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取り巻きCと牡丹百合 よっかめごご そのに

取り巻きC・エリアル視点

エリアル高等部1年の年始


暴力・暴言描写がございますので苦手な方はご注意下さい


お待たせして申し訳ありません

長く……なりました……orz

 

 

 

 ふ、と、第五中隊長がため息とも笑いともわからない吐息を漏らした。

 笑んだ口から覗く鋭い歯は、それこそ狼のよう。


「お前の言葉、乗ってやろうじゃねぇか」


 低くドスの利いた声で言う。


「訓練だ。オレを倒せてねぇンだから、文句はねぇな?」

「そうなりますね」


 目を伏せて頷けば、悪い笑みを返された。


「おい、縄持って来い」

「縄、ですか?」


 首を傾げるわたしとは対照的に、すぐ理解したらしい隊員たちが動き出す。


「訓練だっつってンだろ。実戦形式だ。腕を拘束された状態で、複数人相手の模擬戦闘をする。出来ンだろ?」


 なるほど実戦形式と言えばその通りだし、意味もあるやり方だとは思う。実際、わたしは誘拐され腕を拘束されたこともあるわけだし。

 けれど第五中隊長がわたしのためを思ってそんな訓練方法を提案してくれたかと言えば、答えは否だろう。たぶん、動きを封じてよりいたぶりやすく、と言うのが本音。当てられていないとは言え、両手両足自由でタイマンなら、第五中隊長に言葉を発する隙を与えない程度の手数は繰り出せるところを見せているし、戦闘能力を警戒されたのだろう。


「まずはお手本を見せて頂きたいところですが……」

「実戦でも同じこと言えンのか?」


 言えませんね。


「安心しろ。オレを相手にしろとは言わねぇよ。第五だって、訓練時間だからな」


 用意された縄を手に持ちながら、第五中隊長が言う。縄は、訓練場の壁に掛かっていた。使われた形跡がある。それが、訓練で使われたものなのか、なにか別の目的で使われたものなのかは、定かでないけれど。


「おら、後ろ向いて腕出せ」


 ため息を吐いて、指示に従う。後ろで手首を束ねられるだけ、なんてことはなく。


「──ッ」

「おっとわりぃな。きつかったか?」


 背中で腕組みのように平行に前腕をまとめて拘束され、その上からさらに縄を巻かれる。身体に食い込んだ縄に息を詰めれば、気持ちのこもらない謝罪が与えられたが、縄が緩められることはなく、そのまま縛られる。


 これは、腕に縄痕が付きそうだななんて、他人事のように思った。


 胴体は特製のコルセットを着ているのであまり心配していない。と言うか、そもそもより強力な傷痕が今も活き活き効力を発揮しているので、傷など付き様もない。


 だから案じるのは、長く縛られ過ぎて痺れが残ると厄介だな、と言うことくらいだ。けれどそれも、わんちゃん辺りに頼めば治してくれるだろうし。


 縛り終えた手が離れるのを待って、軽く力を込め状況を確認する。たるみや隙がなく、ほどけそうな気配もない。きつ過ぎることを除けば、素晴らしい緊縛手腕と言えるだろう。ちなみに完璧な緊縛とは、拘束感を与えつつも必要以上の苦痛は与えず、縄が擦れる程度の緩みは残したものらしい。

 死刑決定の罪人ならともかく、これからの人生もあるひとなら、縛ることで身体を損なうのは望ましくないからね。もっともな話だ。


「縛られるのは慣れてるっつぅ顔だな」

「誘拐された経験は、一度でないので」


 主に幼少期とは言え、縛られること、拘束されることに関しては、豊かと言える経験がある。それに、


「……」


 首輪に伸びた手を、露骨に避ける。


「はっ、飼い主以外には触らせねぇってか?」

「これは、そう言う類のものではありません」


 わんちゃんは、飼い主ではない。主はツェリだが、彼女はそんな趣味ではないし。

 首輪として機能していないことが装着者本人にばれている今となってはこの首輪など、保険と警報装置でしかないだろう。わたしが外そうと思えば簡単に外れるし、外れたところでそうそう魔力は暴走しない。


 だからこれは、趣味の悪い拘束ではないのだ。むしろ、これを言い訳に出歩くことを許されている、通行証のようなもの。


「それで?」


 少し離れて対面し、ついさっき投げられた言葉を投げ返す。


「なにをしろと?」

「難しいことはいわねぇよ」


 第五中隊長が肩をすくめた。


「お前はその状態で、生き延びれば良い。そうだな、手始めに一時間、六人相手で行くか。使えるものは好きに使え」

「隊長、ソレ国殺しですよ」

「あ゛?」


 隊員のひとりが口出しして、隊長が顔をしかめる。


「ンだよ、その、国殺し、ってのは」


 ああ、知らないのかと、笑う。それなら双黒に反応しなくても、不思議はないなと。


「大したことではありませんよ」


 よく考えるまでもなく、国防に関わるわけでもない平民なら、知らずともおかしくない話なのだ。


「わたしの亡き祖父が数十年前に単身で国ひとつ滅ぼしたことがあり、その祖父と同じ能力をわたしも持っているから、祖父の異名を継いだ。それだけの話です」

「いや大した話だろ。アレですよ隊長、よく、言うこと聞かないガキにババア共が言う、悪い子はレミュドネに棄てに行くっての、アノ脅しの、レミュドネっつーのがコイツのジーサンが滅ぼした国で、まだ呪いが残ってて、生き物は寄り付かねーって」

「え、あの昔話実話なのか?」

「ウソだろ!?どんなバケモンだよコイツのジーサン」


 ひとりの発言を呼び水に、隊員たちが騒ぐ。


 いやあの、わたしとしては祖父の所業が民間で昔話にされていることこそ、嘘だろう!?と言う心境なのだが。


「そのバケモンみてーな能力を、持ってんのがコイツなんだって。ダカラ、国殺しって呼ばれてんの。街のゴロツキ共が国殺しが来るって騒いでたの、聞いてねーのかよ……」

「つまりなンだよ」


 第五中隊長が、がりがりと頭を掻き混ぜながら面倒そうに訊く。問い掛けられた隊員はそれに怯みながらも、命大事かきっぱりと言った。


「ソイツが魔法使ったら、オレらなんかイチコロってコトです!」

「魔法禁止と仰るようでしたら従いますよ?扉の防壁だけは解きませんが」


 首を傾げて答える。


「良いのか」

「そもそもわたしは訓練で国殺しの魔法は使いません。危険なので。学院の武術の授業は基本的に魔法使用不可ですし、実戦では魔法を封じられる可能性もありますから、訓練になるでしょう。と言うか」


 ふ、と息を吐いて見せる。


「魔法を使って良いのでしたら、あなた方程度、秒殺して出て行きますが」

「自信満々じゃねぇか」


 この騎士団の夜警は、何日で交代なのだろう。


「一昨日の、竜馬りゅうば戦は、不参加だったのですね」

「六日前の夜から昨日の朝まで夜警だったからな」


 くぁっと第五中隊長があくびするのは、五日間の夜警から身体が戻っていないからか。

 学生たちの活動時間は昼間だから、ずっと夜警だったのなら存在に気付いていなくても不思議はない、が、


「結果も聞いていませんか?」

「第五はひとりも出てねぇのに?」


 うん。そう言う考え方だろうなとは思った。


「わたしが優勝だったのですよね」


 なので端的に、要点だけ伝える。


「……騎士見習いごときに遅れを取ったのか」


 露骨にしかめられた顔は、自分たちが出ていればとでも思っているのだろうか。


「そうなりますね。相性の問題でしょうが、単体討伐で速度重視ならば、下手に大勢で挑むよりひとりの方が有利です」

「ひとり?」

「ええ」


 なにか疑問でも?と言う表情で返せば、嫌そうに片目をすがめられた。


「あまりにもあっさり倒し過ぎてしまって、魔法使用を疑われまして」


 そんな表情には気付かない振りで、苦笑して見せる。


「魔法を使うならもっと早く倒せると、実演しました。十五頭の竜馬を、ひとりで討伐。掛かった時間は、30秒ほどだったかと」


 にっこり微笑んで、ひとりひとりに視線を向ける。


「竜馬もひとも、似たようなものでしょう?」


 実際は違うけれど、言わなければ知られない弱点をわざわざ漏らしたりはしない。あんなこと、殺す相手でなければ出来ない。


 それでも出来る振りをして、壊れた化け物のように微笑む。

 威圧されてくれれば、儲けものだ。


「……それすら疑われて、ノルベルトとるはめになったっつーことか」

「そうですね。と言っても、条件付きの試合ですので実力で勝ったとは言いにくいですが」

「条件ン?」

「ええ。魔法・武器使用なし、審判ありの一騎討ちです」


 第五中隊長が、ついと目を細める。


「殴り合いなら自信がある、か」

「殴り合いはあまり得意ではありません。体術でしたら多少は。腕と足が自由で、どこにも繋がれていないなら、ですが」


 不自由な腕のまま肩をすくめる。第五中隊長が鼻を鳴らした。


「わかった。条件はそろえてやる。魔法・武器使用なし、だ。審判は付けねぇ。倒れるまで戦え」


 比較的、やさしめの条件を引き出せて安堵する。……手が使えないのが辛過ぎるが。

 それでも武器なしならなんとか、いや、希望的観測はすべきじゃないか。相手は、喧嘩の玄人たちだ。


「オラ、六人出せ。ここまで手加減させてンだ、負けたらわかってンだろうな゛ぁ゛!?」


 びりびりと空気が揺れるほどの怒声に、肩を揺らす。王立学院と言う温室で育った身としては、あまりこう言うしゃがれた怒鳴り声は得意じゃない。

 怒鳴り声により召喚された六人は、いかにも拳でのしあがった感じの面々だった。首も胴も、軽くわたしの倍以上の太さ。腕や足に至っては、三倍も超えているだろう。


 その上で、何が嫌って、少しも舐めて掛かって来ていないことだよ。小娘相手に六人だと言うのに、年末の誘拐犯たちのような油断が、見当たらない。


「ほかは壁に寄れ。始めンぞ」


 逃げの一手が打てるなら、それに越したことはない。


 ばらけた六人を見て、そんな叶わない夢を抱いた。


「始め!」


 号令を聞いて、地面を蹴る。さぁ、正念場だ。




「……ッ」


 放った蹴りは避けられ、攻撃したのとは別の方向から拳が飛んで来るのを、上体を倒して避ける。


「ふっ」


 今度の蹴りは当たったが、体重が乗りきらずむしろ自分の体勢が崩れる。


 え?逃げの一手を打つのじゃないのかって?

 そのつもりだし出来るなら今もそうしたいよ……!


 ああうん結論から言おう。結論から言えば、第五中隊隊員が、思ったより手強かった!以上!!


 第五中隊長の様子から個人主義の集まりかと思いきや、凄まじい連携を見せられ、逃げの一手なんて不可能だったのだ。

 巧いこと追い込んでその先に攻撃手を配置している。完全に頭脳戦だ。


 いや。そうか。

 第五中隊長は、視野の広いひとだった。軍師適性のあるひと。それならば、むしろ頭脳戦に長けていて当然。


 わたしの、読み間違いだ。


 そんな事実に歯がゆさを覚える間にも、攻撃は続いているし、戦況は動いている。

 相手方に流れを掴まれて、やりにくい状況。どうにか主導権を取らないと、疲弊するばかりだ。


「ぐ、っ……」


 ひとりの攻撃を避けた先へ、待ち構えたように繰り出された攻撃を避け損なって、頬に蹴りを喰らう。自分で地面を蹴って衝撃を殺したが、タイミングがずれてそこそこの打撃を受けた。


 跳び退って距離を取り、口の中にたまった血を吐き捨てる。肩口で口許を拭い、苛立ちに舌打ちした。


 後ろ手で拘束された腕が忌々しい。両腕が自由なら、あんなに無様に蹴りを喰らったりしなかったのに。


 相対する敵はたったの六人。だと言うのに、足技だけでは巧く決定打が決められず、誰ひとり戦線離脱させられない。


「悪いなぁ、可愛い顔に怪我させちまってよ」

「いえ。慣れているので」


 勝ち誇ったような笑みを刷く相手に、深々と息を吐く。今のでやっと、一撃喰らわせられただけのくせに。


 ああでも、今何分くらい経ったのだろう。

 今まで受けていなかった攻撃を喰らったと言うことは、疲労が出て来たと言うこと。よろしくない状況だ。


 同級生たちは、安全圏に辿り着けただろうか。わたしをひとり残したこと、気にしていないと良い。


 助けが来るとき、彼らは一緒じゃないと良いな。


 また口に血がたまって来た。顔は腫れてしまっただろうか。よりによって、目立つところに蹴りを喰らった。


 ああもう。無傷で切り抜けたかったのにな。


 そろそろ、堪忍袋の緒が切れそうだ。


 攻撃をさばきながら、関係のない方向に思考が滑る。良くない傾向だ。


「ぷっ」

「なっ……テェッ」


 苛立ち紛れに口にたまった血を、苛付く表情をしていた相手の顔に吹き掛ける。ちょうど追い込まれた先の、攻撃手だ。


「は?おっま、貴族じゃねぇのかよ、キッタネェ!!」


 眼球に血飛沫ちしぶきを喰らって目を押さえた隙に横をすり抜ける。ついでに足を払って転ばせてあげた。汚い?穢い?だからどうした。勝てば官軍だ。


 そもそも拘束された人間に複数相手で襲い掛かっている状態がおかしいのだから、とやかく言われる筋合いなどない。


 口の中に残った血を床に吐き捨て、体勢を立て直す。血をかけた相手は目を押さえてこそいるが、もう立ち上がっている。


 どうすれば、決定打を、


 ダァンッ!!!


 床さえ揺れたかと思うほどの勢いで入り口が開いたのは、そのときだった。

 思わず全員固まって、いっせいに入り口へ目を向ける。


「なにを、やって、いるんですか?」


 そこには、嗤う般若がいた。


「エリアル・サヴァンは第四中隊の訓練に参加予定だったはずですが、なぜここに?その、身体の縄と、顔の怪我は、なんですか?」


 にこ。と言うエフェクトの付きそうな笑みで立板に水のごとく問い掛ける第四中隊長さんに、誰ひとり言葉を返せない。


 第四中隊長さんの表情は笑顔だ。見間違うことなき笑顔なのに、背後に吹雪が吹き荒れている。


 怖い。怖過ぎる。なんならフリージンガー団長より怖い。

 おそらく応援として一緒に来てくれたのであろう第四中隊の騎士たちやウル先輩まで、触らぬ神に祟りなしとばかりに若干の距離を取っている。


「我が第四中隊の庇護下の学生にこの仕打ち。どうやら、死にたいようですね」


 せめてもの救いは、怒りの矛先がわたしではな、


「エリアル・サヴァン」

「はいぃっ!」


 くなかったぁ!!


 びっと背筋を伸ばして足を揃えた。油断していたところに訪れた突然の名指しに、心臓がバクバクと跳ねている。


「なぜ、あなたは縛られているんですか?どう言う状況か説明しなさい」

「は、はい。ええと」


 どう言う状況って、


「実戦形式での訓練、で……」

「実戦形式」

「はい。腕を拘束された状態で、複数人相手の模擬戦闘を、魔法なし、武器使用なしの条件で行っています。わたしは時間まで逃げ続けること、あちらはわたしを倒すことを目標に」

「なるほど」


 頷いて、第四中隊長さんがさらに問い掛けて来る。


「あなたの前に誰か、お手本を見せてくれたのですか?」

「いいえ。実戦で敵がお手本を見せてくれることなどないからと」

「あなたは魔法を使わないのに?」

「訓練ですから」

「あなたは、怪我をしているようですが?」

「訓練ですから」


 答える度に温度を下げないでくれないかな。怖いから。


「なるほど」


 笑みを深めて第四中隊長さんが頷く。


「あなたが、第五中隊に訓練を付けてあげていたわけですか」

「え、いえ、あの」

「舐めたこと言ってンじゃねぇぞ、この毒虫が」

「舐めているのはどちらでしょうね」


 第五中隊長の殺気混じりの声に乗ることなく、第四中隊長さんは肩をすくめ。


「良いでしょう。取りあえず続けなさい。魔法なし、武器使用なしのまま。ただし」


 すうと細められた第四中隊長さんの視線が、わたしを捉える。


「手加減を止めなさい。エリアル・サヴァン」


 俺が許します。


「ですが」

「殺して構わない。俺が許可します」


 にっこり微笑んだ第四中隊長さんの気迫と言葉には、有無を言わせぬ強制力があった。

 フリージンガー団長の部下だ。このひとは間違いなく、フリージンガー団長の部下だ。


「聞こえませんでしたか?俺が許すから手加減を止めて、叩きのめせと言ったんです。しょせん第五、第四より格下です。拒否権などない。エリアル・サヴァン、返事は?」

「っ、はい」

「では再開しなさい」

「はい」

「なにを、」


 地を蹴って手近な騎士に接敵し、こめかみ狙いで頭を蹴り飛ばした。次の騎士は鳩尾。その次は顎を蹴り上げ、次は片足首を壊す。


「なっ」


 嫌な感触に顔をしかめつつ、最後の一人は思い切り腰を蹴り抜いた。

 呆気ないほど簡単に、六人が倒れ伏す。

 つくづく、エリアル・サヴァンのスペックは壊れている。


「……手加減するなと、言ったはずですが?」


 それでも許してくれない、第四中隊長さんの心も。


「わたしは、」

「はい、そこまでぇ」


 ほわん、とした声を耳が拾った途端、無意識に肩の力が抜けた。


「エリアルは勝ったんだから、文句言わないで下さいよぉ。ほら、もう縄解いて良いよぉ」

「はい」

「血が出てる。痛かったでしょう?ああ、腕も痕付けてぇ」


 騎士科の聖女に促されるまま自力で縄を切れば、息をするよりあっさりと、顔の怪我と腕の痕を治される。


「ありがとうございます。でも、どうしてるーちゃんがここに」

「君が逃がした生徒のひとりが、真っ直ぐに僕の所に来たから、かなぁ?」


 言いながら騎士科の聖女ことブルーノ・メーベルト先輩が、わたしが壊した騎士たちにも治癒魔法を施す。


「三人意識を飛ばしているけれど、軽い脳震盪で、命に別状はないよ。大丈夫」


 少しひんやりとした指先が口許をぬぐったあとで、頭を薬草の香りのする肩に抱き寄せられる。


「第四中隊長」


 わたしを腕に隠したまま放たれた声は、冷え冷えとしたものだった。


「この子は、殺人兵器ではありません。今後も同じ扱いをするのであれば、」

「ハッ、セイジョサマのオヒメサマってかぁ?」

「黙れ下衆が」


 さらに第五中隊長へ向けて発した言葉に至っては、感情も温度も皆無の平坦な声。


「この子の足元にも及ばない実力程度で、なにが訓練だ。手加減されたことに気付く実力を付けてから出直せ」

「……チッ」


 第五中隊長が舌打ちひとつで引き下がったことに、第五中隊の騎士たちがざわめく。るーちゃんが、ため息を吐く気配がした。

 手を離してくれたおかげで頭を上げられ、視界が復活する。わたしから離れたるーちゃんが、第四中隊の騎士さんのひとりに声を掛けた。


「副隊長、ジェリーちゃんを出して貰えますか?」

「はい?」

「ジェリーちゃんを、三人……いえ、六人ほど、お願いします」

「許可します。用意して下さい、副隊長」


 第四中隊長さんの指示で訓練場から駆け出したのは、中隊長さんに負けず劣らず優しげな、そして小柄な見た目の男性だった。

 ……隊長、副隊長そろって来てくれていたのか。申し訳ない。


 でも、ジェリーちゃんって?それに、六人?


「あのひとは、傀儡師くぐつしなんだ」


 第四・第五中隊長と話し出するーちゃんを見ながら頭にハテナを浮かべていたら、ぽん、と頭を撫でてウル先輩が教えてくれた。

 大丈夫か?と言う気遣い付きの笑顔が、安堵感を与えてくれる。


 ああ、もう、大丈夫、なのだ。

 無性に安堵して、ウル先輩へ手を伸ばす。


「あの、みなさんは」

「ん?ああ、お前のことが心配で死にそうな顔してはいたが、無事だ。今は第四の訓練に参加してるよ。ありがとな。でも、お前も俺の大事な後輩なんだから、あんま無茶すんなよ」

「それは、申し訳ありません。ですが、無事で良かった……」


 ほ、と息を吐くと、大きな手に頬を包まれた。


「巻き込んだとか、思うなよ?」

「え」


 少し身体を屈めたウル先輩が、耳元で小さく言う。


「第五には去年も絡まれてる。お前のせいじゃねぇ。むしろ、お前が身代わりになってくれたお陰で、ほかの奴が無事で済んでるんだ」

「去年も」

「ああ。俺やラフはたまたま標的にならなかったが、捕まった奴が数人ぶちのめされて……騎士科を辞めた奴もいる」


 ウル先輩の服を掴んでいた手に、力がこもった。

 なだめるように頭を撫でてくれるウル先輩の瞳にも、悔しさがにじんでいた。


 一度目を閉じて、気を取り直すように続ける。


「……ジェリーちゃんってのは、第四中隊副隊長の使う、木偶でくだ。主に対人戦の訓練で使われるが、副隊長の腕だと実戦でも有用、と言うか、第四中隊長の毒と組み合わされると、いっそ竜馬より怖ぇし強ぇ敵になる」

「それは、そうでしょうね」


 そうでしょうとも!


「去年、同輩を潰されて、ブルーノが激怒してな。そんなに怒るならとフリージンガー団長が第五中隊への同行を命じたんだが……」


 歯切れが悪いウル先輩を、首を傾げて見上げる。


「僕だと戦えないから、第四中隊副隊長にお願いして、手伝って貰ったんだよぉ」

「戦えない、な」


 ウル先輩に代わって、なにやら話していた会話が終わったらしいるーちゃんが答えてくれたが、どうしてウル先輩はそんなに遠い目なの……?


「第四中隊長と共謀して仕込んでおいても効果の消えにくい即効性の痺れ薬作って、鞭に仕込んで常時携帯していた奴が言う台詞じゃねぇよな」

「アッハイ」


 それは遠い目にもなるね。


「無味無臭無色の下剤作って第五中隊の食事に混ぜて、苦しむ第五中隊の騎士たちに、食中りですか?弱いですね。って、しれっと言ってのけた時の顔は、今でも忘れらんねぇ……」

「えぇ?そんなことしたかなぁ?」


 うん。るーちゃんもフリージンガー団長の弟子だ。間違いない。


 るーちゃんを馬鹿にされて怒ったけれど、なんだか、うん、ちょっと、第五中隊に同情しなくも、


「したした。それどころか、ジェリーちゃんに皮膚毒仕込んで戦わせて、治癒せず放置とかもしてた。怪我の手当てはちゃんとしてたけど、痛み止は絶対に使わなかったし、治癒魔法も一切掛けなかった」


 同情します。お医者さまを怒らせると怖いの実践じゃないか。恐ろし過ぎる。


「無味無臭無色って言ってもフリージンガー団長は気付いたし、ジェリーちゃんは攻撃を喰らわなければ問題ないでしょぉ?元々この騎士団詰所に治癒魔法使いはいないから、治癒魔法を掛けないのはいつものことだしねぇ」

「悪びれもしねぇ……」

「まあ、自業自得ですからね」


 にこっと穏やかに頬笑む第四中隊長さん。るーちゃんも第四中隊長も、外見だけ見れば癒し系の優しげなお兄さんだ。外見だけ、見れば。


 混ぜるな危険。漂白剤のパッケージに踊る文字が、頭をよぎった。


 おかしい。夏の演習合宿でのるーちゃんは、普通に素敵な聖女で姐さんだったはずなのに。


 この話は、これ以上掘り下げてはいけない。


「ええと、それで、その、ジェリーちゃんを、どうするのですか?」

「エリアルと戦わせようと思って」

「え、毒付きで?」

「それはしないけど」


 そんなに怒らせたかと一瞬おののいたが、そうではなかったようだ。


「第五中隊長以外は、エリアルの実力に疑問が残っているみたいだからねぇ。遠慮なく壊せる相手に、これまでの不満も込めて遠慮ない攻撃をぶつけて貰おうと思って」

「それは」

「苛々していたでしょう?エリアル」


 どうしてばれているのか。


「普段の対人の訓練でも蹴りは使っているけど、基本的に足元しか狙わないし、そもそもの戦い方が投げ技と絞め技中心。打撃戦は好まない。さらに言えば、得意なのは相手からの攻撃をいなしての反撃で、自分から手出しはしたがらない。これくらい、一年一緒に訓練してたらわかるよ?」


 ぐうの音も出ない。


 黙るわたしの頭を撫でて、るーちゃんが笑う。


「でも打撃技も鍛えていないわけじゃない。むしろ、その鋭さは随一。……ひとに放てば、命を奪いかねないほどにね」


 ほんっと、甘いんだからと撫でられる。駄目だ。この話も掘り下げてはいけない。


 なんと言うか、今日は、ペースを崩されてばかりだ。


「ですが、それならば六人?もいらなかったのでは」

「エリアルだけに戦わせるわけじゃないからねぇ」


 言いながら、るーちゃんがちらりと騎士たちを見やる。


「第四と第五は、訓練時間だからねぇ?エリアルや第四の実力を疑うって言うなら、実際に比べて見れば良い」


 るーちゃんが言ったところで扉が開き、さきほど駆け出て行った男性、第四中隊副隊長さんが、戻って来る。その後ろからゾロゾロとついて来るのは、


「すごい……」


 滑らかに動く球体関節人形に、思わずそう言葉が漏れた。人形系の魔道具作りに詳しいモーナさま辺りが見たら、話を聞きたがるのではないだろうか。

 動きはもちろんだが、身体の造形も素晴らしく、今は素体だから木偶とひと目でわかるが、服を着せカツラを被せれば、ぱっと見には人間に思えるだろう。フルフェイスの鎧でも着せれば、戦場では生身の人間と区別は着かないと思う。


「あれ触っても大丈夫ですか?ねぇウル先輩、あれ触っても」

「副隊長に訊け!」

「副隊長さん、触ってもよろしいですか!?」

「え、あ、どうぞ?」

「ありがとうございます!」


 ぺたりと触れた手に伝わる、木材の感触。滑らかに擦り上げられ、艶めくニスで仕上げられている。顔はつるりとしたのっぺらぼうだが、手足は腕も指も脚も足も関節が備えられている。指先には爪や指紋まであった。腹部も球体ではないが関節があって、より人間らしい動きを見せる。


「うわすごい……あしもだ……」


 手を取ると、滑らかに握り返されて感動する。


 腕を引けばひとと変わらず伸びて、ぎこちなさも感じさせずに一歩踏み出す。


「ほわぁ……」

「……好きなの?人形」

「好きとか嫌いとかでなく、こんな芸術品は……!すごい、関節の動きが滑らかで柔らかい。魔法で補助しているにしても、元々の造形が狂っていればこうまでは……素晴らしい出来ですね!……っと」


 興奮して捲し立ててから、ぽかんとした顔の第四中隊副隊長の顔に状況を思い出す。


「し、失礼致しました。あまりにも素晴らしい魔動人形だったので、つい夢中になってしまって……」

「い、いや、そんな誉められることないから、驚いただけ」

「え?ここまでの出来の魔動人形ですよ?クルタス専科の魔道具関係の方々が見たらどれだけ感動するか……宮廷魔術師だって、これほどの人形は欲しがると思いますよ!いえ、魔動人形としてだけでなく、芸術品としてでも、ここまで精巧なものならば価値が、」

「はい、そこまで!ウル!」

「はいはい」


 ぐいっと襟首を掴まれ、捕獲される。


「誰でも彼でもたらし込むな、このひとたらし猫」

「猫でもたらしでもありません。どうして突然そんないわれもない中傷を……」

「去年僕が有用性を説くまでの、ジェリーちゃんの徒名は木偶の坊、だよぉ?」

「ええ!?」


 そんな馬鹿な。ここまで滑らかに二足歩行して見せる人型の機器なんて、前世でも存在しなかったよ?いくら魔法と言う奇跡の力があるにしても、ここまで精度を上げるのは作り手と操り手の努力と資質だ。


「これが木偶の坊?そんなことを言う人間の頭と目がおかしいですよ!もちろんどれくらいの距離から操れるかや視界の問題はありますが、例えばかなりの遠隔からの操作が可能になるのでしたら、危険地帯の調査や人命救助に有用ですし、そうでなくても高地作業や危険生物の対応で、むやみに人命を危険に晒さずに済みます。むしろ有用性の塊ではありませんか!自力で動かなかったとしても、小型化すれば着せ替え人形や抱き人形としての需要が見込めますし、姿勢が自由自在に動かせる等身大人形なんて、衣装持ちの貴族が喜んで欲しがるでしょう。なぜフリージンガー家の人間に引き抜かれていないのか不思議なくらいで、」

「お前ちょっと黙ってろ話が進まねぇ」

「あ、申し訳ありません」


 呆れ顔のウル先輩に注意されて、お口みっふぃー。


「公爵家の庇護下の子ですから、手出し厳禁ですよぉ?」

「……わかってるよ。ちょっと慣れない賛辞に感動しただけだって」


 るーちゃんと第四中隊副隊長の会話にきょとん。


「……もういい。お前はそのままでいろ」

「?」


 ウル先輩はなぜそんなに、疲れたお顔なのか。


「話がずれたけど、各中隊から二人ずつと、騎士科からウルとエリアルを代表にして、対ジェリーちゃん戦をして貰うよぉ」


 そんな話になっていたのか。って、


「え!?この芸術品と?この芸術品と戦うのですか!?」

「ジェリーちゃんは量産品だから。壊れても部品を換えて直せるから」

「そっ、え、えぇー……」


 そんな罰当たりな。ものは大事にしなさいって、ばっちゃも言ってたよ?今世の祖父母には相見あいまみえたことがないけれど。


「人殺しさせたくないからジェリーちゃんを持って来て貰ったのに、なんでジェリーちゃんに情が移ってるのこの子はぁ」

「だって」

「だってじゃない。改良のための強度試験でもあるんだから、手加減は許さないよ?」


 鬼。鬼がいる。ここに、聖女の皮を被った鬼がいるよお……。

 うう……改良のためなら仕方ないか……。


「わかりました……」

「と言っても、六人一気は副隊長に負担が掛かるから、三人ずつだけどね。エリアルは後半」


 はいこっちで見学ねと言われて、壁際に連れられ、るーちゃんと並んで座る。前半に参加するらしいウル先輩とはお別れだ。


 にしても、一気には三人前後が限界なのだろうか。だとすれば、あまり戦力増強としては、


「あれで副隊長もおかしいひとだから、簡単な戦闘訓練くらいだったら二十人は操れるんだけどねぇ。本気で戦うとなると五、六人が限界だから」


 あ、そんなことないのですね。すごいわやっぱり。さすが、ルシフル騎士団中隊副隊長。


「あくまで魔道具じゃなく、人形を魔法で動かしているだけだから、腕一本とか胴体だけとかでも動けるけど、訓練時はある程度の攻撃を喰らえば活動停止するようになってるよ。頭を破壊するとか、胸を破壊するとかねぇ」


 結局破壊なのかと悲しい気持ちになりながら、始まった戦いをながめる。人形とは思えないキレのある動きだ。


「痛みや怪我を恐れないと言うのは、それだけで脅威ですね。視線で動きを予測することも出来ませんし……」


 なかなかに苦戦しているさまを見て、分析する。決して人間離れした動きをしているわけではないが、自己防衛本能と言う無駄がないだけで、かなり戦闘の流れを掴むのが難しくなっているようだ。


 バーサーカーや死兵が厄介なのと同じことだろう。自分を守る気のない相手ほど、戦い難い相手はいない。


「エリアルでも、苦戦しそう?」

「……もう少し動きが速ければかなり苦戦したでしょうね」

「って」


 ちょうど視線の先では、ウル先輩がジェリーちゃんパンチを喰らっていた。


「やってくれるじゃねぇか」


 好戦的に笑ったウル先輩が、長い脚をぶん回してジェリーちゃんを蹴り飛ばす。


「隙がねぇなら防御ごとふっ飛ばしゃ問題ねぇんだよ!!」

「わあ雄々しい」


 猛攻を掛けるウル先輩がジェリーちゃんを倒すのは時間の問題だろう。ほかのふたりも倒せそうだし。


「倒しにくくはありますが、倒せなくはないのですね」

「訓練だからねぇ。副隊長も本気出してないよぉ」

「なるほど」


 その条件で、わたしに戦えと言うと言うことは。


「あ、忘れてた。エリアルちょっとあっち向いて」

「?はい」

「手、こっちに」


 背中を向けた状態で後ろ手に手を取られ、衣擦れの音がして、手首に、


「……なぜ、縛られているのでしょう」


 柔らかい布の感触。おそらくクラヴァットだろう。


「条件は、揃えないとでしょう?」

「そうかもしれませんが、それならば縄で縛るべきでは」

「腕に痕が付くのは駄目だよぉ、それに、さっきの縄はエリアルが切っちゃったし」


 だからってクラヴァット……良いけどさ。


 さっきとは比べものにならないくらい優しく結ばれた腕のまま、立ち上がる。


「器用だねぇ」


 こちらを見上げたるーちゃんの首に、見慣れたクラヴァットがないことにどきりとする。

 騎士科生だと結構着崩してクラヴァットを外しているひとも多いが、るーちゃんはいつも律儀に締めているので、外したところは見ないのだ。


「……伊達に、誘拐慣れしていませんよ」

「嫌なものに慣れてるねぇ」

「好きで慣れたわけではないですけれど」


 手首に力を入れて、縄の様子を確かめる。うん、きつくはないが簡単に外れもしなそうだ。どうやら第五中隊長よりは、緊縛の腕が良い様子。包帯とかで慣れているからかな。


「そう言うるーちゃんは、縛る手際が良いですね」

「んー……あまり褒められた話でもないけど、皮膚炎の患者さんとか、精神疾患の患者さんとかは、縛ることもあるからね」

「無意識に自分を傷付けても良くないですからね」


 るーちゃんが首を傾け片目をすがめる。


「エリアルって、本当に博識と言うか、変な知識を持ってるよね」

「そうですか?」


 それはきっと、この世界よりも情報にあふれた世界で生きた記憶があるせいだろうけれど、空とぼけて知らない振りをする。


「うん。──みたい」

「はい?」


 下を向いたるーちゃんが呟いた言葉を聞き取れず、聞き返す。るーちゃんは顔を上げ、なんでもないと微笑んだ。


「あ、ほら、終わったみたいだよ」


 促されて、壁際から離れる。


 相対したジェリーちゃんは、改めて見ても壊すには惜しい出来だった。


「……やっぱり戦わないと駄目ですか?」

「副隊長がこの程度の人形の修理も出来ないと思うんですか?」

「いえ、そう言うわけじゃ」


 駄目だ第四中隊長さんはまだ怒っている……!


 これは真剣に全力と思って貰える戦果を見せなければ、許しを得られないぞと、泣く泣くジェリーちゃん破壊を決意する。……一昨日から、宇宙怪獣ばりのデストロイヤー加減だ。


「ごめんなさい。あなたに恨みはないのです……」

「始め」


 べそかき気味の謝罪も気にせず掛けられた第四中隊長さんからの号令に、覚悟を決めてジェリーちゃんへ接近する。開幕一番、繰り出された正拳を蹴り抜いた。


「くっ……」


 軽い音を立てて飛んで行く折れた前腕に、涙を飲んだ。


 駄目だこんなことしていたら、ジェリーちゃんを倒す前にわたしの心が大打撃を受ける。


 先手必勝とばかりに一足飛びで、片手をなくして少々動きを狂わせたジェリーちゃんへ接敵、頭に空中回転三段回し蹴りを喰らわせた。


 破裂音に近い打撃音が響く。


 着地と同時に振り向いた先のジェリーちゃんからは、頭が消滅していた。倒れたジェリーちゃんの周りに、木片が散らばっている。


 弱い人形を相手に戦えと言われた意味は、これなのだと思う。本気で蹴れば頭骨くらい砕けると言うことを示せ、と。意味はわかっているから、こうしてしたがったわけだけれど、もう、もう十分だと言っておくれよ、心が痛いよ……!!


 これ以上壊したくない気持ちで構えたまま観察していたら、立ち上がったジェリーちゃんはカタンと手を下ろした。恐る恐る近付くが、攻撃して来る様子はない。


 美しい右前腕と、顔を、喪ったまま、動きを止めている。


「うわぁぁぁん!ごめんなさいジェリーちゃぁぁぁんっ」


 あまりに痛々しい姿に半べそで突進する。


「治っ、これ、治りますか?治りますかっ!?」


 べそべそ。


「な、直るから。直させますから、その顔はやめなさいサヴァン嬢」

「本当に治りますか?」


 ぐしゅぐしゅ。


「直るから。ね、副隊長、直りますよね?」

「え?うわ、はい!直るよ。すぐ直るから!」

「おま、そんな、ぬいぐるみ壊されたガキじゃねぇんだからよ……」


 ジェリーちゃんにすり寄ったままべそべそしていたら、しょうがねぇなと言う顔をしたウル先輩がやって来て、腕のクラヴァットをほどき頭を撫でてくれる。腕が自由になったのを良いことに、ジェリーちゃんに抱き付いた。


「だってぇ……」


 えぐえぐ。


「ああそうだな辛かったな。よしよし頑張った頑張った。もう壊せとか言わねぇからそれ放せ、な?お前が抱き付いたままじゃ直せねぇから」

「ぐす……ジェリーちゃん怒っていないですか?」

「ん?怒ってねぇよ良い戦いだった。強くなって再戦するってさ。だからお前も泣き止めよ」


 渋々ジェリーちゃんから手を離せば、代わりとばかりにウル先輩から抱き上げられる。


「ほらよしよし。もう大丈夫だから落ち着け。な?」

「うう゛ー……」

「第四中隊長、ブルーノ、怒る気持ちはわかるが、やらせ過ぎです。実力のせいで忘れてるかも知れねぇけど、こいつまだ一年だから。あんま追い詰めてやらないで下さい。……第五中隊長も、これ以上後輩に手出しするならこっちも叩き潰す気で掛かりますよ?俺らは去年からあんたらのこと、許してません」


 昨夜と同じく守るように抱かれ、ぽんぽんと背中を撫でられる。


「後輩が身体張って防いでくれたんだ。去年のようなことは、二度と起こさせねぇ。あんたらがどれだけ、強くてもです」


 昨日みたいに柔らかい銀の髪に、頬を寄せた。温もりを感じる細い髪からは、汗の臭いがした。

 ああ、きっと、このひとは助けるために走ってくれたのだろう。


 格好良いひとだ。こんな格好良いひとが婚約者だと、きっと気が気じゃないだろう。こんなに守られたらみんな、ウル先輩を好きになってしまう。


 男同士の友情や信頼だとしても、そこに入っては行けない婚約者さんは、歯痒くなってしまうだろう。


 まあ、ウル先輩と婚約者さんはラブラブらしいから、そこまで心配はないけれど、ラブラブだからって不安や嫉妬がないかと言えばそんなこともないだろうし。


 ここに婚約者さんがいなくて良かったと思いつつ、今は頼れる優しい腕を享受させて貰う。今ここで間違いなく誰よりも守ってくれるのは、この腕だ。


 すん、と鼻を鳴らして、ウル先輩の首元に顔を埋める。甘えたで弱味噌なお人形さんみたいに、自分を抱く腕に身を委ねきって。


「……茶番はやめろっつってンだろうが」


 苛立った声と、向けられた殺気。濡れた目のまま、振り向いた。

 眉尻を下げ、まばたきすれば、つう、と頬を涙がすべる。


 しん、と場が静まり返った。


 糸を張ったような緊張と注目のなか、おもむろに、ふ、と笑う。


「そうですね」


 指でぬぐえば、もう涙などこぼれはしなかった。


「では、まだるっこしいことはやめて、正々堂々一本勝負と行きましょうか。腕相撲でいかがですか?」


 視界の端に手頃な机があったので、微笑んだまま提案する。


「ああ゛?腕相撲ぅ?」

「ええ。聞くところによれば、フリージンガー団長は腕相撲がとても強いとか。もちろん、その部下であるあなたもお強いのでしょう?下手に条件付きで試合をするよりも、簡潔でわかりやすいと思いませんか?」

「その鶏の脚みてぇな腕で、オレに勝つってか?」

「……鳥の脚ほど細くはないですよ」


 むっとして言い返す。


「こう見えて腕相撲には自信があるのです。もし万一わたしが勝ったならば、今後一切、クルタス王立学院の生徒に手を出さないで下さい」

「オレが勝ったら」

「そうですね……残りの滞在期間、わたしに手出しする分にはなにも文句を言わない、とかですかね」


 ぴくりとわたしを抱く手が強ばったが、黙殺した。


「賭けるモンの大小が違い過ぎねぇか」

「仕方ないでしょう」


 肩をすくめて、のたまう。


「わたしはあくまで一生徒です。大した権限は持ちません。自分のことですら、自由にはならないくらいですよ。ご不満なら、例えばこの髪くらいなら差し上げられますが」


 髪を掴んで引き、首を傾げて笑みを深めた。


「そのくらいのハンデも許せないほど、腕力に自信がないのですか?あなたが鶏の脚と言った腕の持ち主に、万が一でも負けると?」

「……スケルツォ」

「あいあい?」


 第五中隊長に声を掛けられて、ニコニコと答えたのは猫背の男。


「第五中隊副隊長だ」


 ウル先輩が、小声で教えてくれた情報に、目を見開く。中背よりやや大きいくらいの、痩せた男。見るからにひ弱げな姿は、第五中隊でそんな地位を保てる人間とは思えない。


「アレの髪に、価値はあンのか?」

「そうですねぇ……」


 その視線と、スケルツォの名で思い出す。


「……なぜバルキアの一騎士団に、大陸随一の商家の血縁がふたりも混じっているのですか」

「完全な漆黒の髪は希少です。増してサヴァンのものと証明が付くならば、一束でも売り様ではあたい千金。あの頭ひとつ分をラドゥニア貴族辺りに売りさばけば、一財産築けるでしょうね。カミーユ・サヴァンのものであれば、さらに値はつり上がったでしょうが、まぁ、それは高望みでしょう」

「闇取引は儲かるし、それだけ今のバルキアに商機があるってことじゃねぇの」

「ハッ、お貴族サマの考えは理解できねぇな」


 同時に口を開いた言葉に、それぞれ相方からいらえが返る。


 制服の下に隠した輸送用保存袋の中身を思って、ひきつりそうになる顔に笑みを張り付けた。


 スケルツォ家はフリージンガー家ほどの大規模家系ではないが、大陸全体に流通網を持つ商家だ。商人としては比較的真っ当な商いを行うフリージンガー家に対し、裏側も手広いのがスケルツォ家だ。大っぴらでなくとも、間違いなくヒトも商品に数えている商家。


 清濁合わせ飲むにしても懐が広すぎないかな流石に……!


 内心ドン引くわたしとは対照的に、第五中隊長は好戦的な笑みを浮かべた。


「なるほどなぁ。良いじゃねぇか。その頭、丸刈りにしてやるよ」

「交渉成立ですね。では、」


 ウル先輩の腕から降りようとしたところで、ひょいと別の腕に捕らえられる。


「面白い話をしていますね?」

「ひゅっ……」


 いつからいたのですかフリージンガー団長……。


「あなた、どれだけ四方八方に喧嘩を売り歩いたら気が済むのですか?」

「わたしが売り歩いているわけではありません」


 むしろ喧嘩の追い剥ぎされている気持ちだ。


「へぇ?なるほど?それで、腕相撲でしたか?私が審判を務めましょう。ウルリエ、あの机をこちらへ」


 わたしの反論など存ぜぬと聞き流したフリージンガー団長が、ウル先輩に指示を出す。


「私が審判をするからには、不正も契約不履行も許しませんよ。それでもやりますか?エリアル、エゴン」


 今契約書を用意しますから。


 言って実際に紙を取り出す辺り、このひとは本気だ。


「それで構いませんから、降ろして貰えますか?」


 演習合宿初日からひょいひょい持ち上げられているけれど、わたしは猫でもぬいぐるみでもないぞ。


「エゴンはいかがですか?」

「オロシテ……」


 黙殺されたよ。泣きそう。

 これまでだってそうだけれど、今日だって、好きで問題起こしているわけではないのですって!!


「随分そのガキに入れ込んでるじゃねぇか」

「ジーノならばわかると思いますが、これは金を吐く猫ですよ」

「そうですね。本人の市場価値もさることながら、固形ルウに、固形コンソメ、先日はコロッケにカレーパンでしたか?ああ、その頭の中を隅々まで余すところなく眺めてみたい」

「木偶についての見解も、詳しく聞きたいところですね」


 待ってその話のときフリージンガー団長いませんでしたよね?いませんでしたよね!?あと猫ではないから。


「聞かれていましたか。……スケルツォで引き抜こうと思っていたんですがね」

「彼はうちの大事な戦力です。それで?どうしますかエゴン」

「ガキに喧嘩売られて逃げちゃ、名折れだろうが」

「良いんですか?一見ただの猫ですが、ノルベルトに勝った化け猫ですよ?」

「いや猫ではねぇだろ「!」ンだよその顔は」

「いえなにも」


 やばいちょっと第五中隊長への好感度が上がるところだった。危ない危ない。たとえ猫ではないと言ってくれるひとでも、彼は騎士の風上にも置けない敵だから。敵。


「チッ、やるよ」

「わかりました。勝敗が決まってからそれに沿った契約書を作る形で良いですかね。では、双方机の前に」


 ようやく降ろして貰えたので、満を持して机に近付く。立ったまま使う用の書き物机だろうか。ちょうどわたしの肘に届かないくらいの高さの、安定は良いが広さはない机だ。


「机の端を掴んでも良いですか?」

「ええ。組んだ方の腕の肘を机から離したり、相手を攻撃したりしなければ、あとはご自由にどうぞ。ああもちろん、魔法の使用は禁止ですが」

「魔法を使ったら腕相撲ではありませんよ」


 言いながら、手を出、


「袖はまくって」

「はい」


 指示されて、肘まで袖をまくる。


 細いとか白いとか、呟く声が聞こえた。対する第五中隊長の腕は、太く日に焼けたものだった。所々、古傷らしきものまで見える。


 手を出し合えば、手の大きさも笑ってしまうほど差があった。


「本当にガキじゃねぇか……、!」


 言った第五中隊長が、不意に目を見開いた。


「?」

「手を組んで」


 疑問に思う間もなくフリージンガー団長から声が掛かり、集中する。

 なにせこちらは速度勝負だ。一瞬の機を逃したら負ける。短髪に抵抗はないとは言え、丸刈りは避けたい。


「位置に着いて、用意、始め」

「っらぁ!──ぅにっ」


 だんっ


「っしゃおら!」


 勝敗は、短時間で着いた。


「勝者、エリアルですね」


 フリージンガー団長の声を聞いてから、手を離す。たった数秒の勝負で、完全に息が上がっていた。ぶわっと、汗がにじむ感覚がする。

 息を整え額の汗を払って、第五中隊長に微笑み掛けた。


「女だって、鍛えれば強くなるのですよ」

「……チッ」


 舌打ちして顔を背けた第五中隊長の前に、フリージンガー団長が紙を置く。


「第五中隊長の名の下に、第五中隊は今後一切クルタス王立学院の生徒に危害を加えないと誓約する。なお、危害とは、身体及び精神に不必要な苦痛を与える一切のことを指す。よろしければ、サインを」


 黙ってサインをする第五中隊長に、フリージンガー団長は言った。


「これが守られるかはあなたの手腕次第ですが、」


 続く言葉は周囲に聞こえないよう潜められたものだったが、同じ机に相対していたわたしには、フリージンガー団長の言葉がわかった。

 その結果によっては、第五中隊の解体も視野に入れます、と。


 ぐっと押し黙った第五中隊長からサインの書かれた紙を奪い、フリージンガー団長が振り向く。


「さて、気は済みましたか問題児」


 後ろを見る。誰もいない。


「問題児エリアル・サヴァン。あなたに訊いています」


 デスヨネー。


 若干死んだ目になりながら、フリージンガー団長へ目を戻す。


「わたしは自分が、平穏に演習合宿を過ごせればそれで良いのですが……」

「あなただけ演習内容を団長補佐にしましょうか?」

「フリージンガー団長の判断にお任せします」


 アジの開きのような目で虚ろに答えれば、どう思ったかフリージンガー団長に頭を撫でられる。


「とりあえず、今日は私に付いていなさい。ジェリーについて、聞きたいことがあります」


 わたしにそう言ったあとで、フリージンガー団長はほかの面々にも指示を出して行く。


 ふと、気になって訓練場を見渡した。誰もわたしが不正をしたと疑う声を上げなかったなと思って。それだけ、フリージンガー団長に力があると言うことだろうか。


 フリージンガー団長と一緒にいれば、とりあえず問題は起きないだろう。


 ドナドナされながら、そんなことを思う。


 なんだか長く感じた四日目も、このあとは無事に終わりそうだ。

 

 

 

拙いお話をお読み頂きありがとうございます


……敵だらけで本当に削られるはやくツェリさんに会いたい


続きも読んで頂けると嬉しいです

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― 新着の感想 ―
[一言] もう、ウル先輩かっこよすぎませんか?ツェリがいないこの合宿唯一の癒しと言ってもいいのではないでしょうか。 るーちゃんはこの合宿でどんどん黒い所が見えてきましたね。優しいだけじゃないるーちゃん…
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