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取り巻きCと水難の相 そのに

取り巻きC・エリアル視点


引き続き、第二回演習合宿中です


軽い暴力描写と

がっつりな暴言がございますので

苦手な方はご注意下さい

 

 

 

「…あ、やば」

 

 時計を確認して、指定された時間が近いことに気付いて慌てて荷物を確認する。

 忘れものは…なさそうかな。

 なにより重要なのこぎりと食糧を持ったことを間違いなく確かめ、集合場所である高等部裏門目指して足を急がせた。

 

 ただでさえ心象はよろしくないのに、この上遅刻なんて目も当てられない。

 

 

 

 ごきげんよう、明日に向かってではなく裏門に向かって全速前進中の取り巻きCことエリアル・サヴァンです。

 走ってはいないよ、速歩きだよ。

 

 ただいま第二回騎士科演習合宿初日。なかなかにアウェイな班なのだけれど、やるからには頑張ろうと思います。

 行き先は、ロジアンナ山。乗り合い馬車を利用したとしても、今日はほぼいちにち移動に費やされそうだ。

 前回より期間が長くて七日間とは言え、移動にそんなに掛かるとなるとなかなか厳しいね。やっぱり、

一回目より二回目の方が難易度アップなのだろう。

 

 ツェリ、大丈夫かな…。わたしみたいな班になっていないと良いけれど。ツェリ自身がやる気だったから良いかと思ったけれど、演習合宿参加は止めるべきだったのかな。

 ちょっと連絡を…いや、邪魔しても悪いし…。

 

 うじうじと考えつつも、どうにか時間前に裏門に辿り着く。

 時計を見れば、定刻三分前。…本当にぎりぎりだな。

 ひらひらと手を振ってくれた副班長のゴットフリート・クラウスナー子爵子息、ゴディ先輩に、小走りで近付いた。

 

 

 

「さっきもだけど、時間ぎりぎりとからしくないな」

「申し訳ありません…」

 

 見回すと班長であるウルリエ・プロイス先輩と、マルク・レングナー以外の班員はすでに集まっていた。

 ゴディ先輩が、笑ってわたしの背中を叩く。

 

「遅刻じゃないから、謝ることはないさ。ただ、いつもはもっと余裕持って動いているよなと思っただけで」

「ここのところ、寮に戻っていなくて…。今朝は王都から来たらぎりぎりになってしまって、今は荷造りついでに少し掃除をと思ったら時間を使い過ぎました」

「王都から?それはまた、ずいぶん朝早く出たんじゃないかい?」

「ええ。本当はもっと早く着く予定だったのですが、乗り合い馬車がやたら遅れて」

 

 中継地で傍迷惑なおっちゃんがやらかしたのだ。お金を持たずに乗り合い馬車に乗って、現品支払いさせろとか、ほんとやめて欲しかった。

 

「乗り合い馬車で来たのかい?」

「便利ですよ。安いですし」

「でも、危ないんじゃないかい?」

 

 乗り合い馬車が危ないと言うのは、お坊っちゃまの意見だなぁ。

 

「歩くよりずっと安全ですよ?危険だなんて噂になったら、商売になりませんから」

 

 乗り合い馬車も辻馬車も、馬車ギルド所属の正式な馬車ならそれなりに安全が保証されている。なぜなら馬車屋のバックには、日本で言うヤの付くひとたちみたいな方々が付いているからだ。

 襲って得た利益が、受ける報復に見合わない。ひとを襲って身を立てるようなひとだからこそ、その辺の見極めはシビアだ。

 

 まあ、身も蓋もなくぶっちゃけてしまえば、平民御用達の馬車屋を襲うより、貴族の馬車を襲った方がローリスクでハイリターン、なのである。

 馬車内で問題起こしても、得られるものはタコ殴りの刑なので、痴漢の心配もない。スリだけ注意しておけば、安全かつ比較的時間の見積もりのしやすい移動が保証される。

 

 保証される、のだが。

 

「普段ならそこまで遅れたりもしないのですよ。今日はちょっと、運が悪かったですね」

 

 今日はなぜかおっちゃんが馬鹿やった。

 あまりにごねるので御者のあんちゃんが怒ってぶん殴ってた。あれだけごねてこぶし二発で済んだことを、おっちゃんは感謝すべきだと思う。

 

「エリアルって、」

「おう、おれが最後か。悪ぃな」

 

 ゴディ先輩がなにかを言いかけたところで、プロイス先輩がマルク・レングナーを引き連れてやって来た。マルク・レングナーの服装が変わっている。プロイス先輩は一時間を、マルク・レングナーのために費やしたのだろう。

 なんと言うか、うん、疑いようもなく面倒見の良いひとだね。

 現に中立派では、我らが兄貴、スターク・ビスマルク先輩的立ち位置みたいだし。

 

 頬を掻きつつ謝る姿も、からっとしていて嫌味がない。

 ぐるっと顔を巡らせて、ひとりひとりのようすを確認している。

 

「忘れもんはねぇな?んじゃ、行くか。途中までは、馬車頼んであるから」

「まさか自前ですか?」

ちげぇ。おれはそこまで太っ腹じゃねぇって。申請しとけば学院側で用意してくれんだよ。授業のためならタダで使えんだ。便利だから、覚えとけよな」

 

 問い掛けると、ぺん、と額を指で弾かれた。

 

 学院所有の馬車のことは、知っている。辻馬車や乗り合い馬車の方が安いから使ったことはなかったが、授業内ならタダ乗り出来るのか…知らなかった。

 

「九人乗り二台頼んどいたんだが、六人乗りで良かったか…。まあ良い。適当に半分に…あ、いや、おれとゴディは同じ馬車で、一年も一緒のに乗りてぇから…アクセル、ヘルマン、お前らは同乗すっか?」

「アクセル、同乗したいでーす」

「ヘルマン、同乗希望します」

 

 プロイス先輩が声を掛けたのは中立派の二年生たち。アクセル・オクレール伯爵子息と、ヘルマン・ブレンダー伯爵子息だ。

 クララことクラウス・リスト先輩を彷彿とさせる少しおちゃらけた方がアクセル・オクレール先輩。彼とは対照的に真面目で寡黙な感じの方がヘルマン・ブレンダー先輩だ。

 

「んじゃ、こっちの馬車はこの七人で、残り五人がもう一台で良いか?」

「…ああ。良いよ」

 

 アイコンタクトののち、第二王子派の三年生ひとりが代表して答える。ふむ。敵対心がないわけではないが、出て行った三年生よりは理性的なひと、かな?

 このまま揉めごとなく、七日間が過ぎれば良いのだけれど。

 

 先輩たち優先で乗車して貰ったあとで、一年三人が馬車に乗り込む。王立学院手配の馬車だけあって、今朝乗った乗り合い馬車とは段違いの質だ。外見も綺麗だし、扉から見える内装も質素ではあるが上質だ。大人数が乗る馬車で椅子が布張りと言う事実に、感動を覚える。

 乗り合い馬車の座席?板ですよ板。と言うかひどいと、もう椅子からしてない。木箱を固定したような椅子があったらまだ良い方で、単なる荷台に詰め込まれることもある。

 

 良いの。乗り心地より値段だから。

 

 ほけーっと馬車を観察していたせいで、乗り込みが最後になった。

 急いで乗り込もうとしたところで、馬車から手を差し伸べられる。

 

「足下、気を付けて」

「ありがとう、ございます」

 

 面喰らいつつもひとまず大人しく手を借りて、誘導されるまま腰を落ち着けてから言う。

 

「淑女扱いは、しなくて良いですよ?ゴディ先輩」

「え、でも」

「せっかくお気遣い頂いたにもかかわらず申し訳ありませんが、どうしても別扱いが必要な場面以外ではほかの騎士科生と同じ扱いをして下さい。わたしも、騎士科生ですから」

 

 ちやほやされたくて、騎士科に入ったのではないのだ。

 

 しばし呆気に取られた顔をしたゴディ先輩が、ふっと苦笑いをする。

 

「いや、ぼくの方が失礼だった。決して、エリアルを馬鹿にしていたわけじゃないんだけど、考えが甘かったな。もうしない」

「ありがとうございます」

 

 たぶんゴディ先輩はみっちりと躾られたひとなのだろう。女性への気遣いを、当たり前に刷り込まれたひと。

 

 その躾に反する要求を飲んでくれたことに、心からのお礼を述べる。

 

 なお、女性扱いは要らないのですけれど、マルク・レングナー対策は手伝って頂けると助かります。

 さりげなくマルク・レングナーから離れた席次に誘導してくれた先輩に、心のなかでお願いする。表情で察したらしいゴディ先輩が、わたしの肩を軽く叩いて頷いた。

 

 なんとなく、その手に目が行く。男性にしては、少し小さめの手だ。と言ってもわたしよりは大きいのだけれど、るーちゃんやわんちゃんに比べるとだいぶ小さい。

 

「ん?ぼくの手がどうかしたかい?」

「ああ、いえ、双剣使いは珍しいな、と」

「いや、エリアルには言われたくないな?」

 

 正直に手が小さいなと思っていたとか言うわけにも行かないので、無難な台詞で逃げを打ったらカウンターが来た。

 双剣は学年に数人ずついるが、日本刀的な細身片刃両手持ちの曲刀を使っているのは、現状の高等部騎士科でわたしだけだ。

 

「…確かに」

「ははっ、でも、お互い珍しい剣を使っているのはその通りだな。ぼくの場合は父が双剣使いでね。幼い頃から父に習っていたからこうなった。で?エリアルは?」

「わたしは…この剣が家にあったので」

 

 祖父の遺品である剣を、そっとなでる。ふたりの兄は剣を取らなかったため、わたしに回ってきたもの。

 日本刀に似たその剣に、運命めいたものを感じなかったと言えば嘘になる。

 

「へぇ?もしかして家宝だったりするのかい?」

「いえ、まさか。家を継ぎもしない第三子に、家宝を持たせたりしませんよ」

 

 抜けばわかるが、明らかに斬るために造られた剣だ。いわゆる守り刀のような、儀式用の剣ではない。もしもサヴァン家代々受け継がれて来た剣だったとしても、宝としてではなく力として受け継がれたものだろう。

 

「ふうん?でも、剣技秤けんぎしょうを叩っ斬るくらいの切れ味だろう?名のある名工の作だったりしないのかい?」

「どうでしょうね?あまり詳しく由来を聞いたわけではないので、わかりません」

「ゴディいぃ?サヴァぁあン?ふたりっきりで仲良くしてんじゃねぇぞぉお?」

 

 隣同士できゃっきゃうふふしていたら、前の席から怒りのお声が投げられた。

 

 座席の背もたれから顔を出したプロイス先輩が、こちらをじとりと睨んでいる。

 あ、今さらながら座席について言うと、ボックスシート+一列の形で三人掛けの座席が並んだ馬車で、わたしとゴディ先輩で+一列側の席を独占中だ。わたしたちの席の前、+一列に背を向けた座席にプロイス先輩と二年生ふたり、その席に対面する座席にラース・キューバーとマルク・レングナーが座っている。

 進行方向を向いて右手側に扉、左手側に窓があって、わたし、プロイス先輩、ラース・キューバーが窓際の席だ。

 

 プロイス先輩に追随するように、オクレール先輩がぴょこんと顔を出した。

 

「と言うか、席順、おかしくないですか?ウル先輩、一年とゴディ先輩を呼んだのに、なんでそのふたりが隔離席陣取っちゃってるんですかー?」

「え、だって、どうせなら可愛い顔だけ見てたいから。これから七日間、嫌でも男ばっか見なきゃいけないのに、馬車でも男と顔を突き合わせるとか、なにそれ、拷問かい?」

 

 え、そんな理由でわたしこの席に誘導されたの?違うよね?マルク・レングナーから離してあげようって言う、ゴディ先輩の優しさだよね?

 

 真っ黒な発言をしたゴディ先輩を、目を丸めて見つめる。

 オクレール先輩が、ぶーっと唇を尖らせた。

 赤茶の髪と瞳、くりっとした垂れ目の童顔な先輩なので、そんな表情も事故にならない。なんと言うか、クラスのムードメーカーとして女子から可愛がられるタイプのひとだ。

 

「そう思うなら貴重な女子を独占しないで下さいよー」

「いや、可愛い後輩を狼の群れに投げ込むとか、お断りだからな」

「俺は可愛くないってことですか!?」

 

 オクレール先輩の突っ込みに、ゴディ先輩が心底驚いたと言う顔を作る。

 

「え、アクセルに可愛い要素とかあるのかい?」

「ひ、ひどっ!こう見えて、お姉さま方に可愛がられる存在なんですからねっ!?」

「なら好きなだけお姉さま方に可愛がられると良いよ。ぼくはエリアルを可愛がるから」

「ええっ!?ちがっ、俺にも可愛い後輩を愛でさせて下さいよー」

「なら、きみは座席にきちんと座って前に座る後輩を存分に可愛がりなよ」

 

 うん。いじられキャラだ。間違いない。クララ先輩と同じ波動を感じる。ちなみにゴディ先輩からは、るーちゃんとパスカル先輩を足して半分引いた感じの雰囲気を感じる。

 つまり、ゴディ先輩が上だ。いじる方だ。

 

「いつの間に、ゴディと仲良くなったんだ?」

「え?解散後に、少し話したとき、ですかね?」

 

 隣の言い合いをスルーして、プロイス先輩がわたしに話し掛けて来る。ふむ、と頷いたプロイス先輩が、

 

「おれもウルで良いぜ?」

 

 手を伸ばしてわたしの顎を持ち上げる。

 

「だからお前はエリアルな」

 

 にっと笑って宣言。

 

「…わかりました。ウル先輩」

「ん。よろしくな、エリアル」

 

 素晴らしく俺様な態度だったのに、いや、だからこそ?空気に呑まれるように、頷いてしまった。

 笑みを深めたプロイス先輩…ウル先輩が、くしゃっとわたしの頭をなでる。

 

 ウル先輩はひとの頭に触るのが、ゴディ先輩は肩や背中を叩くのが癖、みたいだね。ウル先輩は上に立って引っ張るひと、ゴディ先輩は隣に立って背中を押すひと、と言う感じがする。

 班長と副班長として、バランスの良い組み合わせだろう。

 

「ちょちょっ、ウル先輩まで抜け駆けずるい。サヴァン、俺も俺も。アクセルな?んで、エリアルな?」

「はい。アクセル先輩…と、ヘルマン先輩」

 

 ひょこりと顔を出して目で訴えられたので、付け足す。満足そうに頷いて、ブレンダー先輩からヘルマン先輩に変わった先輩が席に戻る。

 

 …中立派の先輩方には、認められたと思って良いのかな?

 

「エリアル、ボクも名前で呼んで欲しいなー?」

「嫌です」

 

 便乗しようとしたマルク・レングナーには、即答でにっこりとお断りを入れた。

 

「うわ、ひどーい」

「出来ればわたしの名前を呼ぶのもやめて欲しい…と言うか、話し掛けないで欲しいのですが」

 

 わたしの周囲をうろつく人間のなかでは、ワースト1のマイナス評価を受けているのがマルク・レングナーだ。名前呼びを許した記憶はないし、親しく付き合う気もいまのところない。

 

 わたしが表情と口調だけにこやかに発した台詞は、周囲を絶句させた。

 

 わずかに眉を寄せたラース・キューバーが、他人のいる場所では珍しく冷ややかな声を出す。

 

「仮にも高位の家の人間に、その言いぐさはどうかと思いますよ」

「申し訳ありません。なにぶん低位の家出身で、育ちが悪いものですから。これでも精一杯気を遣った発言を心掛けたのですが、公爵家子息さまにはご不快に聞こえてしまったのですね。

 どうぞ、公爵子息さまとそのご学友さまは、わたしのような下賤な者などなきものと扱って下さいませ。その方が、お互い平穏に過ごせましょうから」

 

 にこり。

 

 え?言い回しで誤魔化しているけれど、遠回しに関わるなって言っている?あはは、そんなまさか。

 込めた気持ちは、『てめぇとなんざ関わりたくねぇんだよこのピーが、消えろこのピー』です。はい?ピー音が入った?気のせいではないデスカ?

 

 とりあえずブリザード吹きすさばせてみたけれど、さて、反応はっと。

 

 まず解凍されたのはウル先輩で、額を押さえつつ一年生に警告を出した。

 

「あーもう。お前ら、仮にも同じ班の仲間なんだから、穏やかに行け穏やかに。とりあえず、嫌なら必要最低限以外関わらなくて良いからよぉ、猫みてぇにぎゃーぎゃー喧嘩すんなって。んで、エリアルはレングナーにもうちょっと優しくして、レングナーはエリアルに必要以上に関わるな」

「………」

「えー。エリアルが優しくなるべきってゆーのは賛成だけどー、ボクはエリアルと仲良くしたいんですよねー。なーんで仲良くするのにー、先輩から口出しされないといけないんですかー」

「黙れ言うこと聞けねぇんならここで放り出すぞ」

 

 マルク・レングナーを睨んだウル先輩の目は、本気だった。暴君っぽい発言だが、そもそもウル先輩は前もって言うことの聞けないやつは帰るようにと伝えている。事前注意があったのだから、決して間違った言い種ではないだろう。

 

「…っ」


 ぱっと立ち上がって、ウル先輩の頭を抱える。

 

「はっ?」

「わたしの目の前でそれが許されると思いましたか?」

 

 白銀の柔らかな髪に被われた頭をぎゅうっと胸に抱いて、マルク・レングナーを睨み下ろす。

 

 この屑は、まだ理解しないと言うのか。

 まだ、魔法でひとを操ろうと言うのか。

 

 いつまでも学ばないと言うのなら、そんな存在脅威でしかない。敵だ。疑うべくもなく。

 

「あなたが学ばない限り、わたしがあなたに露ほどであろうと好感を持つことは、あり得ません」

 

 パンに生えたカビを見るときの方が、今よりまだ温度のある目をしている自信がある。

 

 目の前のコレが平気でひとの心を弄ぶなら、それはすなわちツェリの危険だ。そんなもの、折るべきやいばでしかない。

 警告は、いちど発した。たとえ生い立ち上酌量の余地があるとは言え、いつまでも甘い態度は取れない。

 

「……わたしは、言いましたね?人語を解せない人間は嫌いだと。訂正して、繰り返しましょう。わたしは、他人をひととして扱わない人間を、ひととして扱う気はありません。今のあなたは、わたしにとって、路傍のつぶてよりも無価値で無為な存在です。石が喋ったらあなたはどう思うのでしょうね?おぞましい。わたしの前で呼吸をしないで頂けますか?」

 

 ああ、怒りでくらくらする。

 うつむいた顔に、柔らかい髪が触れた。小鳥の羽を彷彿とさせる、ふかふかの触り心地だ。

 

 思わず現実逃避で、そのふかふかに頬を擦り寄せた。

 

「お、おい、エリアル…?」

「あーー…………申し訳ありません」

 

 ふかふかの持ち主にもの申されて、名残惜しくも手放す。

 あんな毛並みの犬とか飼いたい。癒しが欲しい。

 

 ああ、どこかにわたしの天使(ツェリ)が落ちていたりしないかな。

 

「どうしたんだよ?レングナーが、なにかしたのか?」

 

 そこで怒るのではなく理由を訊く辺り、ウル先輩は出来たひとだと思う。

 背凭れを挟んで向かい合うと言う謎の状況での尋問に、目を伏せて答えを迷った。

 

 マルク・レングナーがウル先輩を洗脳しようとした。

 そう言ってしまうのは簡単だけれど。

 

「……合宿中、あなたの好きにはさせませんよ」

 

 低い声でマルク・レングナーに言い放ち、すとんと腰を下ろした。

 

「申し訳ありません。喧嘩してしまいました」

「単なる喧嘩にしては、発言がえげつなくはなかったかい?」

「…口が悪いのです、わたしは」

 

 ゴディ先輩にまで追及されて、ふいと窓を向く。ぐいと頬を押されて、前を向かされた。

 

「なんかあんなら、班長に言え」

「突然奇行に走って申し訳ありません。少し、取り乱しました」

「嘘を、」

「エリアルはきっと言わないからー、ボクが言いますよー」

 

 わたしに詰問しようとしたウル先輩を遮って、マルク・レングナーが言う。ウル先輩が、振り向いた。

 

「ボクは洗脳魔法使いでー、あなたを洗脳して都合良く操ろうとしたんですー。それにエリアルが気付いてー、あなたを守ったんですよー。ボクよりエリアルの方が魔力が高くってー、ボクの洗脳を弾けるからー」

 

 洗脳、の言葉に先輩たちの視線が厳しくなる。

 マルク・レングナーは厳しい視線をものともせず、一分いちぶの反省も悪怯わるびれも見えない態度で続けた。

 

「ボクは洗脳でエリアルを操ろうとしてー、怒られたことがあったんですよー。洗脳なんて苦痛でしかないもの、使うべきじゃないってー。それをボクが簡単に破ったからー、エリアルは怒ったんですよー」

 

 ぴぃんと張った空気のなかで、マルク・レングナーだけがへらへらと笑っていた。

 

「エリアルはお人好しだからー、ボクみたいなのも変われるって思ってくれてるんですよねー。洗脳しか出来ないボクでもー、誰かを救って役に立てるってー。だからー、自分で守る代わりにー、ボクの悪事を黙秘するなんてやるんですよー」

 

 ほんっとー、馬鹿みたいにお人好しですよねー。

 

 へらりと笑ったマルク・レングナーを殴ったのは、

 

 ばしんっ

 

「不愉快です。謝罪しなさい」

 

 ラース・キューバーだった。

 それは誰にとっても、わたしやマルク・レングナーにとってでさえ、予想外のことで。

 

「え?ラースサマ?」

 

 マルク・レングナーも、笑みを失った引きつった顔でラース・キューバーを見た。平手でマルク・レングナーの後ろ頭をひっ叩いたラース・キューバーが、冷えた声でのたまう。

 

「あなたは曲がりなりにも殿下と近しい存在。ソレがソノざまでは、殿下の評価にまで響きます。愚かな行いを恥じ、プロイス伯爵子息とサヴァン子爵令嬢に謝罪しなさい」

 

 ああ、と思う。

 ラース・キューバー(このおとこ)の本質は、きっととてもエリアル・サヴァン(わたし)に近い。不必要に心を揺らさず、ただ地雷を踏まれたときだけ残酷にその手を翻す。

 

 微笑みなんてそんなもの、無表情の代わりに貼り付けた仮面でしかないのだ。

 

 もしも最上位が同じであれば、彼とは手を組めたかもしれない。残念ながら、彼の最上位は第二王子殿下で、ツェリを最上位に置くわたしとは敵対位置だけれど。

 

「魔法は、犯罪の手段ではありません」

 

 そうだね、彼の場合は、魔法をよこしまな目的に使おうとしたことも逆鱗か。

 ゲーム内で、ラース・キューバーとマルク・レングナーの仲は険悪だった。単に性格の問題かとも思っていたが、こう言う背景もあったのかもしれない。

 

 キューバー公爵家は信仰レベルで魔法至上主義な家だ。ラース・キューバーも、魔法の地位を貶める行為などもってのほかと、幼いときから教育されているのだろう。

 たぶん幼いころから当たり前に魔法を悪用して来たマルク・レングナーとは、真逆。

 

 それにしても、大っ嫌いであろうエリアル・サヴァンへの、謝罪を認める、か。

 多少意固地なところはあるし、わたしへの憎悪は半ば理不尽とは言え、基本的には公正で真っ当な人間なのだよな。

 

 …と言うかたぶん、誰だって、環境が良ければねじ曲がったりしないのだ。空に向かって真っ直ぐ育とうとしていたところに、強い風が吹いたり、ほかの木が枝を伸ばしていたり、病害虫に襲われたり、熊剥ぎに遭ったりしてしまっただけ。

 

 だから舌先三寸でマルク・レングナーを叩き直そうとしてみたり、ラース・キューバーの風当たりが強くならないように余興をしてみたりもしたわけだけれど。

 

 ふっと微笑んで立ち上がり、ウル先輩の座席の背凭れに肘を突いた。目を細めて、ふたりの一年生を見下ろす。

 攻略対象だけあって、見目だけは文句なしのふたりだ。揃って山歩き向けの装備(マルク・レングナーはウル先輩に着替えさせられたのだろう)をしているが、それでもモサくは見えない。

 

 …一般論的に整っていると思うだけで、ときめいたりはしないのだけれどね。

 むしろウル先輩のモフモフ頭の方がときめく。もう一回なでる機会ないかな。

 

「…わたしに対しての謝罪は、しなくて良いですよ」

「はい?」

 

 笑顔ながら、こいつなに言ってるんだ、と言う感情を出して、ラース・キューバーがわたしを見上げる。

 ウル先輩やほかの先輩たちも、もの言いたげな表情をしている。

 

「当人がなぜ悪いのか理解出来ていない状態での謝罪など、無意味ですから。馬の耳に、…医学書を読み聞かせるようなものです。それでしたらわたしは、真っ向対立を選びます」

 

 うっかり馬の耳に念仏と言いかけた。念仏とかね。ないよ。

 

 ついとマルク・レングナーへ目を移し、挑発する。

 

「迂遠なことはせず、わたしに洗脳を掛ければ良いのです。まあ、あなたは意気地なしの卑怯もので、わたしのような魔法の才能もありませんから、正々堂々わたしに掛かって来るなど出来もしないのでしょうが、もし、真っ向からわたしに対して魔法で挑もうと言うのならば、そのときだけは相手をして差し上げますよ。

 けれど、わたしではなく精神攻撃魔法を持たない人間の心を、不意討ちや騙し討ちで操ろうとするのであれば、あなたが踏み躙った分だけ、わたしも踏み躙りましょう。

 あなたが、自分の過ちに、犯した行為の恐ろしさに、気付けるように」

「…あなたは」

 

 攻撃の対象は、わたしだけで十分だ。

 ラース・キューバーの声は無視して、マルク・レングナーだけを見据える。

 

「面と向かって掛かって来る度胸もない人間など、わたしが意識を向ける価値もない!」

 

 断言して、すとんと、腰を落とした。

 もう、顔を見る気もしない。

 

「…エリアル?」

「あー…申し訳ありません」

 

 ゴディ先輩に困った顔で覗き込まれて、片手で顔を覆った。

 

「少し、気が立っているみたいです。落ち着くまで、そっとして置いて貰えますか?」

 

 情けない。こんな風に取り乱したりして、恥晒しだ。

 

「申し訳、ありません。班行動を邪魔したりしないように、冷静になるべきですよね」

 

 自由にひとの心を操って、好き放題して。

 

 マルク・レングナー(あれ)は、なっていたかもしれない自分の姿だ。

 わたしもマルク・レングナーのように、いや、マルク・レングナーよりも強い力で、他人を好きに操れる。

 前世の記憶と今世での教育があったから、辛うじていまは、理性が勝っているだけの話。

 

 ああ、なんて惨めな話なのだろう。

 

 マルク・レングナーはもう、わたしへ商品を見る目を向けては来ない。

 

 それでもわたしがマルク・レングナーを毛嫌いするのは、自分の嫌な部分を見せ付けられて恐ろしいから、だろう。ごちゃごちゃと御託を並べ立てて誤魔化しても、結局自己嫌悪が根本にあるのだ。

 同属嫌悪。そんなもので、先輩方を困らせてはいけない。

 

 ぎゅっと握った両手で、両の目を隠す。

 

 ツェリに会いたい。顔が見たい。

 愛らしくも、強い、わたしの良心…。

 

 不意に落ちて来た手が、ごつんと頭を叩いた。

 頭に響く衝撃と痛みに、がばっと顔を上げる。

 

「お前、難しく考え過ぎだ」

 

 腕を組んだウル先輩が、わたしを見下ろしていた。どうやら彼の鉄拳制裁を受けたらしい。

 

「レングナーがなんかやったらおれに言え。そのたびぶん殴って叱るから。んで、お前はごちゃごちゃ考えずに、逐一おれとゴディに迷惑掛けろ」

 

 たっくよぉ、と、聞き分けのない子供を前にしたみたいな顔でウル先輩がぼやいた。

 

「お前まだ一年だろうが。一年は失敗して失敗して失敗して失敗して、先輩に笑われたり怒られたりしながら学ぶのが仕事だっつの。本当に危ないことは前もって伝えるから、それ以外はなに失敗しようがどんな迷惑掛けようが、先輩に甘えて頼ってりゃ良いんだよ。馬鹿が」

「ですが、」

「でももだってもねぇ!お前は可愛いんだから失敗しても可愛く笑って謝っときゃ大丈夫だ!」

 

 …その理論はどうなの。

 

「わかったら返事!」

 

 鋭い声で指示されて、びくっと背筋が伸びた。

 

 いやでも、これは、

 

「……善処します」

「答えは“はい”か“わかりました”だ!ほかは認めない!!」

 

 やばい拒否権がないよ。

 

 うん。こうなったら、

 

「(にっこり)」

 

 最終奥義、笑って誤魔化すしかない。

 微笑んだわたしを見下ろして、ウル先輩は頭を掻いた。そのままぎゅっと、鼻を摘ままれる。

 

「むぎゅ…」

「おれは、スーみてぇに甘くねぇぞ?」

 

 わたしの鼻を摘まんだウル先輩が、それはそれはSっ気溢れる笑みで言い放つ。

 

「お前が理解して折れるまで、言い続けるからな?覚悟しとけ」

 

 宣言して手を離したウル先輩は、姿勢を戻して、

 

 ごちんっ

 

「っ、たぁーっ!?」

 

 どうやら有言を実行したらしい。

 

「仲間を洗脳する馬鹿がどこにいる!次やったら、こんなもんじゃ済まさねぇからな!!」

「い、痛ーいー…」

 

 聞こえる叱責の言葉と半泣きの声に、荒んでいたはずの心も忘れてぽかんとした。

 

 べしっ

 

「返事は!?」

「っ…」

 

 ばしんっ

 

「返事!」

「っ、はい!」

「よし。良いか?その痛みを忘れるなよ?」

「……痛ぁ……」

「返事!」

「はいっ!」

 

 鉄拳と平手打ちでマルク・レングナーを折って見せる姿に、脱帽する。

 

 あ、いや、あのね…。

 すごく原始的な方法ではあるのだけれど、対処として間違ってはいないのだよ、実は…。

 やー、うん。精神攻撃魔法って言うのはつまり、術者が想像したものを相手に反映させる、みたいな魔法でね。術者の想像力を潰せば、魔法も使えなくなる、と言うわけ。そうしたらさ、ね?ぶん殴って痛め付けて、うわ痛い、しか考えられないようにしておけば、魔法を封じて置ける、と言うわけだ。

 

 さらに、痛みを忘れるな、と言う警告。

 違反→制裁→警告を繰り返すことで、マルク・レングナーは洗脳を使うときに制裁、すなわちぶん殴られる痛みを思い出すようになる。痛いのは嫌だから、違反行為である洗脳を忌避するようになるって、うん、蛙の学習実験みたいな話だ。あるいは、犬の躾?

 

「ウル、冬の演習合宿で、問題児の躾をやらされていたらしいから…」

 

 少し遠い目で、ゴディ先輩が呟く。

 …もしや噂の、フリージンガー団長式訓練だったりするのだろうか。確かウル先輩も、るーちゃんやラフ先輩と同じところに行っていたはずだ。

 

 本当に、調教師なのか、フリージンガー団長…。

 

 冬の演習合宿で会う可能性もあるひとだが、人物像がどんどんとんでもない方向に向かっている気がする。もう、実は人じゃないとか言われても、驚かないよ…。

 

「さて、んで、一年を呼んだわけだが、エリアルはうしろでちゃんと聞いてろよ?」

「はい、先輩」

「よし。キューバーとレングナーも良いな?」

 

 そこからウル先輩が、演習合宿心得を伝授してくれる。

 組み立てられたマニュアルのように滔々(とうとう)と、しかも簡潔にわかりやすく伝えられる諸注意や留意事項、受講にあたっての心構えや態度については、ウル先輩の生真面目さを表しているようで。

 

 優男な王子さま面も、粗野で大雑把な言動も覆す、真面目で規律に厳しい一面に、少し驚いた。

 

「ま、いま言ったのはあくまでおれの班にいる場合の心得だから、べつのやつの班になったときまで遵守する必要はねぇけどよ、意識しとけばためになることもあっから、良いと思うとこだけでも覚えとけ」

「はい、先輩」

 

 厳守しろ、ではなく、良いところを吸収しろ、と言うところがなんとなくウル先輩らしいなと思いながら、良い子のお返事をする。

 一度目の演習合宿のお陰か、気持ち程度だが騎士科らしい態度が身に付いている気がする。やっぱり、五日間行動を共にする、と言うのは大きいね。

 

 ウル先輩のありがたいお話(二年生も真剣に聞いていたから、実際ためになるお話なのだろう)のあとしばらく馬車に揺られ、いちど休憩を挟んで席替えがあった。

 

「ええと…あの…良いのですか…?」

「「男とふたり掛けとか、御免被ごめんこうむるわ!」」

「アッハイ」

 

 良いと言われたので、打ち合わせする先輩の横でぼーっと景色を眺める。マルク・レングナーは先の鉄拳制裁が効いたのか、休憩中含めわたしに絡んで来ていない。

 

 平和だ。

 

 馬車はだんだんと、緑多い土地に向かっていた。


 ロジアンナ山はクルタス王立学院のあるリムゼラの街から馬車で六時間ほどの位地にある山だ。前回合宿で行ったツァボルスト高地のあるブロワバルド山脈に属する山なのだが、ツァボルスト高地よりもさらに学院から離れた場所にある。

 

 山の標高は二千メートルほど。山頂に広い盆地を持った台形の山で、その盆地の半分は湖だと言う。おそらく過去の噴火跡地によるカルデラ地形だと思うが、記録にある限りで噴火したことはない。

 

 …さすがに、噴火はない、よな?

 

 前回の悲劇からとてつもなく心配性になった思考が嫌な想像に向かうのを、のどかな風景で紛らわせる。


 道に沿うように流れる小川で、ぴょんと魚が跳ねた。

 水面を反射する太陽光が、眩しい。

 

―アル、今、大丈夫?

 

 ツェリから通信が届いたのは、そんなときだった。

 反射的に姿勢を正し、横目で先輩ふたりをうかがう。

 

 打ち合わせはまだ、続いているようだ。

 前回の合宿演習中、スー先輩とラフ先輩ふたりの打ち合わせはあまり見なかった気がするな、と思いながら、わたしの天使に大丈夫ですと返事する。

 

―どうかなさいましたか?

―今馬車で移動中暇だから、あなたのようすを聞こうと思っただけよ

 

 情報交換により、ツェリがまたヴィクトリカ殿下と同じ班だと知る。班長はスー先輩だが副班長はラフ先輩ではないと言う話だ。

 そちらの班は採集ではなく、お使いが課題だとか。

 

―…きんぎょ、ですか?

―そう。金魚よ。

 

 王宮で特殊な金魚を受け取り、その金魚を指定の場所へ送り届けたのち、新たな金魚を受け取って王宮に戻り、確かに仕事を全うしたことを認める証明書を貰うのが課題らしい。

 

―では、いまは、王宮に向かって?

―いいえ。王宮で金魚を受け取って、最初の目的地に向かっているところよ

―最初の目的地ですか?

 

 どうやら、お使いとは言え一筋縄では行かないようだ。

 金魚版わらしべ長者をやらなくてはならないらしい。

 

―たかがお使いと思うでしょう?水温とか水の揺れとか金魚の体調とか呼吸とか、逐次気にしなきゃいけなくて本当に大変なのよ!!

―それで、風と水の使い手が選ばれているのですね

―そうみたいね。たぶん、騎士科は護衛の訓練なんでしょう

 

 前回王太子であるヴィクトリカ殿下が危険に遭遇してしまったので、今回は安全を期したのかもしれない。

 

―くれぐれも、賊や物取りに気を付けて下さいね

―ええ。あなたもね。仮にも女ひとりなんだから、注意しなさいよ?

 

 ツェリに、ラース・キューバーやマルク・レングナーの存在は伝えなかった。騎士科生の名前なんてわからないでしょう?とはぐらかして。

 ただ、女ひとりになってしまったとだけ、愚痴を伝えた。ツェリの班はツェリを含めずに四人も女生徒がいると言われたから。

 

 襲われたら遠慮なく反撃しなさいと言われたけれど、わたしなんて誰が襲うと言うのだろう。

 けれどそれを言うとお説教を喰らいそうな予感がしたので、気を付けますねと軽く流した。

 

―…ほんとうにわかっている?

 

 だからどうしてそこで疑われるのかな。

 

―お嬢さま、わたしが信じられないとおっしゃるのですか…!

―ええ。そうね。……そこに関しては、ヴィックもあなたを信用していないそうよ

―酷いです…っ。わたし、誠心誠意、お嬢さまにお仕えして、いるのに…!

 

 よよ、っと泣き出しそうな声音を装って、通信を送り付ける。

 

 はじめすげなく切り捨てたツェリが、やっと乗ってくれる。なんだかんだ言って、付き合いの良いお嬢さまだ。さすが我らがお嬢さま。まいすうぃーとえんじぇる。

 

―あなたが優秀だからこそ、心配なのよ…!わかって…っ!

―お嬢さまっ

―アル…!

 

 …いつもの茶番も、顔が見えないと味気ない。小柄だが柔らかい身体に、触れることも叶わない。

 

―会いたいです。ツェリ

 

 ぽつりと漏らしたひと言に、通信が沈黙した。

 

 はっとして訂正する前に、ツェリの声が届く。

 

―会いたいと思っているのが、あなただけだとでも?

 

 だいたい、この前の演習合宿後にぱったり連絡が取れなくなったのは、どこの誰だったかしら?あなたよりも私の方が、ずっと会いたいと思っているわよ。

 

 ツェリから伝えられる、つんとした口調の、けれど愛情たっぷりの言葉に思わず苦笑が漏れる。

 

 敵わないなぁ、この、悪役令嬢さまには。

 

―愛しています、お嬢さま

―私もよ

 

 笑み混じりに伝えた愛に、当たり前のように返される返答。

 そんな他愛もないやり取りがどれだけわたしを救うのか、ツェリはわかっているだろうか。

 

 ささくれ立っていた心が、落ち着いて行くのを感じた。

 ツェリを救いたいと思っているけれど、きっとずっとわたしの方が救われている。

 

 ツェリに会うためにも、なにごともなくこの合宿を終わらせないと。

 

 その後も雑談をしてツェリ分を補給して、気合いも新たにわたしは顔を上げて、

 

「えっ……と?」

 

 横からガン見されていたことに気付いた。

 葡萄えび色と青みがかった茶の瞳が、わたしの方を向いている。どうやらいつの間にか、打ち合わせは終わっていたらしい。

 

「申し訳ありません、なにか用事でしたか?」

「いや、そうじゃねぇけどよ…」

 

 歯切れの悪いウル先輩の態度を受け、自分の行動を振り返る。

 

 あ、そうか。

 

「お嬢さま、ツェツィーリアさまから、通信が来て、それに答えていたのです」

 

 通信中だと知らなければ、ひとりで微笑む怪しいひとになっていたと気付き、訂正する。

 ウル先輩がわたしの指差した耳許を見て、ああ、と頷いた。

 

「通信石なのか、それ。片方はミュラーで?もう片方は誰と繋がるんだ?親とかか?」

「いいえ、両親ではないです」

 

 言っても、大丈夫だろうか。

 ちらりと、前の座席に目を向ける。背もたれが高いため目が合うことはないが、こちらの会話は前の席にも聞こえるだろう。

 

 赤いピアスに触れながら、小さく首を傾げた。

 

 話題を逸らして、誤魔化すことにする。

 

「そもそも今のサヴァン家には、わたし以外に魔法を使える者がいないので、通信石なんて持っても意味がありません」

「そうなのか?」

「ええ。伯父や伯母は魔法持ちだったそうですが、残念ながらわたしが生まれる前に亡くなっています」

 

 父は末子だったが、唯一生き残ったために子爵位を継いだのだ。大伯母も未婚のまま亡くなったので、現存するサヴァンはわたしたち親子のみ。

 つまり両親と兄妹を殺してわたしも自殺すれば、長く続いたサヴァン家の血統を根絶やしに出来る、と言うわけだ。

 

「おう…そうなのか…」

 

 しまった、話の逸らし先が暗かった。

 

「な、亡くなったと言っても、ずっと前の話ですよ?幼くして亡くなっているので、父ですら顔を知らないと。サヴァンは、幼い頃に死んでしまう子供が多い家系らしいです」

「ん?なんだエリアル、身体でも弱いのか?」

「身体が弱かったら、騎士科になんて入れていないだろう?」

 

 わたしの顔を覗き込むウル先輩に、ゴディ先輩が呆れた顔をする。わたしも小さく笑って、ゴディ先輩を肯定した。

 

「そうですね。わたしは健康そのものですよ。父や兄妹も、病弱だったりはしません。運良くサヴァンの死にやすい性質を、継がなかったようですね」

 

 嘘だ。

 サヴァンのなかのサヴァン、サヴァンオブサヴァンであるのがわたしであり、むしろ近年のサヴァンのなかでもっとも死にやすい性質を受け継いだ子供だろう。

 

 なぜならサヴァンは、自身の持つ精神攻撃魔法のせいで、若くして自滅するのだから。

 けれどそんなことを、わざわざ吹聴する必要もない。

 

 ぐっと拳を握って、きっぱりと言った。

 

「病弱どころか冬山へ木を伐りに行けるような健康体ですから、遠慮なくこき使って下さいね。きこり見習いくらいの実力はありますよ!」

「…その、細腕でかい?」

「筋肉は使いようですから!腕が細かろうがやり方さえ理解して、複数人で協力すれば大木だって伐り倒せます」

 

 クリスマスツリー狩りは複数人の集団で行うもの。ひとりではないのだ。

 

 大丈夫と豪語するわたしを見下ろして、思い出したようにウル先輩が言った。

 

「そう言や、ブルーノに勝ったんだったか。腕相撲で」

「ええっ!?」

 

 反応したのは前の席に座るアクセル先輩で、その隣に座るヘルマン先輩も驚いた顔を背もたれから覗かせている。

 

「ブルーノ先輩に腕相撲で、とか、ほんとに?」

「え、いや、まあ、はい、一応?」

 

 結構な勢いで迫られて、たじろぎつつも頷く。

 ウル先輩が言っているのは、前回合宿のときの話だろう。誰かから、話が伝わったのか。

 

「ラフとスー、パスカルにクララにも勝ったんだろぉ?」

「そうですね」

「おれにも勝つか?」

「条件によりますね」

 

 必ず勝てる、とは言わない。合宿のときは、有利なフィールドを作らせて貰っていたのだ。

 

「どんな条件だ?」

「立って腕相撲の出来る、適度な高さの台で、右手での勝負、左手で台を掴んでいても良い、と言う条件でしたら、勝つ可能性もありますよ」

「ほおー」

 

 にっと笑ったウル先輩が前触れもなく立ち上がり、御者台の後ろに付いた木窓をこんこんと叩く。外から窓が開けられて、ウル先輩と御者がなにやら言葉を交わした。

 

 頷いて振り向いたウル先輩が、なにごともなかったかのように席に戻る。

 

「次の町で、メシ食うから」

「次の町?良いのかい?」

「叔父貴に、行くかもとは伝えてあるからな」

「ああ、叔父上は今砦勤務だったっけ?」

「まあな。砦勤務だと面倒な付き合いを断れて良いっつって、帰って来やしねぇんだよな、あのひと」

 

 ゴディ先輩に問われてわさわさと髪を掻き混ぜながら答えたウル先輩が、ひょいと前の座席に顔を出す。

 

「食事場所だが、大衆食堂か騎士団の砦の食堂な。ま、文句があんなら馬車で携帯食糧食ってても良いけどよ、仮にも騎士科だっつぅんなら、砦のメシくらい食えるよな?」

「俺は文句ないですよー。砦メシが良いでーす!」

「俺も、先輩の判断に任せます」

 

 二年生二人からためらいのない答えが返る。

 

「……僕も、構いません」

「ボクは食べれればなんでもー」

 

 一拍遅れてラース・キューバーが、次いでマルク・レングナーが答える。

 

「んじゃ、決まりだな」

 

 え、わたしまだ答えていないのですが。

 

「聞くまでもないだろ?」

 

 表情を読んだかウル先輩が言い、それともなんか文句あんのか?と首を傾げる。

 

「…いえ、高いお店に連れて行かれるより良いですね。なんでしたら、大衆酒場や屋台でも良いです」

「ふはっ、令嬢の台詞じゃねぇな!」

「屋台料理の魅力を知らないから、そう言えるのですよ」

 

 雰囲気混みで美味しいし、ハズレを引いても、それはそれで楽しい。食品安全法とかないから、胃腸さまが弱いと食あたりの危険性が高いけれど。

 

「屋台も良いけど、今日は砦な。山登り前に腹壊しても不味いからよ」

 

 顔に似合わず庶民派らしいウル先輩が、ぽすぽすとわたしの頭を叩きながら言う。あたる危険性を理解しているとは、なかなかわかっているひとのようだ。と言うかもしや、

 

「……あたったのですね?」

「訊くな」

 

 ふいと目を逸らすウル先輩に、ふっと噴き出す。

 

 うん。貴族の食生活をしていたら、屋台メシにあたってもしょうがない。

 日本人が、旅行中うっかり屋台メシに手を出してお腹壊すのと同じ道理だ。

 

 くすっと笑って、慣れないものに手を出すからですよーとからかえば、うるせぇぞ、とヘッドロックを掛けられた。暴力反対。

 

 ヘッドロックを掛けられたりしながらも馬車はなにごともなく進み、馬車は町に付随した砦へとたどり着いた。

 

 

 

拙いお話をお読み頂きありがとうございます


前回ご連絡し忘れて

更新にも間が空いてしまったため

今更なご報告になってしまうのですが

8/10の割烹にて番外小話を上げておりますので

よろしければそちらもどうぞm(_ _)m


続きも呼んで頂けると嬉しいです

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