取り巻きCと牡丹百合 むいかめ そのに
取り巻きC・エリアル視点/三人称視点
エリアル高等部1年の年始
前話続きかつ出血を伴う怪我描写がございますのでご注意下さい
「まぁ、ワナデスヨネー」
後ろ手に拘束された状態で、乾いた声を漏らす。枷は魔法封じ。脚もまとめて繋がれ、後ろ手で柱を抱かされた状態で拘束されれば、ろくな身動きも出来ない。
「四日振り?ですね、こんにちは」
「……ふぇぇ……」
同じく縛られた幼女が、しくしくと泣き出す。
いたいけな幼女を縛るとは、なんて不届きな。
「大丈夫ですから、わたしのそばへ。あなたは必ず、守りますから」
女の子の髪色は赤銅で、薄暗い中のその赤みは、ツェリを思い起こさせる。泣かれると、弱い。
泣きたくなる気持ちは、とてもよくわかるのだけれど。
それでも少しでも安心させようと、柔らかい笑みと落ち着いた声を心掛ける。
「ええと、たしか……ミラ、さん、でしたよね?大丈夫、あなたには傷ひとつ、付けさせませんから。おいで、手の届くところへ」
名を呼んで招けば、しくしくと泣きながらも触れる位置まで来てくれる。警戒されていないのはせめてもの幸いだった。彼女のなかでわたしは、怪我の手当てをしてくれた親切なお兄さんだ。
「良い子ですね。良いですか?わたしが良いと言うまで、離れてはいけませんよ」
ぐすぐすと鼻をすすりながら頷く健気な幼女の頭を、なでてあげられないのがもどかしい。
さて、どうしようか。
策もなく反射的に駆け付けた先で、子供を盾に抵抗を封じられ、馬車に押し込まれた。
盾にされた子供は今隣にいるミラのほかに、男の子がふたり。ひとりはミラと同じくらいの幼児で、ひとりは昨日怪我を診た少年だった。共に在れば逃げかねないと判断されたか、ここにはいない。
ため息を吐きたくてしょうがないが、ミラの手前こらえる。
首輪はそのまま、ピアスは盗られた。腕輪には、気付かれていない。
この程度の枷なら簡単に外せるし、魔法封じも解除済みだ。見えていないが蝙蝠くんの気配もあるし、正直ちっとも詰んでいない。
詰んでいないから、どうしようかと、迷う。
誘拐を企てたのが誰か知らないが、いや、予測はついているが、目的がわからない。
こんな無謀をやらかして、意味はあるのか?
「おに、さん、ひぐ、おにい、さん」
思考の合間に呼ばれて、視線を落とす。
「はい」
「ごめ、な、さ……ぐすっ」
ミラから謝罪を受けて、首を傾げる。
「あなたが謝る必要はありませんよ、わたしは騎士ですから、国民を守るのは、」
「ちがっ、のぉ……」
「違う?」
疑問の答えは、別方向から来た。
「心配しなくても殺しはしません」
開いた扉から投げられた、予想より高い声。
「あなたは」
「昨日も思いましたが、本当に甘いですね。平民を盾に取られて、自分が捕まるとは」
幼い声に似合わぬ、大人びた口調。昨日手当てし、今日共に捕まったはずの少年が、拘束もされずに立っていた。
「……なるほど」
彼はそちら側だった、と言うわけだ。そして、ミラとも面識があると。
「自分の事情にか弱い女性を巻き込むのは、感心しませんよ?」
「……ウシが騒いでも、痛くも痒くもない、と?」
お互いの会話は、ドッジボールの様相を示していた。
「もうひとりの子は?」
「別の場所に捕らえてあります。ミラ、きみが要求を飲むならきみだけは逃がしますよ」
「ふっぅう……やだ、もん……」
ふむ。彼はミラに対して、なにかしら要求をしていると言うことか。
「女の子にお願いする態度がなっていませんね。それではモテませんよ」
「欲しいものは力尽くでが、この街の信条です。あの、ジャック・フリージンガーですら、それは破れなかった」
その通りだ。だからフリージンガー団長はこの街の正攻法で望みを通したし、わたしもそれに則った。結果が現状だが。
「ミラ、大丈夫です」
扉の彼よりわたしの方が安全との判断か、わたしにすり寄って泣くミラに微笑み掛ける。
「あなたのお兄さんが、きっと助けに来てくれます」
「イクサにはなにも出来ませんよ」
ふぅん?
「少なくともそこから近付けないあなたより、イクサさんの方がなにかは出来ると思いますけど?」
なにせ彼は、真っ向からフリージンガー団長に反論して見せた。
わたしが妹に危害を加えようものなら、ポケットのナイフで突き刺してやると言う覚悟があった。
だが扉の彼はどうだろう?
要求を通すために捕まえたのは彼ではなく大人。拘束されたわたしに近付けもしない。
捕まって泣きながらも否やを言えるミラの方が、気概があるくらいではないだろうか。
「動けないくせに、偉そうですね」
「(にこ)」
同じ敬語野郎ならまだラース・キューバーの方が手応えがある。と言うか、うん、あれは魔法一家でわたしをサヴァンと理解しながら胸ぐら掴んで来るからね。こんな弱虫ボクチャンと比べては失礼だ。
と言うわけで、睨み合いなら負けないが?と言う気持ちを込めて余裕の微笑みを向けていれば、舌打ちした少年は立ち去った。
もうちょっと情報を落とさせても良かったが、まぁ、彼では無理か。器不足だ。主犯でも、ないのだろうし。
「ミラは、なにを要求されているのですか?」
「……けっこん」
「あらまぁ」
アグレッシブな求婚もあったものだ。
あの少年はそこそこ裕福な家の子だろうし、ミラもそうなのだろう。それにしたって、無理矢理はどうかと思、
「……本当に来ると思わなかった」
呟きつつも、音を殺して窓を開け、ついでにミラの拘束も解く。
「ふぇ?」
「……どうやって開けたんですか」
音もなく降り立った少年が、犯人はお前だろうと言いたげな呆れ顔を向けて来る。
「おにいちゃん」
「ミラ、怪我は?」
「ない」
立ち上がったミラが飛び付くのを、危なげなく少年が受け止める。
「マリウスは?」
「わからない」
「わたしへの脅し用に、別の場所へ」
難しい顔になった少年に、笑みを向ける。
「その、マリウスさんはわたしがどうにかしますから、イクサさんはミラさんを安全な場所に」
「あなたは?大丈夫だとは思いますけど」
「お察しの通り大丈夫です。窓から出してあげますから、誰か来ないうちに」
「……助けは、呼んでおきます」
なにか色々諦めた様子で、少年、イクサがミラを背負う。
「掴まってろよ」
「おにいさんは?」
「大丈夫ですよ。マリウスさんも、わたしに任せて下さい」
「ありがとうございます。お願いします。ミラ」
「ありがとうございます」
「気を付けて」
挨拶を交わしてから、そっと窓へとふたりを押し上げる。地に着くまでの防護と、気休め程度の認識阻害も。気配が十分に離れたことを確認して、扉を閉めた。
あの大きさの窓から出入り出来るのは、子供の特権だな……。
さて、どうしようか。
懸念材料がひとつ減ったところで、思考を戻す。
相手の目的と、マリウス少年の所在がわからないのが問題だ。
ひとりなのを良いことに、気兼ねなくため息を吐いてから目を閉じる。意識を集中して、音魔法を建物全体に張り巡らせた。
三階建ての建物。地下がある。今いるのは、三階中央の部屋。……イクサ、三階分登ったのか、末恐ろしいな。ヒトの気配は、二階、一階、地下……子供は地下に、数人?
「ひとりじゃないのか」
仲間とは、考えにくい。なにせ、鉄格子の中だ。どうやらわたしとミラは、特別待遇を受けていたらしい。
どちらにせよ、外に運ばれたのでなければ、マリウス少年は地下だ。
助けに行くか、行かないか。
もう一度ため息を吐いて、腕に唇を寄せた。
─るーちゃん
─エリアル!?今どこに、
─砦から速足の馬車で東に10分、東北東に4分、南に1分、東に2分です。横15間、奥行き5間ほどの、三階建ての建物。地下に囚われたと見える複数人の子供。これより、救助に向かいます
─は?ちょ、待っ、
返事は聞かずに、通信を叩き切った。
単騎?不調?知ったことか。
子供が檻に囚われている。
無茶する理由なんて、それで十分だ。
─ばかな子
邪竜の呟きは、聞こえなかったことにした。
出会い頭に道行く人を昏倒させつつ地下へ向かう。
辿り着いた地下牢の中を見て、思い切り顔をしかめた。
全員、魔法封じを掛けられている。
殺気を漏らさないよう意識して、鍵も使わず牢の錠を開けた。
「そんなことも、出来るのですね」
牢の扉は開けぬまま、掛けられた声に振り向く。予想通りの顔が、そこにあった。
「……」
「そこそこ質の良い魔法封じを使ったのですが、さすがは国殺しと言ったところでしょうか」
息を吐いて、扉に向き直る。
牢の鉄格子を開けて、目当ての子を見付けた。
「お待たせして申し訳ありません、マリウスさん。助けに来ました。帰りましょう」
手を伸ばし、枷を解く。造作もない。
「ほかの子も、おいで」
怯える子を怖がらせないよう膝を突き、ひとつひとつ、枷を解いて行く。
「大事な商材に、手を出さないで貰いたいものですが」
「開化したての魔法持ちに魔法封じを掛けておきながら、大事とは笑わせますね」
下は四、五歳から上は十歳前後までの子供が、十数人ほど。共通項は、魔法を持っていること。
その意味に、反吐が出る。
人身売買は、法により禁止されていたはずだが。
「暴走を防ぐためですよ。なかなか、強い適性持ちもいますから」
「ならば専門の機関に任せれば良い話。幼い子にこんな枷を着ければ、歪んでしまいます」
全員の枷を外して立ち上がれば、振り向いた先のスベルグ・アイメルトは嫌な笑みを浮かべていた。
「あなたが、それを言いますか?」
自分の首元を指差して見せたスベルグ・アイメルトは、わたしの身の上など調べ尽くしているのだろう。でなければ、ピアスと共に首輪も外しているはずだ。
「宮廷に実力を認められた魔法の使い手と、あなたを一緒にしないで欲しいものですね」
首輪は守護であり、枷ではない。ツェリですら魔法封じなどせず普通に日常生活を送れた。ここにいる子供たちが、出来ないはずはない。
己が身に余る力など、そう簡単に持てはしないのだ。
「それはそれは。失礼しました。しかし、噂通りですね」
スベルグ・アイメルトが、すらりと腰からなにかを引き抜く。剣ではない。あれは、馬上鞭か。
ひ、と背後で、息を飲む気配がした。
「子供が虐げられていれば見捨てられない。お優しいことです。さすがは公爵令嬢」
「……サヴァンは子爵家ですよ」
「ええ。ええ。バルキアは愚かです。サヴァンに与える地位が、子爵とは、見る目のない」
後ろは、なんだ。
警戒を強めて、スベルグ・アイメルトを見据える。
「ああ。見れば見るほど美しい。さすがは、皇帝の愛した神の子の生き写しですか。その漆黒の髪ひと房に、いくら払う者がいるか」
「……」
「ああご心配なく。髪のひと房も損なうことなくとのご用命です。ご用命ですが、まあ、傷は治りますし髪も伸びますから、多少手荒でも問題ありませんね」
ビシィ、と、スベルグ・アイメルトの振った鞭が、空気を、
─エリ、子供だ!
揺らす。
「「「─────!」」」
絶叫。
「っ、魔力暴走を、」
スベルグ・アイメルトに意識を向けていたがために、反応が遅れる。振り向いた先で、子供が、
ちりん
─眠れ。可愛い子
自分の意思に反して迸った魔法が、天井を崩し、壁を崩し、スベルグ・アイメルトとわたしたちの間に強固な壁を生み出す。
その、崩壊を最後に、意識が途切れた。
その轟音は、エリアルの指示に従い駆け付ける最中に響き渡った。
建物ひとつ、まるごと崩れ去るような破壊音。
「なにが……?」
訝しげに呟く第一中隊長の横で御者台に揺られていたブルーノの目が、向かう先で立ち昇る砂埃を捕らえる。
「エリアル」
瞬間移動の出来ぬ自分がもどかしい。気持ちははやれど、ただ馬を走らせるしか出来なかった。
それでも、治癒要因として同行出来たブルーノは恵まれていた。
生徒が連れ去られたなか、ほかの学院生はみな安全な砦内で待機だ。数日とは言え訓練を共にした第一中隊長から足手まといだと告げられれば、否やも言えない。
叫び出したいほどの焦燥を抱えてブルーノが辿り着いたのは、崩壊したルシフル領自治座の建物だった。辛うじて開いた入り口から這いずるように怪我人が逃げ出して来る。
「これは……」
「街の出来事に、なんで騎士団が出張ってくる?」
「こんな大勢で、まさかこれは騎士団の仕業か?」
「約定を果たす代わりに不干渉、その約束だろう」
驚く騎士団員に気付き、野次馬が不穏な発言を始める。
「ちげぇよ」
否定の声は、騎士団からではなかった。
「ノルベルト」
「カーラーさん、中にまだ座頭が」
「今回のこれは、その座頭の仕業だ」
「なんだって?」
ざわめく周囲にノルベルトは告げる。
「うちのミラがスベルグに拐われた。幸いイクサが助け出したが、そのとき手助けしてくれたらしい騎士団在留中の学生がまだ囚われたままでな、その学生には先日もミラの怪我の治療をして貰った恩があるってんで助けに来たんだが、必要なかったかもな」
「ミラが座頭に?」
「ああ。マリウスも一緒に拐われて、まだこの中だ。その学生がマリウスを助けてくれるって言ってたらしいから、この様はスベルグがなんかやって、学生の逆鱗に触れたんだろうよ」
周囲を見渡して、ノルベルトは片目をすがめた。
「なにせその学生、あの国殺しだって話だからな」
国殺しの名に辺りがざわめく。そんな人波を縫って、ブルーノはノルベルトに声を掛けた。
「エリアルは、建物のどこに」
「捕らえられていたのは三階って話だが、マリウスを助けるために移動したんじゃないか?」
「地下の子供を助けると……っ」
顔を歪めて倒壊した建物を見る。地下は瓦礫の下だ。
「……今はまだ崩れちゃいても建物の形してるが、いつ崩れるとも知れねぇな。まずは、上をどうにか、」
ガンっ
ノルベルトの言葉を遮って、破壊音が響いた。
建物下方の壁が、中からの衝撃を受けて吹っ飛んだ。
野次馬から、悲鳴が上がる。
しかしその直後、壁に空いた穴から現れたものを見た人々の悲鳴と混乱は、その比ではなかった。
顔に恐怖を張り付けた野次馬たちが、蜘蛛の子を散らす勢いで逃げ去る。
土埃にまみれてもなお美しい漆黒の髪。日差しの中でなお暗い黒曜の瞳。抱えていた血まみれの子供たちを建物から少し離れた位置に降ろしてまた建物内に戻ろうとした人影に、ブルーノは慌てて駆け寄った。
「エリアル」
野次馬と逆行するのは難しく、呼び声も虚しくエリアルは壁向こうに消える。
それでもと壁の穴に近付けば、すぐまた子供を抱えたエリアルが現れる。
「中にまだ、子供がいるので」
声を掛ける前に、言って子供を受け渡された。血の臭い。
「身体の怪我は、ないと思いますが、」
告げるだけ告げて、止める間もなく壁向こうへ消えてしまう。
その片手は、真っ赤に染まっていた。
恐らく、夏の演習合宿でもやっていた音の壁なのだろう。不自然にそこだけぽっかりと空いた空間の向こう、地下には血飛沫の飛んだ壁や床に囲まれて、子供が数人倒れていた。エリアルがそれを抱き上げ、空を蹴って上がって来る。
とりあえずは子供優先かと、ブルーノは血まみれの子供を診る。不自然に服が切れたり血に濡れていたりはするが、外傷は見当たらなかった。意識はないが、打撲等もしていない。
「マリウス」
エリアルが抱いて出て来た子のひとりを見て、近付いて来ていたノルベルトが声を上げる。
そんなノルベルトへ、エリアルはマリウスと呼ばれた子を差し出した。
「……申し訳ありません」
呟いて、また壁の先へ向かう。魔法で運ぶことも出来ただろうに、エリアルはすべての子供を、その腕に抱き上げて運んだ。
運び終えてから、ノルベルトと第一中隊長を見上げて言う。
「魔法開花した子を狙った、人身売買及び誘拐監禁です。外傷は、今はありませんが、鞭打ちによる心的外傷がひどい子が数名います。恐怖で、魔力暴走を起こす恐れが」
「鞭打ち、子供に?」
鬼のような形相で聞き返すノルベルトへ、怯む様子もなくエリアルは頷いて返す。
「鞭の音への恐怖で魔法を暴走させます。鎌鼬と水の刃、土塊ですね」
よく見ればエリアルの髪は一部裁ち切られたように不揃いな箇所があり、頬や服には土埃だけとは思えぬ土汚れや、切り裂かれた痕があった。
なぜ、魔力暴走の引き金を知っているのかなんて、訊くまでもなく明らかだった。
疑問があるとすれば、誰ひとり怪我をしていな、
「エリアル、腕」
「少し、切ってしまって」
野外作業だからとジャケットを脱いでいたエリアルの格好は、真っ黒なドレスシャツ。ゆえに目立たず、気付かなかった。その袖が濡れていることに、服が吸いきれずこぼれた一滴が、ぽたりと地に落ちるまで。
はっとして全身を確認すれば、歩いた足跡も赤く汚れていた
「脚も!どうしてすぐに言わないの!?」
ブルーノが叱責しながら傷を治せば、エリアルは困ったように謝罪を口にした。血で染まった片手で気付かなかった自分の不甲斐なさに、ブルーノは歯噛みする。
触れた袖も裾も、じっとりと重く濡れていた。子供の服に付いた血も、壁や床の血飛沫も、この血が出所と納得出来るほどに。
どれだけ、血を流したのか。そんな腕や脚で、子供を抱え運んだのか。
言いたい言葉が多過ぎて、誰の喉にも言葉が詰まって結果無言となった。
「子供に怪我は、ありません、から」
「そうじゃねぇだろ」
顔に笑みを乗せてのたまうさまに、ノルベルトさえ呆れた顔でエリアルを見下ろした。
「お前、もう少し自分を大切にしろよ」
手を伸ばし、がしがしと土埃で汚れた髪をかき混ぜる。
「んで、スベルグはどうした」
「さあ」
「さあって」
「子供たちを隔離するために天井と壁を崩してしまったので、その先のことは。潰さないよう配慮はしましたから、一応今のところ死者はいないと思いますが」
首を傾げるエリアルの言葉を、すでに逃げ去った野次馬が聞かなかったのは幸運だろう。お陰で恐怖の上乗せされる瞬間の、被害者にならずに済んだ。
「そんなことまで、出来るのか」
「……わたしを誰だとお思いですか?」
首を傾げて微笑んで見せるその顔はしかし、常にも増して白かった。流した血の量を思えば当然だろう。
「その辺りは騎士団と自治座でどうにかするから、と言っても今回はその自治座頭が問題を起こしてるんだが、そこも含めてあとは騎士団で預かるから、サヴァンとブルーノ、それと保護した子供はいったん、砦へ戻れ」
エリアルの顔色を見かねた第一中隊長が言う。
「ありがとうございます」
自分の体調は理解しているのか第一中隊長に礼を述べ、
「スベルグ・アイメルトは、他国からの指示を受けている様子でした。……エリアル・サヴァンを、手に入れろと」
情報を与えてからノルベルトへと向き直った。
一度背筋を伸ばしてから、深々と頭を下げる。
「その手段として、魔法持ちの子供を利用したようです。すべてがこの街の子かはわかりませんが、わたしが原因で子供が傷付けられることになったこと、心よりお詫び致します。この名にかけて、これ以上被害を受けた子供に不利益はもたらさせないと誓います」
「お前の、責任ではない」
そんなエリアルの肩を掴んで顔を上げさせ、ノルベルトはきっぱりと言った。
「スベルグのやったことはこの街でさえ到底許されるやり口じゃねぇ。ミラを、俺の娘を、自分の息子含めて駒として利用しようとしたこともな」
「……ミラさんとイクサさん、あなたのご息女でしたか」
エリアルが目を見開いたあとで、ふと微笑んだ。
「道理であの度胸。良い息子さんとお嬢さんですね」
「この街は犯罪者の巣窟だが、それだけあって仲間の絆は深い。仲間切り捨てるような座頭は、この街にゃ要らねぇんだ。スベルグは、そこを間違えた」
「なら、その犯罪者の身柄、国で預かって問題ねぇな」
唐突に差し込まれた第三者の声に、場の空気が固まる。
「自由が過ぎた。帰るぞ」
「わん、ちゃ……」
背後に現れた青年に抱え込まれたエリアルが、ふつ、と力を無くして青年に崩れ掛かった。
「導師」
「寝ただけだ。ったく、病み上がりだってのにこの馬鹿は……」
苦虫を噛み潰した顔で青年、宮廷魔導師ヴァンデルシュナイツ・グローデウロウスは吐き出すと、エリアルを腕に抱え上げ面倒そうに崩れかけの建物へ手を振るった。
「どうしてここに」
「監視用の蝙蝠に認識阻害が掛かった時点でわかるようにしてあった。懲りもせず、やらかしやがって」
そんな会話の片手間で、建物から人が抜かれ、綺麗に解体された建材が積まれる。エリアルの言葉通り、重篤な怪我人はひとりとしていなかった。魔導師の魔法により徹底的な拘束を受けた、スベルグ・アイメルトでさえ。
「エリアル・サヴァンを損なおうとしたコレは重罪人だ。身柄は国で貰う。子供に関しても、あとで専門の魔術師を送るから、そいつに任せれば良い。ブルーノ」
「はい」
「魔術師が来るまでの間に、様子見とある程度の治癒だけ頼む」
「わかりました」
あなたがやれば確実だろうにとは言わなかった。目の前の魔導師にとって腕の中の少女以上に重要なものがないこともわかっていたし、それはブルーノからしても同じことだったから。
ブルーノが頷いたのは、少女のことは魔導師に任せた方が確実なのがわかっていたからと、子供が無事でなければエリアルが気に病むと予想出来たからだ。魔導師がブルーノへ治癒を命じたのも、同じ理由だろう。
「待て、勝手は、」
「カーラーさん」
状況が掴めず止めようとしたノルベルトをブルーノが止める。
「彼は、この国の筆頭宮廷魔導師です」
「あ゛?んでそんな奴がこんなとこに、いや」
殺気立ってすら見える、いや、実際に殺気のこもった視線を魔導師に向けて、ノルベルトは顔をしかめた。
「この国は、どんだけガキひとりに重荷を押し付けてんだ」
激情家だが悪人ではないのだな。ノルベルトに対する好感を上げ、ブルーノは苦笑した。
「それが、本人の希望でもあるので」
そんなふたりの会話をよそに、魔導師は片手で少女を抱き、片手で犯罪者の襟首を掴み上げて立ち去ろうとする。
「導師」
「沙汰は追ってどっかしらから騎士団に通達されるだろ。知りたきゃ騎士団に訊け」
呼び掛けだけで問いを察して答えると、それ以上の言葉は待たず魔導師は消えた。
「んだあれ、人外かよ」
「エリアルと並んで、この国最大の守りですよ。今は」
肩をすくめ、ブルーノは子供へ目を移す。目覚める様子は、ない。
魔導師は監視用の蝙蝠に認識阻害が掛けられたと言った。エリアルは監視されている事実を隠していないので、スベルグ・アイメルトが認識阻害を掛けた可能性もあるが。
「そうだとすると、導師が来たのが遅過ぎるからねぇ」
流された血はすべてエリアルのもの。そう、判断することも出来る。それだけの出血はあった。だが、本当に?
眠る子供のひとりを抱き上げた。その子供のズボンは膝から下がない。まるでちょうど、膝から下を鋭利な刃物で切り落とされたように。
けれど子供の脚には、掠り傷ひとつない。
ツェツィーリア・ミュラーは防御壁の名手で、エリアルはそのツェツィーリアに魔法を教えた人間だ。その彼女があれだけ深い傷を負った状況で、無力な子供に怪我ひとつないなんて、あり得るだろうか?
的が、小さかったから?服だけ切れて、偶然にも皮膚は無事だった?
「……俺は残って怪我人の確認をするから、ブルーノと副隊長で子供の保護頼む。関わっていたのがアイメルトだけとも、限らないからな。カーラー、立ち合い頼めるか?」
子供を馬車へと運びながら考え込むブルーノへ、第一中隊長が声を掛ける。
怪我人もいるが全員軽傷だ。ブルーノの出る幕ではない。治癒を必要としているのは魔導師の告げた通り、怪我人ではなく子供たち。
頷くブルーノと第一中隊副隊長と共に、確認を投げられたノルベルトが答える。
「ああ。……ブルーノ、だったか」
「はい」
「子供頼む。それと、伝言、頼めるか?あのガキ、エリアル・サヴァンに」
「なんですか?」
エリアルから託されたまま抱いていたマリウスをブルーノに預けながら、ノルベルトは真剣な顔で言った。
「ルシフルの人間は受けた恩を忘れない。この恩は、いずれ必ず返す」
「……わかりました」
「ま、もう会う機会もねぇかもしれねぇけどな。頼んだ。あと、あんた子供の治癒してくれんだろ?」
「ええ」
「それも感謝する。なんか、困ったことあったら手助けするから、言ってくれ」
「ありがとうございます」
礼を告げたブルーノの頭をなでて、ノルベルトはブルーノへ背を向けた。
副隊長と共に、子供を運ぶ。
馬車へ子供を乗せ終え、砦に向かって走らせながら、ふと、副隊長が呟く。
「あんな、普通に、接してくれる子が」
誰のことを言っているのかは、訊かずともわかった。
「国防の要かと思うと、やるせないものがある」
「でも、それがこの国の現状です」
ノルベルトの怒りは、第一中隊副隊長の困惑は、本来ならこの国の、すべての国民が抱えるべきものだ。
この国は、歪んでいる。いつぞや、ジャック・フリージンガー・ルシフル騎士団長の指摘した通りに。
気付けば明白なその事実に、誰もが気付かず、歪みによってもたらされる平穏だけを享受している。
そしてその渦中の少女は、そんなの知ったことかと笑って見せるのだ。
自分は大怪我を負いながら、子供は無傷だと告げたときのように。
ブルーノは深々とため息を吐いて、諦めたように微笑んだ。
「いっそ猫みたいに部屋に閉じ込められたら、いくぶん気も楽なんですけどねぇ」
「いやそれはさすがに」
少し顔をひきつらせたあとで、副隊長はブルーノの頭をなでた。
「カーラーじゃないがルシフル騎士団も、手助け出来るときは力を貸す。ジャックがいなくなった程度で、力を落とす気はない」
「……力を落とそうものなら、フリージンガー団長の怒りが怖いですもんねぇ」
「いや、そ、まあ、それも怖いが……」
頬を掻いて肯定した副隊長に、ブルーノは笑って見せた。
猫を欠いた演習合宿で、それ以降に問題が起こることはなく。
ひとりの欠員を出したまま、冬期演習合宿は終わりを告げた。
拙いお話をお読み頂きありがとうございます
前話ぶった切ったからには早めに更新を目標に掲げ
珍しく達成しました
もう一回切ろうとしたことは内緒です
ええ。内緒ですとも。
出る予定のなかった方が約一名出張ったせいで
もっと活躍する予定だった若干二名の活躍の場が消えました
どうしてくれよう……
続きも読んで頂けると嬉しいです




