緋眼の竜は語り掛ける
三人称視点
トリシアさんの身の上(一部)と
モモさん合流後のいつかのお話
あの子を見ると、苛々する。
なんて、愚かで、哀れで、どうしようもない女なのか。
だから、トリシアは、その子に声を掛けた。
「エリ」
夢の中で呼び掛ければ、黒髪の少女はゆっくりと漆黒の瞳をあらわにした。鏡のようになった瞳が、黒髪赤目の人影を映す。
「とりさん」
ぱちりと目をまたたいて、少女がトリシアの名を呼ぶ。
トリシアのことをそんな奇っ怪な呼び名で呼ぶのは、後にも先にもこの少女だけだろう。
あの子に良く似ているようで、非なる存在。
異世界の記憶なんて持ってしまったがために翻弄され、トリシアなんかをその身に納めることになった、ばかな少女。
違う人生の記憶なんてものがあろうと、トリシアから見ればその生を含めても瞬きほどの時間しか生きていないと言うのに、この愚かな娘は過分なほどに多くへと手を伸ばす。
エリアル・サヴァン。トリシアとも縁の深い家系の、末裔。
異様なほどの力を持ってしまった、哀れな先祖返りの子。
目を細めたトリシアから視線を離し、エリアルはきょろきょろと辺りを見渡した。
「モモは?」
「修行中。エリや外に影響が出ないように、隔離してる」
愚かな娘だとは思うが、しかしこの子のやることは面白い。
異世界の記憶とやらを駆使してさまざまなことを成し、さらには竜の卵まで孵らせてしまった。
まさかこんな状況で、また子育てをすることになるなんて思ってもみなかった。
封印されてからの数百、いや、もう、千年を超えただろうか。そんな長い停滞とは比べものにならない鮮やかで濃密な時間が、エリアルに移されてからのたった数年で流れている。
竜生、なにが起こるかわからないものだね。
モモがいないと聞いて少しがっかりした顔をしたエリアルに、トリシアはにっとひとの悪い笑みを向けた。
トリシアは、邪竜である。
許されざる罪への科として、こうして封印されている。
とは言え、生まれたときから封印されていたわけではない。
両親も、育ての親も、友もいたし、育ての親と交わって授かった子もいた。世界中を自由に飛び回り、ひととも、竜とも、交流を持った。
それも、邪竜として追われるようになるまでのことだったが。
もしも相手がひとのみだったならば。ひとのみならずとも、トリシアと同じ魔法を持たぬ竜相手だったならば、トリシアが捕まることはなかっただろう。
しかし実際にトリシアを追い詰めたのは、同じ魔法を持つ漆黒の竜たち。
『わーに、どんな罪があると言う!?』
枷に囚われて怒鳴ったトリシアを、彼らは冷たい目で見返した。
とても、トリシアを同胞と思っているとは思えぬ目だった。
恐らくこうして、幾個もの仲間が、捕らえられたのだろう。
その先、トリシアのように封じられた者もいれば、奴隷のように虐げられた者も、無惨にも殺された者もいるだろう。
自分が、どんな罪を犯したと言うのか。
そんな簡単な問いへの、答えすら与えられずに。
そうしてトリシアは、檻のなかに囚われた。
竜の手で織られ、幾人ものひとにより維持される、強固な封印。
いかな竜であろうと、そう簡単には突破出来ないであろう檻。
それでも運は、トリシアに傾いていると思っていた。
人間の魔力が、減り始めていたからだ。維持の魔力さえ減れば、いくら竜製の檻とは言え破壊出来る。
ひとから見れば悠久にも値するであろうときを、トリシアはひたすら待ち続けた。
もちろんただ無為に待つだけでなく、ひっそりと逃げ出す方法の画策や、ささやかな情報収集をしながら。
しかし、気の遠くなるような停滞ののち、あと少し、と言うところで、天秤は揺り戻された。
封印に費やされる魔力が、増されたのだ。
筆頭宮廷魔導師、ヴァンデルシュナイツ・グローデウロウスの登場である。
ぼさぼさ頭の若造が、トリシアの思惑を潰したのだ。
なんど、自棄を起こして国もろともに自滅してやろうかと思ったことか。それでもトリシアが耐えたのは、同じ境遇にいるであろう幾個もの同胞のためだった。
単に逃げるだけならば、同胞には人質としての価値が生まれる。トリシア自身の手で、救い出す希望もある。
しかしトリシアが死んでしまえば、同胞はいつ同じ凶行に出るかわからない危険物になるのだ。
トリシアはじっと、耐え続けた。
まるで、水槽のなかの従順な魚にでもなったかのように。誰に語りかけることもなく、ただ、黙って囚われ続けた。
それでもひっそりと、我が身の自由奪還の機を探しながら。
それから、何年、あるいは、何十年、だろうか。
暇にも飽いて来たトリシアが、こっそり封印の隙を突いて壊せないか画策する遊びにはまり始めたころ。
驚くべきことが、起きた。
封印が、移されたのだ。
それも、ちっぽけな少女ひとりを、人柱にして。
愚かな、と思った。
数人寄っても不十分な封印が、たかだか娘ひとりで維持出来るはずがないのだ。たとえ娘の命を懸けたとて、ひとひとりで竜を封じられるはずがない。
狂ったか、と思った。さしものヴァンデルシュナイツも、頭がいかれたか、と。
少女の身はすぐにも朽ち果て、トリシアは我が身の自由を得る、
はずだった。
自由になれる、そう、思っていたのだ。
強固になった封印に、現実を疑うまでは。
苦しい。苦しい。苦しい。
かつての封印が、どれだけ生温いものであったのかを、身をもって理解した。
竜はトリシアに、わずかばかりと言えども情けを掛けていてくれたのだ。
身を切り刻まれるような激痛に、魔力を吸い取られることで感じる存在すら揺るがされているような恐怖に、身体中を掻きむしり、声を限りに叫び、狐に頭をくわえられた蛇のようにのたうち回りながら、そう、思い知った。
封印されてから今まで、幾度となく思ったことを、先になく強く思う。
これほどまでにされるどんな罪を、自分が犯したと言うのか。
―ごめん、ね
彼我も忘れて精神世界で暴れるトリシアを、なにかがそう言ってなでた。
―すぐ、楽にするから
その言葉に嘘はなく、恐らくしばらくの、しかし永遠にも感じる時間ののちに、トリシアの苦しみはすうっと和らいだ。
魔力を吸い取られる状態は消えないが、痛みだけはほとんどなくなる。
ようやく楽に息が吐けるようになって、初めて自分の状況を確認する。
トリシアの新しい檻は、名をエリアル・サヴァンと言った。
懐かしい魔法の気配に、郷愁を覚える。
遠い故郷は、きっともう跡形もないだろうが。
封印を受けたトリシアがこれだけ苦しんだのだ。人柱も、同じ苦しみを受けているはずなのだが。
痛みを感じ、魔力を吸い取られてこそいるものの、さほどの不自由なく生活しているエリアル・サヴァンに、トリシアは目を疑った。
そんなはずはないのだ。それではこの娘が、竜であるトリシアよりもはるかに強力な魔力を持つことになるのだから。
信じられないと探りに探って、トリシアは自分の間違いに気付いた。
人柱は、ひとりではなかったのだ。
エリアル・サヴァンの苦しみも、トリシアの苦しみも、引き受け緩和させた、ばかな女。
その存在を見付けて、ようやくトリシアは合点した。
恐らくその女こそ、この封印の要なのだろう。
竜は魔力が高いと言えど、過去には竜に匹敵するほどの魔力を持つ人間も、いなかったわけではない。そんな人間が命すら掛けて封印の要となったのであれば、成る程この異様に強力な封印にも頷けようと言うもの。
しかし、どうやらエリアル・サヴァンもヴァンデルシュナイツ・グローデウロウスも、自分たちの命を救ったその女には、気付いていないようすだ。
はて、ではこの奇々怪々な女は、いったい何者であろうか。
疑問ならば、解明すれば良い。
トリシアは女に気付かれぬよう、エリアル・サヴァンのことを、その女のことを、こっそりと調べ始めた。
何百年と続けた探究のすべは豊富だったし、幸いにも、時間だけは有り余っていた。
この女は、恐らく強力な魔力を持っている。助力を獲られれば、逃亡の一助となるはずだ。
少なくともこの女は、トリシアを痛め付けようとは思っていないはずだ。でなければ、わざわざ自ら痛みを引き受けようとはしないだろう。
この数百年得られなかった味方を、得られるかもしれない。
そう思えば、探究も希望あるものとなった。
そうして得られた結論に、エリアル・サヴァンに封印されたとき以上の信じられない気持ちを持つ。
そんな、ばかなと。
ああ、こんな愚かな人間が、いるものなのか。
女のあまりの愚かさに、沸々と怒りが沸き立った。
ただ、口出しもせずに見守っているなど、耐えられない。
我慢ならない。
数百年耐え続けた忍耐強い邪竜トリシアは、いなくなっていた。
好きに感情をぶつけたとて、この子にはなにをなす術もない。
ならば、思うままに接してやろう。
もともと、黙って耐えるなど性に合っていないのだ。
トリシアは自分の感情に素直に、話し掛けた。
それから、いろいろなことがあった。
思えば、封印されてからのち、勝手に情報を掠め取ることはあれど、話し掛けるなどと言うことは始めてだった。
異世界の記憶なんてものがあるお陰で、エリアル・サヴァンの考え方は独特で新鮮だ。話していて、興味深い。
と言うか、エリアル・サヴァンの記憶の世界とやらが、非常に興味深かった。
魔法の存在しない世界。だと言うのに、ひとびとはこの世界の人間よりもはるかに便利な生活をしている。
魔法よりも甚大な災厄をもたらす兵器。馬より速く走り、竜より速く飛ぶ鉄の塊。
これは魔法か?と思うすべてが、電磁気やら力学やらで説明付けられた世界。
トリシアがなにより気に入ったのは、洋服、と言うやつだった。
柔らかく伸縮性のある布に、装飾よりも機能性を重視した形は、着心地がとても良い。チャック、とか言うやつは、いくつもちまちまボタンを留める手間なく、簡単な着脱を可能にしている。ゴム、とか言うやつが入れられた、スウェットパンツ、とか言うやつならば、チャックやベルト要らずでもっと楽だ。
トリシアが初めてそれを着て姿を見せたとき、エリアルは、竜の威厳が…とかぼやいていたけれど、なにを着るかなんてトリシアの勝手だろう。
どうせ、エリアルとあの子しか見ないのだし。
エリアルも、ヴァンデルシュナイツも、やっぱりあの子に気付いていなかった。愚かなくせに、ずる賢い女だ。
ぜんぶぜんぶ、独りで抱え込もうとする。請け負う必要のない苦しみや痛みにまで、愚直に手を伸ばして。
そう言うところは、あの子とエリアルの似ているところだと思う。ふたりとも、とんでもないばかだ。
見ていて、苛々する。ひっぱたきたくなる。
けれど、なぜか、目を奪われてしまう。
愚かだ哀れだと思いながら、その、行き着く先を見たいと思ってしまう。
理性より快を求める。
なるほどトリシアは、邪竜と呼ばれるに相応しい存在なのかもしれない。
「…きみはもっと、ひとに頼るべきだと思うけどね」
「そうかな?」
どんな会話の文脈だっただろうか。
ふと、今はいないあの子を思って、トリシアは目の前のエリアルに呟いた。
エリアルも、十二分に愚かだと思うが、あの子は輪をかけて愚かだ。エリアルなんて、比ではない。
何故ならあの馬鹿は、完全に独りぼっちですべてを成そうとしているのだから。
「謀は密なるを貴ぶ、とも言うよ?」
「そんなの、臆病者の戯れ言じゃない」
トリシアが吐き捨てると、エリアルは吹き出した。
「我が国のことわざなのだけれどなぁ。臆病者か…確かにね、この言葉が成立した頃の祖国は自らが弱者だと思っていただろうし、臆病ではあったと思うよ。優れたものは、いつでも海から、自分たちではない者が運んで来るのだからね」
エリアルが、遠くを見るような目で語る。
「臆病で、なにも信じていないようで、そのくせ無垢で、純粋で、簡単に騙されてしまう。騙されて、痛い目を見て、でも、そんなことすぐ忘れてしまって。周りから見れば、なんて愚かなと思われているかもね。まるでそう、人間を知らない野生の小動物、みたいな」
その目に浮かぶのは、郷愁。トリシアと同じように、決して帰れない故郷を想う色。
「乙女のように貞淑に、子供のように無邪気に、老婆のように用心深く、けれど、娼婦のように大胆に、盗賊のように貪欲に、若者のように柔軟に。そうして必要とあらば、我が子を守る母のように捨て身で、鬼のように残酷に、満開を迎えた桜のように潔く」
エリアルは、記憶の中にしかない国を、“我が国”、と語った。
ついと、トリシアに目を戻し、エリアルは微笑んだ。
「…臆病ゆえに成せることも、あると思うよ」
…ひっぱたいてやろうか。
あまりにあの子と被る言動に、トリシアはちらりとそんなことを思った。
ため息を吐いて、苛立ちを圧し殺す。
「他人を信じることも出来なくて、なにが成せるの?」
「さあ、なんだろうね」
頬笑むエリアルは、トリシアにさえすべてを話そうとしない。
エリアルの記憶は大部分を知っているトリシアと言えども、エリアルの思うことすべてを察することなど出来やしない。
なにもない場所に椅子でもあるかのように腰掛けて、エリアルは中空を見つめた。
「少なくとも、諦めないことは出来るよ。諦めさえしなければ、可能性は零ではない」
「ひとに頼った方が可能性が上がるとは思わないの?三人寄れば文殊の知恵、なんでしょう?」
「それで、諦めろ、と言われたら?」
エリアルの持つ異世界の記憶の主人公も女で、いまのエリアルと同じかそれ以上にばかだった。
諦めろ、と言わせることを恐れて、諦める必要のないことしか望まなかった。
前世、諦め続けた反動で、いまのエリアルはばかみたいに挑戦心に溢れているのかもしれない。
「誰に相談するかにも依るだろうけど、例えばツェツィーリアやヴァンデルシュナイツなら、エリが本当に望むことを諦めろなんて、言わないんじゃない?」
「そうだね」
エリアルが笑う。笑って頷いて見せるくせに、トリシアの諫言を聞き入れはしない。
「…結局エリは、誰も信じてなんかいないんでしょう?だから、誰にもなにも教えない。信じてないから、拒絶されたらとか、裏切られたらとか、思うんだよ」
「それは違うよ」
「なにが」
吐き捨てるように返したトリシアを、エリアルは困ったように見返した。
「相手が裏切るのではなくて、自分が裏切らせるのだよ。自分の行動の結果を真摯に受け止めていれば、裏切り、なんてものは存在しないよ」
「なら、怖くないとでも?」
「裏切りを怖がっているわけではないから」
目線を逸らすエリアルの顔を、トリシアが覗き込む。
「それなら、実力でも疑ってるの?話しても、役に立たないから話さない?」
エリアルはしばし閉口したあとで、苦笑してため息を吐いた。
「そうだね。そう言うことかもしれない」
「わーも、ヴァンデルシュナイツも、信じられない?」
「とりさんにもわんちゃんにも、話して頼っているでしょう」
「どこが」
トリシアが、思い切り顔をしかめる。
「ヴァンデルシュナイツにはなにひとつ話してないし、わーにだって相談ひとつしないじゃないか」
「そんなことは、」
「あるよ」
反論するエリアルの言葉を遮って、トリシアが吐き捨てた。それ以上の対話を拒むかのように、大仰に首を振る。
「エリは結局、ずうっと余所者のつもりなんだ。この世界なんてどうでも良くて、失った世界にばっかり夢見てる。ひとに打ち解けられなくて当然だよね。エリの方に打ち解ける気が更々ないんだからさ!!」
見開かれたエリアルの瞳に、痛みが走るのを見て、しまった、と思う。
違う。こんなことが言いたいんじゃなかった。
ぱし、とトリシアは片手でエリアルの両目を覆った。空いた片手を自分の額に当てて、うつむく。
「ごめん、違う。そうじゃなくて」
こんなの、ただの八つ当たりだ。
エリアルが頑張っていることは認めているし、前世を捨てきれない自分を責めているのも知っている。
それをこんな形で責めるのは、卑怯だ。
あの子への苛立ちを、エリアルにぶつけてしまった。
目の前にいるのは、トリシアから見れば赤子同然の年しか生きていない、無力な少女だと言うのに。
特殊な記憶があるから、強い魔法があるからと言って、万能なわけではない。
すべてではないにしろ、ほかの誰より多くエリアルのことを知るトリシアだからこそ、そのことを忘れてはいけなかったのに。
「責める、つもりじゃ、なくて」
ああ、もう。なんて言って良いのか、わからない。
エリアルよりはるか長いときを生きた自分ですらこうなのだから、エリアルが迷って悩んで間違えるのなんて、当たり前じゃないか。
「ごめん。エリは、ちゃんと頑張ってるよ。頑張ってる、から」
なんで、エリアルやあの子に、苛々するのか。
「でも、頑張り過ぎなんだよ。独りで、抱え込み過ぎなんだ」
言葉を探しながら、辿々しく語る。
あの子の前でなくて良かった。こんな姿、みっともない。
「それで、エリが潰れたら、みんな駄目になるかもしれないんでしょ?なら、潰れないように、もっと頼りなよ。エリにはわーも、モモもいるんだから」
大切なのだ。大切だから、無理して欲しくないのだ。
それがエゴだとしても、あの子の望みではないとしても。
トリシアが手を下ろし、エリアルの瞳を覗き込んだ。
「…エリが望むハッピーエンドのなかで、わーはエリにも笑っていて欲しいんだよ」
「無茶、言うね」
「竜二匹捕まえて、なに言ってるの?甘く見ないでよね」
ふんっとトリシアがえばって見せると、エリアルはふっと噴き出して笑った。
「封印されているくせに」
「モモは生れたてだったし、わーは多勢に無勢だったの!エリだって、数十の竜を相手にしてみれば良いさ!」
「うわ、それどんな無理ゲー」
「その状態で、わーは百年も逃げ延びたんだからね!!」
そこまで逃げ続けなければ、邪竜なんて不名誉な呼び名は付かなかったかもしれない。
けれど、理不尽に捕まる必要なんてないのだと、知らしめたかったのだ。
エリアルが目を丸くして、トリシアを見つめた。
「それは…すごいね」
「そうさ!そんなすごい竜が、エリの味方してるんだ。モモが封印されちゃったことも、まあ、エリのおっちょこちょいのせいだけど、結果的には良かったし」
「さりげなく貶した」
エリアルのジト目をスルーして、トリシアがぴっと指を立てる。幼子に言い含めるように、忠告した。
「さすがに三体は無理だから、今度竜を見つけても迂闊に触らないでよね。とくに弱ってるのとちび」
「そんなぽこぽこ竜に会ったりしないでしょう。竜とか伝説級の存在だよ?普通なら一生に一度だって会わな、」
立てた手をエリアルの唇に当て、トリシアがエリアルの言葉を留める。
真剣な口調で、おもむろに問い掛けた。
「二度あることは?」
「三度ある」
ふむ、と大仰に頷いて見せる。
「エリが、竜に会った回数は?」
「二回」
「つまり?」
「次もあるかも」
「その通り」
祖国のことわざはずるい、とぼやくエリアルから目を逸らし、トリシアは小さく呟いた。
「と言うか、×××××んだけどね…」
「ん?なにか言った?」
「とにかくなにがあるかわからないんだから気を付けなよって言ったの。ゲームに似てるからって言っても、これだけ掻き混ぜたらどうなるかわかんないんでしょう?」
笑って言うトリシアに、エリアルが難しい顔で頷く。
「うん。エリアル・サヴァンに関してはゲームからかなり離れているし、ゲームでアーサーさまは魔法を持っていなかった。レリィのお陰でアリスの立ち場も変わりそうだし、なにより」
エリアルが手を伸ばし、ノックするように握った拳をトリシアの胸に置いた。
「ゲームのエリアル・サヴァンの身体には、邪竜なんて封印されていなかった。彼女の身体に、封印の傷なんてなかった。こっちはあまり自信がないけれど、ピアスもなかったと思うし、ヴァンデルシュナイツ・グローデウロウスとの関係もわたしより稀薄だったんじゃないかと思う」
「つまり、わーの存在によりなにか変わることもあるし、ヴァンデルシュナイツの早い介入もあり得る、と言うことだね」
「そうだね。加えて、たぶんゲームより、エリアル・サヴァンとツェツィーリア・ミュラーの価値が上がっている」
いくら強くても子供ひとりと、竜とでは、重要性が桁違いだ。ましてトリシアは不本意に囚われた邪竜とされている。疑いようのない危険物である。
「…十歳のときは焦って、これしかない!と思って交渉したけれど、今思うとむしろ、それはない、と言う方法だよね。わんちゃん、良くやってくれたなぁ」
「ああ、それは」
なにか知っていそうなトリシアの口振りに、エリアルが顔を上げる。
なに?と目で促されて、トリシアが肩をすくめた。
「元々の封印が、そろそろ寿命だったんだよ。壊れる前に急いで新しい封印を組み上げるか、ひとまず中継ぎで年数を引き延ばしてしっかりした封印を新たに作り上げるかで、後者を選んだんでしょう」
「…もっと早く準備しておけよ!」
「いや、わーが悪戯でこっそり削った」
「傍迷惑な!」
暇だったからさ、と笑うトリシアを、呆れたようにエリアルが眺める。
「つまり、とりさんの協力でこんな状況になった、ってことだね」
「そうなるね」
「それは、まあ、感謝…なのかな」
苦笑するエリアルに、トリシアが片眉を上げて返す。
ふと、エリアルがトリシアの手を取った。指を絡めて、握る。
「とりさんの手も、あったかいね」
「ん?ああ、まあね」
「竜って爬虫類とは違うの?」
「変温動物だって、体温がないわけじゃないからね?…まあ、竜は恒温動物だけどさ」
「いま明かされる衝撃の事実」
「爬虫類よりはヒトに近いよ。人型にもなれるし」
「…言われてみれば」
にぎにぎとトリシアの手を弄びながら、エリアルは何気なくを装って訊ねる。
「いまは、暇じゃない?」
「…そうだね。エリの観察は、楽しいよ」
「観察って」
「ん?観測の方が良かった?」
「観察でお願いします」
ばかな子だなぁと思いながら、トリシアはエリアルの手を引く。
短い黒髪を、空いた片手でぐしゃぐしゃにした。
「ちょ、うぇーい」
「うぇーい。まあ、だからさ、出来るだけ長く、わーの暇潰しに付き合ってよ。檻の中って、退屈なんだよ」
「今度囚われるなら三人だろうけれどね」
「三人一緒の檻にはならないよ」
共に捕まっても、檻は分けられる。隔てられる。
目を細めたトリシアの表情からなにを読み取ったのか、エリアルが、それなら、と口を開いた。
「それならせめて、モモが独り立ちする時間は稼いで捕まらないとね。と言うか、いっそ、三人、いや、ツェリもだから四人か。四人で、逃げちゃう?」
「わーはそれでも良いけどね」
「逃げるのは最終手段かなぁ。だって、とりさんが逃げたら竜数十が敵に回るのでしょう?」
「今はどうかな?どっちにしろ、今度は負けないよ。エリもモモもいるしね」
語りながらもトリシアは、そうはならないだろうなと、思う。
あの子が逃げる決断をするとは思えなかった。
“逃がす”ことはあれど、“逃げる”ことはしないだろう。そんな気が、する。
だからツェツィーリアも含む四人で逃げるとしたら、あの子がトリシアたちを逃がしたときだけ。でも、
あんたを置いて逃げるなんて、わーはしてやらないよ。
ここにはいない女に、トリシアは吐き捨てる。
「おお、強気宣言。でも無理ゲーだよ?」
「諦めなければ、可能性はあるんでしょ?」
勝ち誇った顔で言い放ったトリシアに、エリアルは声を上げて笑った。
「協力すれば、百人力なんだよ」
だから、もっと頼れ。
心のなかで、トリシアは付け足す。
何度でも、言おう。そう、心に誓った。
いつの日か、あんたが折れてわーに頼るまで、何度でも。
あの子を見ると、苛々する。
心が乱れ、昂り、動かずにはいられなくなる。
けれど、数百年の停滞に比べれば、その苛立ちも怒りも、ひどく心地好く思えてしまうのだ。
だからトリシアは、あの子と関わることを諦めない。
拙いお話をお読み頂きありがとうございます
このお話
上げない方が良いかなとも思ったのですが…
登場人物は大抵我が子のように可愛く思っている作者ですが
トリシアさんはそんななかでも好きなキャラクターだったりします
しかし秘密保持者なせいでとても動かしにくいです(^_^;)
エリアルさんに話せと言うわりに
あなたも秘密持ちまくりじゃないかと
全力で突っ込みたい
いつかふたりが腹を割って話せるときが…
来るのかなぁ←
続きもお読み頂けると嬉しいです




