取り巻きCと牡丹百合 よっかめごぜん
取り巻きC・エリアル視点
エリアル高等部1年の年始
カーテンを開けて、外を見た。
雪は、降っていない。槍も。
-ちょっと、失礼じゃない?
-いやうん。ごめん。つい
カーテンを閉めて、苦笑した。
-えーと、ありがとう、とりさん
取り巻きC、ただ今演習合宿四日目朝です。
みなさまおはようございます。就寝前のハプニングはあったものの、すっきり眠って爽やかな朝!に、冷や汗をかいている取り巻きCこと、エリアル・サヴァンです。
いや、だって。いやだって!
昨日部屋移動途中から、記憶がないのですけれど!?
寝落ちた。これは寝落ちた!
自衛しろと再三言われているなか、ウル先輩とは言え他人の腕で寝落ち!あふぉか!
怒られる。誰からかはわからないけれど、これは確実に怒られるよう……。
跳ね起きた体勢のまま顔を覆ってぐるぐる考えていたら、頭のなかで盛大な溜め息が響いた。
-とりさん?
-慌てているところ悪いけれど
若干冷たさとトゲを感じる声に、腕組みして斜にこちらを睨む邪竜トリシアの姿がありありと思い浮かんだ。
-おばかの眠り猫が寝落ちた後始末は、ちゃんとしたよ
-え
-エリアル・サヴァンは部屋に案内されてから、自分で部屋に入って案内のお礼と就寝の挨拶を述べたし、自分で施錠してベッドに入り、防御壁を張って就寝した
ちゃんと防壁あるでしょうと言われ、確かめてみればなるほど防壁が張られていた。自分だから、これは自分が張ったものではないとわかるが、そうでないと見分けは着かないであろうほど、巧妙にエリアル・サヴァンの魔法に似せられた魔法。
-さすが、邪竜……
-ふん
鼻を鳴らしたとりさんが、言葉から険を抜く。
-だいぶん眠って回復したとは言え、まだ年末の疲弊は残っているんだよ。疲れやすくなっているから、魔法の無駄打ちと無理はしないで、睡眠は十分に取りなよ
-……とりさんがやさしい
きゅ、と頬をつねってみたら痛かった。
寝台から立ち上がると窓に歩みより、カーテンを開けて、外を見る。
雪は、降っていない。槍も。
-ちょっと、失礼じゃない?
-いやうん。ごめん。つい
カーテンを閉めて、苦笑した。
-えーと、ありがとう、とりさん
直に触れ合えないのを残念に思いながら、せめてめいっぱいの笑みを浮かべる。
-別にっ!ほら、はやく着替えなよ。荷物を移動させなきゃなんでしょ?
急かす声に笑いながら、朝の支度を始めた。
それから、なにごともなく朝の支度を終えたところでフリージンガー団長が来て、前の部屋の鍵を渡してくれたので、朝食前に荷物を取りに向かった。
粗相の痕は綺麗に片付けられ、割られた窓にはとりあえずの手当てか板を貼り付けられていた。大した荷物を持って来ているわけでもないので、さっさかまとめて運んでしまい、朝食へ向かう。
食堂へ足を踏み入れたとたん、空気が動くのを感じた。
特に反応も返さず、フリージンガー団長を探す。
「鍵をお返しします。ありがとうございます」
「なくなっているものはありませんでしたか?」
「はい。大丈夫でした」
座りなさいと視線で示されて、気は進まないながらフリージンガー団長の横に座る。
今日の朝食は豆のスープとパンに、
「これ、竜馬、ですか……?」
小さめに切られて、じっくり煮込まれたお肉。牛でも、豚でも、鳥でも、蜥蜴でもないこれは。
「ええ。あなたの解体が早かったので、煮込んで貰いました」
「えぇ……?まともに血抜きもしていませんよ?」
肥料にすると聞いていたので、骨は抜いたしある程度部位ごとで分けたとは言えそれだけだ。一昨日殺されたまま昨日まで手付かずだったし、昨日も昨日で速度重視して、綺麗に皮を剥ぎ骨を抜くことしか考えなかった。
皮と骨は洗ったけれど、あとは肉も内臓もごったでまとめて置いた上、水にさらしてすらいない。
「せっかく冬場に生肉があるのに、干し肉や塩漬け肉を食べるのも馬鹿らしいでしょう?」
「竜馬の肉ですよ?」
「私に勝てない人間に、肉の種類で文句を言わせるつもりはありません」
体力を付けて出直させます。
いと爽やかに言って退けたフリージンガー団長は、いつぞやのアクス公爵以上に……うん。
返す言葉も見付からず、言葉濁しに口にした竜馬のお肉は、よく煮込まれて濃いめに味を付けられていたため、臭みこそ気にならなかったが、やっぱりとても硬かった。
……これ、朝から食べるものじゃないなぁ。
昼でも夜でもこの固さは遠慮したいけれど。
自分ならどう料理するだろうかなんて考えながら、もごもごと口を動かす。
……筋張っていて噛み切れない。小さめの一口大だから飲み込んでしまっても良いのだけれど、タイミングがわからない。ホルモン食べてる感じ。
あれ、飲み込むって、どうやるのだっけ……。
「あなたは無理に食べずとも構いませんよ」
ドツボにはまって一向に飲み込めないわたしの前から、フリージンガー団長が竜馬の煮込みを奪う。
「その身体で十分強いですからね」
わざわざ肉を付けて重くなることもない、と肩をすくめるフリージンガー団長を、もぐもぐしながら見る。
もぐもぐしているから、返答も反論も出来ない。
良いか、いちにのさんでのみこむのだ。せーの、いち、にの、さんっ、んぐぅ。
喉につかえて若干涙目になったが、なんとか竜馬肉を飲み下して、ふーと息を吐く。苦手なのだよ……噛み切れないタイプのお肉……。
「……昨日は、よく眠れましたか?」
そんなわたしを横目に見て、フリージンガー団長は話題を変えた。
わたしから奪った竜馬の煮込みは、逆隣に座る騎士さんの前に移されていた。
「ええ。お陰さまで」
邪竜に身体を乗っ取られたことにも気付かずぐっすり……って!
待った。ええ?待って!?
意識がない間とは言え、また身体の主導権奪われているじゃないか!
え?大丈夫なの?邪竜の封印解けてない??邪竜漏れてない!?
「エリアル?なにか不都合でも、」
「いえ!」
動揺が顔に出てしまっていたらしく問うて来たフリージンガー団長に喰い気味に返答し、矢継ぎ早に話題を変える。
「それより、昨日はあれからどうなりましたか?」
大丈夫だ。今日も身体に刻まれた呪いは、絶好調で身体に痛みを伝えている。
邪竜は多少漏れているかもしれないが、完全に解放された訳ではない。
いざと言うとき漏れた邪竜を利用出来ると考えると、むしろ良いことじゃないか。うん。そう言うことにしよう。
問い掛けを口にする間に自分のなかで折り合いを着け、フリージンガー団長へと顔を向けた。わたしが寝落ちたあとの対応をしてくれたとりさんいわく、あとは騎士団で始末を付けるからゆっくり休めと言われたらしいので、経過は知らなくて問題ないはずだ。
フリージンガー団長は強引な話題転換にしばし疑うような顔をしたが、追及はせずに答えてくれる。
「砦内に侵入した数名は全員捕らえましたが、ほかにも仲間はいそうですね。こちらでも引き続き警戒と尋問は行いますが、根絶は厳しいでしょう。あなたは確実に標的ですから、警戒を怠らないようにして下さい」
ぱた、ぱた、ぱたと、三度まばたきする。
「なにか?」
「いえ。なにも」
顔を戻し、豆のスープを口に運ぶ。トマトベースのスープは胡椒がしっかり利いていて、ほっこりする温かさだった。
和食材や乳や卵、海産物の入手には苦労するが、トマトや馬鈴薯、香辛料は普通に出回っている。そこは、南北米大陸への航路発見以前の欧州よりも、恵まれていると言えるかもしれない。
こくり、と飲み込んでから、口を開いた。
「気を付けます。迷惑をお掛けしてしまい、申し訳ありません。必要であれば窓の修理費用の請求をして下さっても」
「あなたは夜間外出したわけでもありませんし、こちら側の要望に従って上級官吏宿舎に寄留して下さっています。非のない人間に責任を問う気はありませんよ」
「ですがわたしがもっとちゃんと防御壁を張っておけば窓は、」
白く細いが硬い指が、唇に触れた。
「そもそも侵入者を許さなければ、防御壁など不要でした。それに、我が騎士団の所属兵のほとんどは、魔法を使えません。魔法頼りの防衛策など、笑止千万です」
冷めないうちに食べなさい。
わたしを促してから、フリージンガー団長は続ける。
「一階と二階の窓には鉄格子をかけてあります。三階以上にもかけるべきでした。あるいは徹底的に、侵入経路を潰すか。格子や鉄窓にすると言う対策も取らず、伝って登れる余地をなくしもしなかった。明らかに、我々の落ち度です」
つらつらと語るフリージンガー団長の手元を横目で伺えば、すでに食事は終えられ、食後の紅茶を手にしていた。ツェリの髪ような赤みはない、薄い琥珀色の紅茶だ。
紅茶をひとくち口に含み、フリージンガー団長はため息を吐いた。
「まず敷地内への侵入を許した時点で見張り担当の失態ですし、あなたの滞在部屋もどこから漏れたのか……一度兵士や庶務方も洗い直す必要がありますね」
かすかに、優美な口端が持ち上げられた。
「移籍前の大掃除と思えば、ちょうど好い。弛んでいる箇所も見直し、徹底的に締め直してあげましょう」
さして大きくはない、むしろ小さな呟きと言って良い言葉だったが、効果はてきめんだった。それまで各々の会話が飛び交っていた食堂内の騎士たちが、サァ……っと静まる。
空気の読める学生たちも会話を止めたので、天使が通り過ぎたような沈黙が場に降りた。
もしや、これ、わたしのせいかな?
「結果的に被害は窓だけで、侵入者も取り押さえたわけですし……」
「ですし?なんですか?」
にっこり。
見かねて反論を試みたわたしに、黒薔薇の笑みと騎士たちのすがるような視線が向けられる。
「ここに、要人が訪れる機会も、少ない、ですから……」
「そうですね。数少ない機会で、見事防衛に失敗したわけです」
うっ。そ、それはそうかもしれないけれどさぁ……。
「わたしは、無事、ですよ?」
「あなたが用心していたお陰で、ですね」
「そうです。わたしは、自衛出来る人間です、から、無理に守る必要はなかったのです」
頷いて、拳を握る。
「守らなくてはいけない人間ならば窓の外も扉の前も警戒していれば良かった話。それをしなかったのは、わたしを信頼して下さったからでしょう?ですから、やはり昨日のことはフリージンガー団長の信頼を裏切ったわたしの責任であって、ルシフル騎士団のみなさまの非では、」
「エリアル」
微笑んだフリージンガー団長が、わたしのお皿を指差す。
「まだ、食べ終えていないようですが?」
早く食べろ=黙れ。ですねかしこまりましたぁ!
ごめんなさいみなさま。期待には応えられませんでした……。
すごすごと食事に戻るわたしの横で、フリージンガー団長が誰ともなしに言う。
「さて、一回りも年下の騎士見習いに庇われると言うのは、なかなかどうして、心に刺さるものですね」
え゛。いえあの、フリージンガー団長を貶めるつもりは……。
「お前らの能力なんて当てにしていないと、年下の女に言われる気分はいかがですか?」
煽りよる。だからそんな意図で言っていないから……。
思っても食事を終えない限りわたしに発言権はない。
もきゅもきゅと頑張って食べるわたしの背が、とんとんと軽く叩かれる。
小さく、慌てなくて良いよぉと言ってくれたのは、淡く微笑む銀色の瞳だった。
「エリアルに騎士団を貶める意図はないことくらい、フリージンガー団長でしたらわかっていますよねぇ?」
問い掛けながらも答えを待つことはなく、るーちゃん、ブルーノ・メーベルト先輩は続ける。
「昨日の言葉、聞いていたでしょう。彼女は国防の要。守っているのはこの国です。たかだか一地域の騎士団なんて、眼中にないんですよ。元々意識の上にないから、貶める必要もないんです」
……え?
予想外の発言に、固まる。
いや、待って。るーちゃん、待って。
ソレ、フリージンガー団長の発言より、酷くない、デスカ?
「そうじゃねぇ!──っすよ」
あまりの状況に反論も食事も忘れたわたしに代わって、発言してくれたのは昨日夕食時に会話した彼だった。
がたっと椅子を蹴倒して立ち上がった彼が、ルシフル騎士団団長と、騎士科の聖女さまに真っ向から喰って掛かる。
「そいつはただ抜けてるだけで、さっきの発言だって、自分のせいで他人が迷惑をこうむるのが嫌だっただけです。ルシフル騎士団のことはちゃんと認めてるし、昨日なんか、騎士団の兄さん方に指導して貰うの、楽しみだって言ってて……っ」
言葉の途中で自分に集まる視線に気付き、うっと詰まる。
「そうっすよ」
詰まった彼を援護したのは、隣に座る一年生だった。彼も昨日、少し話した相手だ。
「そいつは野生のおおばかねこだから警戒心と自立心が強くて厄介だけど、おおばかなだけで害意はないって、先輩も言ってましたし。ばかだから言葉の選び方を間違えただけっす」
「だよな」
「猫だもんなぁ」
いや猫ではないよ?
と言うか野生のおおばかねこって……シュヴァイツェル伯爵子息……。
「とにかく、エリアル・サヴァンは高慢ちきなクソ貴族じゃないんで。ええと、あんまりそんな、反感煽るようなことは」
「料理人に当たり前に協力する女っすよ?」
「平気で下町うろつくしなぁ」
一年生たちの言葉を皮切りに、一年二年三年問わず、そこここからわたしに対する評価とも噂話とも取れない会話がこぼれる。
「その辺で寝るし」
「魔法持ちも鼻に掛けねぇし」
「鍛練ですっ転んでも泣きも怒りもしないよな」
「猫だし」
「猫だよな」
「猫だからな」
だから猫では、ああまあ良いか。
思わぬ方向からの援護により与えられた時間で、どうにか朝食を食べ終えて口を空ける。
「さすが、」
「申し訳ありませんでした!」
フリージンガー団長の言葉を遮り、がたっと立ち上がった。椅子をしまってフリージンガー団長へ向き直り、すっと頭を下げる。
「部外者の分際で差出口を致しました」
顔を上げて、喉元に触れる。触れた鈴が、鳴ることはなかった。
「幼少より、我が身も周囲も守れとしつけられて参りましたために、深く考えもせずに先の発言をしてしまいました。騎士団を貶めるつもりも、実力を疑うつもりも一切ありませんでしたが、そのように取れる内容であったことは事実です。非礼を、お詫び致します。申し訳ありませんでした」
言って、もう一度頭を下げる。
下げた頭頂に、ため息が掛けられた。
「国を喪い、子爵家に墜とされても、北の要塞国家において軍事力の要とされたその在り方は、変わらないわけですね」
古い話を、とは、思わない。フリージンガー家は大陸を股にかける行商集団で、歴史も長く、そして、行商は情報を征してこそ最大の儲けに繋がるのだから。
政略級の能力者を多数輩出して来た家と、その所属国について、知識を持っていないはずがない。
なにも、答えはしなかった。フリージンガー団長の言葉は謝罪を受け入れた内容ではなかったからだ。
「頭を上げなさい」
指示があって初めて、顔を上げる。
「あなたはあなたが原因で、私が怒ったと考えているようですが、今回のことは問題露顕のきっかけであって、問題の原因ではありません。いずれもっと取り返しの着かない状態で露呈して、厳重な処罰を受ける可能性もあった。理解出来ますか?」
言われたことはもっともで、反論のしようもなかった。
しゅんとしながらはいと答えれば、華奢にも見える手が頬に触れる。
「そう育てられたゆえに、仕方のないことなのでしょうが、なんでもかんでも自身の身のうちに抱え込むと言うのは、正しくありませんよ。この世のすべてがあなたの責任、などと言うことはあり得ませんから」
「そう、ですね」
そんな傲慢なことを、思ってはいなかったけれど、思っているように見えたのだろうか。
「あなたの味方をする者は、あなたが思うより多い。覚えておきなさい」
周りを頼れ、なんて、とりさんみたいな助言だ。でも、
「いつも、助けられてばかりです」
前世も今も、わたしは周りに頼ってばかりだ。
「違います」
「え……?」
フリージンガー団長が立ち上がり、わたしの耳に唇を寄せる。
「あなたはそれで良いと、私は言っているんです」
小さく告げられた言葉に、目を見開く。
「サヴァンは周りに囲われるくらいで良い。あなたはむしろ、動き過ぎです。周りはなにをやっているのか」
ふわりと、風が髪を揺らした。
魔法だ。
「あなたが許すなら、もっとふさわしい扱いがされるよう取り計らいますよ?サヴァンの力が求められ続けるなど、正しい国の在り方ではありません」
瞬間、言われた意味がわからず呆ける。
いま、彼は、なにを、
「フリージンガーならば、守れますよ。あなたも、あなたの守りたいものも」
それは。
それは、敗北勧告だ。
にこり、と、微笑んで見せる。
「籠の鳥になる気はありません」
顎を持ち上げ、首の枷を誇示した。
「心外ですね。首輪も外せぬ仔犬と思われるとは」
「あなたは仔猫では?」
「猫ではありません」
この会話最近多いなもぉ。
「待遇も処遇も、望んで身を置いているもの。逃げられないわけではありません。逃げないのです」
ツェリが心から逃げたいと願うなら、今すぐにでも国を棄てる。それが出来るだけの力と覚悟は持っている。
ヴァンデルシュナイツ・グローデウロウスは、逃げ出したエリアル・サヴァンを見付けなかった。
それが答えで、すべてだ。
この国に、単独で邪竜トリシアに勝てる可能性のある人間は、ヴァンデルシュナイツ・グローデウロウスを除いてほかには存在しない。国殺しのサヴァンと邪竜トリシア、変化の竜モモが手を組んだ状態ならば、この国で太刀打ち出来るのはヴァンデルシュナイツ・グローデウロウスだけだ。
そのヴァンデルシュナイツ・グローデウロウスが、逃げたエリアル・サヴァンを追わないならば、逃亡の成功は約束されたようなもの。
ゆえにわたしは逃げられないのではなく、逃げない。出来ないのではなく、やらないだけなのだ。
なにも知らず、なにも求めず、周囲の庇護を笠に着ていれば、悩むことも傷付くことも苦しむこともなかったかもしれない。それこそ前世のわたしのように、周りに寄り掛かって生きていれば。
けれど前世のわたしは、その小さな手になにも掴めなかった。その小さな手では、なにも守れなかった。
この手で掴むことを、この手で守ることを、覚えてしまった今、知らなかった頃には戻れない。
しっかりと黒薔薇の瞳を見据えれば、なぜか歯痒そうな顔をされて。
「……ほんとうに、サヴァンは」
小さなぼやきのあとで、頬に触れていた手が上り、ぐしゃりと髪を乱された。
「では今は引き下がりましょう。けれど隙が出来たならば、容赦なくさらいますから、そのつもりで」
ああ。
どこか諦めたように細められた瞳を見て、思う。
このひとはやはり、優しいひとだなと。
「それを伝えるために、わたしをここに?」
「まさか」
わたしの頭から手を離したフリージンガー団長が肩をすくめた。魔法が、消える。
「それだけで動きはしませんよ、私は」
「、」
「さて。良い加減朝食に時間を割き過ぎですよ。早く午前の業務に向かいなさい」
それ以上のどんな問い掛けも断ち切って、フリージンガー団長は嗤う。
言葉を遮られたるーちゃんが、珍しくも露骨に顔をしかめる。フリージンガー団長を前にしたるーちゃんは、年相応な面が際立って親近感がわく。
「ブルーノは引き続き医薬管理を。エリアルはウルリエの班に混じって騎士の業務に参加しなさい」
「はい!」
「……わかりました」
ようやく普通の班に戻れると決まって顔を輝かせるわたしと、不満を残した返事をするるーちゃんに頷きを返し、フリージンガー団長が指示を続ける。
「ラファエルの班は午前が鍛練、午後が雑務。ウルリエの班は逆です。午前中はラファエル班が第一中隊、ウルリエ班が第四中隊の業務に随行しなさい。午後については昼食時に追って指示を出します」
てきぱきと出される指示を聞き、各々動き始める。
「行くぞ、エリアル。お前はこっちだ」
途中でウル先輩に拾われ、第四中隊の隊長さんに顔合わせされる。集合場所と時間に持ち物を伝えられ、準備して来るようにと解散。
寄り道はせず室内だけを通って移動したので特に問題は起きずに第四中隊と合流出来、与えられた仕事は、
「騎士団詰所の警備強化案……」
まさに朝話題にされた内容で、反応に困る。
「一度突破された以上、対策は早いに越したことはありませんから」
第四中隊の隊長さんは体格は良くも物腰の柔らかいひとで、口調もとても丁寧だ。初対面の印象としては、むしろ文官さんの方が向いていそう。
それでも実力主義のルシフル騎士団でのし上がっているひとなので、なにかしらの能力に秀でているのだろうけれど。
「確実なのは、三階以上にも鉄格子だろ」
「しかしそれでは時間も費用も掛かります」
ルシフル騎士団の詰所は本棟、訓練棟と二棟の宿舎棟からなり、本棟と宿舎棟のうちひとつは五階建て、もうひとつの宿舎棟が四階建ての訓練棟が三階建てだ。部屋数も多く、比例して窓も多い。
そのすべてに鉄格子をはめるとなると、一朝一夕に出来ることではないだろう。
「そもそも侵入経路はどうなってたんだ?普通に柵越えて?」
「雨どいを伝ったようです」
「木を登って侵入しようともしたらしいと……尋問班が」
……尋問班がやっているのが尋問なのか拷問なのかは、訊かないでおくね。
すぐ出来てお金も掛からない侵入対策かぁ。前世だったら電気柵とかになるんだろうけどねぇ。この世界で現実的なものとなると、
「有刺鉄線ですかね……」
「ユウシテッセン?」
はい。
やらかしましたね。
きょとんとこちらを見たウル先輩に、コロッケの再来を悟って口を押さえかけたところで、いや違うぞと思い直す。今回に限っては、情報源の提示が可能だった。
「実家の蔵書で読んだのですけれど、鉄線に斜めに切った短い鉄線をたくさん付けたものを、柵の上などの通られたくないところに取り付けるんです。無理に通ろうとすると鋭い鉄線の先が皮膚を裂くので、侵入を阻む効果が期待出来ると」
実際、要塞国家と呼ばれた祖父の祖国では、実用されていたらしい。鉄製の戦車はまだ存在しない世界だから、十二分に役立つ装備だっただろう。
「そんなに、効果あんのか?」
「設置方法にもよるでしょうが、巧く設置すれば皮膚を傷付けるだけでなく服に絡み付いて身動き出来なくすることもあるそうですし、無理に通れば怪我だらけで血まみれです。切ってしまえば通れますが、巡回で警備をするようにすれば、警備が見付けられるだけの十分な足止めと思いますよ」
前世では専用の対策武器が編み出されるほどに厄介な存在だったらしいし、文明が発達しても廃れることのなかった存在だ。見た目にも恐怖をあおるので、虚仮威し的な効果も期待出来るだろう。
「……サヴァン嬢、それ、詳しく」
「へ?」
ウル先輩との些細な雑談のつもりだったが、いつの間にか注目を浴びていたらしい。第四中隊長さんから水を向けられて、ぴっと背を正す。
「ええと、あの」
手近な黒板とチョークを手に取り、有刺鉄線と言う名前と簡単な模式図を描く。
「このような、トゲ付きの鉄線を作って、こう、柵の上に張るのです。ネズミ返しのように外へ傾斜を付けても良いですし、このように螺旋状に設置しても効果があります」
「なるほど。荊の蔓のようなものですか」
「そうですね」
頷いたわたしから目を離し、中隊長さんが考え込む。
「鉄線なら、倉庫に古いものがあったはず……加工に時間と人手を割けば……なんならトゲに毒を仕込んでも……」
おや?不穏な台詞が聞こえたような……?
「試す価値はありますね。早速団長に提案して、許可が出次第有刺鉄線の作成と、小隊長以上は設置方法などの細かい打ち合わせと行きましょう。もし、それ以外の案がある者は、俺が戻るまでに詰めて、戻ったら報告して下さい。では、戻るまで待機」
にこっと微笑んで扉へ向かう中隊長さんが、小さく、風雨のなかでも毒素が保たれやすい毒薬は……と呟いていた。真顔で。
いや待って。確かになにかしらの能力に秀でているのだろうと推測はしたけれど!!
「あのひと、この騎士団で二番目に怒らせちゃまずいひとだかんな」
唖然と扉を見つめていたら、どこか遠い目のウル先輩に肩を叩かれた。
ギギギ……とウル先輩へ向き直れば、
「超回復魔法持ちの毒使いだ。毒の知識ならブルーノとフリージンガー団長でも敵わねぇ」
「ひぇ……」
ざ、雑談に怒られなくて良かったぁああ。
「経理の管理にも携わってるからな」
「硝子割られて静かに切れてて」
「また実験の被害者が出るかと……」
わらわらと集まって来た騎士さんたちの表情には、一様に安堵が浮かんでいる。
「経費が掛からない効果的な報復案が出て良かった」
「本当に、助かったよな」
「あとは戻る前に補強案か」
「捻り出せよ!」
いくつかの集団に分かれて、うんうんと唸り始める。
同じ建物で寝起きしていながらあまり関われていなかったけれど、真面目な団員さんが多いようだ。
「第四中隊は中堅部隊で、手堅い団員が多い。太刀筋も比較的型通りの兵が多いから、鍛練でもわかりやすくためになる助言をくれる」
騎士さんたちを眺めていたわたしに、ウル先輩がひと言。
「そうなのですね」
「ああ。精鋭じゃねぇが縁の下の力持ちだな。……中隊長のおかげでほかの中隊や街の荒くれ者からも一目置かれてる、と言うか、うん、まぁ、察しろ」
察しました。
超回復魔法とは、回復魔法の強化版、ではなく、異常回復を起こさせる魔法だ。強制的に細胞をがん化させる魔法、と言えばわかりやすいかな。異常細胞増殖を起こして身体の機能不全を起こさせ、最悪の場合死に至らしめる。
どうやら代謝の活性化も促進しているようだから、巧く制御すればもちろん回復魔法代わりに使えるし、薬の効果を上げるなんてことも出来るらしいけれど、毒の効果を高めることなんかも可能なわけで、毒使いとの相性は……。
中隊長さんがどの程度の使い手なのかはわからないけれど、あまり科学の発展していないこの世界のひとから見れば、明らかに異常な異形を生み出す魔法だ。国殺しほどではないにしろ、忌み嫌われる魔法である。
だから、物腰柔らかくひとあたりが良いのかもしれないな。
「まぁ、毒を使うより錆びた鉄線で破傷風を狙った方が、安価で悲惨ですよね」
対象でないひとも危険だから、お勧めはしないけれど。
「エリアルお前、拷問の才能あるな」
「褒めていますか、それ?」
「どちらかと言うと、褒めてねぇな」
「それはどうも」
あとは安直だけれど忍び返しかな。でも、有刺鉄線の方が避けにくいからな。
「実も蓋もないことを言ってしまうと、侵入経路に音魔法か光魔法を設置するのが手軽で確実ですよ。接触で警報が発報されるようにしておけば、すぐ警備が気付けます」
「……最新の魔法を手軽とか言うなよ」
「あはは。電撃魔法を設置しておけば物理的に撃退出来ますね。問題は、野性動物や雨水などへの反応を、いかにして防ぐかですけれど」
誤報は厄介だ。巧く侵入者にだけ過不足なく反応するようにしておかなければ、狼少年になってしまう。
「お前、設置魔法使えるんだろ?どうしてるんだ?」
「基本的にはオルゴールを鳴らすなどの、決まった手順で発動するようにしていますよ。そうでない場合は、ヒト特有の生体反応を感知するように細かい設定を」
前者が去年アーサーさまに貰ったオルゴール。後者が夏の演習合宿で設置したものだ。
「よくそんなややこしいこと出来んな」
「指導教官が几帳面なので」
フラット未満の音のズレすら指摘して来る、絶対音感の持ち主だ。音魔法の第一人者の弟子にして、設置型の音魔法を今まさに飛躍的に進化させ続けているひと。
……音魔法の指導者が少いからとは言え、我ながら凄まじいひとの指導を受けているな。落ちこぼれの生徒で、申し訳ない。
「……設置魔法は現実的じゃねぇにしろ、警報を自動で発報する魔道具を設置するのは、ありだよな」
「たぶんそれはもう設置されていると思いますよ?」
「ん?そうなのか?」
首を傾げるウル先輩に頷きを返す。
「夜間のみ、ごく薄くですが、建物の入口と外窓に魔力が張られています。侵入者を感知して、フリージンガー団長へ知らせる魔道具ではないかと」
昨晩侵入者が現れたとき、フリージンガー団長が最も早く駆け付けた。あれは、どこに侵入者があったかを、魔法で感知していたからだろう。
窓に近付いて、鍵に触れる。武骨な窓には、小さいが石付きの鍵が付いていた。おそらく屑魔石に分類はされるだろうが、立派な魔道具である。
「これ、恐らく子機です。親はフリージンガー団長が所持しているかと」
「まじか」
「この程度でしたら使う魔力も少ないですからね。警備強化には良いでしょう」
目をぱちくりさせて窓の鍵を見つめたウル先輩が、片目をすがめる。
「つまり、フリージンガー団長は厳重に侵入対策を取った上で、さらに厳重な対策をしろっつってるっつーことか?」
「これでは建物内への侵入を防げませんから、入られないに越したことはないですよ?精度的に出入りの感知くらいしか出来ないので、野外の警備には使えませんし」
単なる最終防衛ラインだろう。突破されない前提のもの。
「あー、そうだな。建物に入られちまってる時点で駄目か。となると、ほかの対策か。んー、有刺鉄線以上のは、思い付かねぇな」
「そうですか?」
首をかしげて苦笑する。ウル先輩なら、思い付きそうなものだけれど。
いや、どちらかと言うとラフ先輩かな?
「もっと簡単な方法も思い付きますよ?」
「例えば」
「柵の下に深めの塹壕を掘っておくとか。塹壕内に有刺鉄線で作った鉄条網を仕掛けておくと威力が高いです。雨どいや木に登られると言うのであれば、その回りに穴を掘れば良いでしょう。穴でなく、トラバサミやトリモチ、霞網を使っても良いです。音魔法の設置が無理でも、見えにくい色の糸を張って、糸に触れたら鳴るように鈴でも付けておけば同様の効果が期待出来ます」
立て板に水で話してから、肩をすくめる。
「知恵があると言ってもしょせん、人間だって動物ですからね。鳥獣に有効な罠は、人間にもある程度効果がありますよ」
「……お前は敵に回したくねぇわ」
「それはどうも」
わたしも、ウル先輩は敵に回したくない。
苦笑いを返したところで、中隊長さんが姿を見せる。フリージンガー団長からの許可が出たので、有刺鉄線を作るとのこと。
作業できる場所に移動し、道具と材料を用意する。
あとは黙々と、工場制手工業だ。
ペンチで鉄線に鉄線を結わえ付けながら、ふと思う。
「これ、初日と昨日と、やっていることに変化がない……?」
「なにか文句ですかサヴァン嬢」
「いいえ、なにも」
首を振って、手元に集中する。
気を抜けば手をざっくりやられる。気を引き締めて掛からなければ。
真面目にやります。真面目にやっていますから、ぼそっと、サヴァンの毒耐性……とか呟かないで下さいお願いします。いや確かに毒耐性ありますけど!大抵の毒は効かない仕様ですけれども!
第四中隊長さんは、怒らせないようにしよう。そうしよう。
心に誓い、以降は黙々と作業を進めた。
そう。怒らせるつもりなんて、さらさらなかったのだ。
「なにを、やって、いるんですか?」
午後だって大人しく過ごすつもりで、面倒事など起こす気はなかった。なかったのに。
「どうやら死にたいようですね」
誓いも虚しく背後にブリザードを吹き荒らさせた第四中隊長さんと対峙するはめになっているのは、いったいなぜなのかな……。
拙いお話をお読み頂きありがとうございます
漏れる邪竜とやらかす仔猫
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