表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
89/103

取り巻きCと牡丹百合 後日談

取り巻きC・エリアル視点/三人称視点

エリアル高等部一年の年始


直接的ではありませんが残酷な行為を示唆する描写があります

 

 

 

-とりさん


 答えはないかもなと思いつつ、そっと頭のなかで呼び掛ける。


-なに


 答えがあったことにほっとして、問い掛けた。


-ええと、今、どう言う状況……?


 問い掛けに帰って来たのは、呆れたため息だった。


 取り巻きC、ただいま状況確認中です。




 みなさま、うーん、こんにちは?で、良いのかな。


 ここはどこ、わたしは誰?状態にはなっていないけれどどうにも記憶の繋がらない取り巻きCです。


 わたしは、冬期演習合宿のためにルシフル領の騎士団を訪れて、七日間の演習の六日目に不注意から誘拐されて、そこで監禁されていた子供を助けようとしたところ、子供が、魔力暴走を起こして?


 それで、どうしたのだっけ。


 記憶は、ない。


 今いる場所はわかる。


 ぱっと見てわかる程度には見慣れた場所。王宮深部の一画、筆頭宮廷魔導師さまが仕事場の奥、簡易的に作られた、仮眠室だ。時計も窓もこよみもない部屋で、辺りを見回しても、今がいつの何時かわかりはしない。


 目が、覚めたら、ここにいた。


 本来いたはずのルシフル領から、遠くはないとは言えぱぱっとは来れないこの場所で。


 身体に異常はないし、首輪も腕輪もある。耳に触れれば奪われたはずのピアスさえ、なにごともなかったかのように戻っている。


 まるで、花祭も合宿も夢で、あの誘拐から戻った日々に目覚めたみたいに。

 かろうじて腕にはまった腕輪が、花祭は夢ではないのだと教えてくれている。


 いや。状況の予測は着く。


 おそらくわたしは倒れ、わたしの異変に気付いたわんちゃんに保護されたのだろう。わんちゃんが動いたからにはなんらかの形で事態は終息し、対処が取られたはず。たとえわんちゃんが途中で投げても、残りの処理は宮廷魔術師なり宰相閣下なりが引き継ぐから。


 でも、その処理はあくまで、統治者の立場からのもので。

 剥いたジャガイモの皮に付いた実のごとく、平民の数人は損失に勘定されない。


 だからわたしは、ちゃんと知りたくて。


 いちばんの疑問に答えられそうな存在は、身のうちにいた。




 邪竜トリシアは意外に慎重で、モモが来てからは筆頭宮廷魔導師ヴァンデルシュナイツ・グローデウロウスのそばでは存在を隠すようになった。


-とりさん


 答えはないかもなと思いつつ、そっと頭のなかで呼び掛ける。


-なに


 答えがあったことにほっとして、問い掛けた。


-ええと、今、どう言う状況……?


 問い掛けに帰って来たのは、呆れたため息だった。


-どこまで覚えているの?


 戦犯を繰り返し過ぎたからか、対応が簡潔になって来ている。


-えっと、あの、子供が、魔力暴走を起こしそうになっていた、よね?


 正直その辺も記憶は曖昧なのだが、たぶんそこまでは確かだと思う。


-そうだね

-そこから記憶がないデス……

-あー……


 そんな呆れた声を出されると不安になるのですが。


-混濁、いや、喪失かな?

-抜けがあるの?

-まあ、万全でない状況で瞬発的にあれだけやれば、ねぇ……


 答える邪竜の声は冷えている。


-わーもモモも、再三、今は本調子じゃない、無理するなって、言ったよね?

-そ、や、無理をした、記憶は

-魔法の無駄打ちはするなとも、言った

-無駄、では

-あそこでなにもせずとも、助けを呼んで待てば良かった。エリが動く必要はなかった。ピアスが奪われても、腕輪は見付かってなかったんだから


 冷えた声で淡々と正論を並べ立てられれば、反論も出来ない。


-実際エリの通信で騎士団はすぐ反応したし、必要であれば蝙蝠を動かすなり、鈴を鳴らすなり、ヴァンデルシュナイツを呼び寄せる方法もあった

-でも、子供が

-そうだね。急いで助ければ精神的にも身体的にも子供の負担を減らせる可能性はあった。でも、救出を焦って先走った結果は?魔力暴走で大惨事。あれじゃ助かったとしても、心的外傷は深刻だ


 ぐっと、唇を噛み締める。


-冷静さを忘れるんじゃないよ。戦いにおいて勝ちを掴みたいなら、常に冷静に多角的な最適解を選び続けるんだ。冷静さを失くしたヤツから、負けて行く。ツェツィーリアを、助けたいんでしょう


 冷たかった声が、温度を取り戻した。


-疲弊しているから、視野が狭まるんだよ。だから休めと言ったのに。ばかな子


 もし、ここが精神世界なら、たぶんとりさんは頭をなでていてくれたのだろうなと思う。この邪竜は手厳しいけれど、身内に甘い。


-子供は?

-無事だよ。怪我ひとつない。自分の防御も忘れて子供の身体に防壁を張った、どこかのおばかのお陰でね。暴走を抑えるためとは言え無理矢理意識を奪ったから、精神面が少し心配だけれど、ブルーノに預けたし宮廷魔術師に保護されるらしいから、適切なカウンセリングは受けられるでしょ


 大仰なため息が、脳内を占拠する。


-スベルグ・アイメルトからのこれ以上の干渉を防ぎつつ子供の暴走を止めて怪我を防ぐために、周囲の壁や天井を崩しての空間隔離と、子供への防壁展開、子供への意識干渉を同時にやったあとに、自分への防壁を張る余裕がなくて大怪我した状態で、崩れた建物にヒトが潰されないように空間を保ったまま風魔法で地下と地上を行き来して子供の救助。失血と魔力消費で倒れて記憶が混濁しても、おかしくないと思うけど?

-それ、わたしの所業?

-どこかのばかの所業。子供の運搬を済ませて、駆け付けたブルーノとノルベルトにある程度事情を説明したところで、異常に気付いたヴァンデルシュナイツが来て、緊張の糸が切れたのか意識を吹っ飛ばして、今


 なるほど。


-丁寧な説明、ありがとう

-ふんっ


 鼻を鳴らして邪竜は吐き捨てる。


-さすがのモモも呆れ返っていたからね。あとでみっちり、叱られると良いよ。生後半年にさ!ばーかばーか!!


 御歳四桁越える可能性もある大長老とは思えない罵倒を投げられつつも、心配されたのだろうと思えば苦笑して受け入れるしかない。


-スベルグ・アイメルトはどうなったの?

-さあ。ヴァンデルシュナイツが捕まえてたからヴァンデルシュナイツに訊きなよ。わーはもう知らない!じゃあね、ばーか!


 ばちん


「った」


 なにをやられたのか、瞬間視界に衝撃を喰らう。たぶん実際には痛みなどないのだろうけれど、なんだか痛かった気がして両手で目を押さえた。


 邪竜が漏れている。間違いない。


 それでも、いや、だからこそ。


 ひとりではないのだと言うことが、この上なくわたしを救っていた。


 がちゃり、と扉の開く音。


「起きたのか」


 掛けられた声に顔を上げた。


「わんちゃん」


 頼れる筆頭宮廷魔導師さまを見上げて、ふと気付く。前後関係は聞けたけれど、今日がいつかはわからないままだ。


「どれくらい、寝ていましたか?わたし」

「三日だ」

「今は何時ですか?」

「昼だな。腹減ってねぇか?なんか持って来るぞ」


 お腹……お腹か。


「あまり」


 空腹は感じない。こんな会話、少し前にもしたなと思って、そう、確かそのときは、


「つっても丸三日食ってねぇからな。なんか食えそうなもん持って来る」


 大きな手が頭をなでて、思わず目を細める。


「ちょっと待ってろ」

「あの」


 そのまま出て行こうとしたわんちゃんに、声を掛ける。


「みんな、無事、ですか?」


 とりさんとの会話で目覚めたつもりだったのに、まだ、思考はぼんやりしていたようだ。

 ふわっとした問い掛けを投げてしまい、自分で、なんだそれ、と思う。


「ああ」


 だと言うのにわんちゃんは、優しく笑って答えてくれた。


「子供も学生も無事だ。子供の心的外傷はすぐ癒えはしねぇだろうが、専門の魔術師を手配させたから、悪いようにはならねぇよ。学生も全員無事帰還してる。お前が捕まってた建物は派手に壊れたが、それで重傷者は出てねぇ。みんな、無事だ」


 曖昧な問いに返された過不足ない答えに、ほっと息を吐く。


「良かった……」

「あとの話はあとな。とにかくなんか腹に入れろ。あー、とりあえずこれだ」


 どこから取り出されたのか渡されたのは温かいマグカップ。中身はアセロラジュースのような澄んだ赤の液体だった。


「それ飲んで待ってろ。食うもん持って来る」


 今度は待たずに立ち去るわんちゃんを見送って、マグカップに口を付ける。


 温かいけれど飲みやすく、ぬるいとは感じない、絶妙な温度。一口飲んだとたん、喉の乾きを思い出す。


「これ……レスベル?」


 レモネードのような酸味と甘味だが、レモンとは異なる味。酸味が強いが、渇いた喉に、すうっと染み渡るような、優しい飲み口だった。


 渇望に急かされるままカップを傾け、気付けば飲み干していた。


「美味しかった」


 ほっこり温まったお腹が、思い出したように空腹を訴え出す。


 くきゅる、と鳴いたお腹を、片手でなでる。さっきまで、本当に空腹感なんてなかったのに。


-気を張ってたんでしょ。無意識に。でも、ここは安全だから


 ぼそ、と与えられた言葉が、胸で解ける。


 ぱたりとまばたきした拍子に、ころりと目から落ちたものが、頬をなでて落下した。


 ああ、そうか。


-帰って、来たのだね

-そうだよ

-そっかぁ……


 ころり、ころりと、まばたきするたびに転がり落ちるものがある。


 頭のなかで響いたため息は、どこか優しさを感じるものだった。


-そうだよ。おかえり、エリアル


 与えられた言葉が響くのは頭のなかだけだったけれど、答えは喉を震わせた。


「ただいま」


 言葉とともに、またお腹が鳴って。


-……お腹空いたの間違いじゃないの?


 呆れを含んだ声に、つい笑ってしまった。




 それからわんちゃんが持って来てくれたのは、なんとお好み焼きだった。しかも、ソースとマヨとかつおぶしのかかった、豚玉の。

 湯気をくゆらせ、芳ばしい匂いをたてている。おそらく焼きたてだ。夏にお好み焼きにはまったらしいわんちゃんは、わたしに作り方を訊いて自分で作るようになった。だから、わんちゃんのためにソースとマヨを作り置きして常備してはあるけれど。

 わたしがいるときはわたしがなにか作るので、ご相伴にあずかったことはない。


「ほら」

「え、あの、自分で食べられ、」

「良いから。ほら」


 一口大に切った上で、ふぅふぅと冷まされたお好み焼きを、口元に差し出されて固まる。


「口開けろ。ほら、早くしねぇと落ちるだろ。あーん」

「あー……ん」


 前世大好きだった声に、あーんと言われて断れるか。

 答えは否である。


 条件反射で口を開け、お好み焼きを差し込まれて、混乱したまま咀嚼する。美味しい。中までしっかり火が通っていて、ふかふかだ。


 じゃ、なくて。


 え……なんでわたし、わんちゃんにお好み焼き食べさせて貰っているの……?


「よく噛めよ。ほら」


 お好み焼きを一口飲み込んだあとは、一緒に持って来たミネストローネスープをお匙ですくって差し出される。


「口開けろ。あーん」

「あ……ん」


 お好み焼きソースとは違った酸味と甘味。よく煮込まれて、具はほとんどとろけていた。


「美味いか?ほら」


 お好み焼きとミネストローネスープを、交互に差し出される。ゆっくり、時間を掛けて。

 そうしてやっと食べ終えれば、新たに温かいマグカップを持たされる。もこもこ泡立つクリーム色。エッグノッグだ。


「春期演習合宿は、行くな」


 そんな優しいものに紛れて投げられた言葉に、マグカップに唇を寄せかけていた動きが止まる。


 止まって、けれど、仕方ないだろうなとも理解出来て。


「……わかりました」


 ほんとうは、行きたいけれど。


 今回や年末は、たまたま運良く巻き込まなかっただけで、例えば夏期演習合宿時のように保護者のいない学外で、ほかの班員もろともに拐われないとも限らない。口封じに、殺されないとも。

 そう考えるなら自分のわがままを通すより、周りの安全を考慮すべきなのだ、わたしは。無理を通して自由を得ている身以上、それが果たすべき義務。


 視線を手元のエッグノッグに落とし、問う。


「街も、極力出歩かない方が、良いですよね」


 泡立った液面に唇を寄せ、ず、とすすった。温かく、甘い。


 ヴィリーくん。ゾフィーさん。ゼルマさん。ニナさん。ナータンさん。リムゼラの街で親しくなったひとたちの顔が、浮かんで来る。

 わたしを国殺しのサヴァンと知りながら、受け入れて、笑顔を向けてくれたひと。まるで家族や仲間の一員として、扱ってくれた、大事なひとたち。


 会えないことは辛いけれど、自分のせいで傷付けたいとは思わない。


 温かいマグカップから立ち上った酒精の香りが、つんと沁みた。


「いや」


 けれどわんちゃんが返した言葉は、予想に反するもので。


「リムゼラの街から出ねぇなら好きすりゃ良い。対策は講じるし、あまりにも隙を見ねぇで、あっちが自棄起こした方が面倒臭ぇからな」

「でも」

「その代わり、なんか異変感じたらすぐ教えろ。撒き餌だ、撒き餌。潜まれてるより動かれた方が捕まえやすい」


 両手でぐしゃぐしゃと、髪を掻き混ぜられる。


「お前と関わりが深い平民には、常に監視を置いとくようにするし、リムゼラの騎士は増員予定だ。四月から滞在する王族も増えるらしいから、警備強化はおかしくねぇよ」


 ああ、そうか。


「わたしが」


 迂闊に、関わってしまったせいで。


「止めなかったのは俺だ」

「でも」

「お前の安全性を示すのに、有効だと思った」


 わんちゃんの暗い銀の瞳が、わたしを見据えていた。


「事実期待以上の効果があった。リムゼラの街の人間も学院の人間も、お前を、エリアル・サヴァンを慕っている。恐怖の感情は、ない」

「それはそうでしょう。サヴァンは、」

「わかってる。それで街の人間が何人、サヴァンを狙う輩に脅かされようと、害したのはサヴァンではなく別の人間。同情こそ集まれ、お前に悪感情は抱かれねぇ。平民にも分け隔てなく接する心優しい貴族の娘が、娘を利用しようとする悪人に狙われているんだからな」


 それは、


「そうだよ」


 わんちゃんが、両の口端を引き上げる。


「こうなるとわかっていて、俺はお前をクルタスに行かせたし、お前が自由に街へ出ることを許した。クルタスへの侵入は難しく、リムゼラなら王都と違って、お前以外の貴族が被害に遭う可能性も低い」


 だからわたしは悪くないと?だから自分を責めれば良いと?


 ああ。このひとは。なんて。


 ほた、た、と、マグカップを持つ手に、滴が落ちた。


 わたしが悪い。わたしが、悪いのだ。


 分不相応に普通の生活を夢想して、雰囲気だけでも味わいたくて、浅慮にも、罪もしがらみもない平民を巻き込んだ。わたしが仲良しごっこを望んだせいで、優しいひとびとを、危険にさらしている。


 馬鹿だ。わたしが、馬鹿だった。


 それなのに目の前の筆頭宮廷魔導師は、わたしではなく自分が悪いと言うのだ。


「おい」


 髪に触れていた手が、目許に触れる。


「黙って泣くな。吐き出すなら全部出せ」


 目を閉じて、首を振る。頬を涙が伝う感触。


 泣く権利なんて、わたしにはないのに。


 今回、子供が傷付いた。罪のない子供だ。もちろん、自分のためだけに子供への刷り込みが行われたとは思わない。けれど、あそこで刷り込みを利用させたのはわたしだ。


 同じことが、リムゼラの街のひとびとで起こらないとは言えない。

 エリアル・サヴァンは金を生むガチョウ、金のなる木。

 自らの欲のために人間がどこまで残酷になれるのか、わたしは知っているのに。


「泣いていません」

「泣いてるだろ」

「泣いていません」


 ぎゅ、と強く目を閉じる。これ以上、なにもこぼさず済むように。


「馬鹿。そんなにきつくつむったら目を痛める。わかったから、目ぇ開けろ」

「泣いていません」

「だから、わかったって」


 手元からカップが奪われ、代わりに骨張った腕に囚われる。ふわりと、甘く、香が薫った。


「あー……あのなぁ?」


 骨ばかりの大きな手が、ぽんぽんと背中を叩く。


「後悔したってやっちまったもんはどうしようもなんねぇんだから、しょうがないだろぉが。もう済んだことは、誰にだってどうにも出来ねぇ。なら、その過去の上でこれからどうするか考えろよ」


 ぽん、ぽんと、年端も行かない子供のようにあやされる。生まれて、出会ってから、何度もされて来たように。


 思えば、こうして叩いてあやしてくれたのなんて、今世ではわんちゃんとモモくらいのものだ。


「まだ、リムゼラの人間は誰も傷付けられてねぇだろうが。なら、これから傷付けられねぇようにすりゃ良い」

「どうやって?」


 エリアル・サヴァンに対する人質になり得ると知られた人間を、どうやって守る?


「お前は、カミーユ・セザール・サヴァンの孫だ」


 触れているから、声の振動が、直接身体に響く。


「大切なものと引き替えに、国ひとつ滅ぼせる血筋だろ」


 お前を本気で欲しがるやつほど、それは理解してるはずだ。


 わんちゃんの体温は決して高くはないけれど、それでも、触れれば温かくて。


「人質なんてすれば殺されかねねぇと、思わせれりゃ良い」

「でも」

「理性で殺さねぇようにしてたって、理性が吹っ飛べばどうなるかなんてわからねぇだろ。実際、カミーユが自らひとを殺したのなんて、あとにも先にもあれっきりだ。普段殺さねぇ聖人君子だって、怒髪天を突けば鬼になり得んだよ」


 ……ラドゥニアからは、ツェツィーリア宛の求婚も届いてる。


 ぼそっと付け足された言葉は、さすがはラドゥニアと思わせるもの。


「つまり」


 今日は伸びっぱなしでモフモフと背中を覆っているわんちゃんの髪に顔を埋めて、息を吸い込む。肺いっぱいに、香の薫りが満ちた。


「傷付けたらやばいと感じるほど親しいと思わせられれば、少なくとも殺される可能性は減らせると」

「殺さなくてもやばいだろ。傷付けたって、本人の意思を踏みにじったって怒るときゃ怒るし、お前はサヴァンなんだから、洗脳でもしようもんなら、逆鱗でおかしくねぇ。よほどの馬鹿でねぇなら、サヴァンの友に手を出しゃしねぇよ。王だろうが国だろうが関係ねぇことは、カミーユが示して見せたんだからな」


 わんちゃんが深々とため息を吐くのに合わせて、肺が萎むのがわかった。


「だからお前は、今まで通り振る舞ってりゃ良い。そうすりゃ察しの良いやつらは勝手に忖度するし、察しの悪ぃ馬鹿なんざなんかする前にこっちで潰せる」

「わんちゃん……」


 うりうりと髪越しの肩に頭を懐かせながらこぼす。


「わたしに、甘過ぎますよ……」

「お前が、自分に厳し過ぎるんだ馬鹿」


 背を叩いていた手が、とすん、と頭を叩く。


「今回の誘拐だが」


 そのままわたしの頭に手を乗せて、わんちゃんが言う。


「黒幕は、すでに死んでいた。表向きは」

「表向き、ですか?」

「ラドゥニア皇帝の狂信者だったんだよ。皇帝の逆鱗に触れて、捕まって死罪、表向きは」


 ラドゥニア皇帝には、狂信者がいるのか。へぇー。


「なぜ、ラドゥニア皇帝の狂信者がわたしを?」

「お前を欲しがってるからだな、ラドゥニア皇帝が」

「そうなのですか?」


 思わずわんちゃんの肩から顔を上げ、至近距離で顔を見合わせる。


 祖父がラドゥニア皇帝と親しかったと言う話は知っているが、もう祖父の頃の皇帝とは代替わりしているし、わたしに執着するとしたら、やはり戦力的な価値だろうか。


 いや、待って。わんちゃんはさっき、ツェツィーリア宛の求婚も、と言ったか。『も』はどこに掛かる?もしや、


「わたし宛にも、求婚が届いているのですか?ラドゥニアから?」

「皇太子の側室に、と」

「よりによって皇太子……いや、側室ならまだ……?いや、うーん……やっぱり駄目だと思うのだけれど……」


 ただでさえ他国の弱小子爵家の娘、その上国殺しだ。


「家の方には伝わってるはずだが……いや、お前にまでは伝わらないか」

「そうですね。聞いていません」


 ほぼほぼ家に帰っていないからなぁ……帰ったとしても、イェレミアス兄さまと話すくらいだし。


「……行きたいか?ラドゥニア」

「国が許可しないでしょう」


 行きたいか行きたくないかで言うなら行きたい。移住ではなく旅行としてだが。けれど、それが許されないのはわかっている。


「許されるならラドゥニアにもエスパルミナにも行ってみたいし、海を越えて、極東の国にも行ってみたいです」


 前世、海外旅行には行けなかった。国内ですら、行きたくても行けない場所があった。それは、仕方のないことだったけれど。


「ですがわたしは、エリアル・サヴァンなので」


 国防の要にして急所である、国殺しのサヴァンなので。だから、窮地に筆頭宮廷魔導師さまが駆け付けてくれて、こうして甘やかしてくれるので。


「良いのです。行けなくて。ツェリとわんちゃんが、そばにいてくれるなら」


 そう、一方的に告げて、これ以上この話が続かないよう、わたしは話題を戻した。


「それで、表向きの死罪、と言うのは?」


 顔を見合わせるわんちゃんはあからさまに顔を歪めて見せたが、気にせず微笑んで答えを待つ。先の話は終わりだ。わたしは今回の件の詳細が知りたい。


 しばしの無言の攻防のあと、舌打ちと共にわんちゃんは口を開いた。


「言ったろ。皇帝の逆鱗に触れたって。今回の件、お前をとんでもない手段で拐おうとしたことに、ラドゥニアの皇帝は激怒してんだよ。カミーユに生き写しの孫を、損ねかけたってな。勝手な思い込みで自分の宝を傷付けようとした馬鹿を、あの国の皇帝が死ぬくらいで許すはずがねぇ。死罪は表向きで、おそらく、あの件の首謀者は今もどこかで拷問を受けてる」

「それ、は」


 上げた顔をうつむけて、唇を噛む。


 やられたことは、許せることではない。たまたま、運良く、死人が出なかっただけで、魔力の暴走で周囲も本人も命を落とす可能性は、十二分にあったのだ。

 だから、許せることではない。けれど、死人が出ていないのは、本当で。


 ならば平穏な方法で罪を償って欲しいと思うのは、傲慢なのだろうか。


「さすがにあの皇帝の監視下から、罪人を奪うわけには行かねぇ。そのために、もういないことにされているんだしな」

「スベルグ・アイメルトは」

「ラドゥニアに連れ去られる危険性があったから、捕らえてある。吐かせるためにまぁ多少やったが、生きてる」


 ……良い子だから、多少なにをやったのかは、聞かないでおくね!


「黒幕がどうあれ、実際に動いたのはスベルグ・アイメルトだ。この国の法で裁いて、償わせる。手始めは、私財の差し押さえだな。すべての被害者に賠償を」

「彼は、なぜあんなことを?」

「元々、ラドゥニア寄りの人間だったらしい。成功すればラドゥニアで地位を得られると、そそのかされたみてぇだな」

「そんなことで、釣られるような人間とは思えませんでしたが」


 そう見えたのか?わんちゃんに問われて頷く。直情型のノルベルト・カーラーと違って、厄介な人種だと。


 ああでも、人望で言うなら、


「スベルグ・アイメルトは実力があって座頭の地位こそ得ているが、人望ではノルベルト・カーラーやジャック・フリージンガーに及ばなかった。それが、不満だったんだろうな。ノルベルト・カーラーを倒し、ジャック・フリージンガーが守る存在を奪い取って、優位を示したかったと」

「……子供の喧嘩では、ないのですから」


 わんちゃんの肩に額を置いて、瞳を閉じる。


 大人なんて育っただけの子供と言ってしまえば、それまでなのかもしれないけれど。


「……スベルグ・アイメルトの、家族は?」


 名乗り合いはしなかった。けれど、あの少年は、おそらく。


「自治座で身柄は確保してあったから、国で預かった。と言っても、末の息子が生まれたときに妻は亡くしていて、末息子以外は独り立ちしているから、家族と言っても末息子だけだが」

「……奥さまは、出産で?」

「詳しいことは知らねぇが、おそらくな。家族以外の共謀者も捕らえてルシフル騎士団が身柄を押さえている」


 生まれながらに絶対的な肯定者をひとり喪う気持ちを、わたしは想像出来ない。あの少年の支柱は、父親だけだったのかもしれない。


 けれど。


「下手に釈放すれば、ラドゥニアに捕らわれる可能性がある。……自業自得ではあるが、もう自由は望めないだろうな」


 どんな理由があれ、取り返せない過ちは存在する。


「わたしの……せいで……」




 呟かれた声に、ヴァンデルシュナイツは視線を落とした。肩に顔を伏せた少女の、表情は伺えない。


「お前のせいじゃねぇよ。なにも」

「…………そうですね」


 ぽとりと呟かれた言葉は、まるでなにもかも諦めてしまったかのような響きを含んでいて。


「おい」


 問い掛ける前に、少女は幻のようにするりと、ヴァンデルシュナイツの腕から脱け出した。


「すみません」


 こちらを向いて微笑んだ顔には、疲労が見えた。


「少し、疲れてしまって」


 それはそうだろう。この少女は、死にかけて、眠り続けて、やっと起きたところだったと言うのにまた無理をして倒れて、やっと起きられたところだ。

 三日眠ったからと言って、いや、三日眠り続けたからこそ、体力は落ちきっているだろう。


 食事を胃に納めたならば、眠った方が良い。


「ああ。無理すんな」


 ヴァンデルシュナイツは頷いて、少女の手に飲みかけだったマグカップを持たせた。


「それだけ飲んで、寝ちまえ。授業開始まで数日はある。休んだって問題ねぇだろ」

「ありがとうございます」


 白い肌に生える真っ赤な唇が、マグカップに触れる。

 その様子を眺めながら、寝台の脇に水差しとカップを用意する。


「水、置いとくから喉乾いたら飲めよ」

「はい」


 飲み終えたマグカップを受け取り、置いた水差しから水を注いで飲む少女に声を掛けた。


「隣にいるから、なんかあったら呼べ」

「ありがとうございます」

「おやすみ」

「おやすみなさい」


 控えめに注がれた水を飲み干すと、少女は寝台に横たわった。食事だけで、やっと回復した体力を持って行かれたのだろう。


 限界を示すように閉じられたまぶたに眉を寄せ、ヴァンデルシュナイツはそっと少女に布団を掛け直す。


 この娘は、普段であれば昼日中ひるひなかにこうもすんなり寝ない。一度眠らせてしまえばこんこんと眠り続けるが、だからこそ、眠りたがらないのだ。いつもならばなだめすかして無理矢理眠らせるのに、今日は自分からあっさり目を閉じた。


 夏頃から、だろうか。


 どうにも、不安定に感じる。


 たちまちに寝息を立て始めた少女の、痩せた頬をそっとなでる。


 過去のとがを、因果を、罪なく背負わされてしまった、哀れな、


 ぱしりと、少女に触れていた手が、弾かれた。


 はっと顔を見れば、漆黒の瞳がぱちりと開き、虚空を見据えていた。


「エリアル……?」

「きみに哀れむ権利はない」


 エリアルらしくない、否、エリアルがヴァンデルシュナイツに向ける表情らしくない表情にヴァンデルシュナイツが目をまたたく間に、少女は感情のこもらない口調できっぱり告げた。


 まさか、と言う思いを込めて、ヴァンデルシュナイツはその名を呼ぶ。


「トリシア……?」

「きみに、呼び捨てにされる謂れはないんだけど?若造」

「封印は」

「そんな顔しなくてもこの身体からは出られないし、力も使えない。エリに、危害を加えるつもりもない。信じる信じないは勝手だけどね」


 起き上がりはせず、ヴァンデルシュナイツと視線を合わせることもなく、少女はただ天井を眺めて、唇を動かしていた。


「わーもエリも、哀れみなんて求めてないし、加害者の分際で哀れもうだなんて片腹痛いね。わーとエリを、哀れな蜥蜴トカゲちゃんとでも思ってるの?」


 すう、と冷たく、少女の目が細まった。


「確かに、わーは無力だ。この封印から、抜け出るすべもない。囚われたまま、いずれ寿命が尽きて死ぬのかもしれない。現状を理不尽だと思っているし、こんな目に遭わせられていることに憤りも覚えている。でもね」


 こちらを向かないまま、漆黒の瞳に、ぎ、と力がこもった。


「それで自分を哀れと思ったことは一度もない。だから、きみに哀れむ権利を与えるつもりはさらさらない。わーを、エリを、愚弄するな」


 投げられた声は聞き慣れたエリアルのもので、女声にしては多少低くはあれど若く澄んだものだ。だと言うのに、その声は、ヴァンデルシュナイツの背筋をぞくりと凍らせた。


 邪竜トリシア。本来であればこんな風に捕らえるなど許されない、高みの存在。

 その誇り高き竜の威圧を、眼前に叩き付けられた。


 思わず、じり、と後退ったのに気付いたか、少女の唇にかすかだが笑みが乗る。


「本来、ヒトの身体に竜なんて納められるはずがないんだよ。それが可能になっている意味を考えるべきだね、若造」

「……受け入れている、と?」

「まさか」


 鼻で笑って、少女は目を閉じる。


「まあ、封印が解けたところで、エリは殺さないさ。それ以外のことは知らないけどね。お喋りはここまでだ。わーはもう休む。この身体には、休息が必要なんだ」


 さっさと消えな。若造。


 触れることは許さない。そんな意思を感じる言葉を投げられて、ヴァンデルシュナイツは息を吐いた。


「おやすみ」


 エリアルはともかくこの邪竜は、ヴァンデルシュナイツが去らねば眠らないだろう。


 理解して、部屋から立ち去る。


 邪竜は一度も、手足を動かさなかった。それは、動かせなかったからなのか、動かさなかっただけのか。


「加害者、か」


 サヴァンの血を引く少女は表面上、ヴァンデルシュナイツに懐いているように見える。


 しかしそれは、事実なのか、装っているだけなのか。


 カミーユも、トリシアも。ヴァンデルシュナイツが、檻から出すことはなかった。

 そして今も、エリアル・サヴァンを首輪に繋いでいる。


 椅子に腰掛けたヴァンデルシュナイツは、唇に苦い笑みを乗せた。


「お前もきっと、そう言うんだろうな、ブランカ」


 落とされた言葉は誰の耳に入ることもなく、床へとこぼれて消えた。

 

 

 

拙いお話をお読み頂きありがとうございます


本当は……7月中に上げたかったのですが……

筆が遅くて……悔しいです……


お好み焼きとミネストローネスープとエッグノッグって

凄まじい食べ合わせだなと今さら気付きました……わんちゃん……


このお話一話で作者が予期していなかった展開が三つもあります

やったね!

どうしてこうなった……?


続きも読んで頂けると嬉しいです

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 更新ありがとうございます。 年齢が上がるにつれ、エリアルさんの行動が猪突猛進になってきている様に感じます。 ツェリさんと出会った頃のほうが、理知的で計算高く周到に動いていたような感じがします…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ