取り巻きCと雨宿り 前編
取り巻きC・エリアル視点
前話の一、二週間後くらいのお話です
前話未読ですとわけがわからないかもしれないのでご注意下さい
後編は明日投稿予定ですので
切り良く読みたい方は次話投稿を待つことをお勧めしますm(_ _)m
雨のなか半日練り歩いたのが、効いたのだろうか。
次の雨の日に雨合羽で街を歩くと、同じ格好で作業をしているひとがちらほらとうかがえた。
出歩いていて掛けられる声も、それはなに?よりも、買ったよ!の方が多い。それなりに値の張るものなのだが、それだけ雨に困っているひとがいた、と言うことだろうか。
サァサァと囁く雨音をBGMに、この前歩いたのとは違う地区へ足を進める。これだけ着ているひとがいれば、すぐに噂になるかもしれないけれど、せっかく時間を取ったから、今日も宣伝しよう。
あ、どうもこんにちは。絶賛あからさマーケティング中の、ゾフィーの仕立て屋のアルくんことエリアル・サヴァンです。
なんだか、もう、本業どっち?って訊きたくなるくらい、必死に販促している気がするのだけれど、まあ、うん、これ、生活の糧だからね。ないことを祈ってはいるけれど、最悪の事態、ツェリと出奔を見越して、ふたりで数年逃避行が出来るくらいの蓄えは貯めておきたい。
わんちゃんがいるから正直出奔は厳しいかな?と思っていたけれど、どうやら合宿中わたしはわんちゃんを撒いていたらしいし、こちらには切り札、モモがいる。
目立つ容姿と魔力さえ誤魔化せれば、国からの逃亡も出来なくはないはずだ。
その場合、たぶん、バルキア王国が滅びることになるから、本当に最後の手段、だけれどね。
…ツェリのためなら国すら捨てられたエリアル・サヴァンは、たぶんもう、いない。きっとわたしはギリギリまで、国を救う方向で動いてしまうだろう。
それが、なにか悪い結果に繋がらなければ良いのだけれど。
顔馴染みに挨拶したりされたりしながら、街を巡る。
前回のように怪しい旅人に出会うこともなく、平和なあかマ活動、と、思っていた。彼に、会うまでは。
街を抜けた先、ひと息吐こうと足を伸ばしたひと気のない墓地公園の一角。
目に入ったものに、瞬間思考が止まった。
「は…え…?」
あ、いや、蝿ではなくね。は?とえ?だよ、うん。
ぽかんと見つめる先には、雨のなか傘もささずに立ち尽くす人影。
まだまだ冬と言える時期。雨でなくても出歩くには薄着過ぎるような服装。その服は哀れなほどに濡れそぼり、衣類が吸い込みきれなかった雨水が表面を流れ落ちていた。
明らかに、異状。
しかし雨のため墓守の姿すらないそこには、その異常さを指摘するものはいない。
「っと」
ぼうっとしている場合じゃない。
冬場に屋外でずぶ濡れのままぼーっとしていたら、死ぬ。
故人を悼んでいるのか、べつの理由があるのだか知らないが、わたしにとって重要なのは彼の感情よりも生命だ。
濡れた芝を踏み締めて、人影に歩み寄る。
「こんにちは。なにをしているのですか?」
声を掛けても反応はない。
「……」
いや、人命優先だ。
少しフードを深く被って髪を隠し、立ちすくむひとの肩に触れた。
びっしょり濡れた感触。冷えきった衣服はひどく冷たい。
「雨のなか、ぼんやりしていては、凍え死にま、」
どこか緩慢な動きで振り向いた相手の顔を見て、言葉が止まる。
…どうして、髪色で気付かなかった。
「……」
ぼんやりとした顔でこちらを見る、わたしよりわずかに長身の青年。その髪は肩に触れない程度の尼削ぎで、色は菫色。意志が感じられない瞳は、吸い込まれるような濃い紫色をしていた。
魂でも、抜き取られてしまったのだろうか。
普段のようすからかけ離れた腑抜けた態度の彼は、わたしが誰だか、気付いていないようだった。
「っ…」
キューバー公爵子息さま、と、呼びかけた声を途中で留める。
幸いにも、フードで顔は半ば隠れている。体型も、雨合羽で上半分が隠れていた。足元は、蜥蜴革の長靴に男物のワークパンツだ。身長から言って、男にしか見えないだろう。
相手が誰であれ、こんな状態でこんなところにいたら死ぬ。
「お兄さん?なにをやっているのですか?」
気持ち声を低くして、もういちど問い掛けた。
冷静に見れば、ずぶ濡れだが衣類の質は良い。こんなひと気のないところでぼさっとしていて、よく襲われなかったものだ。
ふと気付いて辺りを探るが、護衛や従者のひとりも連れていないらしい。
記憶を探って、合理的な行動を割り出す。
こんな濡れ鼠では乗り合い馬車にも乗れないし、そもそもここからでは乗り場が遠い。このまま学院に連れ帰って良いのかわからないし、キューバー公爵家の家はこの街にない。
とにかく一刻も早く着替えだけでもさせないと、身体に障るだろうし…。
「こんなに寒いなかずぶ濡れでいては、身体を壊しますよ?あなたの家はどこですか?誰か、付き添いの方は?」
家の位置も近くに付き添いがいないこともわかっていたが、顔を巡らせて見せる。
彼、ラース・キューバーはぼんやりとわたしを見つめたまま、答えなかった。
いったい、なんだと言うのだろう。
まだるっこしい。
もうどうとでもなぁれと、ラース・キューバーの腕を掴んだ。
鍛えられた腕は硬く引き締まって、けれど死んでいるかのように冷たかった。どれだけの時間、雨のなかにいたのだろう。
「早く身体を暖めなければ死にますよ。ついて来て下さい」
返事は待たずに、腕を引いて歩き出す。なんの抵抗もしないで、ラース・キューバーはわたしに従った。
少し距離があるが、ゾフィーの仕立て屋に行こう。屋根も着替えも貸して貰えるだろうし、頼めばお湯も用意して貰えるだろう。
腕を引いて歩きながら、荷物から予備の雨合羽とタオルを引っ張り出した。手遅れ感は半端ないが、気休めにはなる。
いちど足を止め手を離すと、合羽をラース・キューバーに着せ、首にタオルを巻いてやる。フードも、ぐいっと被らせた。てるてる坊主二匹の、出来上がりだ。
ラース・キューバーはされるがままだった。
なんなのだ。一時的発狂でも起こしているのか。
無言で手を掴んで繋ぐと、足早に歩き出す。手のひらの熱なんて、合羽とタオル以上に気休めだろうけれど。
「ん?アルか?」
「ナータンさん」
道の途中で傘をさしたナータンさんに行き合い、声を掛けられる。
「おお、今日はまた、えらい別嬪さん連れて…」
「デートではないですよ?」
「そうなのか?」
ナータンさんの視線は、繋がれた手に向いている。
ペアルック(合羽)に手繋ぎ、確かにデートにも見えるかもしれないけれども。
「ようすがおかしいので、保護しただけです。よく見て下さい、ずぶ濡れでしょう?」
「おお、確かに。寒そうだな。顔色も悪ぃ」
元から深窓のご令嬢のように色白なラース・キューバーだが、今は白を通り越してほの青い。唇も、すっかり血色をなくしている。
「ほら、これ使え」
ナータンさんがタオルを取り出して、わたしにくれ…あ、これ、この前わたしが貸したやつだ。
「ちょうどゾフィーの仕立て屋に行こうと思ってたんだよ。デートじゃねぇなら一緒に行く」
言いながらラース・キューバーを、傘に入れてくれる。
「ありがとうございます」
遠慮なく雨合羽のなかに手を突っ込んで、ラース・キューバーの肩にタオルを掛けた。
なんだか奇妙な三人組で、ゾフィーの仕立て屋まで急ぐ。
「にしても、よく見りゃ良い身なりの兄ちゃんだな。アル、知り合いか?」
ナータンさんの問い掛けに、ラース・キューバーを横目で窺う。
会話を気にする素振りはない。
良いか、べつに。
「…まあ、それなりに」
「こんな別嬪が知り合いじゃ、この前の男なんざ色男にゃ見えねぇよなぁ…」
「そうですね」
ラース・キューバーは公爵子息だし攻略対象でもあるので別格とは思うが、王侯貴族に美人が多いのは事実だ。
他愛もない雑談を交わしながら、無事ゾフィーの仕立て屋に到着した。
「あ、この前の」
「こんにちはヴィリーくん、上を借ります」
扉を開けたとたん、怪しい旅人に声を掛けられた気がしたが、風の悪戯だろう。
合羽を脱いで玄関近くに干しながら、ヴィリーくんに声を掛ける。
「?、どうぞ?」
「ありがとうございます」
きょとんとしたヴィリーくんの許可を得て、まだてるてる坊主のままのラース・キューバーと共に店の奥の扉を抜け、二階に向かう階段を昇る。
作業していたニナさんが、振り向いた。
「あらアルくん、どうしたの?」
「ニナさん」
言うより早いとラース・キューバーから合羽を剥ぎ取る。
「まあ」
ニナさんは濡れ鼠に目を見開き、
「奥の部屋使って良いから。タオルも好きに使って。お湯と着替えと、なにか温かい飲みものを、用意するわね」
すぐに理解して対応してくれる。
遠慮せず奥、ヴィリーくんの私室に入り、申し訳ないが暖炉に火を入れさせて貰った。
「とにかく服を脱いで下さい」
暖炉前に設置したラース・キューバーにそう言い置き、ニナさんたちの寝室も回ってタオルを掻き集める。
戻ってみれば、ラース・キューバーは設置したときのままでいた。
「早く服を…」
脱げるのか?
木偶人形状態のラース・キューバーを見て、考える。自発行動が取れるような状態には、見えない。
あー、うん、無理言ったね。
「失礼します」
どうも木偶人形状態らしいラース・キューバー相手に腹を括り、ひとこと断ってから服に手を掛ける。
「ちっ」
服の下から現れたのは、怨めしいほどに均衡の取れた身体だった。着痩せするタイプらしい。爆発すれば良いのに。
濡れた服を下着まで剥ぎ取り、水気を拭き取ってやる。大判のタオルでくるんで暖炉前に再設置したところで、扉がノックされた。
細く開ければ、お湯の入った一斗缶サイズの桶と着ぐるみパジャマを手にしたニナさんがいた。
「ごめん、よく見てなかったから丈がわからなくて…暖まるまでこれで平気?」
「大丈夫です。ありがとうございます」
「濡れたもの洗って来るから、貰える?」
「はい」
ひとまず桶と着替え(下着もあった)を受け取って部屋のなかに置き、代わりに濡れた服とタオルをニナさんに託した。
…真っ裸の男と同室しているわたしに突っ込まないニナさん、素敵です。
「お願いします」
「うん。いま、ゼルマが飲みもの用意してるから」
「ありがとうございます」
お礼を伝えて部屋に戻り、相変わらず一時的発狂状態のラース・キューバーの身体を、お湯で濡らしたタオルで拭いてやる。その後乾拭きして服(着ぐるみ)を着せ、暖炉の前に置いた椅子に座らせた。着ぐるみの足元をまくり、残ったお湯に浸けさせる。
これで多少は、暖まるだろう。
ひと息吐き、まだ乾ききっていない髪にタオルを滑らせる。
これ、我に返ったらどんな反応をされるんだろう。
ろくな反応されないのだろうなーと苦笑しつつ、菫色の頭頂部を見下ろして静かに問い掛ける。
「どうして、あのような場所で傘もささずに?」
今日は朝から雨だった。
一年弱の付き合いだが、ラース・キューバーのひととなりはそれなりに理解している。彼は、乳母日傘に育てられた、なにも出来ないお坊っちゃんではない。雨の日に外を出歩くなら傘くらい持つだろうし、雨のなか傘もささずに飛び出すような馬鹿はしないだろう。普通なら。
つまり今日は、普通じゃない状況…って、まあ、現状のようすから見ても普通じゃないのは明らかなのだけれど。
目撃者がいない以上当事者に訊くしかないのだが、案の定と言うかなんと言うか…。
はんのうがない。ただのしかばねのようだ。
さて、どうしようか…。
ツェリに頼んで、ラース・キューバーの従者を迎えに寄越して貰うとか…いや、ラース・キューバーのこの状況、従者も主人を捜しに出ている可能性が高いか。ラース・キューバーはなぜか、公爵子息のくせにひとりしか付き人を連れていないし…。
もう。なんで侍女のひとりも侍らせていないのだ!お帰りなさいませご主人さまのひとことは、男のロマンではないのか!
無駄な八つ当たりを心中で済ませてから、ラース・キューバーを寮まで連れ帰るのがいちばんマシな方法だろうと結論付ける。
実家に…と言う方法もないわけではないのだが、それなりに距離があるし、そもそもキューバー公爵家と関わり合いになりたくない。あの家の、魔法至上主義的考え方とは、相容れない。魔法の重要性は認めるけれど、それがすべてではないとわたしは考える。
だから、ラース・キューバーを連れ帰るのならば迷わず寮一択!なのだけれど。
考えるべきは、連れ帰り方だ。
このまま引っ張って帰るか、復活させるか。
どっちにしろなにかしら後腐れが出来るだろうから、どっちも変わらないと言ってしまえばそこまでなのだけれど。
「アルくん?入って平気?」
考え込んでいると、ノックの音と共にゼルマさんの声が聞こえた。
振り向いて、言葉を返す。
「大丈夫ですよ」
かちゃりとノブの回る音がして、お盆にカップをふたつ乗せたゼルマさんが部屋に入って来た。
「身体を冷やしたと聞いたから、生姜と蜂蜜入りのお茶にしたわ。飲めるかしら」
「ありがとうございます」
気付けば、ラース・キューバーの髪もほとんど乾いていた。
タオルを畳んで置き、ゼルマさんからお盆を受け取る。
「スープもあるけど、要る?」
「うーん…わたしは欲しいですけれど…」
さてラース・キューバーをどうしよう。
わたしにつられてゼルマさんが、ラース・キューバーへ目を向ける。
「…びっくりするくらい、着ぐるみが似合ってないわね」
「写真機がないのが惜しいです。ではなくて、あの格好の方が暖かいですから」
本人、(おそらく)意識ないしね。
カップを手に取りながら、答える。
「彼が飲めるかはわからないのですが、スープもふたり分お願い出来ますか?あと、買い取りますのでなにか適当な着替えを…」
さすがに着ぐるみでは帰せない。かと言って今から服を洗って、帰るまでに乾くかは微妙なところだし。
ラース・キューバーが普段着ているような服とは布のランクが数段下がるだろうが、ゾフィーの仕立て屋の既製服を買い取って着せるのが妥当だろう。
「そうねぇ。彼にはヴィリーの服じゃ小さそうだものね。でも、お代なんて良いのよ?」
「いえ。あとで彼に請求するなり、引き取ってわたしの私服にするなりしますから」
ゾフィーの仕立て屋は、良いものを、適正価格で、提供しているお店だ。その値段を払う価値は、ある。
「ああ、知り合いなのね、やっぱり」
「やっぱり?」
「服が、ねぇ」
苦笑するゼルマさんの言わんとすることを理解して、わたしも苦笑になる。
ラース・キューバーの来ていた服の質が良過ぎて貴族とばれたのだろう。
「なるほど。ええ、同じ学院の生徒です」
「それなら簡単に会えるわね。あとでアルくんが着るなら、丈夫な服の方が良いかしら?ふたりともに似合うように、適当に見繕って来るわね」
「お願いします」
下町のファッションリーダーゼルマさんの見立てならば安心だ。
お願いして見送り、カップの温度をたしかめてからラース・キューバーの手に握らせる。
熱くなく、ぬるくもない。さすが接客のプロ。
「持って。ゆっくりで良いので、飲んで下さい」
背中とカップに手を添えて、ラース・キューバーにお茶を飲ませる。
うん。自律的とは言いがたいものの、飲みものは、飲める、か。
食べられて眠れるなら、まあ生存は出来る。最悪の事態にはなっていないことに、ひとまず安堵した。
ラース・キューバーだろうが知り合いが死ぬのは極力避けたいし、万一にも、死亡して責任問われるとか、遠慮したいからね。
急がず時間をかけて、一杯のお茶を飲み干して貰う。
だいぶ、暖まっただろうか。
冷めてきたお湯から足を引き上げ、タオルで拭く。白い肌が、赤く色付いていた。冷えてしまう前に、着ぐるみレッグを装着する。
ひと息吐いて、自分もお茶を飲み干した。生姜のぴりりとしたアクセントと甘い蜂蜜がお茶の香りを引き立てている。とても、ほっとする味だ。
飲めば、気持ちも安らぎそうなものだけれど。
椅子に座るラース・キューバーは、未だぼんやりしている。
…とりあえずこの面白過ぎる光景を、脳内REC!しておこう。着ぐるみ着用のラース・キューバーなんて、ゲームのスチルではなかった。もしかしたら、グッズとかではあったかもしれないけれど、そもそもが声買いだったから、ドラマCDにヴァンデルシュナイツ・グローデウロウスが出るかくらいしか、チェックしてなかったからな…。
ちなみに、ヴァンデルシュナイツ・グローデウロウスがドラマCDに出ることは、終ぞなかった。くすん。
平常心を取り戻させるにしても、スープは飲ませてからが良いだろう。どれくらいあそこに立っていたのか知らないが、かなり体力は消耗しているはずだ。少しでも回復させた方が良い。が、この坊っちゃんがわたしの施しを大人しく受けるとは思えない。なら、木偶人形状態の今の内に回復させておけば良い。
スープを飲ませて服を着替えさせて、それから復活させるのがベストアンサー、かな。
ま、なんだかんだ外面は良い坊っちゃんだ。誰とも知れぬ他人がいる場所で、いくらわたしとは言え助けてくれた人間に暴言を吐いたりはしないだろう。
そんな結論に至ったところで、声が掛かった。
「アルくん、開けてー」
「はいはーい」
扉を開けばゼルマさんで、スープにパン、冷めないようキルトカバーの掛かったポットとカップ、さらにラース・キューバーの着替えを持って来てくれていた。
重たげなトレイを受け取ると、ゼルマさんが服を抱えて部屋に入り込む。
「パンはアルくんにね。お昼時だし、お腹空いてるんじゃないかと思って。多目に持って来たから、彼も食べられるなら食べると良いわ」
言いながら、持って来た服をベッドに広げる。
「独断で決めちゃおうかとも思ったけど、せっかくだから幾つか候補を持って来たわ。あたしのお勧めはこの組み合わせね!絶対アルくんに似合うと思うわ!あとは上着なんだけど、こっちは暖かいけど値段が高いの。こっちなら多少寒いかもしれないけど値段を抑えられるわ」
並べた服を説明して、ゼルマさんが微笑む。
「置いて行くから、好きなの選んでちょうだい。お金はあとで計算して請求…」
「あ、いえ、これで」
トレイを机に置き、ざっと計算して優に倍を越える値段を、お財布から出して手渡す。
「え?出し過ぎよ、これじゃ」
「色々して貰ったお礼と、迷惑料も込みです。その代わり、彼のことは言い振らさないで下さい」
あとでナータンさんにも口止めしておかないとな、と思いつつ、遠慮しようとするゼルマさんにお金を握らせる。
ゼルマさんは手のひらを見下ろして言った。
「…わかったわ。ナータンもまだ下で世間話してたはずだから、言い振らさないように伝えておくわね。謝礼は、代金の五分引きで良いかしら?」
「ありがとうございます」
ゾフィーの仕立て屋の面々は、理解が早くて本当に助かる。
ナータンさんが買うのはおそらく雨合羽で、あれの値段の半分は材料費およびアイディア料。つまりわたしの取り分だ。ゼルマさんはそこから五分引くと言っているのだろう。
「じゃあ、わたしはもう行くけど、アルくんはゆっくりして行ってね。あ、そうそう、ヴィリーの頼みでぬいぐるみの材料は外に用意してあるから、暇なら使って。じゃあね」
飲み終えたお茶のカップと温くなったお湯の桶を回収して、ゼルマさんが出て行く。
…ヴィリーくん、抜け目ないね。
苦笑しつつ、ゼルマさんが持って来てくれたスープを手に取る。
ラース・キューバーへの気遣いだろう。美味しそうなトマトスープは、お皿ではなく大きめのマグカップに入れられていた。
木製の匙とカップを、ラース・キューバーに持たせる。
「持って。飲めますか?」
着替えも出来なかったし、さすがにお匙さんを使うのは厳しいだろうかと案じたが、彼は黙ってスープを口に運んだ。
お腹が好いていたのだろうか。
試しにパンを小さくちぎって手渡すと、それも口に運ぶ。
ふむ。
生きる気力は、あるのか。
食欲=生存意欲と判断して、安堵する。
なんだかんだ言っても、わたしと関係のないところで幸せに生きて欲しいと思う程度の情はあるのだ。死なれては、寝覚めが悪い。
まともな意識のある坊っちゃんだったらこんなパン、口にはしないだろうな。
そんなことを思いながら、庶民向けの黒パンをちぎってやる。使う材料も小麦の轢き方も粗悪な黒パンは、舌触りが悪く固くてぼそぼそしている。これはこれで味わい深いのだが、ふっかふかの日本式パンに慣れ親しんだ身としては、いまひとつパンと思えないのが正直なところ。
現代日本の技術を極めたパンほどではないにしろ、貴族が食べるパンは庶民よりふかふかなので、その点は貴族で良かったと思う。まあ、どちらかと言うと日本式パンが邪道らしいけどね。外野がどう言おうと、あいむじゃぱにーずなので、わたしのパン認識は日本のパンだ。
ラース・キューバーの食事をみてやって温かいお茶を持たせてやってから、自分の食事を始める。
パンはかなりの量、坊っちゃんに食べられてしまった。
実は黒パンが気に入った、とかかな。
ゾフィーの仕立て屋の家事をほぼ一手に引き受けているだけあって、ゼルマさんの料理はおいしい。クオリティで言うならシェフには敵わないのだけれど、温かみのある、マンマの味なのだ。
だから坊っちゃんもよく食べたのかな、なんて、相も変わらずぼんやりしているラース・キューバーを眺めながら思う。温度ではない温かさを、ゼルマさんの料理からは感じられる。
軽い食事を済ませ、ゼルマさんが持って来てくれた服に目を移す。
ゾフィーの仕立て屋に並ぶ既製服にしては高価な部類に入る服が多いのは、おそらく貴族であるラース・キューバーへ向けた気遣いだろう。
出来るだけ肌触りが良く、暖かい服を選ぶ。普段のわたしだと丈夫さと動きやすさ重視なので、新鮮な選び方だ。…上着は、意識が戻ってからで良いか。
服をチョイスして残りは畳み、変わらず暖炉前でぼやっとしている坊っちゃんに歩み寄る。暖炉前は喉が渇くのか、持たせたお茶はなくなっていた。
これは、回復していると見て、良いのかな?
「触りますよ」
予告して、頬や手に触れる。
いちど冷えきっていた肌は温まり、血の気も戻っていた。これなら、着替えさせても大丈夫だろう。
「手伝いますから、着替えましょう。立てますか?」
ラース・キューバーを立たせて、服を着替えさせる。さすがゼルマさんの見立てだけあってサイズはぴったりだし、それなりに似合ってもいるのだが、少しちぐはぐさがある。
服が悪いのでも、選んだわたしのセンスが悪いのでも、着ている坊っちゃんが悪いのでもない。ただ、そう、言わば、社会人が学生服コスプレをしているところを見ているような違和感だ。
ラース・キューバーが纏う雰囲気と、低価格な服の値段相応な原料品質が、ずれているのだ。
まあ、今はこれしかないのだから、我慢して貰うしかない。
抜け目なく靴まで用意されていたので下着以外の全身を着替えさせると、ラース・キューバーは寒そうにふるりと身を震わせた。
そうだろうそうだろう。毛布の着ぐるみは暖かいのだよ。
ふふんと無意味に勝ち誇りつつ、心のなかで謝ってヴィリーくんの毛布をベッドから拝借する。着替え前と同じように暖炉前へ座らせたラース・キューバーを、毛布でくるむ。
これでやろうと思っていたことは完遂したのだが、さて、どうするか。
ラース・キューバーのカップにお茶を注ぎ足して持たせ、お茶関連以外の食器と残りの服、脱皮した着ぐるみを纏めながら、考える。
ひとまず証拠隠滅と、片付けるものを抱えていちど部屋を出た。
「あ、アルくん」
「ヴィリーくん」
部屋を出たところでヴィリーくんと鉢合わせた。
「申し訳ありません、お部屋を借りています。毛布も、勝手に借りてしまいました」
「それは良いんだけど、その彼?怪我とかはないの?薬師さんとか、呼ぼうか?」
その手があったか、とは思ったが、それならばクルタスに戻ってからの方が良いだろう。いたずらに目撃者を増やすのは得策と言えない。
「差し迫るような怪我はありませんから、大丈夫ですよ」
「そう?なら良いんだけど、もしなにか困ってるなら言ってね。二階に居るようにするから」
「ありがとうございます」
ゼルマさんと店番を交代したんだろうなと思いながら頷くと、ヴィリーくんはわたしの抱える荷物を取って微笑んだ。
「すごい美形なんだって?アルくんの恋人?」
不意打ちで思ってもみないことを言われて、固まってしまう。
ラース・キューバーとどうこうなんてあり得ないし、まさかヴィリーくんからからかわれるとか、思わなかった。
「……違いますよ」
結果返答に微妙な間が空いてしまい、これじゃ説得力がないなと自嘲する。
ふう、とため息を吐いたわたしに、ヴィリーくんが困り顔を浮かべた。
「あ、ごめん。そんな困らせるつもりは、なかったんだけど」
「いえ、大丈夫です。こちらこそごめんなさい。なんだか新鮮な意見で、驚いて…」
表立って言われることはないが、クルタス高等部内でわたしとラース・キューバーの不仲は暗黙の事実とされている。派閥の違いも明らかだし、わたしとラース・キューバーを恋仲だと勘繰る人間なんて、存在しないのだ。
…と言うか、男装短髪の時点で婚活脱落に等しいので、誰とであろうと恋人だなんて思われは…いや、モーナさまに訊かれたことはあったな、やっぱり理想はツェツィーリアさまなんですかって。
え?なんて答えたかって?にっこり笑ってお嬢さまはわたしの宝ですと答えましたとも。
そんなわたしが男性との、それもラース・キューバーとの恋仲を疑われるなんて。
変わった状況がおかしくなって来て、ついつい笑ってしまう。
「恋人ではありませんよ。むしろわたしと彼は、学院内で有名になるほど仲が悪いので」
「え?あ、そうなんだ」
「はい。明らかにようすがおかしいので助けましたが、普通に会っていたら会話も交わしませんよ」
くすくすと笑いながら頷けば、ヴィリーくんはどこか安堵したように笑みを返した。
「そんな相手を助けてあげるなんて、アルくんは優しいね」
「そうなのです。もっと褒めて良いのですよ?」
明るくふざけて見せると、目を細めたヴィリーくんが乗ってくれる。
「うんうん。偉い偉い。偉いついでに、針子の仕事も進めてくれるかな?」
わたしの頭をなでつつちゃっかり仕事を押し付けるヴィリーくん。抜かりない。
「はーい」
笑って肩をすくめ、ばっちり用意されたぬいぐるみの材料と裁縫道具一式を手に取る。
ラース・キューバーに精神分析を掛けてやりたいところだが、あいにくと専門家ではない。サヴァンの魔法は精神は精神でも、治癒ではなく破壊専門なのだ。
暖を取らせて食事も与えた。心を落ち着ける素地は調えたのだから、あとはラース・キューバー自身の回復力を後押しするくらいしか、わたしには出来ない。
ヴィリーくんの部屋の机に道具を広げ、坊っちゃんにお茶を注ぎ足してやってから、作業の片手間にわたしは歌い出した。
囁くような声量で、静かに。
我が子をあやすように、そっと。
大丈夫。不安はない。だからその傷を癒やし、瞳を開けてごらん。
なにも怖いことはない。緊張を解いて。心を安めて。
ほら、わたしの声に耳を傾けて。大丈夫。大丈夫。大丈夫…
癒しの魔法を混ぜ込んだ歌と雨音をBGMに、わたしはぬいぐるみ作りに没頭した。
拙いお話をお読み頂きありがとうございます
前後に分けてしまって申し訳ありません
明日の同じ時間に後編を投稿予定ですので
続きも読んで頂けると嬉しいです




