪名高き、の間違いでしょう?縁起が良いとは言えませんよ?それに、箔付けと言うなら王太子殿下からの言葉の方が……」
全うな反論を返したはずなのに、苦笑を向けられる。
「国王直々に祝いの言葉を述べに来るのに、王太子の言葉なんてありがたくもなんともないよ。私が卒業してしまえば、嫌でもことあるごとに顔を見ることになるしね」
「それは、そうかもしれませんが……」
そうだとしても、現状対抗馬として第2王子殿下がいる以上、人柄を知って貰う機会はひとつでも多い方が良い。次代を担う国王は、この、ツェリを友と呼んでくれる心優しい王子殿下であって欲しいのだ。
もちろん今クルタスに通う学生であれば、ヴィクトリカ殿下の優秀さも人柄も、よく理解してくれているとは思うけれど、プロムはともかく卒業式には、卒業生の保護者や来賓も大勢参加するから。
「エリアル嬢が友好的であることを示す、良い機会でもあると思うよ?」
「つまり殿下が慕われる王太子であることを示す、良い機会でもあるでしょう」
次代がどうであれ、今権力を持っているのは親世代なのだ。
卒業生の希望ならば沿うてあげたいところではあるのだが。
「パートナーなしでプロム参加と言うのは?」
「これも卒業生の希望だよ。卒業の思い出にきみと踊りたいと言う者が、男女問わず多いようでね」
「珍獣枠ですか……?」
下手にパートナーを指定して邪推されるわけにも行かないので、パートナーなしはありがたくあるのだが。ツェリかリリアにお願いしても良かったけれど、ほかの方がふたりを誘う機会を奪いたくはなかったし。
不参加はパートナーを作りたくなかったからなので、パートナーなしで構わないと言うならせっかくだし参加しても良い。
けれど特例は……それに送辞……。
うーん……と唸って頭を悩ませ、ふと、思い付く。
「あ、こう言うのは如何でしょう?」
我ながら、良い案ではないだろうか。公平だし。
「へぇ、なるほど。面白いね」
提案を聞いた殿下は、微笑んで提案してみるよと言ってくれた。
そして迎えた、卒業式当日。
式はなにごともなく厳かに進み、終えられた。殿下が送辞を贈る姿は堂々たるもので、その優しげな声で語られる送辞は聞き入るひとびとの心を動かしたか、式場のあちこちからすすり泣きが聞こえた。
そんな式も終わり、夕暮れ時。
「まったく、とんでもないことを考えるわね」
夜会らしくないローブ・モンタントに身を包んだツェリが、呆れた顔で言う。
「でも、わたくしは良い試みだと思いますよ?」
同じくローブ・モンタント姿のリリアが頬笑む。
どちらのドレスも肌の露出が抑えられ、フロントにボリュームの少ないデザインになっている。正面から見ると細身ですっきりとしたデザインに見えるため、男装の麗人のような凛々しさすら感じる姿。けれど背面の腰部分はふんわりと幾重にもシフォンのリボンが盛られ、色とりどりな造花の花々が飾られて、華やかで夢見るような愛らしさだ。
「今年の評判が良ければ、来年も取り入れられるだろうね」
「……アルがいんだから来年も間違いなく要求されるだろ」
ヴィクトリカ殿下はにこやかに、テオドアさまはうんざりと。
おふたりともタキシード姿だけれど正礼装のようなかっちりとしたものではなく、色味も華やかでリボンやフリルが飾られた、甘めのカジュアルデザイン。背面腰部分にはやはりリボンが盛られ、花が飾られて、後ろ姿を遠目に見ればドレスと見間違うかもしれない。
「たまたまラースを見かけたけど、笑顔の裏に怒りが透けてたぞ」
「あー……この前すれ違ったときに、思いっきり舌打ちされました、わたし」
苦笑するわたしはドレスのようなデザインの燕尾服もどき。色は黒だが、随所に白のレースを使っているので華やかに見えなくもない。背面腰から下はシフォンのフリルを重ねて膨らませてあるので、燕尾の間からふわふわのフリルが覗いている。腰にはレースのリボンを盛って真っ白な造花の小花をこれでもかと挿してある。
おわかりだろうか。
全員、女らしくも男らしくも見える格好をしている。学生の、身内だけのパーティーだから許されるような、仮装めいた装いだ。
わたしがした、提案のせいである。
送辞は辞退したいし、ひとりだけ特別扱いはどうかと思う。だから、と。
どうせなら、卒業生全員に在校生のなかでダンスを踊りたい相手を訊いて、その上位十名のはプロム参加を要請するようにしてはどうかと。参加要請を出しているのでパートナーはいなくても良い、そして、該当参加者は男女問わずダンスに誘われたら踊ると。
さらに、上位一名はプロム中に祝辞を述べることにすれば、卒業生の要望は考慮したことにならないかと。
これをこねくり回した結果が、現状である。卒業生全員に在校生のなかから踊りたい相手を二名ずつ選んで貰って集計した上位十名に、わたしとツェリ、リリア、殿下、テオドアさまに、ラース・キューバーが見事入っていたのだ。
男女ともに相手をする可能性があるからと服装はユニセックスに、どちらのパートもこなせるよう練習も行った。
ちなみに、どうせならと在学生にも卒業生のなかから踊りたい相手を選ばせて、上位十名を指名してある。やはりみな現金なもので、どちらのランキングも上位貴族でほとんどの枠が埋まっていた。特に在学生の上位十名は王太子殿下に加え公爵家侯爵家の令嬢令息がずらりと名を連ね、子爵令嬢なんて、場違いにも程がある。
せめてもの救いは、三年生には公爵家侯爵家の令嬢令息がいないためランキングが伯爵家の方々で埋められていることだろうか。騎士科からはスー先輩にウル先輩、シュヴァイツェル伯爵子息、さらに唯一の男爵家からの選出で、るーちゃんことブルーノ・メーベルト男爵子息がランキング入りを果たしている。
これだけでもまあなかなかにぶっ飛んだ提案だったと思うけれど、もひとつおまけしたのが腰に重たいほど装備した造花だ。これはひとつずつ抜き取れるようになっていて、踊った相手に渡すことが出来る。いわゆる第2ボタンの代替品、ささやかながらの、思い出の品である。
……ぶっちゃけ踊り続けはしんどいので、花が尽きたら断る口実になる、と、ツェリとリリアにこっそり伝えたのは内緒。騎士科面子に比べて、ツェリとリリアの花は少なめだ。
正直、上位十名に指名された者の負担が恐ろしく大きいのだが、それはそれ。送辞を避けるために捻り出した案は、なかなか喜ばれたようで、今年のプロム参加者は例年より多いだろうと言う予想だそう。
「……と言うか、一位は殿下と言う、予想だったのですが」
「それ、本気で言ってる?」
「アルお前、トリプルスコアでぶっちぎりの首位だったぞ?なんなら在学生からすら投票されてた」
そしてなぜか、子爵令嬢の分際で王太子殿下を抑えてわたしが一位。解せぬ。なぜだ。
「そのためのひとり二票だからね」
「大多数がアルともうひとりで投票してたな」
「ひとり二票にしなかったら、トリプルスコアどころじゃなかったかもね」
いや、ひとり一票ならみなさま本命に入れるだろうから、わたしなんてランク外に、
「そもそも過半数の署名で送辞を求められているくせに、なんでそれで逃げおおせると思えたのかわからないわ」
えー……。
我らがお嬢さまからの鋭い突っ込みに、しょぼ……と眉尻を下げる。
「みなさまエリアルの言祝ぎを期待しておいでなのですわ。そのように悲しげなお顔は、今はお止めになって下さいな」
「はい」
「でも、せっかくそんなに可愛らしい格好のエリアルと、踊れないのは残念です」
優しい笑みでわたしをなだめたあとで、リリアは残念そうに呟いた。
確かに今日はお誘いを受ける側。大人気であろうリリアの身体は、そうそう空かないだろう。
「お花が尽きたあとに、まだ元気があれば踊りましょう?」
今夜は羽目を外した無礼講。パーティーは夜が明けるまで続く。体力が尽きるまで、踊り明かせるのだ。
ついでに実も蓋もない話をすれば、ひとりでも多くの方と踊れるようにと、今日のプロムで使う曲はすべてかなり短く編曲されているらしい。魔法特化の面目躍如とばかりに、専科と教師が全力を上げて組み上げた自動演奏の魔道具が活躍すると、わたしの指導教官が言っていた。一流の音楽家を招いて生演奏で行われると言う王都の王立学院のプロムとの、明確な違いだそうだ。
きみもアーサー並みに使えれば開発を手伝わせたのだけれどねと言われたことは断じて気にしていない。気にしていないもん……。
「……間違いなくあなたがいちばん踊らされることになると思うけど」
「ええー?そんなまさか」
苦笑しながらも連れ立って、プロムの会場へと向かう。
わたしなんかと踊りたいひとがいるかは怪しいものだけれど、踊るか踊らないか以前にまず、わたしには祝辞を述べると言う大役があるのだ。逃げ逃したとは言え引き受けたからには、喜ばしいこの日に欠点を作るべきではない。
記憶に残るにしろ、記憶から消えるにしろ、良いものとして受け止められたい。
プロム会場には、もうずいぶんひとが集まっていた。
顔ぶれが華やかな上に格好が独特なので注目されるなか、わたしは教員に捕まって壇上にすぐ上がれる位置に控えさせられる。開会の言葉のあと、すぐわたしからの祝辞、それから、卒業生代表の言葉が述べられ、ダンスが始まる。
一曲目は選ばれた十名と十名で踊ることになっていた。本来であれば王太子であるヴィクトリカ殿下か、三年生の首席あたりが踊り始めるのが正式だろうが、それで相手役で揉めることを厭うた殿下がどうせならと盛り込んだのだ。
わたしの一曲目の相手は卒業生代表、と指示を受けていた。
「来たのか」
「スー先輩」
卒業生代表、スターク・ビスマルク伯爵子息だ。奇しくもどちらも王太子派の家の者が選ばれることになり、まだクルタス王立学院では王太子派が優位であることを示す結果になった。二年生三年生には王太子派が多いから、当然と言えば当然かもしれないが。
服装のせいか普段より甘い雰囲気に見えるスー先輩を見上げて、微笑む。
「ご卒業、おめでとうございます」
「ああ。ありがとう」
かすかに口許を和らげて答えたスー先輩が、わたしの頭に手を伸ばしかけて、髪型を崩すことを気にしてくれたか指先で頬をなでた。
「春期演習合宿、残念だ」
「わたしもです」
わんちゃんこと筆頭宮廷魔導師ヴァンデルシュナイツ・グローデウロウスから春期演習合宿参加禁止を申し渡されてから、教員からも直々に、参加不許可が言い渡された。仕方のないこととは理解していても、やっぱり、残念な気持ちは拭えない。
「四月から、一般騎士として、国境の砦に行くことが決まった」
「スー先輩が、ですか?」
上に兄がいて家を継ぐ可能性が低いからと言って、伯爵家子息が国境の砦とは。それに、こうして代表に選ばれるほどには、スー先輩は人望も厚く成績も優秀なのに。
「俺自身で望んだんだ」
驚くわたしにスー先輩は優しい目で告げた。
「お前やミュラーと違い、俺にはひとりで戦況を覆せるような魔法はない。それでも、この手で国を守りたい。お前たちにばかり負担をかけて、それで良いと諦めるつもりはない。そのために、国防の最前線に立つことを望んだ」
「スー先輩……」
「誰より強い魔法を持つお前が、魔法を持たぬ者を認めてくれていること、忘れる気はない。立ち位置は変わろうとも、取れる手段が違おうとも、お前は俺の大事な後輩で、仲間だ。困ったら頼ると良い」
身を屈めたスー先輩が、わたしの耳許に唇を寄せる。
「お前とミュラー程度ひっそり逃がせるくらいには、信頼を勝ち取っておく」
このひとは。
「……これから祝辞なのに、動揺させないで下さい……」
「すまないな。良い機会だから伝えておきたかった。あまり注目されず話せるなんて、今くらいだろう?」
「そうですね」
じわりとにじみそうになったものをぐっとこらえて、笑みに変える。
「ありがとうございます。スー先輩も、困ったら頼って下さいね。力になりますよ!」
「ああ。信頼している」
残念だ。残念だな。この、素敵な先輩との、学生最後の思い出を作る機会を、失ってしまったなんて。
このひとと話していると、なんどでも、思ってしまうのだ。
「わたし、スー先輩の後輩になれて良かったです。騎士科を選んで、良かった」
「俺も、お前が後輩で良かったと思っている。騎士科を選んでくれて、ありがとう」
ざわついた会場の空気を割るように、からん、とベルが鳴らされた。
貴族の令嬢令息の集まりだけあって、すっ、とすぐにざわめきが途絶える。
プロムの開会が、告げられた。
名前を呼ばれ、壇上に向かう。直前振り向いて、視線で聞いていて欲しいとスー先輩へ伝える。
壇上からは、会場が綺麗に一望出来た。
当たり前だが、好意的な視線で埋められてはいない。だが、向けられる視線の多くはわたしの登場を歓迎するもので。
見渡せば、見知った顔がいくつも見付けられた。
笑みを浮かべて会場中をゆっくり見渡して、右手を挙げる。
ざわりと、会場の空気が揺れた。会場内の明かりが、絞られたからだ。
ほの暗くなった会場から、戸惑う気配が伝わって来る。
背後から、カツ、カツ、カツと、爪の先で木を軽く打ち鳴らす音。
息を吸い込んで、喉を震わせた。吐き出した声を、わたしの身体を、取り巻き飾るような、華やかな弦楽器の音色。
祝辞をと言われたとき、悩んだ。
自分の卒業すら見据えられていないわたしに、いったいなにが言えるのかと。
わたしの言祝ぎに、なんの価値があるのかと。
思えば、伝えるべき言葉なんて、浮かびはしなかった。
だって、わたしには、まだ、未来への望みが見えない。
進む先は暗く、何も見えず、不安ばかりが広がっている。
どこに舵を切れば良いのか、そもそも、舵があるのかすらわからない。乗っている舟がいつ、深淵に呑まれるとも知れない。
こんなわたしに、いったい、なにが言えると言うのだろう。
それでもせめて、向かう先は光と信じたい。
旅立つひとが、その行く先が、幸いであることを願いたい。
辛くても、苦しくても、諦めたくない。諦めないで欲しい。
その先に報われるなんて、そんな保証どこにもないけれど。
だから、なんの力もない言葉は吐けなくて。
気休めでも、せめて、せめて、意味のあるものを届けたくて。
祝辞の代わりに歌いたいから協力して欲しいと頼めば、死ぬほど忙しいはずだった指導教官は仕方ないねと笑って協力してくれた。
包み込むような弦楽の音色は、わたしよりずっと上手に魔法を乗せて響き渡る。
黄昏過ぎた薄闇のなかならば、歌い手が誰かなんてわからない。
だってこれは卒業生のための祝辞で、全員への、言祝ぎだから。
手を伸ばして歌えば、弦楽を彩るようにこぼれた音が、光となって両の手のひらから舞い上がる。会場の宙空を、きらきら、きらきらと、星のように覆い耀く。
少しでも、ほんの少しでも、夜空の星のように、その旅路を照せたら、道標になれば。
祈りを込めて、魔法を込めて、音を紡ぐ。
どうか、どうか。
きっと決して楽なばかりではないその道の先に、幸せがありますように。
天井を満たした光が、きらめきながら、降り注ぐ。降り注ぎ、弾けて、消える。
守れはしない。守りはしない。それでも、幸せは願いたい。
だって、このひとたちは、エリアル・サヴァンを、ツェツィーリア・ミュラーを、受け入れてくれたひとたちだから。
ありがとう。どうか、幸せに。
あなたたちの行く末に、幸多からんことを。
声と弦楽が同時に途切れ、光もすべて弾けて消えた。絞られていた明かりが、戻される。
惚けたような表情を浮かべる顔を見渡して、唇を割った。
「卒業、おめでとうございます。みなさまの行く先が、光多くありますように」
深く一礼して、踵を、
喝采
どっ、と沸き起こった拍手に包まれて、踵を返しかけた足が止まる。
一様に、拍手する姿。
それは、演奏者に対する当然の礼儀であるからだろうとは思うけれど。それでも。
壇上に立ったときの状態を思えば、驚くべきことだった。
わたしの、歌は、伝わった、のだろうか。
「ほら、ちゃんと挨拶」
背後から投げられた言葉にはっとして、背筋を伸ばす。
もういちど礼をすれば、割れんばかりだった拍手がさらに大きくなる。
これは、演奏会であったらアンコールに答えるところかも知れないけれど。
「良いよ。戻りな」
指導教官に促されて、壇上から去る。指導教官はカツカツと音を立てて、あっさり拍手喝采を静めた。……実はこれも音魔法の応用らしいのだけれど、わたしもアーサーさまも真似出来た試しがない。
代わって呼ばれたスー先輩は、若干苦笑いになっていた。やりにくくしてしまっただろうか、申し訳ない。
そう、思ったけれど。
「まずは、先の素晴らしい祝辞に感謝を。残念ながら俺は彼女のようなことは出来ないので、つまらない挨拶になるが許して欲しい」
朗々と語るスー先輩は格好よく、理想の兄貴で、感動的な挨拶だった。
共に学んだ同輩に、後輩に感謝し、激励し、道は別れようともお互い切磋琢磨を続けようと締める。
「兄貴……」
「きみ、次踊るのだから泣くのではないよ?」
じーんとしていたら通りすがりの指導教官にたしなめられてしまった。
「あ、あの、手伝って頂いてありがとうございました」
「これくらい大したことじゃないよ。それに」
めったに笑わない指導教官が、ほんのり口端を持ち上げてわたしの額を突く。
「きみにしては良く魔法が乗っていた。頑張ったじゃないか」
それだけ言って立ち去る指導教官を、思わず呆然と見送る。
「アル……?大丈夫か?」
「はぇ……ふにゃ!スー先輩!はい、大丈夫です、少し驚いただけで。それより、とても良い挨拶でした!感動しました!!」
「お前ほどではないと思うが」
「そんなこと!」
「それは良いから、行くぞ、待たせてしまう」
スー先輩から手を差し伸べられて、その手に手を乗せる。大きな手。たくさんのひとを守れる手だ。
そのまま手を引かれて控えていた場所から会場へと歩み出れば、すでにほかの九組は集まっている。確かに、待たせてしまうところだった。
投票で選ばれた上位十名どうしのペアは、卒業生と在校生と言う組み合わせにはなっているが、あえて男同士女同士の組み合わせも作ってある。校外に出れば嫌でも従わねばならない柵を、今日だけは気にしなくて良いのだとわかるようにとの殿下の気遣いで、発案だからと殿下が組んだ相手はるーちゃんことブルーノ・メーベルト先輩。
「……殿下が女性役なのですね」
「その方がより遠慮をなくせるだろうからと言っていたな」
「わたしたちも役割を逆にしますか?」
「いや」
予想と逆の役割に提案すれば、スー先輩から首を振られた。
「アルには女性役をと、ミュラーから言われている」
「お嬢さまから……?」
「普段男装だから女性役の方が頼みにくいと言っていた」
……なるほど。さすが我らがお嬢さま。気遣いばっちりですね。
「身長差的にもその方がありがたい」
「確かにるーちゃんと殿下、少し組みにくそうですね」
くすっと笑ったところで曲が始まり、踊り出す。さすがはスー先輩か、軸がしっかりしていてぶれない。身を任せても大丈夫と言う安心感があって、とても踊りやすい、理想的なダンス相手だ。
わたしの提案のせいでスー先輩から自由に相手を選ぶ権利を奪ってしまったけれど、スー先輩には踊りたい相手は、いなかったのだろうか。
「どうした?」
「ええと、ダンス相手を決める権利を奪ってしまって、申し訳なかったな、と」
「そんなことを気にしていたのか?」
スー先輩が笑って首を振る。
「あいにくと、誘う相手がいない。国境配属予定の一般騎士など、恋人には不向きだからな」
「三年生の中でいちばん選ばれている方が、なにを言っているのですか……」
「アルにだけは言われたくないが」
わたしを見下ろす目は、とても優しかった。
まるで、妹でも見るような目。
「男だろうと女だろうと、身分の貴賤も、派閥も、なにも関係なく、踊りたい相手と踊れる。こんな機会があっても、良いと思う。アルの考えは、面白いな」
「……自分に降り掛かる火の粉を周りに振り撒いたただけですけれどね」
「お前だけに負担を強いるより良いだろう」
本当に格好良いなぁ兄貴は……。
兄貴の格好良さに惚れ直したところで、曲が終わる。手を離し、腰から一輪造花を引き抜いた。
「ありがとうございました。あなたの未来に、祝福を」
「ありがとう。お前の未来にも、祝福があるように」
造花を受け取ったスー先輩は自分の衿元に花を挿し、代わりに自分の造花を一輪、わたしの髪に挿した。
「さて、ここからは戦いだな」
「そうですね」
スー先輩と共に気合いを入れ合って、わたしたちはダンスフロアと言う戦場に身を振った。
それからは、もう、踊って、踊って、踊りまくった。
休む間もなく踊り続けになるわたしたちを気遣って、定期的に挟まれる小休止を除けば、ただひたすら、踊り続ける。踊って欲しいと願うひとは、ひっきりなしに現れた。
やって来た相手と組み、踊りながら少し雑談をして、終わったらお祝いの言葉と共に造花を渡して。その、繰り返し。
男女共に来るし男役も女役も望まれるしで、混乱しそうになる。来年は、オクラホマミキサーにしてやりたいくらいだ。
でも、緊張して震える手でダンスを申し込まれたり、頬を赤らめ嬉しそうに造花を受け取られたりすると、むげにも出来ない。
明日は筋肉痛に苦しむかもしれないと思いながら笑みを浮かべ続け、踊り続けた。
「エリアル嬢、大丈夫かい?」
何度目かの休憩。ひとり掛けの椅子に腰を下ろしたわたしに飲み物を差し出しながら、殿下が言う。
「ありがとうございます。大丈夫です」
恐縮しつつもありがたく受け取り、冷えた果実水で喉を潤す。
「エリアル嬢も、ツェツィーリア嬢やリリアンヌ嬢みたいに、もっと長く休憩を取っても良いんだよ?」
「いえ、体力はまだもちますし、出来るだけ、多くの方の希望に答えたいので」
にこっと笑って、予備に用意していた花を腰に足す。予想外に、わたしと踊りたがる方が多い。
「優しいね」
「発案者ですから」
「無理はしないで」
「もちろんです」
果実水を飲み干して、立ち上がった。そろそろ、休憩が終わる。
「まだまだやれますよ!」
そうしてダンスフロアに歩み出れば、すぐに掛かる声。
パーティは、まだ終わらない。
そうして予備の花も尽きた頃には、夕暮れより明け方が近いような時間になっていた。
さすがに限界だとソファーに身を沈める。もう、ろくに頭も回らない。
「お疲れさまです」
「リリア」
リリアが隣に腰掛け、冷たい紅茶を渡してくれる。
「ありがとうございます。美味しい」
「良かったですわ。お腹は空いておりませんか?果物と、ムースをいくつか持って来ましたわ」
「頂きます」
「はい」
いや待ってリリア。ここいつものサロンじゃないよ?
にっこり笑顔でフォークに刺した桃を口許に差し出されて、リリアも相当疲れているなと悟る。
「どうぞ、エリアル?」
あー……まぁ、良いか。リリアだし。
そしてやっぱりわたしも疲れていたので、断るのも面倒で口を開く。品種改良や栽培技術の改善なんて概念がまだ確立されていない世界の果物は、前世ほど甘くない。それでも、疲れた身体に冷えた桃はごちそうだった。
「んん……おいし……」
そのまましばし、リリアにお世話される。
「んんぅ……」
「眠いですか?エリアル、戻りますか?」
リリアの問い掛けに首を振り、紅茶を飲み干して立ち上がる。左手を胸に当てて腰を折り、右手をリリアに差し出した。
「一曲、踊って頂けますか?」
「喜んで」
わたしの手を取って立ち上がったリリアが、ふと、なにか言いたそうに口を動かす。
「どうしました?」
「あ、あの、ですね、エリアル?」
「はい」
そうしてリリアが口にしたお願いは、思いもよらぬものだった。
「まさか」
ソファーでわたしたちを見ていたらしいツェリが、呆れたように言う。
「リリアが男役をするとは思ってなかったわ」
「どうしてもやりたくて……」
「良いんじゃないかしら?今日は、そう言う日でしょう?」
照れたように答えるリリアにツェリが肩をすくめる。
「お嬢さまも踊、」
「らないわよもうクタクタ」
「部屋までお送りしましょうか?」
「んーぅ?」
あ、これ、だいぶ眠たいなツェリ。
部屋に戻してあげようと、両手を掴んで引く。
「んん゛ー」
「帰って眠りましょう?お嬢さま」
腕を引くのに、ツェリは嫌々と首を振って立とうとしない。……飲んではいない、よね?
平素なら抱いて運んでも良かったが、今だと疲れと眠気で手元も足元も少し危ういので避けたい。
「部屋に戻れば休めますから、もう少しだけ、頑張りましょう?」
「んうぅん」
「どうした?」
「スー先輩」
攻防を始めかけたわたしとツェリの背後から、声が掛かる。
「お嬢さまがもう眠そうなので、もう帰ろうかと」
「なるほどな。……ミュラー、触れるぞ」
「ふにゃっ」
「猫か」
「お嬢さまは猫そっくりの愛らしさですが猫ではありません」
ツェリにひと言断ったスー先輩が、ひょいっとツェリを抱き上げる。
「ちょうどそろそろ戻ろうかと思っていたところだ。俺が送ろう。ヴルンヌ侯爵令嬢、案内を頼めるだろうか」
「かしこまりましたわ」
「え、でも」
「アルはもう少し、楽しんでいると良い」
止める間もなくスー先輩とリリアは行ってしまい、ぽつんとひとり、残される。
もう少し楽しめと言われても、十分どころか二十分ほどは踊ったし、回らない頭では迂闊に会話も出来ない。
それでも、楽しめと言われたからと、なんとはなしに飲み物を手に取り、ぽすんとソファーに腰掛ける。
眠いし、疲れた。肩も頬も、筋肉を酷使し過ぎて重たい。
手にしたグラスに口を付け、深くため息を落とした。
そうか。明日からもう、先輩方はいないのか。
不意にそんな実感が押し寄せて来て、足元が揺らいだような心地がした。
まるで、そう、道端で息絶えたクワガタを見付けたときのような気持ち。
思えば、この一年、いろいろなことがあった。
騎士科を選んだことで、中等部までよりも広く、深く関わる相手が増えたように思う。スー先輩、ラフ先輩、ウル先輩、ゴディ先輩、シュヴァイツェル伯爵子息や、ラグスター男爵子息も。騎士科でなければきっと、関わることはなかっただろう。
そして。
「隣、良いかなぁ?」
「はい」
るーちゃん、ブルーノ・メーベルト男爵子息も。
「大丈夫ぅ?疲れちゃった?」
上位十名に入っているるーちゃんは、殿下やデオドアさまと同じく、甘めの格好をしている。元々柔らかい雰囲気の方なので、それがとても、よく似合っていた。
けれどこの優しげなひとが、ほんとうは男らしく頼り甲斐のあるひとであることを、わたしは知っている。
誰にでも友好的なようで、その実、心を許す相手が少ないことも、その少ないなかにわたしを入れて、なにかと気遣ってくれていたことも知っている。
怪我をすれば治療をしてくれて、逃げ場を欲すればそっと羽根の下に隠してくれた、まるで親鳥のようなひと。
そのひとがもう、明日からはいない。
「すこし」
回らない頭のまま、意味も理解せず口を動かす。
「さみしくなってしまって」
「そっかぁ」
隣に座ったばかりだったのに、そのひとは立ち上がった。
「場所、変えようか」
手を取られ訊かれれば、刷り込みされた雛鳥のように頷いて、連れられるまま歩いてしまう。
明日にはいなくなってしまうひとで。
それがさみしかったから。
働かない頭は心の求めるままに、すこしでもそばにいたいと思ってしまった。
「ここ……」
「実は」
わたしの手を引いたるーちゃんがやって来たのは、学院からるーちゃんに貸し出されていた作業部屋だった。ふわりと薬の香りのするそこは、前に来たときと変わりないように見える。
引き払わないのだろうか?
動かないながらも疑問を浮かべた頭に、すぐさま答えが返される。
「四月から軍属になってフリージンガー団長……団長ではなくなるんだけど、とにかく、あのひとの下につくことが決まっているんだけど、それとは別に、クルタスに籍は残して、今後も治癒魔法や医術の腕は研いて行くことになってねぇ」
なるほど。うん、いくら本人の希望とは言え、天才的な治癒魔法適正を持つものを、ただの騎士で済ませるのはもったいない、と言うことか。
「専科に新たな作業部屋を、って話もあったけど、まぁ、正式な所属は軍になるわけだし、そちらに慣れるまではろくにクルタスには来られないだろうから、下手に慣れない場所に作業部屋を移されても戸惑うだけだと思ってぇ、ここを残して貰うことにしたんだぁ」
ふに、と微笑むるーちゃんが、しゃらり、とわたしの手になにかを乗せる。
「忙しいのに、悪いとは思うんだけどぉ……」
くすんだ金のそれは、真鍮性の鍵。
「誰かに入られても困るから鍵を掛けて行くんだけど、そうすると掃除に入っても貰えなくてね、たまにで良いから、空気の入れ替えだけでも、頼んで良いかなぁ?代わりにここ、自由に使って良いから」
ああ、スー先輩と言い、るーちゃんと言い。
鍵の乗った手を握り締め、目の前の自分より小柄なひとの、胸に飛び込む。
「わたしに、甘いですよ、みんなして」
ふわりと香る、薬草の香り。部屋と同じようで違う、るーちゃんの匂い。ふふ、と笑う気配。
「手間になるし、ほんとはぎーちゃんに頼もうと思ってたんだよぉ?でも、エリアルがさみしいとか、可愛いこと言うから、頼んでも良いかなぁってぇ。ぎーちゃんも忙しいし、専科からここは遠いから、エリアルが引き受けてくれると助かるんだけどなぁ」
そんなわたしに都合の好い言い訳を用意して、逃げ場所を作ってくれようとする。
「良いのですか?薬の知識なんてないですから、貴重なものを駄目にしてしまうかも」
「危険なものが入っている棚には別に鍵が掛かっているから大丈夫。ね、お願い」
「……ずるい」
どうしてこんなにも、このひとは上手にわたしを甘やかしてしまうのだろう。
安心する匂いの肩に顔を埋めて、ぐりぐりと額を押し付けた。
「なにかうっかり壊してしまっても知りませんから」
「良いよぉ、猫の悪戯くらい、可愛いものだから」
「猫ではありません」
恥も外聞もなくるーちゃんに抱き付くわたしも、ふふふと笑うるーちゃんも、眠くて馬鹿になっているのかもしれない。
「るーちゃん」
「なぁに?」
顔を離して、優しい笑みを浮かべた銀色を見つめる。
さみしかったのに。
送り出したくなかったのに。
「卒業、おめでとうございます」
関係を切る気はないのだとこんなにも示されたら、嬉しくなってしまう。
「踊りましょう!」
決して広くはない作業部屋だけれど、踊れるくらいの空間はある。
ポケットに鍵をしまうと、手を取り、身を寄せて、くるくると回って見せた。曲は口ずさみ、音魔法で鳴らす。
るーちゃんは一瞬驚いた顔をしたが、すぐ微笑んで付き合ってくれた。
笑い合いながら、くるくると、適当に踊る。
誰も見ていないから、どんなにめちゃくちゃでも構わない。
回って、回って、はしゃいで。さみしさが吹き飛ぶように、めいいっぱい楽しんだ。
不意に、音楽が途切れる。
寄り添って踊っていた身体が突然力をなくして、ブルーノは慌てて抱き留めた。
ぐっと、腕に掛かる重み。
「エリアル!?って」
気絶かと心配したのは杞憂で、腕のなかの少女は健やかな寝息を立てていた。
「寝落ちするまで遊ぶなんて、猫じゃないんだから……」
呆れて、心底呆れて、ブルーノはエリアルを見下ろす。
「ねぇ、ここ、鍵掛かるし、エリアルと僕しかいないんだけどぉ?」
この黒猫に危機感と言うものは、ないのだろうか?
既成事実程度で婚姻が許されるほどしがらみのない立場ではないとは言え、仮にも貴族令嬢が。
「エリアルぅ?起きてぇ?寝るなら寮に戻ろぉ?」
ブルーノが身体を揺すって声を掛けるが、エリアルが起きる気配はない。
ブルーノは曲がりなりにも騎士科だし、エリアルは身長のわりにとても軽い。背負って寮まで運ぶくらいなら、苦ではない。が、
「さすがにこんな夜に完全に眠りこけている状態で運ばれるのは外聞が悪いよ、エリアル」
帰らないのもそれはそれで、外聞は悪いが、今日はプロムだ。ある程度の羽目外しは許されていて、外に遊びに出て朝帰るような生徒も、ちらほらと見られる。
どちらも外聞が悪いなら、まぁ、良いか。
寝落ちたエリアルほどではないにしろ、ブルーノも、なかなかに眠気で頭をやられていた。
エリアルを抱き上げ、部屋の扉に鍵を掛け、仮眠室の寝台に、ふたり一緒に倒れ込んだ。仮眠室とは言え貴族の学院のものなので、ふたり分の重さを受けても寝台は軋みもせずふわりと受け止められる。
もう、明け方も近い。
安心しきった猫の寝息につられて、気付けば子猫がじゃれ合うような体勢のまま、ブルーノも眠りの世界に旅立っていた。
ふたりとも、眠かったので、それがまずいことであるなんて、思い浮かびもしなかった。
引き上げられるように、意識が覚醒する。
寝不足の頭は重く、昨日酷使した表情筋は強張って疲労を訴えていた。
「んに゛……」
唸って身を起こそうとして、身体に絡むなにかに気付く。
しょぼしょぼとした目をこじ開ければ、視界に入る、見慣れない部屋と、鉄紺の髪。
はて……?
「んん……」
鉄紺の髪が揺れ、顔が見えて、銀色の瞳と、視線が合う。
お互いに、その状態で、固まった。
ゆうに、数拍は、固まって。じわじわと、銀色が見開かれて。
「あ、あああああっ!!!」
いつになく焦った様子で飛び上がったるーちゃんが飛び退り、勢い良く寝台から転がり落ちた。
「わ、あ、大丈夫ですか!?」
それでやっとフリーズが解けて、寝台から身を乗り出す。
ええと、昨日は、プロムで。踊って、踊り疲れて、るーちゃんと、そうだ、るーちゃんの作業部屋に来て踊って。うん、そこから記憶がない。
部屋を見渡す。うん、たぶんここは、るーちゃんの作業部屋の仮眠室だ。
つまりわたしは踊っている途中で寝落ちて、るーちゃんがここに運んでくれたけれど、たぶん自分も眠かったるーちゃんまで、うっかり一緒に寝落ちてしまったのだろう。
服はタイすらゆるめられていないから、たぶんこれが正解だ。
「ごめんなさい、迷惑を掛けてしまったみたいで」
「いや!僕が無理矢理にでも起こすべきだったし、隣で寝るとか、あり得ない……ごめん、信じられないかもしれないけど、寝ちゃっただけで、一切、あの、そう言うことは、してないから」
「大丈夫ですよ。その心配はしていませんから」
るーちゃんにも、選ぶ権利が、
「いやその心配はして」
「へ?」
おもむろに立ち上がったるーちゃんに肩を押されて、寝台に仰向けで倒れ込む。
「すぐ眠ったから良かっただけで、寝ていなかったらなにかはしていたかもしれない。ねぇ、誰が相手でも、あまり気を抜いては駄目だよ、エリアル」
「るーちゃん……?」
真剣な目をしたるーちゃんの顔が近付いて、視界がるーちゃんで埋められて、唇に、柔らかいものが触れた。
なにが起きたか理解出来ないまま、るーちゃんが離れて、苦笑する。
「湯浴みの準備して来るねぇ。服も貸してあげるから、汗を流して着替えて」
告げるだけ告げて、隣の部屋に消える。お湯を、沸かしに行ってくれたのだろう。
ふに、と自分の唇に触れた。
今、なにを、された……?
カァ、と、顔に血が昇る。
ぐしゃりと寝ていてすでに崩れていた頭を崩し、上着を脱ぎ捨てリボンタイを外した。
ほかの方々はわからないが、わたしの着ていた服は上着とタイをなくしてしまえば、艶のある黒のドレスシャツと艶消しの黒のトラウザーズに、黒のロングブーツと、至って質素な格好なのだ。私服と言って、差し支えない。
目立たないよう上着とタイをまとめて抱え、仮眠室から飛び出す。
「わ、エリアル?」
お湯を持ったるーちゃんと、正面衝突しかけた。相変わらずの瞬間湯沸かしだ。
「あ、申し訳、ありません」
辛うじてお湯がこぼれなかったことに安堵し、るーちゃんの横をすり抜ける。
「寮に戻りますね。ご迷惑お掛けして済みませんでした!では!」
作業部屋の扉のノブを引っ掴んだところで、一度深呼吸して、振り向く。
「お部屋の保守、承りました。また、お会いしましょう。あなたの行く先に、祝福を」
早口に言って微笑んで、そして、一目散に、逃げ出した。
そのまま一路寮の部屋に向かい、鍵を掛けて寝台に飛び込む。道中視認阻害を掛けていたし、幸い、ひと気もすれ違う者もいなかった。
上着を投げ出し枕に顔を埋め、ううううう、と唸る。
顔がひどく、火照っていた。
春期演習合宿に、参加予定でなくて、ほんとうに、ほんっとうに良かった。
昨日は確かに、さみしいと思っていたはずなのに。
もうさみしさなんて、欠片も残さず吹き飛んでいた。
拙いお話をお読み頂きありがとうございます
朝チュン(未遂)……!
いつもより糖度高め(自称)でお送りしました
あのですね
実は今日が世界猫の日だと思っていて
間に合うかも……!と思って急いで仕上げたのですが
世界猫の日、昨日じゃんね……orz
急いでいなかったら朝チュンしていなかったかもしれない……
作中のお歌はなにか決めようと思って決めきれなかったので
みなさまの思う最強の卒業式ソングを再生して下さい
続きも読んで頂けると嬉しいです




