取り巻きCは拾われる
悪役令嬢ツェツィーリア視点
ツェリとエリアルの出会いとそれから
いじめに類する描写が出てきます
苦手な方はご注意下さい
※彼女たちの関係は友愛です。信愛してはいますが恋愛感情はありません。
私は一生、幸せになんてなれないんだわ。
私、当時六歳だったツェツィーリア・シュバルツは、ぶちまけられた教本を見てそう思った。
“罪人の娘”
その烙印が、一生ついて回るのだと。
私を突き飛ばして鞄を取り上げ、中身をぶちまけた少年たちは、私を見下ろして笑っている。
周りの誰も、私に手を貸そうとはしない。むしろ、良い気味だと笑っている。
私は俯いて、ぶちまけられた教本に手を伸ばした。
私の両親は、国家叛逆罪で処刑された、犯罪者だ。私がまだ物心付く前に大規模なクーデターを起こし、投獄され、つい半年ほど前に斬首刑となった。
私も両親と共に牢屋で過ごし、共に斬首にされるはずだった。
けれど私の首に落とされた刃は、水の盾によって弾かれ砕け散った。
恐怖により才能が開花した、私の魔法だった。
魔法を使える者は、どの国でも重宝される。私の魔法は防御特化の水魔法だったが、大人たちが言うには百年に一度の天才らしい。
貴重な魔法の使い手を殺すわけには行かないと、私の処刑は取り止められ、元の地位―両親は伯爵位を持っていた−を剥奪され平民に落とされた上で、国の庇護下で貴族たちの通うクルタス王立学院に入れられることになった。そうして牢獄から出され、学院に通い始めたのが、ひと月前の話。
物心付いてから初めて見る牢獄外の世界に、始めは希望を抱いた。けれどそんな希望、すぐに打ち砕かれた。
周りにいるのは貴族、貴族、貴族ばかり。そんな中、私は生まれは貴族と言えど育ちは牢獄で、貴族位も剥奪された、罪人の娘。
周囲の目は冷ややかで、学院の中は針のむしろだった。
差別され、爪弾きにされ、嫌がらせを受ける。
こんな生活が、一生続くのだろうか。
初めて見た広い空に輝いた私の瞳は、学院でのひと月で曇りきっていた。
伸ばした手に、誰かの足が踏み出される。
何の感慨もなく、踏まれる、と思った。
けれど私の手を踏もうとした足は、ふらりと傾いで倒れた。
別の足が、私の前に立ちふさがる。
「レディの手を踏もうとは、紳士の片隅にも置けませんね」
低く穏やかな、けれど済んだ声が響く。
私の目の前に、白く華奢な手が差し出される。私と違ってよく手入れされた、綺麗な手。
「大丈夫ですか?怪我は?」
綺麗な手に触れるのためらっていると、そっと抱き起こされた。
優しい手つきで、服を払われる。
手の主は、黒髪黒目で、透けそうなほど真っ白な肌をした、人形のような少女だった。
私を助け起こした少女は手早くばらまかれた荷物を拾い集めると、きょろきょろと鞄を探し、鞄を持ったままだった、少年のひとりに目を向けた。
「返して下さい、それ」
「そ、そいつは、罪人の娘だぞ!?」
少年の反論に、少女が眉をひそめる。
「わたしは、鞄を返して欲しい、と言ったのですが」
早く返して下さいと、少女が少年に片手を突き出す。
「ざ、罪人の、」
「彼女が罪人の娘であったとして、」
鞄を返さない少年へ、少女が呆れたように言葉を被せる。
「それがいじめの免罪符になるとでも?彼女が罪人の娘であることと、あなたが彼女の荷物を奪ってぶちまけることに、なんの関係があるのですか?」
埒が明かないと思ったか、少女が少年から鞄を奪い返す。
丁寧に荷物を詰め直して、呆然と突っ立っていた私に差し出した。
「どうぞ」
「あ、ありが、とう」
「いえ、見ていられなかっただけですから」
私に鞄を渡すと、少女はにこっと微笑んだ。人形のような顔が和らいで、人懐こそうな印象に変わる。
一瞬で、目を奪われた。
けれど少年たちに向き直ったときには、そんな柔らかさは消え去っていた。
「彼女は国王陛下のご意向で、ここにいるのですよ?彼女がクルタス王立学院へ入学することを認めたのは国王陛下で、彼女の持ち物は全て、国から与えられたものです。その彼女を迫害し、荷物を破損しようとするなど、国王陛下への叛意としか思えませんが?」
叛逆罪として騎士団に報告しましょうか?と問い掛ける少女の言葉に、少年たちが青ざめる。
叛逆罪。私の両親を殺し、私も殺されかけた罪状だ。
「は、叛意なんて…!」
「ぼ、ぼくは犯罪者の娘を懲らしめようと、」
「確かに彼女のご両親は、クーデターの首謀者一族として捕らえられました。では、その当時彼女が何歳だったかご存知ですか?生後一年に満たない、乳飲み子ですよ?彼女は両親の犯罪に巻き込まれた、言わば被害者です。懲らしめられるような悪事なんて、なにひとつ犯していません」
少女の言葉は少年たちに向けたものだったが、わたしにとっても、目の覚めるような言葉だった。
あなたは悪くない、そう言われていると感じた。
誰も、そんなことは言ってくれなかったのに。
少女が、それに、と制服の襟を寛げる。
白く細い首には、真っ赤な首輪がはめられ、金色の鈴が揺れていた。
少女が目を細めると、ちりん、と涼やかな音が響く。
「犯罪者、と言うのならば、わたしも犯罪者の孫です。しかも、同じ力を継いだ」
「ば…化け物っ」
首輪を目にした少年たちが、怯えたようにあとずさる。
少女は無礼な態度に傷付いた様子も見せず、獲物を前にした猫のように微笑んだ。
私もよく、つりぎみの金目が猫のようだと言われるけれど、しなやかな身体に漆黒の髪の、彼女もまた、猫のようだと思った。不吉の象徴と忌み嫌われながら、当人はそんなこと知ったことかと、気高く気ままに生きる黒猫。
黒猫の少女は、化け物の呼称を恥じることもなく笑い飛ばした。
「その通りです。監視付きとは言え自由の身になった彼女と違って、わたしは現行で枷をはめられた人間ですよ?恐ろしい、犯罪者です。さあ、あなたはわたしを懲らしめますか?やるなら、それなりの代償を覚悟して頂かないといけませんが」
少女が一歩踏み出す。
ちりん、と再び響いた鈴音に、少年たちも高みの見物していた者たちも、脱兎の如く逃げ出した。
少女が溜め息を吐いて、小さく呟く。
「連座だなんだと言って、罪なき者に枷をはめるこの国のやり方が、正しくないとは気付かないのか」
寛げた首元の首輪に触れてから、唇を噛んで襟を直す。
そのときの私はまだ、彼女の首輪の意味を、知らなかった。
ただ、私がなにもやり返せずやられるばかりだった相手を、あっさり撃退した彼女に、見惚れていた。
振り向いた彼女が私を見下ろし、柔らかく微笑む。
「少し、移動しましょうか」
差し出された綺麗な手に、今度はためらわず応えることが出来た。
少女が私を案内したのは、校舎の脇にひっそりと建つ、私には目的のわからなかった建物だった。
「鐘楼ですよ。この建物がまるごと、ひとつの楽器です」
鍵のかかった扉をあっさり突破して、少女が建物に私を誘う。
小さな礼拝堂のように長椅子が並んだ建物の奥には、鍵盤のようなものがずらりと並んでいて、
「パイプオルガン?」
首を傾げた私に少女は違うと首を振った。
「オルガンではなく、鐘です。鍵盤ひとつひとつがそれぞれ鐘に繋がっていて、叩くと鐘の音が響くのです。鐘楼と呼ばれる、楽器ですよ」
少女が手を引いて、鍵盤の前に連れて行ってくれる。近付いてみれば確かに、オルガンとは似て非なる鍵盤だった。ひとつひとつが大きくて、とても指で演奏出来そうにない。
「ひとが演奏する場合は、拳や足で鍵盤を打つそうですよ。重たい鐘を動かさなければならなくて、演奏にとても、体力を要する楽器です」
式典時以外は許可を得た人間しか入れないので、ひと除けにちょうど良いのです、と少女は微笑んだ。
「あなたは、許可を得ているの?」
「ええ。だから、扉を通れたでしょう?」
少女は私を連れて鍵盤から離れ、長椅子に座らせた。
椅子に座る私の前に膝を突いた彼女は、真っ黒な瞳で私の顔を覗き込む。
「痛いところは、ありませんか?」
瞬間、彼女の問う意味が理解出来ずまたたきして、さっきの怪我はないか問われたのだと気付いた。
「怪我はありません。助けて貰って、」
言葉の途中で少女の手が、わたしの頬に触れた。慈愛のこもった瞳が、私を見上げる。
「身体の怪我だけを心配したのではありません、心は、痛みませんか?なにも悪くないのにひどい扱いを受けて、辛かったでしょう?」
「…ぁ、」
少女の指先が、濡れる。
ひどい扱いには、馴れたはずだった。
だって、物心付いたときには牢獄で、ずっと、虐げられる立場だったから。
でも、そこから出して貰えて、希望を持った。持ってしまった。
それを、打ち砕かれて、心まで、崩れ落ちそうだった。
ぼろぼろと涙をこぼす私を、立ち上がった少女が抱き寄せた。少女の腹に顔を埋めて、嗚咽を漏らす。
猫が鳴くような小さく耳に優しい声が、私の頭に落ちる。
「みんな、怖いだけなのですよ。あなたは、類い稀なる魔法の才能を持っているから。怖いけれど、怖いと感じた弱い自分を知られたくなくて、だから立場の弱いあなたを虐げて、ちっぽけなプライドをなだめているのです」
ぽん、ぽん、と、温かい手が背をなでる。
静かな声と温かな体温に安堵して、壊れたように涙が溢れた。
その涙を優しく受け止めて、少女がわたしを鼓舞する。
「それを受けて、どう対応するかはあなたの自由です。けれど、そんな弱虫毛虫に屈するなんて、馬鹿らしいと思いませんか?あなたには、素晴らしい才能がある。愚かな子供は無視して、大人になりましょう?ひとを貶める者に心を砕いてやるなんて時間の無駄です。その時間を自分のために割いて、彼らがあなたを傷付けようと躍起になっている間に、彼らの手の届かない高みへ昇ってやりませんか?あなたにはそれだけの力と、才能が備わっているはずですから」
本当に、そんな才能あるのだろうか。私は、罪人の娘なのに?
私の持った疑いは、私を抱く少女に伝わったらしい。
「あなたが罪人の娘であることは、あなたの才能を否定する理由になりません。あなたは、罪人の娘として捨て去るに惜しい資質を見せ、クルタス王立学院に通う資格を得たのですから、胸を張って、この学院に通えば良いのです。良いですか?」
少女が私の肩を掴んで身を離し、涙でグチャグチャな顔と視線を合わせた。
「クルタスに通うのは、貴族の息女。つまり、親の威光で学院へと通うことを許された者ばかりなのです。その中で、あなたは自分自身の力で学院の入学を認められた存在。つまり、クルタス王立学院へ通うに最も相応しい存在と言えるのです。罪人の娘?だからなんだと言うのです。あなた自身はなにも、悪いことなどしていないではないですか」
少女がシミひとつないハンカチで、私の頬を丁寧に拭う。
「馬鹿な言葉は聞き流しなさい。涙を拭いて、前を見据えなさい。あなたを嘲る者がいるなら、余裕の笑みを返してやりなさい。理不尽な言葉に、耳を傾ける必要はありません。歩むべき道だけ見て、堂々と歩くのです。努力さえ惜しまなければ、あなたはこの学舎で誰より、輝ける存在になりますよ」
あまりに自信満々に言われて、否定の言葉も浮かばなかった。
涙をこぼすことも忘れた私に、少女が、それに、と悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「せっかくの可愛い顔をうつむけていては勿体ないです。泣き濡れているのも惜しい。花のように微笑んでいて下さるなら、誰もが見惚れるお顔ですよ」
可愛いのは、お前だ!
今の私なら、そう突っ込んでいただろうけれど、当時のわたしはただ、彼女の顔に見惚れるしか出来なかった。
少女が私のすぐ横に腰掛けて、ふらふらと足を揺らす。
肩に触れる体温が、くすぐったかった。
「あなたがここに入れるように、許可を取って置きましょう。逃げたいときは、ここにいらっしゃい。今の初等部の生徒で、ここに入れるのはわたしのほかにふたりだけで、どちらもここには興味がないご様子ですから、いじめられる心配はありませんよ。あとは、そうですね、あなたさえ良ければ、わたしの名前で庇護しましょう。初等部生くらいなら、ある程度恐怖統治も効くはずです。その間に、力を付けましょう」
少女がつらつらと語る言葉に、信じられない気持ちで目を見開く。
この少女は、私に手を差し伸べてくれると言うのだろうか。
なぜ?
「わたしの名前は、エリアル・サヴァン。歴史の教科書で、サヴァン子爵家を調べてみて下さい」
少女、エリアルはそう言って笑った。
「エリアル・サヴァンを調べてみても、なにかわかるかも知れませんね。知った上で、それでもわたしの手を取る勇気があるなら、わたしを拾ってくれませんか?」
私を救うのではなく、自分を救って欲しいのだとでも言いたげに、エリアルは横目で私を見やった。
立ち上がって、振り返らずに言う。
「その手を伸ばしてくれるなら、明日の放課後、またここで。わたしの手を取ろうが取るまいが、あなたの入館許可は、取っておきますから」
わたしはもう行きますが、あなたは落ち着くまでここにいて良いですよ。
エリアルは立ち去りながらそう言って、扉に手をかける直前、ちらりと私を振り向いた。
一瞬見えた捨て猫のような瞳に、心を奪われる。
それ以上は何も言わず、エリアルは鐘楼を出て行った。
その後宿舎に戻ったわたしはすぐさまサヴァン子爵家とエリアルについて調べて、彼女の言葉の意味を知る。
彼女の言った通り、次の日の朝には私に鐘楼への入館許可が言い渡された。
買収されたとは、思わない。
そんなものなくても、私は彼女に落とされていたから。
だって彼女は唯一、私に笑いかけ、手を差し伸べてくれたひと。
放課後鐘楼へ向かうと彼女は長椅子で丸まって眠っていて。
私はその愛らしい黒猫を拾うために、この手を伸ばしたのだ。
その後、エリアルは言葉通り、彼女の威光で私への嫌がらせを軽減させた。
それでも地味な嫌がらせは続いたし、仲間外れにはされたが、そんなもの些細に思えた。
それくらい、エリアルは鬼畜な指導者だったのだ。
立ち居振る舞いから言葉遣い、食事の仕方や何気ない言葉の発し方に至るまで、徹底的に叩き直された。
知識を付けろとあらゆる学問や情報を叩き込まれ、体力を付けろとここは軍かと思うほどにしごかれ、自在に魔法を操れと魔力が尽きて倒れるまで特訓をさせられた。
こんなに出来るかとは、言えなかった。なぜならエリアル自身が、同じようにこなした上で私を指導していたからだ。牢獄での数年間の差があるとは言え、同じ年のエリアルがやれることを、出来ないとは言えなかった。
毎日が慌ただしく目まぐるしく、けれど充実していて楽しくて、知らぬ間に嫌がらせや孤立など、気にならなくなっていた。エリアルがいて、ひとりではなかったことが、何より大きいのだろうけど。
エリアルに導かれるまま自分を磨き続けた私は、気付けば国王に能力を認められていて、ついには公爵家の養女となることが決定された。
貴族家の養女にとは言われていたけれど、公爵家、それも現宰相の家に引き取られるとまでは思うはずもなく、あり得ない好待遇にどこかの黒猫の暗躍を感じずにはいられなかった。
私の隣で、男装の美少女が笑う。
「凄いですね、ツェリ。ミュラー公爵家と言えば、過去にも宰相を何人も輩出した、文門筆頭のお家ですよ」
出会った頃は確かに女の子らしい格好だったエリアルが、男装をするようになったのはいつからだっただろう。華奢だがすらりと背の高い彼女の男装はあまりにもサマになっていて、絶句したのを覚えている。
少し襟元を寛げて、首輪を見せつけているのがなんとも彼女らしい。
突然の男装の理由を彼女は語らなかったが、後日偶然覗いてしまった着替え姿で、その理由を理解した。
学舎初等部の制服は男子は神父、女子は修道女を意識した詰め襟だが、中等部に上がるとそれぞれの礼装を意識した制服になる。もちろんイヴニングドレスやタキシードを着るわけではないけれど、女子の制服は襟ぐりの広いワンピースになるのだ。
さすがに制服なので胸や肩を露出したりはしていないが鎖骨の少し下くらいまでは見える。
そんなに広く襟を開けていると、見えてしまうのだ。
おそらく彼女はそれに気付いて、服装を変えたのだろう。中等部に上がってから変えるのではなく、初等部のうちから変えることで、巧く理由をごまかして。
自分を磨いて才能を認められたのは、私だけではなかったのだ。
なぜ、同じように才能を伸ばしたはずの彼女と私で、こうも結果が異なってしまうのだろう。
それが悔しくて、私はエリアルに手を伸ばす。
「アル、私が公爵令嬢になっても、変わらずそばにいてね」
エリアルは、出会った頃と変わらぬ人懐こい微笑みで、私に頷きを返した。
「ええ。あなたのためならたとえ地獄の果てでさえも、喜んでご一緒しますよ」
…そこまでは、言ってないわ。
呆れつつも、手を握り返す力に安堵して、私は公爵令嬢としての一歩を踏み出した。
エリアルがそう望むなら、どこまでも昇り詰めて見せる。
手を握るエリアルと連れ立ち、緊張でがちがちになりながらミュラー公爵と対面してみれば、ミュラー公爵はエリアルに夢中だった。公爵に会うのに余裕そうだと訝ってはいたが、案の定、黒猫は何やら暗躍していたらしい。
私は黒猫の友人と言うことで、とても温かく迎えられた。公爵家中、上は当主たる義父上さまから、下は末端の使用人に至るまで、全員から。
…アル、いったいあなた、なにをしたの。
その後数回重ねられた訪問でも好待遇を受け、私は歓迎の下で公爵家の一員になった。
義兄上さまたちも義弟も、親戚となったミュラー公爵の弟一家も、エリアルを気に入っている様子で、その恩恵で私に良くしてくれた。
「良いかいアーサー、なんとしても、エリアル嬢の心を掴むんだよ。ツェツィーリアも、協力してくれると嬉しいな」
義父上さまがにっこりと義弟に言い含め、義弟はやる気に満ち溢れた表情で頷いた。
義兄上さまたちがそんなアーサーに、巧くやれよと声援を送る。そんな様子を微笑ましく見守る義母上さまも、応援する気まんまんのようだ。
家族ぐるみであなたを落とそうとしているわよ、アル。
遠い目になりながらも、アルの意思を尊重して下さるのでしたら喜んでと答えた。
エリアル自身も言っていた通り、ミュラー公爵家は王国内で磐石な地位を築く名家だ。しかも、エリアルをこの上なく気に入っている。
こんな家に、エリアルを迎えて貰えたら良い。
しかも、エリアルが義弟の妻になるなら、私の妹と言うことになる。
「あんな妹がいたら、幸せですものね」
私が呟いた一言は、凄く良い笑顔で親指を立てた義兄上さまたちに、全力で肯定された。
この家の方々とは、仲良くなれそうだ。
初等部の間に力を付けて置こうと、エリアルが言った通り、中等部に上がったとたんに私への嫌がらせは激化した。中等部からは、地方の学院に通っていた貴族たちも同じ学院になったためだ。
けれどエリアルが与えてくれた地位や、その地位によりもたらされた人脈が、私を守ってくれた。
変わらず隣に立つエリアルも、持てる全てを武器にして、守りを固めてくれる。
外面を気にしてか他人の目があるところで呼ばれる、お嬢さま、と言う呼称はいまだに慣れないけれど、差し出される温かい手は、いつでも私を励ましてくれる。
でもねアル、容姿を利用して令嬢をたぶらかすのは、いかがなものかしら?
中等部に上がったエリアルはますます身長を伸ばし、文句の付けようのない男装の麗人になっていた。
自分の容姿を最大限活かしていたいけな令嬢を毒牙に掛ける姿は、もはや尊敬の念すら湧いて来る。湧いて来るの、だけど、
「アルねぇさま、父が週末屋敷に遊びに来て欲しいと、言っておりました」
「ミュラー公爵閣下がですか?それは、お答えしないといけませんね。お嬢さま、いかがいたしましょう?」
「そうね、ご無沙汰しても申し訳ありませんから、行きましょうか」
「では、アーサーさま、週末お伺いさせて頂きます、と」
「やったあ!約束ですよ」
「ええ。約束いたします」
義弟が、ぱあっと顔を輝かせてエリアルに抱き付き、エリアルが目許を和ませてそんな義弟の頭をなでる。
家族と疎遠らしいエリアルは、どうも年下に弱いようだ。
それにしても、アーサー、あなた実の母や兄弟にだって、そんなにくっつかないわよね?
「エリアル嬢、授業で少しわからなかったところがあるのだけれど、放課後見て貰えないかな?」
「放課後はお嬢さまと図書館で勉強するつもりでしたから、お嬢さまさえよろしければそこで一緒に…」
「ツェツィーリア嬢?」
「喜んで」
エリアルにじゃれつく義弟を黒い笑みで見下ろした王太子殿下が、エリアルの肩に手を掛けて頼む。私の名を呼んだとき、目に殺気が宿っていた。
学年二位の成績を修める殿下が、学年四位のエリアルに、いったいなにを聞くと言うのでしょう?
まあ、エリアルの場合、私を立てるために手抜きをしているのだけれど。
「っなあ、アル、今度のダンスの授業、」
「ああ、テオドアさま、ちょうど良かった、次のダンスの授業なのですが」
「なんだ?」
「わたしは所用で欠席なのです。お嬢さまのお相手を、お願いできませんか?」
「お、おお…わかった。ツェツィーリア、よろしくな…」
「よろしくお願いしますわ」
意気込みばっちりでエリアルに声をかけたアクス公爵子息が、ぬか喜びののちに叩き落とされて蕭然と私に笑いかける。
私の相方が申し訳ありません、テオドアさま。ですがどうも、エリアルは私とあなたを結婚させたいみたいですよ…。
令嬢を落とすことに関しては玄人の域のくせに、どうしてこうも殿方の好意に疎いのかしら?
ああほら、三人の間で火花が飛び交っているじゃないの。まあ確かに、私と共に遠巻きにされがち(アルが落とした令嬢は除く)なエリアルだから、目下のライバルと言えばここにいるお互いなんでしょうけれど。
でも、ね。
私はおもむろにエリアルへ近付くと、相変わらず綺麗なその手を取った。
始めはためらって触れられなかった真っ白な手に、今ではためらわず触れられる。
「ねぇ、アル?私昨夜、とても怖い夢を見たの」
義弟たちの手からすり抜けてぱっと振り向いたエリアルが、私の手を握り締めた。
その黒い瞳にはもう、私しか映っていない。
全面に心配が滲み出た表情で、私の目許をなでる。
「お労しい。不調に気付かず申し訳ありません。ご気分は悪くありませんか?具合が優れないようでしたら、すぐにお教え下さいね。今日は勉強を取り止めて、早めにお休みしましょうか」
せっかく取り付けた約束を反故にされかけて、殿下がぴくりと顔色を変える。
私は健気に見えるように表情を取り繕って、ゆっくりと首を振った。
「体調は大丈夫よ。勉強は、疎かに出来ないわ。でも、今晩も嫌な夢を見たらと思ったら、夜が恐ろしくて…」
不安げに瞳を揺らせば、エリアルは目尻を下げて私を見つめた。
「ひとりでは不安でしたら、わたしがそばに控えましょうか?お嬢さまが夢に脅かされるとおっしゃるのでしたら、わたしがその夢を、追い払って差し上げましょう」
「それでは、あなたが眠れないわ。でも…ねぇ、わがままを言っても良い?」
「なんなりと」
エリアルは私に夢中で気付かないが、後ろで男三人が、かぶり付きで聞き耳を立てている。
私は控えめに微笑んで、無邪気なわがままを口にした。
「あのね、あなたが一緒に寝てくれたら、安心して眠れる気がするのよ」
「ああ。そんなことでしたら、お安いご用ですよ。喜んで、あなたに添い寝いたしましょう。眠るまで、抱き締めて子守歌を歌いますよ」
「ありがとう。アル」
「いいえ。他ならぬ、お嬢さまの頼みですから」
エリアルに抱き付いて、背後の男たちに笑みを向けた。
凄まじい殺気が、私に向けられる。
でもね、エリアルの一番は、ほかならぬ私ですから。
エリアルがあやすように、ぽん、ぽん、と背中をなでてくれる。
「ずっと一緒よ、アル」
「ええ、お嬢さま。あなたがそれを望むなら」
猫を拾う決断をした過去の自分に感謝しながら、わたしは温かな幸せを胸に抱き締めた。
罪人の娘の烙印は、きっと一生消えない。けれど、その烙印のおかげで、私はかけがえのない友を手に入れたのだ。
一度曇りかけた瞳は、再び、今度はきっと一生曇ることのない輝きを、しっかりと灯していた。
拙いお話をお読み頂きありがとうございます
ひとりぼっちがふたりぼっちになるお話でした
続きも読んで頂けると嬉しいです