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取り巻きCの番外の小話 そのに

活動報告で上げていた番外小話と

茶番で上げていたSSSの一部をまとめました


すべてどこかしらで既出のお話です

 

 

 

『黒猫と黒と橙』 4月14日 エリアルさん視点




「…なにそれ?」

「…焦がしました」


 ブラウンを通り越して黒くなったシチューを食べていると、正面に座ったツェリが問い掛けて来た。ツェリの前に置かれたのは、普通のブラウンシチューだ。

 黒いシチュー。香ばしい。とても、香ばしい。


「あなたでも料理を失敗するのね」

「失敗と言うか、うーん…」


 ブラックルウが作れないかな、と思ったのだ。結果、香ばしくなった。


「やっぱり焦がしたら苦いですよね」

「なに惚けたこと言ってるのよ」


 呆れ顔のツェリに苦笑を返す。


「珈琲よりは苦くないかと思ったのです」

「なんで珈琲?」

「今日は四月十四日なので」


 ふと、ブラックデーなんて記念日を思い出したのだ。日本の記念日じゃないけれど、せっかく思い出したし休日だったから、やってみようかと。


「なにかあるの?」

「毒女と毒男がリア充を呪う日ですよ」

「どく…?え?なんて?」


 日本語早口で言ったので、伝わるはずもない。笑って、肩をすくめた。


「どこかの国の風習で、恋人や伴侶のいないひとが黒い服で黒いものを食べる日だそうです」


 黒猫なんて言われているし、ツェリの今の苗字はシュバルツだし、どうせならブラックデーにあやかろうかと思ったのだ。

 しかし年齢一桁で珈琲はちときつい。チョコレートだとなんだか趣旨的に惨めなので、ブラックシチューを作ろうと画策してみたのだ。黒いブイヨンを作り、わざと焦がしたルウを混ぜて。香ばしくなったけれど。…焦げ臭い、とも言う。


「チョコレートで良いじゃない」

「チョコレートは敵ですよ」

「あなたチョコレート好きでしょう?」

「今日だけは敵なのです」


 あんな、リア充の食べ物は駄目だ。許さん。


「…わざわざひとり分焦がしたの?」

「そうですね」


 ひとり分、と言うか、小鍋一杯分、だけれど。


「変なの。それに、黒い服、って、あなたいつも私服は黒じゃない」

「そうですね」


 この世界でも黒は喪の色だ。サヴァン家の人間は、黒を纏うのがしきたり。いつからかは、知らないけれど。


「黒、好きなの?」

「嫌いではないですよ?」


 肩を滑り落ちた長い真っ黒な髪をつまむ。こんなに伸ばしたら少しくらい色落ちしそうなものだけれど、この髪は根元から毛先まで一律真っ黒だ。


「好きでもない、の?」

「好き…でもないですね」


 この国ではシュバルツに、黒という意味はないし、ツェリはツェリなので、家名はあまり気にしない。…いずれ変えるし、ね。とか言いつつ、今日は黒にあやかろうとかしているけれど。


「じゃあなんで黒ばっかりなの?」

「…似合うでしょう?」

「似合うけど」


 本当の理由ははぐらかして笑う。黒を着るのは、喪に服しているからだ。

 過去にサヴァンが殺した人間、ひとりひとりに、一年ずつ。


 一国を滅ぼした祖父の罪滅ぼしが終わるまでに、どれだけの時間が掛かるだろう。


 サヴァン家全員の一生を費やしても、終わるのかわからない。


「たまには白とか、着ないの?」

「白一色の格好はあまり、したくありませんね」


 白一色。花嫁さんの色でもあるけれど、それより死に装束のイメージが浮かんでしまう。一度、死んでいるからだろうか。


「じゃあ、ピンクとか」

「似合うと思いますか?」

「…着てみないとわからないわ」


 その間は違うでしょう。絶対。

 真っ暗な髪に真っ白な肌と、真っ赤な唇。良く言えば白雪姫、悪く言えば悪魔のような色彩のわたしに、パステルカラーが似合うとは思えない。


 シチューを口に運んで、少し眉を寄せる。香ばしい。


「美味しい?」

「とても香ばしくて…美味しくないです」


 食材に申し訳ないことをしてしまった。贖罪しないといけないかな、食材だけに。

 ちょ、そんな白い目で見ないで。


「ひとくち」

「美味しくないですよ?」


 言いつつ少しすくって、スプーンを渡す。


「…香ばしいわ」

「でしょう?」

「完食出来るの?」

「口直しにオレンジが冷えています」


 日本だと今日は、オレンジデーだからね。


 ツェリが眉を寄せるのに、笑って返す。


「来年もやるの?」

「来年はもっと、美味しいものにします」

「再戦、ね」

「ええ」


 そうして笑い合ったのが、もう七年も前のこと。


「まだ追われているのね」

「はい…」


 サロンへ駆け込んだわたしを見たツェリが、首を傾げて言う。そんなツェリに歩み寄り、黒ポンチョと黒い包みを渡す。


「ああ、今日は十四日だったわね」


 頷いたツェリがポンチョを羽織り、黒い包みを開けた。中に入っているのは、オレンジ一個と今年は全粒粉の蕎麦粉を使ったガレットと黒糖ゼリーだ。


 あれから四月十四日にはふたりで黒い服を着て黒い何かとオレンジを食べるのが恒例行事になっている。ツェリが恋人を作るか結婚するかするまで、続けるつもりだ。

 黒い何かは毎年手を変え品を変えいろいろ試しているけれど、今年は和食材が手に入ったので和食材で攻めてみた。いや、蕎麦粉はバルキア王国でも普通に流通しているのだけれどね。蕎麦って食べ方がないだけで、ね。


 でもガレットの中身は佃煮ですから!昆布、海苔、牛肉を、黒く煮付けたよ!ガレットに合うのかって?それは工夫次第ですよ。


「…また、怪しいものを」

「美味しいですよ?」

「まあ、一年目以外は美味しかったわね」


 一年目はあれだ、ちょっとしたお茶目だ。うん。


 ガレットをお上品にナイフで切ってから口に運んだツェリをうかがう。


「どうですか?」


 もぐもぐして、飲み込んでからツェリが答えた。


「美味しいわ」

「それは良かった。今年も独り身おめでとうございます」

「あなたもね。…二、三年もすれば独り身なんて言えなくなるのかしら」


 ふと視線を落として呟いたツェリに、満面の笑みで答える。


「テオドアさまとの婚約でしたら、いつでも全力でお祝いしますから」

「だからどうしてあなたは、私とテオをくっつけたがるのよ」

「…言い続けたら本当にならないかな、と」

「やめてちょうだい」


 喰い気味での返答にふふっと噴き出す。もう少しは、わたしのお嬢さまでいて欲しいかな。

 口には出さないけれどそう思って、わたしはツェリとふたりの時間を満喫した。




     ё     ё     ё     ё     ё




『黒猫と北極星』 七夕 エリアルさん視点




「なにしてんだ?」

 

 盛大に窓枠に寄り掛かって外に乗り出していたところで、わんちゃんに問い掛けられた。

 腹筋で起き上がって顔を合わせる。

 

「いえ、とくになにをしていたと言うわけでもないのですが」

 

 ふと、そう言えば今日は七月七日だったと気付いて空を見上げていた。それだけだ。

 

「意味もなくあんな体勢取ってたのか?」

「…星が綺麗だなぁ、と思って」

 

 この世界の夜は、暗い。まだまだ火を燃やす灯りが主流な世界ではまず光源からして大した明るさは出さないし、夜は早々に灯りを落としてしまう。

 クルタス王立学院や、城の内部などでは灯りの魔道具が使われていて、深夜でもそれなりに灯りがいていたりするのだけれど。

 

 灯りのない世界で見上げる夜空は、たとえ王都であってもはっきりと、数多の星を輝かせている。前世での満天の星が、はるかかすんで見えるほどの、まばゆい星空。

 それは、筆舌に尽くしがたいほどに美しく、目を奪う。特に、今日のような新月の晩は。

 

 また窓枠に寄り掛かったわたしの横に、わんちゃんが肘を突く。

 

「…の割に、浮かねぇ顔だな」

「そうですか?」

 

 顔を上げて微笑んで見せたのに、わんちゃんは不機嫌そうに目を細めただけだった。

 仕方なく、また星に目を戻す。

 

 綺麗だ。快晴の中で、輝く満天の星。とても、綺麗だ。

 仰向けで身を乗り出し、片手を空に伸ばす。

 

 一際ひときわ明るい星を繋げて、線をなぞる。

 

「わっ」

 

 突然伸ばしていた腕を引かれて、バランスを崩した。勢いのまま、わんちゃんの胸に飛び込む。ふわりと、甘い香が薫った。

 

「わ、わんちゃん?」

 

 顔を上げたくても、ぐいぐいと後頭部を押さえられて上げられない。薄くて硬い胸板に、顔が押し付けられた。

 真っ暗闇の向こうから、声が響く。

 

「そんな顔するくらいなら、見んな」

 

 …そんなに、酷い顔だったのだろうか。

 抵抗を諦めて、わんちゃんに身を委ねる。

 

 ちゅ、と、おでこに柔らかいものが触れた。

 

「今日はもう寝ちまえ。寝台まで運んでやるから」

「まだ、眠くありませ、」

「寝ろ」

 

 ちゅ、ちゅ、と、まぶたや頬を柔らかいものがなでて行く。条件反射で、まぶたが重くなる。

 

 …ああもう、弱いなぁ。

 

「……おやすみなさい」

「ああ、おやすみ」

 

 折れて目を閉じ寄り掛かれば、大きな手が落ち着けるように頭をなでた。甘い香りを吸い込んで、意識を溶かす。

 

 夢の中で誰かの指が、北斗七星を指差した。ついと走った指先が捉えるのは、旅人を導く北極星ポラリス

 もう、夢の中でしか見られない星。

 

 ……ごめんね、帰り道、わからなくなっちゃった。

 

 ずっと一緒にと願いを書いた短冊を、笹に結ぶそのひとの背へ向けて、口には出さずに謝罪した。

 振り向いた空に、天の川はない。濃淡のない、ただ一面にまばゆいだけの星空。

 オリオンも、カシオペアも、ヘラクレスも、この空にはいない。北極星を見付けようにも、北斗七星がどこにもない。

 

 ごめんね。ごめんね。

 空から目を逸らし、両手で顔を覆ったわたしを、誰かがぎゅっと抱き締めた。




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『黒猫と幼女』 エリアルさん高等部二年生くらい エリアルさん視点




「ねぇねえ、たらしのおねーちゃん」

「ローレ、わたしはたらしではなくて、エリアルです」


 呼ばれて振り向いてエリアルが訂正すると、ローレはにぱっと微笑んで頷いた。


「わかった。それでね、たらしのおねーちゃん」


 わかっていない。

 思いながらもそれ以上の訂正は諦めて、エリアルがローレと視線を会わせる。


「なんですか?」

「あのねー、これ、あげるー」


 ローレが差し出したのは、クローバーに似た植物で、五枚の葉っぱが付いている。

 この植物は前世のクローバーとは異なり、一枚から八枚までの葉っぱをランダムに付ける性質で、葉っぱの枚数により花言葉が変わる。


 五枚葉の意味は、


「これを、わたしに?」


 意味を思い返して首を傾げたエリアルに、ローレが大きく頷き返した。


「うん!ローレがしあわせにするから、けっこんしてください!!」


 可愛らしいプロポーズに、エリアルが顔を綻ばせる。

 いつつ葉を受け取って、ローレの頭をなでた。


「ローレが大きくなって、そのときも同じ気持ちでしたら、喜んでお受けしますよ」

「やくそくだよ!」


 ローレはめいいっぱい背伸びすると、エリアルの頬にキスをした




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『黒猫とお薬談義』 エリアルさん高等部一年生夏期合宿中 エリアルさん視点




「ねぇねぇ、クロ」

「なんでしょう、姐さん」


 合宿の夕食中、ブルーノに呼ばれてエリアルが振り向く。


「クロって、料理が上手いでしょう?それで、ちょっと相談なんだけどねぇ」


 言いながらブルーノが取り出したのは、大角豆ササゲほどの大きさの丸薬だった。

 嗅いでみて、と言われて鼻を近付ければ、どう見積もっても苦そうな青臭さが感じられる。


 つい少し眉を寄せたエリアルに、眉尻を下げたブルーノが言う。


「これねぇ、悪阻つわりにすごく効く吐き気止めなんだけど、臭いも酷いし、すごく苦いんだぁ。こんなの、悪阻で苦しんでる妊婦さんに飲ませられないし、なにか改善出来ないかと思ってるんだけどぉ、クロ、なにか案があったりしない?」


 丸薬をしばし見下ろしてから、エリアルが訊ねた。


「服用法方は、普通に経口投与ですか?口のなかで溶かす、とかではなく、水で飲み込めば良いもの?」

「?そうだよぉ?」


 質問の意図が掴めずきょとんとしながらもブルーノが頷くと、エリアルは考えながら小さく呟いた。


「オブラートか、ゼラチン?それとも、糖衣、かな?」

「クロ?」

「あ、はい。そうですね…」


 んんー、と考え込んでから、エリアルが答える。


「糖衣か、ゼリー飲料を使ってはどうでしょうか」

「トーイ?ゼリーインリョウ?」

「ああ、ええっと…」


 ない概念だったか、と内心思いっきり顔を引きつらせつつ、エリアルが言葉を噛み砕く。  少なくとも糖衣は砂糖衣掛けのお菓子があるから大丈夫なはず。うん。と、心のなかで言い訳してから口を開く。


「要は砂糖掛けです。ドラジェとか、フロスティングクッキーみたいに、この薬の表面を砂糖で被ってしまえば飲みやすくなるのではないでしょうか」

「…確かに。そうかぁ、薬湯に蜂蜜を足したりするもんねぇ。お菓子の技術を、薬に、かぁ。ふふふ、やっぱりクロに訊いて良かったぁ。僕じゃ、思い浮かばなかったよ」


 カンニングで知っていただけですとも言えず、後ろめたい気持ちになりながらも、エリアルが付け加える。


「あとは、弛めに固めたゼラチンで包んで飲む、とかですね。舌に触れさえしなければ、少なくとも味は誤魔化せますから」

「なるほど、飲み込めるくらい弛いゼリー、だね。それも良いかもなぁ。ありがとう、クロ、試してみるよぉ」


 頷いて微笑んだブルーノが忘れないうちにとメモを取り、せっかくだからと言葉を続けた。


「ついでにいろいろ意見聞いても良いかなぁ?あのねぇ…」


 それからブルーノとふたり、薬談義が始まる。

 横にいたクラウスが、額を押さえた。


「…やべぇ、なに言ってんだか、九割理解出来ない…」

「ハハッ」


 クラウスの横でパスカルが、同意するように乾いた笑いを漏らした。




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『とある少女と取り巻きA』 状況・視点秘匿




「×××××?またゲームやってるの?」


 声を掛けられて、画面から顔を上げる。


「今日はまだ、一時間もやっていないよ」


 ゲームは一日三時間まで。我が家のルールだ。ベッドサイドに置かれた砂時計を指差して反論。三時間を計れる砂時計は、ようやっと四分の一が落ちた程度だ。


 それでも怒られないようにと、ゲームをスリープモードにして人間の相手をする。いくらでも時間のあるわたしと違って、目の前のひとの時間は限られているから。ゲームはまた、ひとがいないときにやれば良い。

 もちろん、砂時計の砂が落ちないよう横に倒すのは忘れなかった。


 ルールを厳密に守っているわけではないけれど、守っている振りは必要だ。


 しばらく話して去るひとを見送って、中断していたゲームを手に取る。いま、どのシーンだっけ。バックログを漁って、少し前まで巻き戻す。


 ああ、そうか。悪役令嬢の取り巻きに、ヒロインが詰め寄られるシーンだ。


『貴族には、階級と言うものがありますわ、トストマン伯爵令嬢』


 名前も出ない、悪役令嬢の取り巻きA。悪役令嬢ツェツィーリアを除けば、ゲーム内で最もご令嬢らしい口調で喋るひとだ。

 怒り顔で警告して来るけれど、その声すら上品さがある。


「そう言えば、このひとの声優さんって誰なんだろう」


 ゲームのパッケージや取説を見ても、わかるのは攻略対象の声優さんの名前だけだ。パソコンを開いて、ぐー○る先生に教えて貰う。


「ほうほう。へー、新人さんかな?」


 名前を見てもピンと来なくて、今度は声優さんの名前で調べてみる。まだまだ、駆け出しの声優さんみたいだ。


『あなたのやっていることは、秩序を乱す行為です。度が過ぎれば、あなたのお家の評判まで地に落としてしまいますわ』


 なにも知らない幼子に言い聞かせるように、取り巻きAはヒロインに語る。


「んー。美声だな。このひと、チェックしよう」


 悪役令嬢ツェツィーリアもだけれど、この取り巻きAも立ち絵がかなりの美少女だ。これが乙ゲではなくてギャルゲだったなら、きっと攻略対象だったと思う。


「…攻略対象より、この子を攻略したいなー、なんて」


 声的にまあまあ好みなコンスタンティンは攻略してしまったし、お目当てのヴァンデルシュナイツは攻略出来ないし、苦手な声だったあまりオフボにしてしまったグレゴールの攻略より、この美声な取り巻きAを攻略したい。

 なんだか好きな声…って、


『お気を付けなさいませ』


 もう一度流れた声を聞いて、納得する。


「そっかあ、あーちゃんの声に似てるのだね」


 取り巻きAの声は、大好きな姉の声と少し似ていた。


「もったいないなあ。どうして悪役なのだろう」


 つん、と取り巻きAが映った画面をつつく。


「ねぇ、そのままだとあなた、大変な目に遭うよ?」


 ここから助言をしても、画面の向こうには届かない。

 小さなため息を吐いて、わたしは取り巻きAを助けるのを諦めた。




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『お兄さまと取り巻きB』 エリアルさん高等部一年生 三人称視点




「…あら?」


 校舎内に見知った、しかしこの場では見ることの珍しい人影を見付けて、オーレリアは首を傾げた。


「イェレミアス、さま?」

「ん?ああ、きみは、えっと」

「オーレリア・ミュラーです」


 軽く会釈をして見せれば、イェレミアスは柔らかな笑みを浮かべた。顔立ちは良く似ているが、笑い方はどことなくエリアルと異なる。


「ミュラー侯爵令嬢、宰相閣下の、姪御さんですね」

「ええ。アルねぇさま…エリアルさんには、とても良くして貰っていて」

「エリアルのことを、姉みたいに慕って下さっている、のですね」


 呟くイェレミアスに、オーレリアが無邪気そうににっこりと微笑んで頷いた。


「ええ。れりぃ…私のおねぇさまに欲しいくらい」


 そうして無垢を装った言葉を発しながらも、オーレリアは冷静に観察する。彼がなにを思っているか、どんな立場か。


「羨ましいわ。アルねぇさまを妹に持つイェレミアスさまが」


 それはひどく、高位貴族家の令嬢らしいやり口で、そしてイェレミアスは、現在こそ無冠の子爵子息であるものの過去には歴史ある公爵家だった家系出身で、公爵に才能を認められた青年だった。


 正確に、オーレリアの意図を読み、その上で純粋に友好的に見える態度を取る。


「ありがとうございます。エリアルは僕には勿体ないくらいの可愛い妹です」


 少し照れたようなはにかみで答え、優しげな目でオーレリアを見下ろす。どこからどう見ても、完璧な好青年がそこにいた。


「ミュラー侯爵令嬢さまのお噂も聞いていますよ。噂通り、聡明な方ですね」

「あら、誰の噂?」

「若い官吏の間では、年頃のご令嬢の噂が流れるものですよ。年嵩の官吏から持ち込まれることもありますし。ミュラー侯爵令嬢さまについてでしたら、宰相閣下からも聞きますね。とても、学業優秀だと我が子のことのようにおっしゃっていましたよ」


 イェレミアスはこう言うが、実のところオーレリアを聡明と褒める人間は少ない。

 学業ではなく、言動の面で、オーレリア自身が敢えて幼く未熟に見せているからだ。


 しかし、イェレミアスの態度はお世辞を言っているようには見えず、


「伯父さまは、身内に甘いのよ」

「事実みなさま優秀な方ばかりでしょう」


 宰相補佐室に入れられるだけのことはある、とオーレリアはイェレミアスを評価した。

 アリスティアよりも、エリアルに近い人間なのだろうなと。


 このふたりを兄姉に持って、よくまあアリスのような素直な子が育ったものね。


 若干各方面に失礼な感想を持ちつつ、オーレリアが訊ねる。

 今いる場所はクルタス王立学院中等部校舎だ。迷子ならば、案内くらいは買って出よう。


「お世辞がお上手ね。それで、イェレミアスさまはどうしてここに?アルねぇさまにご用事?」

「いえ、今日はエリアルではなくて、アリスの用事で来たのですよ」

「アリスの?」


 エリアルの妹であるアリスティアが来年クルタス王立学院高等部に入学することは聞いている。と言うか、オーレリアはアリスティアの文通友達だ。

 けれどだからこそ、イェレミアスがアリスティアのためにここにいる理由がわからない。


「編入試験の手続きに来ました」

「編入、試験?」


 初耳の行事だった。初等部からクルタス王立学院に通うオーレリアは、中等部に上がる際はもちろんのこと、初等部入学のときですら試験など受けていない。

 クルタス王立学院は、貴族が学費さえ納めれば通える学校、ではなかったのだろうか。


「初等部入学だったり、他校からの推薦状があるなら受けなくても良いのですが、アリスは学校に通ったことがないので、授業について行けるだけの知識があるかを確認する必要があるのですよ」

「そんなのあったのね。でも、言われて見れば必要な制度ね」

「お金や権力があれば、ごり押しでもなんとかなるみたいですが」


 ずっと、家庭学習をしていたのだったなと、アリスティアの身の上を思い出す。

 確かになにも知らない子を無条件に入れては、むしろその子のためにならないだろう。


 肩をすくめたイェレミアスが笑う。


「アリスなら余裕でしょうし、わざわざごり押しなんてする必要がありません」

「そうね」


 アリスが優秀なのは否定しないけれど…。


 このひとただの兄馬鹿なんじゃないの、とオーレリアは心のなかで呟いた。




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『王太子と黒猫の妹』 エリアルさん高等部一年生 ↑の後日 三人称視点




「あれ…?」


 放課後の廊下で見付けた人影に、ヴィクトリカは首を傾げる。


「アリスティア嬢?」


 半信半疑の呼び掛けに振り向いたのは、愛しいひとに良く似た、けれど全く異なる色彩の顔をした少女。


 少女、アリスティアはヴィクトリカを見留めて、目を見開いた。


「王太子殿下…」


 どうやら、ヴィクトリカの顔を覚えていてくれたらしい。

 怖がらせないように柔らかい表情を心掛けて、ヴィクトリカはアリスティアへ歩み寄った。


 姉と比べて小柄な身体は質素な漆黒のワンピースに包まれており、校舎内に制服姿でない少女がいることが、少し違和感を覚えさせる。


「こんにちは」

「こん、にちは…」


 少し戸惑った口調の答え。姉よりも控えめな性格なのか、単に王族に恐縮しているのか。


「どうしてここに?エリアル嬢に用事かな?」


 今ならサロンにいるだろうかと、愛しい少女の居場所を思い浮かべる。しかし予想に反して、アリスティアは首を振った。


「あのひとに用事はありません。今日は、編入試験で来ました」

「ああ、そんな時期だったか。終わったところ?」

「はい」

「そう。お疲れさま」

「ありがとうございます」


 エリアルの名前を出しても、前に会ったときほどの拒絶感は見えなかった。オーレリアの画策が功を奏しているのかもしれない。

 王族相手にしっかりとした受け答え。さすがはサヴァンの娘、だろうか。


 ふと、アリスティアの抱える鞄が目に留まる。

 真っ黒な斜め掛け鞄の持ち手部分に、古ぼけた小さなぬいぐるみがぶら下がっていた。


 見覚えのある、可愛らしく簡略化されたぬいぐるみ。寄り添うようにふたつ、薄茶と黒の兎だ。首元にそれぞれ、青いリボンと赤いリボンが結ばれている。

 黒に赤。どこかの誰かさんを彷彿とさせる色だ。さらに、目の前のご令嬢の髪は薄茶色。癖のない長い髪は緩く編まれ、青いリボンで留められていた。


 ヴィクトリカの視線に気付いたらしいアリスティアが、はっとしてぬいぐるみを隠す。

 肌が白いと、顔の紅潮が良くわかる。


 そんな動きには気付かぬ振りをして、ヴィクトリカは優しくアリスティアに話し掛けた。


「迷子、ではないのだね?」

「…はい」

「帰りは、兄君が?」

「はい。ねえさ…あねのところで待っていると」


 それならきっといつものサロンだろうな。

 ヴィクトリカはアリスティアに向けて、片手を差し出した。


「それなら、そこまでご一緒しても?」

「え、でも、」

「エリアル嬢に用があるんだ。行き先が一緒だから」


 顔が見たい、は、立派な用事だろう。

 アリスティアは少し困ったような顔で目を泳がせたあとで、諦めたように頷いた。


「わかりました。ですが、手は取らなくて大丈夫です」

「どうして?」

「塞がっているので」


 明らかに言い訳として、アリスティアが抱えた鞄を示す。

 肩掛けなのだから手は開けられる、と言う野暮は言わなかった。


「荷物くらい、私が持つよ?」

「…入学前から反感を買わせないで下さい」


 あまりにも率直な台詞に、思わず笑ってしまう。

 度胸があるのか、単なる無意識か。


 エリアル嬢に比べると、詰めが甘いんだな。


 ヴィクトリカが笑ったことで、アリスティアはますます顔を赤くする。


「やっぱり、一緒には行きません」

「ごめんよ、もう笑わないし、手も取らないから」

「半笑いで言われても…あ、いえ、失礼を致しました。申し訳ありません」

「構わないよ。ここではあくまで、一生徒のつもりだから」


 おいでと声を掛けて、ヴィクトリカは歩き出す。

 心なしか不服げな表情ながら、アリスティアもヴィクトリカについて歩き出した。


 確かに、良い子、なのかもしれないね。


 エリアルやオーレリアの主張を思い出して、ヴィクトリカはそっと微笑んだ。


 


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『黒猫とぱぱ』 エリアルさん高等部一年生 三人称視点





 その日、パスカルは、猫を保護した。



 

 図書館の一画には、自習用の区画がいくつか設けられている。光を嫌う書架の森から隔離された、適度に日の差し込む明るい部屋に、視線避けの仕切りが付いた個人用の机が並んでいるのだ。ひとり掛けにも関わらずテーブルは広く、広々と教科書やノートを広げる余地があった。

 机は天板の上部も下部も仕切り板を付けられているため、背後以外の視線を気にせず勉強することが出来、自室では集中出来ない生徒たちや、課題のレポートに追われた生徒たちが愛用する場となっていた。


 かく言うパスカルも常連のひとり。

 自室で勉強していると同級生上級生下級生問わず襲来されるので、ひとりで静かに勉強したいときの逃げ場としていた。


 個人向け自習室のほかにグループ向けの勉強スペースもあるのだが、そちらは会話が飛び交って騒がしかったりするので、ひとりのときにはあまり使わない。


 その日も歴史のレポート課題のために、参考図書を抱えて自習室に来ていた。試験も近いので、なかなかに混んでいる。


 そこにいる人数に対してかなり静かな空間で、レポート用紙にペンを走らせる。

 まずは、草稿を書いてしまわないといけない。課題を出した歴史の先生は書き損じを嫌うので、先にしっかり下書きを作っておかないと。


 机に向かって数時間。

 パスカルが出来上がったレポートを推敲していると、自習室と書架の置かれたスペースを分ける扉が細く開き、黒い人影がするりと入り込んで来た。まるで、猫のような動きだ。


 なにかに追われているように閉じた扉を注視するその人物に、自習室にいた面々が意識を注ぐ。

 なぜなら、乱入者が、現在クルタス王立学院高等部で最も注目を集める集団のうちひとりだったからだ。

 珍しい漆黒の色彩は、黙っていても視線を惹く。


 誰も扉を開けないことに安堵の息を漏らし、彼女、エリアル・サヴァンが振り向いた。

 きょろ、と部屋を見回したエリアルと、顔を上げていたパスカルの視線が交わる。


 エリアルが、地獄で仏に会ったかのような顔をして、ほてほてとパスカルへ歩み寄った。


「やあ、エリアル。どうしたの」

「こんにちは、パスカル先輩。あの、実は、狐野郎…レングナー伯爵子息さまから、逃げているところでして…」


 周囲を気にした小声で、こそりとエリアルが言う。


 ああ、まだ仲が悪いんだな。

 可愛い後輩の訴えに、パスカルは苦笑する。エリアルの目線がちらりと、パスカルの足許へ向かった。


 机は広く、その分、机の下のスペースも広い。長身だが細身な子猫いっぴきくらいなら、余裕で匿える程度には。


 もちろんパスカルだって普通ならば、ご令嬢を机の下に匿ったりはしない。けれど、目の前にいるのは猫である。猫が飼い主の足許に忍び込むことなんて、日常茶飯事だろう。


「机の下で良いなら、隠れる?」

「!、ありがとうございます!」

「うん。おいで」


 望んでいるであろう言葉を投げ掛ければ、黒猫はぱあっと顔を輝かせた。いそいそと机の下に潜り込む猫を受け入れるパスカルに、ひっそりと話の行方ゆくえを見守っていた学生たちから嫉妬の視線が投げられる。

 おれが、わたしが、匿いたかった…!

 ぎりいっと歯軋りが聞こえそうな表情の生徒たちを黙殺して、パスカルは黒猫を机下に収納した。


「邪魔をしてしまって申し訳ありません」


 パスカルの脚の間からひょこんと顔を覗かせた黒猫が、上目遣いで謝罪し、ただでさえ下がった眉をしょんぼりと萎れさせる。

 うん。謝罪は良いからその位置はよそうか?可愛い。とても可愛いのだけれど、それは、すごく、危険な位置だ。背徳的過ぎる。


 黒猫の頭をなでて、もう少し奥に行かないと見付かるよと脚の間から追い遣ってから、パスカルは思い付いて言った。

 この黒猫はこう見えて、学年で五指に入る成績上位者だったはずだ。


「それなら、ちょっと手伝ってくれる?」

「わたしに出来ることでしたら喜んで」

「歴史の課題の途中なんだけどね、良かったら、助言と添削を頼めるかな?」

「…わたし、下級生ですよ?」

「歴史だし。誤字の指摘だけでも助かるから」


 わかりましたと言う答えを聞いて、机下に自分での推敲を済ませた分の用紙と参考図書を差し入れる。


「赤入れして大丈夫ですか?」

「赤入れ?」

「あー、えっと、間違いや助言を赤インクで書き込んでしまっても良いですか?」


 いちいち口で言ってパスカルの邪魔をしたり、見付かったりしないようにと言う気遣いだろう。


「良いよ。それは、下書きだし」

「わかりました」


 そのまましばらくお互いに無言で作業にふける。

 推敲の終わった用紙を差し入れると、引き換えに赤で書き込みがされた用紙が返される。

 全てのページの推敲を終えて確認すると、興味深い意見や助言が書き込まれていた。スペルチェックも丁寧で、自分では気付けなかった間違いが指摘されている。


 これは、儲けたかもしれないな。


「終わりました」

「ありがとう。すごく助かったよ」


 ひょいと最後の用紙を渡されて、お礼を伝えた。黒猫が机下に潜り込んでから、半時間ほど経っている。


「そろそろほとぼりも冷めるかな?」

「それくらい、さっぱりとした追跡ならばまだ良いのですけれどね」


 もう少しいさせて下さいと頼む黒猫に、良いよと答えてパスカルはレポートの清書を始めた。黒猫のお陰で、良いレポートになりそうだ。


 それからまた、半時間ほどだろうか。

 唐突にばんっと、扉が開かれた。

 勉強していた生徒の数人が、びくんと肩を跳ねさせる。


 この学院は貴族の通う学院で、わざわざ自習室に来てまで勉強する人間は、多少なりとも真面目な者が多い。そして、勉強時に少し雑音があった方が集中出来る、と言うひともいるが、それにしたって騒音まで行けば邪魔なわけで。

 つまりなにが言いたいかと言えば、誰かを驚かせるほどの乱暴さで扉を開けるのは、自習目的の人間じゃない可能性が高い。と言うこと。


 案の定、と言って良いだろう。目を向けた先にいたのは、黒猫が捕まるのを嫌がっていた人物、そのひとであった。


 その瞬間、自習室にいた人間全員の心がひとつになった。


 学問は平等と言えど、俗世は切り離せないもの。

 図書館内に複数用意された自習室にも、派閥ごとに緩い縄張りがある。そしてここは、王太子派の生徒が好んで使う自習室だ。

 黒猫と狐、どちらに味方するかなど、自明の理である。


 わずかに眉を寄せて、視線を教材に戻す。あるいは、乱入者を睨んでため息を吐く。頭を掻いて、伸びをする。

 勉強中に邪魔に入られた生徒がやるごく普通の行動を、それぞれが取った。

 間違っても、パスカルの机に視線を向けたりはしない。


 室内を見回した狐野郎こと、マルク・レングナー。その視線に、目立つ黒髪は映らない。

 自習室内の全員がさっさと立ち去れと思ったにも関わらず、狐は立ち去らなかった。見回したなかで見知った、そして、探しびとと親しいと知っている顔に目を付けて、歩み寄って来た。

 すなわち、パスカル・シュレーディンガーのところへと。


「シュレーディンガーせんぱーい、こんにちはー」


 へらへらと笑いながら、周囲の迷惑を鑑みない大声で狐が言う。


「…こんにちは。ここは自習室だから、もう少し声を落として」

「あー、すいませーん。あのー、ボク、エリアルを探してるんすけどー、せんぱい見ませんでしたー?」


 口では謝っているが罪悪感などないのだろう。少しも声量を抑えることなく、狐はパスカルに問い掛けた。

 足許にいるのはエリアルではなく、黒猫だ。


「んー、エリアル?おれ、昼過ぎからずっとここで勉強してたからなぁ。悪いけど、目撃者探しならほかを当たってくれる?」


 マルク・レングナーは洗脳使いだ。気を付けた方が良い。

 中立派だが親しくしている友人の言葉を思い出しつつ、苦笑して答える。


「えー?そんなこと言ってー、居場所知ってるんじゃないすかー?シュレーディンガーせんぱい、エリアルに甘いしー、匿いそうだなー、なんてー」

「…それは、自習室では静かにするって言う最低限のマナーも守れない人間よりはエリアルに味方するだろうね」


 ついついとげとげしい言葉が口を突いてしまい、はっと口許を手で隠す。

 狐がにやにやと笑って、愉快そうにパスカルを見下ろした。


「うわー、せんぱい、いーひとそうな顔してそんなこと思ってたんすねー。ひどーい」


 相変わらず遠慮のない声量で茶化す声に、苛っ、とする。


 こんなとき、びしっと言ってやれたら良いのに。

 たとえこんな狐野郎でも、相手は伯爵子息。ひとつとは言え自分と相手の間には、厳然たる位の壁が、立ちはだかっている。弱小の子爵子息で、大した取り柄もない自分が、少し悔しい。

 こんなとき、クララやブルーノ先輩なら伯爵子息相手だからと口をつぐむ必要もないのにな。


 パスカルがネガティブな思考に囚われかけたとき、その脚に温かいものが触れた。右脚に掛かる重みと温かさに、抱きかけた暗い考えがふわりと溶かされる。


 そうだ。卑屈になるような必要なんて、少しもない。


 顔を上げたパスカルは、黒猫がいつもしているように、悠然と、緩やかに微笑んだ。

 余裕の笑みを受けて、狐のへらへら顔が少し硬くなる。


「そうかな?おれ、先輩として当たり前な注意をしただけのつもりなんだけど。おれの話、聞いてた?自習室では静かに、って言ったんだけど」


 相手は確かに伯爵子息だが、同じ派閥ではない。そして、パスカルよりは高位と言えど所詮は伯爵位。たとえ不敬を買ったとしても出来ることは限られている。


 そしてこの学校、同じ学年や教員のなかでの評価ならば、パスカルには圧倒的な自信がある。なにか悪い噂を流されたとしても、騒ぐのは第二王子派の人間だけだろう。婚約者もいないので、他家ともめる心配もない。


 そもそも発言を振り返ってみれば、そこまでひどいことは言っていないのだ。多少言い方がきつかったとしても、皮肉混じりの注意だと言って、十分通じる程度の発言。


 笑みを浮かべたまま堂々と言ってのけたパスカルを、にやにや笑いを収めた狐がじっと見下ろす。


「ほんとせんぱーい、顔の割に言うー。もっと、御しやすいひとかなーとかー」


 うん。良かった。

 この狐の方がよほど失礼だ。これだけ言っても声抑えないし、証人は何人もいる。


 この程度の悪意がなんだと、笑みを崩さなかった。


「残念ながら、これでもそれなりの意思を持っているんだ」

「へー。意思、ねぇ?」


 嫌らしい笑みを浮かべた狐が、馬鹿にしたように鼻で笑う。ひとの、意思を、操れる。それが精神系の魔法だ。他人の意思など簡単に踏みにじれるものと、思っているのかもしれない。


 エリアルやブルーノ先輩とは、大違いだな。


 身近な精神魔法使いを思い浮かべて、思う。

 意思を踏みにじる気は、ありませんでした。そう言ったエリアルは、見ていて痛々しいくらいに苦しげな顔をしていた。

 精神魔法、特に精神攻撃魔法の使い手は常に、他人の恐怖と猜疑を向けられる存在だ。なぜなら誰であろうと、心を操られたり覗かれたりすることは恐ろしいから。

 エリアルはそれをよく理解していて、だからこそ、心を操られたのでは?と言う不安を抱かせる行動をしてしまったことを心苦しく思ったのだろう。


 エリアルは、他人の心を尊重することを、知っているのだ。


 それに比べて、目の前の狐は。


 エリアルやブルーノには及ばないにしろ、パスカルも魔法を学んだ人間だ。素人に比べれば、精神攻撃耐性もある。

 パスカルと狐野郎、どちらが強いか、と言う戦いである。


 狐がパスカルの目を、じっと見つめる。

 パスカルは微笑んだまま、首を傾げた。


「おれの顔に、なにか付いてる?見てても、エリアルに変わったりは、」

「にゃー」


 突然響く、猫の鳴き声。

 ぱっと、部屋中の視線がこちらに集まった。


 音源は、


「…誤作動?」


 パスカルが剣の鞘に付けていた、黒猫の小さなぬいぐるみだった。

 エリアルが疲れを癒せるようにとくれたもので、お腹を押すとにゃーと鳴く。本人曰く、ただ鳴くだけでなんの効果もない、と言っていたのだが、パスカルとすれば可愛い猫のぬいぐるみが、にゃーと鳴いてくれるだけでもかなり癒しになる。

 ありがたく剣の鞘に付けさせて貰ったのだが、


「押してないんだけどな…」


 もしや壊れてしまったのだろうかと、剣から外して点検する。

 ほつれもないし、汚れてもいない。目が取れたり尻尾が千切れたりもしていないし、見た目には変わりないのだが。


「…それ、なに?」


 間近から、びっくりするほど殺気立った低い声が聞こえて、ぎょっとする。

 顔を上げて、声の主を見て、ざわりと、肌が粟立つのを感じた。


 憤怒、嫉妬、憎悪、驚愕、恋慕、その、どれでもあって、どれでもないような。どんな感情ともつかない、しかしひどく不安と不快さを感じさせる表情を、目の前の男は浮かべていた。


 まるで、ありとあらゆる欲望を掻き集めまとめ上げて晒したような。

 思わず目を背けたくなる、底冷えを感じるほどの狂気の表情。


 笑顔も忘れただ絶句して、パスカルはマルク・レングナーを見つめた。

 それに苛立ったように、マルク・レングナーがパスカルの持つぬいぐるみを指差す。


「それは、なに」


 繰り返しの詰問に、なんだかわからないが、彼がこんな風になった原因はこれなのかと理解して、パスカルは答える。


「エリアルから貰った、準魔道具だよ」


 と言っても、答えられるのはその程度なのだが。


 なにせ、ただ腹を押せば鳴くだけのぬいぐるみだと言われて渡されたのである。それのどこがマルク・レングナーを怒らせたのかなんて、わかろうはずもない。


「準、魔道具…」


 呟いたマルク・レングナーが両手で顔を覆い、肩を震わせる。

 なにごとかとようすを伺えば、くく、と笑い声が漏れ聞こえた。


 笑っている、そのことに、またぞくりとさせられた。


「ボクの、好きにはさせない、だっけー?そっかー、本気なんだー。へー。ふーん。そっかそっかー」


 くすくすと笑いながら、うわごとのように呟く。


「おい、だいじょ、」

「今回はボクの敗けで良いよー」


 マルク・レングナーがぬいぐるみを睨む。まるでそこに、なにか彼にとって重大な存在がいるように。


「でもー、その程度で大丈夫だと思ってるんならー、痛ーい目ー、みせてあげるー」


 ぱっとパスカルに視線を移して、マルク・レングナーはへらりと笑った。


「そう、エリアルに伝えといてよ、せーんぱーい」

「え、あ、うん、今度会ったときに、覚えてたらね…」


 まさか足許にいることに気付いたのかと疑ったが、平静を装って頷いた。

 パスカルの内心には気付かなかったようで、狐はへらへら顔のままで心の籠らない礼を口にした。


「じゃーボクはー、エリアル探しに戻るんでー、せんぱいは伝言頼みますねー」


 結局最後まで、狐が声量を抑えることはなかった。

 締まる扉を見送ってから、ため息を吐く。陽動かと思って、机下へ声を掛けることはしなかった。


「にゃー」


 ぬいぐるみがまた、小さく鳴き声を上げる。


「パスカル」

「ご、ごめんなんか、誤作動みたいで…」


 近くに座っていた同級生に睨まれて、身を縮め慌ててぬいぐるみを確かめる。やはりぬいぐるみ自体に異変はないし、パスカルではこのぬいぐるみに設置された魔法は確認出来ない。少なくとも魔力切れでないことはわかるのだが。


「違う」


 騒音へのクレームかと思ってのパスカルの謝罪に、椅子から立った相手が首を振る。

 おもむろに近付いて来て、ぬいぐるみを指差す。


「なんだそれ、オレも欲しい」

「え…」


 ぽかんとしてから、思い出す。

 騎士科内で、ひそかにエリアルが大人気であることを。


 がたっと椅子が鳴り、気付けばパスカルの机は自習室にいた生徒全員によって包囲されていた。


「あたくしも、欲しいですわ」

「抜け駆けずるい。私も」

「俺だって欲しい」

「ぼ、僕も欲しいんですけど」


 うん。そう、なるよね。


 少し前の寒気など吹き飛ばす光景に、パスカルは噴き出した。

 ふふっと笑いながら、首を傾げて余裕の表情を浮かべる。


「日頃のお礼にって、貰ったんだよ。エリアルから。きみたちももっとエリアルと仲良くなれば、親愛の印に貰えるかもね?」


 ぎりぃ…と、誰かの歯軋りが聞こえた。

 夏の合宿で同じ班になった幸運から、三年生ほどではないがパスカルも黒猫に懐かれている。廊下ですれ違えば向こうから挨拶をくれるし、合同の授業で話し掛けられたり、練習相手を頼まれたりすることもある。

 黒猫と同じ魔法持ちであることも手伝って、二年生のなかでは最も親しいと言えるかもしれない。


 その事実に裏打ちされたことを言われれば、周囲としては嫉妬するしかないわけで。


「まあ、そう簡単に仲良しの先輩の地位を譲ってあげる気はないけどね?」


 右脚の重みは消えない。ちらりと確認すれば、黒猫はパスカルの右脚に身を委ねきって安らかな寝息を立てていた。

 いつのまに寝てしまっていたのだろう。本当に、気ままな猫だ。


 周りがうるさくなる前に、動作で静かに、と指示した。


「エリアル、寝ちゃってるから。起こさないように静かにして。ほら、席に戻って勉強」

「寝てるって…」


 そっとパスカルの足許を覗き込んだひとりが、両手で口を覆って声なき悲鳴を上げた。

 なにこのかわいいいきもの、と、表情が訴えている。


「ほら、起こしたら可哀想だろう?ひと目見るくらいなら黙認するから、ひと目見たら勉強に戻れよ」

「パスカル、お前、その状況で勉強出来るって言うのか…?」

「え?出来るけど?」


 起きる前に課題を終わらせておかなければ、きっとエリアルは自分が邪魔をしてしまったと気にする。だからおれは、ちゃん課題と進めておかなければ。


 そう思ってパスカルが答えると、周りを囲む生徒たちは静かに震撼したのち、黒猫の寝顔をひと目ずつ拝んで自習に戻って行った。



 

 レポートを終わらせたパスカルに起こされたエリアルは、ぎょっとして重ね重ね迷惑を掛けて申し訳ありませんと謝罪した。

 その後パスカルがマルク・レングナーとの会話を伝えると、ますます恐縮して平謝りし、


「そんな、お詫びなんてされることじゃないのに」

「気持ちだけなので、もし迷惑でなければ受け取って下さい」


 後日お詫びの品として、パスカルが過去にあげた布で作ったと言う剣帯を献上された。

 ただでさえ丈夫な布を幾重にも重ねて頑丈にし、丁寧に刺繍が施された剣帯は、売れるだろうと思うような出来だった。


「でもこれ、お金取れるんじゃない?」

「売り物にはなりませんよ。パスカル先輩のことを考えて…っではなくて、ええと、あの、剣帯は、仕立て屋ではあまり作られませんから」


 言われてみれば、革製品の工房や武器屋で取り扱われていることが多い。


「丈夫には作ったつもりなのですが、正規品に敵う出来とは…申し訳ありません、やはり迷わ、」

「貰うよ。ありがとう」


 だんだんとしょんぼりしてきたエリアルから、手作りの剣帯を取り上げる。着けていた剣帯を外し、装着して剣を取り付けた。


 革製でない剣帯は軽く、それでいて不思議と身体に馴染んで安心感があった。故郷の、特産品。これを着けたパスカルを見たら、きっと領主夫妻である両親や、領民たちは喜ぶだろう。


 試しに動いたり、剣を抜いたりしてみる。

 普段愛用している剣帯より、ずっと動きやすいし抜きやすい。


「うん。すごく良いよ」

「ほんと…ですか?」

「本当。ありがたく使わせて貰うね」

「もし傷んだり、ほつれたときは、言って下されば直しますから」


 ほわっと微笑んで言うエリアルを、パスカルは微笑んでなでた。


 

 黒猫謹製の剣帯は目立ち、パスカルは各方面から嫉妬されたり睨まれたりするのだが、それはまた別のお話。

 

 

 

拙いお話をお読み頂きありがとうございました


続きも読んで頂けると嬉しいです

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