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取り巻きCと初合宿 ふつかめ―そのさん

取り巻きC・エリアル視点


有言実行!

前回の続きからです


軽い暴力の描写がありますので苦手な方はご注意下さいませ

 

 

 

「クロ…?」


 こぼれ落ちそうなほど目を見開いた姐さんが、わたしを見つめる。


 指先や唇を震わせて、おぼつかない足取りで近付いて来る。

 今にも転んでしまいそうなそのようすが怖くて、自分から歩み寄る。


 姐さんは震える手を伸ばしてわたしの頬に触れると、その手を思い切り振りかぶって、


 ぱぁ…んっ


「っの、おばかっ!!」


 頬を張られたことよりも、姐さんの目からこぼれた大粒の涙に、ぎょっとして思考が止まる。


 そんなわたしの胸ぐらを引っ掴んで、姐さんはわたしを抱き締めた。ぎゅうっと、苦しいほどの力で、存在を確認される。


「なに、やってるの…っ」


 涙混じりの声は姐さんのものなのに、不思議とツェリを思い出させて。


「申し訳ありません、ここに、きちんと、いますから…」


 自分に抱き付いた震える身体を、わたしはそっと抱き返した。




 えーっと、こんにちは?

 まさかのただいま落下寸前危機一髪!な状況の取り巻きC、クロことエリアル・サヴァンです。


 さっきからちょいちょい覚えていた違和感は、この足元に広がる空洞のせいだったみたいだ。


 下が空洞だったから、足音やなんかの反響が違って、違和感を覚えていたらしい。


 でもってパパことパスカル・シュレーディンガー先輩と、テディことテオドアさまが落ち掛け、わたしが今まさに落ちんとしているこの大穴は、崩落かなんかで空洞にぽっかり空いた開口部、だろう。パパかテディが蹴って落としたらしい小石は、かなり経ってからこーんと音を返した。ずいぶんと、深い穴のようだ。


 パパとテディの声の反響で落とし穴的なものの存在に気付いたのだけれど、少し遅過ぎた。


 パパとテディを助けようと手を突かんで引っ張って、ふたりを穴のふちに上げられたのは良かったけれど、その反動で自分が穴に飛び込んでちゃ世話がない。


 臓腑を抉られるような不快な浮遊感に、顔をしかめる。


 地下のようすが気になったりもしているのだけれど、勝手に地下探索をするのは駄目だろう。


 え?余裕だなって、いや、うん、まあ、魔法使えば少なくとも、怪我の心配はないからな。

 なにも考えず反射的にテディとパパを助けたけれど、よく考えてみてもわたしが身代わりになった方が合理的なのだよね。


 なんでって?考えてもみてよ、防御に関しては天才と謳われる、ツェツィーリア・ミュラーに、魔法を教えたのは誰なのか。

 と言っても、お嬢ことツェリの魔法は天性の才能が大部分ではあるのだけれど。


 でも、それでも、指導教官と並んで、お嬢に魔法の使い方を教えたのはわたしだ。


 つまり、わたしだって、魔法による防御くらい出来る、ってこと。

 ほら、防御魔法を持たないふたりを穴に落とすより合理的でしょう?


 …悲愴な顔でこっちを見る班員たちを見ちゃうと、少しも危機感を抱いていないわたしが申し訳なくなるのだけれどね。




 ごう、と渦巻く音がわたしの背中を押す。


「よ、っと」


 音魔法(物理)で作り出した足場を蹴って、上に飛ぶ。

 よく、窓からいつものサロンに侵入するために使う手だ。慣れきった行動なので、気負いもなく発動出来る。


 穴のふちに手を掛け、飛び上がって地上に帰還した。


「この穴、結構深そうなので落ちると危険ですね。なにか注意を促す対策をした方が良いかもしれな…」


 穴を覗いてから振り向いて、自分に向けられた眼差しに気付く。


 なんと言うか、こう、幽霊にでも会った、みたいな。


 え、なんでそんな顔で見られているの…?


「クロ…?」


 こぼれそうなほどに目を見開いた姐さんことブルーノ・メーベルト先輩が、震える声で呟く。


 そこでようやく、普通のひとなら死んでいておかしくない状況だったと思い出した。


 心配、させてしまっただろうか?


 たどたどしい足取りで歩み寄る姐さんが、転んだり穴に落ちてはまずいと自分から歩み寄る。


 震える手が、頬に触れて、


 ぱぁ…んっ


「っの、おばかっ!!」


 わたしがなにかを口にするより、姐さんの張り手と罵倒が早かった。


 音高い割に張り手は痛くなくて、それよりも、


「なに、やってるの…っ」


 こぼれ落ちる大粒の涙が、胸を刺した。


 呆然としている間に身体を引かれ、苦しいほどに抱き締められ、縋るように存在を確かめられて。

 涙混じりの叱責がまた、心を抉る。


 泣かせてしまった。


 そのことがなにより、痛くて。


「申し訳ありません、ここに、きちんと、いますから…」


 だからどうか、泣かないで。


 途方に暮れて、震える身体を抱き返した。


 触れた身体は驚くほど速い鼓動を伝えて来て、このひとはそこまで自分を心配してくれたのかと、痛感する。

 わたしなんてただの、後輩でしかないはずなのに。


「怪我なら、治せるんだよ」


 泣き濡れた声で、姐さんが訴える。


「たとえ瀕死でも、怪我は治せる。死なせたり、しない」


 ぐすっと鼻をすすって、姐さんが顔を上げる。至近距離でわたしを見上げる瞳からはまだとめどなく涙があふれていたが、その眼差しはとても強かった。


「でも、死んでしまったら治せないんだ。どんな天才が治そうとしても、どんなに願っても、どんなに手を尽くしても、死んじゃったらもうどうしようもないんだよ…!?お願いだから、無茶しないでぇ…っ」


 死んでしまえば、手の施しようがない。

 それはきっと、治癒魔法を使える姐さんだからこそ、強く思い知らされることなのだろう。


 ここで、もう無茶をしない、と言えたなら、姐さんを泣き止ませることも出来たのかもしれない。


 けれどわたしは、無茶をしないとは、言えなかった。


 お嬢を、ツェリを幸せにするためならば、わたしはどんな無茶もするだろうから。

 それで誰が悲しもうと、わたしはツェリの手を取ってしまう。


 姐さんが一生泣き止まないとしても、ツェリのための無茶なら、ためらわない。


 だから姐さんの言葉には頷かず、ただ、微笑んだ。


「大丈夫です。そう簡単には、死にませんよ。死んだりしたら、お嬢さまに怒られますから」


 こぼれ落ちる涙を指で拭う。


 姐さんは、きゅっと、顔をしかめた。

 拭った跡を、また新しいしずくが伝う。


 とても察しの良いひとだから、わたしの見え透いた欺瞞なんて、簡単に見通してしまうのだろう。


 姐さんが抱擁を解いて、両手をわたしの頬に伸ばす。

 むにっと、両頬をつままれた。


「…この、おばか」

「申し訳ありません」


 とても察しの良いひとだから、わたしの欺瞞を見抜いた上で、それがくつがえす気のない答えなのだと、理解してしまうのだろう。


 まるで親のかたきでも見るようにわたしを睨みつけて、ぎゅうっと頬をつねる。…結構痛い。


「治す」

「はい…?」

「きみがどんな怪我をしても、僕が絶対に治す。絶対に、死なせたりしない」


 きっぱりと宣言したそのひとは、もう泣いていなかった。


 ああ、


「やっぱり、格好良いですね、姐さん」


 笑って見せると、姐さんはわたしから手を離し、俯いて深々とため息を吐いた。


「危険に気付いたことも、突発的な事故なのに全員無傷で収めたことも、本当は褒めてあげなきゃいけないことだよねぇ。クロはちゃんと、対処出来るんだって、わかってるよ。でも、わかってても心配なんだ。クロに無茶なんてして欲しくない、ううん。クロだけじゃなくて、親しい相手が、危ない目に遭うところは、見たくない」

「…それでも、」


 俯いて言う姐さんに掛けようとしたわたしの言葉は、上げられた姐さんの強い視線に止められた。


「うん。それでもクロはひとを助けるために、平気で我が身を投げ出すんだろうねぇ。ほんとに、お馬鹿なんだから。クロもあんちゃんも、ここにはいないけどウルも、きっと兄貴やパパやクララもねぇ。もう、良いよ。わかってる。僕がなにを言ったってきみたちは無茶をするんだってことは。でも、そうだとしても許してなんかあげない。きみたちが無茶するたびに、僕はうんざりするくらい叱って、きみたちを心配する人間がいるんだって、思い出させるから。それに、きみたちが僕の心配なんか無視して、無茶して怪我するなら、僕だって遠慮なんかしない。魔力が枯渇して死ぬくらい、全力できみたちを治癒するから」


 わたしをしかと見据えて宣言したあとで、姐さんは眉尻を下げてわたしの頬をなでた。


「叩いて、ごめんねぇ…。でも、これは罰だから治してあげない。しばらく赤いほっぺでいなさい」

「はい。あー…お嬢にも怒られるのだろうなぁ…」


 お嬢がここにいたら、姐さんと同じようにわたしを引っ叩いて泣いたと思う。

 わたしが大丈夫なことは、お嬢がいちばん理解しているだろうに、実力と心配するか否かはべつらしい。


 こってり叱られると良いよと微笑んで、姐さんは空を見上げた。かすかに腫れた目許が、少し痛々しい。


「また誰か穴に落ちても困るし、もう下りようかぁ。あ、そうそう、不注意で穴に落ちかけたテディとパパは、あとで兄貴からみっちり叱って貰ってねぇ?」

「あう…はい。ごめんなさい」

「すみません。注意力散漫でした…」


 笑顔の姐さんに矛先を向けられて、パパとテディが消沈してうなだれた。

 落とし穴にはまったようなものだからね、落ち込んで当然だと思う。


「僕に謝罪するよりも、すべきことがあるよねぇ?」

「クロ、ありがとう。ごめんね、危ない目に遭わせて」

「ありがとな、クロ、助かった」

「あ、いえ、わたしこそ、もっと早く気付けば良かったのですが…」


 今回はわたしがいたからことなきを得られたものの、普通のひとがあの穴に落ちたら大怪我して…と言うか、死んでいておかしくないと思う。


 穴を振り向いて、うーんと唸る。


「立て札…じゃ逆に危ないか。柵とか立てられれば良いけれど…」


 改めて見ると、草に覆われて隠れているけれど深さだけじゃなく開口部もかなり広い穴だ。直径で、三メートル近くあるかもしれない。…なんでこんな大穴が空いたんだ。


「ここって、ひと、来ますか?」

「珍しい動植物やきのこ目当てで来るひとはいると思う」

「…誰か先にはまってたりしませんよね?」

「それは…」


 顔を見合わせた全員の気持ちが一致した。

 うん。考えないことにしよう。


 慎重に穴の側へ近付いて来た姫ことヴィクトリカ殿下が難しい顔で首を捻る。


「なにか対策を取るべきなのは確かだね。でも、今すぐに出来ることは…」

「とりあえず、穴がわかりやすいように周り燃やしておく?」


 パパ、意見がワイルド過ぎるよ!環境破壊、いくない!!


「周り生木と生草だし、燃えにくいだろ」

「柵を作るのが一番だとは思うが、材料も道具もないな」


 論点そこなのと言うクララことクラウス・リスト先輩の反論のあとで、あんちゃんことラファエル・アーベントロート先輩がまっとうな意見を出してくれて安堵する。いや、解決はしていないけれどね。


「いまはなにか目立つ目印だけ立てて、きちんとした対策はあとで取って貰えば良いんじゃないかな?どうせ、合宿中の報告はするんだし、そのときに伝えれば。私から、別途で報告しても良いし」

「そうだねぇ。じゃあ、なにか目印を…」


 きょろきょろと辺りを見回す姐さんを後目に、あんちゃんが、ばきぃっと手近な木の大きな枝を折った。ちょ、容赦ないなぁ…。


「ああ、わたしが、穴を空けますから」


 小枝をはらった枝を力業で穴の脇に突き立てようとしたので、慌てて手助けする。

 下は空洞なのだ、衝撃を加え過ぎると崩落しかねない。


 わたしが空けた穴に枝を立て、目立つように布をくくり付ける。


「これで良いだろう」

「ついでに、警告音でも付けますか?」

「うん?」


 首を傾げるあんちゃんの前で、立てた枝に手を当てる。


 えーっと、真面目に音魔法を使うのは、あんまり得意じゃないけれど。


「〜♪」


 指導教官に叩き込まれたメロディを、小声でなぞる。

 歌詞は、昔懐かしい童謡だ。メロディがそっくりだったから、つい。

 ちなみにここと日本では言語が異なるので、日本語で歌っても歌詞がばれることはない。めちゃくちゃな言葉をならべているとしか、思われないのだ。


 無性に郷愁を掻き立てる曲を歌い終えてから、手を離す。


「これで、ここにひとが来たら警告音が…うるさい…」


 わたしを認識して鳴り出した警告音に顔をしかめる。かーんかーんと響く鐘の音は、かなり耳を刺す。


「離れましょう。せっかく掛けたのに無駄打ちして魔力切れしては本末転倒ですから」


 なぜかぽかんとわたしを見ていた面々を、追い立てて離れる。十メートルほど離れると、ぴたりと音は止まった。


 危険を知らせるためにと思ったが、のちのち来てくれるひとの作業妨害になるかもしれない。…いや、落っこちて死ぬよりは良いと思うけれどね。


「…いまのなに?」


 音が止まったことにほっとして立ち止まったわたしへ、パパが問い掛けた。


「?音魔法、ですよ?」

「ああ、もしかして、アーサーがオルゴールでたまにやるやつ?」

「の、応用ですね。わたしたちの指導教官のお家芸です」


 前世であった、ひとが通ると放送が流れる設備。あれに近い魔法だ。

 指導教官やアーサーさまはオルゴールを鳴らすことを発動条件に、オルゴールの音に魔法を乗せているが、わたしの場合は音が鳴るだけ。とくに効果もなにもない。


 姫には応用と答えたが、応用と言うべきか劣化と言うべきか…。ヴァージョン違いと言うのが、妥当かな。


「音魔法って、設置出来たんだねぇ…」

「いえ、わたしの指導教官が特殊みたいです」


 音魔法の基本は演奏に音を乗せること。オルゴールに魔法を乗せたのは、我らが指導教官のお師匠さまが先駆者らしい。まだまだ新しい技術で、使えるのはわたしとアーサーさま含めて四人だけとか。…と言っても、わたしは正式なオルゴールじゃなくて、オルゴール(偽)だけれども。

 し、仕方ないじゃないか、オルゴールの音に魔法を乗せられなかったのだから!オルゴールじゃなくて、自動演奏の鐘楼カリヨンにだったら、魔法を乗せられると思うよ!ビッグベンみたいなね!


「どっちにしろ、あれだけ騒々しく警告されたらわかりやすいだろ」

「音にびっくりして落ちるかもだけどなー」

「音についても警告しておけば大丈夫だと思うよ。…どうせなら、腐らないように私も魔法を掛けておくべきだったかな?」


 騒々しい、びっくりして落ちるかもと言う意見に身を縮めたわたしを、くすっと笑った姫が取りなす。


「まあ、あれで大丈夫だろう。下山するぞ」


 あんちゃんに促されて山を降り始める。

 帰り道はあんちゃんが先頭で行くみたいだ。


 姐さんとふたり並んで、最後尾を歩く。

 わたしがあんちゃんを見ていることに気付いて、姐さんが言う。


「あんちゃんは地理に強いんだよ。地図を見ただけでその場所の概要が把握出来るし、自分が地図上のどこにいるかもかなり正確にわかるんだ」

「空間把握能力が、高いのですね」

「そうみたい。だから、帰り道はあんちゃんに任せておけば安心だよぉ」


 先頭を歩くあんちゃんを見る姐さんの視線からは、相手に対する信頼が伺えた。

 すぐ前を歩いていたクララが振り向いて、にかっと笑う。


「にしても、音魔法ってすげぇな。オレ初めて見たけど、めっちゃキレーだったぜ!みんな、あんな綺麗なもんなのか?」

「綺麗…ですか?」


 自分では意識していないけれど。


 きょとんとするわたしに代わって、姐さんが答える。


「誰でもああなるわけじゃないよ。才能次第みたい。上手く音に魔法が乗ると、音が可視化されることもあるんだってぇ。可視化のされ方もいろいろで、色が付いたり、光ったり、靄みたいに見えたり、香りが付くこともあるって。僕は師匠の関係で何人か音魔法使いに会ったことがあるけど、クロほど綺麗なのは初めて見たよ」

「すごかったね。きらきらしてて、目を奪われた。歌声も綺麗だったし、おれ、一瞬妖精でも舞い降りたかと思ったよ」

「あれ見たら、音魔法使いを囲い込みたいって思うやつがいるわけを理解出来たぜ。前まで、せっかくいろんなひとに役立つ能力なのに、独占するとか馬鹿だろって思ってたんだけどなー。でも、オレだったら、囲い込まずにみんなに見せびらかすぜ!あんな綺麗なもん独り占めとか、もったいない」


 …言われてみたら、見た目だけは完璧って、指導教官も褒めてくれていたか。うん、“だけ”のところにやたら強意が置かれていたけれどね。


「本来は音と見た目だけじゃなくてさらに、魔法で癒やしや眠りの効果も付加されるからねぇ。演奏で惚れられるとかも、あるみたい」

「あー…」


 ついつい、顔が引きつる。


「?」

「いえ。癒やしの魔法でしたら、アーサーさまが得意ですよ…」

「…クロは?」


 ぐっ…。


 パパってさり気なく、ツッコミスキル高いですよね…!


「出来、なくは…ない…ことも、なくも…ない、ですよ…?」

「いや、どっちだよ」

「出来…ま…す…よ?………一応」


『だからどうして、きみはそうなんだい…。見た目と音“だけ”は、天使って言っても良いくらい完璧なのに…』


 優美な顔を疲れさせて頭を抱える指導教官の姿が、脳裏に浮かぶ。まるで、燃え尽きたジョーみたいだった…。


 いや、うん、そのあとちゃんと、『ギリギリだけれどね』と言う但し書き付きで及第は貰ったし!大丈夫。出来るって言って良い…はず…多分…きっと…恐らく。


「…クロにも苦手なことってあったんだね。なんだか、ほっとしたよ」

「自分の魔法が苦手って、結構なものだけどな」


 ちょっと、姫は良いけどテディひどい!気にしてるのに!


「…どうせわたしは破壊神ですよ」


 ぶすくれて唇を尖らす。


 姐さんがぽんぽんと、頭をなでた。


「出来るって言うことは、及第は貰えたんでしょう?音魔法の指導教官は厳しいって聞くし、彼が及第をくれたならちゃんと使えるはずだよ。大丈夫。それに、魔法なんてなくても、クロの歌だけで僕は癒されるよ?ねぇ、疲れてないなら、歌ってくれる?」


 このひとはどうしてこう、ひとを上手くあしらえるのだろうか。


「…姐さんって、末っ子、でしたよね?」

「うん。姉は三人いるけれど、弟も妹もいないよ。それがどうかした?」

「いえ…なんだか、手慣れているなぁ、と」

「それ、褒めてる?」

「え?いや、えーと、どうなのでしょう?」

「僕に訊かれても」


 デスヨネー。


 貶したつもりはないが、褒め言葉でもない、と思う。ならばなんだと訊かれると、困るのだけれど。


「なんと言うか、こう、手のひらで転がされている感じが…」


 どちらかと言うと転がす側の人間のつもりなのに、姐さんには負けがちで気になるのだ。


「うーん…ああ、弟妹はいないけれど、教会にはよく行くから、子供の扱いには慣れているかも。と言うか、ひとの扱い、かなぁ。治癒魔法の訓練でね、出来るだけ多くのひとを癒せって。治すだけが、治癒じゃないでしょう?だから、治療だけじゃなく安心もあげられるように、いつも心掛けているんだぁ」


 …やばい、後光が見えるのだけれど。

 おとーさん、そこーに見えーなーいのー、聖女がいるよー、こわーいよー。坊やそれは男じゃ。なんて。


 うん、いくら歌声で癒されると言っても、曲のチョイスは大事だな。


「つか、姐さんのは才能っつって良いだろー。努力してなった結果なのはわかるんだけどさ、ひとを癒すために生まれてきたとしか思えねぇもん」

「んー、そう言って貰えると、嬉しい、かなぁ?それって、安心出来るって、ことだよねぇ?」

「姐さんがいると、万一のとき安心、って思えるんすよねー。だからって気を抜くつもりはないんすけど、ほら、昨日クロも言ってたけど、頼り甲斐が、あるんすよ」


 姐さんが生まれながらの聖女だとしたら、やっぱりクロは生まれながらの破壊神な気がして来ますがね。


「姐さんがひとを癒すために生まれてきたなら、クロはひとを和ませるために生まれてきたんだろうね」

「ふぇ…?」


 頭で思ったのと真逆のことを、パパから言われてぱちぱちと目をまたたく。

 いやいや、不吉の象徴にして破壊神たる黒猫が、和ませキャラなわけが…、


「おー、パパ、良いこと言う!和むよなー、クロがいると」

「「猫だからな」」

「猫ではないです!」


 ちょ、兄貴はいないのにこの会話!しかも、テディとあんちゃんのハモリ!


 隣で姐さんが、ふっと噴き出した。クララにパパ、姫までもが、肩を揺らして笑い出す。


「うんうん。和む和む」

「いるだけで、明るい気持ちになるね、クロは」

「ぶー」

「はいはい。可愛い可愛い」


 膨れっ面に堪えたようすもなく、笑い顔の姐さんになでられる。

 姐さんはちょっとわたしをなで過ぎだと思うのですよ。完全に子供扱いだ。嫌じゃないけれど。


「ね、クロ、歌って。クロの歌が、聴きたいなぁ?」

「…お金取りますよ」

「あはは。良いよぉ。いくら?」


 この余裕。なるほど駄々っ子の扱いは心得ていると言うことか。

 よし、ふっ掛けようか。


 馬鹿高いお値段をふっ掛けよう考えかけたが、面子を思い出してやめた。王族に公爵子息に侯爵子息、姐さんは男爵子息だけれどたぶんかなり稼いでいると見たし、あっさり払うとか言われてもこっちが困る。


 だからべつの方向で、困らせることにした。


 にっと、目を細める。


「お値段は後払いで、あなたが歌に感じた価値を」


 いちど目を閉じ、メロディを思い浮かべる。

 ふわりと、髪が揺れた。空を見上げて、息を吸い込む。


 まだ、日は高いけれど。


「〜♪」


 気を抜いたのか、うっかりしたのか、思い浮かべて口にしたのは、前世でなじんだ曲だった。さっき童謡を歌ったから、つられたのかもしれない。


 記憶の中で響くのは、囁くような歌声。

 甘く、穏やかに、幸せを紡ぐような。


 もとはフランスのシャンソンだったものに、英語の歌詞が付いて、有名になった曲。日本でなら誰もがいちどは口にしたことがあるであろう、メロディ。


 日本語訳もあるけれど、英語歌詞で。アカペラでも歌えるけれど、せっかくだから自己アレンジの伴奏を付けて。


 姐さんは歌だけで癒されると言ったけれど、そっと魔法も乗せる。


 空の小さな星のような、ささやかな幸せが訪れますように。

 夜空に輝く星々が、あなたの行く手を照らしますように。


 魔法を乗せた音は、もっともらしく輝いて見せるけれど、見かけ倒しでほとんど効果なんてない。

 わたしが優しさを乗せようとしても、込めた魔力は小さくしぼんで、満月の夜の星のようにかすかなものになってしまう。


 お前は所詮ひとを癒せやしないのだと、無慈悲に嘲笑うみたいに。


 それでも、願う。

 どんなに小さな幸せでも構わないから、ここにいる暖かいひとたちの許へ、訪れてくれますように。


 記憶の中の優しい歌声を、なぞる。


 前世のわたしが幸せを願ったひとが、幸せでありますように。

 わたしはもう、そばにはいられないけれど。

 見上げた星空は、かつて見たものとは違うけれど。

 空の星よどうか、わたしに代わって見守って。


 不意に、ぎゅっと、左右から手を握り締められた。


「〜♪、?、〜♪」


 歌を止めないまま視線を落とし、首を傾げる。

 知らぬ間に隣に来ていた姫が、姐さんと共に手を握って、わたしを覗き込んでいた。


 どこか不安のにじんだ顔に、笑みを返す。


 大丈夫。

 たとえ太陽が沈んでも、月が、星が、あなたに寄り添ってくれる。

 たとえ雲が空を覆っても、その向こうに、星は変わらずいてくれる。


 握られた手を、そっと握り返した。


 ぐいっと両手を持ち上げて、空を示す。


 良く晴れた、青空。雨も曇りもそれはそれで良いところがあるけれど、やっぱり気持ちを明るくさせるのは青空だ。


 この空が続く場所に、わたしにこの曲を歌ってくれたひとはいないけれど。


 出来ることなら、空も世界も越えて、歌声が届いて欲しい。

 わたしの愛したひとびとが、悲しんで泣いてしまわないように。


「っと、」


 よそ見していたせいで木の根に足を取られ、姐さんに支えられる。

 歌いながらはにかんで見せると、仕方ない子だなぁと言いたそうな顔で苦笑された。


 また転ばないように、視線を空から離す。

 隣にいるのは王太子殿下だ。巻き込み事故は起こせない。


 転びかけた拍子に姫と繋いでいた手は離れていた。と言うか、わたしを支えようと離したみたいだ。

 手を繋いだまま支えた姐さんの方が早かったから、姫の手は借りなかったけれど。


 と言うか、片手繋いでるのにスマートな動きで支えた姐さん、やっぱり手慣れ過ぎだ。介護ヘルパーさん並み。


 殿下にもアイコンタクトでごめんなさいとはにかんで見せ、空いた手を前に出す。


『演出ばっかり巧くなって、大道芸人でも目指しているのかなきみは』


 指導教官にはそう呆れられたパフォーマンス。


 あわい光の珠となった音が手のひらから溢れ出し、ころころとこぼれ落ちる。

 落ちた音は地面ではじけ、瞬間強く光る。


 奏でる音は、グロッケンシュピールのような愛らしく澄んだ音。


 見た目はすごく綺麗なのだが、今は完全なる飾りだ。音と光のRP…じゃない、音と光と癒やしの三重奏は、早過ぎたんだ。


 え?ふざけてないで真面目にやったら出来るんじゃないかって?…真面目にやると大惨事になる可能性があるから、軽く流しているのだよ。


 派手ではないが目を奪うパフォーマンスに、誰かが息を飲んだ。

 昼日中ひるひなかにやっても目立たないし、夜にやるか室内を暗くしてやるのが本当はベストなのだけれどね。


 そう長い曲でもないから、フルで歌っても大した時間にはならない。


 そっと姐さんから手を返して貰って、両手に音の光を貯める。


「〜♪」


 最後の一音に合わせて、手の中の光をばらまいた。

 落ちた光がいっせいにはじけて、きらめく。


 口を閉じて歩きつつながら一礼すれば、ぱちぱちと拍手が返って来た。


 と言うか、いつの間にか前にあんちゃんとテディしかいないって言うね。

 しんがりが監督者あねさんでなくて良いのか?


 ちらっと後ろを確認すれば、姐さんも非難の目で後ろを見て。

 慌てたようにクララとパパが、わたしと姐さんを追い抜く。姫も自然な流れで、わたしの前に出た。


「すげぇな。なんか、なんて言って良いのかわかんないけど、すげぇな!」


 おい、なんだその、侯爵子息とは思えないこなみかんは。


「クララ、もうちょっとなんとか言えないの…。クロ、綺麗だったよ。すごくあったかい気持ちになったし、きらきら光って、星みたいだった。…って、どうかした?」

「いえ…」


 だって、当てに来たから。


 面食らった顔を首を振って吹き飛ばし、微笑んだ。


「星についての曲でしたので、驚いて」

「パパ、読心かー?」

「いや、どちらかと言うとクロの表現力がすごいんじゃないかな」

「うん。歌詞の意味はわからなかったけど、私も星空が思い浮かんだな」

「まさか転ぶとは思わなかったけどな」


 テディ、今日は余計な一言が多くないですか。いや、わけわからん歌詞に突っ込まれるよりは良いけれどな。


 ジト目を向けるとしまったと言う顔をしたが、もう遅い。覆水盆に返らず、だ。


「つか、転びかけても崩れない歌と伴奏がすげぇよ!」

「おれはすかさず支えた姐さんもすごいと思った」

「それな!涼しい顔で支えるし、びくともしないし、姐さんの腕力半端ないよなー」


 言われてみれば、わたしの方が身長高いのにあっさり受け止められたわ。

 流れる動き過ぎて当たり前に受け止めちゃったけれど、肩とか痛めていないよね?


「あの、支えて頂いてありがとうございます。申し訳ありません、重かった、ですよね?腕とか、痛めていませんか?」

「いや、そこまでヤワじゃないし、重いどころか軽くてびっくりしたくらい。ちゃんと食べてるよねぇ?」

「食べていますよ」


 むに、と自分の前腕をつまんでみる。女子にしては筋肉質な方だと思うので、見た目よりも重くておかしくない、はず。あ、でもわたし着膨れするからな…。


 なら良いけれど、と頷いた姐さんに代わって、姫が口を開く。


「聞き覚えのない言葉だったけれど、どこの国のもの?」


 あー…、出来ればそこは、スルーして欲しかったなー。


 姫に問われて内心、困り顔。

 それでもなんてことない顔を装って、ためらいもなく答えた。


「歌詞に意味はないのです」


 まるきりの、嘘を。


「音魔法のための曲なので、意味があるのは音であって歌詞ではないのです。先ほど木の枝に掛けた魔法もそうですが、音に合った言葉を発しているだけで…歌うように言われたのに、駄目ですね」

「ううん。僕は満足だよ。ありがとう」


 しょんぼり顔を作ったわたしに微笑んで返したあとで、それにしても、と姐さんが続けた。


「本当に、苦手なんだねぇ、癒やしの音魔法」

「うぅ…」


 姐さんにはばれるかもなぁと思っていたら、案の定だよ!


「効果は出ていたように思うが?」


 歩きながらもしっかり聴いていたらしいあんちゃんの問い掛けに、姐さんがわたしを見遣る。言って大丈夫だと肩をすくめて見せれば、苦笑を返された。


「そうだねぇ、音魔法使いとして許される水準は突破していると思うよ。僕が会った中に同じくらいの癒やししか与えられないひともいたし、魔法使い全体と比べるなら十分な域だろうねぇ。でも、クロの魔法として考えた場合、普段クロが使っている魔法に比べて明らかに魔力効率が下がっていたから。個人差があるから一概には言えないけれど、もしクロの指導教官が同じ量の魔力で音魔法を使ったら、昨日今日で貯まった疲労全部、綺麗さっぱりなくせたんじゃないかなぁ」

「そうなのか?」

「そうですよ」


 あんちゃんから悪気なく投げられた問いに、肩とため息を落として頷く。

 見た目と使う魔力のわりに、中身はかすかすのスタンドプレイ。


 ああでも、姐さんから見ても及第点なら、嬉しいですよ…。


「…あんなに、すごい魔法じみた見た目なのに?」

「指導教官からはハリボテ天使とか不器用娘とか呼ばれていますよ」

「歌はすごく、上手いのに?」

「音魔法に正確な演奏は不可欠ですが、正確な演奏が出来たからと言って音魔法が使えるわけではないのですよ」

「上手く魔法が音に乗ったから、光るんだよね?」

「魔法が乗ることと、魔法の効果は、べつものです」


 あんちゃんのヒットに続いて、クララ、パパ、姫と三コンボで攻撃されて、どんどん表情がどんよりして行く。

 もうやめて!クロのライフはゼロよ!


「いやいや、魔力効率が悪いだけで、ちゃんと使えてるからねぇ?もともと音魔法は補助的な色が強いものだし、癒やしだけが、音魔法じゃないし。クロも、僕が悪かったから、そんなに落ち込まないで」

「あねさぁん…」

「よしよし。クロは見掛け倒しって言うけれど、ひとを癒やすには見掛けだって大事なんだよ?すごい魔法を掛けて貰ったって、思うだけで効果が出た事例も、数多く報告されているんだから」


 ぎゅっと服を掴めば、寄り添っていいこいいこされた。


 服を掴んだ手を取って繋がれ、ふわりとした笑みを向けられる。


「言ったでしょう?僕はクロの歌だけで癒されるよって。確かに身体に与える効果は薄いけれど、心に与える効果はクロが思っている以上に大きいよ。心が回復すれば、身体にも良い影響は出る。ひとの身体なんて案外いい加減で、小麦粉でも薬と言われれば効き目が出たりしちゃうんだからねぇ。落ち込む必要なんて、どこにもない。大丈夫、きみの魔法はひとを癒せるよ」


 鰯の頭も信心からってやつですか。

 確かに、プラシーボ効果は前世でも立証されていましたね。


 でも、なにより実感を与えたのは、


「確かに、どんな病気に罹っても、姐さんに『大丈夫』って言われたら楽になる気がします」


 大丈夫、と言われた瞬間軽くなった気持ちと、浮上した気持ちに合わせて軽くなった足取りだ。疲れまで吹き飛んだ気すらする。


 言霊、だろうか。姐さんの励ましは不思議と心に響く。


「クロが病気になったら、言葉だけじゃなく治癒も掛けてあげるけどねぇ」

「クロだけじゃなく、オレにもして下さいよー!」

「もちろん、クララも治してあげるよ。有料で」

「お金取るんすか!?」

「あはは」

「否定しない!?」


 姐さんとクララの掛け合いで、どんよりしていた気持ちが完全に吹き飛ぶ。


 笑うわたしへ、思い出したようにあんちゃんが言った。


「そう言えば、クロの歌も有料だったか。姐さん、いくら払うんだ?」

「…そう言えば、そんなことを言いましたね」


 自分で言ったけれど、忘れていた。冗談だったし。


 でも、わたしの歌に付くお値段は気になるので、にこっと微笑んで言う。


「姐さんだけでなく、聴いた方全員ですからね!」

「こ、ここにも守銭奴がいたっ!」


 オーバーリアクションで嘆くクララとは対照的に、姐さんは余裕の微笑み。


「一曲で、僕の治癒一回かなぁ。二曲聴いたから、ふたつ借りておくねぇ。あ、治癒って言ってもちょっとした怪我の手当とかじゃなくて、病気とか大怪我とか、大掛かりなやつだよ」

「それ、結構良いお値段では…」


 国内トップレベルの治癒魔法使いの治癒だよ?わたしのへっぽこな癒やしの魔法と、並べて良いものじゃない。


「癒やしは苦手かもしれないけど、芸術性で見るなら間違いなく最高峰の域でしょう?それくらい払ってでも聴きたがる人間は確実にいるよ。安売りしないようにねぇ」

「…つか、それって、三回目はまた歌えよってことじゃ」

「なにか言った、クララ?」

「いや。確かに姐さんの治癒魔法くらいの価値はあるだろうなと」


 いやいやいやいや、そんなこと言ったら、コンサート一回でぼろ儲け出来ちゃいますって。


 そんな馬鹿なと言葉をなくすわたしの前で、お金持ち感溢れる会話が続く。


「王都の歌劇座の特等席って、いくらだったっけ」

「そんなに高くなかったと思う。確か、数万だったよな」

「んー、その倍、くらいかな」

「魔法込みなら、それくらいが妥当、か?」


 ちょお待てテディ、歌劇座の特等席買える金額があったら、余裕で平民の家族をひと月養えるわ!クロの食費三ヶ月分くらいだわ!ぜんっぜん安くないから!高くないとか、ちょっとなに言ってるワカラナイワー。

 パパも、あっさりその倍とか言わないで!?


 あり得ないものを見る目でお金持ちたちを眺めるわたしに流し目を向けて、あんちゃんが、ふっと笑った。


「うちの領地の特産品、でどうだ?」

「特産品…?」

「あまり知られていないが、アーベントロート子爵家が治める領地では卵用鶏の飼育にこだわりがあってな、バルキア王国内では唯一、生でも食べられる卵を生産している。もし忌避感がないのであれば珍しいものだし、やろうかと」

「お願いします!!」


 そのとき、わたしの目は輝いていたと思う。


「むしろお金出して買います!いくらですか!?」

「いや、歌の礼、だろう?金は取らん。生産数が限られているから多くはないが、家から私に送られる分を融通する」

「ありがとうございます!!」


 まさか、まさかこの世界で、生卵にありつけるなんて…!

 食中毒を恐れて諦めていたTKG(たまごかけごはん)が、生卵で頂くすき焼きが、可能になるなんて…!


 おお神よ、あんちゃんに後光が見えるよ…!


 わたしのテンションに驚いたのか、あんちゃんが目を丸めて振り向く。


「…好きなのか?生卵」

「大好きです!」

「そうか…私も好きだ」

「美味しいですよね!」

「ああ。…生卵は嫌う者が多いからな、そんなに喜ばれるなら両親や領民も喜ぶ」


 領地に誇りを持っているのだろう。そう言ったあんちゃんは少し嬉しそうだった。


 ぽん、と姐さんがわたしの頭に手を乗せ、くしゃり、と少し荒くなでた。

 突然の、しかもらしくない愛撫に驚きを見せれば、姐さんが微笑んであんちゃんを指差す。


「あんちゃんが、なでたいんじゃないかと思って」

「ああ、助かる」

「どういたしまして」


 だいなでしたと?それで良いの?

 あー、うん、双方それで納得しているならわたしは(どーでも)良いですけれど。


「お金よりものの方が、クロは嬉しいみたいだけど?」


 あんちゃんににっこり答えたあとで後輩たちに目を向け、姐さんはくいっと首を傾げた。


 うん。さすが姐さん。わかっている。

 即興で適当に歌った歌に大金払われても、助かるけれど困るからね。


 そもそもが冗談だったのだ。実際にお金を取る気はなかった。


「それなら、私は晩餐にでも招待しようかな?妹と弟が、クロに会いたがっているんだ。お嬢やリリアンヌ嬢も連れて、いちど王城へ遊びにおいで。料理長に頼んで、とびきりのご馳走を用意して貰うから」

「それはまた、畏れ多い…」

「王城には、よく遊びに来ているでしょう?」

「いえ、遊びにではなく、わんちゃんに会いに行っているのですけれどね。行くと言っても、外宮ですし」


 王城は大まかに、官吏たちの仕事場や式典などの行われる場である外宮と、王族や国賓のための居住区である内宮に分けられる。わたしがいつも行くのは宮廷魔導師として出仕しているわんちゃんのところなので、当然の如く外宮だ。

 謁見の間も外宮にあるし、子爵令嬢が内宮に立ち入る機会なんて、王族付きの侍女にでもならない限り訪れないだろう。


 対して、姫の言う晩餐は恐らく身内だけのもの。つまり、場所は内宮だ。

 それこそ、たかだか即興演奏には過ぎた褒美。


「でも、私はそれが妥当だと思ったから」


 さっきからみんなして、クロ如きのお歌をなんだと思っているのですかね…。


 歌ったの、童謡だよ?それも一曲だけ。素人のお歌なんて、そうそうありがたがるものでもないでしょうに。


「…下さるとおっしゃるならば、受け取りますけれど」

「うん。約束、ね」

「治癒に卵に晩餐ね…みんな自分の特色を出すって言うのなら、おれは布地、かな?実家は小さな領地だけど、厚手の綿布が有名なんだよ。確かクロ、お裁縫が得意だったでしょう?」


 姫に次いで、パパが言う。


 なんと。布を下さるとおっしゃるか。


「頂けるのでしたら嬉しいですが、高いのでは?」

「ううん。帆布や幌布に使うような布だから、高いものじゃないよ。ああでも、そんな布、貰っても困るかな?」


 帆布に幌布、とな。

 それはまた、夢が膨らむ素材ではないですか。


 厚手で丈夫な布なら、鞄に良し作業着に良し靴に良し。使い道は、いろいろと考えられる。


「困りません。ありがたいです」

「…クロって、変わったものを喜ぶね。船でも造るの?」

「船は作りませんよ。でも、せっかくの丈夫な布なのですから、決まりきった使い方だけではもったいないでしょう?」


 労働階級にデニムを流行らせる。ありだと思います。


 パパは少し絶句したあとで、くすっと笑った。


「おもしろいこと、考えるね。なにか良いものが出来たら、おれにも教えて」

「はい」


 微笑みを交わすパパとわたしとは雲泥の表情で、クララとテディが頭を抱える。


「この流れ、オレもなんか出さなきゃじゃねー?」

「なんでみんな、そうぽんぽんと思い付くんだ?」


 冗談へ真面目に付き合われると、申し訳なくなってくる。


「…貰えるものは貰いますけれど、巻き上げるつもりはないですよ?単に、どんな評価が貰えるか気になっただけですから」

「いや、そこで引き下がるのはなんか悔しい」


 そんなことで意地にならなくても…。


「…うちの領地で珍しいもの?いや、珍しくなくても、品質が高ければ良い、か?つっても、なぁ…」


 軽い冗談がすごく重くなっている。なんでそんな、真剣なんだ…。

 テディも、無言で考え込んでいるし。


「…公爵家や侯爵家の領地って、一等地ですよね?」

「んー?そうだねぇ、国にとって重要な領地を、与えられていることが多いよ。たいていはいい場所なだけじゃなくて、広くもあるしねぇ」


 こそり、と姐さんに質問すると、同じく、こそり、と返してくれた。

 地理を思い返して、ああ、と思う。


 アクス公爵家の領地は飛び地で、片や西の帝国ラドゥニアとの国境、片や中央にほど近い穀倉地帯。国境付近は産業より国防重視の土地柄、広大な麦畑を有する穀倉地帯で重視されているのは質より量だ。なんとも、軍門家系らしい領地。

 リスト侯爵家の土地は、東との貿易路沿いで、険しい山岳地帯を有す。領内に銅鉛鉄に石炭の鉱山を持つ、商工と鉱夫の土地だ。国内で流通する武器類の半数以上が、リスト侯爵家の領地で造られている。


 なるほど、いきなり特産品と言われて困るのもわかる。

 ふたりが考えなしに小麦をどーんとプレゼントしたり、フル装備の甲冑寄越したりするひとでなくて良かった。


「…クロ、ちょっと、手、貸せ」


 不意に振り返ったクララが、わたしの手を掴む。片手ずつじっくり見分して、なにを確かめたのか、うん、と頷く。


「鋼の剣を一振り。オレが打つ」

「また高いものを…って」


 今、オレが打つって言ったよね?聞き間違いじゃないよね?


 え?


「打てるのですか?」

「職人には及ばないけどなー。領主たるもの領民の暮らしを知るべしってのが、代々伝わる家訓なんだよ。だから、長期休暇のときとかに鍛冶場とか鉱山とか商家とかに、ぶち込まれんの」

「もしかして、それで言葉が移ったとか」

「もしかしなくてもそうだな確実に。ここ数年は、実家にいた時間より鍛冶場や鉱山にいた時間のが長いし」


 …思い切った家だな。軍門家系らしいっちゃらしいけどさ。


「気の利いたもんとか思いつかねぇし、剣なら余分があっても困らないだろ。渾身の一本を打ってやるよ」

「わたしが使っている剣って、珍しい型ですけれど」

「ん。バルキア国内だと、うちの領地でしか打てるやついねぇ型だよな」


 国内に打てるひとがいたことに驚きだよ。

 背中にくくり付けた曲刀に触れて思う。


 この剣は祖父の遺品だ。バルキア産ではない可能性が高い。


「…歌一曲に、過ぎた対価では?」

「いや。半人前の習作なんて大した値段にならねぇよ。それに、オレがやりたいと思ったからな」


 たぶん、テディよりクララの方が、平民の貨幣価値を知っている、と思う。

 そのクララが大した値段でない、と言っているのだから、信じて受け取って大丈夫、だろうか。


「…わかりました、楽しみにしていますね」

「おう。任せとけ!」


 ほんの冗談が大げさなことになったなと思いつつも頷けば、にかっと笑ったクララが、どんと自分の胸を叩いて請け負う。


「取り残されたか…」

「いえそんな深刻にならなくても…」


 重たい声で呟いたテディに、苦笑いを禁じ得ない。


 だから冗談だったのだって。もう。あ、そうだ、


「ものでなくても、良いですよ?ほら、婚約とか」

「はぁ!?っ、ごほっ、げほげほっ」


 冗談だと理解して貰うために、ちょっとアレなネタをぶっ込んだのだが、思った以上に打撃を与えてしまったらしい。


 咳き込むテディと周囲の凍った空気に、ミスったかも、と思う。


「おっま、ごほげほっ、っなに、けほっけほっ、言っ…げほっ」

「そんなに驚かなくても、お似合いだと思うのですが、お嬢とテディ」

「ああ、確かに。家格も釣り合うし、良いんじゃないかなぁ」

「テディは猫好きだし、私も賛成だよ。さっそく、戻ったら求婚してみれば?」

「お嬢とテディか…言われてみると、お似合いかも」


 とにかく突っ切ろうと続けると、趣旨に気付いたのか姐さんと姫とパパが、笑って乗ってくれた。


 いや、お似合いだと思うのは事実だけれどね。

 …ちょっと空気読めないなとかデリカシーないなとか変人だなとか思うこともままあるけれど、テディは人格者だと思うし、公爵家は継がないにしろ文武共に優れて将来有望だ。才色兼備なお嬢のお相手にはもってこいな物件です。


 下手な相手と政略結婚させられるより、よっぽど良い。テディから見るとお嬢は爵位も付かないし元平民だし、旨味はないかもしれないけれど。でも、誰もが羨む美人で、ご令嬢としても妻としても、能力はクロのお墨付きだからね!どこに出しても恥ずかしくない、自慢の天使ですとも!


「ですよn、」

「っ、川魚!」


 ですよね!とどや顔で答えようとした台詞を、遮ってテディが叫んだ。


「川魚が、美味いから、やる」

「川魚…ですか?」

「ああ。取った分がほぼ領地内で消費されるから出回らないが、国境の砦付近だと川魚を取って食べるんだよ。見た目は蛇みたいに細長くて気味悪がられるが、味が良く栄養価も高くて、うちの領地の兵士に人気がある。嫌いじゃないだろ、魚」


 もしかして:淡水ウナギ

 いや、ドジョウと言う可能性もあるか。ウツボとか、全く知らない魚類とかかもしれないし。


「もしかして、黒くてぬめぬめの?」

「ん?知ってたのか?」

「あ、いえ、知らないですが。お魚は好きですし、貰いますよ」


 ウナギかドジョウであることに期待。

 …でも、なんでそんな叫んだんだ?思い付いて嬉しかった?


「そうか…。食べ方、わかんなかったら教えるから」

「はい。ありがとうございます」


 結局全員から謝礼を約束されてしまった。

 なんだか、


「ちょっと、悪女にでもなった気分ですね?素敵な男性たちから贈り物を巻き上げる、なんて」


 お嬢ならともかく、わたしじゃ悪女には見えないけれどね。男装だし。


 ふふっと笑ってから、周囲が無言なことに気付く。


「?」

「クロが、悪女かぁ。引っ掛かったら、大変そうだねぇ」


 首を傾げると姐さんが苦笑して肩をすくめた。

 にいっと、ひとの悪い笑みで返す。


「ええ。骨の髄まで、絞り尽くしますよ?」

「わぁ、怖い。ふふっ」

「っはは」


 姐さんが大げさに怖がったあとで、噴き出す。わたしも笑って、しばらくふたりでくすくすと笑い合っていた。


 なんかほかの面子がドン引きしていた気もしなくもないけれど、気のせいだよね!うん。




 その後は誰も穴に落ちたりせずに無事下山し終え、肉組と山菜組に分かれて食料探しをした。


 わたしは当然のように山菜組で、姐さんとクララと一緒にマッシュルームギャザリング。大量のきのこゲットに加え、姐さんの知識のお陰でキャベツに似た山菜も入手出来、るんるんと基地に帰還して…、


「このっ、馬鹿猫っ!!」


 穴に落ちかけたことがばれてお嬢に思いっ切り叱られました。くすん。


 お肉組は残念ながらお肉ゲットならず。蛇を捕まえようとして止められたとあんちゃんがぼやいていた。…捌けと言うなら捌きますけれど、毒が怖いですからね?


 晩ごはんは兄貴の手作りシチューに、お嬢とぴいちゃん特製のどんぐりパンで、とっても美味しかったです。






拙いお話をお読み頂きありがとうございます


合宿一日目そのいちを投稿してからひと月以上経つのに

まだ二日目が終わらない不思議


いつかの誰かの心の声


(また、間に合わないかと、思った…)

(え、なにあれ天使がいるんだけど)

(金を取るつもりはなかった、と言う顔だな)

(…手、ちっさ。こんな手で、剣振ってんのか)

(婚約相手がアルじゃないってわかった途端に手のひら返しやがった…)

(実際誑し込んでいる自覚は…ないのだろうね)


エリアルさんが気付かないだけでいろいろ考えてました


続きも読んで頂けると嬉しいです

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