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取り巻きCと魔法使いの弟子

先日は大変失礼致しました

今度こそちゃんと更新でございます

お納め下さいm(__)m


取り巻きC・エリアル視点

エリアルさん高等部一年生の年末


前話の後の時間軸です

ほっこり回……になる予定でした……

 

 

 

 目が、合った。


 みゃあ


「……にゃー?」


 ぱちん


 思わず呟いたわたしの横で、高らかに写真機のシャッター音が鳴り響いた。


 取り巻きC、ただいま、未知との遭遇中です。




 普段の棲息地であるリムゼラの街から離れてこんにちは、モーナ・ジュエルウィードさまのお宅訪問中のエリアル・サヴァンです。

 なんだか最近のわたしでは、お嬢さまの取り巻きは名乗れない気がするよ……。


 ツェリとのすれ違いだとか、年越えの市の誘拐だとか、知らぬはずのないモーナさまだけれど、ジュエルウィード家の領館カントリー・ハウスに向かう馬車のなかで、その話を持ち出すことはなかった。さすがは、中立派の侯爵家令嬢だろうか。変わり者のようでいて、気遣いの鬼だ。


 馬車内での話題は専らこれから行くジュエルウィード家のひとびとについてで、とくに訪問の主目的たる弟君おとうとぎみ、ケヴィン・ジュエルウィード侯爵子息さまについては、詳しく語られた。弟君について語る表情は優しく、仲の良い姉弟の、良いお姉さまなのだろうなと感じさせた。


 馬車はなにごともなくジュエルウィード家の領館に着き、モーナさま自ら滞在中の部屋へと案内して下さった。そのまま、晩餐までゆっくりしていて下さいと部屋に残され荷解きを済ませ、さてどうしようかと思ったところで、モーナさまから晩餐前に館の案内をしましょうかと誘われた。


「お疲れでしたら明日に回しますが」

「いえ、お願い致します」


 これから年末年始の二週間強を過ごす場所だ。知っておくに越したことはない。


 その考えのもと、モーナさまに連れられて、ジュエルウィード家の館を案内される。


 その、途中のこと。




「エリー、どこに行くんですか?」

「みゃう」


 目の前の未知が、掛けられた声に反応して振り向く。


 真っ黒な、木製らしい猫。関節は球体で可動化されており、尻尾に至っては一体どんな作りになっているのか本物の猫の尾のような滑らかな動きを見せている。つるりと滑らかな身体は小柄で、きらきらした瞳まで真っ黒ななか、首にはめられた真鍮の鈴付きの真っ赤な首輪だけが、鮮やかな色彩を描いていた。


 木製の子猫が現れた人物に駆け寄り、その腕へと飛び込む。


 写真機を眼前から下ろしたモーナさまが、人影へと呼び掛けた。


「ケヴィン」

「あねうえ」


 モーナさまの灰青色より薄く澄んだ、氷灰色の瞳がこちらを向く。黄土色の髪に、日焼けを知らない真っ白な肌が儚げな印象を、涼やかな目許を覆う眼鏡が、知的な印象を与える。


 ジュエルウィード侯爵姉弟、まさかの眼鏡っ子姉弟ですか……!?


 きょとんとモーナさまに向けられた瞳がずれ、わたしをその目に映した。


 う、わぁ……。


 色と切れ長な造型のせいかどこか現実離れした、褪めたような印象を与えていた瞳が、とろりと愛らしく溶けた。瞳がきらめき、あどけない笑みが浮かべられる。


「エリアル・サヴァン子爵令嬢さまですね。始めまして、ケヴィン・ジュエルウィードと申します」


 とてて……と急ぎ足に歩み寄って来た華奢な青年、ケヴィン・ジュエルウィード侯爵子息は、そう言ってきらきらした瞳でわたしを見つめた。

 ちょうど同じくらいの目線だから、ラース・キューバーと同じような身長なのだろうけれど、騎士科にしては線の細いラース・キューバー以上に細く、簡単に手折れてしまいそうな不安を覚える。


 差し出された手は肉付きが悪く、鶏ガラのようだ。


 その手でわたしの手を取って、極上の笑みを浮かべる。


「ずっと、あなたに会いたく思っておりました」


 わーお、ど直球。


 あまりに忌憚ない言葉と好意を全開にした態度に、面喰らってこちらを見るジュエルウィード侯爵子息を見返す。


「ええと、ジュエルウィード侯爵子息さま?」

「どうぞケヴィンと」

「では、ケヴィンさま。わたしのことも、気軽に呼んで下さって構いませんよ。わたしはただの、子爵家の娘ですから」


 ジュエルウィード侯爵子息改めケヴィンさまが、瞬間目を見開いたあとでそれはそれは嬉しそうに微笑んだ。クール系な見た目に反し、なんともまあ、犬のように笑顔満点の方だ。


「ありがとうございます。では、アル先輩とお呼びしても?あなたと同じ学院に通えることが、嬉しくて仕方ないんです」


 全面で嬉しいを表現していたケヴィンさまの顔が、不意に歪められ、けほっと咳を漏らす。


「ケヴィン、廊下は冷えます。部屋に戻りなさいな」


 自然な動きでケヴィンさまに近付き背を撫でながら、モーナさまが優しい声で言う。


「でも」


 しょぼんとおいてけぼりにされた仔犬のような顔をされると、切り捨てるのも忍びないもので。


「……モーナさま、少し、喉が渇きませんか?」


 申し出れば、二重の意味で申し訳ないのか整った眉尻が下がる。


「お気遣いが足りなくて、申し訳ありません。エリアルさんさえよろしければ、ケヴィンと三人でお茶にしましょう」

「モーナさまとケヴィンさまがそれでよろしければ」

「良いんですか……?」


 ああ。


 自分の手を取る痩せけた手を握り返し、肉付きの悪い頬を撫でる。

 柔らかい表情と声は、装わずとも自然と作られた。


「あなたに会うために来たのです。あなたが望むのでしたら、悪いはずがないでしょう?」


 切れ長な目が、見開かれる。


「え、えと……」

「あなたと同じ歳の妹が、あなたと同じように、来年初めて学院に通うのです。ただ、わたしは妹とはあまりに仲が良くなくて、直接には手助けがしにくくて。ですから、どんな不安があるのか、どんな疑問があるのか、あなたにお聞きしたいなぁと。助けて、頂けますか?」

「……っはい!」


 きゅっと、骨の感触が強い指先に力がこもる。


「ワタシの部屋に、ご案内します!」


 にこっと笑ったケヴィンさまが、わたしの手を引く。


 他人相手にならこんなにも簡単に出来ることが、どうして実の妹相手に出来ないのだろう。


 落としたくなる溜め息を今は堪えて、わたしはケヴィンさまに手を引かれて歩き出した。




「わあ……」


 ケヴィンさまの部屋は、なんと言うか、うん、すごいの一言に尽きた。

 いくつも並ぶ写真立てと、木製の動物模型。写真はほとんどが風景だが、人物の写っているものもあって、その多くがわたしの写真だった。


「あ……」


 ほぼ黒猫しかいない動物模型のなかに、見覚えのある木製犬を見付けて、声が漏れる。


「あいぼ……」

「あら、覚えていて下さいましたの?」


 モーナさまが微笑んで、その木製犬を取り上げる。あのときは敬語ではなかったし、眼鏡も掛けていなかったけれど。


「あのときの、ご令嬢?」

「ええ。あのときは、」

「あのときは、失礼致しました」


 思わず深々と、頭を下げた。

 木製あいぼに興奮するあまり偉そうに説教をたれた自分を思い出し、臓腑が冷える。まさか侯爵令嬢相手に、そんなやらかしをしていたとは。


「……」

「知らなかった、幼かったとは言え、大変な無礼を、」

「きゃんきゃん」


 頭を下げたまま吐き出していた言葉を、甲高い犬の声が遮る。

 脚にじゃれつく木製犬に目を丸くして、思わず膝を突く。


「すごい……まだ動くなんて……」


 確かあれは初等部半ばのことだったから、モーナさまは十歳足らずだったはずだ。そんなに幼い年齢で、五年以上も作動可能な魔道具を作り上げるなんて、感嘆の一言だ。


 手を伸ばせば木製犬は、くぅんと鳴いて腕に飛び込んで来た。


 上から、くすっと笑い声が落ちる。


 ぱちんと響く、写真機の音。


 おもてを上げれば写真機のレンズとケヴィンさまの優しい顔が、こちらを見下ろしていた。


 もうひとつシャッターを切ってから、モーナさまが膝を突いてわたしの顔を覗き込む。


「あのときも、エリアルさんはその子を褒めて下さいましたね」


 モーナさまの手が伸びて、木製犬の頭を撫でる。


「あなたの言葉でワタクシがどれほど救われたか、あなたはご存じないでしょう」

「救われた?わたしに、モーナさまが?」

「ええ」


 頬笑むモーナさまはお姉さんの顔をしていた。


「あのときのワタクシは自分の能力を否定して、ないものを羨んで、妬んで、卑屈になって、とても幸せとは言えませんでした。それが、ねえエリアルさん?今のワタクシは、不幸そうに見えるでしょうか?自分の能力を、下らないと卑下しているように見えますか?」

「いいえ。あなたはとても生き生きとして、ご自身の持つお力を最大限に活かしているように見えます」


 実際、クルタスはモーナさまの写真で溢れている。……その多くがわたしの写真であることには、沸き上がる疑問を禁じ得ないけれど。


 モーナさまが、自信たっぷりに頷く。


「その通りですわ!ワタクシ、今、この上なく人生を謳歌していますもの!!」


 デキル女らしい印象を裏切る高らかさで宣言したのち、少し照れたようにはにかむ。


「それが、すべてあのときのエリアルさんのお陰です、なんて言っても、あなたは信じて下さらないかしら?」

「え……」


 膝を突いて見つめ合うわたしたちを笑って、ケヴィンさまが手を差し伸べる。


「せっかく部屋に来て頂いたんですから、床ではなく椅子に座りませんか」


 片手に木製犬を抱いたまま、ケヴィンさまの手を取って立ち上がる。

 通されたテーブルにも写真立てがあり、飾られていたのは家族写真と、ハロウィーンのときのわたしの仮装写真だった。


 ええと……アイドルのブロマイド、的な。

 いや、わたしがアイドルだとか、言っているわけじゃないよ?


「ええと、この写真は」

「姉がくれたものです。あまり外出の出来ないワタシにとって、姉が写真機で切り取って来て下さる写真は、どれも宝もので」


 きらきらしながらケヴィンさまが語る間に、音もなく現れた給仕たちにより、お茶の準備が調えられていく。さすがは侯爵家の使用人か、ほとんど気配を感じさせない静かな動きと手早い作業だ。


「そのきっかけが、アル先輩だと聞いてから、ワタシにとってはアル先輩が英雄なんです」


 少しうつむいて、ケヴィンさまが苦笑する。


「姉はワタシよりずっとすごいのに、それまでは自信がなかったので。姉に笑顔と自信を取り戻させてくれて、ワタシに頑張る目標をくれたアル先輩は、ワタシたちの救世主です」

「……そんな、買い被り過ぎですよ」


 一心に向けられる尊敬が今は苦しくて、首を振る。わたしはそんな、大した人間ではない。


「買い被ってなんかいません」


 否定の言葉を投げたわたしを強い瞳でケヴィンさまが見返す。その純粋さに当てられて、わたしは視線を逸らした。


 磁石でも入れられたかのように開きたがらない口を、開く。


「わたしは、そんな、救世主なんて言われる人間では……」


 ありません、と続ける前に、ケヴィンさまが目を見開いて首を振った。


「あなたはそう思っていても、ワタシは確かに救われたんです。写真でしか知らないくせになにを、と思うかも知れませんが、どんな写真でもエリアルさんはいつも輝いていて、ずっと、今だって、ワタシの支えです。いつかあなたと同じ学校に通うんだって思ったから、生きるのを諦めなかったし、頑張って身体を鍛えられたんです」


 輝いているのはお前だ!と突っ込みたい気持ちを押し留めて、引きつりそうな顔にどうにか笑みを浮かべる。

 わたしはアイドルではないが、彼にとっての偶像アイドルではあるのかもしれない。


「やっぱり、買い被り過ぎですよ」

「そんなことありません」


 そこから先は、耳に痛い美辞麗句のオンパレードだった。彼以外だったら馬鹿にされているのかと思うところだが、澄んできらめく瞳が嘘だと思わせない。横でモーナさまが苦笑して、自業自得ですからね、と小声で呟いた。


「坊ちゃま、お嬢さま、まもなく夕げの時間ですよ」

「わ、そんなに話していましたか」


 褒め殺しはその声が掛かるまで続き、やっと解放されたときには、もう、ぐったりしてしまっていた。


 ……こんな話を聞かされて、この先ケヴィンさまにどんな対応を取れば良いの。




 ジュエルウィード侯爵家のご家族は、わたしを温かく迎えてくれた。表面上は。


 高位の家だが、魔法持ちの輩出が少ない家だったはずだ。突然現れた化け物の扱いに戸惑うのは、まあ、仕方のないことだろう。

 モーナさまもケヴィンさまも普通に接してくれていたけれど、つまりは彼らが異端なのだろう。


 配慮が足らなかった。断るべき誘いだったのかもしれない。


 表面上は歓迎を装って下さっているだけに、首輪で封じられているからと言う慰めも掛けられない。


 せめてモーナさま、ケヴィンさまが心から友好的なのが救いだけれど、よく見ればモーナさまとケヴィンさまに対しても、家族の態度は少々よそよそしいものだった。いや、どちらかと言うと、モーナさまとケヴィンさまが家族に対して、だろうか。


 あのとき出会ったモーナさまを、思い出す。


 自分に自信を持てず、うつむいた姿。今とは、全く異なる。


 ご本人の聡明さも、もちろん要因ではあるのだろう。

 けれど。

 おそらく、モーナさまをそうさせたのが、この家なのだろう。そして、ケヴィンさまをこうさせたのも。“まとも”な長男、二男のあとの変わり者の長女と病弱な三男を持て余している、と言うのが現状だろうか。


 微笑む。


 ただ、穏やかに、心の動きなんて、ないみたいに。


 それが、サヴァン家が国殺しに教える処世術。


「ごちそうさまでした。とても、美味しい食事でした」

「今日は移動でお疲れでしょう?ゆっくり休んで下さいませ」

「ありがとうございます」


 モーナさまがわたしの手を取って席を立ったとき、ほっとした雰囲気を感じた。

 なにも言わず、モーナさまに従ってその場を去る。


「……居心地の悪い思いを、させてしまったでしょうか」


 わたしに与えられた客間に着いてから小声で掛けられた問いに、ふっと噴き出してしまい、繕うように首を傾げて見せた。


「わたしは、エリアル・サヴァンですよ?」


 あの程度の扱いには、慣れきっている。実家に帰ったような懐かしさを覚えるくらいだ。いや、むしろ、実家の方がひどかっただろう。


 モーナさまは瞬間目を見開いたあとで、きゅっと眉を寄せた。


「そんなことを言わせるために、お呼びした訳ではありませんわ」

「クルタスでの立ち位置こそ、おかしいのです」


 普段と違うモーナさまのご様子に、首を振って答える。


「実際、恐れられるべき力を持っているのですから、危機感を持って警戒して当たり前です。特に高位貴族ともなられれば、おひとりの影響力は計り知れません。身を守ることを優先すべきでしょう」

「……」


 モーナさまは眉を下げてわたしを見つめたあとで、視線を落とし息を吐いた。


「そうですね。あなたは、優先順位を違わず行動出来る方ですから」


 首を振って、それから、顔を上げる。


「では賢いエリアルさんならおわかりでしょう?ワタクシとケヴィンが、どれほどあなたを歓迎しているか」


 上げられた顔は、晴れやかな笑顔で彩られていた。……開き直ったとも、言うだろう。


「あなたをお呼びしたのは、ワタクシのワガママです。ワタクシが、あなたと年の瀬を過ごしたくて、あなたを騙したんです。ですから、あなたはなにも気にせず、ワタクシとケヴィンのことだけを考えていて下さいませ」


 ……なんと言うか、うん。


 モーナさまだけではない。リリアも、レリィも、ツェリでさえだ。

 高爵位家出身のご令嬢は、これだから敵わない。


 巧みな観察眼と話術で相手を見透かし、角の立たぬように要求を通す。

 剣なき戦いの最前に立つべく育てられた戦乙女ヴァルキューレは、かくもしたたかなのか。


「ご覧になられたからお気付きかと思いますが、ケヴィンはあなたに心酔しています。心の底から。そんな子の相手を半月以上もして頂こうと思っていますから、その苦労に比べればワタクシどもの家族の心労など」


 モーナさまが、ふふっと笑う。


「蚊の涙ですわ」


 ころころと笑い飛ばしたあとで、ですから、とモーナさまは続けた。


「これから半月強、弟をお願い致しますね?」


 侯爵令嬢だ。間違いなく。


「……喜んで」


 微笑んだ顔は夕食前の疲労を思い出して、若干引きつっていたかもしれない。




 ケヴィンさまは、暴走さえしなければ至って“良い子”だった。それはもう、違和感を覚えるほどに。


―誰かさんにそっくり


 ぼそりと、竜の呟きが聞こえる。


―ん?とりさんの知り合いにも似たひとがいるの?

―エリのそう言うとこ嫌い


 一方的に言い放って、竜はそれ以上答えなくなる。

 竜にも病弱とかあるのかと思ったけれど、不躾だっただろうか。


 内心首を傾げつつも、今はケヴィンさまだと現実に向き直る。


 ケヴィンさまは良い子。そして、それはモーナさまもだ。

 学院にいると所謂写真狂い的な一面が目に付くけれど、実際のところ彼女はとても、視野が広い。そして、よく頭が回る。


 病弱な弟よりも問題児として振る舞うことで、弟の遠慮を消そうとする。先んじて自分の望みとして発言することで、弟の望みを叶える。

 弟もそれをわかっているから、姉に懐くし、どこか姉に対して引け目を感じている。


 美しいようで、歪んだ姉弟愛だ。


 なにかしら、ケヴィンさまが自信を持てれば良いのだけれど。


 そんなことを考えつつ、今日もわたしは姉弟と過ごす。




 夜中、ふと、目が覚めた。


 身体の弱いケヴィンさまに合わせてか、ジュエルウィード家の夜は早い。いつもは部屋に戻ってからなにくれと作業したり読書したりで寝る時間は遅くしていたのだが、今日は気紛れに早く床に着いた。変な時間に目覚めたのは、そのせいだろう。


 横になったまましばし眠気を待ったが、まんじりとしていっこうに眠くならない。溜め息を吐いて、身を起こした。

 月が明るい。


 なにか内職なり勉強なりをしても良かったけれど、なんとなく気が向いて、ケープを羽織ってバルコニーに向かう。


 真冬の清んだ空気越しの月は美しく、しかしその光は星々を霞ませていた。

 雲すらない空に、ぽっかりと月だけが取り残されたように見える。


「……サヴァン嬢?」


 瞬間、ケヴィンさまに呼び掛けられたかと思い、しかし彼はわたしをサヴァンとは呼ばないことを思い出す。声を辿って視線を下げれば、二階から張り出したバルコニーの下、整えられた庭に、モーナさまと良く似た黄土色の髪に灰青色の瞳で、ケヴィンさまと面差しの似た青年が立っていた。

 顔立ちはケヴィンさまに似ているが、その体格はしっかりとしている。きっと、ケヴィンさまも健康であったなら、こんな体格になっていたのだろう。


 良く似た兄弟の髪色はしかし真ん中の子だけ、母親譲りの栗色をしている。


「ジュエルウィード侯爵子息さま」

「それは、この家には三人いるね」


 涼やかな瞳が控えめに細められた。


 ああ、兄弟だ、と感じたその表情は、ケヴィンさまがなにかを我慢しようとするときとそっくりだった。

 今目の前にいる彼の場合は、我慢と言うよりわたしへの畏怖だろうけれど。


「では、ラザファムさまとお呼びしても?」

「ああ、モーナもケヴィンも名前で読んでいるのだろう?それで構わない」


 庭に立つ彼、ジュエルウィード侯爵家長男のラザファム・ジュエルウィード侯爵子息は頷き、それで、と問い掛けた。


「サヴァン嬢は、なぜこんな時間にバルコニーに?眠れないのかい?」


 それは、あなたにも言えることかと思うのですが。


 思いつつも、ホストに突っ込みはせず大人しく答える。


「妙な時間に目が覚めてしまって」

「そうか」


 頷いてから視線を落としてしばし考ると、ラザファムさまはわたしを見上げて首を傾げた。


「少し、部屋にお邪魔……は不味いね。厨房に、来て貰っても?服は寝間着で構わないから」

「え……?」

「温かいミルクでも飲めば、眠くなるかもしれないだろう?」


 言うが早いかラザファムさまが、わたしの視界から消える。

 返事も待たずに消えられては、従うしかない。


 せめてとケープをショールに変えて、ここ数日で場所を覚えた厨房へと向かった。


「なかなか、個性的な寝間着だね?」


 鍋を火に掛けて振り向いたラザファムさまが、わたしの姿を見て言う。

 来ているのは、ツナギ型の毛布パジャマだ。きぐるみではないので、言うほどおかしな格好ではないと主張したい。色気皆無だけれども。


「温かいのです」

「それはそうだろうね。……ケヴィン用に欲しいな」


 小さく呟かれたのは、独り言なのだろう。数日間も見ていれば気付く。このひとが、弟妹思いの兄であることくらい。

 持て余してこそいるけれど、基本的にジュエルウィード家のひとびとは善良方向なのだ。さすがは中立派の筆頭だろうか。もちろん、貴族ならば持たざるを得ない必要悪程度の黒さは持っているだろうが、それにしたって善人の集まりだ。

 モーナさまのこともケヴィンさまのことも、よそよそしいながら疎んではいないのだ。

 だからこそ、ケヴィンさまを追い詰めたのかもしれないが。


 そこがサヴァン家や、わたしをあからさまに遠ざけるような家々との違いであり、わんちゃんがジュエルウィード家行きを許した理由でもあるのだろう。

 彼らが好んでエリアル・サヴァンに害為すことは、おそらくない。


「温まるまで、少し待ってね。ここ、座って良いから」


 進められた素朴な椅子は、調理人が座るためのものだろうか。


 敬語で話すモーナさまとケヴィンさまに対し、ほかのジュエルウィード家の方々はこんな喋り方だ。モーナさまはわたしの話し方に、ケヴィンさまはモーナさまの話し方に影響されたと言っていたから、わたしと言う異分子がなければきっとおふたりもこんな話し方になっていたのだろう。


 手慣れた手付きでカップを取り出し、鍋に粉ミルクを入れてお玉でくるくるとかき混ぜる姿を見るともなしに見る。


「はい。熱いから気を付けて」

「ありがとうございます」


 温かいカップを両手で包み、真っ白なミルクをひと口すする。


 温もりが喉を滑り、お腹を温める。


「美味しいです」

「それは良かった」


 調理台に寄り掛かり、ラザファムさまもミルクをすする。


「ずっと、眠れていなかった、とかでは、ないよね?」


 ちらりとわたしの目許を見て、ラザファムさまが問うた。頷いて、今日だけだと答える。


「本当にたまたま、目が覚めてしまって。いつもは朝までぐっすりですよ」

「それなら良かった。モーナとケヴィンは、無理を言ったりしていないかい?」

「とても良くして頂いています」


 頷いて、ラザファムさまが口を閉ざす。

 そのさまは、話が尽きたと言うより、なにか言いたいことを、言いよどんでいるようで。


 ミルク一杯分の時間は待とうと、ゆっくり身体を温める。


「……あなたは、優しいな」


 ラザファムさまが溜め息を落とす。


「そんなことは」

「ある、と言うていで、ひとつ話を聞いて貰っても?」


 身を屈めてわたしの顔を覗き込んだラザファムさまが、問い掛ける。

 小さなランプだけで照らされた薄暗闇のなか、灰青色は重い深みを持っていた。


「……場合によってはこの時間をなかったと言うことにしてもよろしければ」

「構わない。ワタシとしても、広めたい話ではないからね」


 言ってひと口ミルクを飲み、ラザファムさまは息を吐いた。


「母の話だ。そして、妹と末の弟の話でもある」


 だから今なのか、と、頷いて話を聞く態勢を取る。


「母は……恥ずかしい話だが、末の弟に対して、目に余るほどの過保護でね。実のところ、弟は知らない話だが、中等部、いや、初等部入学の時点で、弟をクルタス王立学院に入れる話は出ていたんだ」

「そうなのですか?」

「ああ。確かにあの子は身体が強くない、が、クルタス王立学院ならば、医療に関して国内屈指の技術があるだろう?治癒魔法使いも、最高峰の人員が揃っている。中等部ならば、モーナも居たしね」


 言われてみれば、と頷く。クルタスの専科には医療と薬学に特化した学科があるのだ。生徒はともかくそこで教鞭を振るう教師は、教師と言う仮面を剥げは国内屈指の医者や薬師、治癒魔法使いだ。


 中等部ならば姉君と共に通えると来れば、なるほど学院に行かせようと言う意見も出るだろう。


「それを断固反対したのが、母なんだ。母が猛反対したから、ケヴィンには話が伝わることなく、あの子の学院入学話は立ち消えている」

「……病弱な我が子は、心配でしょうからね」

「それもある、が、なによりも、生まれたときの衝撃が大きいのだと思う」


 一度言葉を切り、ラザファムさまがミルクを口に運ぶ。


「実は、上の弟が生まれてから、モーナが生まれるまでに、母は二度、流産していてね。モーナは、待ちわびて生まれた子だったんだ」


 上二人と下二人は、少し歳が離れているだろう?と言われて、頷く。

 この世界は、前世ほど医療が進んでいるわけではない。前世でもよく聞く話だった流産は、この世界ではより身近な恐怖だ。出産で母体が命を落とすことも、遠い話ではない。


「流産が続いたあとだったからか、難産でね、生まれたとき、モーナは息をしていなかった。産声を上げずに生まれた子なんだ。もちろん、産婆の手で息は吹き返されたし、その後は元気に育ったんだけどね。でも、産声を上げない我が子は衝撃だったらしくて、ケヴィンが生まれるまで、母はモーナに掛かりきりだったよ」


 生まれてすぐの無呼吸が原因かはわからないが、モーナは生まれつき目が悪くてねと、ラザファムさまが呟く。

 こんな話、他人にすべきではないのではないかと思いつつも、黙って聞く。


「でも、モーナの難産以上に酷かったのがケヴィンでね。産み月よりもひと月早く生まれてしまったんだ。生まれたとき、とても小さくて、呼吸もなくて、なんとか呼吸を取り戻したあとだって、何度も死にかけた」


 ラザファムさまが目を細め、息を吐いた。


「母の関心は完全にケヴィンに向いて、モーナはほとんど乳母に任せきりになった。父は忙しいひとだし、ワタシはすでに学院生、上の弟も幼い妹には見向きもしなくて、モーナにはずいぶん、寂しい思いをさせたと思う。

 けれど辛い思いをさせたと言う点ではケヴィンにも言えることで、過干渉とも言えるほどに母に手出し口出しをされて、自由なんてないくらいに、抑圧された生活をさせてしまった」


―誰かさんにそっくり


 ぼそりと呟かれた言葉は少し嫌味ったらしかった。


「モーナが魔法開花したとき、母は治癒魔法使いであることを期待したんだと思う。何度も、モーナに治癒魔法が使えないか訊いて、でも」

「モーナさまの魔法は、治癒魔法ではなかった」

「そう。それで母は、モーナへは無関心に逆戻りだ」


 自分の魔法に自信と言うものを持てていなかったモーナさまを思い出し、手元のミルクに視線を落とす。幼い彼女は、強い魔法なら、役立つ魔法なら、すごい魔法なら、両親や周囲にがっかりされないと思ったのだろうか。


「……モーナは、良い子だよ。それでも母を恨んだり、ケヴィンを嫌ったりしなかった。とても大人しくて、良い姉でね」


 ふ、と吐かれた息が溜め息なのか笑いなのか、わたしはとっさに判断がつかなかった。


「その子がある日突然、魔道具作りと写真に傾倒し始めたから、ワタシも父も驚いたものだったよ。それで、やっと気付いたんだ。ワタシたちが、モーナやケヴィンをどう扱って来たのかに。モーナのこともケヴィンのことも、母に丸投げで任せきりだった」


 そのときにはもう、いまさら、歳の離れた弟妹にどう接して良いのかわからなくなっていたよ。


 死を悟った鶏のように、ラザファムさまが目を閉じる。


「それでもなにか出来ることをと、中等部はクルタス王立学院に行きたいと言うモーナの願いは叶えられたけれど、ケヴィンを中等部に通わせてはあげられなかった。だから、モーナが中等部の写真を撮って来てくれるのが、せめてもの救いだった」

「高等部進学が、許されたのは」

「ワタシが学院を卒業したからね、父を手伝って父の時間を開けることも、ワタシ自身が動くことも出来るようになった。だからそう、例えば、父が母の相手をしている間に、ワタシがケヴィンを外に連れ出す、とかが、出来たんだ。

 もちろん、無理のない範囲でだが、ケヴィンはその無理のない範囲での外出さえ母から禁じられていたからな。それでは、本来付くはずの体力ですら付かない。あとは、剣術の稽古とか、食事の内容を変えるとかもしたか。知り合いに薬膳に詳しい奴がいて、そいつの助言を聞いたんだ。

 ケヴィンの身体が強くなれば、母の反対を押し切れるからね」


 それに、と、ラザファムさまが続ける。


「ケヴィンの望みでもあった。中等部に行けないとわかってから、ずっと、言い続けていたからね、高等部には通いたいと。愛する息子の本気の願いが聞こえないほどには、母も愚かではなかったんだよ」

「んぅ……?」


 不意に指の背で頬を撫でられて、片目をすがめた。


「あなたと共に、学院に通ってみたかったそうだ。本人から聞いたかな?」

「ええ。お会いしたときに」

「そうか。あの子のそう言う素直さは美徳だね。それまでは母の言いなりだったケヴィンがね、そう言って母に逆らったんだよ。ははうえがなんと言おうと、ワタシは学院に行きますってね」


 ミルクはずいぶん、温くなっていた。

 飲み干して、ラザファムさまを見つめる。


「……あなたは本当に優しい」


 ラザファムさまが目を細めて、カップに残ったミルクを煽る。


「父もワタシも後悔しているんだよ。モーナとケヴィンがああなってしまった責任は、ワタシたちにある。だから、母からふたりの未来を守ってやりたいんだ」

「それは」

「モーナは一人娘だからね、本来なら、婚姻が義務付けられる。ケヴィンにしても、騎士なり官吏なりになるか婿入りするか、貴族として身を立てなければ。でも」


 カップを握り、壁を睨み付けて、ラザファムさまは言った。


「ふたりが望むなら、ワタシは専科に行くことも、応援するつもりだ。あるいは、出家するなり、領地に残るでも良い。母が望むであろう“幸せな人生”を歩むことをふたりが望まないなら、ワタシはワタシの責任で、ふたりが望む人生を支援する」


 力強い決意を聞きながら、わたしはそっと、厨房の扉に微笑みかけた。


 聞こえていますか?モーナさま。


 ピーピング・トムが逃げられるよう、わたしはラザファムさまに問い掛ける。


「どうしてそのお話を、わたしに?」

「どうしてだろうな」


 わたしからカップを受け取りながら、ラザファムさまが苦笑する。


「どうしてだと思う?」

「……わたしは優しくなどありませんし、これと言って力もありませんよ?常に国の、監視下ですし」

「そうだろうね。単純に権力だけを見るなら、ワタシの方がある。あなたが持つのはあくまでも、個人としての繋がりだから。けれど」


 カップを手際良く洗って振り向いたラザファムさまは、イェレミアス兄さまを彷彿とさせるような、兄の顔で笑っていた。


「手助けはしなくて良いから、友としてそばにいて、否定しないであげて欲しいと、思ったのかもしれないな。ワタシでは物理的な支援は出来ても、精神的な面はどうにも出来ないから」


 情けない話だけどねと、ラザファムさまがため息を吐く。


「母はきっと否定してしまうし、父やワタシでは遠い。でも、妹からも弟からも信頼され憧れられるあなたが否定しないでいてくれるなら、きっと、ふたりとも胸を張って自分の歩むことが出来ると、思うから」

「……わたしには、そんな力ありませんよ」


 立ち上がりながら、呟く。


「あなたの言葉で、言ってあげた方が良いでしょう」


 他人は所詮、他人だ。血縁にはなれない。

 それでもわたしに、出来ることがあるとすれば、それは。

 苦い笑みになるラザファムさまへ、背を向けつつ言った。


「それで本気で目指すと言うのならばもちろん友として、応援致しますけれど」

「やはり、あなたは優しい」

「ミルク、ありがとうございました」


 向けた背中に投げられた言葉が、どんな表情で発せられたものなのか知らぬまま、わたしは厨房をあとにした。




「アル先輩、なにをしているんですか?」

「……なにをしているのしょうか?」


 自分でも最終目的地が決まらないまま、ただ、庭の土に磁石を向けている。

 磁石に寄って来た砂だけ選り分けて、集めて。


「うーん……」


 色々経験させて貰ったとは言え、専門的なことを学んだわけでもなく、技術職に就いていたわけでもない。そんな知識で出来ることなど、たかが知れているのだ。


「アル先輩?」

「たぶん、楽しい、と、思うのですけれど」


 悩みながらもとにかく、磁石に寄って来る砂、すなわち砂鉄を、集め続ける。


「わからないけれど、楽しい?」

「楽しい……と、良いのですが……」


 初等部生ならばともかく、年齢的には中等部のケヴィンさまが、楽しんでくれるかどうか。


 これで駄目ならあとわたしに出来るのは、ピンホールカメラや檸檬電池、竹蜻蛉に熱気球など、小学生の自由研究程度が精々なのだ。いや、今のも小学生の自由研究程度のものだし、ケヴィンさまならピンホールカメラには反応を示してくれそうだから、むしろピンホールカメラが最終兵器なのだけれど。

 ただ、今やろうとしていることに対して、ピンホールカメラは難度が高くて、だから、とりあえず難度の低い方から挑戦しているのだ。


「わたしは、魔法使いなのですよ」


 いつか、レリィにも言ったことを、彼にも言う。

 また黒歴史になるとしても、彼に魔法を掛けたくて。


 ケヴィンさまは、きょとん、として頷いた。


「存じて、ますよ……?」

「あなたも」


 貯まった砂鉄を抱き上げて、頬笑む。


「魔法使いにして差し上げます」


 切れ長な瞳が、見開かれた。


「え……?」


 モーナさまとは異なり剣ダコのある、けれど日に焼けない手を、土で汚れた手で掴む。


「この手に、力を」


 この手は病弱でなにも出来ない手ではない。未来を掴むために、努力の出来る手だ。


「お願い、聞いて下さいますか?」




 ラザファムさまの話した計画にはひとつ、大きな穴がある。

 専科に行くのを望むならば、と言う点。


 漫然と生きていても経済的、身体的に恵まれていれば大学や大学院へ進むことが許された前世と異なり、この世界で高等教育を受けることは、桁違いに難度が高い。

 金持ちの道楽で研究をと言うだけならばともかく、本格的に学者になるにはそれなりの、覚悟や実力、さもなければ鈍感力が必要だ。特に、本来ほかに進むべき道のある貴族と言う立場では。


 高貴なる者の義務を投げ出し自分の望みを叶えようと言うのだ。当然なことだろう。


 そのために必要な、自信と、実力。


 モーナさまにはあっても、ケヴィンさまにはない。


 モーナさまは、魔法の使い手だ。それも、自身で魔道具を作り上げたり、改良したり出来るほどの実力の。その上、中等部時点で秘密裏に写真を売り捌き馬鹿儲け出来るだけの情報網を手にしていた。

 けれど、ケヴィンさまは、守られていただけだ。魔法も持たず、体力もなく、人脈もない。母に、姉に、手を引かれるだけの傀儡くぐつだ。と、ほかの誰でもない、彼自身が、思ってしまっている。


 自分で考え、努力し、周りを動かすことの出来る能力を、持っているのにだ。


 もちろん、医学や薬学で、専科に進むことも出来る。クルタスには、素晴らしい教師が揃っている。


 だが、彼が母の期待を裏切り、周りの目を無視し、専科に進む選択が出来るか?

 その答えは、現状、否、だろう。


 彼は高等部に進みたいと母親に反抗したと言う。

 それが、最後の我が儘だったからやった無茶ではないと、どうして言える?


―まるで、見て来たようだね?

―今回はやたら話し掛けて来るね?


 竹ひごを組み合わせるわたしに、邪竜が語り掛ける。


―わーは、あれ、嫌いだよ。見てて苛々する

―知り合いに、似ているから?

―…………


 長い沈黙のあとで、小さな舌打ちが聞こえた。


―そんな子供騙しで、なにか変わるとも思えないけどね


 わたし自身も自信はないだけに、そう言われると弱る。


―でも、彼はまだ、生きているから


 息を思いっきり吸い込む気配。


―勝手にしたら!!


 実際に叫ばれたわけでもないのになぜかキーンとする耳を押え、苦笑する。


―そうするよ。ありがとう


 さっきよりも大きな舌打ちに噴き出して、わたしは作業を再開した。なんだかんだ言って身内には優しいのだ、とりさんは。


 彼はわたしに会うために無茶をした。ならば、わたし以上に惹かれるものを見付ければ、また、無茶が出来るかもしれない。

 それが、努力でなんとかなるもので、しかも、専科に行く意味があるようなことならば、最高だ。だって、彼は命懸けで努力が出来るひとだから。


 そして、わたしは、魔法のない世界を前世に持つわけで。


 特別な力のない世界を、ひとびとは科学で切り開いて来た。


 科学、それは、特出した力も、牙も、爪も、魔法も持たない人間が、ただ、泥臭い努力でのし上がれる手段だ。


 確かに、魔法は便利だ。魔道具があれば、その恩恵は魔法を持たない者にも受けられる。

 けれど、使える者が限られ過ぎているし、使える者の発現頻度も運任せだ。


 土地の肥える肥えない。作物の実る実らない。明日の天気。家畜の出産。

 この世界では運任せ勘頼りなことを、前世の世界では科学により完璧ではないまでも操っていた。


 魔法と言う科学発展の障壁がある世界で、楽な道ではないだろう。それでも諦めず努力するならば、成せるものも、あるはずだ。


「翼がなくても、魔法がなくても、空は飛べる。月に、手は届く」


 知らず口に出していた言葉に、自嘲混じりの笑みが浮かぶ。これではケヴィンさまのためなのか自分のためなのかわからない。

 結局わたしは、自分のことばかりの人間なのかもしれない。誰かのためと言いながら、その実、誰かのことだなんて本当に考えてはいない。


 大きな舌打ちが、脳内に響いた。


―ばかじゃないの!そう言うところ、だいっきらい!!


 ぽこぽこと、背中を叩かれているような言葉。

 本当に、誰がこの子を邪竜になんてしたのだろう。


―とりさんが居てくれて、良かったよ

―いきなりなに

―とりさんは……信じられるから


 わたしの隠しているところも、汚いところも、弱いところも、嫌なところ全部、とりさんには知られている。正直な彼はその上で、わたしと本音で関わってくれているのだ。


―べつに、ヴァンデルシュナイツだって、ツェツィーリアだって、なにを聞いても幻滅したりしないと思うけど

―わんちゃんは、そうだろうね


「皮肉だね」


―……えぃ


「あ、なんでもないよ!」


 意識せず漏れた声に、自分でも驚きつつ否定を投げる。


「科学が発展することは、この世界の人間にとっても悪いことじゃないはずだから。ほら、極度に発展した科学は魔法と変わらないって、言われるくらいだし」


 頭の中で、溜め息が響いた。


―ま、せいぜい頑張れば?わーは知らない


 なげやりな声援を追い風に、わたしはちまちまと魔法のタネを仕込み続けた。




 真冬の寒空の下、しっかり防寒したケヴィンさまを連れて、庭の開けた場所に立つ。


「いったい、なにをするのですか?」


 カメラを携えたモーナさまも一緒だ。


「魔法の杖の、効果を見るために」


 ケヴィンさまに協力して作った魔法の杖─手頃な木の枝の先端部に溶かした蝋を塗り、たっぷりの砂鉄まぶしただけのもの─を手に頬笑む。


「ケヴィンさま、この杖を持って、手を少し前に……そうです。そのまま、手を動かさないように」


 ケヴィンさまの差し出す魔法の杖に、灯りとして持って来ていた松明の火を移す。


「さあ、炎の魔法ですよ」


 火の着いた魔法の杖は、ばちばちと鮮やかな火花を飛ばした。

 ケヴィンさまとモーナさまが、目を見開いて炎を見つめる。


 微笑んで、もうひとつ、別の杖を差し出す。


「持って下さい。さあ、モーナさまも」


 新たな魔法の杖に、それぞれ火を着ければ、ケヴィンさまの持つ杖からは緑青の、モーナさまの持つ杖からは青の火花が散った。


 なんてことはない、小学生の自由研究レベルの手作り花火だ。


「火の色が……」

「どう言うこと、ですか?」


 前世の高校生なら間違いなく、下手すれば小学生でも知っていておかしくない知識が、この世界では未知のもの。


「最初の杖には鉄の粉を、次の、ケヴィンさまの杖には銅の、モーナさまの杖にはすずの粉を着けました」

「……まぶした粉で、色が変わるんですか?」

「ええ」


 微笑んで、小さな銅片を取り出す。火箸で掴んで松明の炎にさらせば、赤く燃えていた炎の一部が緑青に変わる。


「魔法みたいでしょう?」

「すごい……どうして?」

「さあ。こうなることは知っていたのですが、なぜだかは」


 原子がとか、光のスペクトルがとか、謎言語を用いなければ説明出来ないので、わたしに原理解説は無理だ。


「もうひとつ、お見せしますね」


 ぽかんと口を開けたケヴィンさまの前にしゃがみ、微笑みかける。


 取り出したのは、竹ひごを骨組みに薄い紙を張った灯籠だ。中に火を着けた固形燃料を入れる。


「紙の……ランプ?」


 洋風文化中心のこの国では、行灯あんどんなんて見かけない。

 それだけでも目を引くものなのだろうけれど、魔法はここからだ。


「少し、待って下さいね」


 待つことしばし。燃える炎により温められた灯籠内の空気は浮力を持ち、ふわりと浮かび上がる。


「浮い……た?」

「エリアルさん、魔法を?」


 わたしが音魔法で同じようなことが出来ると知っているモーナさまに問われて、首を振る。


「いいえ。わたしは、火を着けただけです」

「火を着けただけで、浮くんですか?」

「ええ。見ましたか、あんなに小さな火でです」


 ケヴィンさまは喰い入るように、浮かぶ灯籠を見上げている。


「あんな小さな火であの大きさのものを浮かせられるのですから、大きな炎を使えば、ひとだって空を飛べるかもしれませんね」

「ひとが、空を?」


 ぱっと振り向いたケヴィンさまに、灯籠に付けてあった紐を渡す。


「ええ。だって、こんなに力強く、空を目指せるのですから」


 浮かぶ灯籠が、ケヴィンさまの手を引く。


「強い、ですね」

「ええ。魔法みたいでしょう?」


 ケヴィンさまが、ぱちり、と目をまたたく。


「魔法……」

「ケヴィンさまは」


 紐を握る手に手を添えて、問い掛ける。


「もしも魔法が使えたら、なにをしたいですか?」


 切れ長の瞳が見開かれ、そして、翳る。


「でも、ワタシに魔法は」


 華奢な手を、ぎゅっと握り締めた。


「なんだって、出来ますよ」

「え……?」

「あなたは、生きているのですから。なにをすることも、しないことも、選べます。あなたが選べば、いくらでも挑戦は出来るのです」


 氷灰色を見据えて、語る。


「もちろん、簡単に出来るとは言いませんよ。何度も挫折するでしょうし、辛いことが山ほどあるでしょう。諦めないことが、いちばん難しいかもしれません。けれど、知っていますか?想像可能なありとあらゆることは、実現可能なことなのですよ」


 その、実現難度に、差はあれど。


「なんだって、出来る……ワタシ、にも?」

「諦めないで、挑戦し続けられるのならば」


 強い風が吹き、紐を引いた。

 導かれるように、氷灰色が空へ向かう。


「空を、飛びたいです。鳥みたいに」


 紐を握る手に、きゅっと、力がこもった。


「空を飛んで、空からの世界を、写真に収めたいです。魔法がなくたって、身体が弱くたって、飛べるんだって、みんなに、伝えたい」

「やりましょう」


 迷うことなく、頷いて見せた。


「やって、見せましょうよ」

「はい……はい!!」


 今まで見た、どんな表情よりも活きた顔で、ケヴィンさまは微笑んだ。




「エリアルさん」


 興奮冷めやらぬケヴィンさまを、身体に障るからと寝室へ向かわせたあとで、モーナさまがわたしに呼び掛ける。


「ありがとうございます」


 唐突な謝意に、首を傾げて見せた。


「なんの、話ですか?」

「あの子を、二度も救ってくれて」

「わたしは、なにも」


 首を振り、頬笑む。


「ケヴィンさま自身の、お力ですよ。それに、ラザファムさまの言葉がなければ、なんにでも挑戦出来るなんて、言えませんでした」

「……兄と少し、話してみようと思います」

「ええ。それが良いですよ」


 モーナさまに歩み寄り、ぽん、と背中を叩く。


 普段とは異なるどこか心細げな顔をした彼女は、それでも、決意をにじませて頷いた。




 それからは、ケヴィンさまと共に、時間が許す限りの試行錯誤を続けた。

 紙飛行機に、竹蜻蛉、凧、紙風船に、小さなプロペラ飛行機。合間に見せたピンホールカメラにも、ケヴィンさまは強い興味を示した。


「魔法を使わなくても、こんなに色々なことが出来るんですね」


 本人は意識せずに出したのであろう言葉には、おそらく、無意識に持っていたのであろうモーナさまへの劣等感が滲んでいた。

 魔法を持ち、健康な身体を持つ、強い姉。自分を守る存在として尊敬し愛し感謝しながらも、どこかで、羨ましいと、思っていたのだろう。


 わたしたちが研究にのめり込んでいる間、モーナさまはと言えば、共に見ていることもあれば、ラザファムさまやジュエルウィード侯爵と話していることもあった。少しぎこちないその会話の様子は、出来てしまった溝を埋めるようで。


「アル先輩?」


 偶然見かけた光景にわずか下がったわたしの眉を、目敏い彼に見とがめられてしまった。


「あ、ええと……」


 誤魔化そうかとも思ったけれど、そうだとわかる嘘は吐きたくないなと素直に思ったことを口にする。


「モーナさまは、すごいなと思って」

「……アル先輩も?」


 選ばれた助詞に透ける気持ちに、どこかほっとしてしまう。


「ええ」


 ぎこちなくはあるが、家族の姿。互いに信頼と、愛情のある姿。


「わたしは、家族とあまり、折り合いが良くないので」


 わたしとは、違う姿。


「……年末年始、毎年帰省はされていないと聞きました」

「ええ。事情もあってのことですが、両親と上の兄とはここ数年会っていません」


 もし、わたしが“わたし”ではなく、まっさらな“エリアル・サヴァン”として生まれていたならば、両親や兄弟との関係も、少しは違っていたのだろうか。


 ケヴィンさまは切れ長の目を少し伏せたあとで、そっと、わたしの手を取った。


「もし、アル先輩がそれを望むなら」


 華奢な両手が、わたしの手を握る。


「きっと、わだかまりが溶ける日も来ます」

「ケヴィンさま……」

「だって、アル先輩もご家族も、生きて、いらっしゃるんですからね?」


 それは、わたし自身がケヴィンさまへ向けて発した言葉。悪戯っぽい笑みに思わず、ふっと笑ってしまう。


「そうですね」


 頷いて、でも、と肩をすくめる。


「それにはまず、会う機会を作ることから始めなくてはならないのですけれどね」


 このときのわたしは、そんな機会しばらくはないだろうと思っていて。


「ゆっくりで良いんですよ。焦らなくて」


 事情を酌んでくれたのであろうケヴィンさまも、それ以上けしかけたり深入りしたりすることなく頬笑み、また、共同研究に没頭した。


 だから。


 彼の前で、一瞬であろうと心を揺らしてしまったのは、完全に油断していたからだ。


「……ヘクトル兄さま」


 実に数年振りに会った長兄は、記憶よりずいぶんと近付いた視線を合わせて、わたしに言った。


「あなたを、迎えに来ました」

 

 

 

拙いお話を読んで頂きありがとうございました


単純に繋ぎとして楽しいだけの回にする予定が

なんだかとっても伏線の散りばめられた感じに……


続きもお読み頂けると嬉しいです

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