取り巻きCと水難の相 そのはち
お久し振りになってしまい、誠に申し訳ございませんでしたm(__)m
怪我などの描写あり
取り巻きC・エリアル視点
ようやくの帰り道
なかなか聴く機会のない低い声で、わんちゃんことヴァンデルシュナイツ・グローデウロウス筆頭宮廷魔導師は言った。
―……戻ったら、すぐに来い
これは怒られるなと思ったわたしは瞬間答えを迷い、
―いや、俺が迎えに行く。大人しく、待ってろ
その逡巡の間にわんちゃんは意見を変えた。
……気付かれた、かな。
返事も待たずにふつりと途切れた通信に、わたしは細く溜め息を吐いた。
どうもこんにちは。怒られフラグ乱立中のエリアル・サヴァンです。
魚に襲われ、スープで火傷し、極めつけには鉄砲水。どうにも水に難ありらしい今日この頃、それでもどうにか生きていて、ただいまようやく帰途に着いております。
こっぴどく怒られた上に、真剣に心配されはしたものの、教師陣の判断で自力帰還が許されました。
心配された二次溺水も今のところ兆候は見られず、マルク・レングナーはラース・キューバーに背負われている。オズヴァルト・ヴァッケンローダー子爵子息は負傷が腕だからと、背負われることは固辞した。それでも、心配したヨハン・シュヴァイツェル伯爵子息が直ぐ隣を歩いているけれど。
さて、怪我人のヴァッケンローダー子爵子息と、お荷物の馬鹿狐を抜いて、班員は10名。
荷物は丸太5本と巨魚が2匹に木の実と蔓。さらに馬鹿狐と、野営道具もある。細々とした荷物は手分けして、魚はひとりで2匹持てるとみなしても、丸太と魚と狐合わせて7名は運び手が必要な計算だ。
ずっと丸太を持ち続けるのは無茶なので、ローテーションを行いたい。ならば、10名フルで回すべき、なのに。
「エリアルとヨハンは魚と木の実頼む。下まできっちり運んでくれ」
ウル先輩ことウルリエ・プロイス先輩は、わたしとシュヴァイツェル伯爵子息に魚を手渡した。それも、ローテーションに加えるつもりはないと言う、意思表示付きで。
「ウルせんぱ、」
「ん?ああ、辛かったら言えよ?無理に持たなくても良いからな」
あ、駄目だこれ。
にっこり笑顔(威圧付き)が意味するところを理解して、わたしは閉口した。下手に反論しようものなら、魚すら持たせては貰えなくなるやつですよ。
「……ウル先輩こそ手助けが必要でしたら、言って下さいね」
それでもせめてと、一言は食い下がる。お荷物扱いされるのは、嫌なのだ。
ウル先輩は笑って私の頭を撫でると、軽々と木を背負った。前回の合宿や、街のひとたちの手伝いをする中でも感じたことだが、この世界のひとは前世のひとより筋力が高いと思う。
魔法なんてものも使えることだし、同じに見えても前世の人間とは、身体の造りが違うのかもしれない。
荷物を背負って黙々と下山するなか、ふとわたしの顔を見たシュヴァイツェル伯爵子息が顔をしかめ、ウル先輩に声を掛けた。
「ウルリエ、休憩にしろ」
「ん?」
振り向いたウル先輩を見留め、シュヴァイツェル伯爵子息が目線でわたしを示す。
ウル先輩まで、大袈裟に顔をしかめた。
その反応に気付いたほかの面々もわたしに目を向け、顔をしかめたり目を見開いたり眉を寄せたり、一様に悪いものを見た方向で表情を変えた。
「……?」
キョトンとするわたしの頭を、シュヴァイツェル伯爵子息が掴む。
「女が顔に傷を作るな。このおおばかねこ」
「顔に傷……?」
言われて持ち上げた手は、道半ばで留められる。わたしの手を掴んだシュヴァイツェル伯爵子息が、もう一方の手で手巾を取り出してわたしの頬へと当てる。
ちりっと、かすかな痛み。頬から離れた手巾は、じわりと赤く染まっていた。
「……おや」
「気付いていなかったのか?」
「枝にでも、引っ掻けましたかね?」
「気付いていなかったのか」
二度目は明らかに、呆れたトーンだった。
「放っておいてもすぐ治りますよ」
「それをワタシが許すと思うのか?」
ウル先輩にゴディ先輩まで加わって、三人掛かりで荷物を奪われ、座れと命じられる。
「女の子だからじゃないよ?男だって、顔に傷があったら受けが悪い。騎士は、女性や子供の相手も必要なんだからな」
「つか、血が凄ぇぞ?これで気付かねぇとか、相当疲れてんだろ。休憩だ休憩!全員荷物降ろせ!キューバーも、レングナー降ろして休めよ?悪ぃな、ずっと背負わせて」
「いえ。マルク、降ろしますよ」
ラース・キューバーは自らマルク・レングナーの担ぎ手に名乗り出、ずっと背負っていた。華奢とは言え、自分よりも長身な男だ。重くないはずはないだろう。
ウル先輩が手を貸してラース・キューバーからマルク・レングナーを降ろさせ、その間にわたしは頬を手当てされる。
「……これだけ出血があって、なぜ気付かない」
「申し訳ありません。少し、注意力散漫でした」
どうやらそれなりに深かったらしい傷に、そっと目を逸らす。シュヴァイツェル伯爵子息は濡らした布でわたしの頬を丁寧に拭うと、そっと薬を塗り付けた。当て布をされ、包帯を巻かれる。
そんなに深い傷だったのか。
全くもって気付いていなかったので、決まりが悪い。
「出血の割に深くはない。が、学院に戻ったらすぐ、メーベルトにでも診て貰え。創傷部が荒れている。きちんと治さないと痕になるぞ」
「あ、はい。ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げると、顔を覗き込まれた。
ぺそりと、傷のない方の頬を触られる。
「熱はない、か」
「?」
「疲れが出たか?辛いなら言え。お前ひとりくらいなら、背負える」
そう言ったシュヴァイツェル伯爵子息の目には、わたしに対する気遣いが感じられた。だんだんと態度が軟化しているのには気付いていたが、ここまで内に入れられているとは思わなかった。
……だって、完全に敵対勢力の人間だよ?
ぽかん、としてしまっていたのだろう。
「何か文句でもあるか」
「えっ、いえ、お気遣いありがとうございます。少し休めば、大丈夫です。足を引っ張ってしまい、申し訳ありませ、むぎぅ」
ついと目を細めたシュヴァイツェル伯爵子息に、唇をつままれた。なんて強引な黙らせる(物理)……!
「初日にウルから言われていないか。一年は、足を引っ張るのが仕事だ。ワタシたちの指導力や支援技術を育てるためのものでもあると言うのに、お前は働き過ぎだ。このおおばかねこめが!」
「ええっ!?いえあの、べつに先輩方の役目を奪おうとか、そう言うつもりは……」
「それならば、荷物を減らされたワタシにお前の分の荷物を差し出すくらいするな?」
それは。
「するだろう?」
……ずる賢い所も、あるじゃないか。
「渡すと、私の荷物が」
「全部は取らない。魚だけだ」
「でも」
「それとも、荷物ごと背負われるか?」
いや、あのね?
どう言いくるめから逃れようかと頭を回転させるわたしの顔を、シュヴァイツェル伯爵子息が覗き込んだ。ちらりとウル先輩を見、潜めた声で言う。
「ああ見えて、ウルは精神的に弱い。お前の顔の傷のこと、半年は気に病むだろうな」
「……え?」
「表に出さないだけで、重圧を感じない訳じゃない。必要だから決断するだけで、非情な訳じゃない。情に厚いことは、お前もわかるだろう。あれは、装っているだけでそこまで強い男じゃない。生真面目で、優しいだけの男だ」
思わずウル先輩を見て、すとん、と納得してしまった。
途端、ウル先輩に対して心のどこかで持っていた警戒と畏怖が、ほどける。
確かに、彼の非情さと決断力、求心力は恐ろしい。しかし、彼は心ない岩木ではなく温かな心を持つひとなのだ。
そしてそれは、目の前のシュヴァイツェル伯爵子息も同じ。
この世界はゲームに似ているけれどゲームではない。
すべてのひとが心を持ち、確かに生きているのだ。
シュヴァイツェル伯爵子息が、ウル先輩の意識の方向を気にしながら続ける。
「少しでもウルに情を持つなら、これ以上怪我はするな。騎士科だろうが心意気がどうだろうが、お前が女であることは変わらない事実だろう。女の、しかも後輩を傷だらけにしては、誰だって寝覚めが悪い」
言うだけ言ったシュヴァイツェル伯爵子息が、至って自然な動きでわたしから魚を奪う。
剣ダコのある骨張った手が、頭をなでた。
声量を戻して、ウル先輩へと振り向く。
「ウル!そろそろ良いだろう。いつまでも休んでいては、刻限に間に合わない」
「お?ああ、そうだな」
ああ、畜生。
反論、出来ないじゃないか。
シュヴァイツェル伯爵子息の声でこちらを向いたウル先輩が、ほんの一瞬だけ見せた安堵の表情に気づいてしまったわたしは、ぐっと詰まって額を押さえた。
浅く長く息を吐いて、立ち上がる。
「ご迷惑をお掛けして申し訳ありません。もう大丈夫です」
「おう。ほかのやつらは平気か?」
わたしに笑顔を向けたウル先輩が、班員を見渡す。マルク・レングナー以外の班員が、立ち上がって頷いた。
「よし。それじゃ行くぞ!」
ウル先輩の掛け声の下、下山が再開された。
それからはなにごともなく、無事に下山出来た、と、言えれば良かったのだけれど。
蓄積された疲労に、重い荷物、ぬかるんだ足元。
事故の危険性は、極めて高い状況だった。
「っ、」
「うわ、」
「キューバー!っ、アクセル危ないっ」
ラース・キューバーが足を滑らせた。
ラース・キューバーに背負われていたマルク・レングナーが、体勢が不安定になったことに驚いて手を振り回した。
マルク・レングナーが振り回した手が、横を歩いていたアクセル・オクレール先輩の荷物を引っ掻けた。
マルク・レングナーに荷物を引っ張られたアクセル先輩と、アクセル先輩の重さに引っ張られたラース・キューバーが、共に完全に体勢を崩した。
話にすれば、それだけのこと。転んで怪我はするかもしれないが、打ち所でも悪くなければ死ぬはずもない。
ここが、むき出しの岩が転がる山地でなかったならば、だけれど。
マルク・レングナーが倒れ込んだ先は崖の淵が口を開いていて、アクセル先輩が倒れ込んだ先は尖った岩の上だった。疲れきった身体に、踏み留まる余裕はない。
「――っ」
大荷物を抱えた班員のなかで、最も身軽だったのがわたし。
ふたりの腕を力一杯引き、倒れる方向を無理矢理修正する。四人、もつれ合ってぬかるんだ地面に飛び込んだ。音の壁を張り、泥まみれだけはなんとか回避。
「――ぅ」
男三人分の重圧が、下敷きとなったわたしに掛かる。瞬間、息が詰まった。
「っっ、」
漏れそうになった咳を、気力で抑え込む。間違っても咳など溢さぬよう、浅く慎重に、息を吐いた。
「ばかねこ!大丈夫か!?早くどけ!!」
シュヴァイツェル伯爵子息が荷物を放り出し、アクセル先輩たちを引っ掴んで退けると、汚れるのも厭わず地に膝を突き、わたしを抱き起こした。
心配そうな顔に微笑みを返すと、手を借りて立ち上がる。
「大丈夫、です。ありがとうございます」
「本当か?」
「魔法で衝撃を殺したので。ほら、泥も付いていないでしょう?」
笑って無事な背中を見せれば、ひとまず納得してくれたらしく、ほっと息を吐いて頷いた。打って変わって低い声で、ウル先輩を呼ぶ。
「ウル」
「ああ」
その場で、休憩と荷物チェンジが行われる。
マルク・レングナーを背負うのはウル先輩。ラース・キューバーが魚を持ち、シュヴァイツェル伯爵子息が丸太のローテ入り。
「あの」
「お前はさっきみたいなときの救助を頼む。出来る範囲で良いから」
そしてわたしは相変わらず、木の実と全員分担の荷物のみだ。
「足元滑るから気を付けろよ。……あんまり慎重になり過ぎても、逆に危ねぇけどな」
へっぴり腰は、滑るからね……。
注意するウル先輩は安定しきった足取りだ。ぬかるんだ道にも揺らがない。ゴディ先輩やシュヴァイツェル伯爵子息、ラグスター男爵子息も。さすがは三年生、だろうか。
対して二年生は表情が緊張していて、ラース・キューバーは若干の覚束なさを感じる。
シュヴァイツェル伯爵子息が良い感じの棒を拾って、ラース・キューバーに持たせた。小声で助言を投げている。
「……」
確かに救助隊は必要とは言え、荷物持ち免除は心苦しい。
「~♪」
小さな声で、歌を口ずさんだ。魔法を乗せて、気休め程度の癒しを。
歌に気付いて振り向いたゴディ先輩へ、静かにとジェスチャーで伝えて黙っていて貰う。ウル先輩は魔法に気付いたらしく、振り向いて微妙な顔をしたが、黙認してくれた。
歌の効果がどれほどあったかはわからないが、それからは大きな問題もなく地上に辿り着けた。
馬車に揺られて、学院へと戻る。行きとは違い二頭立てで小型の、速度重視な馬車だ。一刻も早く帰還せよと言う、無言の指示なのだろう。
椅子やタイヤも良いものなのか、振動をあまり感じない。これなら、骨折に響きもしないだろう。
ゆっくりと息を吐いて、椅子に身体を埋めた。
「なにもなければ、間に合いそうだな」
同じ馬車に乗ったウル先輩が、窓の外を見て言う。行きより小型な馬車の、定員は四名だった。同じ馬車にはウル先輩とラグスター男爵子息に、マルク・レングナーだ。ラグスター男爵子息がわたしの隣に、ウル先輩がわたしの前に座っている。
もう二台の馬車にはそれぞれ、ゴディ先輩、シュヴァイツェル伯爵子息、ヴァッケンローダー子爵子息、ラース・キューバーで一台と、残りの二年生組で一台だ。
ウル先輩に指示されたこの組分けは、つまり負傷者+監督者の組と残りなのだろう。わたしが負傷者にカウントされたのか治療者にカウントされたのかは、微妙なところだけれど。
「ま、間に合わなくても大した減点にはならないけどな」
「お前はまたそう言う身も蓋もねぇことを……」
ラグスター男爵子息が笑って言い、ウル先輩が顔をしかめた。
「そうなのですか?」
「課題によるし、間に合うに越したことはねぇよ」
初耳の情報に問い掛ければ、眉を寄せて答えられた。白銀の髪をくしゅっと掻き混ぜて、ため息を吐く。
「ま、今回なら負傷者を出したことがでか過ぎて、間に合う間に合わねぇはあんま問題にされねぇだろうけどな」
「負傷者を出したって言っても自力帰還だし、課題はこなしてる。落第にはならないだろ。……平の班員は」
「お前余計なもん付け足すんじゃねぇよ」
ウル先輩がラグスター男爵子息を睨み、ラグスター男爵子息が肩をすくめて鼻で笑った。
「問題児の教育だよ。必要な知識だろうが」
笑っているようで、その実全くもって笑っていない目が、ついとわたしとマルク・レングナーに向けられた。
「騎士団は基本的に連帯責任。下が不始末起こせば上官も責任を取らされる。命令違反で負傷者を増やすなんてのは、部下として最悪の行為だ。次回の演習合宿でウルが班長から下ろされていたら、それは、」
「リカルド」
山頂に比べて格段に高いはずの気温が、下がった気がした。
さっきの軽い睨みなど比べものにならない迫力で、ウル先輩がラグスター男爵子息を威圧する。マルク・レングナーがびくりと身をすくませたが、ラグスター男爵子息は堪えた様子もなく、口端に笑みを乗せて睨み返した。
「否定の言葉があるのかよ、ああ?」
貴族らしくない啖呵だった。むしろ、猟師や大工にでも混じっていそうな。きっと、シュヴァイツェル伯爵子息がいたら見せなかった姿だろう。
「夏2回も班長やって冬から外されるっつーのは、そう言うことだろうが。冬春の班長とそれ以外で、入団後の扱いが違って来ることくらい、知らない訳じゃないよな、お前が」
「それは、けどよ、降格はあくまでおれの」
「どこがだよ」
ラグスター男爵子息が吐き捨てて、脚を組む。腕組みまでして睥睨するのは、マルク・レングナーだ。
「避難に十分な早さでサヴァンから注意喚起はあった。お前も指示を出した。それに従わなかったのは、どこのどいつだ」
わたしの視線も自然と、どこぞの狐に向かった。
そうだ。この馬鹿狐は指示に従わず沢に残ったのだ。その理由については、わたしも気になっていた。
「確かに指示に従って貰えないのは監督官の責任だろうが、たった7日の演習合宿で、それも騎士科生でない奴に完璧に信頼されろなんて、無茶も良いとこだ。お前は従えと言っていたし、指示に従うことの重要さは説いたんだろう。その上での命令違反なら、自己責任だ」
ごもっとも。
だから、わたしの怪我についてウル先輩を責める気は更々ない。自己判断の下の怪我だ。責任は自分にある。
反論しようとしたのか口を開きかけたウル先輩を手で制し、ラグスター男爵子息はマルク・レングナーを見据えた。
「だから訊く。あのとき、なんで直ぐに従わなかった」
「……」
マルク・レングナーは一瞬わたしを見たあとで、ふてくされたように目をそらした。
「大したことないと思って」
「お前っ、」
怒鳴りかけたラグスター男爵子息を、制す。
マルク・レングナーを見て、静かに問い掛けた。
「それで、良いのですね?」
マルク・レングナーが、ぱっと顔を上げた。
珍しくも見開かれた瞳を見返して、ただ、繰り返す。
「それで、良いのですね?」
はく、とあえぐように口を開閉したあとで、マルク・レングナーは小さく息を吐いた。見開かれていた瞳が、細められる。
「そうだよ」
どこか、痛みを堪えるような顔。その表情はアスファルトに墜ちた風花のように消え失せ、残ったのはいつものへらりとした笑みだった。
「鉄砲水とかなにか知らなかったけどー、こーんな山のなかで、なにをそんなに慌てる必要があるんだろう。どうせ大したことないだろうってさー」
軽薄な声が、軽薄な言葉を吐くのを、わたしは黙って聞いていた。
わたしが手で制しているから、ウル先輩もラグスター男爵子息もなにも言わない。
それに気付いてか気付かずにか、笑ったまま、マルク・レングナーはそれにーと続けた。
「たとえなにか起きたとしても、エリアルがどうにかしてくれるでしょー?」
申し訳ないが、先輩方には黙っていて貰う。この場で最も物申す権利を持つのは、間違いなくわたしだ。
三度、同じ問いを投げる。おもむろに、静かな声で。
「それで、良いのですね?」
あはっ。
マルク・レングナーは、渇いた声で笑った。
「もー、さっきからなにー?そうだって、言ってんじゃーん」
わたしは、
「わたしは、優しくありませんよ?」
「知ってるよー、そんなのー」
「そうですか」
そうか。
「わかりました」
頷く。
それならば、もう、良い。
「でしたら、次は助けませんので、そのつもりでどうぞ」
「うわ、ひどーい」
「心配せずとも、二度とあなたに演習合宿の参加は認められないでしょうから」
馬鹿狐に目を向けるのをやめ、白けた顔で吐く。
演習合宿で問題を起こした生徒の扱いは、騎士科とそれ以外で異なる。教育的指導か、参加拒否か、だ。
演習合宿はあくまで騎士科の授業。ほかの学科の生徒まで、面倒を見る義理はないのだ。他科の生徒より騎士科生を優先するのは、当然のこと。
マルク・レングナーの先程の発言が教師陣に伝われば、間違いなく以降の演習合宿参加は拒否されるだろう。実際、と言って良いのかはわからないけれど、ゲームではマルク・レングナーの演習合宿参加はなかった。不参加の理由は語られなかったが、参加拒否されていたのかもしれない。
助かったし殺す気は更々なかったとは言え、馬鹿狐本人も、ヴァッケンローダー子爵子息も、わたしでさえも、客観的に見れば死んでいておかしくなかったのだ。それに反省のそぶりも見せない人間を、また参加させる愚など犯さない、はずだ。
この、マルク・レングナーの発言を聞けば、ウル先輩を責めようと言うひともいなくなるだろう。むしろ、マルク・レングナーの参加を許可した教師陣の責任が問われる案件だ。
「ウル先輩には班長として報告義務がありますし、わたしは国より監視が付けられています。今の発言は、上に伝わりますよ。教師には、生徒を守る義務があるのです。自分で身を守れぬと言うならば、危険な場所には行かせないのが最も楽な守り方でしょう」
確かに班のなかで責任を問われるのは班長だろう。
だが、最終的な責任の所在は、教師に行くはずだ。成人しているとは言え立場は学生、まだ、大人の庇護下だと名乗って良いはず。
さて、そろそろ先輩方が怖いので、口を閉ざそうか。
お口チャックしてどうぞと仕草で示す。ウル先輩はにっこり微笑んで、わたしの胸ぐらを掴んだ。
おや?
「お前なぁ」
きょとん。と首を傾げたわたしをウル先輩は呆れ顔で見下ろし、胸ぐらを掴んでいた手をわたしの頭に移動させた。がっしと掴まれ、ぐらぐらと揺らされる。
「被害者面すんなら、もっと、怒れっつーの。黙って聞いてて、損したじゃねぇか!」
「おぅふ」
痛い痛い痛い痛い。やめてやめて。
「おい、ウル、やめてやれ」
容赦なく頭を鷲掴みして揺らすウル先輩を、ラグスター男爵子息が止めてくれる。
「意味がわからない会話をされて寂しかったからって、八つ当りするなよ」
え、そうなの?
口許を押さえて見上げた先で、ウル先輩が眉を吊り上げた。
「違ぇ!」
「っ痛」
ウル先輩が叫んで、ラグスター男爵子息の頭を叩く。
標的がわたしでなくなったことに、ほっ、と息を吐いた。
「っ痛ーな、違くないだろうが!お前が怒るより効果があったけど、その意味がわからないから、拗ねてるんだろ、ウサギちゃん」
「う、ウサギ言うな!」
おやおや。
煽るラグスター男爵子息にむきになって言い返すウル先輩と言う光景に、思わずほっこりする。年相応以上に無邪気な姿は、昨日から見られていなかったものだ。
ああ。
ウル先輩だって、まだ高校三年生でしかないのだった。
失念していた事実に、恥ずかしくなる。頼り甲斐があり過ぎて、保護者を前にしているような気分になっていた。
高校一年生から見た高校三年生はとてつもなく大人に見えるけれど、実のところ同じ高校生でしかないのだ。前世の記憶なんてものを持つわたしや、年齢不詳なわんちゃんと違って、まだたったの十八歳。
目の前で、知ったひとが死にそうになって、しかも、自分は監督者と言う立場で、思うところが、ないわけがない。
ラグスター男爵子息やシュヴァイツェル伯爵子息が、怒るわけだ。
反省を込めて、ラグスター男爵子息に加勢する。
「ウル先輩の頭は、ウサギみたいにふかふかで触り心地が良いですよね」
「性格もウサギだろう?賢いけど寂しがり屋で、臆病」
この世界のウサギは、野ウサギが主だ。色も、アルビノのような白ではなく、草や土に混ざる茶色。
だからラグスター男爵子息は、ウル先輩の見た目からウサギを連想したわけではないのだろう。けれど、わたしから見れば白銀の頭や葡萄色の瞳だって、ウサギを連想させる要因で。
「本当。そっくり」
「だろう?」
「お前ら良い加減にしろっ!!」
「に゛ゃっ」「痛っ」
ぷっつんしたウル先輩に殴られて浮かんだ涙が、容赦ない拳骨による痛みからか、それとも別の理由からかは、自分でもわからなかった。
馬車での帰途で問題が起こることはなく、わたしたちはようやくゴールに辿り着いた。
速い馬車を使ったゆえの、余裕到着だ。
着くが早いか医療棟へと連れ去られたヴァッケンローダー伯爵子息とマルク・レングナーはプロに委せることにして。
残りの面子で提出した採取課題は、教師陣を驚愕させた。
……もしやまた、失敗を目論まれた課題だったのかな。
若人の壁として立ちはだかるのは良いけれど、二連続で難題に事故だとそのうち責任を問われると思うよ。
そんなことを考えながら提出物を査定する教師たちを見ていたときだった。
「ふにゃっ」
服の背中を引かれて、たたらを踏む。ぽすんと、背中に当たる、骨の感触。
……ぁ。
「よぉ」
耳許に流し込まれる、美声。
やばい。
ぴきーんと固まったわたしの視界に映る、灰色斑。
やばい。なにがやばいって、ずっとあったはずの違和感が消えたことがやばい。
「わん、」
「こいつ連れてくぞ」
わたしの呼掛けをみなまで聞かず、わんちゃん、ヴァンデルシュナイツ・グローデウロウス筆頭宮廷魔導師は宣言した。
反対意見は認めないとでも言うが如く、ひょいっと腰を俵担ぎにされる。
その、鶏ガラのような身体の、いったいどこにそんな力があると言うのか。
突然の闖入者にみな唖然とするなか、動いたのはウル先輩とシュヴァイツェル伯爵子息だった。
「いきなり、なんですか」
「仮にも女性にその扱いは」
筆頭宮廷魔導師相手に、度胸ある対応だ。普通は怖じ気付いてなにも言えないところだろうに、ウル先輩は疑問を投げ掛け、シュヴァイツェル伯爵子息に至っては物申しさえした。
「あ゛?」
しかしそんな度胸を、評価してくれるわんちゃんではない。
「わたしは大丈、」
「連れ戻せっつぅ、宰相からのお達しだよ。文句あるか」
先輩方をなだめようとしたわたしの言葉を遮って、わんちゃんが言い放つ。宰相、の発言に、ウル先輩は目を細め、シュヴァイツェル伯爵子息は目を見開いた。
「命令だろうが、後輩を手荒に扱われるのは看過出来ない。重傷ではないとは言え、怪我人でもある」
怯まず意見を述べるウル先輩は、先輩として格好良いが、違うのだ。
「逃げませんから、降ろして下さい」
「断る」
ああ駄目だ完全に怒っている。
「……ウル先輩」
抜け出すことは諦めて、自由な手で顔の包帯を外す。
「怪我は、もう治っているのです」
つるりと痕跡すら消えた頬を示せば、ウル先輩は目を見開いて、いつの間に、と呟いた。
そうだよね。わたしだって、当事者でなければ気付かなかった。と言うか、当事者であるにもかかわらず、たぶんこのとき治されたのだろうな、くらいにしかわからない。
それが、我が国の筆頭宮廷魔導師の実力なのだ。
「それと、この状況は、自業自得、ですので、納得はしています」
本来、演習合宿ですら参加は許可されていなかったのだ。帰るなり捕獲されるのも、無理からぬこと。しかも、無茶して怪我を、したわけで。
自業自得と言えば、自業自得なのだ。予告もされていたわけだし。
「……出来ればもう少し穏便にして頂きたかったですが」
ただ、目立ち過ぎたよ畜生と、思わなくもない、けれど。
派閥だなんだはわたしの事情なので、わんちゃんから知ったことかと一蹴されても文句は言えない。悲しい。
怪我は治して貰ったのに、なんだかどっと疲れがのし掛かって、ぐた、とわんちゃんの肩にしなだれた。お腹に肩の骨が食い込んで刺さるようだ。
べつに、恩着せがましいことを言うつもりはないし、誰かに誉めて欲しくてやったわけでもないけれど、誰も彼も怒り過ぎだよ。わたしの命なんだからどう使っても勝手だ、とまでは言わないけれど、決定的に取り返しのつかないことをやらかしているわけでもないのだから、大目に見てくれたって良いじゃないか。子供ではないのだし。
そんな風に、やぐされたことを考えていたから、罰が当たったのだろうか。
ばっしゃん
「びゃんっ」
「っ」
背中から、思いっきり、水をぶっかけられた。
わんちゃんに担がれたわたしの背後、つまり、わんちゃんの頭上からだ。
珍しくも驚いた顔のわんちゃんが、わたしを肩に載せたまま振り向く。おお、水も滴る好い男。
「おじょうさま?」
「ツェツィーリア……」
わたしがぽかんと、わんちゃんが苦虫を噛み潰したような口調で、水掛け犯に呼び掛ける。
ぐっしょり濡れたわたしとわんちゃんから、ぽたぽたと水が滴った。
「この、馬鹿猫っ!!」
「無傷ですよ」
しれっと嘯く(現に無傷なのでまるきり嘘でもない)と、わんちゃんからじとっと睨まれた。
「嘘おっしゃい!無傷なら導師がそんなに怒るわけないじゃない!!」
よくおわかりで。
「わん、ヴァンデルシュナイツ導師はお使いなんて頼まれてしまったから不機嫌なだけで、」
図星を指されても肩をすくめて動じな、
「ぷきゅん」
言葉の途中でくしゃみが出た。
真横から、はぁー(怒)、と深い溜め息。続いて舌打ち。
「寒ぃ、帰るぞ」
「ちょっと!導師!?」
「濡らしたのはどいつだ」
わんちゃんはそれ以上誰の言葉も聞かず、かつんと踵を鳴らした。くるりと、景色が入れ替わる。
濡れた服は、すでに乾いていた。
……そうだよわんちゃんならべつにその場でもすぐ乾かせるじゃないか。
思ったわたしをソファに投げ捨て、細い腕が左右に囲いを作る。
「で?」
「で?」
はて?と首を傾げれば、銀の瞳に睨み付けられた。
「怪我を黙っていた理由はなんだ」
「顔と手の怪我はきちんと、手当てされていたでしょう?」
「顔と手にしか怪我がなかったとでも言うつもりか?あ゛ぁ?」
そんなに怒らなくても、治癒魔法がなされた時点で騙せるなんて思っていないよ。
治癒魔法が治せるのは、術者が認識している怪我だけ。
折れた肋骨が治された時に、ばれていることは予測していた。
わんちゃんが半眼でわたしを睨め付け、冷えた声で言った。
冷たい声、けれど、痛いくらいに怒りが燃え盛った声。
「顔の怪我に気付かねぇほど痛かったんだろうが。その上、男三人の下敷きになって?完全に、内臓傷付けてたぞ、骨が。魔法で止血した程度で、俺まで誤魔化せると思ったか?」
「希望的観測で」
完全にばれていることが判明して、ため息と共に答える。
せっかく気力で吐血を堪えたと言うのに、全部ばればれか。
わたしの発言に怒気を強めたわんちゃんに、降参の意を示して両手を挙げる。
「動けない怪我ではありませんでしたし、無駄に心配させる必要はないと判断したのです。もっと重傷者もいましたし、肋骨の骨折程度大したことはないだろうと。……追撃を喰らったのは不幸な事故です」
沢で岩に激突したとき、とっさに衝撃を殺しきれずに肋骨を折った。ただ、
「顔の怪我に気付かなかったのは、肋骨だけのせいではありませんよ。痛みを無視することには、慣れ過ぎてしまったからです」
常に体表面の4分の3は痛いのだから、疲れたときにちょっと切った怪我を見逃すくらい、仕方ないと思う。怪我を見てから泣き出す幼子にも言えるように、自覚しなければ痛みなんて気付かなかったりするものだ。
ぐうと顔をしかめたわんちゃんが、なにか言う前に言葉を継ぐ。
「折れただけで、大して痛くはなかったのです。治療も、治癒魔法でも掛けない限りは固定するだけでしょう?普段からコルセットはしていますから、応急措置は済んでいました。それ以上の措置も出来ないのに、申し出て余計な心配を掛けるのは嫌だったのです。……レングナー伯爵家に求婚する大義名分を与えるのも癪ですし」
未婚の令嬢を傷物にした。
格上から格下に求婚するには、恰好の言い訳だろう。
「肋骨なんて外からは見えないのです。騙せるのならば、隠し通した方が都合が良かった。いまさら傷物なんて求婚も、滑稽の極みですが」
胸元に手を当て、くすくすと笑う。
例えば肋骨の怪我が血管を傷付け、内出血が起こったとして、その傷が外に見えることはない。わたしの身体にはそれより強く消えない傷が、幾筋も刻まれているのだから。
「痛くなかったから、迂闊に下敷きになって、悪化させたのです。不注意でした。申し訳ありません」
手を伸ばしたとき、自分の怪我なんてもの、すっかり頭から抜け落ちていた。どこを傷付けたか吐血しかけて初めて、失敗したと思ったのだ。
シュヴァイツェル伯爵子息がすぐ重石を除けて助け起こしてくれて助かったし、ウル先輩が荷物を奪ってくれて助かった。
歌の癒しは誰より、自分の気休めのためのものだった。
魔法で無理矢理止血したって、一歩一歩が傷に響き、馬鹿みたいに体力を奪っていたのだ。
何度地に伏して、意識を飛ばしてしまいたいと思ったか。とりさんの封印で痛みに慣れていなかったら、吐血してぶっ倒れていたと思う。
それでも、ばれるわけには行かなかった。
表情を改め、頭を下げる代わりにゆったりと一度目を伏せ礼を示す。頭を下げられる余地すらないほど、わんちゃんの顔が近いのだ。
「あの場で傷について触れてくれなかったこと、心より感謝致します。キューバー公爵家に付け入る隙を、与えずに済みました」
レングナー伯爵家など雑魚と一蹴出来る家、それがキューバー公爵家だ。
魔法関連ならば恐らく、目の前の筆頭宮廷魔導師に次ぐ権力を持つ家。魔法至上主義の、文門次席公爵家。
かの家は度々、サヴァン家との婚姻を望んでいる。
今までそれが叶っていなかったのは、サヴァンの人数が少な過ぎたからだ。
バルキアに下った当主は兄ひとり、妹ひとりだった。次代になっても、先代の子は余りに死に過ぎたし、先代の妹は頑なに婚姻を拒んだ。結局、生き残ったのは現サヴァン家当主である父のみ。他家に血をくれてやる余裕など、露ほどもなかった。
しかし当代、サヴァンの子は四人も生き残っている。長兄は家を継ぎ、次兄は長兄の補佐として残すにしても、娘がふたり余るのだ。
次女、と言う選択肢も考えてはいるだろう。伊達に長く公爵家をやっていない。策は幾重にも用意しているはずだ。血が欲しいだけならば、アリスで十分なのだから。
けれど本命はやはり、双黒。
アリスをわたしの劣化版扱いするようなところに、嫌われているとは言え大事な妹をやる気はないが、だから自分を差し出すかと言われればそれもない。
あの家は天災級の魔法持ちを得るに相応しいのは自分達だと思っているかもしれないが、そんなはずはない、のだ。
むしろ、国殺しのサヴァンとキューバー公爵家の相性は、最悪と言えると思う。
キューバー公爵家に、サヴァン家の在り方は、まず理解出来ない。だが、サヴァンの子にとっては、サヴァンのやり方が最適なのだ。
だから実際のところ、サヴァンの娘ふたりが結婚するとしたら、どこかの家の三男でも貰ってサヴァンの分家を名乗るのが最も良いのだと思う。それゆえの公爵位で、だからサヴァンの血は途絶えかけているのだ。ほかに、決して血を逃さなかったから、国の滅亡と共に血族が消えた。けれどもし、国が滅びるようなことをしなければ、今もサヴァン家はレミュドネ皇国で公爵家として王家に仕えていただろう。
公爵家であれば、複数の分家があっても支えられる。他家からの攻撃も、撥ね退けられる。
だが、バルキア王国でのサヴァン家は子爵家だ。エリアル・サヴァンひとりでさえ、守りきれない弱小貴族。
レミュドネ皇国に在ったときのように、頑なに血を独占することは、難しいだろう。
それでも大叔母は、国に血を守れと迫った。
だから、サヴァン家の婚姻は、国により守られている。あとは、サヴァン家と国の決断に委ねられることとなるのだろう。
ゆえに、キューバー公爵家との婚姻は、ない、と、思いたい、のだけれど。
母はもちろん、父ですら、サヴァン家の者としての教育は、足りていない、と感じる。あくまで、わたしの所見だけれど。
そこがネックであり、心配事であり、わたしが家を頼らない理由のひとつである。
負い目ももちろんあるけれど、信用ならない、と、感じる点もあるのだ。
……仮にも家族にこんなことを思ってしまう自分はなんて嫌な人間だろうかと、思いもするけれど。
ただ、冷たい目で見れば、キューバー公爵家が突こうとするならば、それはサヴァンの母か兄、もしくはツェツィーリア・ミュラーだろうと予測出来るのだ。
ツェリに関しては言うまでもない。エリアル・サヴァンにとっての明らかにして最大の弱点だ。筆頭公爵家令嬢であるため手を出すリスクは高いが、巧くすれば簡単にエリアル・サヴァンを御せる。
そして、サヴァンの母と兄については、保護者としての強権、だ。
母はわたしを恐れ、兄はわたしを厭うている。持て余していると言って良いだろう。キューバー家の方が巧く扱えるとでも言われれば、あるいは、なにかしら利益でも示されたら、あっさりと頷きかねない。
それを防ぐために法律改正やら監視やらされているとは言え、どんな綿密な網にも抜け穴はあるもの。
なにがどう転がるかわからない以上、婚姻を持ち掛けられる種は、少なければ少ないほど良い。
……べつに考えなしややせ我慢で、怪我を隠していたわけではないのだよ?
それは、怒られるのは嫌だなーとか……っげふんげふん、ナンデモナイ。ナンデモナイヨ。
わんちゃんがジト目でわたしをしばし睥睨してから、溜め息を吐いた。元々近かった顔が近付き、額に柔らかいものが触れる。
反射的に目を閉じたわたしの横で、柔らかなソファが沈み込んだ。
「わかった。説教はあとだ。とりあえず休め」
ぐいと肩が引かれて、骨張った腿へと頭が誘導される。骨々しいが大きな手で、目許を覆われた。
「どうせ休暇中お前は、王宮から出られねぇからな」
お説教がされるよ!やったねエリアルちゃん。
ああ、もう良いや。
されるがままに、骨のような脚に頭を預ける。
言及されたから答えたけれど、本当は、もう疲れて、話すのも億劫なのだ。
わたしは頑張った。だから、とても疲れた。とても眠い。
拗ねたようにへの字に唇を折り曲げ、それでも身体の力を抜いた。わんちゃんの深い呼吸音を、耳が拾う。
ふと、そのリズムが崩れた。
一瞬詰められたあとで、深く吐き出される。
「悪ぃ」
ん?
ぼそりと呟かれた言葉の意味を取りかねて、不機嫌だったはずの顔から力が抜けた。
目許からどけられた手が、優しく頬を撫でる。
「大事なことを抜かしてたな」
大事な、こと?
眠くて鈍い思考は、ろくに回らない。
ふわりと香が薫ったのは、わんちゃんがわたしの頭を抱き寄せたからだろう。
「おかえり、エリアル。無事で良かった」
あ……。
なぜだか、鼻の奥がつんとした。
目を開けて見上げた先で、わんちゃんが目を細めてわたしを見ていた。
わたしがなにをしても、このひとだけは、こうして抱き締めてくれる。
「……ただいま、帰りました」
化け物に、居場所を与えてくれる。
「おう。今日はもう寝ちまえ。なにも、心配しなくて良い」
変わらず投げられる言葉に、頷いて目を閉じた。
なにも心配しなくて良いなんて綺麗事、信じるわけではないけれど。
「おやすみ、エリアル」
耳障りの良い声で囁かれて、ああ大丈夫だと、緊張感が解けた。穏やかに髪を撫でる手が、嗅ぎ馴れた香が、とろりと、意識をとろかして行く。
7日間ずっと気を張っていたのだと、今さらながら自覚した。
それはそうだろう、敵地に居たようなものだったのだから。
「ゆっくり休め」
でも、ここは大丈夫。このひとは、敵じゃない。
ついさっきまで拗ねていたことも忘れて、わたしは唇を弛めた。
眠りへと、意識を落とす。
長かった演習合宿が、ようやく終わったのだ。
訪れた眠りは深く、夢さえも見なかった。
拙いお話をお読み頂きありがとうございました
二度目の演習合宿がようやく終わりました……(-ω-;)
続きもお読み頂けると嬉しいです
追伸ヽ( ・∀・)ノ
明日・明後日で
割烹などに上げていた番外小話をまとめたものを
上げる予定です
ずいぶん前にまとめたものなので
最近のものは入っておりませんし
未発表なものはひとつもございませんが
よろしければお付き合い下さいませm(._.)m
茶番で上げていた茶番度合いの比較的低めのお話も
ぶっ込んであります
小話集に入れた小話に関しては特記のない限り
本編と同じ世界線であるものとして扱います
もしもワールドではありません
と
8月18日の割烹に
悪ふざけでしかない小話を載せているので
こちらもよろしければどうぞ(*´・∀・)つ




