取り巻きCと初合宿 裏話 そのさん
悪役令嬢・ツェツィーリア視点
前話直後からですので前話未読の方は先に前話をどうぞ
真っ赤です
グロ描写・拷問などに耐性のない方はご注意下さい
まあとりあえずひと息吐けと、導師に勧められたお茶は、薄かった。ほとんど蒸らしていないのだから、当然だろう。
…さっき導師がお茶を飲んで顔をしかめたのは、美味しくなかったからね。
エリアルの紅茶はたとえ安い茶葉でも美味しい。それに舌が慣れてしまえば、まずいお茶には顔をしかめたくもなるだろう。適当に淹れた自分が悪いのだから、自業自得だけれど。
お茶を飲み終えたあと導師に案内されたのは、窓のない小さな部屋。導師がこつんとつま先で軽く壁を蹴ると、壁にどこかの光景が映った。
「これは…?」
「通信石の応用だ。対応する石から見える光景を映す。通信石と違って馬鹿みてぇに魔力を喰うから、あまり使われてねぇけどな」
モーナが知ったら興奮しそうだと考えながら、映された光景を眺める。
どこか、広い部屋を、斜め上から覗いたような光景だ。石造りの壁に窓はなく、陽光の代わりに魔法の光が室内を明るく照らしている。部屋の真ん中辺りに椅子が一脚置かれていて、みすぼらしい身なりの男がこちらに背を向けて座っている。
導師がもう一度壁を蹴ると、映された光景が四つに別れ、四方からそれぞれ部屋を見下ろした光景が映される。
椅子に座っていると思った男の手は肘掛けに縛り付けられ、足もまた鎖で左右を結び付けられていた。遠いので定かではないが、腰にも鎖を回されていた。
「…これ」
「真ん中の男は、しばらく前に捕まったラドゥニアの間者だ。…エリアルを、さらおうとしていた可能性がある」
「エリアルを?」
それはまた、無茶なことを考える。
「エリアルを誘拐なんて、無理でしょう?」
「いや、実際何度か誘拐されかけてやがるぞ、あの馬鹿は」
まあ、大抵はほんの小さいころの話だけどなと、導師は胡乱な顔で呟いた。
「エリアルが小さいころに撃退しまくったから、一時は落ち着いてたんだが、最近また水面下で動き出した。ラドゥニアはサヴァンを知っているからな。十五歳まで生きたエリアルの、魔力を疑い始めてんだよ。だからエリアルを調べようとしてる。本当は魔力が弱いんじゃないかってな。強い力のやつほど、サヴァンは死にやすいから」
珍しく饒舌な導師が、壁を睨みながら言う。
「生きてるエリアルが、信じられねぇんだ。御せる人間なんじゃないかと、考えてるんだろうよ」
壁に写る向こうの男に、嘲るような視線を向ける。
「御せるはずが、ねぇんだよ。あの、クソ野郎が」
毒吐く導師の視線の先で、光景に変化が現れる。
「…エリアル?」
メーベルト先輩の呟きが、瞬間信じられなかった。
あれは、誰?
部屋に入って来た、黒髪短髪の人影。真っ白な肌と黒髪黒目の、対比が美しい。
歩いているから、生きているのだろう。
けれど本当に生きているのかと疑問に感じるほど、その顔に表情がない。
「忘れるな」
導師の低く唸るような声が、壁から目を離せない私の耳を打つ。
「あれが、エリアルとお前の自由の代償だ」
「あれは…」
「現実から、目を離すな。あれが、エリアルだ」
エリアルは椅子に拘束された男を見下ろすと、握った片手に話し掛けた。
「簡易の通信石だ。思念じゃなく音を伝えるのが特徴だな」
話す内容は、聞こえない、
かつん
「―ば良いのですね?」
「そうだ。そいつが、こちらの質問に素直に答えるようにしろ」
導師が壁を蹴ると、エリアルの声が部屋に響く。そのあとに続いたのは、どこかひび割れた変な声。
「通信相手の方は、声から相手が特定出来ないようになってる。…あの間者は、ラドゥニアに帰すつもりらしいからな」
「エリアルのことは、知られても良いの?」
「エリアルに関してはむしろ知らしめるつもりだ。エリアルの安全のためにも、国のためにもな」
導師の言った意味が、わからなかった。その光景を、見るまでは。
「わかりました」
呟いたエリアルが、男へと歩み寄る。
ふわりと、微笑んだ顔はいつものエリアルだった。
令嬢たちを相手にするように、穏やかな表情と静かな声で、男に話し掛ける。
「こんにちは。我が国の為政者たちがあなたのお話を聞きたいようなのですが、お話して頂けますね?」
「お前は、」
「これは失礼いたしました。わたしはエリアル・サヴァン。あなたが探していた、国殺しのサヴァンの孫ですよ」
腰掛けた男の足許に膝を突き、エリアルがにこやかに男を見上げる。
「あなたのお名前を、お聞かせ願えますか?」
エリアルの態度は、とても友好的だった。先程までの無表情が、嘘のように。
男がエリアルを見下ろして、言った。
「本当にお前がサヴァンだと言うのなら、喋らせれば良いだろう」
ああ、この男は死ぬ覚悟があるのだろうな。そう感じさせる、態度だった。
エリアルが一瞬にして、表情を変えた。
遠くから見る私ですら、ぞっとするほどの冷たい表情だった。
「良いのですか?」
問い掛けられた男が、顔を引きつらせる。
追い打ちをかけるように、エリアルが男の頬に手を伸ばした。ひたりと触れられて、男の顔が恐怖に染まる。
「死ぬより悲惨な思いを、する覚悟がある、と?」
「…出来るなら、やって見せろ」
それでも反抗を示した男に、エリアルは少し悲しげな顔で、そうですか、と呟いた。
「出来れば正気を、残したいのですがね」
小さなため息。
姿のない声が、エリアルに命じる。
「…投入する。そいつには結界を張るから、お前の力を見せてやれ」
思いきり顔をしかめて、エリアルが答えた。
「動物虐待は、嫌いなのですが」
「処分待ちの暴れ馬だ。気にせず倒せ」
うつむいたエリアルがなにか呟いたが、その声はなにも拾わなかった。口許もちょうど死角になっていて、なにを言ったのか予測も出来ない。
エリアルはうつむいたまま立ち上がり男から数メートル離れると、暗い顔を上げた。その顔からまるで魂でも奪われたかのように、表情が抜ける。
そうすると本当にエリアルは、良く出来た人形のようだった。
人形の真っ赤な唇が動く。
「わかりました」
エリアルが入って来たのとは別の、大きく重厚な扉が開く。
「…竜、馬?」
入って来た生き物を見て、メーベルト先輩が茫然と呟いた。
大型の馬体を覆う甲冑のような硬い鱗と鈍器のような強靭な蹄、背中に生える巨大な翼。
人間が家畜として取り入れようとした中で、最も危険で凶暴と言われる生きものの姿が、そこにはあった。
その機動力と強靱さに、好戦的な性格が認められ軍馬として取り入られたが、荒い気性が災いし乗りこなせる者が極めて少ない、暴れ馬だ。飼育者や騎手にまで楯突くため、毎年死傷者を出すと噂の生き物で、軍部以外ではもはや幻のような存在。
私も、初めて見た。本当にいたのかと言う驚きすら、感じる。
「竜馬は軍用として極秘の施設で育てられてんだが、実用として使える個体は馬鹿みてぇに少ねぇ。ほとんどは気性が荒過ぎて、手に負えねぇんだ。あそこにいるのはそう言う気性の荒過ぎる竜馬で、廃棄代わりに騎士の訓練やなんかに、利用される」
「それ、危険じゃ…」
「当たり前だろ」
なにを馬鹿なと言いたげに、導師が頷く。
「普通は一小隊か二小隊掛かりで、一頭を相手にするくらいだ。それでも、怪我人は出る。稀にだが、死人も、な」
そんな獰猛な生きものが、今ぞろぞろと部屋に入って来ている。そこにいるのは、エリアルと拘束された男だけだと言うのに。
さっそく竜馬たちは、エリアルに殺気を向けている。さすが好戦的な種の動物と言うべきか、エリアルを恐れる個体はいないようだ。
安全なところから見ているだけの私ですら身体が強張る状況だと言うのに、エリアルは一切の感情を見せずに黙って立っている。
二十頭ほどだろうか。広い部屋が狭く見えるほど多くの竜馬を詰め込んだのち、ぽっかり空いていた逃げ道は閉じられた。
逃げ場のない空間に、エリアルと男と竜馬たちだけが残される。
「おい、これ…」
「ご存知でしたか」
チェンバロの方がもっと抑揚があると思うような平坦で感情のない声で、エリアルが言った。
「我が国の誇る馬です。可愛いでしょう?兵士の訓練にも付き合ってくれる、とても良い子たちですよ」
エリアルが視線を巡らせると、あれほど殺気立っていた竜馬たちが恭順を示すように膝を折った。
「…エリアルの力は、絶対的な強者だ。本気を出したエリアルなら、竜馬程度で相手になるはずがない。いくら身体が強靭でも、精神攻撃は防げないからな」
導師が静かに、状況を説明する。
壁に映る光景の中で、おもむろに竜馬に近付いたエリアルが、その首を抱き締めてなでた。
その凶悪さで躾の脅しにすら使われると言う竜馬に、あれほど気安く触れられる人間が、どれほどいるだろう。
「エリアルがいれば、彼らを棄てずに扱えるんじゃないですか?」
「やつらが忠誠を示すのは、エリアルだけだぞ?つぅかそもそも、本気を出したエリアルに、生身の人間が近付けるはずがねぇだろうがよ。あの男は、強力な結界で護られてるから平気なだけだ」
無表情なままのエリアルが、竜馬から男に視線を戻す。
「あなたも、彼らと触れ合いたくはありませんか?」
すっとエリアルが男を指差した途端、竜馬たちがいっせいに立ち上がって男へ目を向けた。男が、ひっと声をもらす。
「…もう一度、訊きましょう。あなたの、お名前は?」
「…殺すなら、殺せ」
「殺しませんよ」
指差していた手を開き、いちど掲げ、すっと下ろす。
竜馬たちが、男へと殺到した。
「「―っ!!」」
声なき叫びを上げたのは、私と男、同時だった。殺到した竜馬は、結界に阻まれ男に届かない。
けれどその恐怖は、いかばかりか。
「お名前を、お聞かせ願えますか?」
恐怖に歪んだ男へ、残酷なほど揺れのない声でエリアルが問い掛ける。
静かな声は返って、与える恐怖を増した。
「…っ」
それでも首を横に振る男。
「動物虐待は、避けたかったのですが」
絶叫。
もはや生き物の発したものとは思えない壮絶な叫びが、竜馬たちから発せられた。
のた打ち、もんどり打って、身体中から血を噴き出す。あまりに大量の血に、結界すら数秒血で真っ赤に染まった。
光景を眺めているだけでも、地獄のような数分間。
永遠にすら感じる時間ののち断末魔の慟哭が鳴り止むと、男を中心に、死体の浮かぶ血の海が広がっていた。
壁にまで血飛沫の飛んだ光景の中、結界に護られた男の周辺と、エリアルだけが赤く染まっていないことが、よりその場の異様さを引き立てる。
エリアルが黙って静かに、男へと歩み寄る。はかったようにエリアルの進行方向には、死体がなかった。
ぺた、と結界に触れた手に、男がびくりと体を震わせた。
にこ、とエリアルが、男に微笑みかける。
男の股間に、濡れたシミが広がった。
「お名前を、教えて頂けますか?」
繰り返される、問い。
恐怖に染まって見開かれた目が、エリアルを見つめる。
背後の光景にそぐわないにこやかな笑みが、言いようのない恐怖を煽り立てた。
「今従って頂けるのでしたら、ここで止めましょう。あなたの、お名前は?」
あくまで穏やかな、問い掛け。
「わたしとしても、ひとの意思を魔法で偽りたくありません。あなたから話して頂けると、嬉し、」
「情けを掛けるな」
エリアルの言葉の途中で、すとんと、結界に触れていたエリアルの手が落ちた。
男を護っていた決壊が解けたのだ。
これ以上ないと思っていた男の緊張の糸が、さらに張り詰められたのが、端から見てもわかった。
命令するひび割れた声に、エリアルが眉尻を下げる。
「…これで、最後です」
深々とため息を吐いてから、静かに言った。
「自分から口を開く気には、なって頂けませんか?あなたの、名前は?」
身体が強張って、まともに声も出ないのだろう。何度かはくはくと口を動かしたあとで、ひどく掠れきって弱々しい声で、男が答えた。
「…たとえ相手がサヴァンでも、屈する気はない」
「そうですか」
エリアルがいちどうつむいてから顔を上げる。その顔からは、再び表情が消え去っていた。
エリアルの真っ白で美しい手が、脂汗を浮かべた男の頬に伸びる。たった一瞬で、男は何十歳も年老いたように見えた。
「それでは、さようなら」
男の瞳が極限まで見開かれたあとで、くるり、と反転して白く染まる。
緊張しきっていた身体が、かくりと弛緩した。
「…しん、だの?」
「エリアルは、ひとを殺さねぇよ」
思わず呟いた私に、導師が答えた。
「あの野郎は死んだ方が、幸せかもしれなかったがな」
たっぷり十拍ほどだろうか。男に触れたまま目を閉じていたエリアルが、目を開く。
それと同時に気絶していた男も、目を開いた。
にっこりと微笑んだエリアルが、男に呼び掛ける。
「こんにちは。なにか、身体に異常はありませんか?」
男はにこやかに、エリアルへ頷きを返した。
「ごきげんよう。身体に異常はありませんよ」
「お名前を、お聞きしても?」
「コリン・オールストンです」
すらすらと愛想良く答える姿に、言葉を亡くす。あれは、さっきと同じ人物なの…?
「オールストンさん、わたしの知り合いがあなたのお話を聞きたいと言っているのですが、ご協力頂けますか?」
「喜んで。ただ、」
「どうかしましたか?」
「その前に、湯浴みと着替えをさせて貰えないかな?」
「ああ、これは失礼いたしました。すぐに用意させますよ」
さり気なく拘束を解いて、エリアルがオールストンを名乗る男に手を差し出す。
「どうぞ、付いて来て下さい」
「ああ。ありがとう」
男はエリアルの手を掴むと、立ち上がり連れ立って歩き去った。
目の前に広がるはずの地獄絵図に、なにひとつ言及せずに。
「…ここで待ってろ」
「え?」
「あの部屋を片付けて来る。魔法の残渣を消さねぇと、次に支障が出るからな」
「つぎって」
振り向いた導師は、苦い顔をしていた。
「敵は、ひとつじゃねぇんだよ」
それだけ言って、かつん、とかかとを鳴らした。目の前にいた導師が、壁の中に移動する。
真っ赤に染まっていた室内が、瞬時に一掃される。
導師は部屋を見渡して頭を掻くと、かつん、とかかとを床に当てた。壁から消えた導師が、ふたたび部屋に現れる。
「…戻るか」
私の顔を見て呟かれた言葉に、首を振った。
「見ます。次もこの部屋を使うのは、エリアルなのでしょう?」
「ああ」
「それなら、見ます」
それからも、繰り返されたのは地獄絵図だった。
ひとの尊厳が、生きものの命が、踏みにじられる光景。
「なんで…こんな…」
エリアルは、猫と昼寝し、鳥に豆をやるような人間だ。生き物を、人間を、尊重する子だ。
その、エリアルに、こんなことを?
それは、どんな、悪魔の所業だ。
「敵に回すと危険だが、味方であれば便利だと」
低い声で、導師が言う。
「そう思わせれば、皆エリアルの機嫌を取ろうとするだろう。あいつは、ツェツィーリア・ミュラーがこの国で守られている間は従うと、宣言している」
私を守るためか。
私を守るために、エリアルはここまでしていると言うのか。
「っ、今すぐ、エリアルに」
「まだ、話が終わってねぇ」
導師への要求は、即座に却下された。
「なんっ」
「見てなかったか」
導師が顎をしゃくり、壁を示す。そこにもう、生きものの姿はない。
導師が片付けに行かないと言うことは、おそらく今日の地獄はここで打ち止めなのだろう。
「今のあいつは、ひとの意思を操れる」
導師が舌打ちして、正直予想外だった、ともらす。
「サヴァンの魔法であそこまで繊細なことが出来るたぁ、知らなかった。たぶんエリアル自身も、出来るかは半信半疑だったんじゃねぇかと思う。が、馬鹿どものせいで、やらせちまった。五人。五人だぞ?もう十分だ。エリアルは、ひとを壊さず操る方法を会得しちまった」
「それがなんだと」
「エリアルは、目的のためならなんでもするやつだ」
導師が目を細めて、私を見下ろす。
ざわりと、胸が騒いだ。
「お前を守るためなら、お前の意思さえ弄りかねない」
「そんな、こと」
ない、とは、言えなかった。
だってエリアルは一度も、私にこのことを話していない。エリアルは不必要に嘘を吐かないけれど、黙秘はする。基本的に嘘は吐かないとは言え、必要とあらば騙しもする。
「言っておくが、ほかの国でも扱いは大して変わらねぇ。バルキアがマシだとは言わねぇが、国を変えてもバルキアよりマシな対応をされる可能性は低い。そもそもサヴァン家の元々の母国でですら、サヴァンの能力者は兵器扱いだったからな。能力者として生まれた以上兵器として生きる以外に生き方はない、それが、サヴァンっつぅ家系の考え方で、自家に生まれた能力者への教育方針だ。だからあいつは、自分よりほかの人間の命を優先する。持ち主を決めたサヴァンは、最狂の兵器だ」
導師の目が、私を射抜く。
私の、覚悟を問う。
「それがエリアルの生き方だと知ってなお、お前はエリアルの主として、共にいる気があるか?」
ついと視線を動かした導師が、メーベルト先輩を見る。
「自分をモノ扱いする人間だとわかって、主のためなら誰の意思も踏みにじる人間だとわかって、それでもお前はエリアルの、隣に立つことを望むか?」
止めるな、と、導師は言っているのだ。
この酷い状況を知った上で、エリアルを止めるな、と。
なぜ、と、問いたかった。なぜ、私の大事なエリアルが、そこまでしなければいけないのかと。
けれど同時に、ああ、と、納得もしていた。
だからエリアルは私に、攻撃手段を持つなと言ったのだ。攻撃手段を持ってしまえば、自分と同じ道を辿るかもしれないから。
七歳足らずだ。たった七歳にも満たない子どもが、その時点で、自分の行く末を理解していたのだ。
言いようのない感情が渦巻いて、涙として溢れ出した。
悔しい。泣いたって、どうにもならないのに。
どうして私は、エリアルを救う力を持たないのか。
「…っ、救いは、ないの?なにか私に、出来る、ことはっ!?」
悔しい。目の前の男が憎いのに、この男に頼るしか出来ない自分が。
力が、欲しい。
もっと、力が。
そうだ、ならば、力を得れば。
地盤はちゃんと、エリアルが与えてくれている。
泣きながら、それでも睨み上げて見せれば、導師はぽんと、頭をなでて来た。
身長は高い方ではないのに、大きな手だ。
「エリアルが、恐れるものがある」
「エリアルが、恐れるもの?」
想像が、つかない。
エリアルのことは、誰より理解していたいのに。
頷いた導師が、言う。
「まずは、お前だ、ツェツィーリア。お前が傷付くことを、とても恐れてる。これは、隠していねぇことだな」
思い返せば、演習合宿中にも言われたことだった。エリアルの弱点は、私だと。
そんなに思われているのに、なぜそれに思い当たらないのかと、自分が少し嫌になった。
私はもっと、エリアルにとっての私を知るべきだ。
私が言葉を噛み砕くのを待って、導師が続ける。
「次は、あまり大っぴらにはしてねぇ、たぶん俺にしか言ってねぇことだが、ひとを殺すことだ。エリアルは、ひとを殺すことを極端に恐れてる。ひとを殺さずに済むんならって、首輪に抵抗しねぇくれぇだからな」
導師がついさっき言った、エリアルはひとを殺さないと言う言葉を思い出す。
あれは、そう言う意味だったのか。
そしてそんなことすら、私は知らせて貰えていないのか。
「…お前と俺とじゃエリアルの中での位置付けが違ぇ。あんま気に病むな」
…あなたは導師が、優しいと言ったわね。それはこう言うところかしら、ねぇ、エリアル?
こうして慰められたから、あなたは私じゃなくて導師を頼るの?
唇を噛んだ私の頭を、導師がぐりぐりとなでる。
乱暴なその手付きが、今はありがたかった。
「んで、最後だが」
導師が苦虫を噛み潰すような顔で、言う。
「これに関しては俺も聞き出したわけじゃねぇ。単なる、推測だ。だが、エリアルは怖がられることを恐れてると感じる」
「怖がられる、こと?」
突拍子もない発言に、思わずぽかんと導師を見返す。
導師はそんな頓狂な顔は気にせず、頷いた。真面目な顔に、私も顔を引き締める。
「つっても、サヴァンとして怖がられることじゃねぇよ。んなもん、気にしねぇ。あいつは」
「でしょう、ね」
むしろ恐怖を利用していた位だ。怖がられた程度で、へこたれはしないだろう。
「それなら、どう怖がられるのを恐れていると?」
「実際の力を見て、心を許した者から、心を閉ざされることを、だな。見ただろう。さっきの」
壁を示されて、先までの惨劇を思い出す。
殺した、殺された、その言葉だけで表すには、あまりにも惨過ぎる姿。
そんな惨殺を、ひとりで為したエリアル。
「自分で自分がどんだけ酷ぇことをやってるか、エリアルは理解してる。だからたぶん、お前らが実態を見て恐れても、傷付いた顔はしねぇ。表向きは、な」
ああ。そうだ。
あの子はそうやって、痛みを隠して生きている子だ。
もっと、痛いって、苦しいって、私に教えて欲しいのに。
私がエリアルを恐れたら、エリアルはきっとなにも言わず、私から離れる。私を怖がらせないために。自分の痛みはなにひとつ、私に伝えることはなく。
「なにを見ても怖がるなって、言うんですね」
「ああ。そうだ」
導師が頷いて、赤い景色を映す壁に触れる。
「怖がらずに、抱き締めてやって欲しい。力で対抗出来る俺でなく、力じゃ敵わないお前や、ブルーノが」
ああ、それで。
導師が私たちを呼んだ理由、こんなものを見せた理由に思い当たって、息を吐く。
「なんで私がエリアルを怖がらなきゃいけないのよ。エリアルは絶対に、私を傷付けたりしないわ」
腕を組み、つんと顔を上げ、あえて憎まれ口でも叩くように、不遜に言い放った。
ちゃんと理解している。エリアルの行動が、私を守るためであること。
白くて華奢なあの腕が、とても優しく私を抱き締めてくれること。
驚きは今日だけで十分だ。衝撃を受けるのも、今日だけで十分だ。
だから次見ても、驚かない。衝撃を受けもしない。
「こんなことする前に、どうして相談しなかったのよって引っ叩いて、抱き締めてやるわよ。あなたになんか、触らせてもやらないわ」
「そうか…」
呟いた導師が安堵したように見えたのは、きっと見間違いではないのだろう。
「…この程度なら、怖がることじゃないなぁ」
メーベルト先輩が、穏やかな表情で言う。
「ぇ…?」
念のため言わせて貰うと、目の前に広がっているのは、紛うことのない地獄絵図、だ。
決して、この程度、なんて笑顔で流せる状況じゃない。
流せるとしたらその人物はただの人間ではない。間違いなく、覇王か魔王である。
私だって初見でこれを見せられたら、しばらくは茫然自失に陥る自信がある。
実際、導師に退室を勧められる程度には、顔色が悪くなっていたはずだ。
声こそもらさなかったが導師も、明らかに驚いた顔をしている。
私たちの間抜け面を見たメーベルト先輩は、苦笑して言った。その目に光がなく、どうにも笑っては見えないのも、おそらく見間違いではない、と思う。
「フリージンガー団長が本気で指導しようとしたら、中隊ひとつで竜馬三〜五頭とか、平気で言いますよ。しかも、魔法禁止で。竜馬の生命力はご存じですか?エリアルは簡単に殺して見せましたけど、剣で殺そうとしたら、深い傷は出来ないしなかなか死なないしで、やっと殺せたときには血まみれ傷だらけの肉塊になっていますから、それに比べればエリアルがやった程度、優しいものです」
「フリージンガー団長、って?」
「王都より少し東に行った地域に専属する騎士団の団長だよぉ。破落戸の街って、聞いたことない?」
破落戸の街…ルシフル領のことだろうか。
あそこについては、確かエリアルから…、
「ルシフル領、バルキアで最も治安の悪い土地、だったかしら?」
「ああ、知ってるんだぁ。そうそのルシフル領。そこで、ルシフル領の人間が外に迷惑を掛けないように取り締まっている騎士団の団長がぁ、フリージンガー団長」
「もしかして、破落戸の親玉のようなひとなの?」
破落戸の取り締まりと聞いて、巌のような男性を想像する。
メーベルト先輩は少し笑って、首を振った。
「外見だけで言うなら、エリアルに似ているよ。エリアルほどじゃないにしろ綺麗な顔立ちで、線が細い。身長も、エリアルと同じくらいじゃないかなぁ」
「それでどうやって破落戸を取り締まるの?」
「技術、かなぁ?性格と頭脳もあると思うけど」
どんな性格なのか、と訊きかけて、先の発言を思い出す。
「…性格も、アルに似てるのね?」
「いや、エリアルの方が格段に優しいと思うよぉ?」
でも、方向性は同じなのね。
微妙にぼやかしたメーベルト先輩の発言に、そう結論付けた。
「それ、絶対にアルと会わせちゃいけないひとだわ。大惨事になりそうだもの」
私の宣言に、メーベルト先輩が視線を逸らす。
「あはは」
「…メーベルト先輩?」
「ごめんねぇ、フリージンガー団長にエリアルの話、もうしちゃったぁ。すっごぉく、興味持ってたよぉ」
やっちゃったぁ、と言う顔で笑って、メーベルト先輩が言った。ひとによっては惨事にしかならないような表情だが、メーベルト先輩に関してはよく似合っていた。
…確信犯。どう考えてもこのひとは確信犯だ。
「…フリージンガー団長はこの国の子爵位を持つけれど、元々は大陸全土に跨がる商人の家系で、いまだ極西から極東まで、頼れる人脈を持っているから」
悪巧みなど露と感じさせない朗らかな笑みで、メーベルト先輩が言う。
導師が胡乱な目で、そんなメーベルト先輩を見た。
「…出奔するときはちゃんと言えよ?まあ、今のエリアルならそうそう壊れねぇとは思うが、つったってサヴァンの能力者は突然死が多いんだ。俺の庇護下には入っとけ。どこにいるかだけ把握しとけば、危ないときには対応してやるから」
それで良いのか筆頭宮廷魔導師。エリアルは、国防の要だろうに。
「ガキひとりいなくなりゃ立ち行かなくなる国なら、いっそ滅んじまったって問題ねぇだろ。自業自得だ、んなもん」
私の視線に気付いた導師が、口端を引き上げて吐き捨てる。
導師の中ではやはり、エリアル>国、らしい。
エリアルが国を棄てると決めたら、あっさり国を裏切るのではないかしら、このひとは。
…悪くない。
初めて、導師を味方だと信じられた。
このひとは、エリアルを必ず救ってくれるだろう。
深く、深く息を吐き出して、椅子も敷布もない石の床に腰を落とす。
剥き出しの石だろうが、座ることに抵抗はない。
エリアルを苦しめ、エリアルが見限る国なんて、滅びても構わない。
思って、けれど、家族と友の顔が浮かんだ。
この国が滅びれば、きっと彼らは苦しみ、悲しむだろう。
私にはエリアルだけ、なんて言ったけれど、本当はもう、エリアル以外にも大切なものがある。
私はツェツィーリア・ミュラーとして、もう三年半生きているから。
床の上へへたり込んだまま、両手で顔を覆う。
「…アルが逃げないのなら、私だって逃げないわ」
あんな非道な行為を強制されても、エリアルはこの国に残ろうとしている。私の気持ちを、優先して。
現時点ではまだ、この国に残る方が良いと言うことなのか、エリアルもまた、この国のひとに愛着があるのか。
恐らく、両方だろう。
少なくとも、導師とリリア、オーリィは、エリアルの懐に入っていると思う。
私の次に、エリアルが優先するものだろう。
だからきっとエリアルは、ギリギリまでこの国を棄てない。
エリアルが守りたい部分と、腐敗部は、同じ国内でも別の部分だから。
あの優しい子は、腐敗部だけを見て全て棄てるようなことは、しないだろう。国が私を、傷付けない限り。
「アルはずっと、こんなことをやらされていたんですか?」
「…いや。ここまでやらされたのは、演習合宿後だけだ。実際国内でも実力を疑問視する声が上がるくらいに、十五年間良い子ちゃんを続けてたんだ、エリアルは」
演習合宿のときの光景を思い出して、目を伏せる。確かに私ですらエリアルがあそこまで規格外なことが出来るとは、思っていなかった。
「演習合宿でやったことの噂が尾鰭を付けて広まって、いろんな馬鹿が出て来てんだ。危険だと言ってみたり、もっと利用すべきと言ってみたり、もっとサヴァンの子を増やせと言ってみたりな。そう言うやつらを黙らせるために、エリアルがこうして動いている」
「…黙らせる、とは?」
「恐怖と従順さを見せ付けているってぇとこだな。ただの馬鹿な猛犬じゃなく、自分の意志と良く回る頭を持った猟犬で、馬鹿や雑魚じゃ御せねぇってことを、知らしめてんだよ」
犬犬言っているけれど、エリアルは猫よね、なんて、場違いに思った。ふと目が合ったメーベルト先輩が、微笑む。
思わずふたりで、噴き出してしまった。
「…おい」
真面目な話の途中で笑い出した私たちに、導師が剣呑な目を向ける。
「ごめっ、なさ…でも、エリアルが、犬って…犬って…」
一度笑い出すと止まらなくなって、不謹慎だとは思いつつも笑いが抑えられず、ぷるぷると震えてしまう。
「どちらかと、言うと…猫…だとぉ…」
メーベルト先輩も、口許を抑えて肩を震わせている。
「………それは、まあ、確かに。体温高くて抱き心地も良いしな」
「いま、聞き捨てならない言葉が聞こえたような…?」
抱き心地ってなんだ。抱き心地って。
「抱き締めた方が落ち着くんだよ、エリアルは。役立つから、覚えとけ。抱き締めてキスするなり背中なでるなりしてやれば、落ち着く」
「あなたは…!いえ、今さらなにか言うのも馬鹿らしいですね。とにかく、これでエリアルは多少安全になる。それで良いんでしょう?」
深々とため息を吐き、気を取り直して立ち上がる。見上げた導師も気を取り直すように自分の頭を掻き混ぜたあとで、にやっと不敵に嗤った。
「俺の庇護下だと、知らしめたからな。国内でエリアルに手出ししようっつぅのは、余程の自信家か野心家かなにも見えてねぇか…とにかく、馬鹿だけだな。馬鹿ならエリアルをどうにか出来るわけねぇし、お前らだって、負けやしねぇだろ?」
「当然です」
腕を組んで、導師を睨み上げる。
誰にだって、そう、エリアル自身にだって、負けやしないわ。
「たとえエリアルが最悪を覚悟したとしても、私がこの手で、あの子を守り抜いて見せます。私とあの子の幸せのためなら、なんだってしますから」
「自分の幸せも入れんのか」
「当たり前でしょう?」
エリアルの気持ちを、今度こそ取りこぼさない。
「私の幸せが、エリアルの幸せですから。私が不幸になってエリアルを救っても、そんなの意味ないでしょう?」
不意に下りてきた大きな掌が、ぐいぐいと頭をなで付ける。
「ちょっと!」
払って見上げた先の顔に、瞬間ぽかんと、間抜け面をさらした。
びっくりするくらい、無垢であどけない笑み。
「それで良い。ありがとな」
「べっ、別にあなたのためじゃないわ!!」
このひと、どれだけエリアルが大事なのよ!?
宰相さま辺りが見たら顎が外れそうな表情に動揺して、ぷいっと顔を背ける。
悔しい。悔しいけど、認めてあげるわ。
ヴァンデルシュナイツ・グローデウロウス。あなたが私と同じくらい、エリアルを愛してくれているって。あ、でも、エリアルを世界一愛しているのは私よ?そこは譲らないわ!
その日は結局エリアルに会えなかったけれど、後日別件で呼び出された。
いつも通りに柔らかな笑みを浮かべたエリアルに、堪えきれず抱き付く。
あなたはいったいどれだけの苦しみを、その笑顔の裏に隠しているの?
「ツェリ?」
あんなことはもうしなくて良いと、吐き出しそうになる衝動を必死に抑え込む。
エリアルの言う通りだ。私はまだ、足手纏いでしかない。
「…っ心配、したのよっ!」
いつも通り温かい身体。優しい手。日溜まりの香りの裏に、血の臭いなんて…いえ、なんだか、生臭い?
そう言えば、蜥蜴の解体をずっとやっていると言う話だったかしら?
演習合宿のときの光景が、導師に見せられた光景が、頭に浮かぶ。
遠い。あまりに遠く離れた、実力差。
でも、追い付いて見せる。足手纏いではないと、認めさせて見せる。
そのときは、あなただけに辛い思いなんて、絶対にさせない。
「私から離れるなんて、許さないわ」
死がふたりを分かつまで?
いいえ。そんな生温いことなんて言わない。
たとえ死の運命でさえ、私からエリアルを、奪わせてやるものですか。
あなたが望むのなら、エリアル?私は護られるお人形をやってあげる。
でもね、エリアル?
残念ながら私、ただ護られてあげるほど、素直なんかじゃないのよ?
勘の鋭い黒猫に気取られないよう笑顔で覆い隠して、信じてもいない神に代わって私の黒猫に、戦い抜く誓いを。
私はあなた自身からでさえ、あなたの幸福を守って見せる。
拙いお話をお読み頂くありがとうございます
こんなお話上げて良いのか
どチキンな作者はびくびくしているのですが…((((°ロ°;)))
こ、こんな鬱展開にめげずに続きもお読み頂けると嬉しいですっm(__)m
口直しになるかわかりませんが
4月14日の活動報告に番外小話を上げていますので
よろしければどうぞ<(_ _)>




