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取り巻きCの番外の小話 そのいち

活動報告で上げていた番外小話をまとめました


細部を修正したのみですべて割烹で既出のお話です

 

 

 

『転寝黒猫とお兄さま』 エリアルさん幼女時代 三人称視点




 そのときわたしは、すごく眠かった。


 うつらうつらと頭を揺らしながら歩き、堪えきれずにとうとうその場に膝を突いてしまう。


 こんなところで眠っては、迷惑が掛かる。

 そう思っても強烈な眠気に抗えず、ころん、と転がって身体を丸める。

 重い瞼はたちまち下りてきて、とろり、と意識が解けて消えた。




「…見つけた」


 植木の間に転がるエリアルを見つけて、イェレミアスは小さくため息を吐いた。


 先日導師のところに行ったばかりで常にうつらうつらしているエリアルを、連れ出すのは感心しないと訴えたイェレミアスの言葉は、両親に聞き入れられなかった。


 安らかな寝息を立てる三つ年下の妹に、そっと近付いて顔を覗き込む。


 とくに、傷付けられた、と言うこともないようだ。


 安堵して、そのまま眠るエリアルの横に腰を下ろした。


「こんなところで眠ったりして、またさらわれたらどうするの?」


 眠っているのを良いことにつついた頬は、とても柔らかくて触り心地が良かった。

 ぷにぷにと、しばらく妹のほっぺたをいじめる。


「んにゃ…」


 呟いたエリアルが、イェレミアスの指を掴んでどけた。目を覚ます気は、なさそうだ。


 イェレミアスとしてもおもしろくもないお茶会よりもここでのんびりしていた方が良いので、起こさず座っていることにした。エリアルの名前を出せば、うるさい両親は黙らせられる。


 実の娘や妹を恐れる両親や兄を、咎めようとは思わない。イェレミアスだって、妹の力は恐ろしいのだから。

 けれど、恐ろしいのは妹の持つ力であって、妹自身を恐ろく思うのはおかしい。

 両親や兄の恐怖を敏感に感じ取って不必要な接触を控えるような心優しい妹を、どうして恐れる必要があるだろうか。


 それでも起きている妹に対しては、イェレミアスも及び腰になってしまうことがあるのだけれど。


 自分とは色も質感も異なる美しい黒髪を、そっとなでる。

 なでる手を感じたのか、偶然か、エリアルが、すり、とイェレミアスの手に頭をすり寄せた。


「…猫みたいだね」


 愛らしい子だ。


 夜会やお茶会から逃げ出す以外は両親に逆らうこともなく、いつも穏やかに微笑んでいる。その姿は、人形のようだ、と噂されていた。


 しかしそんな姿より、こうして気ままに眠っている方が妹らしい、とイェレミアスは思う。


 イェレミアスにも兄にも下の妹にも、サヴァン家の魔法はまだ出ていない。だからエリアルだけが、両親や周囲からの恐怖も期待も、全部受けている。


 たとえ弱くても自分も魔法を使えたならば、もう少し妹を理解してやれただろうに。


 その負い目か、嫉妬か、区別の付かない気持ちが、イェレミアスと妹の間に、壁を作る。


 さらわれて戻って来た妹を、抱き締めてやることすら出来なかった。


 妹が無事戻った喜びよりも、恐かったのか顔を強ばらせた妹が魔法を暴走させることへの、恐怖の方が勝ってしまって。

 妹が力を暴走させたことなんて、ただの一度もなかったにもかかわらず、頑なにエリアルを恐れる両親の態度が、子供たちにまでサヴァン家の魔法への強固な恐怖を育て上げてしまったのだ。


 それがどれだけ妹を傷付ける行為かわかっていたのに、イェレミアスは妹を抱き締められなかった。無意識のうちに、最低限の接触ですら、ためらってしまう。


 そんなイェレミアスもほかの家族も責めたりせずに、エリアルはただ微笑んで、心配を掛けてごめんなさいと言った。


 可愛くて、可哀想な、妹。


「×××××…」


 ときおり彼女が理解出来ない言葉を口にすることを、知っているのは家族の中でイェレミアスだけだろう。


 寂しそうに眉を寄せたエリアルを、イェレミアスは優しくなでる。


 夢の中でくらい、幸せになって良いのに。


 のん気な猫のようでいて、本当は誰より痛みを抱え込んだ妹が目を覚ますまで、イェレミアスはその頭をなで続けていた。




     ё    ё    ё    ё    ё

 

 

 

『黒猫と節分』 エリアルさん高等部一年生の2月3日 エリアルさん視点




 海苔と米酢が手に入ったら、やりたいことがあった。


 朝早く起きて、いそいそと料理に取り掛かる。


 甘い出汁巻き卵に、キュウリ、かんぴょうはないので、切り干し大根を甘じょっぱく炊いた。本当は生魚が欲しいところだけれど、手に入らないので適当なお魚をボイルして、半量は細かくほぐしてマヨネーズ和え、半量はすり潰して桜でんぶにする。

 もちろん、大豆を炒るのも忘れない。


 炊いたお米を冷ましながら、作っておいた寿司酢を混ぜ込む。


 大きなままの海苔の上に酢飯を敷いて、作った具を乗せて、と。

 巻きすもラップもないので、代用はパラフィン紙だ。

 くるりと巻いて、ぎゅっと巻き締める。


 出来たのは、太巻きに炒り豆だけれど、今日に限れば恵方巻きに福豆と改名中だ。


 今日は節分。

 この世界では全国的に誰ひとり行わない行事だけれど、お寿司が作れるならやらない手はない。


 恵方巻きは夜までとっておくのでとりあえずしまって、手にするのは福豆。


 窓を開けて、ひとがいないのを確認してから、


「おにはーそとー」


 こっそり声を上げて、外に向かって豆を投げる。


「ふくはーうちー」


 部屋の中にも、控えめに。


 もういちど外を確認して、再度、外と中に豆をまく。


 たちまち鳥がやって来て、外の豆も中の豆も食べ尽くした。不法侵入だ。

 わたしがまだキープした豆を物欲しそうに見て来たので、わたしとツェリの年の数分だけ取って残りはあげる。


 残したお豆は、今日のおやつだ。




「ああ、今日は二月三日だったわね」


 わたしに福豆を渡されたツェリは、きょとんとしたあと納得したように頷いた。

 大豆だけは手に入ったので、豆まきは毎年やっていたのだ。


「…なにかある日、だったかい?」

「アルいわく、この日に年の数足すひとつ炒った大豆を食べると、一年を健康に過ごせると言う言い伝えがあるそうよ」

「へぇ。初めて知った。サヴァン家のしきたりなのかい?」

「いえ、幼いころに、なにかで聞いた話で…」


 たまたま居合わせたヴィクトリカ殿下へ、適当に話を濁して教える。

 この世界は広い。どこかに、似た行事があってもおかしくないだろう。

 幼いころなのでさだかでないと言ってしまえば、詳細を訊かれたり差異を指摘されても逃げられるし。


「炒った大豆って、味付けは?」

「ないわ」


 テオドアさまが会話に混じって来て、ぽり、とさっそく福豆をかじりながらツェリが答える。


「火を通しただけ、ですね」

「それ、美味いのか?」

「大豆の味がするわ」


 まんま大豆の味だし、嫌う、と言うか、好きじゃないひともいる食べものだと思う。

 わたしはけっこう好きで、節分の日には無性に食べたくなるのだけれど。


「…あげないわよ。アルは毎年、年の数とひとつしかくれないんだから」


 気になる、と言う視線を向けられたツェリが、残っている福豆をぎゅっと両手で握り込んだ。


 なんだかんだ初等部からの恒例行事なので、ツェリとしても思い入れがあるのかもしれない。


 けれど、しまったな…、


「申し訳ありません、わたしも余分は持っていなくて…」


 余分な福豆は、すべて鳥の胃の中だ。わたしの分を分けるつもりもない。


「単に炒っただけの大豆ですから、気になるのでしたらご自身で入手して下さい」


 大豆に火を通すだけだ。かく言うわたしも、自力で福豆を作ったのは転生してからだけれど。

 前世では毎年、お寺さんや神社で買っていたから。


「…来年を、待とうかな」


 少し考えてから、殿下が言う。


「来年まで待つから、私の分も用意して?ああもちろん、お礼はするよ」

「いえ、それくらいでしたら大した手間でもありませんからお礼なんていりませんが」


 本当に、炒っただけの豆だよ?


「わざわざ食べたいと思うようなものでも、ありませんよ?」


 そんな、一年も前から予約するようなものではない。


「うん。でも、せっかくだから、ね。私の健康も、願って?」

「わかりました。では、来年は殿下にもお豆を用意しますね」

「おい、」

「テオドアさまにも」


 どうせなら、リリアやレリィの分も用意しよう。わんちゃんの分も…って、いや待て、わんちゃんって、何歳なんだ…?


「?どうかした?」

「いえ、わんちゃ…ヴァンテルシュナイツ導師って、何歳なのだろうか、と」

「…彼の年は」


 難しい顔になっていたらしいわたしへと問うた殿下は、その言葉を聞いて遠い目になった。


「父も、知らないらしいよ…」


 やばい、我らが宮廷魔導師さまが、年齢不詳過ぎる…。


 訊いたら、教えてくれるのだろうか。


 少し遠い気持ちになりながら、わたしもかりっと福豆をかじった。




 夜。


 自室の扉にも窓にも鍵を掛け、防音までした上で、わたしは恵方巻きを取り出した。


 今年の恵方なんてわからない。単に食べたいから作った、自己満足だ。

 けれどこれを今日、ほかの誰かと食べる気にはならなかった。


 手に取って、かじる。


「あはは」


 行儀が悪いのは百も承知で、食べながら笑い声を漏らした。


 目をつむりながら、とか、ひとことも喋らずに、とか、作法にいろいろと地域差がある恵方巻きだが、わたしの家では笑いながら食べるのが習慣だった。


 知らないひとが見たら、完全に不審者だろう。


 家族そろって同じ方向を向き、みんなで笑いながらかじる。

 母は家族それぞれの胃の大きさを考慮して、個々に大きさの違う恵方巻きを手作りしてくれた。

 外は寒いけれど、部屋の中はとても温かかった。


「ふふっ」


 両親の恵方巻きのエピソードで、笑い合ったこともあったっけ。

 もともと笑いながら食べるのは、母の家の風習で、結婚してから初めての節分、突然笑い出した母に父は度肝を抜かれたそうだ。

 母が壊れたかと思って真剣に心配したが、父は無言派なのでしゃべれなくて、母は母で、黙々と恵方巻きを食べる父に内心『???』となっていて。

 食べきるまでお互いにどきどきしながら片や笑って片や黙り込んで。

 食べ終えてお互いに疑問を投げ付け、ふたりで大笑いしたそうだ。


「ふっ、ははっ」


 わたしだって、誰かがわけもなく笑い出したら、びっくりするだろう。

 そのときの父のようすを思うと、笑いがこみ上げてしまう。


 温かく、仲の良い家だった。

 優しい母と、働き者の父、しっかり者の姉と、のんびり屋の弟がいて。


「っく、ふ…」


 ぽたり、と、恵方巻きを持った手にしずくが落ちた。


 あれ、おかしいな。楽しい思い出を思い浮かべて、笑っている、はずなのに。


「、ははっ」


 笑い声を漏らすたび、手の甲にしずくが落ちる。


 ツェリがいて、わんちゃんがいて、リリアたちが友達になってくれて。

 今だって、ちゃんと幸せなはずなのに。


「あははっ」


 どうして、涙が止まらないんだろう。


 笑い声を上げながら、涙をこぼす。せっかく作った恵方巻きの味は、もうぜんぜんわからなかった。


 それでもちゃんと最後まで、笑いながら恵方巻きを胃に詰め込んで。


-わんちゃん、わんちゃん


 右耳の赤い石に触れて、ぼさぼさ頭の宮廷魔導師さまに呼び掛けた。


 通信石は思念通話だから、涙で声が震えることもない。

 蝙蝠くんには見られているから、泣いたことはそのうちばれてしまうけれど。


-なんだ?怖い夢でも見たか?


 目を閉じて、頭に響く声に集中する。


 首が座る前からの知り合いは、いまだにわたしを子供として扱う。


-違います


 ただ、声を聴きたくなっただけだ。


 ぐすりと鼻をすすって、濡れた顔を拭う。


-新しいお料理を、作ったのです。だから、

-ああ。いつでも来い。楽しみに待ってる


 みなまで言わせず、わんちゃんは言った。


-はい

-ほかには?なんか困ったことねぇか?

-大丈夫です

-夜が怖いなら、子守歌でも歌ってやろうか?

-そんなに子供じゃないですよ


 …いや、うん。わんちゃんの子守歌には、とても興味があるけれどね!

 聴き惚れて眠れないに、一票だから!


-そうか。ま、子守歌でも寝物語でも、欲しけりゃ言えよ。美味い飯の礼に、それくらいはやってやる

-ははっ。ありがとうございます。でも、今日は大丈夫です。おやすみなさい

-ああ。おやすみ。良い夢を


 ゆっくり息を吐いて、目を開いた。

 もう、涙はこぼれない。


「ありがとう、わんちゃん」


 蝙蝠くんには聞こえないように、小さく小さく呟く。

 わんちゃんと一緒なら、きっと笑顔で巻き寿司を食べられるはずだ。


 涙はお風呂で、洗い流してしまおう。

 小さな笑みを浮かべて、わたしは立ち上がった。




     ё    ё    ё    ё    ё




『黒猫とレスベル』 エリアルさん高等部一年生夏期合宿後 エリアルさん視点 ※下ネタ注意




 そう言えば、レスベルの効能ってなんだったのだろう。


 ふと疑問に思ったわたしは、高等部の図書館に向かった。


 薬学書は…と、


「あれ?エリアル?」

「るーちゃん?」


 覗いた医学・薬学関連のスペースに、るーちゃん、ブルーノ・メーベルト先輩を見付けて顔を見合わせる。


「なにか探しているの?」


 先に我に返ったるーちゃんが、ふわり、と微笑んで問い掛ける。


「レスベルの効能を調べようと思いまして」

「レスベル?…ああ」


 頷いたるーちゃんが並んだ本へ目を走らせる。その頬は、なぜかかすかに赤くなっていた。


 演習合宿でレスベルの効能について話したあともそうだった気がする。どうしてだろう。


 内心首を傾げるわたしに、るーちゃんは少し赤い頬のまま一冊の本を差し出した。


「樹木の効能なら、この本が詳しくてわかりやすいよぉ」

「ありがとうございます」


 受け取った本を、ぱらりとめくる。


「ここで読むの…?」

「お邪魔ですか?」


 レスベルの効能を知りたいだけなので、ここで読んでしまった方が手っ取り早いと思ったのだけれど。


 るーちゃんは少し困り顔で、


「大丈夫…だよぉ」


 と答えて逃げるように本棚へ目線を移した。


「?」


 不思議に思いつつも本へと目を戻す。レスベル、レスベル…あった。


 実だけじゃなく、葉や根っこ、樹皮まで薬に使えるのか…。果実は果肉と種子の核が薬用で、果肉の効能は…、


「「…」」


 思わず上げた視線が重なる。


 赤い顔の姐さんが口許に握った右手の甲を当てて、うつむいた。


「…効能、わかった?」

「はい…」


 レスベルの果肉は消炎および滋養強壮に効果があるほか、婦人薬および男性用の精力剤の原料とされる。


 るーちゃんも、健全な男子高校生だったんですね…。


「あの、なんか…申し訳ありません…」

「いや、気にしないで…」

「本、ありがとうございます。せっかくなので、借りて読んでみますね」

「植物由来の薬に興味があるなら、これとこれも読むと良いよぉ」

「ありがとうございます」


 るーちゃんが目を逸らしつつもささっと選んでくれた本を受け取って胸に抱え、ぺこっと頭を下げてから立ち去る。


 るーちゃんの頬の赤みが移ったみたいに、ほっぺたが少し熱かった。




     ё    ё    ё    ё    ё




↓ここから連作 全三話 エリアルさん高等部一年生のいつか エリアルさん視点




 朝起きたら、身体が縮んでいた!


 いやいやいや。待て待て待て。


 落ち着こう。鏡。そう、鏡だ。

 やけに視点が低い身体を鏡に映して、状況を確認しよう。


 やたら大きくなったベッドの中で掛布の波に溺れかけながらなんとか這い出して、すたっと四つ足で床に降り立つ。…四つ足?


 嫌な予感をひしひしと感じながら、鏡の前に行き、そっと鏡面を隠す布をめく、


「…に゛っ!?」


 そんな馬鹿な!?と叫ぼうとしたのに、喉から出たのは猫が尻尾を踏まれたような声。それも無理はない。なぜなら、わたしの身体は、


-なんで猫になってるか、説明してくれるかな?


 真っ黒で小さな、黒猫になっていたのだから。




『猫になった黒猫 そのいち』




 小さくなった身体で、とたとたと廊下を歩く。


-モモに魔法を教えていたら、うっかりして


 とりさんは悪びれもせずにそう言って笑った。一日経てば戻るだろうとのことだが、はた迷惑な竜だ。


 いちおう責任を感じていないわけではないらしく、わんちゃんの蝙蝠くんはごまかしてくれるらしいが。

 モモにしろとりさんにしろ、曲がりなりにも封印されているはずなのだが、そんなに力を使えて良いのだろうか。


-せっかくなんだから、状況を利用すれば。普段は見れないような姿が、見えるかもしれないよ?


 ぜんぜん反省していない気がするとりさんの言葉に従って、外に出た。


 今のわたしは赤い鈴付きの首輪を付けた、小さな黒猫だ。子猫、と言うほどではないが、とてもちまい。首輪を付けているから野良猫には見えないだろうが、黒猫と言うことで目立つようにも思う。


 でもまあ、ここまで姿を変えるような魔法は普通なら存在しないので、エリアル・サヴァンとばれることはないだろう。猫の姿なのを良いことに、男子寮に潜入してみた。


 クルタス高等部の寮は共有スペースを除いて、基本的に異性の侵入禁止なのだ。まあ、ルールが完璧に守られているかは、ご想像にお任せするけれど。


 てってってーっと廊下を歩いていると、突然ひょいっと持ち上げられた。


「!」


 ぐいーと首を動かして見上げた先にいたのは、


「…なぜ、こんなところに猫が?」


 つやつやの菫色の髪。まさかのラース・キューバーでした。もぞりと動くと、両手でがっちり掴まれる。


 間近で顔を突き合わされたので、ぺそり、と肉球で頬を叩いておく。


「首輪もしているし、毛艶も良いですね。行儀はあまりよろしくないようですが、誰かの飼い猫でしょうか」

「みー」


 行儀が悪いは余計だ。


「はいはい。あまり出歩かず、大人しく飼い主のところに戻りなさい。寮内のペット飼育は禁止されていませんが、マナーを守れない場合は個人的にペット禁止を科されることもあるんですからね。あなただって、飼い主から引き離されたくはないでしょう」


 まさかの猫に話し掛けちゃう系男子…!しかも、なんだか優しい…だと!?


「なー」


 鳴き声と共にくきゅるると、わたしのお腹が鳴った。

 そう言えば、起きてからなにも食べていない。


「お腹が好いているのですか?」

「なー」

「…」


 帰って食べろと言われるかな。

 そう思った予想に反し、


「飼い主が用意しているでしょうし、少しだけですよ」


 ラース・キューバーはため息を吐いてわたしを抱え直し、どこかへと歩き出した。


 なんと、食べものを恵んでくれるつもりらしい。


 …エリアル・サヴァン相手じゃないと、こんなに優しいんだね。いや、むしろ、無害な動物相手だから、かな。


「あれー?ラースサマじゃん。なにやってんですかー?」


 ラースに抱かれて移動していると、不意に声が掛けられた。

 この声は、アレだ、ヤツだ。


「…マルク」


 瞬間眉を寄せてから笑顔を作り、ラース・キューバーが振り向いた。


「おはようございます。今日は早いのですね」

「ふぁ…早いってゆーか、今から寝るってゆーか。つか、なにそれ、猫ー?どーしたんですー?」

「また朝帰りですか…ほどほどにしないと謹慎を食らいますよ」

「そこは考えてますってー。それより、その猫どうしたんですかー?ラースサマのじゃないですよねー?」

「廊下にいたので拾ったところです。誰かの飼い猫でしょう」


 また、って言われるほど朝帰りしてるのかマルク・レングナーは。さすがチャラ男。そのままわたしやツェリのことは忘れてほかの女と仲良くしていて欲しい。


 そして、おそらくめっちゃ苛々してるのににこやかに話すラース・キューバー。ちょっと尊敬するわ。微笑みの貴公子は、伊達じゃないわ。


 わたしがあまりラース・キューバーに近付かないから、このふたりの組み合わせを間近で見るのは夏期演習合宿以来だけれど、相変わらずゲームほどではないにしろあまり仲は良くないみたいだな。ラース・キューバーは潔癖のきらいがあるから、このまま行けばマルク・レングナーを毛嫌いしてもおかしくないと思う。


「ふーん。なんかー、エリアルに似てるー?」


 なんだと


「そうですか?」

「いやだってー、黒いしー、赤い鈴付きの首輪だしー、猫なのにちょっとたれ目だしー、エリアルが猫だったら、こんな感じじゃないですかねー?」

「あの女と違って、この子は可愛げがありますよ」

「相変わらず、エリアルのこと嫌ってるんですねー」


 マルク・レングナーになでられそうになったので、とりあえず避けておく。


「うわ、避けたー。やっぱりエリアルなんじゃ…」

「上から手を出すからですよ」


 そっと抱え方を変えたラース・キューバーが、喉元をこしょこしょとくすぐる。

 手付きは優しく、絶妙な力加減だった。うん。巧い。テクニシャン。


 ごろごろ


「こんなに小さい身体ですから、突然手を出されては恐怖を感じます。だから避けたのですよ。それに、やっぱりあの女には似ていません。エリアル・サヴァンがこんなに可愛いわけがない」


 実はエリアル・サヴァンです。なんて言えない。ごろごろ。


「いやいやー、ツェツィーリア・ミュラーの前とかだとこんなですってー。エリアルは可愛い派と格好いい派で争いが起きて、結局両方だって落ち着いたくらいですしー、世論はエリアルを可愛いって思ってますよー?」


 なんだその争い。聞いてない。


「…一歩譲って似ていたとしても、本人ではないでしょう」

「まー、そうですねー。どっかの令嬢なりご子息なりが、似た子猫を探して来たんでしょー。のめり込んでるヤツは、ほんとー熱狂的ですからねー」


 いや、本人なのですけれどね。


 マルク・レングナーの言葉に、ラース・キューバーは一瞬顔をしかめて吐き捨てた。


「下らない」

「…ほんと、エリアルの話題になるとひとが変わりますよねー。まー良いや。眠いし、ボクはもう行きますねー」

「…おやすみなさい」

「はいはーい。子猫ちゃんも、オヤスミー」


 投げキッスをされたので、避けておく。


「あなたは、ああ言う馬鹿に捕まってはいけませんよ?」


 その反応が面白かったらしく、ラース・キューバーが少し笑う。

 …作り笑顔よりも、その笑顔の方が好きだな。


「みー」


 マルク・レングナーに引っ掛かる気はないので、大人しく返事をしておく。


「良い子です」


 頬を弛めたラース・キューバーが、今度はわたしの耳の付け根をかりこりと掻く。

 …ラース・キューバーは猫の扱いに慣れていると見た。さては猫好きだな。


「誰だかしりませんが、もし本当にあなたをエリアル・サヴァンの代わりに飼っているのだとしたら、失礼なことですね。あなたはあなたで、エリアル・サヴァンではないでしょうに」

「みゃー」


 確かに、それはそうかな。誰も誰かの代わりは出来ない。替えが利かないからこそ、命は尊いのだから。

 だけど、替えが利かないからこそ、代わりを求めてしまうのも無理からぬことで。


「にー…」

「それでもあなたの飼い主は、あなたを大事にしてくれているのでしょうね。あなたは痩せてはいますがずいぶん毛並みが良いですし、石鹸の香りがします」


 ラース・キューバーがわたしの後ろ頭に鼻を近付けて、すん、と鼻を鳴らした。ちょ、嗅がないで。


「良い食事と清潔な寝床を与えられて、湯浴みもさせて貰っているのでしょう。飼い主がエリアル・サヴァンを好きな限り、愛情も与えて貰える」


 んん?なんだか雲行きが怪しい…?


「僕もあなたのような愛らしい猫だったなら、生きるのも楽だったのでしょうか」

「なぁ」


 身をよじって身体を伸ばし、ラース・キューバーの頬を舐めた。


 ラース・キューバーのことは別に好きでないが、幸せにならなくて良いと思うほど嫌っているわけでもない。目の前で落ち込まれれば、慰めもする。

 エリアル・サヴァンとしてならともかく、今のわたしは行きずりの猫だからな。


 ラース・キューバーは目を見開いたあとで、すり、とわたしに頬を寄せた。


「やはり、あなたはエリアル・サヴァンに似てはいませんね」

「にぃ」


 いや、本人なのですけれどね。




 ラース・キューバーに連れられて来たのは、どうやら彼の自室らしかった。

 公爵家の次男にしては小さな部屋に、ほかに人の気配はない。使用人のひとりも連れていないのだろうか。公爵家次男が?


「…ルドは、洗濯、ですかね。勝手に食料をいじると、怒られるのですが」


 小さく呟いた言葉から察するに、使用人がいないわけでもなさそうだ。おそらく信頼出来るひとりだけを、共に付けているのだろう。


 わたしを抱いたまま棚をあさって、なにか袋を取り出した。


「あなたは小さいですが、子猫、と言うわけではないですよね?」

「にゃあ」


 そうですね。


 わたしの返事に頷きを返し、ラース・キューバーが水を入れたお鍋を火に掛ける。

 それからお鍋に入れたのは白い粉。どうやら粉ミルクのようだ。くるくると混ぜて溶かして、浅いお皿に入れる。


 甘いミルクの匂いに、くきゅる、とわたしのお腹が鳴いた。


「まだですよ。少し冷めるまで待ちなさい」


 お皿を机にわたしを床に置いたラース・キューバーが、お鍋を洗いながら言う。

 公爵子息が洗い物。衝撃の事実だ。


 ラース・キューバーは魔法を持たないことで家に負い目を感じているから、自立志向が高いのかもしれない。


 自分の分なのかお茶を用意したあとで、ラース・キューバーがミルクのお皿を下ろしてくれる。きちんと、温度を確認したあとで。


「なー」


 いただきます


 床に置かれたお皿に顔を突っ込んで飲むなんて、ひととしてのプライドはないのかって?大丈夫。今のわたしは猫だ。猫を装って猫らしい行動をすべきなんだ。


 食い意地に負けた?気のせいだ。


 ぬるいミルクは猫としては適温で、お腹がほっこりした。


 一滴残らず飲み干し、お皿や顔も綺麗に舐めて、ひと心地着いた。


 ふいーっと満足の息を漏らしていると、唐突に身体が浮く。


「に?」

「飲みましたね?」


 わたしを浮かせたのは、にっこり微笑んだラース・キューバー。お皿を拾って洗い場に置いたのち、わたしを持ってソファーへ向かう。


 え、なに?


「ひとの社会では、なにものにも対価が求められます。あなたもこうして食料を口にした以上は、対価を払わなければなりません」

「み?」


 なん…だと…?


 いったいどうしろと言うのかと戦々兢々とするわたしを、ソファーに腰掛けたラース・キューバーは膝に乗せた。


「と言うことで、しばらく愛でられるくらいは義務です。良いですね」


 ラース・キューバーの手が背中に乗り、こしょこしょとくすぐられる。喉を鳴らせばころんと転がされて、お腹をなでられた。


「にぃー」

「触り心地の良い毛並みですね。大人しく、ひとへの警戒も薄い。あなたはきっと、愛情だけを与えられて育っているのでしょうね」


 ラース・キューバーがわたしをなでる手は優しく、語り掛ける声は穏やかだ。

 触れる体温は温かく、満たされたお腹もあいまって眠気を誘う。


 んん…さすがに寝るのは…まずい…。


「みぃー…」

「あなたはちょっとした冒険のつもりだったのかもしれませんが、外には危険も多いのですよ?あまり、飼い主の庇護下から離れないことです。こんなに毛並みの良い猫は、黒猫と言えど攫ってでも欲しがる人間もいるでしょうから」


 駄目だ…眠…。


 とろりと溶ける意識に逆らえず、わたしはラース・キューバーの膝の上で知らぬ間に眠っていた。

 ら、ラース・キューバーがなでるのが巧すぎるのがいけないのだよ!わたしは悪くない!!




「ラースさま?どうしたんです、その猫」

「拾いました」

「拾…?え?飼う気ですか?」


 洗濯を終えて戻ったルドルフは、主の膝に鎮座する猫を見て、目を瞬いた。


「いえ。首輪をしていますし、誰かの飼い猫でしょう。目を覚ましたら逃がします」

「そうですか。黒猫を飼うなんて、酔狂な方もいるものですね」

「毛並みも良いですし、人懐こいです。色なんて気にしなければ、良い猫だと思いますよ」


 眠ってしまった猫をなでて、ラースが柔らかく微笑んだ。主の珍しい表情に、ルドルフも頬を弛める。


「ラースさまのそんな表情を引き出せるなら、確かに良い猫でしょうね」

「そんな表情…?」

「和んだのでしょう?その子のお陰で」

「いや…そうですね。和みました」


 否定しかけたあとで、猫を見下ろしてラース・キューバーは頷いた。寝ているのを良いことに、しなやかな尻尾に触れる。


「首輪がなければ僕が首輪を付けて、自分のものにしていたかもしれません」

「膝で眠るくらいですから、それでも良かったかもしれないですね」


 猫を見つめるラースは、普段とは比べものにならないほど穏やかな表情だ。


「…似た猫を、探して来ましょうか?」


 ルドルフの言葉でラースは顔を上げ、緩く首を振った。


「この子だから、良かったのです。代わりなんて、いりません」

「そうですか」

「寮内をぴょこぴょこ歩いているくらいですから、寮生の飼い猫でしょう。また見かけたら、捕まえて可愛がりますよ。それくらいで、十分です」

「では、次来たときのために、美味しい餌でも用意して置きましょうか。味をしめて、たびたび来るようになるように」

「良いですね。飼い主よりも懐かせて、奪ってしまいましょうか」

「今だってそんなに懐いていますからね、良いと思いますよ」


 頭の上で誘拐計画が練られているとも知らず、猫はラースの膝の上で、のん気に寝息を立てていた。




 っは、


 ぴこんっと目を覚まして、きょろきょろと辺りを見回す。ここはどこ?

 温かいが重たいなにかが身体に乗っていて、地面が緩やかに上下している。


 視界に映るものがやたら大きい…って、そうか、猫になって、ラース・キューバーに捕まって、そのまま寝落ちたのだった。


 ここはラース・キューバーの部屋で、今いる場所は、


「おや、起きたかい?」


 状況を確認しようとしていると、知らない声に話し掛けられた。

 薄いブランケットを持った二十代くらいの男性が、わたしを見下ろしていた。


 わたしがいるのはソファーで眠ったラース・キューバーのお腹の上で、彼はラース・キューバーにブランケットを掛けようとしたのだろう。


「もう帰りたいかな?もう少しゆっくりして行かない?」


 ちらりとラース・キューバーに目をやって男性が声を抑えて問う。ラース・キューバーを、起こしたくないのだろう。


「ラースさまはあまり…くつろげる時間を取れていなくてね。そんなに穏やかに眠れることは珍しいから、自然に目を覚まされるまで、待って欲しいのだけど」


 なるほど、このひとは、ラース・キューバーが本当に大事なのだね。だから、ラース・キューバーも信頼してそばに置いているのだろう。


 まあ、一飯の恩があるわけだし、あと少しなら良いかな。

 同意を伝えるべく、起こしかけた身体を戻す。


「ありがとう。ラースさまの言う通り、きみは良い子みたいだね」


 微笑んだ男性が、ラース・キューバーにブランケットを掛ける。ちゃんとわたしの顔が出るようにしてくれる辺り、気遣いの出来るひとのようだ。


「…ラースさまはね、とてもお優しい方なんだ。とても周りに気を使って、常に気を張っている方で…わたしがもっと、支えて差し上げられたら良いんだけど」


 男性が指で、わたしの耳許をなでる。


「魔法が使えない私を、ラースさまが拾って下さったんだ。そのせいで、余計に家での風当たりが強くなっているのに、そのことでラースさまが私に辛く当たることは、一度もなかった」


 発言から予測するに、彼は代々キューバー公爵家に仕える家系の出なのだろう。しかし魔法の才能を持たず、使用人にまで魔法が使えることを求めるキューバー公爵家から弾き出されそうになったところを、ラース・キューバーに拾われた、と。

 見掛けの年齢差から見るに彼が魔法を持たないと判断されたとき、ラース・キューバーはまだ自分の魔法の有無を知らなかったはずだ。それでも、魔法を持たない彼を救い上げた。


 …自分以外の非魔法保持者にはこんなに寛大なのに、どうしてその寛大さを自分に向けられないのだろうね。


「私はなにがあっても、ラースさまにお仕えし続けたい。もし、きみが誰かの飼い猫でなかったら、きみにもそうして欲しかったんだけどね」


 アニマルセラピーってやつですか。

 まあたしかに、ラース・キューバーはもっと心穏やかに生きるべきと思うね。


「…ん」


 ふと、ラース・キューバーが身じろいで目を開けた。ぼんやりした目でわたしと男性を見つめ、身を起こす。


「…起きましたか」


 目を開けたわたしを見て、呟いた。少し残念そうなのは、気のせいだろうか。


「ああ、ルド、掛布をありがとうございます」


 膝に掛かっていた掛布を剥いで、ルドさんと言うらしい男性に渡す。


「いえ。それにしても、瞳まで黒い黒猫なんて、珍しいですね」

「…言われてみれば、そうですね」


 ぎくり


 この世界ではどんな動物でも、完全な双黒は珍しい。似た色や限りなく黒に近い色ならたまに見られるが、身体も瞳も純黒と言うのは、めったに存在しないのだ。

 伝説上に登場する黒竜と言う種族は、すべての個体が完璧な双黒らしいけれど。


 余計な勘繰りをされる前に、逃げるに限る。


「あっ」


 ラース・キューバーの手からするりと抜け出して、扉へと駆け寄った。


「なー」


 開けて、とラース・キューバーを見つめる。


「もう帰るのですか?」

「なー」


鳴いて答えれば、ため息を吐いたラース・キューバーがやって来て扉を開ける。


「変な人間に、ついて行ってはいけませんよ」


 あまりにも寂しそうな顔をされたので、すり、と脚にすり寄ってあげる。


「美味しいものを用意して置くから、またおいで」


 しゃがんだルドさんに、なでられる。


「にー」


 ばいばいと尻尾を振って、部屋を出た。

 とたた、っとしばらく歩いてから振り向くと、まだ見送られている。


 …また猫にされることがあったら、来てあげようか。

 そんな姿に絆されて、そう思った。




     ё    ё    ё    ё    ё




 低い目線に入り込む、真っ黒な脚。

 触ったらふかふかそうだが、残念ながら触れない。


 なぜなら見えるそれが、わたし自身の前脚だからだ。




『猫になった黒猫 そのに』




 ラース・キューバーの部屋をあとにし、男子寮の廊下をとたとたと進む。もう戻っても良いのだけれど、もうちょっと冒険していたいような。


 てってってーっと進みながら、どうしようかと考、


「…猫?」


 考えている途中でまた、ひょいっと持ち上げられた。


「どうしたの、クララ」

「や、なんか、猫がいてさ」


 今度わたしを持ち上げたのは、合宿以来すっかりクララと言うあだ名が定着したクラウス・リスト先輩。そんなクララ先輩に声を掛けたのは、こちらはパパ呼びを見事回避したパスカル・シュレーディンガー先輩だ。


 ふたりでわたしを見下ろす。


「首輪付けてるし、誰かの飼い猫じゃない?」

「逃げ出したのかー?猫って、落としものとして届け出るべき?」

「いや、放しとけば普通に帰るんじゃない?」


 パスカル先輩が、もふっとわたしの前足を掴み、ぷにぷにと肉球を触った。


「毛はふかふかだし、肉球は柔らかいし、大事にされてる子でしょう。ひとにも、慣れてるみたいだし、きっとちゃんと家に帰るよ」

「あ、オレも肉球触りたい」


 クララ先輩がパスカル先輩に掴まれていない方の肉球を、ぷにっと触る。


「おー、ぷにぷに」


 楽しそうで結構だけど、ちょっと力強いよ?

 尻尾をぶんぶんして、不満を呈する。


「あ、ごめん。クララ、肉球触られるの嫌みたいだから」

「ん?あー、ごめんな」


 すぐに気付いてくれるあたり、パスカル先輩はさすがだ。おとなしく離してくれるクララ先輩も、ポイント高いね!


 猫目線でふたりを評価していると、あらたなる人影が現れた。


「あれ、クララにパスカル。どうしたの?」

「あ、ブルーノ先輩。スー先輩に、ラフ先輩も」


 声を掛けて来たのはるーちゃん。その後ろには、スー先輩とラフ先輩も居た。廊下で突っ立ってたら、なにしてるの?ってなるよね。


「いや、猫がいて」

「猫?」


 首を傾げたるーちゃんが、ぴょこんとクララ先輩の手元を覗き込む。


「あ、ほんとだぁ。可愛い」


 すごく自然な動きで、るーちゃんがクララ先輩の手からわたしを抱き上げる。


「わぁ、ふかふかぁ。すこく毛並み良いねぇ。誰の飼い猫だろう?」

「黒いな」


 端的に特徴を口にしたラフ先輩は、わしわしと大きな手でわたしの頭をなでた。


「猫か」

「にゃー」


 猫ですね。


 スー先輩の言葉に鳴いて答える。


「首輪してるから、誰かの飼い猫かなぁ。ふかふかで、ちっちゃくて、ほんと可愛いねぇ。それに、なんだか…」

「ああ」

「そうだな」

「ですよね」

「あ、やっぱりそう思いますー?」


 るーちゃんは途中で言葉を止めたのに、まるでその先がわかっているかのごとく、みんなで返事をする。


 顔を見合わせ頷き合って、わたしを見下ろし声を揃えた。


『エリアルに、似てる』


 にゃんだと…違う、なんだと。


 そろった声にむうっとなったわたしとは対照的に、先輩方は笑いながら、やっぱりそうかと言い合っている。


 マルク・レングナーも言っていたけれど、なんでみんな、黒猫を見てエリアル・サヴァンを思い浮かべるかな。確かに黒猫とか言われているけれど、猫に似てはいないぞ、わたしは。


 ぶーっとむくれるわたしに構わず、可愛い可愛いとしばらく愛でられる。


 ふむ。抱くのはるーちゃんが上手いが、なでるのは今のところラース・キューバーがいちばん上手かったな。


 そんなことを思っていたところで、さらなる乱入者が現れる。


「あ、いたいた。おい、お前ら、呼び出しといて遅刻とか、なんだよ」


 白銀の髪に葡萄色の瞳、クララ先輩並みに荒っぽい喋り方。騎士科三年の、ウルリエ・プロイス伯爵子息だ。どうやら三年の三人と、待ち合わせ中だったらしい。


「あ、ウル。ごめん、忘れてたぁ」

「ブルーノ、てめぇ…って、んん?」


 眉を寄せたウル先輩が、るーちゃんの腕の中にいたわたしを鷲掴みで奪い取った。


「んだこいつ。猫か?」

「み゛ぃ゛」


 鷲掴みはやめて下さい。


 みょーんと伸びる背中の皮を感じつつ、離せぇ!と尻尾で反撃する。


「ちょっとウル!やめてよぉ!可哀想でしょう!?」


 るーちゃんがべしりとウル先輩の手を叩いてわたしを取り返す。


「大丈夫ぅ?痛くなかったぁ?」

「みー…」


 背皮、伸びてません?大丈夫?


 ぺたりと耳を倒して、るーちゃんの胸にすり寄る。


 どうかウル先輩には、渡さないで下さい。


 さり気なくわたしを守るように、先輩方がるーちゃんとウル先輩の間へ身体を割り込ませる。


「んだよ、猫なんだから、それくらい平気だろ?」

「こんなちっこいんすよ?いじめちゃ駄目っす」


 おお、クララ先輩、わたしのために先輩に逆らって下さるのですか。


「そうですよ。きっと大事にされてる子ですから、そんな乱暴にされたら、びっくりしちゃいますって」


 パスカル先輩まで…。


「そうだぞ、ウル。小動物は乱暴に扱っては駄目だ」

「だからお前は、猫に嫌われるんだ」


 スー先輩とラフ先輩にまで責められて、ウル先輩が決まり悪そうに頭を掻く。


「あー、おー、悪かったって。そこのちび、悪かったな。許せ」


 近付かないままわたしに向かって謝罪し、思い付いたように言う。


「そうだ、干し肉あるぞ干し肉。塩使ってないやつだし、食えるだろ?やるよ。クララ、そのちびにやってくれ」


 荷物から干し肉を出して、クララ先輩経由でわたしにくれる。


 普段なら味付きじゃないお肉なんてごめんだが、今は猫。朝からミルクしか口にしていなくて空腹だったこともあり、ありがたく頂く。う、固いな…。


「…まじで可愛いなこいつ」

「だね」

「ああ」


 るーちゃんから降ろして貰い、床の上でがじがじと干し肉と格闘するわたしに、視線が集まる。


「…そのちびのせいで遅れたんだな?」

「ああ。悪かったな」

「いや、可愛いから許す」


 許すんかい。


 ラース・キューバーと言いテオドアさまと言い先輩方と言い、騎士科男子の猫好き率高いな!


 内心突っ込みつつ、お肉をかじる。むう、噛み切れない。がぶがぶ。


「つか、誰の猫だ?そいつ」

「さー、なんか、廊下を歩いてたんすよね」


 お肉と死闘を繰り広げるわたしの周りにしゃがみ込んで、かわりばんこにふかふかボディをなでながら、先輩方が会話を交わす。


 図体でかい男子高校生が集まって輪になってしゃがんで猫を愛でるって、可愛いな、おい。ギャップ萌狙いか!?


 まあ、干し肉を食べているあいだくらいは、愛でられてあげますけれど。もぐもぐ。


 ふっかふっかとなでられながら、しばし歓談に耳を傾ける。

 男子高校生らしい会話とか、聞けないものですかね。


「そう言や、冬の演習合宿どうなんだ?そろそろ、行き先決まんだろ?」

「ああ、そんな時期なんだが…ちょっと揉めているらしくてな、まだ掛かりそうだ」


 む、期待していたのとは違うけれど、興味深い話ですね。


 お肉をかじるのと、ふぃふてぃーふぃふてぃーくらいの意識で話を聞く。かみかみ。


「揉めてるんすか?あ、殿下の行き先とか?」

「いや、そこは近衛騎士団で即決だった」

「あー、妥当なところですね」


 ほーほー、ヴィクトリカ殿下は近衛騎士団に行くのか。うん、王太子だし、そうなるよなぁ。むぐむぐ。ちょっと顎が疲れて来た…。


「あ、もしかして」


 るーちゃんがぺちんと手を打って思い付いたように言う。


「エリアルの行く先のせいだったりするぅ?複数の騎士団で取り合いになってるって噂、本当だったのぉ?」

「噂になっているのか…」


 え、わたしですか?


 唐突に出た自分の名前に、ぱっと顔を上げる。はぐはぐ。


「…誰がばらしたか知らないが、あまり言いふらすなよ?」

「じゃあ、本当なんだ」


 スー先輩は肩をすくめただけで、明言しなかった。


 ええ、揉めてるの?わたしのせいで?と言うか、取り合い?押し付け合いじゃなくって?


「ブルーノも一年のとき揉めてたからな。どこも欲しがるやつが取り合われんのは、仕方ねぇだろ」

「僕以上に揉めるでしょう。夏二回の演習合宿であれだけ成果出しているし、料理も出来るし、可愛い女の子だし」

「うーん、最後の一個は、騎士団として理由にしちゃ駄目じゃないすか?気持ちは、わかりますけど。さすがに冬の演習合宿は、女子の参加者が各段に減るし」


 るーちゃんの可愛いって、お世辞じゃなかったのだね。枕詞かと思っていたのだけれど。


 ここだけの話だぞと念押しして、スー先輩が言う。むぎぃ…あ、ちょっと噛み千切れた。


「…聞いた話で今のところ有力なのは王都の騎士団いくつかと、フリージンガー団長のところだな。と言うか、フリージンガー団長が奪い取りそうなのを、王都の騎士団が総出で王都に来させようと必死になっている状態、か」

「相変わらず強いな、フリージンガー団長は」


 フリージンガー団長って、あれか、るーちゃんが気に入られているって言う。


「普段問題児を押し付けて借りを作りまくってる関係上、みんな強くは言い辛いんだろう。うっかり嫌われて問題児を引き受けて貰えなくなっても、困るしな」


 うんうんと頷いてウル先輩がわたしの頬を指で掻く。


「まー、おれとしては、フリージンガー団長に勝って貰いてぇとこだな。エリアル、強ぇし、良いやつだし、一緒にいんの楽しいからな」

「…王都周辺に行くことになんのは、変わらないんすよね?」

「だろうな。そこは、国の上層部から厳命されているらしい。…ああ、クララとパスカルの行く先はあっさり決まってたぞ?よろしく伝えといてくれと、伝言だ」

「「あああーっ」」


 スー先輩の言葉を受けたパスカル先輩とクララ先輩が、同時に叫んで頭を抱える。むぐ…むぎぃ…うう、旨味は出るのに噛み切れない。


「せめて、せめてアルくんがいれば、癒しだったのに…!」

「オレたちには、その望みすらないのかぁー!!」


 忘れようせめて直前までは…!そう呟いて、パスカル先輩がわたしを抱き上げる。


「それ、きみにはでっか過ぎるんでしょう?切ってあげるから、ちょっと貸して?」


 本当に現実逃避をするらしいパスカル先輩がそう言って、わたしの干し肉を取る。

 どこに隠し持っていたのかハサミを取り出して、小さく切って口許に差し出してくれる。


「なー」


 ありがてぇ。はむ。うむ、食べやすい。


 パスカル先輩の膝の上でひとかけらをあぐあぐしている間に、パスカル先輩の手の上に細切れ干し肉がこんもり貯まる。


「ふふ。ほーら、ゆっくりお食べー。あー、本当に可愛い」

「そーだなー。あー、こいつ連れてけねーかなー…」


 少し疲れた顔で、パスカル先輩とクララ先輩がわたしを愛でる。


 …いや、うん、先輩方がそれで癒されるのでしたら良いですけれどね。でも、演習合宿にわたしを連れて行くのは無理ですからね?


 手の上の干し肉を食べていると、パスカル先輩から空いた片手で腹肉をなでなでもみもみされる。ちょっとちょっと、セクハラですよ。まあ、猫ですが。それと、クララ先輩、間違って噛みそうになるから、鼻をなでるのはやめて下さい。


 現実逃避に勤しむ後輩を心配したか、ウル先輩が眉を下げた。


「…ほんと病んでんな。大丈夫かお前ら?おお、そーだ、あれだ、ほら、下の学年とか中等部で流行ってる、お守り?あれとか買ってエリアルだと思っとけば?黒猫柄のやつあったろ?」

「お守りくらいじゃ、足りない…」

「金払うから、アル、歌入りのぬいぐるみとか作ってくんねーかなー…」


 やばいがちで病んでる…!


 お肉を食べるのを一時中断して、パスカル先輩とクララ先輩の手を舐める。元気出して下さいな。


「おら、お前らがこんなだから、ちびが心配してっぞ?元気出せよ、な?」


 ウル先輩ががしがしと、ふたりの頭をなでる。乱暴だし不器用だが、優しいひとだ。


「そうですね…落ち込んでても、変わらないか…。ありがとうございます、ウル先輩。きみも、ありがとう」

「辛いのはオレらだけじゃねーっすもんね。あざす、先輩。ちびも」


 なんとか持ち直したふたりが、顔を上げて微笑む。ほっ…。

 …ところでその、ちびって言う呼称は確定なのでしょうか?


「それで良い。あんま落ち込むと、流れ弾でブルーノが…遅かったか」


 え?


 なにごとかと目を向けた先で、るーちゃんがどんよりしていた。しかも、その隣のスー先輩まで曇り空になっている。


「ごめんパスカル。その癒し、僕にも貸してぇ?」

「あ、はい。あの、どうかしました…?」


 ぎょっとして首を傾げつつも、パスカル先輩がわたしをるーちゃんに回す。細切れの干し肉は、スー先輩の手に渡った。


「…最近方々から、勧誘がうるさくてな」


 わたしに干し肉を与えつつ、スー先輩がため息を吐く。

 わたしをもふりながら、るーちゃんもため息を吐いた。


 ふたりとも、幸せが逃げますよ?


「勧誘だけじゃなく、縁談もうるさくてぇ…」

「…うわ」


 パスカル先輩が、訊くんじゃなかったと言う顔になる。ひとごとじゃないからだろうな。


 ウル先輩が頭を掻いて、肩をすくめた。


「ま、一年後のお前らが悩むことだな。体験談は聞いとけよ?」

「もぉ!ウルはひとごとだからってぇ!!」

「さっさと行く先と婚約者決めとかないのが悪ぃんだろ?」

「行く先は決めてるよぉ。一般騎士って、高等部入ったときには決めてたぁ!」

「その行く先が、お前にゃ役不足だって思われてんだろ?ま、それは行きたいとこに行きゃ良いとして、婚約者はどうなんだよ?スーもブルーノも、ついでにラフも、ちゃんと好きなやつは捕まえとけよな」


 おお、ついに恋バナですか!?良いね良いねぇ。他人の恋バナで干し肉が進むよ。うまうま。


「簡単に捕まえられたら、苦労しないよぉ…」

「「…」」


 おっと、思わぬ流れ弾でラフ先輩まで難しいお顔に。


 るーちゃんの台詞とほかふたりの沈黙加減。なかなかに難しいお相手に片思い、ですかね?先輩方に片思いの相手がいたなんて、初めて知りましたよ。


 簡単に掴まらない相手…身分違いとか、年齢差とかかな?お相手、誰なのだろう。まさか人妻だったり、しないよね?


「…なら、諦めんのか?」

「まさかぁ。幸い、家族の理解は得られたからねぇ。諦めるつもりはないよ。でも、代わりに縁談は自分で捌けって言われてさぁ…」

「…相手が結婚するまでは、望みがあるだろう」

「そうだ、な」


 あ、良かった。三人とも、人妻狙いではないみたいですね。


 そしてそこで諦めるとならない辺り、告白して振られたとかではないのか。なにか、告白出来ない事情?


「み、」


 不意にがしっと、るーちゃんに抱き締められる。もふりと、後ろ頭にるーちゃんの顔が乗った。


「きみみたいに小さければ、籠に入れて隠しちゃうのになぁ」


 ま さ か の ヤ ン デ レ 宣 言 … ! ?


「おいブルーノ、ちびが怯えてる。やめろ。スーもお前、顔怖ぇから。んで、ラフは、好い加減伝えろよ、このヘタレ」


 固まったわたしを、ウル先輩が救出。ありがとうございます。しかし、ラフ先輩にヘタレなんて、言えるのウル先輩くらいだと思いますよ。と言うか、ウル先輩はラフ先輩の好きなひと、知っているのか。


 スー先輩からお肉も奪い、ウル先輩が立ち上がる。


「腹減った。帰る」


 え、いや、ウル先輩、呼び出されたんじゃ…。


「お前らの空気でこっちまで盛り下がったわ。五人で剣でも振って、気分変えて来い。話はそれからだ」


 げし、とラフ先輩の背中を蹴って言い放つと、返事も待たず歩き出す。わたしを抱えたままずかずかと歩いて、着いたのは寮の中庭。ベンチの上にわたしを乗せ、ほら食えとハンカチを敷いた上に干し肉を置く。


「身体動かしゃ気分も変わるだろ。ったく、真面目過ぎんだよあいつら」


 わたしの頭をなでて、ぼやく。

 …ああ、さっきのはウル先輩なりの、激励だったのだね。


「好きなやつに好きだっつって、ずっと一緒にいる。そんだけのことが、なぁんでこう難しくなっちまうかねぇ」

「にー…」


 ずっと一緒は、難しいよ。


 干し肉をかじりながら、ウル先輩を見上げる。


「あー、ユリアに会いてぇな」


 しみじみと呟かれる言葉に、ウル先輩の婚約者さんは幸せだろうなぁと思う。愛して、愛されて。お互い心から望み、周囲からの祝福を一身に受けて結婚する。貴族の中では、とても難しいことだ。

 家柄、情勢、時の運。すべてが味方してやっと、叶うことだろう。


「なぁ」


 末永く、爆発して下さいね。


 日向ぼっこでのんびりとした時間を過ごしてから、わたしはウル先輩に見送られて中庭をあとにした。




 ああ、そうそう。


 病んでいた先輩方には後日、お腹を押すとにゃーと鳴くように魔法を掛けた黒猫のマスコットをあげました。ウル先輩には婚約者さんとふたりで持てるよう、ペアのマスコットを。


 少しは、癒しになると良いのだけれど。




     ё    ё    ё    ё    ё




 日の当たる寮の庭先を、てってってーと歩く。

 現在地は、どこだ…?


 普段よりはるかに低い視点で、わたしは周囲を見回した。




『猫になった黒猫 そのさん』




 ウル先輩と別れたあと、さてこれからどうしようかと考える。

 好い加減、帰った方が良い気がする。


 いつ元の姿に戻るのかも、定かではないし…。


「!」


 覚えのあり過ぎる足音と気配に、反射的にそばの茂みに飛び込んだ。

 木々の隙間に身を寄せる。なんだか少し、幼い頃に戻った気分だ。


「ツェツィーリア嬢?どうかした?」


 近付く足音の主たちの声が、聞こえて来る。


「…アルの気配がした気がしたのだけれど、気のせいかしら?」


 …なぜわかる。


 きょろきょろと辺りを見回しながら呟くツェリに、内心で突っ込む。


「エリアルですか?姿は見えませんが」

「と言うかアルねぇさまがいたら、ツェリに声掛けるでしょ、普通に」

「そうよね」


 会話を交わしつつ通り過ぎようとした中の、ひとつがすぐそばで止まる。


「テオ?どうしたんです?」

「猫の気配が…」


 な ぜ わ か る …!?


 集団から離れた足音はこちらに近付き、がさりと茂みを掻き分けた。


「いた」


 捕まる前に、逃げ、


「黒猫?」


 る、前に、水の魔法で捕まった。

 …猫を捕まえるくらいで、魔法発動しないで下さいお嬢さま。


「あなたの気配とアルを間違えたのかしら?」


 わたしを両手で抱え上げたツェリが、顔を付き合わせたまま首を傾げる。

 胴が伸び、宙に浮いた後足がぷらんと揺れる。猫って、すごく伸びるよね。


「にゃあ」


 猫とひとを混同しては駄目ですよ。


「子猫ですか?」

「小さいけれど、子猫と言うほどではなさそうね」

「アルねぇさま、猫になったの?」


 レリィその結論とても怖い。


 わたしの顔を覗き込んだレリィに、アーサーさまが苦笑して言う。


「さすがに猫にはならないでしょう」

「でも、アルねぇさまよ?」

『………』


 どうしてそこでみんな黙るの。ならないから。わたしべつに化け猫とかではないから。


「まあ、アルではなさそうよね」


 暴れて逃げようとしたわたしを収まり良く抱き変えてから、ツェリが言った。くりくりと、耳をなでている。


「通信石がないわ」

「ああ、言われてみれば」


 …言われてみれば。

 はじめ鏡で確認したとき、わたしの装着品は首輪だけだった。通信石は、どこに行ったのだろう。


「アルの首輪なら、おちびさんには大き過ぎるはずだし」


 ちょんと首輪の鈴をつついて、ツェリが言う。


 つまり、首輪も通信石も、偽装されたと言うことか。いや、そもそも、猫とわたしでは質量からして違うわけで…。

 モモがどんなことが出来るのかは、きちんとチェックすべきだな。


 猫では出来て盗み聞きくらいだが、たとえば鳥や虫になれるのならば、出来ることは格段に増える。鳥や羽虫ならば猫よりも行動範囲を広げられるし、秘密の会話を蝿が聞いていたとして、誰が気にするだろうか。渡り鳥が国境を越えて怒る人間なんて、まずいないだろう。


 元はモモととりさんのうっかりとは言え、なかなか興味深いことが、


「に゛っ」


 考えごとをしているなかで唐突に引っ張られて、ぎょっとする。

 慌てて状況を確認すれば、ツェリの手からテオドアさまの手に移されようとするところだった。


「ふかふかだな。良い毛並みだ」


 ひいぃぃいっ


 若干、いや、若干どころではないレベルで目がイってしまっているテオドアさまに、おののく。


 待って。やだやだ。離さないでー!!


 身の危険を感じたわたしは、テオドアさまに蹴りを加えつつツェリの胸にしがみ付いた。


「わっ」

「きゃっ」


 二ヶ所で悲鳴が上がるが、そんなの気にしている場合じゃない。わたしは、生きたい。


「…もう、どうしたのよ突然暴れたりして」

「テオが嫌だったんでしょう。義姉上あねうえ、怪我はありませんか?」


 アーサーさまがそっと、ツェリの腕からわたしを取り上げる。


「爪は出ていなかったから大丈夫よ。驚いただけ」

「賢い猫ですね。首輪もしているし、きちんと躾られた飼い猫でしょう」


 アーサーさまがこしょこしょと喉元をなでる。ごろごろ。


「黒猫に赤い首輪なんて、アルねぇさまそっくりね」


 どうやら猫=エリアル説は消えたらしい。みなさま常識的で良かった。

 そっとわたしの頭をなでて、レリィが言う。


「誰かが、アルねぇさまに見立てて飼っているのかしら?」

「…つまりその誰かは、アルに首輪を着けて飼いたがってるってこと?」


 そう言うといかがわしい感じですね。なんだかとっても、ヤンデレ臭を感じる。


「エリアル嬢に首輪、ね」

「ちょっとヴィック、本人がいないからって良いかもみたいな口調で言わないでちょうだい」

「でも、似たようなことは考えているだろう、みんな」


 え、ヴィクトリカ殿下そんな、冗談、ですよ、ね?


『………』


 待ってみんなしてそこで黙らないで。

 えっ?そう言うことなの?みんなしてエリアルさん監禁とか狙っているの?

 大丈夫ですよエリアルさんそこまで危険人物じゃ、


「いっそ閉じ込めてやろうとは、思わなくもないわね」


 ひっ……


 嫌だなツェリったら、わたしそんな怒らせるようなことしましたか?


「物理的に、と言うよりは、精神的な首輪が欲しいですが」


 あ、アーサーさままでそんな黒い台詞…!?


「首輪着けて、手に入るならな」


 て、テオドアさま、目が怖い。目が怖いですから!


「でも、エリアルに首輪なんて無理ですわ」


 リリア、それ、可能ならやりたいみたいに聞こえ、


「馬鹿ね」


 戦々兢々に陥ったわたしを抱き上げて、レリィが呆れ顔をした。

 よしよしとわたしの背中をなでながら、周囲の面々を見回す。この中でいちばん背の低いレリィなのに、その姿には貫禄があった。


「猫を捕まえて閉じ込めるなんて、馬鹿げてるわ。檻に入ってなにもしない愛玩動物が欲しいなら、ぬいぐるみでも抱いていれば良いのよ!」


 わたしの頭に頬を寄せて、すん、と鼻を鳴らす。


「この子、日溜まりの匂いがするわ。この子の毛並みがこんなに綺麗なのは、怪我しないように閉じ込めてお風呂に入れてブラッシングしているからじゃないのよ。自由に外出させて、目一杯元気に生きさせているから、こんなに生き生きと綺麗な姿をしてるんでしょ」


 ね、と頬笑むレリィに、にゃあ、と鳴いて答える。

 レリィは、そうよね、とにこっと笑って頷いた。


「猫を信じて自由にさせてあげる度量のない人間に、猫を飼う資格なんてないわ。ぬいぐるみや人形じゃない。自分の意思を持って動く、生きものよ。都合良くだけ動かそうだなんて、間違ってるの」


 やっぱり、大物だな。思いながら、ぺろ、とレリィの頬を舐める。

 レリィは、ちょん、とわたしの鼻に鼻を当ててから、そっと地面に降ろしてくれた。


「散歩の邪魔をしてごめんなさい。ばいばい」

「にー」


 手を振るレリィに尻尾をひと振りして、速やかにその場を立ち去る。あそこはきっと、レリィが上手く治めてくれるはずだ。


 とっとっとっと、足早に駆け出す。

 もう、部屋に戻ろう。




―ねえとりさん、わたし、監禁を狙われているかもしれないのだけれど

―今さら気付いたの?


 部屋に戻って相談したわたしに、とりさんは呆れたようにそう返した。


 …どうやらわたしが気づいていないことが、まだまだあるみたいだ。




 エリアル・サヴァンそっくりの黒猫が寮内をうろついていたことが噂になり、飼い主探しが大々的に行われるのは、またべつのお話。

 

 

 

拙いお話をお読み頂きありがとうございました


続きも読んで頂けると嬉しいです

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