取り巻きC、誘拐される 中
取り巻きC・エリアル視点
遅くなって申し訳ありません
前話続きにつき未読の方はご注意下さい
謁見の間からの、強制転移。
景色が入れ替り、見慣れた部屋、ソファの上に投げ出される。投げ出した張本人は、対面にどさりと腰掛けた。
「……」
「……」
ふたりきりの室内。
無言で前に座るわんちゃんに、言葉を掛けるでもなく視線を落とす。
ずっと、機嫌が悪い。
最初、通信石で連絡をしたときは、わたしに対する怒りではなかったように思う。けれど、あの暗い部屋で顔を見合わせてからは、確かに、わたしに対して怒っている。
「……―、」
心当たりがある分、余計に居心地が悪い。
手慰みに意味もなく指を弄ぶわたしの前で、わんちゃんが重たい息を吐いた。
「確かに、髪と目さえ隠しちまえばお前がエリアル・サヴァンだなんつぅことは、わかんねぇだろうよ、一般人相手なら」
ああ、やっぱりか。
思いつつもぴくりと反応してしまった肩に気付いたのだろう。わんちゃんがまた、溜め息を漏らす。
「だが、その首輪がある限り、極端な移動は俺にばれる。極端に移動しねぇとしても、不自然な動きがあればいずれ気付く。それに、髪と目を隠したって、お前の魔力や竜の気配まで誤魔化せるわけじゃねぇ」
わかっている、それくらい。
組んだ両手を、ぎゅっと握り合わせる。唇を噛み締めたわたしを、わんちゃんがいつも以上に細めた瞳で見据えた。
「一般人に紛れ込めるなんて夢、見るんじゃねぇよ。んなもん、虚しいだけだろ」
「それでも――、」
苦し紛れに返した言葉は、一度途切れさせないとなにかが溢れてしまいそうだった。
「――あなたは、止めなかった」
端的に、それだけ。
それだけ口にするのが、やっとだった。
ああ、わたしは、なんて、弱い。
「ああ。そうだな」
前世から耳馴れた声で、そう吐き捨てられる。
思考を肯定されたのかと瞬間息を詰め、前後の文脈を思い出して吐き出した。
「お前が学院を抜け出してうろついても、下町の人間と深く交わっても、俺は止めたりしなかった。だが、止めなかっただけで、許していたわけじゃねぇ」
案の定、わたしの直前の発言に合った返答をわんちゃんは続けた。
心のうちが、見透かされたわけではない。
「戻って来ることを前提に、黙認していたに過ぎねぇ。経験は、お前を守る力になるからな。お前がエリアル・サヴァンであることを棄てねぇ限りは、その程度の自由は与えてやっても良いと判断していた」
経験が多ければそれだけ、対応も心得られる。対応がわかっていることならば、大きく心を揺らさずに済む。自分で自分を殺す可能性が、減るのだ。籠に閉じ込めるよりひとと関わらせて、限られたひとだけに関わらせるより出入りのある学院で、貴族だけより平民にも関わらせて。
なるほど、わんちゃんのやり方は、一貫していると言える。
“彼の目の届く範囲”だけに、限定された自由だ。自由に掛けられた枷に気付かなければ、不自由なんて感じさせないほどに、自由な束縛。
わたしはそのなかで、黙って囚われていれば良かったのだ。ツェリと言う宝物ひとつ握り締めて、箱庭のなかで笑っていれば。
「……言ったじゃ、ないですか」
それ以上聞きたくなくて投げた反論の声は、笑ってしまうくらいに弱々しかった。
「国が道を、誤らず、わたしの、大切な、方を、守ってくれる、限りは、逆らいません」
うつむいた顔に真っ黒な髪が掛かって、御簾のようにわたしの視界から世界を隔てさせた。
「逃げ出したり、しませんよ。そうだった、でしょう?今まで、ずうっと」
逃げない。そうだ。逃げ出したことなんて、ない。
そう言うことに、なっているはずだ。
過去に繰り返した逃亡は全て、誘拐犯の仕業として処理されているのだから。
「わたしごときが、あなたから、逃げられるはずが、ない、でしょう?」
わんちゃんが、どうして怒っているのか、理解している。
あのとき、愚かな彼らがわたしをヴィリーくんと見間違ったとき、呆れると共に、心のどこかで歓喜していた。
わたしは、混じれる。
前世一般人として生き、今世でも平民を知るわたしならば、目立つ外見さえ誤魔化してしまえば、平民として暮らして行くことも出来るのだと。
その、愚かにも抱いた身の程知らずで浅はかな夢想に気付いて、わんちゃんは激怒しているのだ。限られたとは言え自由を与えてやれば、図に乗って仇なそうとするのかと。
そして、呆れているのだ。釈迦の手の上で転がされる愚かな猿のごとき、無知で無力な、どうしようもない化け物に。
わんちゃんの骨のような指が伸びて、わたしの顎をすくった。
暗い銀色をした瞳と、真正面から視線がかち合う。
「いざとなれば死にもの狂いでも逃がすつもりのやつが、よく言う」
瞳は、逸らさなかった。
確かに、必要とあらば、なにに変えても、そう、それこそ国ひとつ潰し、自分の命を喪うことになったとしても、わたしはツェリを逃がすだろう。けれど、それは、諦めたときだ。この国でツェリを幸せにすることが出来ないと思って初めて、わたしはツェリを逃がそうとするだろう。
愚かにも、それくらいにはこのバルキアと言う国に、愛着を感じてしまっている。
「来ませんよ、いざ、なんて」
捨て身の覚悟をしながらも、つい、普通の幸せを夢見てしまう。そんな弱いわたしに、わんちゃんは気付いているのかもしれない。
気付いているから、怒って、止めてくれているのかもしれない。
だって、もし魔が差して、逃げ出そうものなら。そうして逃げおおせられず、捕まってしまったのなら。
わたしたちに待つのは、今度こそ逃げられぬ檻なのだから。
わたしの我が儘で、ツェリを危険に晒すなど、もってのほかだ。
けれど。
目を閉じて、息を吐く。
……前世、わたしは、一般人だった。皇族でも華族でもなければ、富豪でも著名人でもない、一般人。普通、ではなかったが、一般の人間ではあった。
普通ではなかったから、普通に憧れるし、一般人であったから、不相応に派手な生活は座りが悪い。ゆえに、そう、ゾフィーさんたちと関わることで垣間見える暮らしは、わたしにとって理想的な、夢のような世界だった。
望む気はない。けれど、ふと、夢見てしまう。
健康な身体で、前世基準で平凡な生活を、送ることが出来たなら、と。
なんて、脆い、覚悟なのか。
この場に、ツェリがいなくて良かった。
こんな情けない姿は、とても見せられない。ばれていなければ、わんちゃんにだって隠しておきたかった弱味だ。
「……力が無ければ良かったと、思うか」
低い声で問われて、目を開く。
「まさか。思いませんよ、そんなこと」
微笑んで、否定する。
「この力のお陰で大切なものを守れる。無くて良いなんて、思いません」
笑顔で隠すのは、前世からの常套手段。今世では泣き顔や体調不良でも隠すようになったから、性格は悪くなったのだと思う。いや、前世では泣き顔や体調不良が冗談で済まない身の上だったと言うこともあるけれど。
「ですから、今の立場にだって、おおむね不満はありませんよ。むしろ、もっと力があればと思うくらいです」
「……今日の謁見で何人お前に動かされたよ」
胡乱な目をして、わんちゃんが言う。
謁見で?ああ、不運な目に遭いながらも貴族としての役割に徹しようとする哀れな少女に、何人が心を動かされたか、かな?
境遇を利用してもう少し押したかったのにわんちゃんに強制送還されたから、効果のほどはわからないなぁ……。
単純に外面で騙されるならそれはそれだし、深読みするひとには副音声『我サヴァンぞ?国殺しぞ?ご機嫌を取らなくても良いのかい?国棄ててやろうか?え?』が聴こえると言う特別仕様なのだが、きちんと受け取って貰えただろうか。
え?演技だったのかって、はは、ナンノコトヤラ。ワカラナイナァ。
利用出来るものはなんであろうと使う。それが、持たぬ者の出来得る最大限の生存戦略と言うものだ。
「あれで少しは、平民への風当りが弱まると良いですが」
君主制と民主制、どちらが良いのかなんて、専門家でもないわたしにはわからない。
前世の歴史が物語るように、いずれはこの世界にも民主化の波が訪れるのかもしれない。
わたしに言えるとすれば、たかが平民と嘗めていると痛い目を見ると言うことだけ。個々では蹂躙されるばかりの蜜蜂だって、集まれば圧倒的強者である雀蜂を殺せるのだ。
持てる者だからと言って、驕ってはいけない。権力があるからと言って、振り翳してはいけない。簡単に踏み躙ることも出来るその存在が、自分と同じ人間であることを、決して忘れてはいけないのだ。
だって、同じ人間ならば、自分と同程度のことくらい、出来てしまうのだから。
確かに魔法使いを貴族が占有していれば、盤上をひっくり返しにくくはある。
けれど、平民が最強の魔法使いを手に入れることがないと、どうして言える?才能なんて、必ずしも遺伝によるとは限らないのに。
君主制をひっくり返させないためには、ひっくり返せないと思わせるか、ひっくり返す必要がないと思わせなければならないのだ。
前者の事例が戦前までの、後者の事例が戦後の、前世の祖国の姿と言えるかもしれない。戦前は現人神だからひっくり返せる存在ではなく、戦後は実権を持たないからひっくり返す必要がなかった。
けれど今のバルキア王家や貴族は、神として君臨しているわけではない。そして、もしも平民を虐げるばかりならば、生存本能が邪魔者の排除と言う必要性を強く訴え掛けかねない。
もし今、貴族と平民の地位がひっくり返れば、危ないのはツェリだ。執政を知らない成り上がりごときでは、他国からツェリを守れない。戦略的な魔法を行使出来る、稀代の水魔法使いを。
それは、駄目だ。そんな危機にまで、構っていられない。
だから、せめてあと数年は、バルキアの王侯貴族に盤石であって欲しいのだ。
「数は力ですからね。味方は多いに越したことはないのですが、なかなか難しいですかね」
「はぁ……」
なぜだか心底呆れた顔をしたわんちゃんが、深々と溜め息を吐いた。
「まあ良い。宮廷女官に手当てして貰え」
「……女官さん、ですか?」
宮廷女官はお城の雑務を執り行う方々。いわゆる、侍女さん的な立場のひとだ。侍女さんとの違いは、私ではなく公に仕えている点。行儀見習いとして貴族の令嬢がなることもあれば、専門で職業として就いているひともいる。専職の宮廷女官さんならば軽い応急手当くらいならば心得ているだろうが、医者ではない。
お城には侍医も治癒魔法使いもいるはずだし、そもそも目の前の彼ならばこの程度の治癒は一瞬なはずなのだが。
「正妃宮の女官に話を通してある。行くぞ」
「え、あの」
「いや、その前に着替えか。おい、さっさと着替えろ」
戸惑いに対する気遣いもなく、わんちゃんの部屋の奥、仮眠室へと追い遣られる。
いや、確かにきぐるみで王城内を歩き回るのは嫌だから、その気遣いは大変ありがたいのだけれどね?
「……はぁ」
道中聞くかと諦めて、仮眠室に常備されているわたしの着替えを手に取る。着替え?あー、うん、ここで着替えるはめになることも多くてね……。なんと言うか、うー、お祖母ちゃん家に着替えが置いてあるみたいな、そんな感じ。
なにはともあれ、貴族らしい格好に着替え、仮眠室を出る。
「ん。行くぞ」
わたしの姿を確認して頷くと、わんちゃんはわたしの手を掴み、歩き出した。そのままわんちゃんに連れられて、王宮内をねり歩く。
夏に滞在していたから、王宮の地理はある程度把握している。その上で、わんちゃんの向かう先がわからなかった。
どこかに向かっている、と言うよりも、これは。
「……最終的な目的地はどこですか」
「あ゛?」
振り向いたわんちゃんに睨まれるが、慣れているので怖くはない。
ほぼ並ぶ高さにある瞳を見返し、周囲に聞こえないような声量で問う。……わんちゃんの占有スペースならばともかく、こんな公域ではたとえ音魔法であろうと魔法は行使出来ない。特に、わたしは。
「今はどこかに向かっているわけではなく、王宮内の人目の多い箇所を順に回っているでしょう」
「……」
お前のように勘の良いガキは嫌いだよ、とでも言いたげな表情でわんちゃんはわたしを見て、目を細めた。視線を前に戻して、足を進める。
「地理は弱ぇんじゃなかったか」
「地形の把握は苦手ですが、道順の把握は得意です」
地形図は起こせないが、街路図は起こせる。
「わたしを見せ歩く大義名分として、治療を他人任せにすることにした。それは理解しましたが、肝心な治療はどこで誰が?」
誰か、は先の台詞が嘘でなければ女官で、正妃宮に話を通してあると言うのだから恐らく王族女性関連の誰かだろう。正妃宮の女官ならばいる可能性が高いのは王族居住区。もしくは、王宮の正妃執務室辺りか。
だが、わんちゃんだけならまだしも、わたしを引き連れてそんなところ、まさか、
「正妃の居室で女官長がだ」
マサカダッター。
信じ難い発言に閉口するわたしに、義理は果たしたとばかりにわんちゃんは口を閉ざす。
「……正妃宮の女官長にたかだか子爵令嬢の手当てを?しかも、わたしはエリアル・サヴァンですよ?」
「だからなんだ」
「いつ、暴走して周囲を蹴散らすかわからない者を、王后陛下に近付けるなんて。暴走せずとも、操って手駒にするかもしれませんよ」
「俺がいるだろぉが」
その、俺、が治療してくれれば一瞬なのですけれどね?
「……怪我を見せびらかすことに、なんの意味が?」
「格好が男だろうが、騎士見習いだろうが、お前は女だ」
わんちゃんが横目でわたしを見る。
「怪我してれば目を引くし、怪我の原因は顰蹙を買う」
「平民に悪意が向くのは、」
「お前のせいだろぉが」
発言を切り捨てられ、ぐっと詰まる。
「お前が迂闊に拐われ、怪我をした。その、意味がわかってなかったとは言わせねぇぞ?」
「わたしは、」
反論しかけた言葉は、溜め息にすり変わった。
「……それがわたしへの罰ですか」
「治癒魔法は、ブルーノ・メーベルトに掛けて貰え。学院の教室でだ」
答えの代わりに指示を寄越して、わんちゃんは今度こそ口を閉ざした。これ以上の問い掛けは、無意味だろう。
もう一度溜め息をこぼすと、わたしは視線を下げた。怪我を見せ歩けと言うなら、とことん同情を買うべきだろう。
「ひどい怪我ですわね……ヴェラ、しっかり手当て差し上げて下さいませ」
通された王后陛下の私室の応接室では、王后陛下ご本人が待ち構えていた。いや、王后陛下の部屋なのだから、当然と言えば当然なのだけれど。
お付きの女官や侍女も山ほどいて、痛ましいものを見る目でわたしを見て来る。とても、座りが悪い。
「唇が切れてしまっていますね。少し、染みますよ」
「……っ」
染みると予告されると、身構えて反応してしまうもの。大した痛みでもないのに、大袈裟に眉を寄せてしまう。
「大丈夫ですか?可哀想に。わたくしが付いておりますからね」
ローザ王后陛下の白く華奢な手が、わたしの令嬢らしいとは言えない手を握る。流石は血縁者か、リリアを感じさせる包容力と、ヴィクトリカ殿下を感じさせる度胸だ。
と言うか、王后陛下、見た目が若いのだよね。ヴィクトリカ殿下の母とは、にわかに信じがたい外見。金に近い茶髪の髪に、リリアと良く似た優しげな顔立ちは美しく、なるほど国王陛下の寵愛を受けてもおかしくないと思える。
そんなひとに、膝を突かせ、手を握られている状況。怖い。
「申し訳ありません。すぐ済ませますから、少し我慢して下さい」
女官長も眉を下げて、わたしを気遣う。
や、思わず声が出ちゃっただけで、大して痛くはないからね?
着替え時に確認したら確かに見た目は酷かったけれど、それだけだ。あくまでただの打撲と切り傷。場所が顔だから悪目立ちするだけで、たとえば膝にでも付いていたのなら、さして気にもされないようなもの。
「目許にも薬を塗りますから、少し目を閉じて下さいね」
「はい」
言われるまま、大人しく目を閉じる。背後にわんちゃんがいるから危険はないし、そもそもこのくらいの女官さんたちくらいなら、ひとりで相手取れる。たぶん。
いや、女官さんには武闘派もいるだろうから、必ず勝てるとは言えないけれど。
目を閉じたわたしを見下ろして、女官長が小さく息を飲んだ。目をつぶったら、怪我がより目立ちでもしたのかな。
「ヴェラ」
「失礼致しました。サヴァン嬢、触れますよ」
王后陛下の短い叱責と、頬に触れる指。かさりとした当て布を包帯で留めれば、手当ては終了だ。怪我の位置的に、がっつり顔に包帯を巻かれることになったが。
うん、実際より重傷に見えること、請け負いだね!
そのあと何故か王后陛下とお茶をするはめになったりしたし、事情聴取だなんだで王宮に丸一日引き留められたが、翌々日にはどうにか解放された。
そうして、王宮からクルタス王立学院に直行した朝。
「……その顔は、なに?」
登校して顔を合わせたツェリに、即行で訊ねられた。氷点下の表情に、苦笑しか返せない。
「いえ、ちょっと」
「ちょっと?」
「ふ、不幸な事故です……」
目を逸らして呟くわたしの左右に、ふたりの人影が立つ。
「蹴られたんだろ」
「誘拐されたんだって?聞いたよ」
「テオドア様、ヴィクトリカ殿下」
余計なことを……!
王宮から情報を得ていたのであろうふたりからの言葉を受けて、ツェリの眉が吊り上がる。
「誘拐、ですって!?」
ツェリの声が教室内に響き、一拍遅れてざわめきが起こる。あああ……。
まんまと、わんちゃんの思うつぼだ。
「詳しく聞かせなさい、テオ、ヴィック」
「た、大したことは」
「馬鹿猫は黙ってて」
わたしに訊くより有益と判断したのだろう。ツェリが殿下とテオドア様に詰め寄る。
わたしの意向を無視して、ことの詳細が語られた。本来、騒がしいとまでは行かないまでもそれなりに賑わっているはずの教室に、殿下とテオドア様の声だけが響く。
「いえ、それは、むぐ」
「黙りなさい」
たびたび口を挟もうとしていたら、ついにツェリに口を塞がれた。
「と、言うわけなんだ」
「むぐぐ、ふん」
反論しようと頭を振る。
「に、逃げようと思えば逃げられましたし、避けられもしたのです。ですから、あの、この怪我は自業自得、で」
ツェリの冷たい視線に構わず、周りにも聞こえるように言う。
「こんな包帯を巻かれているから重傷に見えるかもしれませんが、少し痣になっている程度の軽い怪我なのです。ヴィ、一緒に捕まった平民の方がすぐ冷やして下さったので、あまり痛みも酷くなくて」
「……だから?」
「ですから、わたしを、責めるのは構いませんが、平民に矛先を向けるのは、おやめ下さい」
深々と、深々と、頭を下げた。
「確かに実行犯は平民です。わたしが庇った方も平民です。ですが、実行犯は貴族を名乗る方にそそのかされていただけですし、平民を守るのが我ら貴族の役目でしょう。いざと言うとき身体を張ってでも守れないならば、わたしたちに税を受け取る資格などありません」
は、と、息を飲む音が聞こえた。
「随分と暴論を口にするのね」
「そうでしょうか」
「貴族を守るのが平民の役目、と言う方が一般的だと思うわ」
「国家とは何か、と言う話でしょうね」
頭を上げて、目を細める。
「国があるから、ある程度の安寧が保証されています。そこがバルキア王国の土地であるから、他国の侵攻を防ぐ理由になる。では、国を保つのに必要なのはなにか。統治者は必要でしょうが、統治者だけでは国は成り立ちません。王さまだけしかいない国は、国ではない」
王さまだから偉いのだと威張ったのは、さて、どの物語の登場人物だったか。
「いくらひとをまとめることが上手いものがいたとしても、まとめる対象がいなければそんな能力は無意味です。王族だから、貴族だから、偉いわけではありません。下で支えて下さっている方々が認めて下さるから、上に立っていられるだけです」
「……だから、身体を張っても助けるべきと?」
「いいえ。あくまでそれは、わたしのやり方です。仮にも騎士科、ですからね。みなさまにまで同じようにすべきとは言いません。どちらも必要な存在で、人数が少ないのが王侯貴族だから平民より大切にされるべき、と言う意見も一理ありますし。ただ、なんらかの形で忠誠や献身や納税に、答えるべきだと思うだけです」
目を細めて、息を吐く。
そうか、難しく考えるから駄目だったのだ。
「まあ、今のは建前で、単純に、一緒に捕まった平民の方には大変お世話になっているので守りたかった、と言うのが正直なところですけれどね」
「言うだけ言って、ひっくり返すんじゃないわよ」
「嘘を吐いても、仕方がないでしょう」
肩をすくめて笑う。
「大切な方ですから守りましたし、わたしのこの怪我のせいで煩わせたくないのです。あなた方が本気で排除しようとすれば、平民なんて簡単に潰されてしまうでしょう」
それは悲しいと、素直に言う。その方が聞いて貰えると、わかっているから。
なんだかんだ言っても優しいわたしのお嬢さまは、わたしが本当に嫌がることならば極力しないでいてくれる。
「……包帯がなければ引っ叩いてやっていたところよ」
眉を寄せたツェリが、わたしを見上げて吐き捨てる。
「おや」
「おや、じゃないわよこの馬鹿猫。私はね、あなたのその、他人のためなら自分を省みないところが、大っ嫌いなのよ!」
「……それは」
可愛い我が儘だと、笑って流せはしなかった。
「申し訳ございません」
「なんの謝罪よ」
「ご心配をお掛けして。ですが、今回は本当に大したことのない怪我ですから。誘拐犯も素人で、とことん詰めが甘かったですし」
「『今回は』『本当に』ね」
そこに気付くとは、さすが我らがお嬢さま。
しかし、ちょうど良い時間だ。
にこ、と笑みを返せば、見計らったかのように始業の鐘が鳴った。
「授業が始まりますから、取り敢えずこの辺で」
一限目は騎士科と普通科の合同授業だが、二限目は騎士科の授業なので教室が分かれる。その後の三限目はまた同じ教室になるが、移動時間を考えればツェリとの会話時間など取れはしないだろう。
その後のお昼休みは、おそらく。
拙いお話をお読み頂きありがとうございます
なんとか、三か月更新なしは、避けられました……_(.,」∠)_
続きも読んで頂けると嬉しいです




