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取り巻きCと牡丹百合 いちにちめ そのに

取り巻きC・エリアル視点


エリアル高等部1年の年始


前話続きにつき未読の方はご注意下さい

 

 

 

「わ……」


 るーちゃんに連れられて医薬管理室へ入った途端、独特の雰囲気に呑まれて思わず声が漏れた。


 薬品の変質を防ぐため光を遮られた部屋には一見窓がないのに、どんな構造か風の流れがある。よどむことなく通り道を作られた空気に乗って香る、薬草と消毒液の匂い。


「思ったより、ものが少ない?ですね?」

「エリアルはそう言う感想になるんだね」


 見つめて呟いたわたしへ、るーちゃんが笑って見せる。


「地方の砦だとまた違うんだけど、ここは王都から近いからねぇ」


 ランプのほのかな明かりで照らされた視界のなか、ずらりと並べられた薬壺や薬瓶は数こそ多いが種類は少なく見えた。


「もちろんある程度種類は揃えているけれど、ここでするのはあくまで応急処置で、いざとなれば王都に運ぶんだよ。街に医師も薬師もいるから、砦以外の人間が運び込まれることがほぼないのもあって、基本的に怪我の薬と痛み止め、熱冷ましくらいがあれば事足りるんだぁ」

「なるほど」

「砦専属で医師はいるけど治癒魔法使いはいなくてね。怪我をした場合はここで手当てして、基本的には隔週で来る治癒魔法使いを待つことになる。重症だと、王都から呼んだり王都に運んだりもするけどねぇ」

「だから、消毒薬と傷薬はこの量になるのですね」

「それもあるし」


 るーちゃんが作業机に道具を出しながら言う。


「有事に向けた備えでもあるね。いつ、戦争や災害が起きても治療薬に困らないように、どの砦も保持する戦力の倍の人員が治療出来るだけの物資は持つよう、定められてるから」

「もしかして、食糧も?」

「うん。砦の地下庫を開ければ、この街のひと全員がひと月は籠城出来る程度の食糧は備えられているはずだよぉ。ちなみに」


 こちらを見たるーちゃんが目を細める。


「古くなった食糧は孤児院や救貧院へ支援物資として送られたり、近隣住民に配られたり、演習時の携行食糧にされたりして使われるから、無駄になることはないよぉ」

「ああ」


 思い出して、苦笑した。


「食べたことありますよ、それ」

「え?」

「孤児院で」

「えぇ?なにやってるのぉ?エリアル」


 さすがに呆れ顔になったるーちゃんに、弁解を。


「巻き上げたわけではないですよ?」

「それはわかるけどぉ」


 ため息を吐きながら、るーちゃんが座ってと椅子を示す。椅子のうしろに薬草と思われる麻袋が積み上げられているけれど、もしやそれが全部今日使う材料とか……言わな……、


「食べないと収拾が着かない状況に陥ってしまって」

「どんな状況?」


 手伝う作業の指示を受けながら、ぽつぽつと雑談が進む。どさりと置かれた薬草の山は、馬鈴薯並みの気の遠さを感じさせたから、雑談でもしなければやっていられない。


「ええと……たまたまバザーの手伝いに行った日の夜が、豪雨で。手伝いをしている間に仲良くなった孤児院の子供に、帰らないでと泣き付かれて一泊することに」

「孤児院で?」

「ええ。それで、食事の時間もべったりだったので食べないで済ませるわけにも行かず」


 机に置かれた薬研で薬草をすりつぶしながら、当時を思い出して苦笑した。

 席に食事を用意された挙げ句、こんな粗末な食事は食べたくないでしょうけど、と言われてしまえば、固辞も出来なかった。わたしに食事をさせるための方便とわかっていても、子供の前ではそんなことないと言って食べるしかない。

 出された料理はたしかに質素で、調味料も具も乏しくはあったけれど、とても温かいものだった。


 なにげなく食べたものだったが、そうか、あの料理にお肉が入っていたのは、騎士団備蓄の下げ渡しだからか。


「孤児院で、一泊って……」


 目の前に座って作業を始めたるーちゃんが、小さくため息を吐く。


「エリアル?危機管理って、わかってるぅ?きみはここひと月で二回も誘拐されてるんだよ?教会付属の孤児院だとしても、危ないでしょぉ?」

「いえ、あの、はい、いえ」


 危なくは、うーん。


「そう、ですね。下手な交流は、危ない、ですね。関わった方を、危険にさらしてしまうかもしれません」


 少し、反省する。


 ヴィリーくんやゾフィーさんを人質にされたなら、きっとわたしは助けに行かずにはいられない。つまり、それだけ、ヴィリーくんやゾフィーさんに人質としての価値を持たせてしまっていると言うことで。リムゼラの街の騎士団が比較的信頼出来るからと言って、油断してはいけない。

 一般的な貴族ならば平民なんて犠牲にしても構わないと思うかもしれないけれど、わたしは大勢の前ではっきりと、平民優遇を口にしてしまっているし。


「ですが今さらやめると言うのも……」


 リムゼラの街のひとびととの交流は、すでにそこそこ知られてしまっている。それならばやめるよりも、ときどきようすをうかがいに行ける現状を維持すべきだろう。


「いや、エリア、「これくらいで大丈夫ですか?」」


 なにか言いかけたるーちゃんの言葉に、わたしの言葉が被る。


「申し訳ありません、なにか」

「もっと細かく。それは完全に粉にして欲しいやつだから」

「わかりました」

「僕が心配してるのは、街の人間じゃなくエリアルだよって言おうとしたんだよ」


 顔を上げても、自分の作業に戻ったるーちゃんと視線は合わなかった。


「でも、街のひとが傷付くことでエリアルが傷付くなら、それも心配かなぁ」


 視線が合わないから、るーちゃんがどんな気持ちでそう言っているのかがわからない。


「るーちゃん、あの、」

「幻滅した?」


 目線は落ちたまま、口許が笑みを形作った。


「僕は、こう言う人間なんだ。ひとにぎりのものだけが大切で、ほかはどうだっていい。誰にでも優しい聖女なんかじゃ、ない」

「……それは」


 そんなの、わたしだって同じだ。


 ツェリがすべてで。もしもツェリとヴィリーくんを天秤に掛けられれば、ヴィリーくんひとりでなく、この国すべてを天秤に掛けられたとしても、ツェリを選んでしまうような、国から見れば悪人だ。


「誰だって、同じでしょう?」


 例えば愛するひとに心臓移植が必要で、幸運にもドナーが見付かったならば、それが誰かの大切なひとの死によりもたらされたものだとしても、喜ばずにはいられないだろう。

 他人より身内を優先してしまうなんて、生物としてごくごく当たり前の本能なのだから。


「その程度で、わたしが幻滅すると思うのですか?」


 この上なく説得力のある例を思い出してしまって、思わず笑う。るーちゃんは、現場を見ているはずなのに、忘れているのだろうか。


「わたしは、生き残るために犠牲の小山を作れる女なのに?見たでしょう、るーちゃん、夏の演習合宿で、わたしが殺した生きものの山を」


 積極的に助けないことが穢いと言うならば、積極的に犠牲を出すことなんて、もっと穢いじゃないか。ましてわたしは、その死の責任さえ取れなかった。手に余る死体を山野に打ち捨て、処理しきれぬ屍肉を売り払った。るーちゃんが言ったこと程度で幻滅すると思うのなら、


「あれを見て、るーちゃんはわたしに幻滅しましたか?動物にも優しい、理想の貴公子ではなくて」

「まさか」

「それでしたら、どうしてわたしがるーちゃんに幻滅するだなどと思うのですか?」


 首をかしげて問い掛ければ、やっと視線を上げたるーちゃんと目が合った。


「るーちゃんがわたしの目の前で、ツェツィーリアお嬢さまを見捨てたとしても、わたしはあなたに幻滅したりしませんよ?」


 ひとが自分の手に納められるものには、限りがある。全部なんて掴めないのだから、なぜ掴めないのかと責めるのはお門違いだ。絶対に手放せないもののためにほかを見捨てて、なにが悪い。


 るーちゃんの頬が、カアァっと赤く染まる。


「っ、手、止めてると、怒られるから」

「あ、はい、申し訳ありません」


 ばっと顔をうつむけたるーちゃんに早口で言われ、謝罪して作業に目を向ける。手元の薬草を粉末にするには、まだしばし時間が掛かりそうだ。確かに雑談で手を止めている場合ではない。


「──エリアルは」


 ざりざりと薬研を動かすわたしへ、るーちゃんの声が投げられる。


「悪い子だねぇ」

「……ソンナコトハアリマセンヨ」

「あはっ、なにその棒読みぃ」


 くすくすと、楽しげな笑い声。


 思えば、るーちゃんから良い子と褒められた記憶は多いけれど、悪い子と言われた記憶はない。初めて、かもしれない。


「エリアルの、悪い子なところ、好きだよぉ?」

「わたしは悪い子じゃありませんって」


 すりつぶされて行く草だけを一心に見ながら、言い返す。


「そっかぁ」


 見なくてもわかる。るーちゃんはきっと笑っている。


「それでも良いよぉ。悪い子でも、そうでなくても」


 薬研を扱う手に、前から伸びて来た手が触れる。


 つい、反射的に視線が上がった。


「それが、エリアルなら」

「──っ」


 まるで、とろけるような。


 溶かしたミルクチョコレートをのどに流し込まれたような心地で息を詰めたわたしには気付かない振りで、表情を引き締めたるーちゃんがわたしの手許に目を落とす。


 冬だと言うのに、あつい。暖炉もない部屋なのに。


 薬研のなかを確認したるーちゃんが、大きなボウルを取り出した。


「ん。それくらいで良いよぉ。こっちに移しといて貰えるぅ?残りも、同じくらいでよろしくねぇ」

「……はい」

「あんまり話してると、怒られちゃうから、集中しようかぁ」

「そう、ですね」


 頷いて、指示の通りに作業を続ける。


 山のように盛られた処理待ちの薬草も、雑談禁止の言い渡しも、さっきとはうって変わってとてもありがたかった。


 そわそわと落ち着かない心根を忘れるように、わたしは薬研を動かす作業に没頭した。




 いつの間に、時間も忘れて集中していたのだろうか。


「夕食の時間ですよ」

「っ!」


 不意に投げられた声に、びくっと肩を跳ねさせる。


「フリージンガー団長……え、もう、そんな時間……っ?も、申し訳ありません。没頭し過ぎて時間を……っ」


 相も変わらず没頭すると周りが見えなくなる自分に呆れつつ、呼びに来てくれたらしいフリージンガー団長に謝罪する。


「構いませんよ。作業が早くて良いことです」


 フリージンガー団長の視線を追えば、もう残りわずかになった薬草の山が目に入る。あと、一、二回転で終わらせられそうだ。惜しい。


「……もうしばらくは待てますよ。終わらせますか?」

「ですが」


 終わらせたいのはやまやまだが、自分ひとりのために全体を狂わせるわけにも行かない。ここまでフリージンガー団長を呼びに来させた時点で、よろしくない状況なのだから。


「構いません。ブルーノの作業もまだ少し掛かりそうですから」


 目を向ければるーちゃんは、大きな寸胴鍋を加温台に乗せてかき混ぜていた。怪しい液体をかき混ぜる姿は、聖女と言うより魔女のようだ。ちなみに加温台は、前世で言うフードウォーマーかIH調理器具みたいな魔道具で、火を使わずにものを加熱出来る優れものだ。火気厳禁な医薬管理室には、持って来いの品。高いけれど。

 なるほど、火を使っていないとは言え、加熱中の薬品をほっぽっては行けない。


「……では、お言葉に甘えて」


 頷いて作業に目を戻した私の横に椅子を引き、フリージンガー団長が腰掛ける。向けられる視線は気にせず作業を続けていると、ふっと笑った気配がした。


「昼間も思いましたが、見られることに慣れているようで」


 その先に続くであろう言葉に気付いて、ぱっと振り向く。


「「……」」


 言葉を止めてわたしの言葉を待ってくれたフリージンガー団長と、言葉を探しあぐねるわたしの視線が絡んだ。

 目を細めたフリージンガー団長が、片手を伸ばしてわたしの頭を押す。


「手を止めない。ブルーノの作業が一段落する前に終わらせなさい」

「──はい」


 言葉を飲み込んでくれたらしいフリージンガー団長に感謝して、手を動かす。


「……エリアルは」


 手を動かしながら、フリージンガー団長の言葉に耳を傾けた。


「卒業後は騎士を目指すのですか?」

「女性騎士、ですか」

「ようやく国も動こうとし始めたようで」


 現状、バルキア王国に女性騎士は存在しない。騎士は男性のみで、男性の入れないような場所の警護は武闘女官と呼ばれる、戦うメイドさんによって行われている。

 日本人が思い描く中世ヨーロッパらしく、男系社会なのだ。国王も男系だし、家督を継げるのも男性。女性はあまり、政治の表舞台に立たない。


 だから学院でも女子生徒はでしゃばらず、穏やかに微笑みながら有力な男子生徒の寵を奪い合っていて、ゲームのヒロインはそれをぶち壊しに行くわけだが。


「女性騎士と女性叙爵が、検討されています。聞いていませんか?」

「噂程度でしたら」


 将軍の息子であるテオドアさまの発言もあったので、噂よりも信憑性はあるかもしれないけれど。


「私が中央に呼ばれたのもその一環です。女性騎士の指導者としてと、まあ、舐められないようにするためですね。私はよく、女のようだと舐められていたので」


 過去形ですか。そうですね今は有名になり過ぎて実力が知れ渡っていますものね。

 フリージンガー団長に喧嘩を売るなんて、今やよほどの馬鹿でないとやらないだろう。こう、顔で地位を買ったとか悪態を吐くような。


 近衛騎士ならいざ知らず、ここ、ルシフル騎士団でのしあがるにはどんな方向性にしろ実力がなければ不可能だ。顔だけの馬鹿なら、食い尽くされておしまいになるだろう。


「しばらくは武闘女官から選抜した方を騎士候補として指導することになるでしょうが、いずれは学院卒業後すぐに女性騎士を目指す方も出るでしょう。女性でありながら騎士科に在籍しているあなたは、そう言った意味でも注目されていますよ」


 テオドアさまも、似たようなことを言っていた。

 冬期演習合宿参加を危ぶむわたしに、だから参加を断られることはないだろうと。


 でも、わたしは。


「もちろんあなたでしたら従軍魔法使いでも、宮廷魔術師でも、ただ誰かの妻となる道でも選べるでしょうから、期待に応える義務はありませんが」

「……選べる、でしょうか」


 結婚は、国に委ねられている。現状の不自由な自由はあくまで猶予期間だから許されているもので、場合によっては卒業後幽閉が言い渡されることすらあり得る。

 果たしてわたしの卒業後の進路に、選択肢なんて存在しているのだろうか。


 そもそもゲーム時空と言う不確定要素を一年強後にひかえ、ツェリの安全さえ確保出来ていない状況で、そのあとの自分の進路なんて、鬼が笑うような話だ。まるで現実味が、感じられない。


 砕いた薬草をボウルに移し、最後の薬草を薬研に入れる。


 乾燥した草がつぶれていくさまを見つめて、息を吐いた。


「それはあなた次第でしょう。騎士科での成績や素行が悪ければ、騎士に志願しても断られますよ」

「そうですね」

「選ぼうと思えば、国外逃亡も可能では?」


 笑う。笑って、見せる。


「国外逃亡なんてそんな」

「考えていない、と?」

「わたしが岩木とでもお思いですか?国に情もなければ、大切なひとのひとりもいないと」


 笑うわたしの頬に、フリージンガー団長の指が触れた。優しげな外見に似合わぬ、固く厚い皮膚をした指先だった。


「さあ」


 黒薔薇色の瞳は、嗤っているのだろうな。そう感じる声。


「わたしはあなたのことを、ろくに知りませんのでどうとも」

「そこはお世辞でも、そんなことはないと言うところだと思いますが」

「心にもないことは言えないたちなので」


 喰えないなと思いながら、苦笑する。


「だから、話をしにここへ?」

「察しの良いところは好感が持てますね」


 このひとの誉め言葉は、どうも嘘臭い。


 まあ、お互いさまだろうけれど。


 休みなく薬研を動かしながら言う。


「この命よりも大切に思う方がいます」


 大切なひとと口にして、真っ先に思い浮かぶ愛しい少女の姿に、自然と表情がゆるむ。


「その方がこの国に在ることを望む限りは、国外逃亡など考えませんよ。わたしは彼女の意見を、最優先したいですから」

「つまり」


 わたしの頬から手を離して、フリージンガー団長は腕を組んだようだった。


「あなたが欲しくばまず、ツェツィーリア・シュバルツを攻略すべしと」

「今はミュラーですよ」

「ですがあなたは、ツェツィーリアが騎士科に進むことを良しとはしなかったでしょう」


 ……どこまで調べている。


 反論を黙殺して続けられた言葉を受け、内心思いきり顔をしかめながらも表情に出すことはせず、わたしはだいぶん細かくなって来た薬草を見つめた。


「つまり騎士になるつもりはないと」

「わたしにお嬢さまの進学に口を出す権利などありませんよ」

「ツェツィーリアに魔法の基礎を教えたのはあなたと聞きましたが?」


 十分細かくなった薬草をボウルに移してから、フリージンガー団長に向き直る。


「彼女の魔法展開速度には宮廷魔術師でも目を見張るものがあるそうですね。防御壁の使い手として右に出る者がいないとか。なぜ、攻撃は教えなかったのです?」

「たしかにわたしは、お嬢さまに攻撃魔法を教えませんでした。わたしがお嬢さまに魔法の基礎をお教えしたのは初等部はじめの頃でしたから。幼い子に不用意な力を持たせては、危険でしょう?」

「その後もツェツィーリアが攻撃魔法を学ばなかったのは、あなたの差し金ではないと?」


 わたしの差し金か、だって?


 わたしの差し金だとも!そうだよ、その通りだ。わたしはツェリに、攻撃手段を持たせたくなかった。騎士科に、進ませたくなかった!


 でもそれを、あなたに教えてやるつもりも、義理もないから。


 わたしは笑って、首を傾げた。


「これではわたしと言うより、お嬢さまに興味があるようですね?」

「あなたが第一に考えるツェツィーリア・ミュラーだから、興味があるのですけれどね」

「それを言うなら」


 明かり取りの窓のない医薬管理室は、魔道具の灯りで照らされても常にどこか暗い。暗いなかに沈む黒薔薇色はより黒みを増して見えたが、それでもサヴァン家の黒よりはよほど明るかった。


「エリアル・サヴァンに興味があることだって、るーちゃん、ブルーノ・メーベルト先輩がわたしに目を掛けて下さっているからでしょう?本当はエリアル・サヴァン自身になんて、欠片も興味はないくせに」


 すぅ、と黒薔薇の瞳が細められる。


「そうですね」


 伸びた手が、左右から頬を包み込んだ。


「興味の起点は、そこからでした」


 あ……やばい。


「そこまで」


 ひゅう、と息を飲む瞬間に、頬を掴んでいた手が第三者によりはがされた。


「フリージンガー団長、僕の大事な後輩に、あまりちょっかい掛けないで貰えますかねぇ?」

「るーちゃん、」

「待たせてごめんねぇ、エリアル。一段落着いたから、ご飯に行こっかぁ」


 自然な動作で手をつながれ、引かれる。


「あ、はい」


 少しひんやりとした大きな手と、薬草のなか、ほのかに嗅ぎ取れる甘い匂いに、さきの気まずさも忘れてほっとして立ち上がり。


「大事な後輩、ねえ?」


 嗤う黒薔薇の言葉に、振り返る。


 ああ、少しも安心している場合ではなかったかもしれない。だって、このふたりは。


「守りたいなら、手段は造っておくことですよ、ブルーノ」

「言われなくても」


 前門の黒薔薇。後門の聖女。


 言葉だけ聞けば羨ましがられすらしそうなサンドウィッチの間で、わたしはきらきらしい白銀を無性に恋しく思っていた。




「おっ、アル来たか」

「エリアル」

「ウル先輩、ラフ先輩」


 声を掛けられたのを良いことに、るーちゃんの手から逃れてウル先輩たちの元へ足早に歩み寄る。たった数時間前には同じ作業をしていたはずのそのひとが、とても懐かしく思えた。


「悪ぃな腹減って、先に食っちまってんだ」


 本来遠慮すべき、ここ座れのひと言を甘んじて受け入れて、ウル先輩とラフ先輩の間に身を滑り込ませれば、お兄ちゃん気質なウル先輩の手でたちまち目の前に取り皿と飲み物とカトラリーが用意される。


「早いもん勝ちだからな。遠慮せず食いたいもん食いたいだけ取れ」


 言いながらサラダとスープとパンを取り分けてくれるあたり、本当に面倒見の良い先輩だ。


「ありがとうございます」


 お礼を言って、大皿から適当に料理を取り分ける。いただきますと手を合わせて、料理を口に運んだ。


「うまいか?」

「?」


 なんでそんなことを聞かれたのかわからないままお口の中身を噛み砕いて飲み込み、ウル先輩に答える。


「美味しいです」


 言ったとたん厨房から聞こえた歓声に、ぎょっとした。


「え……?」

「レシピのお礼に気合いを入れて作ったんだと。あとで感想聞かせてやれ」


 ……本当に面倒見が良いですねウル先輩。


「料理班だけアルの間食を食べようとしたとは、けしからんな」

「んだよ、そっちは早々に掃除を終わらせて、訓練に混ぜて貰ってたくせによ!」


 もの言いたげに、すいと横目でウル先輩を見やるラフ先輩に、ウル先輩が言い返す。ふん、と笑って、ラフ先輩が反論した。


「そのあとお前たちも合流したのだから、良いだろう」

「それを言うならこっちだって、間食差し入れただろ」


 ふたりの言い合いを左右に聞きながら、しれっと夕食を口に運ぶ。雑穀入りのスープだ。ありがたい。パンは酸味の少ないライ麦パンだった。日本風のパンを好むわたしとしては、これもありがたい。


「……食の好みの情報は、正しかったようですね」


 少し離れたところから聞こえた呟きに、ぴくっと肩を揺らして顔を上げる。るーちゃんを隣に座らせたフリージンガー団長が、こちらを向いていた。


「……」


 夕食の献立を、改めて確認する。


 主食はライ麦パン。主菜は牛肉のステーキで、胡椒がしっかりきいている。副菜は葉菜のサラダに、雑穀入りのトマトスープ、カレー粉で味付けされたソーセージ、塩ゆでの温野菜だ。

 ……騎士科の男子学生に出すには、いささか野菜にかたよった献立かなとは思うけれど、まさか。


「と言っても、得られたのは初等部の頃の好みのみでしたが」


 聞かなかったことにして良いだろうか。いったいどんな経路でわたしの好みが流出しているのかとか、なぜその情報を求めたのかとか、考えたくないよ。


 いや、たぶん、学食の注文内容とかからなのだろうけれど。初等部なかばから自炊をするようになったから、情報が入らなくなったと。食事場所も、寮の自室とか、校庭内のひと目のない箇所とか、いつものサロンとか、王宮のわんちゃんの部屋とかの、他人には見られにくいところのことが多いし。


 自室やわんちゃんの部屋での情報まで漏れていれば、この献立にはならなかったはずだ。それ以前に、固形カレールウの製法ですら、ばれていておかしくないはずだし。


 ……自室の情報が漏れていたならば、雑穀入りのスープではなく炊いたお米の方が好物だとわかるはずだし、トマトスープではなくお味噌汁、ステーキではなく生姜焼きがより好みだと知れたはずだ。そして、ひよこ豆は形を残したままではなく、水戻ししてすりつぶして豆乳にしてさらに煮て冷やし固めたものが好き。そう。代用豆腐です。


「食で釣れると言う噂を聞いたので」

「釣れませんよ、犬ではあるまいし」


 あ、答えちゃった。


 聞こえなかったで済ませようと言う意思を折る聞き捨てならない言葉に、ついツッコミが口を突く。


 外野、猫だもんなって言った奴、覚えたからな。犬ではないし、猫でもない。


「アルは猫だが餌では釣れない」

「猫ではないです」


 ラフ先輩に食いぎみで言い返す。


 我らが兄貴たるスー先輩ことスターク・ビスマルク先輩はいないと言うのに、この応答をすることになるとは……。


「餌程度自分で狩れる上、上質な餌を貢いでくれるカモがいくらでもいるからな」

「ですから猫では……え、それ、わたしのことですか?」

「そうだが」

「いやそんな貢がれた記憶は……」


 狩った記憶はあるので否定出来ないが、カモって貢がせるなんてそんな悪女のようなことをした記憶は、


「夏のこと、言っています?」


 そう言えば夏期演習合宿中のお遊びでラフ先輩から生卵と、テオドアさまから鰻を巻き上げましたけれども。おいしゅうございましたけれども!


「ハロウィーンも」

「あれは、ご厚意で頂いただけで」

「廊下でよく渡されているのは」

「お礼やおすそわけですね」

「出所不明の極東食材」

「たまたまツテで」


 お、思い返すといろいろ貰っているなぁわたしってば!食いしん坊さんか!


 ラフ先輩による後輩いじめを、はたで聞いていたヴァッケンローダー子爵子息が、ふと思い出したように呟く。


「そう言えば、やたら効き目の良い薬も持っていたような……」

「あー、そう言や、輸送用保存袋とかも、持ってたな」

「スターク先輩から模擬刀貰ってたな」

「あのタイピン代わりのブローチ、公爵子息からって噂だったな」

「つか、王族の晩餐に個人的に呼ばれたみたいな話もなかったか?」


 ヴァッケンローダー子爵子息の呟きを呼び水にウル先輩をはじめとした外野の声がわく。


 たしかにどれも虚偽ではないけれど、でも、それは、わたしが故意にたぶらかしたとかではなく、たまたま交流関係が良くて、周囲が優しかっただけで。


 フリージンガー団長の視線の意味がありありとわかって、歯噛みしたくなった。


 そうじゃない。そうじゃ、ない。


 そんなもの、求めていたわけじゃなくて。


 スプーンをひたしたスープの赤い水面に、視線が落ちた。


「ラフ」


 凜、とした声が、ざわめきを切って伝わる。


「そうじゃないでしょ?」


 諭す声に、顔を上げる。


 優しい目が、こちらを向いていた。


「エリアルは、なににも釣られたりしない。それは、自分の大事なものがなにか理解しているからだし、周りがエリアルに優しいのは、エリアルが故意にそう仕向けたわけじゃなくて、周りがそうしたいから勝手にしているだけでしょ?」


 大丈夫。


 言葉はなくても、眼差しがそう言っていた。


「エリアルが優しくされるのは、エリアルが優しいから。それだけの話。それを、カモとか貢ぐとか言うのは、エリアルにもエリアルに優しいひとにも失礼だよぉ?」


 わたしに微笑みかけたその目で、そのひとは隣に座るフリージンガー団長を睨む。


「あなたがそんな下らないこともわからないとは、思えないんですけどねぇ?」

「その目は、曇っていないと?」


 うつむくわたしと、頬笑むそのひと。フリージンガー団長の言葉への反応は、対照的になった。


「僕を、誰だと思っているんですか?」


 そのひと、稀代の天才治癒魔法使いは、堂々と言い放った。


「治癒魔術師ブルーノ・メーベルトですよ」


 魔法使い、魔術師、魔導師。すべて魔法を使う者を指す言葉だが、それぞれが指すものは異なる。単純に魔法を使える者を示す魔法使いと言う言葉に対し、己の持つ魔法をみがき、他者に認められる存在になって初めて名乗れる魔術師と言う呼称は、名乗ることを許された者にとって誇りであり自負だ。


 るーちゃん、ブルーノ・メーベルト男爵子息は、高等部の学生でありながら魔術師の称号を許された治癒魔法使いにして、国内屈指の精神治癒魔法適性者。生半なまなかな精神攻撃ならば、弾き返せる自信があるのだろう。

 そう、たとえばあの狐、マルク・レングナー程度の洗脳であったならば。


「そうですか」


 黒薔薇が、こちらを見ている。


 きっと、笑って。


 ああ、わたしは、なんて。


「そんなことより、アル。いや、アルじゃねぇな。フリージンガー団長」


 ばしんっと、背を叩かれた衝撃に顔を跳ね上げた。

 視界の端で、白銀が揺れる。


「話に割り込んで申し訳ありませんが、明日のあれ、本気ですか」

「明日のあれ?」

「ああ、アルはいなかったもんな。明日の余興の話だ」


 余興って、わたしが参加させられる予定のやつのことか。


「本気もなにも、任意ですから。無理だと思うのなら見学していれば良い話です」


 いやわたしは強制なのですが。


「アルには強制でやらせるつもりでしょう」


 わたしの脳内ツッコミに追随するように、ウル先輩が反論してくれる。


「それも、ひとりで」


 んん?本来は団体でやるもの、なのかな?


 はてなマークを浮かべたわたしに気付いたのだろう。ウル先輩がこちらを流し見て言う。


「ひとりでやるものではないでしょう、」


 そのあとに続いた言葉に、わたしは苦笑するしかなかった。

 

 

 

拙いお話をお読み頂きありがとうございます


逃げる黒猫と追う聖女


ウルリエさんと言いスタークさんと言い

エリアルさんの周りには出来た先輩が多くてうらやましいですね


早めに続きをお届け出来るよう頑張りますので

見捨てず読んで頂けると嬉しいです

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― 新着の感想 ―
[一言] 更新ありがとうございます。2日連続で読むことが出来て嬉しいです。 前々回の合宿などはどちらかと言うと、優しい柔らかい雰囲気の姐さんというイメージでしたが、今回の合宿では魔術師としての誇りや…
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