取り巻きCと広がる世界
取り巻きC・エリアル視点/取り巻きA・リリアンヌ視点
殿下視点のお話の前後くらいの時期のお話
「…あ」
小さく声を上げたわたしに、対面の席のリリアさまが顔を上げた。
「どうかなさいましたか?」
「いえ…すみません」
表面上は笑って首を振るが、頭の中は荒れ狂っていた。
なんで、なんで今まで気付かなかったのだ、わたしのばかぁ!!
みなさまこんにちは。
ツェツィーリアお嬢さま命!な取り巻きCことエリアル・サヴァンですが、今はリリアさまと図書館でお勉強中。
ツェリは今日、ミュラー公爵家の定例らしい月一の晩餐会でお留守だ。
本当はついて行きたいところだけれど、家族水入らずを邪魔出来ないのでお留守番。
ツェリは優しいから、アルも一緒の方が喜ぶわと言ってくれたけれど、空気が読める黒猫は、謹んで辞退いたしました。
社交辞令を真に受けて、水を差す野暮はしないよ!
ツェリがいないから鐘楼にでも行こうかと考えていたところ、リリアさまに図書館で一緒に勉強をしませんかと誘われ、仲良くなるチャンスとお受けした結果が、今の状況。
歴史が得意だと言うリリアさまに、ならば教えを乞えるかと歴史の教科書を開いて、我らがバルキア王国の歴史をさらっていたところ、今まで見落としていたとんでもない可能性に、気付いてしまったのだ。
あのゲーム、子供たちの恋愛模様の水面下で渦巻いていた、大人たちの醜い権力争いの可能性に。
乙女ゲームが悪役令嬢がと言っていたわりに、ほとんど触れていなかった肝心のヒロインや攻略対象について、今さらながら軽く説明をしようと思う。
ヒロインは初期名をイルゼ・トストマンと言う。身分は、伯爵令嬢だ。
彼女の生い立ちは、よくある生き別れの〜と言うネタを思い浮かべて貰えればだいたいそんな感じだ。
自分の立場も理解していないごく幼い頃に郊外で事故に遭い、両親と身分を失って、片田舎の孤児院で平民として育ち、大きくなってから肉親(彼女の場合は祖父)に見付けられて身分を取り戻す。物語としてはありきたりな話だ。どこかの小公女さまみたいにいじめられるわけでもないし、ツェリのように処刑されかけるなんてこともない。辛うじて捻りがあるとしたら発見の理由が魔法の才能の開花なことか。
彼女は珍しい、遅咲きの魔法開花で、十五歳のときに魔法の才能を得、その流れで貴族の娘と判明する。そこで行方不明の息子たちを探していたトストマン伯爵と出会い、血縁者と感動的な再会を果たすのだ。
トストマン伯爵は孫娘に最低限の教育を施したのちに、彼女をクルタス王立学院へ編入させる。そこから先がゲームの内容だ。
彼女が学院で出会う攻略対象は五人−宮廷魔導師ヴァンデルシュナイツ・グローデウロウスも入れるなら六人だけれど割愛する−で、内訳は、王子、公爵子息×2、商人、教皇子息だ。彼らはみんな、ヒロインの貴族らしくない行動に惹かれたりなんだりで落とされる。チョロいね。
貴族らしくない行動って言うなら、ツェリだって初等部までは貴族位じゃないって言うのに、本当に見る目がない。
だいたい、貴族らしくないって、何を指しているかにもよるけど必ずしも褒めるべきことじゃないだろうに…っと、ごめん、話が逸れた。
攻略対象について、もう少し説明するよ。
まず、王子。名前はフェルデナント・ヤン・バルキアで、立場は第二王子。
名前がヤンバルクイナに似てるとか、オモッテナイヨ、ウン。
悪役サイドのヴィクトリカ王太子殿下との仲が最悪な、側妃腹の王子だ。ちなみに、現国王陛下の妃は正妃さまと側妃さまの二人で、御子は王子が三人と王女が一人。うち、側妃腹は第二王子だけだ。
次、って、説明が適当過ぎ?
いや、だって、正直言ってあのゲーム、ヴァンデルシュナイツ・グローデウロウスの声だけを目当てにプレイしてたし、他の攻略対象はあまり…ああでも、教皇子息の声は好みだったかな。あとはどちらかと言うと悪役サイド、悪役令嬢ツェツィーリアやエリアル・サヴァンの方が印象に残っているような…。
もしかして、こんなだから悪役サイドに転生したのか、わたし?
…え、まじか。
いや、うん、考えても仕方ない。気を取り直して続き行こう。
ふたりめ。公爵子息その一にして第二王子の取り巻きA。名前はグレゴール・ボルツマン。ここからは今世の知識だけれど、軍門二番手に位置するボルツマン公爵家の、三男だ。下に末っ子長女な妹がひとりいる。軍門家系だけあって、ゆくゆくは第二王子付きの騎士になる予定のはずだ。
さくさく行こう。さんにんめ。公爵子息その二にして第二王子の取り巻きB。ラース・キューバーと言う名前で、文門二番手に位置するキューバー公爵家の次男。ふたり兄弟で姉妹はいない。こちらは完璧な官吏タイプで、将来は第二王子の政務補佐官とかだろう。ちなみにキューバー公爵家は、側妃さまの生家でもある。
よにんめは毛色が変わって豪商の長男。名前はマルク・レングナー。表向きは一人息子だけれど、非嫡出の兄弟が山ほどいると言う噂だ。商人の息子だが位は伯爵子息。父親が金で爵位を贖った、いわゆる成金貴族だ。
まあ、金で爵位買って何が悪いと言われれば、義務さえ果たすなら問題ないと思うけれどね。かく言うわたしも、才能を盾にツェリに地位を得させたから、文句を言う気はさらさらない。
よし、最後来た。こちらも毛色が異なるごにんめ、コンスタンティン・レルナ・カロッサ。現教皇の、八男だ。男ばかり八人の末っ子だが、魔法の才能が高いため、父親に目をかけられている。
ただ、教皇とは言っても現状バルキア王国は、国教がふたつ存在して信者が分散されているためにあまり教会の権力が強くないので、影の権力者だぜどやぁ、みたいなことはない。
以上、五人だ。まあ、ざっくり覚えるなら、王子・武・文・商・宗とかで覚えておけば問題ないと思う。
で、ここで思い返して欲しいのが、我らが悪役サイドの身分だ。
王太子である第一王子ヴィクトリカ殿下に、軍門筆頭アクス公爵家のテオドアさま、文門筆頭ミュラー公爵家関係者のツェリとアーサーさま、オーレリアさまとついでにわたし、現宰相補佐官を勤めるヴルンヌ侯爵の長女リリアさま。
アクス公爵は最近ようやく引退なさった父君に代わっての現将軍。ミュラー公爵は現宰相で、ヴルンヌ侯爵の妹君は現国王の正妃さま。
さて、見比べて欲しい。
攻略対象が、側室腹の第二王子を筆頭に文武の二番手と、さらなる出世を狙う成金伯爵、もうちょっと権力が欲しい教皇の、それぞれ息子たち。
悪役サイドでのちのち追い落とされるのが、正室腹の王太子を筆頭に、文武のトップと正妃の生家の息女たち(と、わたし)。
そして、実は教会と懇意な貴族であるトストマン伯爵の、孫娘がヒロイン。
お気付き頂けただろうか。
え、これ、勢力争いじゃないか?と。
いや、うん。もともと勢力争いっぽいことは理解していた。派閥争いあってのエリアル・サヴァンの暴走だしね。
わたしが気付いたのは、その先の話だ。
悪役サイドが追い落とされるのは、本人たちの責任じゃないのではないか、と。
だって、本当に、ツェリも殿下も追い落とされるような悪事には手を染めないのだ。没落やら処刑やら、されるのはおかしい。
エリアル・サヴァンが暴走を理由に殺されるなら納得が行くけれど、ツェリも殿下も本人に殺されるような落ち度はないのだ。
ゆえに、本人たちの預かり知らぬところで、誰かの思惑により、排除されたと考えた方が、しっくり来るのだ。
誰か、すなわち、出世を阻む目の上のたんこぶを、排除したい者たち。攻略対象たちの、父母どもだ。
側妃さまは第二王子が国王になれば国母として君臨できるし、文武二番手は一番手を追い落として国のトップに、教皇と豪商は国王を味方に付けて権力アップを目論める。
ゲームのツェリたちは、意地汚い大人たちの、欲望に巻かれて不幸になったのだ。
自分の馬鹿さ加減に怒りが沸く。
最初から派閥争いには気付いていたし、ツェリの没落を理不尽に感じていた。
だったらすぐにでも、裏の思惑に気付いて良かったのに…!
上の争いが原因なら、ツェリや殿下の頑張りでは覆せない。
ヒロインチートは表だけではなく、裏でも働いていたのだ。
困った状況に、わたしは悶々と頭を抱え込んだ。
なんて愛らしい方なのかしら。
ツェツィーリア・シュバルツの隣に寄り添うエリアル・サヴァン子爵令嬢を見るたび、わたくし、ヴルンヌ侯爵家長女であるリリアンヌ・ヴルンヌは、そう思っておりました。
深遠の闇から紡いだような黒髪と、黒曜石をはめ込んだような黒目。存在感のある黒に彩られる肌は、対比のように透けるほどの純白。ふっくらと愛らしい唇は紅を引かずとも鮮やかに色付き、長いまつげに縁取られた二重の大きな瞳は、見る者の庇護欲を掻き立てる。
まるで、わたくしの理想の妹が、現れたかのような方でした。
ええ、理想の妹です。
わたくし、弟二人を持つ姉でして、ずっと、可愛い妹に憧れていたのですわ。
エリアルさんはわたしと同い年ですし、わたしよりも長身な方なのですが、お人形のような顔立ちと、子猫のような笑顔が大変愛らしく、抱き寄せてなで回したくなる方なのです。存分に愛でて甘やかしたい、わたくしの理想の妹ですわ。
父の意向によりお近付きなることが許されず、初等部の間は大変悔しい思いをいたしました。エリアルさんは恐ろしい?エリアルさんがとても強い力を持っているのは確かですが、彼女はご自身を律してひとに危害を加えまいと努力していらっしゃる、とてもお優しい方ではありませんか。なにが恐ろしいと言うのでしょう。お父さまのわからずや。
ですから、宰相さまからツェツィーリア・ミュラーとなったツェツィーリアさまのお目付役を頼みたいとお願いされたときは、一も二もなくお受けしました。
ツェツィーリアさまとエリアルさんは、共依存に近いほどの仲良しですから、ツェツィーリアさまのお目付役ならエリアルさんとお近付きになれますし、宰相さまのお願いなら父は文句を言えませんから。
それに、生い立ちのせいでひどい扱いを受けるツェツィーリアさまのことも、気にならなかったわけではありませんから。
もちろん、いちばん助けを必要とする時期に手を差し伸べなかったわたくしが、おふたりに信頼して頂けるとはおもっておりません。
けれど、信頼して頂けるか否かと、わたくしがおふたりに心を尽くすか否かは、別問題でしょう?
信頼して頂ければそれに越したことはありませんが、たとえ信頼されずとも、心を尽くしておふたりをお守りする所存でした。
そうして宰相さまのご紹介でおふたりに近付いてみるとますます、エリアルさんが愛らしくて仕方ありません。
宰相さまがわたくしに、エリアルさんに悪い虫を近付けるなとおっしゃりたくなるのも、納得の愛らしさですわ。
くるくると表情を変える大きな目も、耳に優しい澄んだ声も、ツェツィーリアさまを一心に慕うお心も、親しい相手にのみ見せる緩んだ表情も、何もかもが愛しくて愛らしいのです。
男装?首輪?そんなもの、エリアルさんの愛らしさの前には些細なものですわ。
エリアルさんは良い意味の貴族らしさをお持ちで、人脈に気を遣っています。そのため、わたくしとツェツィーリアさまの仲を取り持とうと尽力し、エリアルさん自身も、わたくしを邪険にせず対応して下さいました。
どうやら、仲良くして下さるおつもりのようです。利益目的とは言え拒絶されなくて、ほっとしましたわ。
拒絶されないのを良いことに、今日は一緒にお勉強をしましょうとお誘いしたら、快く了承して下さいました。
憧れていた妹とお勉強と言う状況が、わたくし、嬉しくて仕方ありませんわ。
歴史の教科書を見てなにやら考え込んでいたエリアルさんが、ちらりとこちらを伺いました。
遠慮がちな態度に、きゅん、とします。
なんて、可愛いのでしょう。なで回したい。
内心の興奮を隠して、エリアルさんに笑いかけました。
うまくすれば、妹に勉強を教えてあげる姉、と言う状況になれるかもしれませんからね。好機を逃す手はありません。
「エリアルさん?なにか、わからないところでもありましたか?」
優しいお姉さまを心がけて、ふわりと笑いかければ、エリアルさんは少し迷ったあとで、口を開きました。
「勉強とは、あまり関係のない話なのですが…」
ああ、だからためらっていらしたのですね。
「学校の勉強がすべてではありませんわ。なにか気にかかることで、わたくしがお役に立てることならば、お聞かせ頂けませんか?」
そう言って促せば、エリアルさんは少し照れたように、淡く微笑みました。
「リリアさまは、お優しいですね。わたしに姉がいたら、こんな感じだったのでしょうか」
「…」
いま、なんと…?
発された衝撃的な言葉に、完全に思考が停止しました。
今、もしかして、今、エリアルさん、わたくしを姉のようだとおっしゃいましたか!?
ああ、わたくしをお守り下さる先祖代々の御霊さま、感謝いたします。今日はなんて幸せな日なのでしょうか。
「リリアさま?すみません、同じ年のご令嬢に、姉のようだなんて、失礼な、」
「いえっ、構いませんわ、エリアルさん!」
わたくしの反応を誤解したらしいエリアルさんの言葉を、遮って否定します。
せっかく御霊さまが下さった好機を、取り逃がしてはなりません。
「わたくしも、エリアルさんような妹が欲しいと思っていました。ですから、姉と思って頂けるのは、とても嬉しいですわ」
って、わたくしったら、なにをぺろりと暴露してしまったのでしょうか!
エリアルさんに嫌がられ、ていませんね。
とても優しい笑顔で、笑い返して下さいました。
「では、お姉さまに甘えさせて貰っても良いですか?」
「もちろんですわ!」
エリアルさんに笑みを向けて、わたくしは答えました。
理想の妹にお姉さまと呼んで貰って、わたくし、天にも昇る心地ですわ!
やっぱり、リリアさまは癒しだな。
慈愛深い笑みで優しい言葉をかけてくれるリリアさまに、わたしはとても温かい気持ちになった。
リリアさまは、わたしやツェリに偏見を抱いていない。
好意のみが込められた対応は、すぐにそう気付かせてくれた。
ツェリもそう気付いたのか、単純にわたしの思惑を受け入れてくれたのか、最近ではだいぶ自然な態度でリリアさまと接するようになった。
あくまで穏やかに、優しく。
同い年ながら姉のようだとつい失言してしまったのに、それすら優しく受け入れて下さるリリアさまは、本当に癒やしです。女神さまです。
心の中でそう呟きながら、わたしはリリアさまに訊きたいことを口にした。
リリアさまの叔母上は正妃さま。宮廷に関しての知識ならば、わたしよりはるかに豊富なはずだ。
「気になっていたのは、政権争いについてなのです。バルキア王国ではかなり頻繁に政権争いが起こっていますが、これは今の宮廷でも言えることなのでしょうか?」
わたしの問いかけを受けてリリアさまは少し首を傾げてから、答えないまま問いを返した。
「エリアルさんが訊きたいのは、ローザ叔母さま…今の王妃さまと、側妃さまのことでしょうか」
「そのことだけではありませんが、はい」
「そう…」
言葉を選ぶように視線を泳がせてから、リリアさまがわたしと目を合わせた。
「エリアルさんの予想通り、王妃さまと側妃さまの仲は、あまり良くありませんわ。エリアルさんはご存知がわかりませんけれど、ローザ叔母さまと今上陛下は、恋愛結婚なのです。もともと正妃になるはずだった今の側妃さまを押し退けて、ローザ叔母さまが正妃になったのですわ」
…良くある悪役令嬢モノで見る、いわゆる婚約破棄話を思い出したひと、わたしと握手。
侯爵家出身者が正妃で公爵家出身者が側妃だからなんでだろうと思っていたら、ここの王族二代連続かよ終わってるな!!
「それは…」
「もちろんはじめはローザ叔母さまが側妃になるはずでしたわ。けれど、そもそもローザ叔母さまと今上陛下が出会ったのが、今上陛下を母君でいらっしゃる王太后陛下の策略でして、ローザ叔母さまをたいそう気に入っていらした王太后陛下が…」
「ごり押しして、現正妃ローゼシア殿下を正妃にさせたのですね」
「はい。愛する相手が正妃の方が、国政にも気合いが入るだろうと…」
それは、うん。
「おふたりの仲が悪くなるのも、無理からぬ話ですね…」
ちょっと、側妃さまに同情するわ…。
「そうですわね。側妃さまから見れば、ローザ叔母さまは正妃の座と国王の愛を横取りした泥棒猫ですし、ローザ叔母さまも、普段は穏和な方なのですが、こと愛する旦那さまのことになると、狭量になってしまわれて…。周囲が派閥争いをして仲違いを助長するのも、よくないのですけれど」
「では、やはり王太子殿下と第二王子殿下で派閥が?」
「ええ。と言っても宰相さまはじめ王太子殿下派に分けられる方々は、権力どうこうと言うより、国を良くするために動いている方々ですけれど。ヴィクトリカ殿下に関しても、あまり王座に執着はないご様子ですし」
確かに、ミュラー公爵やアクス公爵が権力に固執するさまは、あまり想像出来ない。
あのひとたちはただ単に、その場所が動きやすいから着いているだけだろう。
国優先で動くため非情な判断もするが、ミュラー公爵がツェリを養女に受け入れたくらいだし、ツェリが真っ当に生きている限り排除には動かないのではないかと、思いたい。
対して、恐ろしいのは第二王子派閥の大人たちだ。勝てるなら何の問題もないが、負けた場合は確実に、ツェリにとって良くない未来になる。
ツェリをひととして扱ってくれる王太子派のひとびとと異なり、第二王子派は恐らく、ツェリをひと扱いしない。ツェリの尊厳も意思も無視し、利用出来るだけ利用して搾り取るか、手に負えない化け物と判じて殺すか。
そうなったら、今度こそ国を捨てよう。
「殿下が、いいえ、ツェツィーリアさまが心配ですか?」
「はい」
ツェリを守れるなら、この命を使っても…。
暗い決意をしかけたわたしに対し、リリアさまは不安を打ち砕く朗らかな笑顔を見せた。
不安そうな顔をしたエリアルさんに、わたくしは微笑みかけました。
気弱な顔も庇護欲をそそってそれはもう愛らしいのですが、姉としては妹には笑っていて欲しいものですからね。
それに、心配など要らない話なのです。
「心配なさらなくとも、大丈夫ですわ」
なにせツェツィーリアさまには、他国にすら名を知られる、可愛い黒猫さんが味方にいらっしゃいますから。
「此度の勢力争いの鍵は、サヴァン子爵家の一の姫である言われておりますもの」
「わたしですか…?」
きょとんと目を瞬いたエリアルさんが、わたくしへ問うような視線を投げました。
どうやら、ご本人は気付いていなかったようですね。
その無自覚さも愛らしいと…あら、脱線してはだめですね。
わたくしはエリアルさんの疑問に答えるべく、言葉を整理してから口を開きました。
少し、語るのに気を遣うお話ですから。
「エリアルさんはご自身のお祖父さまのことは、ご存知なのですよね?」
「はい。わたしにも大きく関わる話ですから」
きっと、わたくし以上に詳しいのでしょう。
愚問でしたね。
「サヴァン家はもともと、ここではないとある国の貴族で、けれどその国が滅びてしまったから、バルキア王国に来ることになりました。バルキア王国は当時、西の大国、ラドゥニア帝国に狙われていましたが…その、」
「国殺しのサヴァンを恐れた帝国が、侵攻を諦めた、ですね。祖父が没したあとも、同じ力を持つ大叔母がいたために、侵攻は出来なかった」
「ええ。そして、その大叔母さまも亡くなられて、またラドゥニア帝国に脅かされるかと思われましたが、それから二十余年、帝国からの侵略はありませんでした」
エリアルさんが頷いて、開いていた歴史の教本を指差しました。
「継承戦争ですね。当時の帝国は内紛で、外を攻める余裕はなかった」
「その通りです。大国の内紛によりバルキア王国は辛くも長らえて、ようやくラドゥニア帝国が体制を調え、侵略の手を伸ばそうと計画を始めた矢先に伝えられたのが、エリアルさん、あなたの誕生ですわ」
たったひとりで一国を滅ぼしてしまったお祖父さますら、しのぐと言われる才能の持ち主。稀なる双黒の容貌を持つ、けれど生まれたばかりの子供。
「まだ幼子であったあなたすら恐れて、帝国は侵略を一時的に諦めます。サヴァン家の魔法を持っても、いいえ、サヴァン家の魔法を持つからこそ、あなたは無事に生きられるかわかりませんでした。帝国はあなたが、無事に育たず死ぬことを期待したのでしょう。けれどその期待を裏切って、あなたは強く育ちました。今ではラドゥニア帝国のみならず、周辺諸国すべてが、あなたの動向を注視しておりますわ」
「…わたしは、国を滅ぼす気などありませんよ?」
エリアルさん、あなたはもっと、自分の価値を知るべきですわ。
わたくしはエリアルさんの目を見て、ゆっくりと首を振りました。
「あなたの意志ではなく、価値が問題なのですわ。サヴァン家の魔法は、過去には多くの国に存在していたもの。けれど、今ではその能力を継ぐ家系はサヴァン家ただひとつになりました。己の魔法を御せずに早逝する方が、あまりにも多かったため、家系が続かなかったのです。そんな中あなたは、一国を揺るがす能力者が稀とは言え生まれる家系の、己すら破滅させかねない魔法を御せる存在。あなたの血と才能を、多くの国が狙っているのです」
「わたしが無事に生きていられるのは、ヴァンデルシュナイツ導師のおかげで、わたしの力では、」
「サヴァン家の能力は古くから存在する能力ですわ。グローデウロウス導師の取った方法は、ごくありきたりな方法でしかありません。枷をはめ魔力を抑え込んでも、多くの方は自ら身を滅ぼしてしまったのです」
確かに宮廷魔導師グローデウロウスさまは偉大なお方です。けれど、彼だけの能力では、エリアルさんを守りきることは不可能でしたわ。
「こう言う言い方は人格を否定するようで好きではないのですが…、あなたは、とても、貴重な存在なのですわ。どの国もあなたを恐れつつ、喉から手が出るほど、あなたを欲しています」
単純に化け物扱いして恐れる非常に頭の軽い方々もおりますが、価値を理解し欲しがっている方々も、かなりの数存在するのです。
「我が国の上層部は、馬鹿ではありません。あなたを手放すまいと、必死に考えておりますわ。エリアルさん、あなたの優先するもの、固執するもの、重要視するもの、それは何ですか?」
「お嬢さま、ツェツィーリア・ミュラー公爵令嬢です」
予想した通りの迷いなき答えに、わたくしは頷き、微笑みました。
「そうですわね。誰の目にも、明らかな話ですわ。ですから、国はツェツィーリアさまを傷付けることなど、とても出来ません。ツェツィーリアさまに害をなすことはそのまま、あなたを失うことになりますから。あなたはツェツィーリアさまが無事な限り、バルキア王国を捨てる気はないのでしょう?」
「そう、ですね」
エリアルさん自身は恐らく、バルキア王国にさしたる愛着はないのだと思います。
我が国がツェツィーリアさまの害となると判断すれば、あっさり国など捨ててしまうでしょう。
けれどどんな理由にせよ、今のエリアルさんはバルキア王国で生きることを望んでいます。ツェツィーリアさまが無事ならばと言う、条件付きで、ですが。
そうである限り、国はツェツィーリアさまを蔑ろになど出来ないはずなのです。
グローデウロウス導師がいるとは言え、エリアルさんと言う後ろ盾をなくせば国が滅びかねないのですから。
「ですから勢力争いでも、エリアルさんとツェツィーリアさまを押さえている王太子派の陣営が有利ですし、万一派閥争いに敗れて、ヴィクトリカ殿下やミュラー公爵家がどうにかなったとして、ツェツィーリアさまが不遇にされることはあり得ませんわ」
…政権を取った者の頭に、きちんと脳みそが入っていれば、ですが。
エリアルさんがいまだ沈んだ顔なので、わたくしは内心で付け足した言葉に気付かれたのかと思いました。
けれど、口を開いたエリアルさんから出た言葉は、
わたしにそんな価値が、あるのだろうか。それにその仮定は、先の見通せぬ馬鹿が上に立った場合は通用しないはず。
リリアさまのお話を半信半疑で聞きながら、でも、わたしの心に引っかかったのは、別のことだった。
さっき、わたしは国がツェリに害をなすならば国を捨てようと、そう思った。
リリアさまも、わたしはそう言う判断をすると、考えているようだ。
あからさまに態度で示しているとは言え、筒抜けである。
ミュラー公爵閣下がお目付役に選んだ方なのだから、それくらいは出来て当たり前なのかもしれないけれど。
国外逃亡。それは有効手段だ。リリアさまの予想が正しいなら、ツェリとわたしは守られるのかもしれない。でも、
「それで守られるのは、お嬢さまとわたしだけでしょう?」
リリアさまは?他の、悪役サイドの方々は?
わたしの発した言葉は、リリアさまを驚かせたようだった。
わたしも驚いた。いつの間にかわたしの世界に、大切なひとが増えていたことに。
リリアさまたちを捨て置いて、逃げて良いのかと思った自分に。
「リリアさまや殿下が、不遇になるのも、わたしは嫌です」
バルキア王国に残っているのは、それが安牌だったからに過ぎなかった。
祖父は祖国の非道な行いに絶望し、暴走した。
その祖父を、拘束と言う形とは言え受け入れられたのは、バルキア王国だけだった。まず受け入れを申し入れる国から少なく、申し入れても祖父の妹、大叔母が祖父を受け入れさせることを拒絶したためだ。
バルキア王国は祖父の暴走に関わった責任があったとは言え、国ひとつ滅ぼした人間を受け入れたのだ。営利のため、生涯を鎖に繋いだとは言え、祖父について来た大叔母は監視のみで自由にさせたし、能力を受け継がなかった子孫たちも国民として爵位まで与えて受け入れた。
“他よりマシ”それが、わたしの抱くバルキア王国のイメージだったのだ。
それだけの、国だったはずなのに。
「ツェリは大事です。わたしが優先するのはツェリの幸せと平穏、それは、変わりません。けれど、リリアさまにだって、幸せになって、欲しいです」
たとえツェリのおまけとしてでも、仲良くして貰って、人並みの、幸せを与えられて。
世界が広がり、欲張りになった。
それは紛れもない弱さで、本当は持つべきでなかったもの。
どうして良いかわからなくなって、わたしはリリアさまから目を逸らした。
要らない。ツェリ以外に守りたいものなんて、要らないはずだったのに。
ツェリを守るために、すべてを捨てる覚悟をしたはずなのに。
うつむいて、顔を覆う。
「…そんな、弱いことを、言ってはいけないのに」
嬉しくないと言えば、嘘になりますわ。
ツェツィーリアさま以外には、ひっそり壁を作って馴れ合おうとしていなかったエリアルさんが、わたくしの幸せも、願って下さっていたなんて。
けれどそう言ったエリアルさんは、苦しげに顔を歪めてうつむいてしまって。
「…そんな、弱いことを、言ってはいけないのに」
顔を覆った華奢な両手からこぼれた苦悶混じりの言葉に、胸が締め付けられる思いでした。
わたくしたちを大切に思う気持ちが、エリアルさんを苦しめている。
きっとエリアルさんは、自分の手で守れるのはツェツィーリアさまひとりきりだと、思っていて、だから自分も省みず、ツェツィーリアさまだけを過保護なほどに守ろうとしていたのでしょう。
迷わずツェツィーリアさまだけを守れるように、ツェツィーリアさま以外に、世界を広げずに生きて来たのでしょう。
それをわたくしたちが、変えてしまいました。
好意と言う、避けがたい力によって。
自分を無力と評価するエリアルさんは、ひとに甘えると言うことを知らないエリアルさんは、迷いを生む気持ちを、弱さと感じてしまったのでしょう。
わたくしは席を立ち、エリアルさんに歩み寄ると、そっとその身体を抱き締めました。
普段は気付かない、エリアルさんの華奢さを身に染みて感じます。
「わたくしは、エリアルさんもツェツィーリアさまも、大好きですわ」
なんの慰めになるのか、どうすれば慰めになるのか、わからないまま言葉を紡ぐ。
「ねぇ、エリアルさん?わたくしは、エリアルさんに頼って貰えたら、嬉しいのです。エリアルさんがツェツィーリアさまの幸せが自分の幸せ以上に大切に思うように、わたくしにとっては、エリアルさんやツェツィーリアさまが幸せなことが、幸せに必要な条件ですわ。ですから、どうかわたくしに、エリアルさんの幸せのお手伝いをさせて頂けませんか?」
エリアルさんがそろそろと顔を上げて、わたくしをうかがいました。
っ、…え、いえ、上目遣いは破壊力抜群とか、思っていませんわよ?
エエ、オモッテイマセン。
「幸せの、お手伝い、ですか?」
「ええ。エリアルさん、どうか、ひとりではないことを、忘れないで欲しいのです。わたくしはもちろん、きっと、ヴィクトリカ殿下やオーレリアさん、アーサーさまやテオドアさまも、エリアルさんが困ったときには、喜んで手をお貸しいたします」
エリアルさんとツェツィーリアさまが、いちばん救いを必要としていたときに、差し出せなかったこの手ですけれど、どうか、次、手が必要なときは。
「わたくしの手など、信じられないかもしれません。ですが、どうか、手を伸ばして欲しいのです。手を伸ばして貰わなければ、わたくしは、エリアルさんの手を取って支え合うことが出来ません」
「手を、伸ばす…」
わたくしから少し身を離したエリアルさんが、自分の手を見下ろしました。
この方は、ひとりで立つことに慣れきってしまっただけで、本当は、わたくしが思う以上に、弱くて幼い方なのでしょう。
ひとを信じられない、ひととの関わり方を、知らない子猫のまま、育ってしまった子。
改めて、出会ったころに手を差し伸べなかった自分を悔やみます。
あのときに手を取れていれば、この弱くて強い黒猫さんが、身を削って何かをなそうとすることを、止められたかもしれないのに。
父の命令なんて、無視してしまえば良かったです。
エリアルさんは迷うように目を泳がせ、何度もためらったあとで、そっと、その手をわたくしへ向けて伸ばして下さいました。
不安と恐れと、かすかな期待が混じった真っ黒な瞳が、わたくしを見つめていました。
わたくしがその震える小さな手を掴むと、逡巡ののちに、きゅっと握り返されました。
すがるようなその手が、愛おしく、痛ましくてなりません。
なぜ誰も、この子に手を差し伸べなかったのでしょう。
なぜ身を守る力も不十分な女の子ふたりが、互いにすがり合って生きなければならなかったのでしょう。
わたくしは握られた手を引き、親を亡くした子猫のような少女を、再び我が腕に抱き締めました。
さまざまな感情が入り混じって、瞳からこぼれ落ちます。
「…わたくしを、そして、ひとを、見放さないで下さったこと、感謝いたしますわ」
絞り出した声は、みっともなく震えていました。
控えめに抱きしめ返す腕が温かくて、また涙がこぼれます。
「みなさんで、いっしょに、幸せになれるように、しましょうね」
腕の中の少女は無言で頷いたあと、顔を上げて、かすかに涙目でふにゃりとした笑みを浮かべました。
「はい。手を取って下さって、ありがとうございます。リリア」
気の抜けた笑みと、敬称の省かれた呼称が、わたくしの胸を射抜いたことは、言うまでもないでしょう。
…真剣に弟とエリアルさん、いいえ、エリアルの婚姻を画策しようと考えたことは、ここだけの秘密ですわ。
「ええ。改めて、よろしくお願いいたしますわ、エリアル」
改めて、エリアルのために尽力しようと、思ったある日のお話です。
拙いお話をお読み頂きありがとうございます
続きも読んで頂けると嬉しいです