取り巻きCと水難の相 そのなな
m(_ _)m
m(_ _)m < 更新が非常に遅くなって申し訳ありませんでした
事情は後書きで説明致します
取り巻きC・エリアル視点
怪我などの描写あり
ひとによっては不快に思われる可能性のある内容が含まれております
予めご了承の上お読み下さい
トラブル吸引体質の称号を、ヒロインから譲り受けなければならないかもしれない。
「おい、サヴァン、大丈夫か!」
「オズヴァルト!目を開けろ!オズヴァルト!!」
耳を打つのは、緊迫した怒鳴り声。
水難の相でも、出ているのかな。水際で荒い息を吐きながら、そんなことを思った。
どうもこんにちは。引き続き木の実拾いの真っ最中な、取り巻きCことエリアル・サヴァンですよ。
なんだか嫌な予感がして、辺りを見渡して見たのだけれど、これと言って異常は見当たらない。獣の気配もないし、空を蜥蜴が飛んでもいない。地震が起きるわけでもないし、ぽっかり空いた穴もない。
気のせいか。
そう思って木の実に集中しようと頭を切り替えかけた瞬間、ほんのわずかに、雨の匂いを感じた。
「……雨?」
思って上を見上げるが、頭上は清々しいほどの青空だ。遠景に入道雲の見える、夏空らしい真っ青な空。
……待って。入道雲?
はっとしたわたしの耳に、かすかに届いた雷鳴の音。
慌ててきちんと空を見ようと、一足飛びに沢岸へ躍り出た。
「サヴァン!?どうした?」
驚くシュヴァイツェル伯爵子息に構わず、目に見える空と脳内の地図を重ね合わせる。細かくなくて良くて、目印があるのなら、わたしだっておおよその位置は把握出来る。
入道雲はちょうど、カルデラ地形のふち辺りに浮かんでいた。遠いが、かなり大きな雲だ。稲光も確認出来る。
そして、あの位置は。
目を向けた沢は、来たときに比べて水が濁って見えた。
「おい、サヴァン?」
ラース・キューバーがいる方向を見る。無惨に折れた、木。見渡す沢岸に、大きな木は生えていない。
「川から離れましょう」
「は?いきなりなにを」
「とりあえず従って下さい。移動してから説明します」
もたもたしている暇はないと、シュヴァイツェル伯爵子息の腕を掴んで沢を渡った。
「ラグスター男爵子息さま、キューバー公爵子息さま、作業を中断して、一旦上に上がって下さい」
「ああ?どうした?」
「良いから早く!」
眉を寄せたラグスター男爵子息たちだったが、わたしの剣幕に圧されて従ってくれた。大岩の転がる沢岸を出て、一段高くなった場所に上がると、小さく息を吐いて空を指差した。
「水源で雷雨です。鉄砲水が、来るかもしれません」
「雷雨……?」
「あそこか……確かに、この川の水源だな」
視力が低いのか目を細めたシュヴァイツェル伯爵子息と、さすがの地形把握能力かすぐさま状況を理解してくれたラグスター男爵子息。
「鉄砲水が起こるほどの、降水でしょうか?」
わたしの発言を疑う姿勢を見せた、ラース・キューバー。
「いや。地形的に、可能性は十分ある」
そんなラース・キューバーに反論したのは、わたしではなくラグスター男爵子息だった。
「この川は小さいが、ロジアンナ山で最も大きい湖から流れ出る、唯一の川だ。もしあの雲が湖全体に雨を降らせているとすれば、そうして降った雨が、速やかにこの川に集束されることになる」
「それと、おそらくですが、1年以内に鉄砲水か、それに近い流水量上昇が、あったのだと考えられます」
言って、折れた木を指差す。
「……鉄砲水で折れたのか。言われてみれば、川岸だけでなく斜面も、不自然に木が少ないな。その位置まで、川の水が増えるのか」
示しただけで、シュヴァイツェル伯爵子息は理解したようだ。ラース・キューバーもわたしの予想を受け入れたのか、厳しい顔になる。
そんな彼らの手元の袋と、自分の袋を見比べた。
……うん。
「木の実の量は、今持っている分で足りると思います。もう基地に戻りませんか?雷雨に巻き込まれるのも、嫌ですし」
「まあ、一理ある意見だな。課題がこなせたなら、無理をする必要もない」
シュヴァイツェル伯爵子息が頷いたとき、また、ぞわりと嫌な感覚が走る。今度はなんだ。
辺りを見渡したわたしの目が、なにか異常を訴えているのに、その理由がわからない。
なんだ。なにが引っ掛かるんだ。
「サヴァン?まだなにかあるのか?」
「いえ……」
さっきよりも沢の水嵩が増えたように感じた。
「水嵩が、増えたかもしれないなと」
「ん?……確かに増えてるな」
「やはり、離れた方、が……っ!?」
ラグスター男爵子息と会話を交わしつつも辺りを観察し、ぎょっとして沢岸へ降りる。
「なんなんだ、サヴァン!」
「そのままで!……崖の上に、人影が」
「崖の上……!、ウルリエたちか!」
頷いて、遠い向こうを見据える。見間違いではない。四人の人影が、崖近くに見える。ウル先輩たちの班なら、メンバーはウル先輩とアクセル先輩、ヴァッケンローダー子爵子息に、マルク・レングナーだったはずだ。
動きからして、異変にはまだ気付いていないらしい。
「注意を促します」
「は?ここからか?どうやって」
片目をすがめるシュヴァイツェル伯爵子息に喉を指差して見せ、大きく息を吸い込んだ。
「ウル先輩、聞こえますか?エリアルです」
吐き出した声を、魔法が運ぶ。
「エリアル?どこから」
「下です。魔法を使って、声を送っています」
言いながら、大きく手を振って見せる。
気付いたのか、人影のうちひとつが、手を振り返した。
「なにか、用事か?」
「水源で雷雨です。鉄砲水が起こる可能性があるので、避難して下さい」
「雷雨……あれか。わかった。忠告、ありがとな。おい!鉄砲水が来る。岸に上がれ!」
ウル先輩が対応してくれたことに安堵し、わたしも、上、に、
「レングナー、早く戻れ!」
「そんな慌てなくても、すぐ行きますよー」
馬鹿狐の声により与えられた予感へ、無意識に身体が従って、視線が丈夫そうな木を探した。
「レングナー!」
「え?うわっ、っ!!」
「レングナーっ!」
「おい馬鹿っ、追うなっ」
ざあ、と言う音と共に、急激に沢の水嵩が増えた。
上着を脱ぎ捨て、ロープを三本、木にくくり付ける。一本は自分の腰にしっかりと縛り付け、二本は腕に巻き付けた。山での作業を見越して、頑丈な手袋とロープを用意しておいて良かった。
「ウル先輩、アクセル先輩、万一の場合は下で拾います。おふたりは絶対に川の中に立ち入らないで下さい」
「エリアル?なにを」
「流れて来れば魔法で拾えます。おふたりが川に入るより安全、で」
「うわっ、あ、ああぁああああぁぁあっ、がぼっ」
「ぐっ」
「……ちっ。下で受け止めるので、ウル先輩たちは安全な道で降りて来て下さい!」
ちょっと前までののどかな沢が嘘のような濁流に、足を踏み入れる。足場が不安なので、靴は履いたままだ。一歩も動けないような水圧を、魔法で無理矢理圧し返した。
「おいサヴァン待て」
「先輩方はそこで。拾ったら縄でくくるので、引き上げて下さい。……ここで拾わないと、死ぬでしょう」
「だからって……、水に入らずなんとか出来ないのか?」
「水に入った方が精度が上がりますから」
空気と水では、音の伝達速度が異なるのだ。人命が懸かっている以上、手抜きは出来ない。
水嵩はわたしの臍上ほどにまでなっていて、ぐいぐいとわたしを圧す。それでもどうにか沢だった箇所の真ん中まで歩みを進め、立ち塞がった。木か岩か、破片が当たって痛いが、そんなもの気にせず集中した。
流されたのはふたり。ヴァッケンローダー子爵子息とマルク・レングナー。だが、流れ来る水面にその姿は見えない。つまり、溺れて水中にいる。
水嵩がまた増して、肩まで水に浸かった。ヴァッケンローダー子爵子息は、これに身体を取られたのだろう。
だから、いるとしたら、この辺りで。
拾った!
音魔法で無理矢理、男ふたりを押し留める。手を伸ばして掴んで、持っていた縄にどうにかくくり付けた。ふたりとも、気を失っているようだ。
気を失っているにも関わらず、ヴァッケンローダー子爵子息はしっかりとマルク・レングナーを抱えていた。守るように。……出来たひとだ。
「引いて、ごほ、下さい。まずはこの縄を!」
喋る途中でうっかり水を飲んでしまい、顔をしかめる。
この縄、と示した、マルク・レングナーをくくった縄が引かれる。水流もあって三人で引くにはきついだろうが、三人とも歯を喰い縛って引き上げてくれた。
「っ、う」
巨大な岩が流れて来て、とっさに自分の身でヴァッケンローダー子爵子息を庇う。魔法でも守ったが、衝撃は殺しきれなかった。
身体に響く痛みによろめきながらも、ヴァッケンローダー子爵子息を託す。踏み留まるのをやめれば、縄に引かれて身体が岸へと引き寄せられた。
濁流に揉まれて何度か失敗しつつも、どうにか無様ながら自力で岸に這い上がる。
「げっほ」
「おい、サヴァン、大丈夫か!」
近付いて来るのは、ラグスター男爵子息か。
「オズヴァルト!目を開けろ!オズヴァルト!!」
怒鳴っているのは、シュヴァイツェル伯爵子息だろう。
「サヴァン?そこは危ない。立てるか?」
「……ぜぇ……はぁ……」
待って、今、喋れない。
差し出された手をありがたく借りて立ち上がりながら、わたしは荒い呼吸を繰り返した。ラグスター男爵子息が、腰の縄をほどいてくれた。
ラグスター男爵子息に支えられて、歩く。
濁流から10メートルほど離れた場所で、ずぶ濡れの男ふたりが転がされていた。シュヴァイツェル伯爵子息がその片方、ヴァッケンローダー子爵子息の顔を叩いている。
その、シュヴァイツェル伯爵子息の頭を、無言でぶっ叩いた。
「「「!?」」」
三人分のぎょっとした視線を向けられる。どうにか呼吸を調えて、言った。
「取り乱していないで、呼吸と脈を確認して下さい。やり方、わかりますよね?」
ヴァッケンローダー子爵子息はシュヴァイツェル伯爵子息に任せて、自分はマルク・レングナーに近付く。出血はないようだが、右脚の向きがおかしい。折れているようだ。
……意識なし、呼吸なし、心停止。
嫌な状況に顔をしかめ、気道を確保する。
「意識なし、呼吸あり」
「でしたら、わたしの指示する体勢を取らせて下さい」
回復体位を説明しながら、マルク・レングナーに胸骨圧迫を行う。
テンポは国民的パン顔ヒーローのマーチで。30回。
「なっ!?」
驚く声には構わず、息を吹き込む。
1秒2回。それからまた、胸骨圧迫。
「外傷がないか、確認して下さい」
胸骨圧迫の合間に、シュヴァイツェル伯爵子息に指示を出す。
また、息を吹き込む。胸骨圧迫。
「あなた、なにをしているんですか?」
「止まった心臓を、動かそうとしています」
「そんなことが出来ると?」
息を吹き込み、胸骨圧迫。
出来るかなんて、わからない。わかるのは、
「……」
ここで死人を出せば、無理矢理にでもわたしとツェリの傷にされるであろうこと。
命を投げ出してまで馬鹿を助けようとしたラグスター男爵子息や、班長であるウル先輩が、気に病むであろうこと。
「……諦めれば、それまでです。暇でしたら、火を起こして頂けませんか?」
馬鹿やって溺れて、死ねばいいと思わなくもない。何度も思った。今も思っている。
身体はだるくて今すぐにでも横になりたいし、さっきぶつけたところも痛い。単なる心停止なら胸骨圧迫だけで済ませたものを、溺水だから人工呼吸までしてやらなきゃならないことも、業腹だ。
それでも、息を吹き込み、胸骨圧迫する。
まだ生き残る可能性があるから。ツェリに泥を被せたくないから。こんな馬鹿のために、だれかを悲しませたくないから。
「ひゅっ……ごほっ、げほげほっ」
何度目だかわからないほど繰り返したあと、マルク・レングナーは息を吹き返した。
一度座り込んで息を深く吐いてから、もう起き上がりたくないとぐする身体を叩き起こす。
息を吹き返しても濡れた服のままでは低体温症になりかねない。
速やかに、マルク・レングナーの服を剥ぎ取った。
「お、おい、サヴァン、」
「シュヴァイツェル伯爵子息さま、濡れた服のままでは体温が下がって死にます。脱がせて下さい。脱がせたらタオルで拭いて、乾いた服で包んで」
「あ、ああ、わかった」
「ラグスター男爵子息さま、上着を借りても?」
「ああ。ほら、使え」
一糸も残さず服を脱がせたマルク・レングナーの身体を拭き、ラグスター男爵子息から借りた上着を着せた。
「ラグスター男爵子息さま、濡れた服を乾かして下さい」
「わかった」
指示を出しながらマルク・レングナーの怪我を確認する。右脚の骨折と、打撲がいくつか。擦り傷がいくつか。思ったよりも軽症と言える、だろうか?なんにしろ、鉄砲水に巻き込まれて死ななかったならば僥倖だろう。
骨折した脚に湿布薬を塗り、いい感じの棒を添え木に固定した。ここで出来る応急処置なんて、こんなものだ。打撲や擦り傷にも、薬を塗ってやる。
「サヴァン、その薬、こちらにも貰えるか?」
「どうぞ」
見れば、シュヴァイツェル伯爵子息も同じように、こちらはヴァッケンローダー子爵子息の右腕を固定していた。
……腕を折った状態で、マルク・レングナーを抱えていたのか。
鉄壁の意思に、感服する。
「おい、無事か!」
「ウル先輩……」
急いで駆け付けたらしく息の上がったその顔を見て、ほっと息を吐く。
ウル先輩が来たからと言ってなにが出来るわけでもないだろうが、無性に安心した。人徳、だろうか。
「ふたりとも呼吸と脈はありますが、意識が戻りません。大きな怪我は、馬鹿狐……レングナー伯爵子息が右脚骨折、」
「オズヴァルトが右腕の骨折と右肩の脱臼だ。脱臼した肩は戻した」
「そうか……エリアル、よく助けた。お前に怪我は?」
「大丈夫です」
ウル先輩に答え、考える。
提案するか、否か。提案するとしたら、なにを言うか。
現状、選択出来る行動はふたつだ。助けを呼ぶか、自力で帰るか。
助けを呼ぶならば、緊急事態用に班長副班長へ支給される発煙筒がある。これを使えば、気付いた教師陣が救助を手配してくれるだろう。時間は掛かるし、向こうに細かい情報が伝えられないので、適切な救助を望めるかはわからないが。
携帯電話やらトランシーバーやら無線通信機やらが普及していた前世の、恵まれようがよくわかる現状だ。
だが、わたしがいることで、第三第四の選択肢が増える。持っているからだ。通信石を。
だから、わたしに出来る提案はふたつ。
ひとつは、通信石でツェリに連絡を取り、ヴィクトリカ殿下経由で助けを呼ぶこと。もうひとつは、わんちゃんに連絡し、今すぐに来て貰うことだ。
いずれの方法にしろ助けを呼べば、必然的に評価は下がるだろう。人命を前になにをといわれそうだが、せっかく期間内に採取完了したのに、少しもったいない。
かと言って、脚の折れた狐連れて、ほかの荷物も大量で、無事降りられるかと問われれば、それは厳しいだろうと思う。二次溺水の可能性も、あるし。
助けを呼ぶべきなのだ。大人しく。
「……あの」
「うっ……」
わたしが声を上げたのと、ヴァッケンローダー子爵子息が呻いたのは、同時だった。
「オズヴァルト!おい、ワタシがわかるか!?」
「……ヨハン先輩?私は……っ!!うっぐ……」
ぼんやりとシュヴァイツェル伯爵子息を見たあとで、ヴァッケンローダー子爵子息が飛び起き、腕を抑えて呻いた。
「無理をするな。……腕が折れている」
「あ、の、レングナーは?」
「意識はないが、呼吸はある。大丈夫だ」
真っ先に馬鹿狐の心配をするとは、なんとまあ、お人好しなひとだろうか。
「……オズヴァルト、悪かった。おれがもっと周りを気にしてなきゃなんなかった」
ウル先輩がヴァッケンローダー子爵子息に歩み寄って、頭を下げる。
「え?い、や、プロイス先輩は、とめて、くれたでしょう?それに、縄、投げてくれましたよね。焦って反応出来なくて、私こそ、申し訳ありません」
……落ちてからどう助けるかばかり考えていたけれど、ウル先輩たちは落とさないための努力をしていたのか。
そして、馬鹿やった狐じゃなく自分の非を責める先輩方……わたしには真似出来ない懐の深さですね。眩しい。
「サヴァン、使え」
「はい?」
「お前も濡れただろう。さすがに着替えろとは言えんから、せめてタオルは使え。きちんと洗ってあるやつだから」
「あ、ありがとうございます……」
ヴァッケンローダー子爵子息たちの会話の横で、ラグスター男爵子息がわたしにタオルを差し出す。驚きつつも受け取り、魔法で軽く自分の水気を飛ばしてからありがたく使う。
「拭いたら火に寄って暖まれ」
「はい」
促されるまま焚き火に近付いたわたしに、ラグスター男爵子息がついて来た。
「……さっき、なにを言おうとした?」
「え……?」
「さっき、ウルになにか言おうとしていたよな?なにを言おうとした?」
ラグスター男爵子息に小声で訊ねられて、きょとんとしつつも答える。
「救助を手配するべきではないかと、提案しようとしていました」
「やっぱりか。オレは反対だ」
「なぜですか?」
「戦場で怪我人が出たとき、その場で助けを待つか?怪我人が出たら担いで撤退、あるいは……と言うのが、戦場じゃないか?」
それは、そうかもしれないけれど。
「……利き腕、ですよ?」
「戻れば治癒魔法使いの教員も、メーベルトだっている。それに、助けを呼んで待ったところで、今からなら掛かる時間は結局大して変わらない」
「それは……そうかも、しれませんけれど」
でも、ヴァッケンローダー子爵子息は人命救助のために怪我したのだ。
唐突に、ふはっと、ラグスター男爵子息が噴き出した。
「にしても、サヴァン……くく」
「どうかしましたか」
「いや、お前、目を覚まさないレングナーじゃなく、オズヴァルトの心配かよ……ふっくく、本当に、嫌いなんだな、レングナーが」
む?どこからその情報が流れたのだろう。
はて?と言う顔をしたわたしに、ラグスター男爵子息が補足する。
「クラウスナーから聞いた。どうも折り合いが悪いらしいから気を付けろってさ」
ゴディ先輩こと、ゴッドフリート・クラウスナー先輩か。根回しバッチリなところは、さすが副班長だろうか。
……いっそ死んでくれれば平穏かもしれないと、ちらとでも思わないとは言えない。
「理想の貴公子の仮面が剥がれるのは、見てておもしろいな」
「わたしも人間ですから」
「でも、助けたんだな」
好意的に解釈してくれているのならば、都合が良い、と言えなくもないけれど。
「……この演習合宿で死人が出た場合、責められるのはわたしでしょうから」
「は?」
「食中毒ならば毒殺した、事故ならば罠を張ったとでも、わたしが殺したとこじつけて、わたしやツェツィーリアさまを批難する口実にされます」
我ながら下衆な言い分だ。保身のために、ひとを救う、なんて。
ラグスター男爵子息は呆れを含んだ顔でこちらを見て、無言でわたしが肩に掛けていたタオルを手に取った。広げたタオルで、がしがしと頭を拭かれる。拭く、と言うより、掻き乱す、に近い手付きだ。
「三年二年差し置いて一年に責任被せるとか、阿呆にもほどがあるな」
「強力な魔法を持っていながら、なぜ助けないのだ。わざと見殺しにしたのではないか。……みなさまわたしを、ずいぶんと過大評価して下さっているようで」
過大評価されるように演じている面もないわけではないので、べつにそのことにとやかく言う気はないが、わだかまりが皆無とも行かない。わたしとて、こころはあるのだ。
普段はサヴァンの力を恐れ、蛇蝎のごとく嫌って封じておきながらなにを、と、思わないと言えば嘘になる。
ラグスター男爵子息がわたしの目を覗き込んで、小さく溜め息を吐いた。
「ま、そう言うことにしておいてやろう。理由がどうあれ、感謝はする。レングナーはともかく、オズヴァルトは助けてやりたかった」
「考えが甘いところはありますが、まさに善人、と言う感じの方ですよね。あそこで迷わず川に入るなんて、そうそう出来るものではないでしょう」
「同じことを、お前もやっただろう」
「全く違いますよ。命綱を着けていましたし、わたしには、自分を溺れさせない自信がありました」
「いや、たとえ安全だとしても、あんな濁流に踏み入るのは勇気が要るだろう」
それは、まあ、そうかもしれないけれど。
でも、ああ、
「わたしは、泳げますし、魔法も使えますから」
その違いがあったと、頷いて言う。泳げるか、泳げないか。魔法で身を守れるか、守れないか。水に入ることへの心理的障壁に、大きく影響をおよぼす前提条件だろう。
カナヅチにとっては絶望のみの空間も、魚にとっては生活の場なのだ。
魚のように、とまでは行かないが、海難救助関連の指導は前世で受けている。命綱も着け、魔法も使える状態でならば、濁流だろうが生き残れる可能性は十分にある。と言うか、死ぬ気はなかった。
だからわたしはべつに、決死の覚悟で沢に飛び込んだわけではないのだ。
ラグスター男爵子息がじと、とわたしを見つめてから、またため息を落とした。
「……そう言うことにしておいてやろう。だが、お前の考える難度が低かろうが、救った命の重さは変わらん」
「でしたらなおさら、助けを呼ぶべきでは?」
「話を戻すか」
「雨で足場が悪くなっているかもしれませんし、危険かと」
転んでも荷物ならば投げ出せば良いが、怪我人だとそうは行かない。背負った怪我人をかばったばかりに新たな負傷者が……なんてことだって、十二分にあり得るだろう。
「その危険も含めて経験だと、オレは思うが?と言っても、あくまでオレの意見で、決定権はウルにあるがな。レングナーが意識を戻さないなら、のんきなことも言ってられない」
指摘を受けて、マルク・レングナーに目を向ける。呼吸と心拍は戻ったし、見える怪我には手当てをしたとは言え、脳震盪や脳内出血の可能性は否定出来ない。無事目覚めるまで、いや、目覚めてすら、完全に気を抜くことは出来ないのだ。
「……起きませんね」
「心臓、止まっていたんだよな?いまは、動いてるのか?」
「そのはずですが」
近寄って、マルク・レングナーの首に触れる。指先に、脈動が伝わった。
「動いています。ですが、体温が低いですね」
毛布でもあれば掛けるところだが、ここにはない。頭に損傷がないかが心配だが、焚き火に近付けさせようか……。
考えながらマルク・レングナーの冷えた頬に手を当てたときだった。
「ん……」
世間一般的には整っていると言われるらしいマルク・レングナーの顔の、細い眉がぎゅっと寄せられた。
まつげが震え、まぶたが割れて金色の瞳が姿を見せる。
「えり、ある……?」
若干おぼつかないが、とりあえず舌は回っているようだ。
「……わたしが立てている指は何本ですか?」
「にほん」
「吐き気やめまいはありませんか?」
「それはないけど、身体中痛い」
「自業自得です」
頭は大丈夫そうだと判断し、マルク・レングナーから離れる。
「ラグスター男爵子息さま、マルク・レングナーを焚き火まで運んで頂けますか?」
「ああ」
ラグスター男爵子息にマルク・レングナーを押し付けて、自分は焚き火から離れた木の根本に座り込んだ。
疲れた。
すごく、疲れた。
立てた膝に行儀悪く突っ伏して、のろのろと息を吐き出す。
呼吸するのもだるい。今すぐ温かいお風呂で温まり、柔らかいベッドに飛び込みたい。
「エリアル、大丈夫か?」
近付いてそばにしゃがんだ気配と、落とされる気遣いがひしひしと伝わって来る声。
「疲れました」
「ああ。だろうな」
ウル先輩がいつもより優しい、しかし粗雑な手付きでわたしの頭を撫でる。
「ま、そうだな。人命救助の功績に免じて、説教はあとに回してやろう」
……あ、やっぱりお説教あるのですね。
だるっとしながら顔を上げると、思った以上に心配そうな表情のウル先輩と目が合った。
ぱちくり、と、目をまたたく。
ぐい、とわたしの頭を揺らしたウル先輩が、瞳と声を厳しくして言う。
「そんな調子じゃ、早晩のたれ死ぬぞ、お前」
「……勝てない戦いは、挑まない主義ですよ」
「間一髪の勝機を、無理矢理こじ開けようとはするだろ?」
その件に関しては、悪いのはわたしではなく状況だと言い訳しよう。間一髪の可能性に賭けなければならないような、周囲の状況が悪いのだ。
「……死ぬのは嫌ですよ。わたしだって」
視線を落として呟く。
死にたいわけではないし、死ぬ気もない。ただ、生きにくいなとは、思うだけで。
身体は驚くほど丈夫で生まれた家は裕福で、前世よりもずっと生きやすいはずなのに、どうしてこうもままならないのだろう。
大切なひとを、幸せにしたい。わたしの望みなんて、それだけのことなのに。
ふう、とため息を吐いて首を振ったあと、ウル先輩に視線を戻した。
「これから、どうするのですか?」
「とりあえず基地に戻って、ゴディと相談だな。ふたりとも目覚めたし、おれとしては自力で帰還したいところだけど、ゴディの状況もわかんねぇし、さすがに独断では決められねぇからな」
……ウル先輩もラグスター男爵子息と同じ意見なのか。
意外だと思った気持ちが顔に出ていたのか、ウル先輩がわたしを見て言う。
「……実際の戦場で下手に助けを呼べば、犠牲を増やしかねねぇから」
また、ぞくり、とした。
このひとは、違う。ラグスター男爵子息と同じ意見に見えて、全く違う意見を述べている。
ラグスター男爵子息は助けを呼ばずに自力で努力すべきと言っていて、ウル先輩は助けを呼ぶのは悪手と言っているのだ。負傷者のために、ほかの仲間を危険にさらすなと。
自分自身の判断でもし、負傷者が死んだとして、責任を取る覚悟があるのだろう。
そうだとしても。
人命に関わることならば伝えるべきだろうと、葡萄色の瞳を見据える。
「ウル先輩は二次溺水をご存じですか?」
「ニジデキスイ?」
「溺水などで肺に水や異物が入ることで異常が起き、水がない場所でも呼吸器異常で溺水のような状態になることです。肺に水が入った直後から百五十時間程度で発症し、重篤な場合死に至ります」
プールでうっかり水を飲んでしまった子が、直後はけろっとしていたにもかかわらず、ふと気付くと泡吹いて死んでいた、なんて、ショッキングな事故を起こす原因だ。溺れたときは生還しても入院すべしと言われたりするのは、このせいとか。
今回、少なくとも馬鹿狐は水を飲んでいる。慣れない野外生活で免疫力が低下していてもおかしくないので、肺炎を起こす危険性は高いだろう。
「……サヴァン、救助途中で水を飲んでいたな」
「そうなのか!?」
いつから聞いていたのかラグスター男爵子息がぼそりと呟き、ウル先輩が大袈裟に反応する。大きな手が、肩を掴んだ。
「おい、具合は」
「っ、いや、わたしは大丈夫ですが」
やめてゆすらないでひびくから。
ウル先輩の両手首を掴んで、大丈夫だとなだめる。
「もし一泊するつもりでしたら、必ず溺れた二人に監視を付けるべきだとお伝えしたかったのです。朝起きて見たら冷たくなっていた、なんて、笑えないでしょう」
「一泊するつもりもなにも、助けを呼ぶにしても帰るにしても、今からじゃそれしか、」
「あ、いえ、あのですね」
ロジアンナ山はクルタス王立学院のあるリムゼラの街からかなりの距離がある。クルタスから救援が来るにしても、馬車と徒歩なら早くても半日以上。駿馬を飛ばしても半日近くは掛かる。
ああ、先程も思ったけれど繰り返そう。
一瞬で情報を伝えられる手段に、一時間で数百キロの距離を移動出来る乗り物のあった前世は、なんて恵まれた世界だったのだろうかと。
この世界では救えず、前世であれば救えたかもしれない命は、いったいいくつになるのだろう。
けれど。
「……最短数分で帰還する手段が、ないわけではない、のです」
代わりにこの世界には、魔法が存在する。
部位欠損すら治癒出来る治癒魔法に、瞬間移動。人語を解する竜がいて、核兵器並みの力を個人が持ち得る世界。
前世であれば不可能なことで、この世界でならば可能なことも、同様にあるのだ。
「数分で?どうやって」
この問いを投げられて、人命と自分の利益を天秤に掛けたわたしは、おとぎ話のプリンセスにはなれないだろう。純粋さの、欠片もない。
「……通信石で、助けが呼べますから」
しかも、指差したのは左耳なのだから、なんとまあ悪役らしいことだろうか。
いつか地獄に堕ちたなら、それは自業自得だろう。
「ツェツィーリアさまの班にはヴィクトリカ殿下がおられます。ヴィクトリカ殿下は王宮に通じる通信石をお持ちですから、発煙筒を使うよりも早く、正確な情報を伝えられます。……王宮はクルタス王立学院よりここから遠いですが、そのぶん使える人材も多いでしょう」
「まさか騎士団や宮廷魔術師を動かすつもりか?」
「そこは、向こうの判断次第でしょうね。王宮からクルタスに繋がる通信石がないとも思えませんし、クルタスで緊急時の対応は決めているのでしょうから」
右耳の通信石を使えば、それこそ瞬く間に助けて貰えるだろう。瞬間移動が出来る魔導師にして、治癒魔法の鬼才。
けれど筆頭宮廷魔導師さまは、国にとっての切り札であるのと同時に、わたしにとっても切り札だ。交流を知られるのはともかく、その度合いは伏せておきたい。知られていないこと、は、はったりに使えるから。
知られていないと言うことは、なにが真実かわからないと言うことで、どうとでも騙ることが出来るのだ。
ここにいるのがラース・キューバーとマルク・レングナーである以上、持つ切り札、秘匿する情報は、多いに越したことはない。
……ヴァッケンローダー子爵子息には悪いが、今はわんちゃんと言う切り札の使い時ではないのだ。
「場合によっては、騎士団も動き得ると?」
言ったのは、ウル先輩ではなくラース・キューバーだった。
顔を上げ、濃紫の瞳を見据える。
「動くでしょう。クルタスよりも騎士団の砦の方が近いですから」
「あ……」
「近衛騎士団とは、言っていませんよ」
もちろん、危機に陥ったのがエリアル・サヴァンであったならば、近衛騎士団が動く可能性も十二分にある。と言うか、そんなもの吹っ飛ばして筆頭宮廷魔導師が動くだろう。
エリアル・サヴァンの危機すなわち、そのまま国家の危機になり得るのだから。
……実際、と言って良いのかはわからないが、ゲームでは暴走したエリアル・サヴァンの前に、筆頭宮廷魔導師が現れている。ゲームの視点的にはヒロインの危機なのだが、あの場面、今思えば国家レベルの危機的状況である。
サヴァン家の魔法が撒き散らされれば国が滅びかねないし、魔法が内に向かってエリアル・サヴァンが死んだとしても、今度は他国からの侵略の危険性が高まる。まして今は、国に恨みを持つ邪竜の檻でもあるのだ。
エリアル・サヴァンは、バルキア王国の急所と言える存在なのである。
……よくもまあ、ある程度とは言え自由が許されているものだと、思わなくもない。要求したのは、わたしだけれど。
だから、わたしから救難信号を発すれば、国家の最高戦力が動き得る。過去にヴィクトリカ殿下が言った台詞でもあったが、下手を打つと王太子よりも優先されかねないのだ。化け物の命、と言うやつは。
けれどそんな、傲慢な台詞を吐くつもりはない。
国民を守るために各地に散った騎士たち、彼らは国民の危機のためなら、労を惜しまず動いてくれる。そうでなければおかしいのだ。そのために、統治者は国民から税を受け取り、騎士や兵士を養っているはずなのだから。
実際は命に重さ付けがなされて、守られるのは貴族と金持ちばかり……だったりもするのだけれど。
ウル先輩がわたしを見下ろし、しばし考えてから口を開いた。
「わかった。状況だけは、伝えてくれ」
「……助けは求めない、と?」
「自力帰還の意思は伝える。それでも待機を命じられるなら従うし、今後の状況によっては救助を要請することも視野に入れる。発煙筒じゃ救助要請しか出来ねぇが、通信石なら子細を伝えられるからな。元々、学院の馬車は頼ってんだ。お迎えが馬車じゃなく教師や騎士になったところで、そこまでの減点にはならねぇだろ」
わし、と大きな手が頭をなでた。
「状況を伝えて、そっからひとまず基地へ戻る。んで、入水組の様子見しつつゴディ達を待って、ゴディが戻り次第班員の実情確認。ゴディと意見を擦り合わせてから、再度連絡、だな。その内容、伝えられるか?」
「間にわたし含めて三人入りますから、確実かは怪しいですが」
「途方もなく捻曲がらねぇならそれで良い。怪我人の数と症状、自力帰還の意思だけ間違いなく伝えてくれ。お前とミュラーと殿下なら、大丈夫だろ」
わかりましたと頷き、報告内容を詰めてからツェリと通話を繋げた。
繋がったあと、怒られるかなと思ったが、時すでに遅し。
―次会ったら、覚えていなさい。
……どうやらわたしの水難の相は、まだ消えていないようだ。
拙いお話をお読み頂きありがとうございます
鉄砲水は実際に過去死者を出した事故もあったため
お話に取り入れるのは不謹慎かとも思いましたが
山間部やダムの下流で起こり得る災害として
描写させて頂きました
もし不快に思われた方がいらっしゃったら
申し訳ありません
4月に引っ越しと所属変更で生活環境が激変しまして
余裕があまりない状態のため
今後もしばらく亀以上にとろい更新が続くと思われます
なかなかお話を進められなくて申し訳ありませんが
気長にお待ち頂けると嬉しいです




