取り巻きCの初合宿 いちにちめ−そのに
取り巻きC・エリアル視点
前話からの続きです
次話に続きます<(_ _)>
もう、どれくらい山道を歩いただろう。
少し上に小さく開けた場所を見つけて、わたしはしゅびっと挙手した。
「兄貴!」
「ん?どうしたクロ」
兄貴が振り向いて、首を傾げる。
「お腹空きました!」
「……」
兄貴は無言で班員を見回し、頷いた。
「あそこで昼にするか」
空腹の訴えからこんにちは。引き続き演習合宿中のクロこと取り巻きC、エリアル・サヴァンです。
自己紹介から三時間ほどが経過して、ただいまツァボルスト高地を目指して登山中。目的の高地には、あと二、三時間くらい、かな。広くはないけれど登山道が整備してあるので、野山を分け入ってみたいな辛さはない。それでも遠足でするような登山よりは辛いけどね!
あ、そうそう。課題について詳しく説明しておくよ。
課題に出されたアストリットの眠り薬と言うのは、即効性の眠り薬かつ遅効性の致死毒で、眠り始めてから二日以内に解毒剤を投与しないと死んでしまう毒薬だ。毒薬なんだけれど、解毒剤さえ投与すればなにごともなく目覚めるので、麻酔薬として使われたりもしている。
課題で求められているのはこの、アストリットの眠り薬の解毒剤の材料集めで、解毒剤には六つの材料が必要になる。
ひとつめは、クマル草と言う高地に生える草。
ふたつめは、レスベルと言う同じく高地に生える木の実の、種の胚乳。
みっつめは、光水草と言う地底湖に生える水草。
よっつめは、ギャドと呼ばれる鉱石。
いつつめは、ククルクと言う植物の地下茎。
そしてむっつめが、鷹山羊鹿と言う、鷹だか山羊だか鹿だかわからない名前の小型で雑食性の鹿のオスの血液だ。成体が雄山羊くらいの大きさで、鹿のくせに肉も食べ、やはり高地に生息する。
姐さんことブルーノ・メーベルト先輩の言う通り、すべてツァボルスト高地で採集可能な材料だし、レスベルはちょうど今ごろが収穫時期なのだけれど、地底湖はツァボルスト高地の東端に入り口がある洞窟の最奥で、ギャドは西端に入り口がある洞窟の奥の方と、分布がえらく離れている。
その上、見つけにくいククルクの地下茎採集や小型とは言えシカ狩りまで課されると、もう、班員によるアドバンテージとかないかな、と言う気持ちになる。ま、ほかの班の課題にもよるけれどね。
わたしや姐さん、おそらく事前に調べておいてくれたであろう班長の兄貴ことスターク・ビスマルク先輩や副班長のあんちゃんことラファエル・アーベントロート先輩から説明を受けて、ほかの班員がげんなりしたのは言うまでもない。
合宿期間は今日を含めて五日間で、期限は最終日の午後五時だから、余裕がないわけじゃないけれど、さて、集められるか。
はやる気持ちを抑えつつも、まずは目的地に行かねばと、ひたすら歩いている、と言うわけだ。
で、気持ちははやっても、体力配分だって大事なわけでして。
小休止を入れつつとは言え登山を開始してもう二時間。登り下りの繰り返しに小休止ではごまかせない疲労が見え出したぴぃちゃんことピア・アロンソに代わって、わたくしクロめが昼休憩を申し出たわけです。お腹も空いたしね。
「雨が降らなくて良かったですねー」
お嬢こと、我らが悪役令嬢ツェツィーリア・ミュラーさまとぴぃちゃんのため、日陰に敷布を広げつつ、空を見上げて言う。
空は気持ちの良い快晴で真夏の日差しがさんさんと降り注いでいるが、前世と違って湿度の低い空気は夏でも比較的過ごしやすい。暑くはあるけれど、日陰に入るとかなり暑さをしのげるのだ。
行き先が低地の草原じゃなくて良かったな、と思う。
山中は木が日陰を作ってくれるし、ツァボルスト高地ならば下界より数度気温がひくいはずだ。さらに洞窟に入ればますます気温は下がるだろう。
「クロは、元気だねぇ…」
さあどうぞとお嬢さま方に食事の場を提供したわたしを見て、姐さんがしみじみと感想を漏らした。ぴぃちゃんほどじゃないけれど、お嬢や姐さん、姫ことヴィクトリカ・ルイ・バルキア殿下たちにも、それなりの疲労が伺える。
対して、兄貴やあんちゃんはけろっとしているし、ほかの騎士科面子もまだまだ平気そう。さすが体育会系、と言う感じだ。
姫や姐さんが鍛えていないわけではないのだけれど、やっぱり体力差と言うか、軍門家系として幼少から鍛えられたか否かによる、基礎の身体の違いはあるのだろう。
え?わたし?
サヴァン子爵家は文門の家だけれど、わたしに関しては前世と比べものにならないくらい動ける身体にはしゃいでいろいろ鍛えたから、貴族令嬢としては異例な体力を持っている、かな。
人種差か家系か世界差かは知らないけれど、エリアル・サヴァンの身体はすごく良く動くから、身体を動かすのが楽しいのだ。
楽しいことは疲れにくい。にこにこしていると、余裕そうに見える。
でも、お腹は減るからね。
「いえいえ。もうお腹ぺこぺこですよ」
自分は見晴らし重視でその辺の岩に腰掛けながら首を振った。
さりげなく、クララことクラウス・リスト先輩がお嬢たちをはさんでわたしの対面に位置取った。さらに、わたしの右手側九十度にパパことパスカル・シュレーディンガー先輩。その対面にテディことテオドア・アクスさまだ。
つまり、お嬢たちを囲んで四方にそれぞれ陣取ったことになる。
姫と姐さんは、お嬢たちと同じ敷布に、それぞれお嬢とぴぃちゃんを庇える位置で腰掛けた。
「…及第だな」
「今年の一年は筋が良い」
あんちゃんがぼそりと呟いてわたしの足元に、兄貴が小さく頬を弛めてテディの隣に座る。
お嬢がそんな布陣を見回して、笑った。
「さすが騎士科、かしら?でも、私の保護は考えなくて大丈夫よ。守りだけは、自信があるの」
「ああ、気にするな。これは演習だからな。本番で必要な技能を養っているに過ぎん」
騎士科の人間は、いずれ騎士になる者も多い。
そして年齢差から、先輩後輩で上司と部下になることもあり得るだろう。
兄貴やあんちゃんは実力的に見ても、将来上に立つ立場になっておかしくない人物。
今からもう、未来の部下の見極めは始まっている、と言うことなのだろう。
そしてそれは、次期国王である姫や、公爵家の人間であるテディやお嬢についても言えること。
そう考えればやり過ぎなこの班分けも、違って見えて来る。
違う班の人間は評価出来ない。つまり、評価が下がることがない。
まだ慣れぬ立場の一年生や、上級生になりたてな二年生の、未来を潰さないための優しさだったのかもしれない。
初めての合宿なのに王太子と一緒とか、ひとによっては罰ゲームだろうしね。
巧くすれば出世に繋がるが、一歩間違えば不敬罪で人生終了のお知らせだ。自分に余裕のない状況でそんな賭は、したくないと考えてもおかしくない。
「心配しなくてもここにいる騎士科生は野外活動に慣れていますから、お嬢もぴぃちゃんも気にせず守られて良いのですよ」
聖女たる姐さんですら、演習合宿皆勤なのだ。周囲を警戒しつつご飯くらい、どうってこともない。
現に、可愛らしいお弁当箱を広げる女性陣(わたしは除く)に対し、男性陣が食べるのは良くてサンドウィッチ。ひとによっては携帯食を口にしている。
「そう言うことなら、喜んで守られておくわ。でも、万一のときは私も動くから」
「ええ、頼りにしていますよ、お嬢」
にこっと微笑んだわたしをちらりと見やって、あんちゃんが口を開いた。
あんちゃんがかじっているのは大ぶりのサンドウィッチに丸のままの果物で、すごく男飯感が漂っている。あるいは、アメリカンなハイスクールチルドレンのお弁当(偏見)な雰囲気。これでお供がジンジャーエールとかだったら、完璧だ。
え?例えが微妙?おかしいな…。
「クロはなにを食べているんだ?」
「え?あー…えー…あー…」
岩に腰掛けたわたしがもきゅもきゅと頬張っているのは、白と黒のコントラストも美しいお弁当の定番、おにぎりだ。
わんちゃんが定期的にくれる海苔を、けちらず贅沢に使っているから、傍から見ると謎の黒い物体。
説明に困って、首を傾げる。
え?説明に困るなら、おにぎりにしなければ良かったって?
だって、遠足だよ?いや、正確には遠足じゃなく演習合宿だけれど。とにかく、登山とはわかってなかったにしろ自然の中なのは確実で、そんな場所で食べるお弁当なんて、おにぎりに決まっているじゃない!ちゃんと、笹に似た植物の皮に包むなんて、粋な計らいもしてみたし!あ、笹(仮)の皮も、わんちゃんから貰ったものだよ!
転生者としての気遣い?あーあー、聞こえない。聞こえなかった。
「猫のごはんなんて、気にしたら負けよ。どこでなにを狩って来て食べているか、わかったものじゃないんだから」
「にゃー」
お嬢が助け舟を出してくれたので、大人しく乗ることにする。
猫じゃないと言う主張も、今は封印だ。
「………そうか」
やめてそんな目で見ないで。
みんなからいっせいに目を向けられて気まずくなったので、おにぎりをかじってごまかす。
少し考えるそぶりを見せたあんちゃんが、わたしにかじりかけのサンドウィッチを差し出した。
「食え」
「は、むぐ」
はい?と問い返すことも許されず口に突っ込まれた。
条件反射でぱくんと口を閉じる。
しゃくり、とひとくちぶんのサンドウィッチが口の中に収まった。
「ちょ、ラフの手料理は!!」
慌てた様子の姐さんが立ち上がって近付いて来る。
姐さんをそこまで慌てさせるとか、どれだけやばいの、あんちゃんの手料理は。
口に入れてしまったものを吐き出すわけにも行かないので、咀嚼する。
あー、うん。
あんちゃん?この世界にもバターやオリーブオイルと言うものはあってだね?
野菜を挟むサンドウィッチの場合、油脂コーティングでパンをべしょべしょにさせない工夫が、
「だ、大丈夫?エリアルくん」
慌てたからか知らないけれど、さっきから呼び名が戻っていますよ姐さん。
ちぎっただけの葉菜とチーズとぶ厚い生ハムがべしょべしょのパンに挟まれただけのブツを飲み込んで、姐さんに笑いかけた。
「大丈夫です。ただの葉菜とチーズと生ハムでした。…しょっぱ」
あんちゃん、この厚さの生ハムはしょっぱいよ…。
「ほら」
「あむ」
計ったようにかじりかけの果物を差し出されて、かじる。
生ハムにいじめられた舌が、癒された。
このための果物だったのか!
「サンドウィッチで良かった…」
ほうっと息を吐きつつ姐さんがあんちゃんの頭をはたいた。
「このお馬鹿!女の子になんてことするの!きみの作ったものはひとに食べさせちゃ駄目だって、言ったでしょう!」
「物々交換だ」
しれっと肩をすくめたあんちゃんが、わたしの腕を引く。
手の中にあるのは、食べかけのおにぎりで。
「あ、ちょ、」
お馬鹿って言い方可愛いなとほのぼのしていた隙を突かれて止める間もなく、あんちゃんがおにぎりをかじった。
「…すっぱいな」
「腐敗防止用の具ですから」
夏場と言うことで具は梅干しだ。
ふにふにな方の梅干しの、たねを抜いて入れてある。
「ちょっと!ラフ!」
「美味いぞ?」
「もぐ!?」
わたしに代わってあんちゃんを叱ってくれようとした姐さんにまで、あんちゃんがおにぎりを食べさせる。
いやあのあまり酸っぱくもしょっぱくもない味付けのものだけれど、梅干しは受け付けないひともいるから、
「んぐんぐ…あ、ほんとだ美味しい。じゃなくて!」
もぐもぐしてからほわっと微笑んだ姐さんが、もういちどあんちゃんの頭をはたく。
「気になるからって断りもなく後輩のごはんを奪ったら駄目でしょう!エリアルくんにごめんなさいしなさい!」
「…すまん」
「あ、いえ…」
なんだこの、手の掛かる息子としっかり者のお母さんみたいな会話。
ちょ、あんちゃん一見寡黙な秀才なのに、ギャップ萌か?ギャップ萌を狙っているのか!?
「ほんとにごめんねエリアルくん。でも、それ、美味しかったよ」
「ああ。美味かった」
「ありがとうございます…」
いろいろ驚き過ぎて、和めば良いのか、困れば良いのか。
間保たせにおにぎりを頬張る。
…コンビニのおにぎりが懐かしいなぁ。あの海苔をパリパリのままキープする包装、日本人のおにぎり愛を感じるよなぁ。
そして、おにぎりにもお寿司にもお餅にもおせんべいにもお蕎麦にもおうどんにも、本来日本食じゃないラーメンやパスタやピザにまで使われる海苔って、さりげなく日本人から愛されているのだろうなぁ。
そんな海苔をわたしに恵んでくれるわんちゃんとそのお知り合いさん、まじ神。まじ救世主。
「あ、そうだ」
現実逃避しつつもぐもぐとおにぎりを食べるわたしを見下ろしていた姐さんが、ふと思い付いたようにつぶやくと、ぱたぱたと敷布へ向かった。
持って来たのは姐さんのおひるごはんで、ほわんと微笑んだ姐さんは、わたしに木の実を差し出した。
「これ、僕の実家で取れる木の実なんだけど、美味しいし元気も出るから、良かったら疲れたときにでも食べて。エリアルくんのごはんつまみ食いしちゃった、お詫び」
「えっ、あ、ありがとうございます」
ころんと三つ掌に乗せられたのは、大粒のぶどうくらいの大きさの木の実だ。見た目としてはナツメヤシの実に似た感じ。と言うか、たぶんそれに近い植物なんじゃないかと思う。
「いやいや。ごはん取った上にラフの手料理食べさせるとか、非道だからねぇ。これくらいのお詫びはしないと」
「…さっきから呼び方戻ってるぞ、“姐さん”」
「あ、ごめん」
口許を押さえた姐さんが、しまったと言う顔をする。
しかしすぐに、突っ込みを入れたあんちゃんにジト目を向けた。
「でも、誰のせいだと思ってるの?“あんちゃん”があんな暴挙に出たのが悪いでしょう?」
「それはちゃんと謝っただろう」
「もう。きみは本当に猪突猛進なんだから。もう三年生でしょう?少しは落ち着きを持ってよ」
「普段は落ち着いているだろう」
「普段はね!なにか気になったり集中すると遠慮なしで突進するのが問題なんだよ!」
えっと、先輩方?
あなた方の後ろで、兄貴が額を押さえているのですが。
「…なんで姐さんがこの班なのか、なんかよくわかった」
「言うな。先輩方がいる間は、まだ多少マシだった」
微妙な顔のテディと、諦念の見える兄貴の会話が聞こえる。
それはつまり、上がいなくなってストッパーが消えたと言うことですか兄貴。
そして上級生の代わりのストッパーが、姐さんだと言うことですか。
わたしが模擬試合の決勝で当たった先輩よりあんちゃんのほうが落ち着いたひとかと思っていたのだけれど、そんなことはなかったらしい。
「お前ら、じゃれ合いはいいから飯を食え!それでも最上級生か!!」
結局ふたりの言い合いは、兄貴の雷が落ちるまで続いた。
…いや、うん。おにぎりへの追及がなかったから、助かったよ、ほんとに。
そんなこんなで賑やかに進んだ登山の末、辿り着きました、ツァボルスト高地!
森林限界と言うほどの標高はないらしく、広がった平らな土地には木々の姿が見られた。ところどころ木立や背の高い草が、密生している箇所も見受けられる。
晴れた空に鮮やかな緑。登りきった達成感も加わって、とても清々しい気分だ。
「…今日は野営の準備と食料調達だけして、探索は明日からにするか」
班員の顔を見渡して、兄貴が言う。
「最終日も、下山だけにすべきだろう。三日で、どこまで集められるか…」
「野営準備をして余裕があったら軽く探索しても良いか、あ」
言葉の途中でふと感じた匂いに、きょろきょろと辺りを見回す。
この、独特な甘い香りは、きっと。
あっちかな?
「どうし、おい!」
がさっと背の高い草地に突っ込んだわたしに、兄貴が手を伸ばす。
あった。
その手を掴み返して、兄貴を草地に引き込んだ。
「姐さん、クマル草、群生地みたいです」
「え?」
わたしに呼ばれて姐さんががさりと追って来る。
「あ、危ないですからお嬢たちは来ないで下さい」
さらに追おうとした面々は留める。わたしより頭ふたつは高い、驚きの高さを誇るのは、ススキやイネのように手を切りそうな草だ。迂闊に入ると怪我をする。
兄貴と姐さんは良いのかって?兄貴はともかく姐さんはプロだよ?心配いらない。
かすり傷ひとつ負わずに草地を越えた姐さんが、目に入った光景に目を見開いた。
「ほんとだ。すごい。こんなにたくさん…」
背の高い草に囲まれたそこには、今回の採集のひとつ対象である、クマル草が青々と繁っていた。
「これ、もう採集してしまいますか?あとに…」
姐さんを振り向く途中で視界の端をかすめたものに、目を疑う。
「クロ?どうかした?」
姐さんの問いにも答えず、とすんと地面に膝を突く。そっとクマル草を掻き分けて…、間違いない。
そんな馬鹿な。
「嘘…」
「クロ?」
「姐さん、ククルクです」
「ええ?」
とんっと、肩が触れるほど近くに膝を突いた姐さんが、わたしの手元を覗く。
鉄紺色の柔らかい髪が、わたしの頬をくすぐった。
「…クロ、幸運の女神でも連れて来たの?」
「聖女さまなら隣にいますけれど?」
「傷付けないように掘り出せる?」
「任せて下さい」
ククルクの地下茎は劣化しやすい。表皮を傷付けないように掘り返さないと、良い品質の薬が作れないのだ。
そっと地面に触れて、地下茎の広がりを掴む。細心の注意で魔法を使って土だけを切り崩すと、慎重に草を引き抜いた。かなり立派な株だったらしく、大きい。
息を詰めて全体を抜き出し、付いた土を払う。
傷ひとつない表面が現れて、ようやく息を吐いた。
「ふにゃ…」
隣で姐さんも、ほうと息を吐いている。
「こんな大きな株を、傷ひとつなく…っと、はい、入れて入れて」
「これ、すごく高いやつ!」
さあ入れてと姐さんが取り出したのは、中身を保存する魔法の掛かった袋だった。
魔力を貯め込める特殊な糸で織られた、ただでさえ高い魔道具の中でも高価とされる逸品だ。つまり、すごく高い。
そんな中に、薬の材料とは言え肥大した地下茎、つまりさつまいものようなものを突っ込むのはさすがにためらうが、
「大丈夫大丈夫。せっかくクロがこんなに綺麗に掘り出してくれたんだから、傷付けずに運びたいんだよ」
姐さんに促されて従う。
わたしがククルクの地下茎を地上部ごと袋に収めると、姐さんはその袋の口を締め、
「持ってて」
立ち上がると兄貴に押し付けたあとで、膝を突いたままのわたしの頭を引いた。
姐さんのお腹に、わたしの顔が受け止められる。
「クロ、偉い!」
「にゃ!?」
驚くわたしの頭を、姐さんがわしゃわしゃとなで回す。硬い腹筋から、ふわりと薬草らしい匂いがした。
「傷ひとつないククルクなんて、一流のお店でもそうそう見かけないよ!初めての採集で完品を作るなんて、天才だよ!頑張ったねぇ。良くやったよ。偉い偉い」
なでるだけで飽き足らなかったのか、姐さんはわたしの頭に頬をすり寄せた。
「良い子だねぇ、クロ。よしよし。いいこいいこ」
「にゃー…」
「…悪い。気が済むまで、付き合ってやってくれ」
いつになく興奮しきりの姐さんに戸惑うわたしへ、そう声を掛けると兄貴は草の向こうへ消えた。
おそらく、向こう側に説明しに向かったのだろう。
そんな兄貴の動きにも気付かず、姐さんはわたしを褒めちる。
愛猫を愛でる親馬鹿飼い主のようなベタ褒めっぷりだ。
…姐さんわたしのこと、猫だと思ってないよね?
ぎゅーっと抱き締められてなでられて、テディベアにでもなった気分だ。
説明を終えて戻っても収まらない興奮に、見かねた兄貴が待ったを掛ける。
「そろそろ復活しろ、ブルーノ」
姐さんの手から、ひょいっとわたしを奪い取って、兄貴が言った。
え、そこは、姐さんを引き離すところじゃないの?なんで、構い過ぎな幼児から猫を救出するみたいな対応をしているの?
「あんまり構うと猫に嫌われるぞ」
「猫ではないです!」
「あ、ごめんねクロ」
愛でる対象を奪われて、姐さんが正気を取り戻す。
「貴重な薬品素材に、ちょっと興奮しちゃった」
「ちょっと…?」
「…ごめん、かなり、だねぇ。大丈夫?」
「わたしは大丈夫です」
某、お魚の名前の動物研究家さんに愛でられる動物の気持ちを味わえたよ。
驚きはしたけれど、セクハラっぽい触り方じゃなく明らかに猫とかそんな感じの扱いだったから、嫌悪感も湧かない。
いや、雄々しい男性とか、むさくるしいおじさんとかだったら拒絶反応が出たかもしれないけれど、我らが騎士科の聖女さまだったし。リリアに抱き締められるのと、気持ち的にそう変わりはない。
騎士科で鍛えているだけあって、姐さんでも抱かれ心地はかなり筋肉質だったけれどね。
服越しだけどあのお腹の感じ、割れているよ、きっと。
姐さんが兄貴の腕から下ろされたわたしに歩み寄り、すまなそうな顔で髪の毛を直してくれる。
「ほんとにごめんねぇ。薬のこととなると、飛んじゃって。…にしてもクロ、猫っ毛だねぇ。さらさらだけど、すごく柔らかい」
「よく跳ねますよ」
「ふふ。ここ、この癖、いつも付いてるけど猫の耳みたいだよねぇ」
なで付けてもなぜかそこだけぴょんと跳ねてしまう毛を、姐さんが笑ってつつく。
どうやら、持ち直したようだ。
「そこだけはなぜか、頑張っても直らないのですよ。それより、クマル草はどうしますか?今採ってしまっても、姫がいるので鮮度は保てますが」
「そうだねぇ…せっかく見つけたし、採っちゃおうか」
足元を見下ろして、姐さんは微笑んだ。
「クマル草も、確か根ごとが良いのでしたよね」
「そうそう。ただ、ククルクと違ってクマル草は根が細かいから、無理はしなくても大丈夫だよ」
「でも、せっかくですから。姐さん、どの株が良いとか、ありますか?」
「えーっと、そうだなぁ…あ、あれ、あの辺が良い色だよ」
見極めるようにクマル草の群落に目を走らせた姐さんが、一カ所を指差す。
周囲と比べて、わずかだけれど葉の黄色味が強いような気がする。
「あの黄色が、薬効成分の色なんだ」
「あれですね。何株くらい採りますか?」
「兄貴、どれくらいだっけ?」
姐さんに訊かれて兄貴が紙を取り出す。
「アストリットの眠り薬の解毒薬、二十包分以上で及第、四十包分以上で課題点は満点、だそうだ」
「四十包なら…、うん、五株あれば足りるよ。でも、クマル草はほかの薬にも使えるからなぁ…」
「多めに採りますか?」
「そうだねぇ。でも、採り過ぎても良くないから、八株にしようか」
「わかりました」
ククルクと同じように、魔法で土をほぐして草を引き抜く。
姐さんが指差すところから、間引くように良い色の株を選ぶ。
「…クロ、きみ、良い薬草売りになれるよ」
「あはは。ありがとうございます」
わたしが手渡す草を見て、姐さんが言う。
誰の行いが良かったか、到着早々むっつのうちふたつも材料をゲットしてしまった。
「…黒猫が不吉の象徴って、大嘘なんじゃないかしら」
「それ、オレも思ったわ」
クマル草の群生地から帰還したわたしたちを見て、お嬢とクララが言う。
姐さんが、苦笑を浮かべた。
「運が良いのは、確かかなぁ。正直なところ、ククルクは見つからないだろうと思っていたから」
それはわたしも思っていた。生息地がわかっている光水草や、高木で見つけやすいレスベル、独特の甘い香りを持つクマル草はともかく、これだけ豊かに下草が繁った森で地に這うように日陰に生えるククルクを見つけるのは至難の業だ。
地面に目を落とし地道に探すしかないかなと、思っていたのだけれど。
「いや、うんうんって頷いているけど、エリアル嬢、っと、じゃなくて、クロがすごいって話をしているんだからね?」
「いーえ、姫、みなさまの日頃の行いが良いのですよ」
この班には、天使と聖女もいるしね。
黒猫は、ここ掘れわんわんしただけで、徳を積んだのは飼い主ですよ。
「まあ、誰の運が良かろうと、先が楽になったのは確かだろ」
「そうだな。とにかく、予定通り野営準備と食料調達をするか。それと、クロ」
テディの言葉に頷いた兄貴が、少し厳しい顔をしてわたしを見下ろす。
「材料を見つけたのは偉いが、独断で先走るな。これは、集団行動の訓練だ」
「あ…申し訳ありません」
「いや。わかれば良い。…二年経っても理解していないやつだっているからな」
えっと、兄貴?それは、あんちゃんのことで?
わたしの頭をなでた兄貴の視線を追った結果、全員の瞳がひとりに集中した。
視線の集中砲火を受けたあんちゃんが、むっとして口を開く。
「待て、なぜ私を見る」
「…前回の演習合宿で、ウルとふたり亜翼竜に特攻したのは、誰だったかなぁ?」
「あれは、」
「あれはぁ?」
にっこり笑った姐さんに詰め寄られて、あんちゃんが言葉に詰まる。
ウル、と言うのはウルリエ・プロイス伯爵令息、模擬試合決勝でわたしが叩きのめ…こほん、模擬試合決勝でわたしが当たった先輩のことだろう。
あんちゃんと違って、いかにもやらかしそうな先輩だ。
やらかしそうな先輩、なのだけれど。
亜翼竜に特攻って、なにをやっているのですか、先輩方。
亜翼竜と言うのは、空飛ぶおっきな爬虫類だ。
とりさん、わたしが封印している邪竜のような竜とは異なり、ひととの意思疎通は出来ない。だから、そうだな、イメージ的には、ゲームやライトノベルなんかのワイバーンに近いかな。ただ、ワイバーンと違い二本足とは限らなくて、大型で羽が生えた爬虫類はみんなこう呼ばれる。
と言うと、なんだか特攻しても大丈夫に思えるけれど、残念ながらまったくもって大丈夫じゃない。
まずね、大型の基準がおかしいから。
この世界で空飛ぶ爬虫類の分け方は三段階で、大きい方から亜翼竜、劣翼竜、飛蜥蜴となっている。で、一番小さい飛蜥蜴と劣翼竜の分かれ目からして、基準は雄牛なのだ。見たことあるだろうか、雄牛。雌の1.5倍くらいの大きさがある。しかも、この世界の牛はたぶんだけれど、前世の牛よりも大きい。
この上の、劣翼竜と亜翼竜の分かれ目に至っては、良い比較対照がいなかったらしく雄牛四頭なんて、某二足歩行の口がない猫みたいな説明にされている。まあ、たぶんアフリカゾウより大きいか小さいかで区別、くらいの話だと思う。
アフリカゾウだよ?アフリカゾウ。戦って勝てると思う?
しかも竜ほどじゃないにしろ堅い鱗を持っていて、種類によっては鋭い爪や牙まであるのだ。そして、意思疎通不可能。
襲い掛かられて応戦ならまだしも、積極的に挑むような相手じゃない。
「亜翼竜に特攻って…いや、そもそもなんで亜翼竜に遭遇したんだ…」
テディが困惑顔で唸る。
亜翼竜はふつう、ツァボルスト高地なんて目じゃないような高山か、バルキア王国よりはるかに高温あるいは低温な、いわゆる極地に棲息する生き物だ。…ひとが暮らす土地からは、駆逐されたから、ね。
いくら演習合宿が山野林野で行われるとは言え、亜翼竜がいるようなところには行かないだろう。
テディの疑問に、兄貴が小さくため息を吐いた。
「演習合宿は基本的にある程度の安全が保証された場所で行われると言うのは、確かな話だ。事前に師の視察も行われ、前もってあまりにも危険だと判断される場所は除外される。だが、学外で行う以上不測の事態と言うものは起こり得る。前回の演習合宿では、その不測な事態が起こったんだ」
「不測の事態が起きたなら、速やかに教員に連絡して逃げれば良い話だったのに、このお馬鹿ともうひとりのお馬鹿が、嬉々としてお馬鹿な戦いを挑んだんだよ。もう。本当にお馬鹿なんだから」
「せっかくの機会を活かさなくてどうする。亜翼竜に挑める機会なんて、まずないだろうが。それに、あそこで私たちが逃げれば、麓の村に被害が出たかもしれなかった」
…大事なことだから四回言いました?
あんちゃん見かけによらず脳筋!と言いたいところだけれど、ちゃんと、考えはあったのだね。しかも、騎士として真っ当な。
「それでも!先輩や後輩の制止を振り切って特攻して!死んでたかも、しれないでしょう?」
そして、姐さんが怒っているのも、真っ当だ。
きっと、あんちゃんを案じてのこと。
だからあんちゃんも、怒られて反発したりしない。
「命を掛けても民を守る覚悟の下、騎士を志している。無論、そう簡単に死ぬつもりはないがな。心配しなくても、ちゃんと生きている」
ぽん、と姐さんの頭に手を乗せ、あんちゃんが言う。
騎士の勤めと言われれば、姐さんも否定しない。なぜなら彼の志す先も、騎士だからだ。
それでも生きて欲しいと願うのは、友を想うからだ。
「あの亜翼竜たちは動きが鈍かったから、私単独で数体を捌けた。私が隙を作れば、ウルが気絶させられる。救援のための時間稼ぎは、十分出来ただろう」
眉尻を下げた姐さんにあんちゃんが口元を歪めて、
いやいやいやいや?
「亜翼竜数体捌けるって異常っすからね!?聞くたび思うけど、魔法も使わず亜翼竜を複数相手にするとか、人間業じゃないって!!」
わたしに代わって、クララが突っ込んでくれた。
だよね。おかしいよね。
繰り返すけれど、最小でアフリカゾウだ。
アフリカゾウを、数体。おかしいよね。頭が。
ああ、ウルリエ・プロイス先輩が亜翼竜を気絶させられるのは、わかるのだよ。彼は、魔法で雷撃を使えるから。落雷並みの落雷は無理でも、スタンガンよりは強いはず。隙を突いて接触さえ出来れば、気絶させることは可能だと思う。
でもあんちゃん、あなた魔法使えませんよね?さらにふたりで特攻と言うことは、強化や防御と言った魔法による補佐も望めなかったはずだ。
神風特攻隊もびっくりの、捨て身作戦ではなかろうか。
「ぼろぼろに、なったくせに」
「…まあ、オレとしてはその瀕死のあんちゃんとウル先輩を、一目見るなりぶん殴った姐さんも大概だと思うんすけどね」
『…え゛?』
一年生全員の声が揃った。
全員、え?じゃなくて、え゛?だった。
無言の視線が、姐さんに向かう。
「いや、えっと、僕も、混乱しててね?」
「混乱してたから、殴って気絶させたあとで完全に治癒を掛け、冷水ぶっ掛けて叩き起こして正座させ、ぼろぼろ泣きながらこんこんとお説教したんすか?」
「姐さんが十二分に叱ったからと、先輩方も師も罰則を免除にしていたな…」
姐さんが目を泳がせて口にした弁解を、クララと兄貴が潰す。
「騎士科の聖女を本気で怒らせたら駄目だって、騎士科全体で不文律が出来たからね」
「教師陣には、アーベントロートとプロイスを組ませるなって不文律が出来たらしいけどなー。あと、問題児は聖女に任せれば安全って」
「師ですら絶句して対応に困っていたところに、突っ込んで行って殴ったからな。亜翼竜に挑んだふたりも、そのふたりに容赦ない説教を浴びせた姐さんも、師の度肝を抜いた点では同じだ」
一年生一同が言葉を亡くす前で、先輩方が三人掛かりで姐さんとあんちゃんを追い詰めて行く。
ぐうっと言葉に詰まった姐さんを、兄貴が苦笑してなでた。
「だが、お前の言葉はふたりや周囲を想ってのものだったからな。やり方は過激だったが、師も黙認していたし、ふたりも神妙に聞いていた。聖女を泣かせたと言うことでふたりがしばらく白い目で見られたのも、良い反省になったろうし、俺は良い行動だったと思う。お前がいるおかげで、先輩方も安心して卒業して行けたしな」
「そう言って貰えると、多少は慰めになるかな」
頬を掻いた姐さんが、兄貴に苦笑を返す。
「あ、心配しなくても、姐さん良い子には優しいからな。良い子にしてろよー?」
「よっぽど問題を起こさない限り、怒ったりしないよ」
クララとパパが、兄貴を補足するように姐さんのフォローに回る。
「そんな逸話持ちでも、姐さんは慕われてるだろ?それが証拠な」
「むしろそこまで姐さんを怒らせた方が非難されたからね」
ふたりの言葉に頷いて、兄貴が一年生を見回した。
「つまりは、不測の事態が起きたとしても独断で勝手な行動をするな、と言うことだ。わかったな、あんちゃん、クロ」
「はい、兄貴!」
「…なぜ私を名指しする」
「お前がいちばん心配だからに決まっているだろう。返事は」
「…」
「あんちゃん?」
「…善処する」
…答えはイイエです?
姐さんに促されての返事に姐さんは胡乱な目をして、兄貴はため息を吐いた。
「…俺も目を光らせるが、周囲も止めるようにしろ。さて、ここからはいくつかに別れて野営の準備をする」
兄貴はそう言って、役割分担を発表した。
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