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取り巻きCは花に埋まる 下

お待たせ致しましたm(__)m

仲直り回です!


取り巻きC・エリアル視点

エリアル高等部1年の年始

前話の続きの時間軸です


(2019.9.16 本文一部追加しました)

 

 

 

「それにしても」


 花まみれになったわたしを見て、ツェリが呆れたように言う。


「あなた……すごい格好ね」


 普段と変わらぬ態度に、思わず自然と言葉が出る。


「ちょっと……そわそわしますね」

「似合ってるわよ?」

「そうですか?」


 似合う似合わないは別として、正直落ち着かない。こんな極彩色は、わたしには許されないのだ、本来なら。


「顔は良いもの。着飾れば似合うのよ、あなたは」

「お嬢さまほどではありませんよ」

「否定はしないのね」

「人並みに整っているのは理解していますから」


 なにせ乙女ゲームのネームドだ。それも、サポートキャラそっくりの。

 不美人設定でないことは、アリスティア・サヴァン登場時のモノローグ、『うわぁ、きれいなひとだなぁ』からも察せられる。ちなみにエリアル・サヴァンの容姿に関するモノローグも実は存在し、内容は『死人のような無表情。整った顔立ちもあいまって、まるで人形が動いているような不気味さを感じさせる』だ。言うまでもなく、バッドエンド時に現れるエリアル・サヴァンの描写である。


「そう。ところで」


 どうやら流すことにしたらしいツェリが、頭を振って髪型を強調する。


「私は?似合ってるかしら?」

「ええ。とても」


 最上級のベルベットでも使っているのだろう。大輪の黒薔薇は滑らかで美しく、本物のように精巧でありながら、人工的な重厚さと高級感を漂わせていた。


「さすがは、ミュラー公爵家御用達の職人ですね。まるで、生きているように美しいのに、宝石のような無機質さも感じさせる、素晴らしい作品です」

「黒薔薇なんて地味、と、義母上ははうえさまからは言われたけど、あなたとお揃いにしたかったから黒にしたの。折善く、()()()()()()()()花飾りと、相性ぴったりだったわ」


 小さなカミツレの花に触れて艶然と微笑むツェリは、わたしが薔薇にしか言及しなかったことなど百も承知しているのだろう。

 ……わざわざブーケ状態で渡したのに、ばらしてかんざしとして使うなんて、このお嬢さまは。


「薔薇を造った職人も、義母上さまも気にしていたわよ?これはどうやって造ったものなのかって」


 ふふふと笑う顔は、まさに悪役令嬢だった。


「これを造った職人に会わせて欲しいって、懇願されたくらい。ねぇ?王宮にも出入りするような職人が、よ?」

「……そんな、ご冗談を」

「あら、義母上さまは大絶賛だったわよ?金属とも布とも木とも陶器ともガラスとも違う質感で、美しいのに主張し過ぎない、引き立て役には最高の髪飾りだって」


 その、大絶賛の材料はただの蝋だ。紙製の骨組みに、白蝋と蜜蝋を塗り重ねただけ。火を点ければよく燃えるだろう。


「黒薔薇だけじゃ地味過ぎるから真珠をって言われていたのよ。でも、実際真珠を合わせたら悪目立ちして、かと言って銀細工も金細工も合わないし、と言うなかで、これだけはあつらえたようにしっくり合ったから、侍女も褒めちぎっていたわ」

「まさか」

「義母上さまったら、気に入ったからって何本か取って言ったのよ?もう。非道いひとよね」


 はい?


 唖然としたわたしに、ツェリは口調だけ怒った振りで続ける。


「挿して、王妃さま主催の夜会に出たいから良いでしょって、横暴よね。私が貰ったものなのに」

「王妃さまって……王后陛下の夜会に!?」


 慌てて花カゴを手に取り立ち上がる。背後からまじまじと見て確認すれば、確かに記憶よりも本数が少ない。


「素人の手作りですよ!?それを、よりにもよって宰相婦人が、王后陛下の夜会に?馬鹿げています」

「心配しなくても主役はちゃんと職人に造らせたものよ」

「当たり前です!成人しているとは言えまだ学生の身分で、学内だけの馴れ合いだから許されるものを」


 渡さなければ良かった……とカゴを抱えたままうずくまるわたしに、極悪非道な悪役令嬢の声が掛かる。


「誰の仕業かわからないけれど、知らない間にポケットに詰め込まれていたのよ。落とし物ならともかく着ていた服のポケットに入れるなんて、間違えてやりっこないから、貰って良いと言うことでしょ?貰ったものだもの、どうしようと私の自由よ」

「実も蓋もない」

「それはどっちよ」


 ふんっと鼻を鳴らして、腕を組んだツェリがしゃがみこんだままのわたしを見下す。


「せっかくあげた花飾り、着けてないじゃない」

「約束は、していませんから」


 昨年末、ツェリがわたしに押し付けたのは、造花の黒薔薇だった。ちょうど制服のフラワーホールに挿せるような、控えめな造花はツェリが今挿している髪飾りと同じもモチーフだが、比べると作りが甘い、素人の手作りとわかるもの。


 わたしが今、重たいくらいに着けているものと同じ、手作りの花飾りだ。

 だが、今わたしを飾る花に黒薔薇はない。


 着けなかった。いや、着けられなかった。


 ツェリの顔が歪む。歪んでもなお美しい顔は、さすが悪役令嬢とでも言うべきか。


「それがあなたの答えと言うわけ?」

「なんのお話でしょう」

「もう私の相手なんてうんざりなのかしら?それとも、共にいると言ったのは嘘?」

「なぜ、そのような結論に?」

「それだけたくさん着けているのに、私のものだけ着けないなんて……なに笑っているのよ」


 ああいけない。こみ上げる愛しさが大き過ぎて表情を取り繕えないなんて、みっともないじゃないか。


「いえ、なんでも」

「そう言うことは目を見て言いなさいよ」

「わたしだって怒られるのは嫌なので」

「怒られるようなことなの」


 睨んで来る視線を頭頂に受けながら返す。


「いえ、なんでも」

「なんでもって顔じゃないでしょう」

「怒りません?」


 上目遣いに訊ねれば、むっとしたあとで言い放たれた。


「怒るわよ」

「では言いません」

「やっぱりなんでもあるんじゃない」

「ありませんよ」

「嘘おっしゃい」

「聞いたら後悔しますよ」

「聞かないよりマシだわ」


 ぽんぽこぽんと軽快に飛び交う会話に、忘れそうになっていた距離感を思い出して行く。


 愛しい時間。守りたい時間。


 立ち上がり、簡単に壊れてしまう宝物を見下ろして、笑って見せた。


「取るに足らないことでその他大勢に嫉妬するお嬢さまが、あまりに愛らしくて」

「…………はぁ?」


 あら、間抜け面。そんな顔も天使ですお嬢さま。


「だって」


 わけがわからないよと言いたげなツェリに、指を立てて説明する。


「今わたしが何人分の飾りを着けているとお思いで?」

「何人分って」

「そんなたくさんのなかの一輪に、あなたはなりたかったと?」

「っ」


 発言の意図を察したらしいツェリが目を見開いた。


「今日、王都から直接学院に来ました。寮には寄らず」

「……だから?」

「寮の部屋に飾ってある薔薇を、取って来る機会はなかったのですよ」


 ツェリから押し付けられた花は、なくさぬようにと寮の机に置き去りにしてモーナさまの家へ向かった。一輪挿しに挿された造花は未だ、主の戻っていない部屋で枯れぬまま咲き誇っているだろう。


「今日限りの花ではなく、永きときを共に」


 手を伸ばして指の背で触れれば、大事な大事な宝物は滑らかな感触を指先へ返した。


「どうぞ末長く、わたしの目の届く場所で、咲いていて下さいませ」

「……そう言うなら、離れるんじゃないわよ」


 頬に触れていた手を、きゅっと握られる。


「私が花だと言うなら、あなたは水。どんなに美しい花でも、完璧な花でも、水なしには咲けないわ」


 もしも乙女ゲームの選択肢なら、ここで、もちろん、と言うのが正解だろう。


 にこっと微笑んで、わたしは口を開いた。


「あなたなら、水は出せるから安心ですね。さすがお嬢さま」


 ぴき、と、麗しのかんばせに青筋が浮かんだ。


「あなたねぇ……っ!」

「冗談ですよ。それより、立ち聞きとは、趣味が悪いですね」

「あ、ばれてた」

「申し訳ありません、エリアル。少し、心配で」


 扉に目を向ければ、ぺろりと舌を出したレリィとリリアが顔を見せる。


「でしたら最初から、部屋に残っていれば良かったのに」

「駄目よ。ツェリは照れ屋だもの」

「……そう言うことにしておきましょう。ですが、王太子殿下まで立ち聞きの片棒担ぎは、どうなのですか」

「はは、気付いてたんだ」

「わかりますよ」

「まあ、だろうね」


 苦笑して現れるヴィクトリカ殿下と、その後ろに続くテオドアさま、アーサーさま。


「お前は本当、どこでも劇を始めるよな」

「アルねぇさま、お久し振りです」


 三人全員、わたしが抱えたカゴに花を挿して行く。


 待って。さすがにこの三人にこのちゃっちいシュシュもどきは渡せないからね?


「あ、ありがとうございます。ええと、あの」

「貰っても、良いかな」

「いやあの、えっと、」

「大丈夫。人前で着けたりは……いや」


 途中で言葉を止めた殿下が、もう底が見え始めたカゴから取り出したシュシュもどきで髪を束ねる。


「え、ちょ、殿下……?」

「きみが、王家と親しいと言う表明を」

「あ……」


 唇に指を当てた殿下の言葉に、反論をなくす。


 サヴァン家は元々、バルキア王国の貴族ではない。たった二代前、祖父の代から移住した余所者に過ぎない。ゆえに、他家から忠誠心を疑われるのはつねのこと。

 その、次代であるわたしが王太子、次期国王と親しいと知らしめることは、互いの足場の安定に繋がる。敵になれば恐ろしい破壊の権化も、味方であれば心強い武器なのだから。


「それに、こんなにばらまかれているんだ、学生の戯れとして流して貰えるだろうからね」

「それならぼくも」


 アーサーさまが微笑んで、シュシュもどきを手に取る。


「それなら、れりぃが結んであげる」


 アーサーさまからシュシュもどきを取り、レリィがアーサーさまの前髪をまとめる。


「なら俺も、」「あなたたち……っ」


 なにか言いかけたテオドアさまの声とツェリの声がかぶる。

 拳を握り締めふるふると震えるツェリの顔は赤かった。


「いつから聞いていたのよ!?」

「……最初から、ですね」

「あなた気付いていたの!?」


 いや、だって、ねぇ?


「仮にも騎士科ですので、普通の方が身を潜めたくらいなら気付きますよ」

「ならどうして」

「あ」


 追及しようとしたツェリを手で制し、そのまま手を右耳に当てる。


「わんちゃんから、通信が」


 いきなり話し掛けて来ないときは、周囲にひとがいない方が良い話だ。


「少々、失礼しますね」


 戻って来る、と言う意思表示に花カゴを机に置き、サロンを出る。


 でも、人目に付かない所、か。


 花祭の学院は、どこもかしこも人目だらけだ。


「……」


 人目が自分から離れた隙を突いて、窓から抜け出した。宙空を蹴って、上へと登る。

 屋根に飛び乗ると、王立学院だけあって豪奢な屋根飾りの陰に隠れた。座ってしまえば、下から見えることもない。


「……」


 小さく溜め息を吐いて、声には出さないまま問い掛ける。


―それで、どうしたの、()()()()

―ん?ヴァンデルシュナイツから通信じゃないの?


 意地の悪い邪竜の言葉に顔をしかめる。


―身の内に封印された邪竜から呼び掛けられたので席を外しますなんて、言えると思うの

―あはは。どこの厨二患者

―ほんとにね


 軽口に肩をすくめて返しながら、口調の軽さから重たい用事ではないようだと安堵した。


―それで?

―うん?

―なにか、用事だったのじゃないの

―ああうん。ちょっと待ってね


「えっ?」


 思わず声が出たのは、左手が勝手に動いたからだ。


「とりさん……?」

「五年も一緒にいれば、これくらい出来るようになるよ。わーを、なんだと思ってるの?」

「え、わたし、もしかして邪竜に乗っ取られるの?」


 口さえ勝手に動き出すと、さすがに不安になる。


「まあ、やろうと思えば出来るけど、エリはエリとしてエリに動かさせた方が見てて面白いからね。やらないよ」


 今こいつ、やろうと思えば出来るって言ったぞ……!?


 衝撃の事実におののきながら、水平に持ち上げられた左手を見つめる。とりさんによる乗っ取りの危機に関しては、ぶっちゃけ能力的にとりさんの方が上なので、本気で乗っ取りを計画されたら太刀打ち出来ない。

 あえて言うならわんちゃんに相談だけれど、とりさんと言う切り札を奪われる危険は、って、


「これ、蝙蝠くんからわんちゃんに」

「それくらい阻害してるから。エリじゃあるまいし」

「え、悪口?」

「エリみたいに抜けてないから、わーは」

「まるでわたしが抜けているみたいな」

「抜けていない気なの……?」


 抜けていないから。え、そんな疑った目はやめて。抜けていないから!


「わたしほど抜け目ない人間も珍し「はいはい」ちょ、喋っている途中で乗っ取らないで!?これ、わたしの身体だからね!?」


 自分で移動して来たけれど、人目のないところで良かった。端から見れば独り言で喧嘩する、危ない人間だ。


「自分の身体なら、乗っ取られないように大事に捕まえときなよ。精神魔法の使い手ともあろうものが、情けない」

「桁違いに歳上の竜に勝てと……?」

「わーが絶対的に、エリの味方であり続けるとでも?」

「……」


 身の内に抱えるのは、竜だ。邪竜と言われ、百年を越える長い時間、囚われ続けている、きっとひとを恨んでいる竜。

 でも、


「……そうだと、信じているけれど?」


 溜め息は、自分の口からではなく頭の中で響いた。


―だって、とりさん身内には甘いでしょう。わたし、身内に入れていると思っているのだけれど、思い上がりだった?

―さあ、どうだかね。……そう言うとこだよ。まったく

―そう言うところって?

―なんでもない!


 吐き捨てるような声が頭に響いたあとで、わたしの意思に沿わずに動いた右手が、ぺしりと左手首を叩いた。

 ひやりとした冷たさを感じて、左手首を見遣る。


「これ……」


―言っておくけど、わーからじゃないからね。モモから。今日中に渡して欲しいって言われたから、仕方なくね


 左手首の冷たさの正体は、花輪だった。まるで、本物の花のように精巧な鉱石の造花。八重に重ねられた薄紅の花弁と、優しい萌黄のがくがとても愛らしいけれど、薄く薄く、それこそ本物の花であるかのように切り出されたその姿は、あまりに繊細過ぎて畏れすら感じる出来だ。


 驚きから口を動かしそうになるも、とりさんの乗っ取り以上に秘匿すべき情報ゆえに唇を引き結ぶ。


―モモが、ここまでのものを?


 さすがは、変化の竜だろうか。生まれてまだ半年だと言うのに、恐るべき能力だ。


―えりちゃんに、ってね。ほら、ギャドをひとつ、貰ってあったでしょ

―ほらって……あー、提出前に、いつの間にか減っていたやつ、やっぱりとりさんがパクっていたの。るーちゃんにバレていなかったから良かったけど……。もう、それは良いとして、ギャドの色は、白混じりの緑のはず……って言うのは野暮なのだよね?

―そうだね。モモの前では、色如き無力だよ


 色如き無力、ね。


―すごいね、モモは

―国が国なら神さまに祭り上げられているような存在だからね、変化の竜は


 きっと肩をすくめているのだろうとりさんの言葉。

 それからとりさんは、わたしの右手を握らせた。


―……通信石?


 ころりといくつか手に転がったのは、おそらく同じ花がモチーフであろうピアスだった。普通、装飾性に乏しいことの多い魔道具のピアスとは真逆の、可愛らしく手の込んだ花。けれど確かに、魔法の気配がする。


―ん。腕輪の魔道具も存在するけど、そこまで無駄に石を削ったのは少ないからね。ばれて盗られる危険も少ないと思う、って言うか、今日が終わったら腕輪にはエリ以外に気付かれないように認識阻害掛けるけど


 腕輪は、たくさんの小さな花がいくつもいくつも連なった意匠だ。


―もしかしてこれ、全部魔道具?

―まあね。効果は、いくつかが通信で、残りは

―残りは?

―ひーみーつっ


 この、邪竜。


 こうなったら教えてくれないのは目に見えているので、溜め息ひとつで流して質問を変える。必要になったら教えてくれるだろうから、無理に今聞き出さなくても良い。


―これ、薔薇に見えなくもないけど、八重咲きのカランコエ、だよね?

―そうだね。モモがモチーフに迷ってたから、エリの記憶から拾って来てあげたの。なんだっけ、えっと、誕生花?ってやつ。花言葉としても、悪くないでしょ


『縁起は良くないけど、切り花、嫌いでしょう』


 ピンクの八重咲きのカランコエ。その鉢植えは、病室の窓辺に。


 花言葉、花言葉、か。


 つい伏せがちになった目線を持ち上げるように、とりさんが続ける。


―『幸福を告げる』エリに、幸福がありますようにって

―とりさんが?

―モモが!魔法を込めたのはわーだけど、作りたいって言ったのも、作ったのも、モモだからね!勘違いしないでよね!?


 とりさんや、その台詞はツンデレの代表台詞なのだが。


 暗い思考から引き上げられて笑み崩れる口許を右手の甲で隠して、与えられた幸せを眺める。正直、作りが細かすぎてオーパーツじみているのだけれど。


―ありがとう。モモに、お礼を伝えておいてくれる?

―ん。……通信石、誰に渡すも誰にも渡さないも好きにすれば良いけど、ブルーノには、渡しといて損はないんじゃない?

―んー?そうだね……


 うーん。今日は逃げ回っておきたいのだけれど。


―これ、ブルーノ用ね


 再度握らされた手からはころころした通信石たちが消え、代わりにいくつかの花が連なったイヤーフックが現れた。……さっきからどうやっているのかわからないのだけれど、奇術師になれそうだ。


―これ

―通信石だよ。ブルーノ用の

―手作りの花飾の上に、お揃いの装飾品を着けろと……?

―エリやツェツィーリアほどじゃないにしろ、ブルーノだって魔法持ちとしては天才級の能力者なんだよ


 とりさんに真面目な口調で話されると、反論もしにくい。


―話、聞いたでしょう。今までも危険な目には遭ってるって


 黙って耳を傾けるしかなくなったわたしを、とりさんがここぞとばかりに諭す。


―今は学生として守られてるけど、卒業すればそれもなくなる。わかるね?縁談だって、勧誘だって、国内外から来てるはずだ

―うん

―これから、第二王子や脳筋公爵子息も入学して来るでしょう。キューバーの坊ちゃんやレングナーの餓鬼とは違う、攻撃的なやつらだ。わかってるよね?

―……うん


 なら、と、頭の中で邪竜がのたまう。


―お互いを守るために、繋がりははっきりとさせておいた方が良い。もちろん、攻撃されないのが一番だけど、いざと言うときの手札として、向こうと同じように回復人員を得ておくのは、必要だと思うけど?


 とりさんは、わたしの記憶を覗いたことがある。

 だから、第二王子が炎使いであることも、ヒロインが治癒魔法使いであることも、ゲームの知識として知っている。

 わたしがなぜ、ツェリに魔法での攻撃を教えなかったのかも、テオドアさまとの婚約を執拗に勧めるのかも、知っている。


 だから、そう。

 とりさんは、唯一すべてをわかった上で助言を与えられる存在、で。


―強力な手札は多いに越したことはない。わーもモモも治癒は出来なくて、ヴァンデルシュナイツはどう転ぶかわからない以上、ブルーノを逃がす手はないことくらい、エリだってわかってるよね?

―それは

―ブルーノはゲームに出て来ない。たとえ物語の強制力とやらが働いたとしても、ブルーノはその、沿うべき物語の外の人間だ


 まして知恵も能力も経験も上の相手と来れば、親や教師のお説教を受けている気分だ。


―そんなのわかって、

―それなら、どうすれば良いかわかるよね?


「エリアル?」


 聞こえるはずのない声が、耳に届いた。こんなところに、誰かが来るはずもないのに。


「こんなところに隠れてるなんて、本当に猫みたいだねぇ」


―この、邪竜……っ

―健闘を祈る


 忌ま忌ましい邪竜の顔をぶん殴りたい衝動と、今すぐ邪竜の暴挙をわんちゃんに告げ口したい気持ちをどうにか抑えながら、座って振り向かないまま、首を傾げる。


「少し、ひとりになりたくて。るーちゃんこそ、どうしてここに?」

「なんでだろう。なんだか、呼ばれた気がして」


 ……封印大丈夫か?邪竜漏れ出ていない?


「それで、屋根に登ってしまうのは、どうかと思いますよ?」

「先に登ってた猫さんには言われたくないなぁ」


 器用に屋根の上を移動したるーちゃん、ブルーノ・メーベルト先輩は、そっとわたしの横に腰を落とした。


「すごいねぇ。空の上からでも覗かれない限り、完全に死角だ」


 笑うるーちゃんに、どんな顔を向けて良いのかわからない。ただでさえ避けたかったのに、とりさんのせいで輪がかかった。


「結構、エリアルを探してるひといたけど、これは見つからないなぁ」

「わたしを、探して?」

「うん。花持ってねぇ」


 ずいぶん花は受け取ったと思うけれど、まだ足りなかっただろうか。


「そんなに花まみれだと、確かにもっと花をあげたくなるねぇ」

「そう言うこと、ですか?」

「さぁ、どうだろう?似合ってるし、可愛いから、もっと花を飾りたくはなるよ。でも、心配したからって言うのもあるんじゃないかなぁ?」


 ひどい怪我だったって言う話も、なかなか目覚めなかったって言う話も、広く伝わっていたからねぇ。


 目を合わせられないわたしの横で、るーちゃんは穏やかに微笑んだ。


「怪我、もう残ってない?」


 るーちゃんがわたしの頬へ手を伸ばすのに、ひくりと顔が強ばる。


 ぱしん。


 止まりかけた指先を、まるで蚊でもたたくかのようにはたいて頬へと導く。


 頬に触れさせた手のひらに、すり、と顔をすり寄せる。


 その、一連が、無意識だった。さっきまで、目も合わせられなかったのも忘れて。


 我に返り、おかした行動を理解し、次の行動を打ち出す。


 その間、3拍。


「―――、怪我、ありませんよ?」

「……そっかぁ」


 るーちゃんがうつむいて、口許を弛める。

 床を向いた唇から小さく、ずるいなぁ、と呟きが落ちる。横目でうかがえば、ちらりと覗いた耳が赤かった。


「怪我したことも、それを治したのが僕じゃないことも、怒ってたのにぃ」


 顔を上げたるーちゃんの指が後ろへと滑り、うなじを引き寄せられる。ふわりと、薬草の香り。


 ぽすりと、隣に座ったるーちゃんの肩に顔が埋まる。


「合宿には、行けるのぉ?」

「行けます」

「場所も変わらず?」

「はい」

「なら、一緒だねぇ」

「ええ」


 肩に触れているから、笑った気配がわかる。


「春も一緒だと良いなぁ」

「……」


 知らず、るーちゃんのジャケットの背を握り締めていた。


 打算か。欲望か。


「……ええ」


 小さく。本当に小さくこぼした言葉はけれど、触れているから届いてしまっただろうか。

 また、笑った気配を感じる。


「もしかしたら、なんだけど」

「はい」

「王都、と言うか、王宮勤務になるかもしれなくて」

「王宮」

「うん。だから」


 ぽん、ぽんと、るーちゃんの手がわたしの背中を跳ねる。


「卒業しても、ひょっこり会えるかもしれないねぇ」

「――、」


 わたしが向かうことが許されるだけあって、冬合宿の行き先でもあるオズウェル領は王都からさして離れてはいない。行こうと思えば行けない距離ではないのだ。

 だが、それでも同じ学園にいる今と比べてしまえば、あまりに大きい隔たりで。とりさんの言った通り、気軽に守ることは、出来ない距離で。


「そう、ですか」


 顔を見られたくなくて、肩に埋めた額をぐりぐりとすり付ける。


 駄目だ。

 これは、駄目だ。


 駄目、だから。


―駄目じゃないよ?


 そそのかす邪竜の囁きは無視して、静かに深く、薬草の香りを肺へ流し込んだ。

 そっと上げた顔が赤いのは、服に擦れたから。


「王宮に、国家随一の治癒魔法使いがふたりもいて下されば、安心ですね」

「実のところグローデウロウス導師がいれば、僕はいらないんだけどねぇ」

「わんちゃんも万能ではありませんよ?」


 なにせ邪竜の阻害をあっさり受けてしまうくらいだ。


 首を傾げれば、呆れた笑いで返される。


「導師に対してそんなこと言えるのは、エリアルくらいだけどねぇ」

「そうですか?」

「そうだよぉ」

「そうですか」


 視線を落として、口許を歪める。


「でも、それでは永遠に、わんちゃんには敵いませんよ?」


 るーちゃんが、目を見開いた。


「エリアルは、導師に勝ちたいのぉ?」

「いえ」


 ぱちりとまばたいて、首を振る。


「特に、勝ちたいとは」


 勝たなければいけない時が来る可能性は、とりさんに言われるまでもなく、考えているけれど。


 彼はいつ、敵になるかわからないひと。ゲームでは、ツェツィーリアを、エリアル・サヴァンを、妨害したひと。ゲームにおいて、エリアル・サヴァンからヒロインを救い得た、唯一のひと。越えられない壁だと思っていては、いざ敵対した時途方に暮れてしまう。


「ただ、何者であろうと、万能なんてあり得ません。それこそ、神さまでさえ」

「神さまとは、大きく出たねぇ。神さまに、勝ちたいのぉ?」

「もしも敵として、わたしを阻むのならば」


 転生なんてものがあり得た以上、神も悪魔も、わたしは否定出来ない。運命の拘束力なんて馬鹿げたものですら、存在を考慮しなければならないのだ。

 決して忘れてはいけない。今は絶対的な味方であるわんちゃんが、敵として立ちふさがる可能性を。


 だから。だから、そう。とりさんの言う通り、手札は多いに越したことはなくて。手段なんて選んでいる場合ではなくて。


 でも。


 でも。


 知らず力がこもっていた右手に、とりさんから押し付けられたイヤーフックが刺さる。


―ほら、エリ。わかってるよね?


 邪竜あくまの声は、耳をふさいでも消えない。


 でも。


 そんな、利用するなんて。

 だって彼には、守るべき家族も、きっと望めるであろう幸せもあって。


 でも。


ー今さら?


 頭の中の声と思考が重なって、混濁する。


 そうだ。だとしても。


「どんな手を使ってでも、勝とうと努力しますよ」

「エリアルは」「だから」


 なにか言いかけたるーちゃんの声と、わたしの声がぶつかる。


「なぁに?」

「これ」


 会話を譲ってくれたるーちゃんに、握り込んでいたイヤーフックを見せる。そのまま手を伸ばしてるーちゃんの左耳に引っ掛けた。謀ったようにぴったりと言う事実に、内心おののきを隠せない。


―それくらい出来なくて邪竜を名乗れるとでも?


 邪竜を名乗るためのハードルは思ったよりも高いようだ。って、なんだそれ。


 愛らしい薄紅の花は、鉄紺の髪に良く映えた。


「通信石です」

「そんな高いもの」

「タダで貰ったものなので」


 誰からとは言わず、苦笑して見せる。

 こう言うとき、有能な魔導師の知り合いがいるとありがたい。勝手に誤解してくれるから。


「困ったときは、頼っても良いですか?」


 ずっと、そうして来たことだ。ずっと、みんな、利用して来た。ときにはほだし、ときには脅し、ときには騙して。今さら、躊躇うことなんてなかったのだ。

 すでに汚れきっているわたしが、今さら純潔を気取るなんて、滑稽を通り越してうすら寒いくらいだ。


「その代わり、るーちゃんが困ったときは、わたしに頼って下さい。等価交換です」

「エリアルの手助けかぁ。等価かなぁ」

「うっ」


 そこを突かれると困るのだけれど。


「ね、猫の手くらいの役には立ちますよ?」


 やばい。とても天才治癒魔法使いの手助けとは張り合えそうにない。


 冷や汗をかくわたしに目を見開いて、るーちゃんは噴き出した。


「違う違う。逆だよぉ。僕じゃ、エリアルの手助けに見合う手助けにならないんじゃないかって思ったのぉ。エリアル、きみ、自分の価値わかってる?この国にたった二人きりの、政略級魔法使いだよぉ?」


 政略級魔法使い。すなわち、一個人の投入で戦況を動かす能力者である戦略級魔法使いの、さらに上の能力者。たとえば、一個人で国を滅ぼした我が祖父、カミーユ・セザール・サヴァンのような、一個人で国の行く末を左右するほどの能力者のことだ。

 バルキア王国における、政略級魔法使い。それがたった二人だと言うのならば、筆頭宮廷魔導師であるヴァンデルシュナイツ・グローデウロウスと、国殺しの末裔であるエリアル・サヴァンにほかならない。邪竜トリシアだって能力だけを見れば政略級の存在ではあるが、公にされていないため、政略には役立っていない。


 リリアいわく、事実戦争の抑止力として役立ってはいるらしいので、その側面だけを見たならばわたしの方がるーちゃんよりも上かもしれないけれど。


「個人レベルでは、何の役にも立ちませんよ。るーちゃんの魔法の方が、ずっと良いです」


 にこっと笑って、でも、と言う。


「るーちゃんは、可愛い後輩の頼みなら聞いてくれるでしょう?たとえ、見返りなんて見込めなくても」


 それでもせめて真っ向から利用させてくれと頼むのは、きたないわたしの汚い自己愛だ。後ろめたさを少しでもなくしたい、この優しいひとに嫌われたくないと願う、自己満足な罪ほろぼし。


「んー……」


 るーちゃんが首を傾げて、唇に指をあてる。


「そうだねぇ。エリアルに頼まれたら、大抵のことは断れないなぁ」


 可愛い後輩だからねぇ、と頬笑むるーちゃんは本当に良い先輩だと思う。

 こんな可愛いげのない後輩で、申し訳ない限りだ。


「それに、いつでも治療してあげるって約束は、もうしてるからね」

「え……?」

「夏の合宿で、言ったでしょう?きみの歌一曲で、僕の治療一回分」


 冗談じゃ、なかったのか。


「見返りにきみの歌が貰えるなら、僕はいくらでも協力するよ」


 まだ短い冬の日は暮れかけて、頬笑む彼の顔を茜色に染めていた。


 ああ、やっぱり格好良いな、我らが騎士科の聖女さまは。


「ほかの誰でもなく、僕に頼ってくれたって言うのも、嬉しいしねぇ。たとえそれが、僕がたまたま治癒魔法が出来たからだとしてもね」


 また引き寄せられた顔が、今度は肩ではなく、柔らかいものに触れる。


 ちゅ。


 頬から聞こえた音に、ひゅっと息を飲む。


「約束」


 耳元に囁きを残して、離れる熱。


 目を見開いて頬を押さえるなんて、初心うぶ生娘きむすめのような反応をしてしまったわたしを、どこか意地悪な表情で見て、るーちゃんは立ち上がった。


「さて、いつまでもきみを独り占めしているのは悪いから、僕はもう行くけど、その前に」


 もう限界まで飾り立てられたはずの頭に、るーちゃんが手を伸ばす。


「通信石には劣るけど、僕とぎーちゃんから」


 耳許にするりとなにかを挿し込まれた。


「んー、かぁわいっ。よく似合ってるよ、エリアル」

「そう、ですか?」

「もちろん、普段もとても可愛いし、エリアルには黒がいちばん似合うけどねぇ。年に一度くらいは、色とりどりに着飾っても、許されると思うよ。常に死を思い続けるなんて、医者にも聖職者にも出来はしないんだから」


 髪型を崩さないよう優しく頭をなでられる。


「そう、でしょうか」


 色まみれの自分を思い、目を伏せる。本来なら、許されない姿だ。サヴァンが命を奪ったひとりひとりに、一年ずつ。レミュドネ皇国の人口は、どれほどだろうか。まだ到底、罪を償い終えたとは思えない。


 そもそも、レミュドネ皇国の人間のみならず、歴代のサヴァンは数多くのものを殺して来ているはずだ。


 簡単に、生き物を殺せる力。だからこそ、常に死を忘れてはいけない。


「そうだよ」


 きっとサヴァン家の背負うもののことなんて知らないるーちゃんが、それでも微笑んで頷く。


「だって、ひとは慣れる生き物だからねぇ。なんにでも浸り続けていたら、鈍くなってしまうよ。たまには、浸るその場所から外に出ないと」


 世界に影がなかったら、僕らはきっと光の明るさも理解出来ないよ。人間ってほんとうに馬鹿だよねぇ。


 ほがらかに笑いながらこぼされた毒のある言葉に、ふふっと笑ってしまう。


「そうですね」


 かなしみを知るから、ひとは幸せを喜べる。ひとよりも苦しみにさらされて来たから、ツェリは優しい。

 苦しみを知らない者は、ひとの苦しみを理解出来ず、常に孤独に身を置くものは、己の孤独に気付かない。


 わたしが今の幸福を掛け替えなく、そら恐ろしくすら感じられるのは、ゲーム(幸福の崩壊)を、知っているから。


「今日だけ、お目こぼしして貰いましょうか」


 変わりになるかはわからないけれど、今日は歌おうか。

 大切なひとの、静かな永眠ねむりを望む歌を。


「~♪」


 ひとつの国を、滅ぼした。跡形も、遺さず。

 それは、死者を悼むものすら、なくしてしまう行為で。


「~♪」


 この歌のように思い返してくれるひとですら、命と共に奪ってしまったのだ。


 市街地への爆撃が非道とされるのは、そんな理由もあるのかもしれない。戦争に立つ兵士が死ぬのとはわけが違う。一家で吹き飛ばされてしまえば、その死を拾い上げ、泣いてくれるひともいない。


 ああ、形ばかりの弔いごときでは、きっと許されるものではないのだろう。


 それでも、背負う。許されなくても、報いにはなれなくても。


「~♪~♪」


 許されないことは、償いをやめる理由にはならないから。


 無意識に選んだ歌がこの世界のものでないことに気付いたのは、歌い終えてからだった。


 なにかを問われる前に立ち上り、笑って腕をさする。


「さすがに冬場の外は寒いですね。日も暮れて来ましたし、戻りましょう」

「……うん」


 普通に飛び降りようとして、るーちゃんを振り返る。


「……るーちゃん、どうやって登って来たのですか?」


 るーちゃんは天才的な治癒魔法使いだけれど、使える魔法は治癒のみだ。わたしのように、空中に足場を作って三段跳びみたいなことは出来ない。


「え?普通に階段で最上階まで昇って、屋根整備用の梯子から来たけど」

「ああ、なるほど」


 それもそうか。これだけ飾り立てられた屋根だから、定期的な保守は欠かせない。


「なるほどって、エリアルはそうじゃないのぉ?」

「わたしは普通に、三階の窓から」


 いつものサロンは、三階だからね。


「……校舎は、五階建てだけど」

「そうですね」


 しれっと頷いて見せると、胡乱な視線を返された。


「スーに叱られるよぉ?」

「内緒にして下さい」


 指を立て、ないしょ、のポーズ。


「お転婆猫ちゃんは叱られた方が良くないかなぁ」

「楽なのですよ。やってみればわかります」

「……やらせてくれるの?」


 話のわかるるーちゃんの、悪戯っぽい表情に同じ表情を返し、手を差しのべる。


「共犯者になりましょう。数秒間の空中散歩の」

「乗った」


 大きくて少しひんやりした手が、差しのべた手に重なる。重なった手を握って屋根際に進み出ると、下にひとがいないことを確認して、


「行きますよ」


 手を引いて屋根から飛び降りた。


「わっ」


 音の波に押されてぽんぽんと跳ねながら落下し、とんっと地面に着地する。最初は驚いた顔をしたものの、るーちゃんも危なげなく着地し、


「──なんだ猫か」

「猫ではないです」


 ちょうど扉から出て来たスー先輩ことスターク・ビスマルク先輩と目が合った。

 反射的に答えてから、るーちゃんと繋いでいた手を放して両手を上げる。


「違うのです」


 なにが違うのかはわからないままとりあえず言い訳してみた。


 スー先輩が首を傾げて、わたしの頬に指の甲を当てる。


「花の妖精でも、降って来たかと思った」


 ちゃんといるな、と確認されて、ぱちりと目をまたたく。


「はい。いますよ?」

「そうか」


 スー先輩が頷いて、すい、と頬の指を滑らせる。存在を確認するように。


「「スターク」」


 そんなスー先輩の後ろから、咎める声音の呼び掛けが二重で投げられる。


「驚いたのはわかるけど、きみは先輩なんだから注意が先だろう?まったく、ブルーノまで一緒になって」

「そこのおおばかねこに感化されるな。ばかが感染うつる」


 スー先輩の後ろにいたのは、ゴティ先輩ことゴッドフリート・クラウスナー先輩と、ヨハン・シュヴァイツェル伯爵子息だった。

 同じ三年生とは言え、派閥違いで三人とは、珍しい組み合わせだ。


 と、思っていたところ、


「ブルーノ、なに面白そうなことをしている」

「どこ行ってたんだよ、探したぜ?」


 さらにその後ろから、ラフ先輩ことラファエル・アーベントロート先輩と、ウル先輩ことウルリエ・プロイス先輩が現れた。


「ラフまで馬鹿なことを言うんじゃないよ」

「ラフは元からばかだろう。ブルーノを探してたってことは、お前たちもか」


 五人でいたのかと思ったが、偶然らしい。シュヴァイツェル伯爵子息に問われて、ラフ先輩が頷く。


「ああ。冬期演習合宿の最終調整だ」

「ブルーノが総長だからな、おれらの合宿先は。にしても、噂にゃ聞いたがすげぇ格好だな、エリアル」


 笑うウル先輩の胸元には、造花のブーケが飾られていた。白と葡萄色に、山吹色が混じるブーケはとても可愛らしく、ウル先輩の見た目だけは王子さまらしい外見に拍車をかけている。

 きっと、婚約者さんの手作りなのだろう。


「みなさまの愛で……正直なところ頭は重いです」

「だろうな」


 誰彼かまわず愛想を振り撒くからだぞー、と、ウル先輩は笑って、


「ほら追加」

「おい」


 シュヴァイツェル伯爵子息の着けていた造花のブーケから一本抜き取ってわたしの頭に挿した。シュヴァイツェル伯爵子息が半眼でウル先輩を睨む。


「んだよ、お前だって心配してたんだろぉ?」

「それはっ……そのおおばかねこは、国防のかなめだからな」


 ふんっと視線を逸らすシュヴァイツェル伯爵子息はしかし、花を奪い返そうとはしない。


「それは、ご心配お掛けしてしまったようで申し訳ありま、」

「まったくだ。良いか?お前はもっと自分の価値を自覚して、慎重に動け。護衛も付けずに馬車移動などと、サヴァン家の危機意識はどうなっている」

「弱小子爵家なもので」


 公爵家時代には専属に仕えてくれる一族がいたらしいが、祖父の代で絶えている。と言っても公爵家時代でも、護衛なんてろくに付けていなかったらしいが。

 公爵家時代は魔法持ちが親族にひとりきりなんてことはなかった。ひとりを抑えても次が存在するため、化け物一族を敵に回そうと言うやからはいなかったのだ。


「弱小、ねぇ」


 目をすがめるウル先輩を笑顔で流し、それより、と先輩方を見回す。


「班長方の最終調整でしたら、わたしは邪魔ですね。お嬢さまをお待たせしてもいるので、退散致しま、……スー先輩?」


 一礼して去ろうとしたところで手を取られて、きょとんと首をかしげる。


「ん?ああ、なんでもない。いや、ミュラーの所に行くなら、これを」

「え?──可愛い」


 スー先輩が差し出したのは、ロリポップの花束だった。


「なぜか出掛けに、レジーナから渡されてな。受け取ったは良いが持て余していた。いつもの面子で集まっているなら、分けて食べて貰えると助かる」

「よろしいのですか?」

「ああ」

「ありがとうございます」


 レリィがまだいれば喜ぶだろう。ロリポップの束を受け取り、今度こそとお暇する。


 思ったより、時間が経っている。待たせてしまっているだろうから、急がないと。




「……遅かったわね、と、言うのもはばかられるわね」


 足早に戻ったはずのわたしを見て、サロンでお茶をしていたツェリが呆れたと言いたげにため息を吐き出した。


「どうしたのよその格好……いえ、良いわ。だいたい想像付くもの」

「出来る限り急いだのですが、申し訳ありません、遅くなってしまって」


 言いながら、両手一杯の花を机に置かせて貰う。ついつい、ふぅ、と息が漏れた。


 わたしを探しているひとがいたと言うるーちゃんの言葉は事実で、あれから道々(みちみち)で花を渡されることになった。なにも返せるものがないからと断ろうとしても、渡したいだけだからとか、存在がお礼とか、姿を見られたことに対するお礼だからとか、正直ちょっと理解出来ないことを言われて押し付けられたのだ。


 結果、いくら足早に歩いてもたびたび足止めされれば意味などなく、普段ならば十分程度で着けるはずのサロンまでの道のりに、何倍も時間が掛かってしまった。


「猫が時間を守らないなんて、いつものことだもの」


 すねたように唇を尖らせるツェリを後目しりめに、サロンを見回した。


「みなさまもう、帰られました?」

「あなただけにかまけていられる面子でもないもの」

「そうですよね。申し訳ありません、ツェリだけ待たせてしまって」

「良いわよ。年明けから挨拶ばかりでうんざりだったの」


 ツェリが肩をすくめて、心の底からうんざりだと言いたげな顔を見せた。笑って、ジャケットのポケットをあさる。


「そうおっしゃらずに。こちら、スー先輩から頂きましたから、甘いものでも食べて、心を休ませて下さい」

「ビスマルク先輩から?」

「お義姉ねえさまから渡されて、もてあましていたとかで」


 ロリポップを束ごと差し出せば、首をかしげて見上げられた。


「あなたにじゃないの?」

「いえ」


 スー先輩は、ツェリの名前を出してこれをくれた。


「ツェリにですよ」

「そう」


 甘いものはあまり得意じゃないのだけど、と呟きながらロリポップの花束を受け取り、ふっと笑う。


「可愛い」

「そう早く駄目になるものでもないでしょうし、しばらくは飾っておいても良いかもしれませんね」


 多少きつめの顔立ちとは言え、小柄な身体にふわっふわの巻き毛を持ち、文句なしの美少女であるツェリなので、ロリポップの花束なんて可愛らしい小物は、それはもう、良く似合う。


「そうね。可愛いわ」


 そう言って微笑んでいれば、まるでおとぎ話のお姫さまみたいなのに、


「でも、そんなことで流されたりはしないから」


 瞬時に変わった雰囲気と浮かべられた表情はまさに悪役令嬢で、


「私が年の瀬と新年の挨拶漬けで大変な思いをしている間、迂闊にも誘拐された挙げ句、怪我して意識が戻らず、療養の名目で王城に引きこもっていた駄猫は、騎士科なんてやめた方が良いのじゃないかしら?」


 熟れた果実のような魅惑の唇から漏らされた言葉も、辛辣なものだった。


「……あくまで、騎士見習い候補の立場ですので」


 音大の学生が、全員音楽家になるわけではないように、騎士科だから全員が騎士になるわけではないのだ。王太子であるヴィクトリカ殿下や、文門貴族家の出で将来はまず間違いなく官僚になるであろうラース・キューバーも、騎士科に在籍しているくらいだし。


 まあ、そんな言い訳なんて我らがお嬢さまを相手にしては、波の前の砂の城ほどの防御力もないのだけれど。


「あら、あなたはその程度の覚悟で、騎士科に在籍しているのかしら?」


 ほらね。


「……いいえ」


 こんな花まみれの格好ではさまにならないだろうけれど、ひざまずいてロリポップの花束ごと愛らしい手を握る。


「必要とあらば今すぐにでもあなたの剣とも盾ともなり、戦う覚悟です」

「戦えるの?簡単に誘拐されるような脆弱さで」


 ツェリがロリポップから片手を離し、わたしの手を逆に掴む。


「子猫の爪じゃ、なにも守れやしないわよ?」

「小さな鼠でも、窮すれば猫を脅かしますよ」

「命を懸けると?」

「まさか」


 微笑む。いとおしさを、視線に乗せて。


「あなたと共に生きるためなら、なんだってしますよ。ですからなんとしても、生き残らなければ。生きていなければ意味がありませんから」


 間近でこちらを見ていた瞳が、見開かれた。


「……私と一緒に、生きてくれるの?」


 悪役令嬢の顔は呆気なく崩れ去り、不安に声を震わせるただの小さなツェツィーリアがそこにいた。


 ああもう、この子は。


 掴まれた手を、握り返す。


「あなたがわたしを、拾ったのでしょうに。まさか棄てるおつもりで?」

「──てるわけないじゃない!棄てないわ。手放してなんか、あげないんだから!!」


 細い指が、手の甲に食い込んで痛い。

 けれどそんなことお首にも出さず笑みを返した。


 この最愛の少女のため。痛みをこらえることなんて、もう慣れきっている。


「でしたらずっと、あなたはわたしの大切なお嬢さまで、わたしはあなたのエリアルですよ」


 あなたにわたしが、必要でなくなるまで。

 聞かれたくないひと言は胸にしまって、そう。


「あなたのためならば、なんだってして見せましょう」


 重たいほどにこの身をおおう、目の前の大切なひと以外の好意を思う。


 誰彼かまわず愛想を振り撒くのは、なんのため?


 非道でも。無慈悲でも。狂気の沙汰と言われても。


 腕を引き、儚くも愛しい宝物を胸に収めた。


 誰を利用しても。誰に謗られても。


 わたしには、この子が大切だから。


「ですからずっと、おそばにいさせて下さい」

「当然よ」


 掛け替えのない愛し子は、濡れた声を吐き出した。

 

 

 

拙いお話をお読み頂きありがとうございます


……糖分過多でただほのぼのな話にする予定だったのですが

邪竜による邪魔が入った結果

エリアルさんの狂気が露出した感じになってしまいました orz

なにかを吹っ切ったエリアルさんです


次話がいつ更新出来るか未定なのですが

冬合宿になるかな、と思っています

続きも読んで頂けると嬉しいです




以下、新しいレビューを頂けたのでお礼を↓


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拙作にレビューを書いて下さりありがとうございます(*´`*)

散りばめた謎や秘密にだんだん答えを返して行けるよう更新頑張りますので

楽しんで頂ければ幸いです


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