取り巻きCは花に埋まる 上
生きていました……
生きていました……!
投稿が大変遅くなり誠に申し訳ありませんっm(__)m
取り巻きC・エリアル視点
エリアル高等部1年の年始
前二話の続きの時間軸です
長くなったので分けています
次話投稿にまた間が空いてしまう可能性があるので
切り良く読みたい方はお気を付け下さい
「あなた……すごい格好ね」
花まみれになったわたしを見て、ツェリが呆れたように言う。
髪だけで収まらなかった髪飾りに、両袖だけでは足りない数のくるみボタンは、丁度好く挿しやすい形状だったスヌードに取り付けられ、わたしの花まみれさに拍車を掛けていた。
制服とも、私服の黒装束とも異なる、色にまみれた姿。リリアに結われた頭も、重みを感じるくらいに髪飾りで覆われていて。その上に、膝の上には花が山盛りになったカゴ。
「ちょっと……そわそわしますね」
本来なら許されるはずのない格好に胸がざわついて、所在なく目を泳がせた。
取り巻きC、現在花祭の真っ最中です。
目を開ければ、見慣れた天井がそこにあった。
「いたた……」
長く寝込んだ時特有の身体の軋みに顔をしかめながら半身を起こせば、くらりとめまいを感じる。
ええと、ここは、王宮のわんちゃんの仕事部屋の、仮眠室だ。それで、わたしは、エリアル・サヴァンで。
どうして、ここにいる?
めまいと記憶の混乱に頭を抱えたわたしの耳が、扉の開く音を拾う。
「起きたか」
「わん、ちゃん」
顔を上げずとも声でわかる相手の名を呼ぶ。
「具合は」
「大丈夫です」
「……そう言う台詞は」
骨張った大きな手が、頭に触れた。
「もっと大丈夫そうな態度で言え」
ゆっくりと顔を上げさせられ、暗い銀眼と視線が交わる。
「顔色はそこまで悪くねぇな。食欲は。あるか」
「……あまり」
空腹は感じない。具合を訊かれると言うことは、なにかしら具合を心配されるようなことがあったから、なのだろうけれど、はて。
治まってきためまいに息を吐き、首を捻る。
今はいつで、どう言う状況なのか。
「……まさか、覚えてねぇのか?」
わたしの反応から状況を理解していないと気付いたらしいわんちゃんが眉間に皺を、
「いや、覚えてたとしても、か」
寄せかけてから顔を離して呟いた。
「待ってろ。なんか飲むもんと、食えそうなもん持って来る。話はそれからだ」
言い残して扉に向かう背中を見送る。やはり、どうしてここにいるのかは思い出せない。
―とりさん、聞いている?
―なに
―どうしてこうなったのだっけ
わんちゃんがいないうちに記憶整理しようと、もうひとりのボク、もとい、内なる邪竜に呼び掛ければ、呆れ顔がありありと浮かぶ溜め息を返された。
―どこまで覚えているの
―ええと、モーナさまのお宅訪問して
―うん
―ヘクトル兄さまが迎えに来て
―それで?
邪竜と言いつつ面倒見は良いとりさんの相槌を受けながら、おぼろけな記憶を思い返して行く。
―一緒に馬車で王都に向かう途中で、賊に襲われて
―そうだね
―賊から逃げたあとの山中で、こんちゃんに会って
―会って?
会って?
どうしたっけ?
―そこで記憶が途切れています
―なんで敬語
―いやだって
自分の記憶もままならないって、結構恥ずかしいものだから。
小さな溜め息のあとで、とりさんは心なしか優しい声で言った。
―それで正解。カロッサの末子に会って倒れたんだよ、エリは
―あー……
そんなに消耗しているつもりはなかったのだけれどと頬を掻けば、ばかじゃないのと今度は刺々しい声。
―止血したとは言え首を切られているし、真冬に寒中水泳したし、ろくに食事も取らずに山中を飛び回ったでしょ?覚えてる?
―覚えています
―なら、それは倒れもするとは思わないの
―……思います
―ばかでしょ
―おっしゃる通りです
邪竜は、ふん、と鼻を鳴らして、それでと続けた。
―倒れたエリをカロッサの末子が王宮まで運んだんだよ。で、なかなか目覚めなかったからヴァンデルシュナイツの監視下に置かれていたの
―あー、なるほど
―ヴァンデルシュナイツが戻って来る。もう良い?
―うん。ありがとう
脳内でお礼を言った直後、扉が開いてわんちゃんが顔を出した。とりさんの気配察知能力はどうなっているのだろう。
とりさんのお陰で記憶の整理が着いたので、ふと気になって喉元に手を滑らせた。傷ひとつない代わりに、頑強な革の首輪の手触りが返る。もう慣れてしまったそれに安堵を覚えて、ほっと息を吐いた。
首輪を外し、全部投げ出して逃げたい、なんて、どうして考えたのだろう。
我ながら、疲れていたのかもしれない。
「飲めるか」
わんちゃんが差し出したのは、湯気の立つクリーム色の液体だった。受け取れば温かく、ほのかに香辛料と酒精の香りがする。ひとくち、口に含んでから、そんなわたしを見下ろす彼を見上げた。
「どれくらい、眠っていましたか?」
「……いつから寝てんのか俺は知らねぇから、正確にはわからねぇが」
わんちゃんは肩をすくめて見せてから、わたしの手におやきを載せた。
わざわざオーブンで温めてくれたらしいそれは、わたしが作り置きしてわんちゃんに渡していたものだ。
「あと四日で花祭りだ」
「あと、四日」
目を見開いて、その事実に唖然とする。
何日逃げ回っていたのか正直定かではないのだが、それにしたって一週間は眠っていたと言うことだろう。
「それはまた」
カップを寝台わきのチェストに置き、温かいおやきを手の上で転がしながら苦笑した。
「ご迷惑を」
申し訳なく思いながら呟けば、わんちゃんは寝台で半身を起こしたわたしの横に背を向けて腰掛けてから首を振った。座った拍子に、ふわりとお香が薫る。
「迷惑なんざ、誰も思ってねぇだろうが」
骨の目立つ背中が、腕に当たる。
耳触りの良い声が、そもそも悪ぃのは誘拐した馬鹿共だと吐き捨てた。
「そこは覚えてるか?」
「ええ。誘拐されて、逃げ出して、その先でコンスタンティン・レルナ・カロッサ教皇子息さまに会って、倒れたことまでは覚えています」
「そのコンスタンティンがお前を保護して連れて来たんだ」
「それで、ここに」
とりさんから聞いて知っていた経緯だが、得心が行ったと言う体で頷いた。
「カロッサ教皇子息さまにも、ご迷惑を」
「事情を知りゃ、誰も迷惑なんて思わねぇよ。お前に対しては。だが」
ぼさぼさの灰色斑髪の向こう側から、燻し銀の瞳がこちらを流し見る。
「方々に心配は掛けたんだ、そこは、謝っとけ」
「方々に」
「コンスタンティン、はそこまで心配してなかった気がするが、次兄も長兄も心配していたし、国王や宰相も、お前の学友も、大丈夫なのかと訊いて来たぞ」
挙げられたなかに思わぬ名前があって、少し驚いた。
「……ヘクトル兄さまも?」
思わず口に出してから、
「あ、いえ、そうですよね」
状況を思い出してかぶりを振った。
話して感じたことだが、ヘクトル兄さまはいかにもサヴァンだ。サヴァンである以上、外面は折り紙付き。仮にも妹が、自分の目の前から誘拐されて、心配して見せないはずがない。
ひとりで完結したわたしを背中越しに見て、わんちゃんはむっつりと顔をむくれさせた。
「まぁヘクトルもコンスタンティンと同じで、大して心配してはいなかったな」
おや。
「そうですか?」
言われた内容自体よりもわんちゃんがヘクトル兄さまを名前で呼んだことを意外に思う。
「お前から離れようとしない次兄を、諭して帰らせる程度には冷静だった。安否がわかってねぇ間も、死んではいねぇだろうって言ってたくらいだしな」
「へぇ……」
馬車の中で交わした会話を思い出せば、まあそうなるかと思わなくもない。
ヘクトル兄さまは、
「あれは、厄介だな」
「え?……っと」
わたしがいきなり身を翻したせいで、腕に寄り掛かっていたわんちゃんが体勢を崩してわたしの胸に収まる。
「悪ぃ」
「いえ」
まるで少女漫画のようなハプニングだけれど、わんちゃん相手で恋愛もなにもないし、そんなことより気にすべきことがある。
「ヘクトル兄さまが厄介、ですか?」
先日話した雰囲気ではむしろ、わかりやすくサヴァンだと感じたのだけれど。
「お前の父親よりサヴァンだろう、あれは」
「あー……」
そっちか。
起き上がったわんちゃんの答えに、気の抜けた声を返す。
「直系長子、ですからね」
サヴァンの在り方は、あまり理解されない。成り立ちや歴史を考慮すれば、かくあるべしと思うのだけれど。
ただし現当主たるシルヴェスター・サヴァンに関しては育った環境もあって、さほどサヴァンらしくない。対して、次期当主となるであろうヘクトル・サヴァンは、シルヴェスター・サヴァンの息子とは思えないほどサヴァンらしいのだ。
ゆえにわんちゃんは、厄介だなんて言ったのだろう。
「多少カミーユ似なとこも厄介ではあるが、その上で中身がシシリアに似てるから余計に厄介だ」
「大叔母さまにですか?」
エリアル・サヴァンの祖父であるカミーユ・セザール・サヴァンの妹、シシリア・ミシェル・サヴァン。わずか十五歳で兄以外の親族も国も喪った彼女のことを、わたしは祖父であるカミーユ・セザール・サヴァン以上に知らない。
祖国を喪ってから半世紀、伴侶も友人も作ることなく過ごした彼女は、父が幼い頃に亡くなっているからだ。ほとんど領地にこもりきりだったと言う彼女について、誰かから聞くこともない。辛うじて、美しかったとか、祖父とそっくりの瞳の色をしていたとかの外面的なことは知っているが、その程度だ。
「大叔母さまは、どのような方だったのですか?」
「あれは……」
わんちゃんが苦虫を噛み潰したような顔をする。
……わんちゃんは大叔母さまに会ったことがあるのか。本当にこのひとは何歳なのだろう。
別の疑問に気を取られながらも、わんちゃんの答えに耳を傾ける。
「主を決めたサヴァンだった」
「主を」
はたり、と目をまたたき、首を傾げる。
「それは……」
目を伏せ、瞬間虚空を見てから、わんちゃんの背中へと目を戻した。
「レミュドネに?」
「いや」
わんちゃんが首を振り、答える。
「カミーユだ」
「え?」
「シシリアが自分の主に据えていたのは、実の兄のカミーユだった」
「カミーユって、お祖父さまですか?まさか」
信じられない。
「サヴァンが、サヴァンを?」
「ああ」
「そんな馬鹿な」
「……カミーユはシシリアより強い。幼少期、シシリアはカミーユのお陰で正気を保てたと言っても過言じゃなかったようだな」
「それは」
それでは、まるで。
「刷り込みでは?あるいは、洗脳」
「さぁな。本人に詳しく聞いた訳じゃねぇ。だが、あの頑なさと執心、カミーユ以外への関心の無さは」
ふと言葉を切ったわんちゃんが、振り向いてわたしを見遣った。
「なんですか?」
「少し前のお前に似ている」
「わたしに?」
今は、
「ヘクトル兄さまが大叔母さまに似ていると言う話をしていたのでは?」
「血族に対する執着と考え方っつぅ点ではヘクトルの方がシシリアに似てる。が、誰か個人への執着っつぅ点ではお前の方がシシリア似だ。比較的純粋で真っ直ぐな行動を取りがちだったカミーユに対して、シシリアは策を弄して巧く立ち回る奴だった。諦め、に近かったかも知れねぇが折れるっつぅことを知ってたカミーユと違って、シシリアは我を通しきる頑固さも持ってたしな」
「少し前、と言うのは?」
「今は違ぇだろ」
その言葉はどこか、懇願にも聞こえた。
「一生、カミーユを世界として生きたシシリアと違って、お前の世界は広がってるだろぉ?」
わんちゃんの手が、わたしの両目を覆う。暗くなった視界に目を閉じれば、浮かぶ顔はひとつではない。
「俺は、シシリアの世界もカミーユの世界も広げてはやれなかった」
「それは」
閉じられた視界のまま、言う。
「この国に来た時点で、すでにふたりの世界が形成されていたからでは?」
「そうだな。サヴァンの意思は強い。特に、カミーユやお前のように、安定したサヴァンの意思はな」
ため息の気配がして、視界が開ける。
「それで、思い出した」
おもむろに立ち上がったわんちゃんの大きな手が左頬を包む。
「サヴァンは閉じ込めても、主に害が及ばない限りは文句を言わねぇ。だが、それだけだ」
骨の感触の強い手が、するりと頬をなでた。
「もちろんそれだけでも、戦争の抑止力としての効果は十分ある。十分ある、が」
「なんですか?」
「サヴァンの使い道として、それじゃあんまりにも勿体ねぇ」
ぱちぱちと目をまたたいて、首を傾げる。
「サヴァンの使い道ですか?」
「ああ」
手を離したわんちゃんが、頷いて腕を組んだ。
「お前やヘクトルを見ればわかる通り、サヴァンの者は総じて能力が高ぇ。とりわけ、対人に関しては」
「対人に関しては」
優しさか情けか濁された言葉の先を、自ら口にする。
「化け物」
と。
顔をしかめたわんちゃんは、そうは言ってねぇとぼやき、少し乱暴にわたしの髪を掻き混ぜた。
「お前はなんでそう、化け物になりたがる」
「あなただって」
骨張った手の感触に目を細め、頭を刷り寄せながら答える。
「わたしを化け物と呼んだでしょうに」
「他人が呼ぶから受け入れるようなタマかよ。違ぇだろぉが。お前がお前を、化け物に仕立て上げてるんだ」
「はは」
こぼれた笑いは、思ったよりも乾いて響いた。
「そんな酔狂なこと。誰がすると言うのですか」
「お前も。シシリアも。ヘクトルもだ」
誘拐される前、馬車での会話を思い出して笑みを深める。小さく首を振り、同じことを言われればきっと彼も返すであろう言葉を舌に乗せた。
「仕立て上げようなどとは思っていませんよ」
胸に手を当てれば、感じるはずのないふたつめの鼓動が響いた気がした。
「サヴァンは化け物の系譜。それは単なる、事実でしかないのですから」
ひとでも、×××××でもない、どっち付かずの出来損ない。
それを化け物と言わずして、なにを化け物と言おう。
「……だからお前らは」
わんちゃんが頭に乗せていた手を頬へと滑らせる。なにもかもを見透かしてしまいそうな燻し銀の眼が、珍しくもしっかりと見開かれてこちらを見つめていた。
「どこまで知っていて、情報源はどこなんだ」
「さて」
その目を見返し、手のひらに寄せるように首を倒す。
「なんのことでしょう」
「……、」
「に゛っ」
わんちゃんの苛立ちが指に乗った。
「俺の目に余らねぇ限りはお前もツェツィーリアもある程度自由にさせてやる。サヴァンは閉じ込めずに動かした方が利があるからな。ただ、忘れんな」
「いたいいたい」
「お前は俺の監視下にある」
「いたい。いたいいたい」
「勝手が過ぎればお前の大事なツェツィーリアもろとも籠の鳥だ」
「……」
ふ、ともれた笑いは、果たしてどんな感情によるものだったか。
「つい先程、わたしの世界はツェリだけではないと言ったその口で、ツェリを盾に脅そうとなさるのですか?」
「違ぇよ。そうじゃねぇ」
わたしの片頬をつまむのをやめたわんちゃんは、剣呑な色をにじませた瞳でわたしを見つめた。
「俺に出来ることも限度があるんだよ。なんでもかんでも、自由に出来るわけじゃねぇ。俺の方が強いっつっても、相手は一国の国守だからな。国益に関わることじゃ、国として譲れねぇもんもある」
「──っ」
ぽろりと、目から鱗が落ちた。わんちゃんの手を振り払い、膝を抱えて突っ伏して、ふるふると肩を震わせる。
「おい、エリアル?」
「ふぅ……っ……っく」
まさか、そんな、と言う心地だった。
「エリアル、どうした、どこか痛むか」
「くぅっ……ふ……うっ」
そんな、そんなことを。
慌てるわんちゃんの声は聞こえていても、ぐしゃぐしゃの顔を上げられない。服の端を握り締めた片手すら、力が入り過ぎてぷるぷると震えていた。もう片手に掴んだままだったおやきを、握り潰していないことを誉めて欲しいくらいだ。
「おい……エリアル……?」
わんちゃんがおずおずと言った体でわたしの肩に触れる。
「ふぅ……けほっ、くっ」
堪えすぎて咳が出たところで、もう限界だった。
「ふはっ、く、はははっ」
「……は?」
パタンと寝台に倒れて笑い出したわたしを、わんちゃんが唖然とした顔で見下ろす。
「もっ、ふふ、申し訳、くはっ、ありっ……ませっ……ふっあはは」
前世、数ある悪役令嬢もので。あるいは、現実の歴史でも。わがまま放題が許される地位にあったはずの令嬢が蹴落とされるのはなぜだったか。
その身分で、許される以上のこと、つまり、国として見逃せないほどのことをやってしまったからだ。
つまり、身の程をわきまえなかったから。
「おい、どうした」
「いえ、ふふっ、自分の、あはっ、馬鹿さ加減に呆れて、くっふはっ」
そんなのわかっていたはずなのに。
そんなこと、よくよく理解していたはずなのに。
まさかわんちゃんから、身の程をわきまえろと注意されるなんて。
「具合が悪いわけじゃ、ねぇんだな?」
笑い転げるわたしを見下ろすわんちゃんの言葉に、笑いながら頷いて答える。
どれだけ追い込まれていたのか。どれだけ、視野狭窄におちいっていたのか。
困惑顔のわんちゃんに見下ろされながらひとしきり笑って、どうにか笑いを納めて起き上がった。笑い過ぎて、涙すら浮かんでいる。
「申し訳ありません。ありがとうございます」
「なんだ」
「いえ。もう、間違えません」
少なくとも、ツェリがこの国を望む間は。
身の程を理解して、動かねばならない。
国益を害して、潰されることのないように。
「……はぁ」
わんちゃんは疲れたように溜め息を吐き出すと、まぁ良い、と吐き捨てた。
「わかってりゃ良い。判断に迷うなら、俺に相談しろ」
「筆頭宮廷魔導師さまが相談に乗ってくれるなんて」
ふふ、と笑って首を傾げる。
「贅沢ですね」
「それだけサヴァンが重要だってことだ。覚えとけ」
「ええ」
頷いて、目を細めた。
「眠い、ですね」
「……まだ本調子じゃねぇんだろ。寝て良い。ただし、これ飲み干してからな」
食べる気がないと判断したか、わんちゃんはわたしの手からおやきを奪い、ぬるまったカップを持たせた。習い性でふー、と息を吹き掛けてから、とろりとしたそれをすする。前世で言うなら、ブランデー入りのホットエッグノッグ。前世では簡単に手に入る材料で作れたそれも、産業の発展しきっていないこの国では高級品だ。
母は体調を崩したわたしによく、エッグノッグを作ってくれた。お酒は入れず、代わりに生姜を少し入れて。
どうしてかわんちゃんも、わたしが弱っているとこの飲み物を出す。
母の味とは違うけれど、懐かしい温かさ。
「ごちそうさまでした」
「ん」
わたしが飲み干したのを確認して、わんちゃんはカップを受け取る。
「あと二、三日は寝てても良いだろ。ゆっくりしてろ」
大きな手が頭をなでるのに気を良くして、もふりと布団に潜り込む。
「おやすみなさい」
「ああ。おやすみ」
甘い香りと共に柔らかいものが額に触れ、その心地好さを感じて解け行くにまかせ、わたしは意識を手放した。
なにも考えず十二分に寝て、笑って、寝て。
気付かず溜め込んでいた負債を、存分に吐き出したのだろう。
その後押し寄せたお見舞いに、前の誘拐のときのような憂鬱さを感じることはなく、すっきりした頭は驚くほど働いて。
ちょっとした準備をしてから、花祭に挑むことになった。
「エリアル」
「アルねぇさま」
休み前にいつものサロンでの待ち合わせを約束を交わしていたリリアことリリアンヌ・ヴルンヌ侯爵令嬢とレリィことオーレリア・ミュラー侯爵令嬢に、会うなり手を掴まれる。
「休み中、大変だったとお聞きしました」
「大丈夫なの?」
わたしが失踪したのが年の暮れ、見付かったのが明けてからで、寝ること数日。いなくなり、見付かり、目覚めた報告は聞いていたとしても、実際に手紙をやり取りするほどの時間はなかった。
「ええ。ゆっくり休んで、むしろ元気になったくらいです」
「それなら良かったですけれど」
「無理は駄目よ?アルねぇさまは、平気な顔ですぐ無理をするんだから」
言いながら、レリィが手を離し机に置かれていたカゴを持ち上げる。
「今日はなにもしないで、ただ、飾られていると良いわ」
「………………多いですね」
山盛りのカゴに、どん引……いや、うん、驚く。え?引いていない。引いていないよ?ソンナ、ゴ厚意ニ引イタリスルワケナイジャナイ、ウン。
「アルねぇさまに髪飾をって言ったら、山のように希望者が集まったの。これでも、数人で協力してひとつ作るとかにして、減らしたのよ?」
「こちらのリボンの刺繍は、みなさまで一針ずつ刺したそうですわ」
それなんて千人針。あれ、わたしって今日出兵だったかな……?
「さあ、エリアルさん、こちらへ」
「あ、リリア、待って下さい」
手を引いてわたしを椅子へ誘おうとしたリリアを止め、持っていたカゴを示す。
「花飾を用意して下さった方に、返礼を用意したのですが」
迷惑を掛けた方々への謝罪分もと思っていたのでとにかく数は作ったけれど、思った以上に花飾が多い。足りる、だろうか。いや、うん、余ったらゾフィーさんに横流ししようと予想のゆうに数倍は作ったから、足りる……はず、たぶん。
「返礼、ですか?」
「ええ。ささやかなのですが」
レースやシフォンの端切れを縫い合わせ、リボンを通してギャザーを寄せただけのシュシュもどきだ。貴族令嬢に渡すにはあまりにお粗末な、本当に、気持ちばかりの返礼品。
それでも。
この日に渡すならば、手作りの、花飾であることが、大事だと思ったから。
カゴに掛けてあった布を取り、中からふたつシュシュもどきを取り出す。
「よろしければ、おふたりにも。ご心配お掛けして、申し訳ありませんでした。嫌気が差されていなければ、今年もよろしくお願い致します」
「そんな「ありがとう!」」
なにか言いかけたリリアの声を遮って、満面の笑みのレリィがわたしの手からシュシュもどきを取って、自分の腕に通す。
「アルねぇさま、結んで結んでー」
「はい」
「ふふっ、黒だから、お揃いね!」
「えっ、あ、オーリィ、ずるいですわ!わたくしも黒い飾りが」
「だぁめ!リリアはこれ!」
適当に取ったシュシュもどきは、漆黒と紅梅で、どちらかと言えばレリィに似合いの紅梅は、リリアが着けるには愛らし過ぎる。本人もそう思ってのリリアの発言だったろうに、わたしにシュシュもどきを結ばせたレリィは、紅梅のシュシュもどきを取ってリリアの手首に結わえ着けた。
「こんな、わたくしには可愛らし過ぎますわ」
「でも、リリアはこう言う色が好きでしょう?れりぃ、知ってるんだから!」
にっと笑って、レリィは山盛りの花飾からひとつを取り出す。鴇色の五分咲きの百合は、ちょうどリリアが髪に挿している花色の百合とそっくりな形だ。
「アルねぇさまに着けたいってこっそり混ぜたの、見てたからね!」
「そっ、それは……!」
かあっと、リリアの顔がレリィの持つ百合と同じ色に染まる。
「鴇色……」
エリアル・サヴァンの見た目的に、ピンクはちょっと似合わないと思うなぁ。と言うか、制服以外は黒と白と赤と金くらいしか身に付けないから、他の色の自分が想像出来ない。
「お、お嫌でしたら無理にとは」
とは言えそんな顔をされてしまったら、断れないじゃないか。
「いえ。今日は、そう言う約束の日ですから」
カゴを置き、椅子に腰掛けた。
「お任せします。好きに飾って下さい」
「えっ、あっ、はい!喜んで!」
謎の挨拶をしたリリアと、うーん、と考えてから口を開くレリィ。
「ちょっと、呼んで来るわ」
「呼んで?」
「髪飾りを作った子。れりぃから渡しても良いけど、アルねぇさまから直接貰った方が嬉しいもの」
リリアはそのまま、アルねぇさまをよろしくね。
言い置いて出て行くレリィを見送ってから、リリアを見上げる。
「では、よろしくお願いしますね、リリア」
言って視線を下げ、ふっと笑う。
「誰かに髪を結って貰うなんて、久し振りです。なんだか、姉妹みたいですね」
とても幼い頃、アリスの髪を結ってあげたことが、あったような、なかったような。
前世では、よく姉が髪をすいてくれたな。丁寧に丁寧に髪に櫛を通して貰うその時間は、大好きな姉を独り占め出来て好きだった。
「……?」
返事も動きもないリリアに疑問を覚えて、顔を上げる。
「リリア?お顔が、赤いですよ?もしかして体調が?それなら今日は休、」
「いえっ!!」
冬だし風邪でもひいたならと言いかけた言葉を遮り、リリアが櫛を掴む。
「大丈夫!ですわ!!始めますね!!」
「えっあっはい」
頷き、委ねる気持ちも込めて目を閉じる。
リリアの爪先まで整えられた手が、優しくわたしに触れた。
そうして出来上がったのが、こちらのエリアル・サヴァン(ハナマツリのすがた)でございます。
目を開けて鏡を覗くと、そんな某三分クッキングを彷彿とさせる台詞を言いたくなる、変わり果てた自分がこちらを見返した。普段と真逆の、目に痛いほどに色取り取りな姿。お祝い花にでも、なったようだ。
頭は花畑。モノクロだったヤドリギのスヌードも、見る影なく色まみれだ。
元々この飾りたちが入っていたカゴは、綺麗に空になっている。
「よく……使いきりましたね」
「……これは、自分で自分を褒めたいですわ」
やりきった表情のリリアがうなずく。
さすがは侯爵令嬢だろうか。色も形も様々な飾りを、これでもかと鬼盛りにしているにもかかわらず、下品さや乱雑さがない。まるで、極彩色の薔薇窓や点描画のように、綺麗に調和が取れている。
「鳥の王に、なれそうですね」
「え?」
「いえ、こちらの話です」
虚飾で彩られた彼は、結局王さまにはなれなかったのだったか。
「見慣れなくて、変な感じです」
眉を下げ、鏡の前でくるりと回る。後ろも色まみれだ。
「自画自賛のようですけれど、似合っていらっしゃいますわ。まるで、お花の妖精のよう」
「ありがとうございます」
笑みを返したところで、ノックの音が響いた。
「開けても大丈夫?」
「大丈夫です」
聞こえて来たレリィの声に扉へ振り向いて答える。
開いた扉から覗いたレリィは瞬間目を見開き、
「リリアすごい」
次の瞬間には笑ってリリアを褒めた。
「全員は入れないから、外に並んで貰っているの。アルねぇさま、こちらに来れる?」
「はい」
待たせては悪いと、カゴを掴んで扉に向か、
「…………多いですね」
「これでも全員じゃないのよ。身仕度出来たら駆け付けるって、後から来るわ」
「ええと、何人ですか?」
「二十人くらい」
下手すると中等部女子の半数くらいいないか、それ。
唖然としつつも笑みを造り、集まった子たちに向ける。
「わざわざ来て頂くほどのものでもないのですが」
「大丈夫よ」
恐縮したわたしの横に立ち、あっけらかんとレリィがのたまった。
「見た上で来ているもの」
掲げて見せるのは、さきほど渡したシュシュもどき。
こちらもさすがは侯爵令嬢。抜かりなかった。
ならばと納得し、カゴからシュシュもどきを出す。
「選んで頂くと不公平になってしまいますので、申し訳ありませんが」
「いえそんな!」
「髪飾り、ありがとうございます」
「こちらこそ!ありがとうございます……!!」
とにかく無心で、シュシュもどきを取っては渡す。
既視感を覚えて思い返してみれば、ハロウィーンでも似たようなことをしたな、わたし。
今回は写真がないのでハロウィーンより速やかに渡し終え、ひと息吐く。
「申し訳ありませんが、モーナさま」
静かに、呟いた。
「今日は写真を、ご勘弁下さいませ」
本当にこの方は、どこから聞きつけて来るのだろう。
心底疑問に思いながら、だいぶん少なくなりながらも辛うじて残っていたシュシュもどきをふたつ手に取る。
「このたびは、ご心配をお掛けしてしまい申し訳ありません」
「ワタクシの心配なんて。ご無事でなによりですわ」
サヴァン家の馬車に乗っていたとは言え、ジュエルウィード侯爵家からの帰り道だった。
侯爵家から届いた謝罪にはサヴァン家で返礼したし、こんなシュシュもどきでは謝罪にもならないけれど、モーナさまとケヴィンさま、ジュエルウィード家の末姉弟は、友人と言える相手だから。
……ケヴィンさまにシュシュもどきは、正直自分でもどうかと思うけれど。
「可愛い」
「ひとつはケヴィンさまに」
「ふふ。きっととても喜びます」
「気持ちばかり、ですが」
モーナさまは微笑んで、首を振った。
「その気持ちがなによりの喜びですわ。ワタクシにとっても、あの子にとっても」
本当は、写真も付いたらもっと喜ぶのでしょうけど。
写真機を下ろして、シュシュもどきを受け取ってくれる。
「来年、自分の目で見れば良いんですから」
「……来年はこんな風にはならないと思いますけれどね」
「それはそれです」
いつまでもエリアルさんを独り占めしては悪いですから。
言い残して立ち去るモーナさまを、追うように部屋を出ようとしたところを、レリィに留められる。
「ここでお茶にしましょうよ」
逡巡を拾い上げて、レリィが笑う。
「ここにいた方が良いわ。きっともう、アルねぇさまはここにいるって、知れ渡ってるもの」
レリィの言葉は本当で、ミュラー家の侍女がお茶を淹れてくれる間もなく訪問者が姿を見せ、それからも、交流のある方々が何人もサロンを訪れた。
開口一番に口にするのはみな、わたしの無事を確認する言葉。
に、加えて。
「……なぜ、みなさまお花を」
「生花なら間に合うからじゃないかしら」
だんだんと花がたまっていくカゴと、だんだんとシュシュもどきが減っていくカゴを見比べながら呟くと、肩をすくめたレリィが答えた。
「誘拐されたと聞いて気にはなっていても、王宮じゃお見舞いには行けないでしょ。花祭に来れるかどうかもわからなかった。でも、こうして無事な姿を見せてくれて、なら、感謝と歓迎を示したいって、みんな思うのよ」
「……みなさまに、ご心配をお掛けしてしまいましたね」
「そうよ。心配したんだから」
ぷくり、と頬を膨らませて見せるレリィに苦笑を帰す。
「……ありがとうございます」
言えば、大きな瞳がさらに大きく開かれた。
「アルねぇさま?」
「どうかしましたか?」
「……ううん。どういたしまして」
レリィが大輪の花のように笑い、その笑顔のまま扉へと目を向けた。
「あら、気にせずいらっしゃいな。誰も、とがめたりしないわよ」
そう言ってしり込みしていた下級生を呼び寄せるさまは、まさに令嬢然として、彼女もまた高位貴族であることを思い出させる。
「エリアル、疲れたら言って下さいね?」
入り口の少女に気付かれぬよう小声で囁くリリアも。それは、髪に挿す花飾りからも、一目瞭然で。
「大丈夫ですよ」
このふたりとも、そして、もうひとりの大事な女の子とも、そばにいて後ろ指をさされぬよう。
正しくあらねば。
そう、改めて気を引き締めた。
それからまた、五月雨のように訪れる訪問者に対応し続け、ようやく来客も途切れ始めた頃。
「あら、やっと来たの」
その気配に居ずまいを正したわたしに気付き、レリィが笑った。
「リリア」
「ええ。行きましょうかオーリィ。エリアルさん、わたくしたちは、少し離れますね」
「え?」
「大丈夫ですわ。おふたりなら」
待ってと言う暇もなく、リリアとレリィが連れ立って出て行ってしまう。
入れ違いに入って来たのは。
「──、」
とっさに呼び名に迷って言葉を詰まらせたわたしとは対称的に、鮮やかに微笑んでそのひとは口を開く。普段は下ろすか一部だけ結って流していることの多い艶めく紅茶色の髪が、今は結い上げられ、大輪の薔薇と小さなカミツレの花飾りで飾られている。真っ黒な薔薇の中の真っ白な花は、小さいくせに恐ろしく存在感を発揮していた。
「久しぶりね、アル」
首を傾げる姿は愛らしくも威厳があり、立ち上がろうとしたわたしを手で制すさますら、気品に溢れていた。
これぞ令嬢、と崇めたくなるほど完璧な、筆頭公爵家ご令嬢。
「ご無沙汰して、申し訳ありません」
「休暇中だもの、仕方ないでしょう」
謝罪をさらりと流して、完璧なご令嬢、ミュラー公爵令嬢ツェツィーリアは、わたしを見下ろした。
拙いお話をお読み頂きありがとうございます
……仲直りまで行かなかった orz
次話は糖分高めを予定しています
まだほぼ白紙なのですけれどね!自分の首を絞めていくスタイル!!
続きは出来るだけ早くお届け出来るよう努めますので
見捨てずお読み頂けると嬉しいです
っと、いけない!Σ( ̄□ ̄;)
作者が更新しないせいで半年近く過ぎてしまっているのですが
拙作にレビューを頂きました!
レビューには返信出来ませんのでこちらでお礼をさせて下さい↓
ё ё ё ё ё
素敵なお言葉ありがとうございました(*´`*)
更新遅くなってしまいましたが
楽しんで頂けていれば幸いです
ё ё ё ё ё




